
総合評価
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powered by ブクログ「人間へのさまざまな思いとともに、ニューヨーク散歩を終える。」 この最後の一文に全てが集約されている気がする。 特にニューヨークは、背景の違う色んな人がいて、それぞれの思いが交差して存在しているなと思った。 筆者の知識量と人脈、人との関わり方や見方がすごいなと思った。 挿絵も素敵だった。
0投稿日: 2026.01.03
powered by ブクログ1994年刊。もとは「週刊朝日」に連載(93.3.5~6.25)。 タイトルはニューヨーク散歩だが、本丸はコロンビア大学のドナルド・キーン。そこに至るまでの散策が長く、内容もちょっと散漫。 ニューヨーク訪問は、ちょうどキーンのコロンビア大学退職の時期にあたっていた。キーンの半生が駆け足で紹介されている。コロンビアでの彼の師・角田柳作にも触れている。コロンビアの現役の日本文学研究者、バーバラ・ルーシュやポール・アンドラも登場する。読みどころはこの後半部。 ドナルド・キーンは京都に留学中に、同じ下宿の永井道雄(のちに文部大臣)、そしてその友人の嶋中大鵬二(のちに中央公論社社長)と懇意になった。キーンはその後鶴見俊輔とも懇意になる。司馬遼太郎は、この3人――永井と嶋中と鶴見――が同じような話し方をすることに気づいた。江戸弁丸出しの小林秀雄などとはえらく違う。なんと、3人は東京高等師範附属小学校の同級生だった。そして嶋中が明かすには、日本でのラジオ放送開始にあたって発声日本語の標準化(東京の山の手のことば)がはかられ、なんと、東京高師付属小が実験学級に指定されたのだという。余談として書かれているが、これはトリビア中のトリビア。
1投稿日: 2025.11.10
powered by ブクログ今回司馬さんはニューヨークへ。ニューヨーク散歩と言いつつハリス散歩でありドナルド・キーン散歩という内容になってます。ドナルド・キーンさんが登場するということもあり、今までに無く最近のことを話題にしている感覚があります。 それにしてもキーンさんが日本学に留まってくれたのは日本文学にとって大きなことだったなと、改めて思います。キーンさんがいなければ、源氏物語の世界的評価もノーベル文学賞も、数十年ほど遅れていたんじゃ無いかと。
0投稿日: 2025.06.16
powered by ブクログニューヨーク州の州都はオールバニー パリの写真家アッジェ ポグロム(ロシア語) 殷は商とも言われ行商をしたから商人 客家;孫文 洪秀全、鄧小平 アメリカの華僑の大半 ハリスは独身、私費で無料中学校を作り後ニューヨーク州立大学 コロンビア大学角田角田柳作 ドナルドキーンの師
0投稿日: 2025.03.24
powered by ブクログニューヨーク、行ってみたいです。 ブルックリン橋、聞いたことがあります。 昔、鎖国をしていた日本に開国を求めた国。 そして、昭和の時代に戦争をした相手の国ですよね。
0投稿日: 2023.12.19
powered by ブクログ「街道をゆく 39 ニューヨーク散歩」司馬遼太郎。朝日文庫。初出1993年。 # アメリカが発見されて、ヨーロッパから多くの人が移民したわけですが、当たり前だけどヨーロッパで幸せに暮らしている人は、あまり移民しなかった。 で、いろいろあってアイルランドから多くの人が移民しました。 ニューヨークで多くのアイルランド系の人々が、警察官になったそうです。 そして、ハロウィンという習慣は、実はこのアイルランド系の人々がアメリカ全土に広めたそう。 最近は渋谷もすごいことになっています。 不思議なものです。 # 2019年6月に読了。 アメリカは歴史が浅いので、司馬さんワールドに相性が悪いかと思いきや、「アメリカの源流」から解きほぐしてふむふむとさせます。 流石。そんな印象ですが、上記ハロウィンのことなど、もう断片しか覚えていません。 # 以下、閑話休題。私事。 大昔、1980年代。ニューヨークから川を渡ったニュージャージーで、3年間ほど暮らしたことがあります。親の仕事の都合。 ニューヨークも時折、連れられて行きました。9歳〜12歳だったか。 父親と「コーラスライン」を恐ろしく観にくい、多分すごーく安い席で体験した記憶。映画「E.T.」は母親と兄とマンハッタンで見た気がします。 両親はさほど、劇場鑑賞系が好きな訳ではなく。でも子どものためと思ったのか、一生の思い出としてなのか。たまにはブロードウェイに繰り出しました。 たった一度、カーネギーホールに行ったことがあり(親が仕事関係で券を貰ったのか?いつか訳を聞いてみようと思います)。クラシックには、全くなんの興味も無い親であり、家庭でした。当然こちらも何の情熱もなく、市場に売られに行くドナドナよろしく、本音を言えば行きたくもなく、ただ単に引きずられて行ったことを覚えていて。そしてそれ以上に、ずいぶん後ろの方の席で不熱心に聴いているうちに、だんだん、なんだか、そして最後には涙が出るくらいに大感動したことを覚えています。ちょっとそれまでに経験のない興奮と喜び。 前の席の大人の背中と背中の間から、遠く小さく見える指揮者の背中が、魔法使いのような凄みで。その背中は、1990年に逝去するバーンスタインさんでした。生まれて初めての、プロのフルオーケストラ、生体験でした。ひょっとして両親もそうだったのでは…。 そして、恥ずかしながら、だからといってその後、クラシック生鑑賞を趣味にしてる、という訳でもないンですが(笑)。 でも、自分は何の楽器も出来ず譜面も読めず実のところ音痴極まりないにもかかわらず、ロックポップにとどまらずクラシックであれジャズであれ長唄であれ、「分かるか分からないか、では無くて、ええなあー、とか、カッコええなあー、と味わえれば良し」と、極めて優良な、かつ寛大な素人客マインド(?)の持ち主となり、かなりいろいろ買ったり聴いたりココロ躍らせたりと楽しめてこれたのは、ひょっとするとあの一夜のおかげかも知れません。 汚いし、怖い街やなあ、と子供心に感じた場所ですが、ニューヨーク、というかマンハッタンというとそんなシアワセな贅沢、ちょっとキラキラとワクワクな記憶もあります。 まあ、一方でそれにしても汚くて、そしてとにかく貧富の差…、見るからに治安の悪さがオソロシかったんですけれど。ほんと。
0投稿日: 2020.01.07
powered by ブクログこの取材に同行した安野光雅さんの本「ニューヨークの落葉」を 見ていたら、司馬さんの方も読みたくなったので。図書館で文庫本 を借りてしまったので、安野さんの挿絵が小さくてざんねん。 司馬さんの文章が面白かった。安野さんのついての記述も。
0投稿日: 2013.11.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
昨年日本に帰化した、日本学者のドナルドキーンさんの退官記念での訪米。ほとんど移動がなく、タイトル通り「散歩」がぴったり。ブルックリン橋を作った親子やアイルランド移民の話、タウンゼント・ハリスの話など、相変わらず薀蓄満載ですが、アメリカはやや苦手分野?
0投稿日: 2013.01.27
powered by ブクログニューヨークの歴史のみならず、そこから日本文化への考察まで展開している文章は見事。普通にいい勉強が出来た。
0投稿日: 2012.05.07
powered by ブクログ「ニューヨーク散歩」と題しながら、短期滞在だったのだろうか、あまり土地にまつわる思索はすくなく(唯一、旅行記らしいのはブルックリン橋の建設秘話くらいだろうか)、紙幅の大部分がドナルド・キーン氏との交流の記録に費やされている。それはそれで興味深い小話に富んでいた。 特に、キーンさんのコロンビア大学での恩師、角田柳作氏にまつわる記述に強く惹かれた。アメリカで「日本学」を確立したのがこの明治人なのだという。「コロンビア大学では当時、日本語でセンセイと発音すれば角田先生のことにきまっていた」と、ある教え子は述懐している。「明治人」という呼称が許されるなら、司馬氏の文章から匂い立つ角田柳作氏の人物像ほど「明治人」と呼ぶにふさわしい人はいない。 さらに、群馬県は前橋高校の出身(わたしと同郷!)で、卒業した大学学部も一緒だったので、とても親近感が湧いた。 だが、この無名の巨人について知ろうとしても、著作がほとんど手に入らない。残念な限りである。
0投稿日: 2010.11.10
