Reader Store
獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち
獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち
田中淳夫/イースト・プレス
作品詳細ページへ戻る

総合評価

11件)
4.0
3
3
1
1
0
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    近年の国内における野生動物の増加による被害の状況をもとに、なぜ野生動物が増えたのか?過去はどうだったのか?人間と動物の共生は可能なのか?その可能性含めて獣害全般日て扱った著作。

    1
    投稿日: 2025.10.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    【感想】 2018年、北海道砂川市の市街地にヒグマが出没した。市から要請を受けて出動したハンターが、市の担当者や警察官の立会いの元でクマを撃ったものの、鳥獣保護法違反の疑いで書類送検され、猟銃の所持許可が取り消された。発砲した先に人家があり「捕獲規制区域」だったのだ。北海道公安委員会は、取消の理由として「建物に届く恐れのある方向に撃った」と述べている。あまりにも理不尽な処分だ。 近年、市街地にクマやシカが頻繁に出没している。2023年度にクマに襲われてけがをした人は全国で219人に上り、過去最悪の数値となった。野生動物が出没するたび、その駆除を要請する市と実行するハンターがやり玉に挙げられ、動物愛護の観点から強いクレームを受けている。 いったい、野生動物はなぜここまで頻繁に姿を現すようになったのか。それを解説するのが本書『獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち』である。駆除数がうなぎのぼりとなっている現状を分析しながら、野生動物の増加をもたらしている諸要因を森林保護の歴史を交えつつ多角的に解説していく では、なぜ人間の居住地に野生動物が侵入するケースが増えているのか。一般的に、野生動物は餌がないから里に降りてきていると思われがちだが、実はこれは逆である。むしろ以前に比べて人工林が増加し餌となる枝葉が容易に採れるようになっている。これがそもそもの個体数を増やし、さらに里の中にも農業廃棄物が豊富に捨てられていることから、動物たちが味をしめて里に通うようになっているのだ。(そのせいか、最近は「べジタリアンクマ」が増えているという。クマの骨から検出される動物性タンパク質が著しく低下しており、フキやヤマブドウなど草本・果実類を主とする植物性タンパク質が増えているらしい。) だが、野生動物の増加は決して異常事態ではない。そもそも日本の農業の歴史は獣害との歴史だ。明治初期~昭和後期までの100年近くが、例外的に野生動物が少なかった期間であり、江戸時代は今と同等かそれ以上に多かったという。生息数が昔と同じまでに回復したのだ。 では、なぜ生息数がもとに戻ったのか。それは皮肉なことに、日本の森林が回復したからだ。 明治から昭和にかけて野生動物が少なかった根源的な理由は、日本の山野が荒廃していたからだ。里山といえば人と自然の調和の取れた美しい空間を想像するが、実態としては、常に人の過剰利用で荒れていた。建築や道具の素材のほとんど、そして燃料も木質バイオマスに頼っており、周辺の森から木が大量に伐採され、はげ山状態になっている地域も少なくなかった。そんな中では当然野生動物は暮らしていくことができず、自然と個体数が減る。 日本列島の山野の緑が回復してきた1960年代頃から、野生動物の数は回復傾向に入ったと思われる。同時に起こったのが近代化で、木材輸入の解禁と経済成長による農山村の過疎化が進みだした。その結果、植林地は見捨てられるようになり、農地は耕作放棄された。すると雑草が生えて木が密生するようになり、餌となる芽、枝葉、木の実が豊富に取れ、住処も増えることとなった。加えて、隣接する農村で農作物を育てるようになると、それが恰好の餌場になる。冬の間は山野から餌が無くなるが、ヒトが育てているハクサイやネギといった農作物は冬の間でも得られるため、それが野生動物をおびき寄せているのだ。 獣害対策を講じようとも、動物の絶対数が増えてしまえば被害は拡大していく。しかも森林保護の推進は後戻りしない。そして、今のところ生息数そのものを是正しようという動きは見られない。 獣害とは、根深いところで解決の難しい問題なのである。 ―――――――――――――――――――――――――― 【まとめ】 0 まえがき 我々は、「野生動物が増えすぎた異常」について、もっと強く認識すべきではないか。 とくに都会の住民にこそ知ってもらいたい。「日本の自然は破壊が進み、野生動物は絶滅の危機に陥っている」……日本列島をそんな昔のイメージのままで捉えていたら、全国で広がっている危機に気づけない。そして今後都会を襲う可能性の高い事態に対応できないだろう。野生動物の侵攻は、刻一刻と深刻さを増しているのだから。 1 日本に生息する野生動物の種類 身近な野生動物といえばイヌとネコだ。一見すると家飼いのイメージしかない動物だが、飼い主がさまざまな理由で放逐したペットが野良犬と野良猫になり、そこから生まれた子どもは、完全な野生生活を送るノイヌ、ノネコになる。 ペットの野生化問題を追うと、人間の身勝手な都合を浮き立たせる。ノイヌ・ノネコであっても、形態はペットとそっくりで、その姿やしぐさがかわいらしくもある。だが被害は出る。そこで駆除しようとすると、非常に強い反対の声が上がる。 現在、爆発的に生息数が増えて、獣害を大発生させている野生動物はシカ(ニホンジカ)だ。2023年には個体数が453万頭になると試算されている。 問題となるのは、その食性だ。通常は草の葉や茎、実、そして樹木の葉、実などを採食するが、食べられる植物は1,000種を超えるという。農作物では、葉もの野菜はもちろんだが、果樹の果実に枝葉も食べる。シイタケなども大好物だ。餌が乏しくなると樹皮や落ち葉なども食べる。小鳥や鳥の唐揚げを食べている様子も目撃されており、動物性タンパク質もきちんと消化できるようだ。ここまで来ると完全に雑食である。約1歳で発情して2年目から毎年子を1頭ずつ産んでいくため、年間増加率は15〜20%に達し、4〜5年で個体数が倍増する。 近ごろヒトの居住区に頻繁に姿を現しているのがクマだ。日本にクマは2種類おり、北海道に棲むヒグマと本州・四国に棲むツキノワグマだ。両者とも雑食性だが、普段はほとんど植物性のようだ。若葉のほか果実を好み、ドングリなどブナの実の豊凶がクマの出没に大きく影響する。ただ魚や昆虫、そして肉も好む。最近は駆除されたシカやイノシシを食べていた報告が増えている。ハンターが駆除した死骸は、たいていその場に残されるか埋められる。クマがそれを掘り起こして食べるのだ。 長い間、クマは減っていると思われていたが、20世紀に入ってからクマ自体の目撃例は増え、人里にツキノワグマが出没するケースが増えだした。秋田県では、毎年確認されるクマの数が増え続け、2017年の生息推定数は1,015頭だったが、2020年春には4,400頭という数字になっている。しかも、その3年間で約1,800頭を捕獲しているのだ。同じような調査を行った京都府でも、2002年の300頭から2018年の1,400頭まで増えていた。それまで「絶滅危惧種」指定だったが、もはや外された。 2 破壊される自然と人間社会 2018年の野生鳥獣の農林被害額は239億円となっている。だが一部の研究者は、「おそらく本当の被害額は表に出た額の5倍以上になるはず」と語っている。表に出ているのは農林作物の被害額であり、かつ「鳥獣にやられた」と届け出のあったものだけだからだ。 林業における獣害とはどのようなものか。一般的なものは、植林した苗、成長した木の枝葉をウサギやシカ、カモシカに食べられてしまうことだ。このほかにも、スギやヒノキの樹皮を剥かれて食べられる、幹に傷をつけられ木が腐る、キノコや家畜を食べられるといった被害が多発している。 獣害への対策として代表的なのは電気柵だが、今や畑や住宅ごと柵を囲って檻状にしているところも少なくない。人間が檻の中で生活をしている状態なのだ。 しかし、電気柵も万能ではない。イノシシは剛毛に覆われているから、電気柵に触れてもあまり電気を感じないらしい。唯一、鼻面は濡れているので触ると感電する。しかし鼻面に触るように電気柵を仕掛けるには工夫がいる。イノシシも、柵の弱点を探し出してしまう。また草が繁り、柵に触れると漏電しやすい。 近年は集落全体を防護柵で囲む対策もとられている。だが、道路や河川は封鎖できない。そこで、封鎖せずに道や河川から野生動物が入らないようにする工夫が必要となる。もっとも動物側も人の行動を観察して弱点を探しており、そこを突いて侵入する可能性がある。 3 何故今野生動物が増えたのか もともと、日本には「野生動物が希少だった時代」があり、狩猟行政は、変遷はあるものの永くシカを保護する傾向にあった。これが1970年代に入りカモシカの数が増え、食害が問題となったが、「駆除を訴える林業家vs自然保護運動家+文化庁」の争いになり、結局十分な初期対応を行えなかった。同じようにクマでも、被害が出ていることは認めても、クマが増えたとはなかなか認めなかった。生息地の奥山に餌が少なくなったから仕方なく植林地や里山に下りてくるのだ、という論法で否定する。生息数は増えていないと主張するのである。 そこには「野生動物を殺したくない」という感情的な思いが背景にあると同時に、施策の転換に関するタイムラグも大きい。政策を変える手間をいやがる心情が非常に強いのだ。そして先送りにしがちだ。だから増加しているとわかっても放置することになる。おそらく減少局面に入っても保護策に転換するのは大きく遅れるだろう。 野生動物は、いきなり増加したり減ったりしない。兆候を感じとって素早く手を打てば頭数管理の手間が小さくて済む。しかし後手に回ると、事態を深刻化させてしまう。 では、何故そんなにも野生動物が増えたのだろうか?考えられる仮説を3つ検証してみよう。 ①地球温暖化で冬を越しやすくなった 冬は餌が少ないために餓死しやすい。樹木も葉を落とし、草食、肉食(雑食)どちらの動物にとっても生きるのは厳しくなる。飢えで死ななくても栄養状態が悪くなれば、病気にかかりやすくなる。怪我をしても自然治癒する前に命が尽きるかもしれない。また積雪はイノシシやシカにとって大敵で、移動の自由を奪う。 ただし、これら冬の寒さが地球温暖化によって緩んだから野生動物が増えた、と単純に結びつけるのは危険だ。日本列島で深い積雪がある地方は日本海側の山陰、北陸、東北、そして北海道に限られている。九州など昔から雪がたいして降らない地域も少なくない。東北の太平洋側は厳冬期でもあまり積もらない。積雪の影響をすべての動物が受けるわけではないのだ。また、地球温暖化によって積雪が減ったわけではなく、全国各地で軒並み史上最高の積雪が起きたこともある。その時期のシカの生息数は、どの地域でも減少していない。 ②ハンターの減少で駆除できない 狩猟免許所持者は、1975年には51万8000人だったが、2014年は19万4000人と右肩下がりだ。だが、1975年以前のデータを見てみると、なんと50年代は20万人を切っており、2010年代よりも少ない。 そもそも、届け出のある有害駆除数の推移を見てみると、1990年と2014年において、シカは4万2,000頭から58万8,000頭へ、イノシシも7万200頭から52万600頭へ激増している。ハンター数が急減しているにもかかわらず、駆除数は激増している。ハンター数と駆除数は連動していないのだ。 ③天敵のニホンオオカミが絶滅した オオカミがいた江戸時代でもシカは非常に多くて獣害も苛烈だった。獣害抑制にオオカミは役立っていなかった。 ①~③のいずれも野生動物が増えた理由の仮説を示すことは難しい。だが、確実に言えることがある。それは餌が増えたことだ。人工林の増加によって草や枝葉が食べやすくなっている。森林整備という名の間伐・除伐によって定期的に枝葉が落ちたり、皆伐によって裸地になればそこに雑草が繁茂し格好の餌場になるからだ。 ところで、野生動物にとって重要なのは、冬の間に得られる餌の量である。私は、冬の里山にどの程度餌となるものがあるか調べて歩いたことがある。 結果は、驚くほど豊富だった。まず収穫後の田畑が餌の宝庫だ。農業廃棄物が山ほど捨てられていたのである。農作物は全部収穫されると思いがちだが、間引きしたものや虫食の作物は収穫せずに、そのまま畑に捨て置かれる。ハクサイやキャベツのような葉ものは、収穫する際に外側の葉を剥く。ダイコンなどの根菜も、収穫せずに放置されている分が多い。田畑には収穫後の廃棄物が山となっていたのだ。さらにカキやクリ、ミカン、ユズ、ダイダイなどの果樹も枝に実をつけたまま放置されていた。 また、農地に生える雑草も想像以上に多かった。冬だというのに、草がいっぱいだ。冬でも枯れない草は意外と多い。滋賀県の農業研究所で、田畑の雑草の重量を調べた記録があるが、1アール(10メートル四方)で約30キロになったそうだ。加えて水田では早稲品種の栽培が増えて、9月には稲刈りをする。すると、稲の切り株(稲株・稲茎)からヒコバエが生える。11月頃には、背丈は低くても穂が伸び、米が実る。それが1アールに茎葉は10キロ、米粒は5キロ近くあったそうだ。 こうした餌にありついた動物は、文字通り味をしめて里に通い続ける。奥山と里山を行き来している可能性もある。里山に餌が増えたら、里近くに居つくかもしれない。 4 猟友会について このところ猟友会は、有害駆除の最前線に立つ組織として期待を集めている。なぜなら増えすぎた野生鳥獣の駆除には専門的な技術が不可欠であり、その技術を持つのはたいてい猟友会に所属する会員だからだ。それに有害駆除を行うには、役場からの依頼がなければならない。その窓口もほとんど猟友会である。 では、猟友会とはどんな団体なのか? 肝心なのは、猟友会は獣害対策を担う組織として存在するのではなく、基本は「狩猟愛者の団体」であるということだ。まず市町村レベルの地域の猟友会があり、それをまとめた都道府県猟友会、そして全国組織の一般社団法人大日本猟友会が存在する。 狩猟愛好者と記したとおり、本来は狩猟を趣味とする人々の集まりだ。ハンターの加入任意であり、専門的な教育や訓練を受けて加入するわけではない。資格試験があるわけもない。地域の猟友会もたいてい任意団体だ。 猟友会にとって、有害駆除は仕事を休んで出動するボランティアなのだ。社会貢献に近い。なお狩猟ではなく罠にかかった獲物の処理を頼まれることも多い。一般の人には止めを刺せないからだ。しかし箱罠などにかかったイノシシやシカ、ときにクマを仕留めるのは楽しくもない作業だろう。逃げられない獣を至近距離で撃つ、ときに槍で突いたり棒で殴ったりするのだから。動物と対等に向き合うのではなく、命あるものを殺す辛さがある。 しかも、地域のためと思って要請に従って行う作業なのに、世間の白い目が向けられがちだ。加えて銃の所持や資格維持の手続き、イヌの飼育など、経費も手間も馬鹿にならない。それを負担しても狩猟をやりたい人が参加するものだ。また、愛護者団体という性格から、いわゆる新人を教育する役割を持っていない。これでは有害駆除も進まないだろう。 5 ジビエは儲からない 近年、狩猟した野生動物を再活用する方法としてジビエが注目されている。ジビエビジネスが盛況になれば駆除数も増えてくるのではと思うが、実際にはジビエは儲かっていない。 解体業者は、肉が売り物になる個体でなければ引き取れない。具体的には銃で頭を撃ち抜いているか、心臓を止め刺ししていることだ。弾丸が腹部を貫いた個体は食肉にできない。また、食べられる肉を生むためには解体までの時間が最重要だ。命を断たれた個体はすぐに腐敗を始める。解体施設の中には止め刺しから搬入まで1時間以内と厳しくしているところもある。獲物の倒れた場所が道近くですぐに車に積み込めたらよいが、山の中だと車のある場所まで引っ張りだすのも大変だ。もちろん解体施設までの距離も影響する。時間との勝負なのだ。 さらに罠猟の場合は、罠の見回りを毎日行わなければならない。そして罠にかかった個体は、止め刺しを一撃で行えないと暴れて打ち身になる。鬱血すると「蒸れ肉」になる。暴れることで体温が上がり、血が筋肉に回って肉質が劣化するのだ。そうなると臭みが強くて食べられない。 ここで問題なのは、報奨金目当ての猟だと、肉質を気にしないことだ。だから毎日見回って回収しない。罠にかかって長く放置されていたら、事切れる場合もある。死んで時間の経ったシカを持ち込まれても、当然食肉にならない。 「持ち込まれた個体は全部引き取らねばならない契約ですが、まったく食肉に適していない個体も少なくない。有害駆除を行う人は、ジビエを意識しない人が多いから」 ジビエに向かない個体はどうするか。そして解体して食肉にならなかった部位はどうするか。これも受け入れ側で処分しなくてはならない。だが外に処分を依頼するとコストは膨れ上がる。これが利益を圧迫するわけだ。 そもそも、安定して肉を供給し、採算を取りたければ狩猟ではなく「飼育」するほうがよい。ジビエの普及は有害駆除とはまったく別の次元であり、連動していないのだ。 6 戦前と戦後――野生動物の生息数の変遷 野生動物の生息数を長期スパンで見て、折れ線グラフにするとU字を描く。ボトムは昭和初期であり、江戸〜明治初期と昭和後期〜令和の間は野生動物にとっていい環境だったのだ。現在の生息数の増加はなにも異常なことではない。 明治から昭和にかけて野生動物が少なかった根源的な理由は、日本の山野が荒廃したことが大きいと考えられる。 里山は必ずしも人と自然の調和の取れた美しい空間ではなく、常に人の過剰利用で荒れていた。日本人が思い描く「日本の原風景」の里山は、昭和前半まで存在しなかったというのだ。 山野の荒廃は古くから進行していた。建築や道具の素材のほとんど、そして燃料も木質バイオマスに頼っていた。とくに都市が発達すれば森林も荒廃していく。住居だけでなく、寺院や宮殿、城を建築し、土器や瓦・陶器の製造、製塩、金属の精錬などの燃料に薪が求められた。もちろん炊事や暖房など日々の暮らしにも薪が必要だった。それは周辺の森から木が大量に採取されることを意味する。人口が少なければ、自然界の回復力で復元するのだが、時代が進むと過剰利用が自然を破壊してしまう。 全国的に江戸時代後期は、森林の伐採が進んだ。その結果、日本全土にはげ山が広がった。森があれば、狩りで追われた動物も逃げ込んで生命をつなげられたかもしれないが、森がなくなる、あるいは疎林化すると隠れるところを失ってしまう。もちろん草木や木の実などの餌も減っただろう。草食動物が減れば肉食動物の生存も厳しくなる。そうした環境の変化が野生動物の生息を厳しくしたのではないだろうか。 明治後半になると、全国的に植林が奨励されたが、相次ぐ戦争に軍需物資として木材の調達が優先された。また戦後は焼け野原になった町の復興のためにも木材が求められて伐採が加速した。こんな状態では、野生動物の生息場所は危うかっただろう。 現在の獣害の増加は、荒れ果てていた森林が回復するとともに、野生動物が増加した結果として起きたとも言える。動物が増えたことは異常ではなく、「ようやく江戸時代前期と同じ程度までもどった」と考えるべきだ。むしろ、獣害の少なかった100年ばかりの間が異常な時代だったのだ。 日本列島の山野の緑が回復してきた1960年代頃から野生動物の数は回復傾向に入ったと思われる。同時に、木材輸入が解禁になるとともに高度経済成長によって人が町に出るようになり、農山村の過疎化が進みだした。その結果、植林地は見捨てられるようになり、農地は耕作放棄された。耕作放棄地はすぐ雑草が生えてブッシュ化・森林化した。同じく雑木林も、草刈りも薪採取もせず放棄されていった。おかげで山には木が密生するようになる。 ここまで条件が整えば、野生動物にとって絶好の生息場所の誕生だ。餌はある。隠れ家もある。しかも美味しい餌のある農地のすぐ側まで潜むブッシュが広がっている。人は減って、見回りもあまりされない。動物側も農作物を狙いたくなるだろう。数も増えて、新たな餌場を求めなくてはならない。かくして獣害が多発し始めたのではないか。

    37
    投稿日: 2024.12.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    害獣被害に対しては知っている事が多くても、 ・過去と現在はどう違い、何故増えてしまったのか。 ・駆除と言っても、猟友会や仕留めた後の流れ、ジビエ普及の問題 ・絶滅危惧種の認定や駆除への周囲の反対等 「人間が動物の棲家を奪っている」という認識で止まりがちだが、更にもっと奥の深い問題なのだと認識させられた。 以前、北海道のOSO18は人間の駆除した鹿を通して肉の味を知り、好んで牛等の肉を狙うようになったと言う話を聞いた事がある。 今後野生動物と人間が共生していく為にも、農家猟師業者の前に何より国が政策を見直し、しっかりバックアップしていく事が大切だと感じた。

    0
    投稿日: 2024.10.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    人間が自然を破壊し動物の棲家や食べ物を奪ってしまったから街中に現れるのだ、という考え方では解決しないんだと思った。人間の食べ物の味を野生動物に覚えさせてはいけないんだなと。動物だってうまいもの食べたいよね。

    0
    投稿日: 2022.10.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    野生動物との関わり方の歴史、現状、課題等分かりやすくまとまっている。自分や地域に何ができるかを考えることは、同じ地域の構成員として重要。

    0
    投稿日: 2021.06.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    仕事の都合で熊野の山奥にひと月だけ滞在したことがあるが、地元を愛して細々と農家をやっている老人たちの小さな喜びを獣害が奪っているのを目の当たりにした。 熊野古道もマイナーな道はことごとくがイノシシに掘り返され荒れていた。 いまだに町にクマがだたといったニュースについて、人間のために住処を追われているとかコメントしてる自称専門家がいるが、そうした根拠不明な論調に感じていた違和感が丁寧に説明され、大変納得できた。 国土の7割以上が森である日本に住むということをもう一度考え直す必要があると思う。 難しい問題に努めて冷静に向き合って丁寧にまとめられた優れた本であると思う。

    0
    投稿日: 2021.06.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    タイトルを見て、勝手に、「外来種による被害」を想像してしまったのですが、とくに外来種にスポットを当てた内容ではなく、主に在来種であるシカやイノシシ、クマ、サルなどによる被害について述べられた本でした。 本当のところは、ちゃんと調べないとわからないのですが、この本の主旨は、日本の緑は復活していて、その影響で、野生動物が増え、結果として、野生動物による被害が増えている、というところになると思います。 また、もともとペットとして飼われていた動物の野生化による危険性にも触れられています。 我々は何となく、都市開発が進み、緑が減り、棲むところを追われた動物が人に被害を及ぼしている、と思いがちな気がしますが、それはどうやら正しくないようです。 それから、この本では、獣害(とくにシカやイノシシ)の軽減方法として期待されているジビエについて、ジビエでの解決は難しい、と主張しています。 ジビエに要求される捕獲方法や、ジビエに適した捕獲時期、効果のある狩猟方法と、狩猟する側のやりやすさや手間、メリットが、なかなか合致しない、というのは、なかなか興味深い視点でした。 似たようなことは、あちこちで起こっていると思われるだけに、示唆に富んだ内容だと思います。 全体的に、丁寧に取材して書かれた印象を受ける本でしたし、今、日本に起こっている問題の把握として、多くの人に読んでもらいたい一冊です。

    4
    投稿日: 2021.03.28
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    シカや猪が明らかに増えている実感がある。山でとれる餌が不足しているから人家の近くに現れるのだという理屈はよく耳にするが、実際はそうでは無いらしいことを実地調査で推測している。とかく感情的な反応が現れやすい話だが、科学的にものを見極めようとの姿勢に好感が持てる。

    1
    投稿日: 2020.12.28
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    私は狩猟をやっているので、この本の題名「獣害列島」に興味を持って読んでみた。 昨今、住宅街に熊が出る、鹿や猪が畑や森を荒らす、猿が民家にまで入ってくる等、獣害のニュースを頻繁に聞くようになった。 これには人間が獣の棲家を開発で奪い、そのため餌を求めて山から下りてくるのだ、という論調が支配的である。 しかし、この論調には科学的な裏付けが乏しく、実際には「動物が可哀そう」「殺さないで」とエモーショナルに語られる部分が多いように感じる。 この本では、獣害が増加しているのは何故なのかを多角的な方向から考察し、実際には一般的な論調の真逆な光景が進行しており、思いもしなかった意外な現状を知る事になる。 我々の常識がいかに同調意識より作られた非科学的なものかを思い知らされる。

    1
    投稿日: 2020.11.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    大本をただせば人間の身勝手かつ、管理の甘い生活が獣害を生んでいる。ペットの犬や猫も獣害になってしまう恐れがある。自然との共存が叫ばれるようになって時間がたつが、減らすのは難しいと感じた。自然保護の観点からの動物保護も簡単ではあるが、それにより生態系のバランスも変化し、逆に悪影響を与えてしまうこともある。

    0
    投稿日: 2020.11.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    <目次> 第1章  日本は野生動物の楽園? 第2章  破壊される自然と人間社会 第3章  野生動物が増えた本当の理由 第4章  食べて減らす?誤解だらけのジビエ振興 第5章  獣害列島の行く末 <内容> 森林ジャーナリスト(そんなものがあるのか?)による、日本の自然の実情を訴える本。確かにニュースには、都会にイノシシが、サルが、シカが、と頻繁に出てくるようになった。著者は、それは不思議でも何にもないという。自然破壊とその後の後始末のずさんさ(植林しても管理をしないなど)、農家の売れない農作物の放置。様々な人害により、野生動物は生息域が人と接近し、人から見たら「害」を加えているのだ。ペットもちゃんと飼わないと野性化し、自然を荒らし、我々の脅威となる。ネコに関しては、イヌ以上に問題だと著者は言っている。獣害以外にも、東日本でよくみられるようになった「ナラ枯れ」。これもヒトのせいだ。意外と知らない森と人や動物の関係。この本はそれをあぶりだしてくれる。

    0
    投稿日: 2020.10.16