
古代からの伝言 民族の雄飛
八木荘司/KADOKAWA
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総合評価
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powered by ブクログ西暦404年、高句麗の英雄・好太王談徳は、百済北部から自国へ侵攻してきた倭軍と対峙していた。 百済と同盟関係にあった日本は大規模な出兵をたびたび起こし、『広開土王』とも呼ばれる彼の圧力をはねかえして、ついには副都・平壌付近まで迫ったのだ。 ………その数十年前。日本書紀が伝えるところによる仲哀9年、天皇は突然謎の死をとげる。 「処女の眉のように、海のむこうに見える国がある」 神の意を受けた皇后・息長足姫は、天才的な直感でいまこそ新時代へ向けて、国家運営の舵を切り替えねばならないと決意する。 男装の姿をあらわした息長足姫は、全将兵の前で激をとばす。 日本民族が雄飛するときがきた!
0投稿日: 2011.11.06
powered by ブクログ息長足姫(神功皇后)と武内宿禰による倭国軍の朝鮮出兵について,朝鮮の歴史書の三国史記と高句麗の好太王碑,日本の記紀を比べながら辿っていく。 神功皇后は言うまでもなく,景行大王の孫でかつ日本武尊の子の仲哀大王の后であり,応神大王の母である。 応神大王は武内宿禰の国内充実策を煙たがり,遠ざけ,高句麗,新羅の征討にうってでる。その際は,武内の子供の葛城襲津彦を将軍として派遣するのである。 その後,応神の子仁徳の話となる。仁徳はその名のとおり,度重なる朝鮮出兵で疲弊し貧困している状況を踏まえ,3年間の労役と税を免除した。 その後,仁徳の子の履中,反正,允恭,安康,雄略と倭の五王時代を描く。 五王の記述は少ないなかでも,雄略(ワカタケル)大王については,若干のページを割いて説明している。
0投稿日: 2009.06.03
