
総合評価
(40件)| 5 | ||
| 11 | ||
| 15 | ||
| 3 | ||
| 0 |
powered by ブクログ絵画を見て感動した、という記憶が、 どれだけ頭の中をびっくり返しても出てこない。 本物を見てないからかな?と思ったけれど、 ポスター見て心を射抜かれているのよね、 姜尚中さんは。 感性の問題か、やっぱり。 絵を見に行っても、つい解説を読んでしまう。 右脳、衰退しちゃってるかも。 今度、娘を美術館に連れてく約束をしてる。 期待はせず、予断を持たず、 フラットな気持ちで歩いてこようと思う。
7投稿日: 2025.05.21
powered by ブクログかつて日曜美術館の顔だった姜さん著作。 デューラーの自画像を筆頭に、鑑賞者に問いかける作品に出会える ブリューゲルの"絞首台の上のカササギ"は衝撃 美術館に行きたくなる本
0投稿日: 2025.03.29
powered by ブクログ(2012/2/24) 悩む力がベストセラーになった姜尚中さんの新書。 NHKの日曜美術館の司会をやったのがもとでできたのがこの本のようで。 タイトルからはわからない、美術本。といっても姜尚中氏独特の自己内対話になっていて。 正直読み物としてはいまひとつ。 ただ、取り上げている絵は興味深い。 一番は今日のブログタイトルにもしたラスメニーニャス。ベラスケス。この絵の主役は画家だという指摘はうなづける。行きたいなぁ、プラド美術館。行こう。
1投稿日: 2024.09.04
powered by ブクログタイトルがいいと思う。 あなたは誰?と問われ なんと応じましょう? ちなみに相手は肖像画。 時代も文化も何もかも 違う相手。 まずは名乗ってみる? いえいえそういうこと ではなさそうです。 そう、問われてるのは アイデンティティです。 見透かされてるんです、 ボンヤリ生きてること を(¯―¯٥)・・・ さてさて、なんと応じ ましょうか???
96投稿日: 2024.02.17
powered by ブクログ2009年4月から2011年3月まで、NHK日曜美術館の司会をされていた姜尚中氏による美術に関する考察本。 美術はご専門ではなく、政治思想史が専門だが、在日であることからアイデンティティのあり方に悩んでいた時に出会った数々の絵や工芸品にどのようにして惹かれていったのかを語り、作家の心がどこにあったのかを考察した、大変興味深い本。 特に興味を持てたのは、次の美術品に対する考察。 ベラスケスの絵画「女官たち」 宮廷の中央に王女がいて、そのまわりに何人かの女官がかしづいてして、絵筆を持ったベラスケス自身も絵の中にいる。ベラスケス自身の心はどこにあるかというと、隅っこに描かれた矮人(体が小さく愛玩動物的に宮廷に住んでいた人)の女性と重ねていたのではないか。ユダヤ人であることを隠していたユダヤ人はマイノリティである矮人と心を重ねていたのではないか。 長谷川等伯「松林図屏風」 一面に靄がかかった中、濃く、薄く松が姿を表しているが、白の面積が多い“白の絵画“。白というのは空虚な色ではないと分かる。非常なる密度でさまざまな要素が詰め込まれ、凝縮され、その結果、白い輝きとして発光した色。 マーク・ロスコ「シーグラム壁画」 巨大なキャンバスに黒と臙脂だけを使って塗った抽象画。臙脂にも血のような赤や暗い褐色、黒にも紫のような黒や焦茶色のような黒がある。じっと見ていると自我が心地良く溶け出し、忘我の境地のようなところに入っていく。 世界大戦のころから人々は自分の物語と過去の物語が繋がらないことが多くなり、自分と世界が容易に結びつけられなくなってきた。もはや具体的な方法では自己表現が出来なくなり、抽象画が生まれた。 ブリューゲル「絞首台の上のカササギ」 絞首台の横で人々が手を繋いで踊っていて、その光景をカササギが見ている。不吉な場の絵だが、おそらく絞首台はもうその役目を果たしたものであって、雲の切れ間から光が指すような安堵感を感じられる。辛いことがあっても「再生」の時は必ずやってくるというメッセージがあるのではないか。 伊藤若冲「群鶏図」 真っ赤なとさかと色とりどりの尾を靡かせた鶏が大きな画面を覆い尽くしていて、圧巻。 絵のどこにも中心がない。遠近法は無視され、13羽のどの鶏にも焦点が合っている。生き物の写生というよりもデザイン画のよう。人間の目で鶏を描いたのではなく若冲自身が鶏の仲間になって絵筆を運んだのではないか。 美術はただ「綺麗」なものが尊ばれるのではなく技術的に「上手い」がいいとも限らず、文学や音楽のように奥深いと思った。絵が上手くなくても、美術に対する知識が無くても自分なりに美術を楽しみたいと思った。
96投稿日: 2023.10.15
powered by ブクログ芸術鑑賞論と哲学論の中間のような感じ。 人によって絵画彫刻の観方が違うので、人の着眼点を知るのは面白い。 同じ視点には共感し、知らなかった視点には気付きと 同じ物を見て自分はどう思うか試したい意欲が出てくる。
1投稿日: 2021.08.02
powered by ブクログ面白い! 失礼ながら、テレビでよく見かける 気難しそうなコメンテーターに、 まさか、こんなにも分かりやすく、 そして、感動的に、 芸術の解説をしていただけるとは! そもそも私は芸術に無知無関心だったのに、 このタイトルに吸い寄せられました。 少しだけ人間の幅が広がった気がします。 感謝です。
0投稿日: 2021.07.31
powered by ブクログこういう美術鑑賞の仕方もあるんだな.でもこのような深読みは自分には難しい.様々な視点があり,それを文章化できるのは凄い.
0投稿日: 2018.10.09
powered by ブクログNHK「日曜美術館」の司会をしていた著者が、当時出会った絵画や美術品について書いている。 政治学者である著者は、芸術の専門家ではないので解説書ではなくあくまで著者自身の感想といったところ。 冒頭と末尾に出てくるアルブレヒト・デュラーの作品は、とても印象的だった。 最初と最後に持ってくるあたり、著者自身もこの絵画に大きな影響を受けたと思われる。 絵画は、語る。 それは、鑑賞者に向けてだけではなく、いやむしろ画家自身に向けてのメッセージなのかもしれない。 そんな風にも思った。
0投稿日: 2016.09.15
powered by ブクログ[ 内容 ] ドイツ留学中の著者は、五〇〇年前のデューラーの『自画像』から啓示を受けた。 「私はここにいる。お前はどこに立っている?」。 絵の中の同じ二八歳の男は、鬱々とした内面の森をさ迷う在日の青年に、宿命との対峙を突きつけたのだ。 三〇年後、人気美術番組の司会を務めた著者は、古今東西の絵画や彫刻の魅力を次々に再発見していく。 ベラスケス、マネ、クリムト、ゴーギャン、ブリューゲル、ミレー、若冲、沈寿官―。 本書は「美術本」的な装いの「自己内対話」の記録であり、現代の祈りと再生への道筋を標した人生哲学の書でもある。 [ 目次 ] わたしたちは今、どこにいるのか おまえはどこに立っている―アルブレヒト・デューラー『自画像』 ディエゴ・ベラスケス『女官たち』『ドン・セバスチャン・デ・モーラ』 エドュアール・マネ『オランピア』 イワン・クラムスコイ『忘れえぬ人』ほか 生々しきもの―ギュスターヴ・クールベ『石を砕く人』『世界の起源』 エドュアール・マネ『草上の昼食』ほか エロスの誘いグスタフ・クリムト『ダナエ』 エゴン・シーレ『縁飾りのあるブランケットに横たわる二人の少女』 ポール・ゴーギャン『かぐわしき大地』ほか 白への憧憬―白磁大壷 長谷川等伯『松林図屏風』 純白のチマ・チョゴリほか 不可知なるもの―マーク・ロスコ『シーグラム壁画』 パウル・クレー『想い出の絨毯』ほか 死と再生―ピーテル・ブリューゲル『死の勝利』『バベルの塔』『絞首台の上のカササギ』ほか 生きとし生けるもの―伊藤若冲『群鶏図』『貝甲図』 熊田千佳慕『メスを求めて』『恋のセレナーデ』『天敵』ほか 祈りの形―アルブレヒト・デューラー『祈りの手』 円空『尼僧』 ジャン=フランソワ・ミレー『晩鐘』ほか 浄土的なるもの―与謝蕪村『夜色楼台図』 ジャン=フランソワ・ミレー『春』 犬塚勉『暗く深き渓谷の入口1』ほか 受け入れる力―ルーシー・リーの白釉の陶器 ハンス・コパーのキクラデス・フォームの陶器 沈寿官『薩摩焼夏香炉』ほか [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
0投稿日: 2014.10.04
powered by ブクログひとつの絵画を見て人生を考え直してしまう、そんな体験をしたことはないけれど(姜さんは体験されたそうです)、1冊の本を読んだことで、私事ながら、人生を考え直すきっかけになったことはある。哲学的な問いかけと、美術に対する知識が融合して、新しい読み物をみつけた!という感動があった。
0投稿日: 2014.05.06
powered by ブクログ政治学者の姜尚中が、絵画を中心に芸術作品から受けた啓示について語っています。 著者自身が、絵画から生きるための知恵と勇気を与えてもらった体験を中心に綴られているので、解釈が恣意的になってしまうのはやむをえないのかもしれません。中立的な立場からの芸術作品の鑑賞の手引きとは言い難いのですが、「わたしたちは今、どこにいるのか」と自問自答せざるをえない「近代」という時代においては、どこかで著者のような絵画からの触発を受け取ったことが、作品世界に深く分け入ろうとする動機となっているのではないかという気もします。
0投稿日: 2014.03.31
powered by ブクログある絵画に対する姜さんの視点を記述した著書。その絵から何を感じ取るのか?その人のバックグランドによっても捉え方は変わってくる。
0投稿日: 2014.01.04
powered by ブクログー若冲の絵から伝わってくるのは、生命への畏敬などという大上段に構えた理屈ではなく、「ただ貝が好き」「とにかく鶏を見ていたい」といった、子供のように純粋な好奇心です。144頁 わたしが何で、若冲を好きなのかがわかった。 大人なのに、子どもみたいなところが本当に好きなんだ。こんなにも純粋な好き、という気持ちを絵から放出している若冲。 美術とはかくも素晴らしい、と思える。 姜尚中さんの本は、いつもとっても読みやすい。
0投稿日: 2013.11.23
powered by ブクログ本のタイトルから、ちょっとした哲学的な評論だと 思って図書館に予約して、借りて中身を見て美術に 関する内容だと知った次第。 姜尚中さんらしい、とても洞察的な絵の鑑賞だと思った。 私は絵を観たままでしか捉えないので、もっと広く、深い 観方もあるのだ、と。 個人的には第三章エロスの誘いの章がすき。 姜さんが理想の女性像に言及しているところ。
0投稿日: 2013.06.24
powered by ブクログ「美しさ」を感じた一冊。 私は美術館が好きで、年に数回ほど足を運んでいるのですが、鑑賞した作品を語る言葉を持ち合わせていませんでした。 なので、どんな風に、感じたことを言葉に置き換えて伝えることができるのかを知りたくて、この本を手に取りました。 感想は、 ただただ、美しい。 姜さんの表現に、世界観に、惹き込まれました。 こんな風に、世界に触れることができたならば。 こんな風に、芸術作品に触れられたならば。 どんどん「満たされていく」感じがしました。 文字による紹介が多い本書ですが、読後、姜さんのサポートのもと芸術作品を味わったかのような、充実感と満足感が心に残りました。 美術館に、また行こう。
0投稿日: 2013.02.04
powered by ブクログタイトルからしてはまった。尤も、絵画説明書だとは思ってもなかったが。でもそれでもよかった。共鳴した。 ヴィクトール・フランクルの指摘 〇人間の行為の3つ価値: ①「創造」、②「体験」、③「態度」
0投稿日: 2012.12.15
powered by ブクログ生きることの意味や必要性 抗うことのできない運命や理不尽な出来事から 生きる力を考える力を芸術(美術や陶芸)を介して与えてくれる本。 こんな感受性は、ただ単純で平和ぼけした恵まれた生活を送っている人間には、なかなか持つことができないかもなぁ…
0投稿日: 2012.08.14
powered by ブクログ美術体験による、著者の個人的な感動が綴られる。とにかく文章が上手い(流麗さが、やや過ぎると感じられるほど)ので、読まされる。こんなに自由に美術を語れるのか。特にロスコ、クレーなどの抽象絵画がいかに素晴らしいか、という語りが、力強くて印象に残った。
0投稿日: 2012.05.10
powered by ブクログ著者が日曜美術館の司会を通じて得た感動や自身の経験をもとに、まとめられた本。雑然とした毎日の中で、美しいものに触れたいという気分に、すんなり応えてくれた。また美術館に行って、本物を見てみたいなあ。
0投稿日: 2012.04.06
powered by ブクログ美術作品と人生を結び付けて考える。自分への問いや自分との対話、そういった事を美術を通して行う。批評や鑑賞、感想というよりも著者の精神を感じる作品。
0投稿日: 2012.03.06
powered by ブクログ人は老いを迎えると芸術の深みにあこがれ、それを追い求めるのかもしれない。写実画は意味がないと思っていたが、犬塚勉に強くひかれた。
0投稿日: 2012.03.04
powered by ブクログ絵画の鑑賞が、実に個人的な体験であるということを感じさせてくれる。所謂絵画鑑賞の手引書的な内容では無いところが良い。アカデミックな鑑賞も意味の無いことでは無いが、観る者がその作品と対峙し、どのような感慨や影響を受けるかということは、筆者が記したような実に個人的な体験であることを思い出させてくれる。自らの経験や体験と、芸術作品が呼応するような瞬間を味わうことは、絵画のみならず芸術作品を鑑賞することの醍醐味である。
0投稿日: 2012.03.02
powered by ブクログ姜氏の美術エッセイ。 「日曜美術館」で司会をされているためか、昨年展覧会で見た作品が多く取り上げられており、タイムリーに読めた。 作品の軽い解説・分析プラス姜氏の個人的な思い出といった感じで、軽く楽しめたがあまり深く印象に残る内容がなかった。 見たい作品: ミレー「春」(ルーブル) ブリューゲル「絞首台の上のカササギ」(ヘッセン州立美術館)(ダルムシュタット)
0投稿日: 2012.01.15
powered by ブクログ目次:はじめに 私たちは今,どこにいるのか、第一章おまえはどこに立っている、第二章生々しきもの、第三章エロスの誘い、第四章白への憧憬、第五章不可知なるもの、第六章死と再生、第七章生きとし生けるもの、第八章祈りの形、第九章浄土的なるもの、第10章受け入れる力、おわりに ここで生きる
0投稿日: 2011.12.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
マネ、ゴーギャン、ミレーらの有名な絵画を通して、姜尚中氏が何を思ったかを綴った「美術本」兼「哲学書」。「こういう芸術の味わい方があるのか」と、今度美術館に行くときに絵の見方が変わりそうだ。哲学しながら芸術の知識も身につくお得な本と言えるかもしれない。(竹村俊介) ▼『ジセダイ』140文字レビューより http://ji-sedai.jp/special/140review/20111024.html
0投稿日: 2011.12.09
powered by ブクログ読んでいると、文中にある挿絵画以外にも紹介されている絵画を見たくなり、PCを横に置きつつ読むという珍しいスタイルをとることになった。結果、絢爛豪華という印象しかなかったクリムトに俄然興味が湧き、即図書館へ♪ 絵画の見方の一手法を提案してくれています(*^_^*)
0投稿日: 2011.11.25
powered by ブクログ絵画をどうやって見たらいいか、なんとなく分かった。岡本太郎記念館に行きたい。そして、パンケーキ食べたい。
0投稿日: 2011.11.19
powered by ブクログ姜氏が司会をしていたNHK教育の“日曜美術館”は欠かさず観ていた。小一時間、姜氏の独特の雰囲気に浸りたいという不純な動機もあったけれど、画家や一枚の絵画に対する彼の感想には、必ず彼独自の見方や感じ方が紹介され、その内容はとても興味深く、かつその姿勢を好ましくも感じた。今回、とりわけ思い出深い芸術作品をとりあげての著作ということで、期待して購入。 姜氏の日本語にはどこか切ない美しさがある。そこはかとなく官能的といってもいい。在日という出自を背負った彼の淋しさや苦悩、自分自身への問いかけの日々が、時を重ねて熟成し、独特の芳香を放ち得ているのだろう。 いずれの作品の記述も興味深く読んだけれど、とりわけブリューゲルの“絞首台の上のカササギ”の考察は心に留まった。通常いわれる怖い絵との感想とは裏腹に、そこに再生や希望を見出したいという彼の願いは、辛苦の中にあって未だ人間への希望を捨てない、彼の人間讃歌の姿勢を見た思いがした。
0投稿日: 2011.11.19
powered by ブクログあまりピンとこなかったなぁ…。この方面に疎いということもあるけれど。こういう本は自分の目で実物をみて感じないと意味をなさないかも。著者のモラトリアムはよくわかった。
0投稿日: 2011.11.13
powered by ブクログNHK「日曜美術館」司会者であった著者が、思い入れ深い絵・陶芸とその作者について語る。語り口はわかりやすく、面白く読み進めたが、作品の写真がモノクロしかないのは致命的。テーマがテーマなのだから、作品の紹介の仕方にもっと力をそそぐべきだ。 ブリューゲルの「絞首台の上のカササギ」の解釈が『怖い絵』の中野さんとまったく異なり、生と平和への賛歌である…としたのは興味深い。
0投稿日: 2011.11.09
powered by ブクログ一人の人間、一つの出来事、一冊の本、そして一枚の絵が、人生に計り知れない影響を与えることがあります。 私の場合、そうした一枚の絵をあげるとすれば、それはアルブレヒト・デューラーの自画像でした。彼は何の予告もなく突然、目の前に姿を現し、そしていきなりわたしを叩きのめすほどの衝撃を与えたのです。 そう語る著者は、在日であるという出自、将来への不安など、とらえようのない憂鬱な気分を抱えていた学生時代にドイツの美術館で出会った500年前の青年画家の自画像から「わたしはここにいる、お前はどこに立っているのだ」 というメッセージを受け取ったそうです。 私たちが見るもの、そのすべては私たちの心が外の世界に映し出されたもの「投影」である、と言われます。 そうであるなら、表現者である画家自身の思想や想念が封印されている自画像を観て、私たちが感じるものは、言葉にならない言いようのない感覚、時として私たち自身気づいていないような 心の奥にしまいこんだ感情なのかもしれません。 慌しくストレスフルな日常のなかで私たちは、時として感情を切り離し、押し殺し、無かったことにして生活をしています。 それは、傷つきやすくて壊れやすいハートを守ろうとする心の作用なのですが、どんなに切り離して押し殺して無かったことにしてみても、 本当になくなったわけではない感情は、いつも出口を探してさまよっています。 抑圧された哀しみは、時として怒りとなって私たちの大切な人を傷つけることがあります。 癒されることを待っている心の痛みは、時としてその存在を示すように繰り返し起こる問題となって私たちを苦しめます。 絵画や音楽、演劇に触れる。 抑圧された感情や、言葉にならない感覚に気づく。 それもまた、心を癒す効果的な方法なのかもしれません。
0投稿日: 2011.11.09
powered by ブクログ30年前、デューラーの《自画像》から身震いするような感動を覚え啓示を受けたと云う著者。ベラスケス、マネ、ブリューゲル、クリムト、ゴーギャン、ルーシー・リー、ハンス・コパー、円空、熊田千佳慕・・・などの絵画や陶器や彫刻という古今東西のアーティストの作品群を深い洞察力で綴っている。 福島を訪れた氏が戦慄的ながれきの山を目にした様子から、ブリューゲルの《死の勝利》《バベルの塔》について、失意と絶望の闇の中に、それでも希望のかすかな光が見える。再生の時が必ずやってくるのだ!というそうしたメッセージが認められている。 NHKEテレ『日曜美術館』の司会をやられていたのを拝見して好感を持っていたが、こんな細部まで観ているのかと・・・本書を読んで新たな絵の鑑賞法を学んだ。
1投稿日: 2011.11.06
powered by ブクログタイトルに惹かれて買いました。とても読みやすく、私にしては珍しく一日で読み終えることができました。一回目は「芸術に対する鋭敏な鑑賞センス」に圧倒されましたが、二回目はタイトルのような「自己と絵画の存在関係」のテーマに沿って注読していきたいです。 「美術館めぐり」を趣味にしている方にはとてもお勧めできると思います。美術鑑賞のたのしさあるいは意義を共感あるいは発見することができると思います。
0投稿日: 2011.11.06
powered by ブクログ語られている絵を、すごく見たくなった。 お前はどこにいる、私はここにいるよ。 このような問いかけを常に感じながら 絵画や芸術に対してみたい。
0投稿日: 2011.10.29
powered by ブクログ59点。自分から、日本から、そして在日から逃れるようにドイツに渡った著者は、そこで一枚の肖像画に出会う。 選択をすることも、しないこともできる鵺のような自由を弄び、懈怠と夢想の中に韜晦していた著者に対して「おまえは何者か」と語りかけてくる肖像画に強烈に圧倒される。 著者は自我への目覚めを「私」とはいったい何者であるのかと問い始めたことにあるという。著者は在日韓国人であり、常にナショナリティやアイデンティティ、民族性、パトリ(故郷)についての葛藤や苦悩が常にあったと説明する。 悲しいかなアイデンティティは「他者」との関係においてでしか見い出せない。翻って海外留学経験もなく日本で育った自分はナショナリティやアイデンティティについて、今まで本気で考えたことがない。 そのような環境に育った自分にとってはナショナリティやアイデンティティについて、なんの躊躇いも考えもなしに織り込まれてしまったのは事実であるが、しかしながらこの点に深刻な反省を欠いて「私は私だ」という認識を持つには至らないし、そのように「私」を極めて単純化してしまうのは極めて愚鈍な振る舞いだとも思う。 だからこそ著者とは対照的に、とりわけ自分自身の悩みは世界における「私」の位置付けというよりは、この「私」のいる世界にこそ向けられる。 非作為的な「私」として「自我」が浮遊してしまい、結果的に「自我」に懐疑的になった。経験の主体としての自我ってなんだろっていう。 だから「私たれ」と強く主張すればするほどに個人的にはピンとこない。 己がある人は強い。尊敬する。自分が主観的な議論を厭い、どこか客観的立場に逃げ込んでしまうのは上記の理由からだと思うのだ。 話の内容から逸れちゃいましたが芸術鑑賞論です、この本は。絵画や画家に関する本が好きならオススメですな。
0投稿日: 2011.10.23
powered by ブクログ作品との対話、芸術体験。筆者が作品と向き合うことでインスパイアされる何か。そういった作品の紹介。私の好きな作品も多々あって良かった。もうじき京都で開かれる犬塚勉展にはぜひ行きたい。
0投稿日: 2011.10.20
powered by ブクログ絵画や陶器との出会いによって、自分に訪れた現象や変化を、まっすぐな言葉で表現している。作者の意図に沿った見方をしても、それとはまったくかかわりなくても、人は自由に作品と対話していい。時代も生きている場所も超えて、人としてわかること、触れ合う瞬間があり、それを感じられる作品と出会えるのは、まさに僥倖といっていい。
0投稿日: 2011.10.15
powered by ブクログ著者が伝えたいことは? 東日本大震災、その後の放射能汚染の恐怖が重なり、多くの人々がこれまで経験したことのない心の動揺や空虚感に苛まれている。 人間というのは、理由さえわかれば、相当つらいことにも耐えられるのですが、意味のわからないことには、耐えられない。あまりにも意味不明な打撃をこうむると、人は、虚脱上達に陥ってしまう。 そんな中でわたしたちが解放されるのは、著者が、一枚の絵をみた時の衝撃、つまり、感動のようなものこそが、まさにカギになるのではないか… 迷路の中で方向感覚を失った人間にとって、最後の切り札になるのではないか… 著者は、当時、それまでの自分から、日本から、そして在日から逃げるように、ドイツに渡り、何の束縛もない状態にあった。その時の状態は、ひとことでいうと憂鬱…とらえどころのない気分、煙りのように動く感情のようなもの。リアルな感覚から距離をおきながら、ふさぎ込んでいる状態であった。 そんな中、一枚の絵、アルブレヒト デューラーの自画像が著者を叩きのめすほどの衝撃を与えた。 そして、著者に対して生きる力を与えた。 そこで、著者は、無感動になってしまった人たちに、何らかの方法で、心を揺さぶり動かす祈りの芸術をみてもらうことを願う。 なぜなら、何かに感動する力というものは、取りも直さず、生きる力であるからである。 感動というのは、自分の中で自家発電的に起こせるものではなく、外から何かに触発されなければならない。
0投稿日: 2011.10.04
powered by ブクログ美術本というよりは、数々の芸術作品から自分自身を捉えなおす哲学的要素の強い本。 時間をかけて読みたいと思える数少ない本。新書でこれだけ深い内容が盛り込まれてると超お得な気分。 震災や戦争などコントロール出来ないことが否応なく降りかかる時代、自分の物語が作れない。人間、理由の分からない意味不明なものの前にはただ立ち尽くすことしか出来ない。この不可知な世界をクレーやロスコは抽象画という手段で手探りで表現を試みた… 彼らの絵をみた姜尚中は、絵に吸い込まれて意識が溶けていくような感動を受けた。まるで人類補完計画。 深いわ。星6つ付けたい。
0投稿日: 2011.09.23
