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にんじん
にんじん
ジュール・ルナール、窪田般彌/KADOKAWA
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総合評価

24件)
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    雰囲気的に、ほのぼのとしたものを期待して手に取ったこの本。 予想は見事に裏切られ、なんとも形容し難い、複雑…というか、あまり快い気分にはなれない本だった。 平易な言葉で書かれていながら、理解しがたい、という複雑。 何が理解し難いかって、その主人公の少年「にんじん」だ。 平気で動物を惨殺したり、嘘をついたり。 母親からは兄弟に比べても可愛がられない「にんじん」 同情したくなるが、なんとなく出来なかった。 それは、「にんじん」がただかわいそうな少年として描かれていないからかもしれない。 でも、父親との抱擁をもとめる話や、可愛がってくれる名付け親のおじいさんとの 話などは、素直な「にんじん」が描かれていて心地よい。 この日常を切り取ったような短編のエピソードが並ぶ小説が、一見一般的で理解しやすいように見えて、実はかなり複雑、何を伝えたいのかわからない、といった印象を与えるのは、もしかして正当なことなのかもしれないと思った。 それは、少年時代そのままの印象だ。 不安、期待、怒り、悲しみ、複雑な感情が入り混じって、今なんかよりよっぽど 心がいろんなことに敏感に反応してたな、なんて思い出した。

    0
    投稿日: 2025.09.15
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    毒親小説と言われているそうで、読んでみたいと思った。児童文学の単行本を子どもの頃持っていたけど一度も読み終えることができなかった作品。これはストーリーとしてはエンタメ的な「おもしろさ」はないけど、人としてとして考えさせられる作品だと思った。 最終的には救いがあるけれど、この体験はトラウマとなって実体験をつづったこの作者の生涯にわたって影響したであろうと思う。 解説はよみごたえあり。

    0
    投稿日: 2024.07.16
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    原題 Poli de Carotte by Jules Renard #英語 タイトルは見つからず。 愛情を求める少年…でも残酷 読み終えて複雑な気持ちに かわいそうな話、と単純化するのもピンとこないし 不可解な余韻をくれた本

    1
    投稿日: 2021.07.10
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    「にんじん」ジュール・ルナール著・窪田般彌訳、角川文庫、1962.07.15 266p¥300C0197(2021.07.03読了)(2021.06.28借入)(1988.08.20/55刷) 長年の宿題の「博物誌」を読んだついでに「にんじん」も読んでしまいました。 予想とは違った内容の本ですね。いたずらっ子があれこれ悪さを企んで親に叱られるという感じの物語とは、ちょっと違いますね。 にんじんと呼ばれる末っ子の少年が母親からあれこれ意地悪されているという感じでしょうか? にんじんは意地悪されなれて平静を装っている、という感じでしょうか? 全体を通しての話の筋みたいなものはなくて、エピソード集という感じです。 ・登場人物 ルピック氏 ルピック夫人 フェリックス 長男 エルネスチーヌ 長女 にんじん 次男・主人公 (表紙カバーの袖より) 「にんじん」―ルピック夫人は末の男の子をそう呼ぶ。髪の毛は赤く、顔はそばかすだらけだから。 にんじんは部屋の片隅にうずくまりながら、家族のために役立つ機会を待ちぶせしている。が、母親の口汚いののしりと邪険な態度が、そんな彼の気持ちを打ち砕く。― 愛に飢え、愛を求めながら、母親のあまりの反応のなさに悩み傷つく少年の姿を生き生きと描き、読者の感涙を誘う不朽の名作! 【目次】 めんどり しゃこ 犬 いやな夢 失礼ながら 尿瓶 うさぎ 鶴嘴 猟銃 もぐら うまごやし 湯飲み パンきれ ラッパ 髪たば 水浴 オノリーヌ 鍋 故意の沈黙 アガト プログラム 盲人 元旦 往き帰り ペン 赤い頬 しらみ ブルータスのように にんじんからルピック氏への書簡選 小屋 ねこ ひつじ 名づけ親 泉 すもも マチルド 金庫 おたまじゃくし 思わぬ事件 狩りにて 蠅 最初の山しぎ 釣りばり 銀貨 自分の考え 木の葉の嵐 反抗 終わりのことば にんじんのアルバム 「にんじん」の秘密  宗左近 ☆関連書籍(既読) 「博物誌」ルナール著・岸田国士訳、新潮文庫、1954.04.15 (2021年7月3日・記) (アマゾンより) 「にんじん」は母親から憎まれいじめられる子供の孤独と反抗であるという固定観念がある。しかし、母親はにんじんを憎んでいない。母親からの反応がないことに悩み傷つく少年の姿とみるのが妥当であろう。 (「BOOK」データベースより) にんじんー。髪の毛が赤くてそばかすだらけのルピック家の三番目の男の子はみんなからそう呼ばれている。あだなをつけたのはお母さんだ。お母さんは、にんじんに夜の暗闇のなかをにわとり小屋の扉を閉めに行かせたり、おもらししたおしっこを朝食のスープに混ぜて飲ませたりする…。だが、にんじんは母親のいじわるにも負けずに成長してゆく。生命力あふれる自伝的小説の傑作。

    0
    投稿日: 2021.07.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    どんな話かは一言で言い表せない。一話一話が2~3ページで収まる短編集のような構成となっている。一見すると、にんじん一人だけが、他の二人の兄姉に比べて母親に冷遇されてひどいことをされるという悲しい話とも捉えがち。しかしにんじんがそのことに関して特別悲嘆にくれ続けているわけではない。日常のことに関して男子のよくある見栄心とかそういった感情が多く書かれている。それに、ではにんじんが聖人君子のような人間なのかと言われれば、ザリガニ捕りのために猫を殺したり、寧ろその対局にあるような行動が多い。そのため、一重に悲劇とは言い切れない。 この話は恐らくにんじん目線での様々なエピソードを書いているもの。なのでこの話を読んでいくとにんじんの母親に対する心情なんかも段々わかってくる。わかってくるが、物語は特に終始進展も後退もない。一応、最後の話でにんじんは希望を父親に打ち明けるが、これまでどちらかといえば味方だった父親に打ち砕かれて終わる。ここの話で一気に父親に対する読み手の好感度が下がるなぁ。 このにんじんと母親の関係はどうして生まれたのか、作中では語られない。そこもモヤモヤするし、晴れ晴れとした最後でもないし、読みやすい長さと文章にも関わらず意外とすっきりしない話だという印象を受けた。まぁ何に対しても1つのジャンルにして一言で言い表そうとするほうが無理があるのだろう。

    1
    投稿日: 2017.11.30
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    これは大人が読む本だと今さら気づいた。子供の頃読んだ気がするがたぶん子供向け版だったと思う。赤裸々な自伝である。子供時代の思い出は無邪気なだけではないはずである。両親のいやな面を見たり、残酷なことを楽しんだり(動物だけでなく人に対しても)、異性に性的な感情を抱いたり。みんなが平気で忘れて向き合わない恥ずかしい子供時代。これこそがこの作品の素晴らしさだ。読んだきっかけは大竹しのぶのミュージカル「にんじん」を見たからだが、原作には悪役の母親も正義の味方の女中も純粋な主人公も出てこない。とても人間らしく、時に懐かしく時に失望させられるそんな家族、仲間、知り合いたち、にんじん本人だ。

    0
    投稿日: 2017.08.21
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    題名が有名ランキングではかなり上位に来るであろう、しかし実際には読まないよなランキングでも上位に来そう、なんだけども、とりあえずにんじんが何を意味しているかは割とすぐに分かった。母親と息子の関係ってのは今も昔も重要なテーマなんだろうけど、こゆのを心理学的に読み解こうとする現代医学というかカウンセリングの類とか、無い時代には、本を読んで何かを知ろうとしたんだろうか。でもってこれが名作と持て囃されるのは、そこに何がしかの共感を得る人が多いという事なのか。 しかしガキンチョの頃から銃をぶっ放すような時代を見るに、銃を規制するのと銃犯罪がなくなるのは全く関係ないっていう話か。動物を簡単にぶっ殺せなくなったのが問題という事で、銃犯罪の増加の原因はきっと動物保護団体にあるに違いない。

    0
    投稿日: 2016.02.09
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    日本ブック・クラブ出版のこども名作全集44を読了。同じ本がブクログ上(アマゾン上?)に無いので検索で一番上に出てきたこちらを登録。皆川博子の「空の果て」に出ていて手に取った。 優しさは他人に与えても自らに返ってくることは稀だ。そうだとわかっても他人に与えることを止めない人間って、そうそういない。でも、世界はそういう人になかなか気付かない。

    0
    投稿日: 2014.05.10
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    無邪気で強かなにんじんが大好きです。そんな彼なので、ときどき感情を露わにしてるときゅんとします。 おしっこもらしちゃう話と、寮の話が好きです←

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    投稿日: 2012.10.30
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    いじめられっ子の立場において 家庭内に居場所を見いだしている男の子がいる 彼は本当の名前を剥奪され 「にんじん」というあだ名でしか呼んでもらえない 家庭内にある歪みの中心に「にんじん」は立っていて そこに決定的な亀裂が入らないよう押さえている そんな「にんじん」を家族たちはむしろ 愚図で意気地なしのどうしようもない奴だと考えている …そういう形で家族たちは「にんじん」を愛しており また「にんじん」も家族を愛してはいるのだが ときどきいたたまれなくなる彼は 自分より弱い誰かを見つけてきて 自分がされる以上の残酷な目にあわせたりもする さて、この家族たち…直接「にんじん」をいじめるのは主に母親だが… 彼らの家庭生活における幸せはどこにあるのだろう? あまり世間体を気にしている風でもないのだけど

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    投稿日: 2012.08.01
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    小学生のとき、従姉からお下がり的にもたらされた本の一つで、 ちょっとしたトラウマになったヤツ。 子供だった自分は一読して、この鬼のような母は父の後妻なのか、 それとも「にんじん」が夫妻の実子でないために 不当な扱いを受けているのか? と、首を傾げたが、読み直してみると、そういう説明はなく、 普通の家族であるはずなのに、 歪な関係・距離感に陥っていることを確認してしまって、 更に落ち込んだ。

    0
    投稿日: 2012.07.14
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    これで一冊書けてしまうルナールがすごい。ただ滑稽に見せたいのでも悲劇的に訴えたいのとも違う。嘘でも本当でもない見せ方で経験と和解することができるのが彼だったのだとしたら、なんて偉大な書き手だったのだろう。個人的に背表紙の作品紹介は、?と思う。

    0
    投稿日: 2011.12.18
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    ジュール・ルナールの代表作「にんじん」。10年ぶりに再読。 家族全員から「にんじん」と呼ばれる時点で、すでに悲劇だが、特に母親から愛されないことへの反抗心と極端な自我を発揮する「にんじん」は強く、たくましい。 父親との手紙のやりとりや兄弟との会話、挿絵の雰囲気などは、どこか滑稽で、愛情溢れる家族にも見えてくる。

    0
    投稿日: 2011.11.14
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    有名な古典なのですが読んだことがなかったので借りて読んでみました。なんてイヤな話だろうと思いました。 自分も結構年齢を重ねているので(笑)作家が書かれたことが実際の出来事とは違うと言うことは理解できるだけの分別はついております。大体作家って自分のことはあまり悪く書きませんからねえ。 (百閒先生然り、檀一雄然り、島村藤村然り、谷崎潤一郎…まあキリが無いですが) これ、子供時代に読んだらなんて酷いお母さんだろうと憤慨して終わっただろうなあ。今読むとにんじんも苦労したろうけれども両親も苦労したのだろうなあ…と思います。 コミュニケーション不足、というかボタンのかけ違いというか話す言語がお互い違っているかのような違和感。愛されてないと信じる子供はいかほど残虐になれるのだろうか、と薄ら寒くなります。まあにんじんがひがみっぽい子供だったとしても親はもう少し彼を注目して見てあげる義務があったのではないかなあ、なんて思いました。

    0
    投稿日: 2011.10.13
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    家族だからって、必ず愛情が存在することはない。 なのに、母親の愛だけは信じて、その愛を求め続けるにんじん。 歪んで育った人はそう簡単にはまともになれないんだなー

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    投稿日: 2011.07.24
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    赤い髪の毛をした、少年が、母、兄、姉、父と過ごす日々を、 綴った連作ショートショートといった感じだろうか。 どうにもこれは著者の、自伝的な小説のようだ。 ちなみに、 この物語には、 「子供を愛せぬ母と、母を愛せぬ子供との宿命的な対立(悲劇)」 という解釈がまずあったらしく、 それを訳者は、 「むしろ、愛し合っているくせに、愛し合う手段を持ちえぬ、 故の日常(喜劇)」と捉えているようだ。 個人的には、前者というよりは後者に近しいとは思うものの、 訳者のあとがきを読んだ限りでは深読み感は否めない。 この物語の面白さは恐らくは読み手によって、内容が、 まるで変わってくるというところだろうと思う。 なぜならば、この著作の特徴を列挙するならば、 ・残酷な描写がしばしば見られる。 ・登場人物たちがそれぞれ残酷な面を持ちえている。 ・コミカルに描かれているものの、総合的に観るとリアリティが高い。 ・細やかな日常が綴られている。 ・キャラクター性が強くて、それぞれの登場人物が活き活きと脳内で再生できるようになる。 ・残酷な描写の裏には、所々不器用な愛情が見え隠れしている。 ・物語から透けて見える著者の自伝的性質。 となるだろうか。こうした特徴を持つ以上、正直、この物語は読み手によって、悲劇にも喜劇にも、自伝にも、何にでも変わりえるだろう。では、なぜこうした性質を持ちえてしまったのだろうかと言うと、それはつまりある種で屈折し、そしてある種で世界を残酷なまでにはっきりと見渡す慧眼を著者が持ちえていたからだろうと感じる。 恐らくは家族それぞれが不器用で、うまく愛情を伝えることができずに、それでいて各々が高慢であったのだろう。つまり、周りから見ればにんじんは虐待されているようにしか映じないかもしれないが、しかし、にんじんは彼らを愛してもいるし彼等に愛されているということも理解しているので、憎みきることはできずに、どこかしらコミカルな要素が入りこんでしまう。しかし、にんじんの内には沸々としたうねりのようなものが残ってしまう。ストレスと言ってもいいだろう。それが歪みなにかしらの形で発散され、それが、にんじんのときおり放つ残虐性へと昇華(というとあれだが)されていく。また、彼は愛されているということを理解しながらもやはり自信がない。その自信のなさが、「やたらと醜い、醜い」と己の外見をこきおろす描写へと表出しているのではないか。 この物語を読むときに、残虐性が目に付き、ついでコミカルな描写や人物性が目に付き、最後にそれでもどこかしらに漂う互いを思いやる愛情が目に付くのではないだろうか?個人的にはこの残虐性は胸糞が悪くなるところがあり、また、コミカルな部分もなんというか、虐められっ子が「遊んでいるだけだよ」と言い、虐めっ子が「じゃれあっているだけだ」と言うような、そういう胸をすくような奇妙な思いやりがあり、さらにはそれでも「本当は愛し合っているのだ」という都合のよさが目についてどうにも、胃がむかむかするような性質を持ち合わせているようにも感じられるのだが、これこそがおそらくはリアルなのだろうと感じる。たいていのひとが頭に描いている親子の関係というものはどうにも、理想化されたものであろうように思われるし、実際にひとってやつは過去の経験を美化する傾向にもあるので。 例:親離れした子供が親を思い返すとき。学校を卒業した後に部活の顧問や部長を思い返すとき。退職した後で上司を思い返すときなど……、たいてい時間が経つと美化されるものであろう。

    1
    投稿日: 2011.04.23
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    作品としての良さ云々以前に、生理的に気持ちがわるいと思ってしまった。読んだあと、しばらくゴハンが入らなかった。

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    投稿日: 2011.03.24
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    奇怪なわが子虐めの物語の体裁をとる『にんじん』。 ここに出てくる母親は、明らかに心を病んでいて、その原因なのか結果なのか、父親との関係が奇妙だ。 にんじんは屈折した思いから残酷なことをしでかしたりもするが、賢い子で、両親の関係がどんなものかを見抜いている。 にんじんと父親とのあいだにはこのような葛藤がなく、この息子と父親とのあいだには、他人同士であるかのような距離感があると思う。にんじんは両親の結婚生活が父親の独りよがりなものであるにすぎず、母親は妻として容れられていないことを洞察しており、母親の女としての悲哀を子供ながらに感じ、心を痛めてきたようだ。 子供の本としても知られる物語だが、子供が読むにはあまりにも大人的なテーマを扱った、希望の見出せない作品だという気がする。

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    投稿日: 2009.06.28
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    なんともつかみ所のないと言うか、複雑な話だった。荒唐無稽であるようにも思う。 表向きな物語としては、その風貌から母親から疎まれ、イジメのような仕打ちをうけながらも賢明に生きる少年の物語となるのだろうか。 しかし、これはそうそう簡単な物語ではない。 ストーリーから考える少年像としては、素直で純粋だが、心の強い男の子というイメージがわくのではないだろうか。しかし、この物語の主人公、通称にんじんは、けして、誰もが愛する事の出来るような少年ではない。暴力的で、陰湿ですらあり、ハッキリ言って嫌な子供なのである。少年犯を犯す現代っ子の様な心理の持ち主なのだ。母親にしろ、ただ意地悪な母親ならば分かりやすいのだが、一言でそうと言える人物ではない。にんじんに対する言動の中に時に愛情をひしひしと示したりする。 詳しくは知らないが、この物語は作者の自叙伝的な部分があるのではないだろうか。実際の子供、実際の親子関係と言う物は、けして明く、純粋な物だけではない。父や、他の兄弟なども含めて、複雑怪奇であり、こうすればいい、こうすれば上手くいくなどという答えはない。 この物語は一見、荒唐無稽。だからこそリアリティがあるように感じた。

    0
    投稿日: 2008.12.25
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    この話は自伝的な所が多分にあって、主人公のにんじんはルナールの分身のような存在だということだが、読んでいくとしょっぱなから母親のにんじんに対するひどいあつかいにそら寒くなるのだけれど、ルナールの筆致はただ残酷に子供のころの仕打ちを描写したわけではない、ということは分かる。 彼の文章は繊細であり、その一方でにんじんの感情描写はかなり「客観的に」書かれている。それが子供のころの視点と、(作者としての)大人の視点を同時にあらわしすことを可能にしていて、不思議な文学性がある。

    0
    投稿日: 2008.12.12
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    こんなに母親ひどかったっけ…? というのが大人再読時の感想。めげるな少年。と思いきや意外に飄々としてて、なんだか励まされる。

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    投稿日: 2007.09.17
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    ルピック家の末っ子はお母さんに「にんじん」と呼ばれている。真っ赤な髪の毛に、そばかすだらけの顔だったから。家族の嫌がるつらいことは、全てにんじんの仕事。そんな境遇を素直に受け止めているように思える彼の本心は…。

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    投稿日: 2007.05.30
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    データなしにつき転用 家のは岩波文庫版 お父さんとの会話が忘れられません。 ルビック氏:「諦めろ。鎧兜で身を固めろ。それも20になるまでだ。性質や気分は変らんでも、家は変えられる。われわれ親兄弟と縁を切ることもできるんだ。それまでは、上から下を見下ろす気でいろ。神経を殺せ。そして、他の者を観察しろ。お前のいちばん近くにゐる者たちも同様にだ。こいつは面白いぞ。わしは保証しとく、お前の気休めになるような、意外千萬なことが眼につくから。」 にんじん:「それやそうさ。他の者は他の者で苦労はあるだろうさ。でも、僕あ、明日さふいう人間に同情してやるよ。今日は、僕自身のために正義を叫ぶんだ。どんな運命でも、僕のよりやましだよ。僕には、一人の母親がある。この母親が僕を愛してくれないんだ。そして、僕がまたその母親を愛してゐないんぢゃないか。」 「それなら、わしが、そいつを愛していると思ふのか」 我慢ができず、ルビックし派ぶつけるやうに云った。 なんと1894年のAC小説

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    投稿日: 2006.09.06
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    この文体に至るまでに、どれだけの苦痛を殺したのだろう。一見無味乾燥な描写だが、噛めばかすかに甘みがじわり。母子の世界観の相違を思う。母と自分との間に自力で線を引いた彼は、やがて自分の世界を確立するのだ。

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    投稿日: 2006.05.24