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文車日記―私の古典散歩―(新潮文庫)
文車日記―私の古典散歩―(新潮文庫)
田辺聖子/新潮社
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総合評価

25件)
4.2
11
7
6
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    このレビューはネタバレを含みます。

    田辺聖子の作品はいつか読むぞ〜と思っていたけど、エッセイ集からでもいいのかな?どうなんだろう?と思いつつ、冒頭の文章がすんなり入ってきて心地よかったのでそのまま読んでみることにした。 全部読み終えての感想は、わたしは今まで日本の古典を軽視しすぎていた…ということだった。 まず、著者が古典の作者や登場人物を、同じ生きた人間として親しみを持って接していることが新鮮だった。わたしにとっての古典は教科書のもの、そして読みづらい文章が大きな壁となって、共感するまで辿りつくことができなかった。あとは日本語の美しさ!日本語そのものの奥行きの深さに目がいき、日本語に対する興味がぐっと出てきた。こんなことは初めてかもしれない。 なぜ今まで日本の古い読み物を軽視してたんだろう?千年以上の時を超えて今も読まれているものであれば、その内容や表現力は絶対に素晴らしいものなのに…これからは自分の国の文学にも目を向けなければ、という気持ちにさせてくれた。 印象に残っている文章をいくつか記録しておく。 「額田女王の恋」 →初っ端の文章で、古典で描かれる恋愛とはこうだ、という印象を持たせてくれる。額田女王という今でも有名な人物の恋愛は、尊く素敵なものに思われる。幼いころはじめて大海人皇子に会って、そのまま一緒に馬に乗って駆けて、夏の紫草が咲き乱れる花野で過ごした思い出…その後二人の仲は引き裂かれるけど、何年ものちに再開してよんだ歌の美しさ!  あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる  紫の匂える妹を憎くあらば人妻ゆえにわれ恋ひめやも この二人が恋仲であったことを周囲の人は当然知っていて、それを堂々とよむお互いの関係性が素晴らしいと思う。古代は恋愛に対してもっとオープンだったらしいけど、現代って恋愛の大変なところに目が行きがちな気がする。 「あね・おとうと」 →大津皇子と大伯皇女の兄弟愛を超えた関係性が美しすぎる。不穏な情勢の都から、姉に会いたい一心で馬を駆ってきた青年の切実な気持ちを想像すると切なくなる。 「老いゆく君」 →従臣が主君に対してよんだ歌ではないかと著者が言っており、面白いと思った。  天なるや月日の如くわが思へる君が日にけに老ゆらく惜しも 身分の高い主に対して、自分の老いには目を向けず、従臣の世界の全てだった主が老いていく悲しさを歌っている。そこには忠誠だけでなく、性愛も感じる、とのこと。やっぱりいつの時代にもいろいろな関係性がある、と思わせてくれる。 「知盛最後」 →武士の最後、かっこいい 「幾山河」 →若山牧水の歌の素晴らしさ…女学生が夢中になったとあるが、社会人のわたしがすごく感銘を受けている  白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君 「シャロンの野の花」 →以下引用 われはシャロンの野の花 谷の百合花なり 女子等の中にわがとものあるは荊棘の中に百合花のあるごとし わが愛する者の男子等の中にあるは林の樹の中に林檎のあるがごとし 我ふかく喜びてその蔭にすわれり その実は口に甘かりき 彼われをたづさへて酒宴の室に入れたまへり そのわが上にひるがへしたる旗は愛なりき

    0
    投稿日: 2025.08.19
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    55年前の新聞連載だそうだがこれぞ元祖推し活。 古典が好きで好きすぎる古典推しの著者が「わたしとしては、同じき愛好の人々をたくさん作って、あの作品が好き、あの人物を愛するとかたみに言いあいたいのです。人生を生きるのに、愛するもの、好きなことを一つでも多く増やすのは、たいへん、楽しい重要なことですから…(P294 )」と、少女のような心で古今東西、自分の好きな作品好きなタイプの男女についてキラキラした文章を連ねていて、読んでいてとても楽しい。 長谷川青澄氏の挿絵、紅梅と錦の表紙絵も美しい。 古文を学んでいる中高生女子がこれを読んだら勉強も少し楽しくなるかも。 昭憲皇太后が好きすぎてこれでもかこれでもかと最上級の敬語を連ねて絶賛する「皇太后のおん靴」。皇太后の書いた日記を「まるで古いオルゴールの、ゆるゆるとした音をきくように典雅なご文章」とたたえる一流の表現力。超ヤバしか言えない推し活女子はみならってこのくらいのものを書くべし。 P17 けれども私には、座興的に歌い交わしたらしく見える歌に、中年の男と女の、図太い、したたかな、恋の未練を感じます。片方が手なれて呼びかけると、片方が巧みに受け止めるその呼吸に、昔愛を交わし合った男と女のみの持つ、大っぴらな狎れ合いが出て、豪快な感じさえあります。たぶん、大海人と額田は、互いほほえんで見交わしたことでしょう。もう十何年の昔。あの目くるめく夏の光。(額田女王の恋) P74 (天に達するかと思われる孤独な巨木で作られた舟「枯野」)朽ちてもはや用いられなくなったとき、天皇は考えらえました。長らく官船として働いてくれた功績に報いるため、その名をのちにのこしたい。「枯野」を薪として、塩を焼くことになりました。すると五百籠もの塩が焼けました。それは諸国に下賜されました。しかしどうしても焼けない芯が残りました。天皇は不思議がられて、それで琴を作られましたら、さやさやと音は涼しくなりわたり、七つの里にまで響き渡りました。(舟と琴) P116 母になった女たちが持つ、子どもに対してとめどなくのめり汲んでゆくような相アイサ「これこそわが骨の骨、肉の肉なれ」という絡みつくような一体感の持つ妖気は、彼女の文章にはありません。「枕草子」は颯爽たる石女の文学だったのです。(うまずめ) P120 それは鉛ガラスの、重そうな、女の親指くらいの勾玉でした。煙のような色、というか、石油色というか(私は夢色、と呼びたい気がしました。古代の夢をそのまま、まどろみ続けているような色なのです。)灰色とも薄墨色ともつかぬ、不透明な玉のいろ(赤珠は) P276 日本の庶民の心の中には、大きなユーモア感覚の流れがあります。現実の生活が苦しい時にも、人々は一方で絶えず、不思議な距離感を持って、割れと我が身を嗤うおかしみを忘れませんでした。現代も一見、そういうものがありげですが、実際は単なる道化や、冷たい嘲笑や、才走った裁きの笑いに過ぎない気がします。(これ小判)

    0
    投稿日: 2025.02.24
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    田辺聖子さんの古典愛を感じる作品。美しい古典の魅力を本当に魅力的な文章で紹介している。 「わが愛の磐之媛」、「大君のみ楯」など面白い。

    0
    投稿日: 2023.05.02
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    日本の古典文学の面白さを理解しやすかった! 小さなお話がたくさんあるので読みやすいし、田辺さんの解釈も共感できて、入り込みやすかった! もっと古典の歌系の話を読んでみたいなあと思った♡ 加増先生ありがとう

    1
    投稿日: 2020.04.05
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    長い間探していたが、母の蔵書の中に紛れていた。67編のエッセイがある。見出しに丸がつけてあるのは気に入ったものだろう。 ざっと読んでみると、想い出すものとそうでないものがある。ジャンルも古典に限ったものでなく落語まである。さすがお聖さんだ、面白い! 二編ずつ読んで考えよう、「その一」と言うことで今日から始める。 額田女王の恋(万葉集)  奔放な歌と物語を残した万葉の星。少女の頃に中大兄皇子に従ってきた大海人皇子と恋に落ちた、厳しそうなお兄さんより優しい微笑と優雅な弟の方がいいわ。 おおらかな歌で斉明・女帝に愛され、有名な歌を読んだ。  熟田津に船乗りせむと月まてば潮もかないぬ今は漕ぎいでな 彼女は宮廷の華、周りの人々の心を惹きつけていた。 兄の中大兄皇子に求められた。斉明帝が崩御し天智天皇が即位し、その男らしい統率力を見て愛人になった。 ある初夏の一日、蒲生野で狩りがもようされ、大海人皇子をみかけて歌った歌。  あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる 大海人皇子の返歌  紫の匂える妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも 周りは大喝采。 座興とはいえ実におおらかな歌だった。 何十年の前の記憶が浮かび、恋の記憶も、馴れ合いの歌の中にはあったのかもしれない。 その後も天智天皇の愛人であり続けたが没年は定かではない。  君待つとわが恋居ればわがやどのすだれ動かし秋の風吹く 晩年の  いにしえに恋ふらむ鳥は時鳥けだしや鳴きしわが恋ふるごと どちらの天皇を深く愛したのか、巫女の身分でお后になることはなかったが、聖子さんはどちらも同じウエイトで愛したのではないか、と締めている。 むかしはものを 百人一首の中で人気がある歌。 あひみてののちの心にくらぶればむかしはものを思はざりけり あなたにあってから物思いが増えました、と私などは読み取ってきた。 だが聖子さんは「あひみての」に複雑で皮肉な響きがあるという。 あい見るとは、ただ出会ったのではなくて、既に一夜をともにした。その後男はひょっとして白けてしまったのかもしれない。 あぁ昔思っているだけの日々の方が良かった。恋は萎んだ。 ――作者の藤原敦忠は男女の愛の微妙なながれのゆくすえを早逝者の直感で洞察していたに違いありません。―― こういう読み方は初めて知った。聖子さんの洞察も興味深いものだった。 長い間探していたが、母の蔵書の中に紛れていた。67編のエッセイがある。見出しに丸がつけてあるのは気に入ったものだろう。 ざっと読んでみると、想い出すものとそうでないものがある。ジャンルも古典に限ったものでなく落語まである。さすがお聖さんだ、面白い! 二編ずつ読んで考えよう、「その一」と言うことで今日から始める。 額田女王の恋(万葉集)  奔放な歌と物語を残した万葉の星。少女の頃に中大兄皇子に従ってきた大海人皇子と恋に落ちた、厳しそうなお兄さんより優しい微笑と優雅な弟の方がいいわ。 おおらかな歌で斉明・女帝に愛され、有名な歌を読んだ。  熟田津に船乗りせむと月まてば潮もかないぬ今は漕ぎいでな 彼女は宮廷の華、周りの人々の心を惹きつけていた。 兄の中大兄皇子に求められた。斉明帝が崩御し天智天皇が即位し、その男らしい統率力を見て愛人になった。 ある初夏の一日、蒲生野で狩りがもようされ、大海人皇子をみかけて歌った歌。  あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる 大海人皇子の返歌  紫の匂える妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも 周りは大喝采。 座興とはいえ実におおらかな歌だった。 何十年の前の記憶が浮かび、恋の記憶も、馴れ合いの歌の中にはあったのかもしれない。 その後も天智天皇の愛人であり続けたが没年は定かではない。  君待つとわが恋居ればわがやどのすだれ動かし秋の風吹く 晩年の  いにしえに恋ふらむ鳥は時鳥けだしや鳴きしわが恋ふるごと どちらの天皇を深く愛したのか、巫女の身分でお后になることはなかったが、聖子さんはどちらも同じウエイトで愛したのではないか、と締めている。 むかしはものを 百人一首の中で人気がある歌。 あひみてののちの心にくらぶればむかしはものを思はざりけり あなたにあってから物思いが増えました、と私などは読み取ってきた。 だが聖子さんは「あひみての」に複雑で皮肉な響きがあるという。 あい見るとは、ただ出会ったのではなくて、既に一夜をともにした。その後男はひょっとして白けてしまったのかもしれない。 あぁ昔思っているだけの日々の方が良かった。恋は萎んだ。 ――作者の藤原敦忠は男女の愛の微妙なながれのゆくすえを早逝者の直感で洞察していたに違いありません。―― こういう読み方は初めて知った。聖子さんの洞察も興味深いものだった。

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    投稿日: 2020.01.19
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    田辺聖子さんも逝つてしまひましたねえ......もう三か月以上も経つてしまひましたが。 わたくしが読書の愉しみを知つた頃に活躍してゐた作家さん達が、一人またひとりと天に召されてゆきます。諸行無常であることだなあ。 田辺さんと言へば恋愛小説のイメエヂがありますが、わたくしは余りその手は読みませんので、ここでは古典エッセイ『文車日記』を登場させるものです。 「私の古典散歩」といふ副題の通り、夥しい日本古典作品の中から、田辺さんのお気に入りのエピソオドが満載であります。極私的エッセイですが、押しつけがましさなどは全くなく、読みながら心地良さを感じることができます。田辺さん自身が心から愉しんでゐるからでせう。わたくしも久しぶりに古典作品を音読してみたくなつた次第であります。 古典作品から満遍なく選んで作者・作品の解説をしてくれますが、あへて時系列順に並べず、ランダムに自由に語ります。いかにもふらふらと逍遥してゐるかのやうです。 登場人物一人にしても、学説上明らかになつてゐない事柄まで奔放に想像し、小説家らしく物語を膨らませてゆくのであります。そして言葉のチョイスが一々素晴らしい。作家だから当り前といふかも知れませんが、田辺さんの文章自体が読者を陶酔させるのです。 かういふ素敵な文章を書ける作家がまた一人去つてしまつた。合掌。 http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-807.html

    1
    投稿日: 2019.09.11
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    もう四半世紀ほども昔の受験生時代、古典を頭に入れるのに効果的と予備校の教師に勧められて以来、田辺聖子さんの古典ものを愛読してきた。今回何度目かの再読中、田辺さんの訃報。少なからずショックを受け、途中で本を閉じてしまった。 本書は、田辺さんが大好きな古典作品について綴ったエッセイ集。やさしく、たおやかな文体から、本当に彼女が古典とその登場人物たちを愛してやまないことが伝わってくる。彼女の視点で語られると、それまで教科書で読んだだけで、敷居の高かった古典の世界が、生き生きと鮮やかに蘇ってくるから不思議だ。登場人物の息吹まで感じられるようで、本を閉じてからも現実の世界に中々戻ってこられなくなってしまうのが難点。何度でも読み返したい名作です。

    3
    投稿日: 2019.09.04
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    古典の知識が教科書レベル、しかも遥か記憶の彼方にある程度なので、古典の引用を読んで想像するのはだいぶ一苦労しましたが、田辺さんの解釈が古典の作者や登場人物に対する愛情に溢れ出ていて、面白かったです。田辺さん自身のことをもっと知りたいと思いました。 私自身は松尾芭蕉が好きだったことを思い出しました。「奥の細道」、いつか読んで見たいなぁ。

    0
    投稿日: 2017.04.19
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    あまりにも古典の素地がないので、入門書にしてもハードルが、高すぎました。 でもいくつも読んでみたいと思わせてくれる作品が出てきて、これからの人生の励みになりました。

    0
    投稿日: 2014.10.07
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    作家の田辺聖子が、日本の古典の奥深い世界へと読者をいざなう67編のエッセイを収めています。ただし、1編は『文語訳聖書』が取り上げられています。 著者の親しみやすい文章で古典のおもしろさが紹介されていて、とっつきにくい古典に親しみを抱かせるような内容になっています。 とくに『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」を扱った章が興味深く感じました。

    0
    投稿日: 2014.05.06
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    古典はすこしでも知識があるととっつきやすいと思い 選んだ一冊。 田辺聖子の案内はわかりやすい。難しいことをわかりやすく教えてくれる。

    0
    投稿日: 2013.05.02
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    昔、古典が好きだったことを思い出した。 漢文の話はどうも面白く読めないのだけど、 平安時代の古典はどうも興味がある。 こういう時、自分の女性性を思い出す。

    0
    投稿日: 2012.07.05
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    まず筆者の古典への造詣の深さに驚かされる。古典を娯楽として楽しむ姿に、正しい物語のありかたを感じた。 やや女性性に引っ張られ、感情的な読みとなっているところもあるが、それを含めて田辺聖子の魅力であるとも考える。

    0
    投稿日: 2012.07.01
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    高校生のとき、友達から紹介されてこの本を読んで以来、田辺古典の虜になった。 こんな風に古典の世界を紹介できれば、古文の授業が楽しくなる学生が増えると思う。

    1
    投稿日: 2011.05.26
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    心ときめく一冊。彼女の解釈は本当に分かりやすくて、しかもきちんと考証が入っていて信頼できます。今も昔も変わらない、人生の機微を軽やかに。“おせいさん”節、大好き!

    1
    投稿日: 2011.05.24
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    古典についてのエッセイ。短編なので読みやすく、作者の古典への愛が伝わってきます。個人的には『あねとおとうと』が好き。

    1
    投稿日: 2011.02.22
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    田辺聖子が綴る古典の名作案内。 長谷川青澄の繊細な挿絵も絵巻物のようで素敵です。 読むたびに古典に秘められた日本人の情緒がいきいきと蘇り、著者の古典への愛情と人間に対する洞察力が感じられます。

    1
    投稿日: 2010.06.03
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    主に古典を題材にした田辺聖子さんのエッセイです。 短いエッセイがたくさんつまっています。 短いものでは3ページのものもありますが、 内容はどれもこれも心に響くものばかりです。 まるで平安女性が書いたような、美しくやわらかな文章が素敵。 また、短い文章で古典の魅力が最大限に引き出されていて、 つい原典も読んでみたくなります。 私にとっては宝物のような本。

    1
    投稿日: 2010.05.12
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    高校入学前の宿題で読んだ。 あの頃はまったくよさがわからなかったけど 今改めて読み返すと、丁寧に人を描いているところとか、 エピソードを含蓄あるユーモアで描いているところとか 驚きがたくさんあった。 田辺聖子と、向田邦子は、生き方が似ているような気がする。 好きです。

    1
    投稿日: 2009.01.21
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    とっつきにくい古典だって、ぶっちゃけ萌えを見出せばぐんと身近になるんだぜ! ということを実感させてくれた本です。 一番好きだけれど切ないのは「かげろふ日記」の項。 結婚したあとも恋してしまうくらい才能あふれたかげろふの夫、でもこいつがたいそう浮気な男なんです。けれどいい男なんです。可愛いんです。けれど憎たらしい。 かげろふは嫉妬に身を焦がします。天国と地獄を行ったり来たりです。アクエリオンの歌詞にもあるじゃないですか、「君と出会ったその日から僕の地獄に音楽は絶えない」これもよく考えたら拷問な気がしませんか。アニメは見たことないんですけど。 嫉妬の苦しみに耐えかねて出家する! と決心したかげろふを、ぱしりと引き止め手際よく仏の前から奪い返すのは、罪な所業を繰り返しつつそれでもかげろふを愛している夫本人です。 かげろふはどれだけ苦しいでしょうね。かわいさ余って何とやらでしょう。でも、思いきり蚊帳の外である私たち呑気な読者は、そんなエピソードにきゅんきゅんしてしまうのです。それでも愛し合ってるんじゃないか! 他にもニヤニヤしてしまう話、物悲しい話、うんうんと頷いてしまう話(いろんな意味でね)。変わらぬ人の感情の機微を描いて、千年の時を生き残ってきたお話にはやはりそれなり読み応えがあります。

    0
    投稿日: 2008.12.05
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    国語の先生に借りて読みました。 田辺聖子さんの「源氏物語」を瀬戸内寂聴さんの後に読んで、なんてひとだと目を剥いたのですが、こちらは上品な筆致ですらすらと、まさに平安時代の女性のような筆遣いだなぁと思いました。

    0
    投稿日: 2008.05.05
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    中学の国語の問題文としてこの一部が使われており、面白かったので原本である本書を手に取る運びとなりました。 懐かしい。 田辺さんの古典案内。 情熱的で、でも柔らかな口調で語られています。女性らしい視点から語られていて、とても共感できる部分がありますね。 古典がぐっと身近に感じられたな。 当時の自分は、とにかく古典に嵌っていたので、本の内容に共感しつつ、次に読む本をこれで決めたりしていました。 上代から近世まで、色々な作品が登場しますからね。 古典文学の新しい魅力を発見できるかも。 田辺さんの古典エッセイの中では、これが一番好きです。

    1
    投稿日: 2008.04.30
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    著者の古典への愛が溢れています。こんなに面白い古典文学の数々を読まずにいるなんてもったいない。そんな気分にさせられます。

    1
    投稿日: 2007.03.02
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    田辺さんの、古い時代を生きた人々への愛情で溢れている素敵な古典入門書です。読めば古典への愛が深まります。

    1
    投稿日: 2007.01.27
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    高校のとき友人がこの人の本を紹介してくれてからの付き合いです。古典や歴史の授業では習わないようなちょっとした小話で惹きこまれた本でした

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    投稿日: 2005.06.05