
総合評価
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powered by ブクログタイトル通り、『生きがいについて』の考察がなされている。「生きがい」について考える際の材料として最良のもののうちの一つだ。 人が元気に生きるためには何かしらの目標が必要だ。本書で、「人間がいきいきと生きて行くために、生きがいほど必要なものはない」(p7)と書いているとおりである。 立派な人生目標でなくとも、新年に立てる今年の抱負のようなもの、あるいは漠然とした方針のようなものでもなければ、精神衛生上よろしくない。人間は、無目的に生きていては、生に飽きてしまうものなのだろう。目標は達成できなくても、目標に向かって前進しているという感覚が重要だ。「前に進んでいるという感覚」が大事ということは、ものの本にはわりと書かれていることだ。本書では次のように書かれている。 人間はべつに誰からたのまれなくても、いわば自分の好きで、いろいろな目標を立てるが、ほんとうをいうと、その目標が到達されるかどうかは真の問題ではないのではないか。ただそういう生の構造のなかで歩いていることそのことが必要なのではないだろうか。その証拠には一つの目標が到達されてしまうと、無目的の空虚さを恐れるかのように、大急ぎで次の目標を立てる。結局、ひとは無限のかなたにある目標を追っているのだともいえよう。(p25) 私は、こういう文を読むと、本多静六先生の、『人生計画の立て方』の巻末に付された読者に向けた最後の言葉を思い出す。 私は百二十まで生きるつもり、また生きてもよいつもりで、私の人生計画をてた。そしてそのように、努力をつづけてきた。いまここで再び起たぬことになったとしても、これは決して無意義に終わったものとは考えない。百二十を目標とした八十五年(満)の充実は、本多静六にとって、満足この上もない一生だ。努力即幸福に対する感謝の念は一杯である。(実業之日本社、2013年、p230) 一方は、実体験に即した人生訓。もう一方は学術的方面からの考察。もちろん後者も、経験にもとづく考察には違いない。だが、一歩離れたような客観性がある。 人によって合う、合わないはあるかもしれないが、紛れもない名著であることは確かだ。 巻末に「『生きがいについて』執筆日記」と、インタビューなどの付録がついている。本編では見えなかった、著者の人柄や執筆風景が描かれており、本書の全景が見えてくる。コレクションならではの、心憎いおまけである。
0投稿日: 2026.04.11
powered by ブクログ“生きがい”について知りたくて。 本書では主にライ病患者に焦点を当てた内容になっている。病人に対して健常者ではなく“壮健者”と表現し、戦後豊かさを求めてきた日本人が物質的豊かさを得た先にある精神病についても記しており(初版1966年)この時から既にうつ病など観測されていたと知る。 病気を宣告された者の手記などから掬い上げた表現から胸の琴線に触れるものが多かった。
0投稿日: 2026.04.02
powered by ブクログ筆者の温かい人柄が伝わるような文章。 健康な人もそうでない人も、生きがいのない生活はしんどい。宗教などの精神的なものや、創造的な趣味などが生きがいになりやすいらしい。人の世話をしたり社会的に責任を負うこともいいらしい。娯楽を超えた「生きがい」を見つけたい。
0投稿日: 2026.03.19
powered by ブクログもしかすると読むのは今ではなかったかもしれない。 そう思せるほど、人生の大事な局面でまた読んでみたいと思った一冊でした。 正直言って章立ては荒々しく、大事なことがまとまりなく散りばめられているような印象で、決して読みやすいとは言えません。 ただ、それがスゴくいいのです。 著者の情熱的かつ詩的な文体から、これを書かずにいられなかった衝動が伝わってきて、生命の躍動をダイレクトに感じられます。 おそらく今の時代に書かれていたらもっと綺麗にまとまった本になっていたことでしょう。一時代前だからこそ生まれた名著だと思います。 読むのは今ではなかったかもしれないと言いつつも、今読んで良かったのは、この本を今読むべき人に勧められることです。
4投稿日: 2025.11.20
powered by ブクログひとまず読了。たくさんの付箋がついた割に、読みくだけていない部分もたくさんあり。 とくに変革体験の部分(10章)は実感を持って理解するのが難しかった。読み飛ばした箇所もあり。またいつか、再読した時には、わかるだろうか? 誤魔化しではない、本当の意味の生きがい感や苦しみから得られる価値観、存在意義についても。 これからの毎日のなかで、悩んだり壁に当たった時にまた再読したい。
0投稿日: 2025.10.30
powered by ブクログ思っていた以上に理解するのに時間のかかる本かもしれない。ただ、これがとても深い話で、これからの人生に影響を与えるであろう一冊だということは感じることができた。 100分名著でもとりあげられていますし、解説本も含めて読んでいきたい。 ただ「やりたいからやる」ことの方がいきいきとしたよろこびを生む。 「もっとも多く生きたひととは、もっとも長生きした人ではなく、生をもっとも多く感じた人である」
11投稿日: 2025.09.20
powered by ブクログ軽い気持ちで手にとってしまったが、手軽に読めるという本ではない。 生きがいというものについて真剣に考えた事がなく、なんとなく日々を過ごしてしまっている自分。 生きたくても生きられない人。 病になり生きる意味を見出せない人。 そのような人たちに対して自分のなんと恵まれている境遇か。また、そんな境遇にいながら日々を大切に過ごせていない自分のなんと罪深いことか。 全てに共通するが、人のために何が出来るか。使命感。生きる意味を考えさせられた一冊。 またいつか読み返すと思う。
3投稿日: 2025.08.11
powered by ブクログ柳田邦男さんの解説から読み始め、 第一章まで何度も立ち返りじっくりと時間を かけて読ませて頂いております。
0投稿日: 2025.08.11
powered by ブクログ前半に出てくる四つの問いが重い。 自分の生存は何かのため、または誰かのために必要であるか。 自分固有の生きている目標はあるか、あるとすればそれに忠実に生きているか。 以上あるいはその他から、自分は生きている資格があるか。 一般に人生というものは生きるに値するものであるか。 これを読んで、叔母のことを考えた。 叔母は独身のまま、親や兄妹の面倒を見て、順に看取り、独りになった。 気丈で聡明だったが、それが災いしたのか、人付き合いが上手ではなく、親しい友人はいない。 これまで病気ひとつしたことが無かったが、昨年から急に腰痛になったあたりから急激に衰え、一人で生活できなくなり、老人ホームに入居せざるをえなくなった。 入れば生活はできるが、自分でやることが何もなくなり、結果的に記憶力や理解力が信じられないくらい低下してしまった。 これは、上記の4点が全て満たされなくなってしまったからではないか? ただ、高齢になると多かれ少なかれ、この様な状況が訪れるはず。しかし全員がなるわけではない。 神谷さんは隔離施設に入っている方々との交流を通じて論考を深めたと思うが、これは誰もが直面するかもしれない恐怖であり、だからこそ多くの人に読まれるんだろうな。
5投稿日: 2025.07.26
powered by ブクログ『名著の話』と併せて読んだ。 ルポルタージュであり、論文であり、自叙伝でもある。苦しみや悲しみと不幸はイコールではない! 岩波文庫の『自省録』も神谷女史の翻訳と知って、また読み返してみようと思った。
1投稿日: 2025.07.09
powered by ブクログ松岡享子さんのエッセイ集、『ランプシェード』に著者のことが書かれていたので、興味を持って読んでみました。 途中は飛ばし読みしましたが、共感できるところも多かったです。 「生きがいということばは、日本語だけにあるらしい。こういうことばがあるということは日本人の心の生活のなかで、生きる目的や価値が問題にされて来たことを示すものであろう。たとえそれがあまり深い反省や思索をこめて用いられて来たのではないにせよ、日本人がただ漫然と生の流れに流されて来たのではないことがうかがえる。」 「生きがいを英、独、仏などの外国語に訳そうとすると、「生きるに値する」とか、「生きる価値または意味のある」などとするほかはないらしい。こうした論理的、哲学的概念にくらべると、生きがいということばはいかにも日本語らしいあいまいさと、それゆえの余韻とふくらみがある。それは日本人の心理の非合理性、直観性をよくあらわしているとともに、人間の感じる生きがいというものの、ひとくちにはいい切れない複雑なニュアンスを、かえってよく表現しているのかも知れない。」 「たしかに何か利益や効果を目標とした活動よりも、ただ「やりたいからやる」ことのほうがいきいきしたよろこびを生む。金のためのアルバイトばかりやることを余儀なくされているひとは、金のためでない仕事をする自由にどんなにかあこがれることであろう。」 「子供にとっては「あそび」こそ全人格的な活動であり、真の仕事、すなわち天職なのであるから、そこで味わうよろこびこそ子供の最大の生きがい感であろう。」 「現代文明の発達はオートメーションの普及、自然からの離反を促進することによって、人間が自然のなかで自然に生きるよろこび、自ら労して創造するよろこび、自己実現の可能性など、人間の生きがいの源泉であったものを奪い去る方向にむいている。」
9投稿日: 2025.07.05
powered by ブクログ簡潔に語るには内容が重厚すぎる。 それだけで人の生きがい、人生というものについて、多くの人たちと向き合う中で、深く眺め続け、考え抜かれた言葉たちが紡がれている。 中でも大きな苦しみにもがきながら生きる人ほど、深く豊かな心で世界を見ることができ、幸せを感じることができるというメッセージが重く、鋭く心に刺さり続ける。 人生、楽な道はない...などという安直な慰め、教訓ではなく、むしろその方がいい、そうでなくてはいけない、苦しみと向き合い続けることこそが、人生の価値であるという戒めが、そこはかとなく重いのだけれど、どこか安心感も感じ、自分はどう生きるのか!という命題に向かって、力強く背中を押してくれる。
1投稿日: 2025.06.06
powered by ブクログ生きがいと言う言葉に対してあまり深く考えない事も多いが、逆境にある時や虚しさを感じる時に自分に問いかける気がする。一度考え始めたらなかなか抜け出せない。この本を読んで生きがいについて合点がいった。 いろんな方に読んでいただきたいと思います。 前から使命感という言葉が気になっていました。今回読み始めて生きがいとつながっていると知りました。 話が飛躍するが最近は企業でも人的資本経営の考えが出てきているので前向きなマインドを持ち活力ある組織を考える人事部門では必読の本と感じた。
0投稿日: 2025.05.30
powered by ブクログ以前、神谷美恵子のことを知り本を買った。 今回それをを気分転換のつもりで読んだ。 取り返しのつかない悲しみや絶望からの脱出には「生きがい」を見つけて、それをを支えに命を保つことだという。精神科医になりハンセン病の療養者に交わり病理や心理学の分析をへて、人間の生きがいの効用を確信する。彼らへの共感の思いをエッセイに綴る。 神谷は恵まれた境遇に育ち英文学を学ぶなかでハンセン病という業病の存在に遭遇する。患者は不治の伝染病として強制隔離され、故郷の家族や友人から遮断され存在も抹消される。そんな人達に寄り添うために精神医学を学び、瀬戸内海の長島愛生園に勤める。見聞きした煩悶と呻きに触発されて生きる意味を考える。他にもパール・バックの障害をもつ娘の話など不幸に直面する多くの人のことも知る。 この類の本に接するといつも、若い時に読んでいたらどうだったのか、当時の自分ならこれをどう受け止め、その後の人生にどんな影響を及ぼしたか考える。 今の自分は「平穏で安全」なところに身を置いて他人の不幸や絶望を眺めている。気分転換どころか、鉛を飲み込んだ気持ちで自分の来し方を振り返る。 ビクトール・フランクルの『夜と霧』を読んだ時もそうだった。 この作品は彼女が夫や子供そして尊敬する父親と忙しく生活しながら不幸に悲しむ人に「寄り添う」心の記録であり人生の結晶である。 巻末の「執筆日記」では実際の創作の日々が描かれている。
1投稿日: 2025.05.29
powered by ブクログ2025年5月6日、朝9:03。チャットGPTに私が読むべき本の順番を相談したら、流れでほかの本もおすすめされた。そのうちの1冊。①/4冊 チャットGPTの説明: ◆道を見失った時に読む本(思考の土 台を整える) ・病と向き合う人の「生きる意味」について、 深く、やさしく語られた名著。 ・精神的に揺れている今だからこそ、言葉が流 みるはず。
0投稿日: 2025.05.06
powered by ブクログもう一度、二度読まないともったいない内容。豊富な参考文献についていけていない。実存主義の本と思えるような難解さもある。優しい表現で書かれているのに、ラストのメッセージは痛烈。
1投稿日: 2025.04.19
powered by ブクログ難しかった。でも素晴らしい作品です。 「生きがい」というテーマに付随して様々な視点から人生、人間について考えさせられる内容です。
1投稿日: 2025.04.02
powered by ブクログ生きがいとは何か。 その問いに対して、一つの応えを示してくれる本である。 生きがいとは千差万別十人十色である。そう本書にも示唆されており、私もそうだと思う。 生きがいという大きなテーマに対して、今すぐに誰かがあなたにとっての生きがいを教えてくれるものではない。ある種の人生においての思考であり、思索であり、体験であり、実験であると私は思う。 この本では、生きがいとは自分自身で掴み取るものであり、この現代文明において、テクノロジーがいくら発展しようとも、そのあなたの生きがいというのはあなた自身で日々考え学び活動し、その先に得られた副産物であると私は考える。 「生きがい」自体が人生では過程に過ぎない。 人生何が起きるかは、誰にもわからない。だからこそ、あなただけの生きがいを歩みを止めることなく、自分で考えて活動していくのだろう。
0投稿日: 2025.03.28
powered by ブクログ生きがいは感じるもの 生きがいは自分で見出すもの 生きることに意味はない ただ生きてることを楽しめば良い
0投稿日: 2025.02.26
powered by ブクログ卒業生に送る本 ーーーーーーーーーーー 駅前キャンパス 配架場所コード:駅前書架 分類記号:113 著者記号:Ka ーーーーーーーーーーー
0投稿日: 2025.02.12
powered by ブクログかなり良かった。今の自分に刺さることがあった。将来に対して前向きな感情がないと、生きがい感を喪失してしまう。仕事でもそうだと思う。指示されたり売上のためと自分を殺すことで、生きがい感を失ってる人はたくさんいる。 高度成長後に書かれた本であるものの、今の方がむしろ刺さるような本じゃないかと思う。
4投稿日: 2025.02.11
powered by ブクログ■まとめ ★ 自分に与えられた命をどう使って生きていくか、と思い悩んだなら、それはあたらしい自分を創造する第一歩。この自己実現のプロセスを怠ると、深刻な生きがい喪失に陥る。 - 純粋なよろこび、未来への前進、義務と欲求の一致、自分が採用している価値体系、使命感、日常生活のルーティン(「その日、自分のなすべき仕事」)、選択の自由、成長や自己実現、など。これらのものが生きがいを形づくる。 - 生きがいをなくしたとき、安易なごまかし(「にせの生きかた」)に走らず、耐えがたい生をなんとか持ちこたえるだけのストイックな抑制と忍耐をもってやり過ごすことが大切。くわえて、しかるべきタイミングで「生きる勇気」(パウル・ティリッヒ)を奮い起こせるかどうかで、その後の一生に天と地の差がうまれる。 - ときに深い悲しみに打ちのめされることも、人生にはある。その傷を癒やしてくれるのは結局のところ、時の経過と忘却。悲しみを意識の外に押しやるために、なにかしら具体的な短期の目標を持って生活するとよい。また、自然とふれあうことによって、自然の持つ癒やしの力に癒やされてみるのもよい。 ■感想 初版発行の1966年からすでに半世紀がすぎたものの、人間愛と精神医学への信頼に裏打ちされた著者の観察と洞察は、生きがい喪失の闇をほのかに照らす、いまだ古びない灯りであり続けていると思う。 その一方で、「クソどうでもいい仕事」(ブルシット・ジョブ)の増加や少子高齢化の進展など、現代は仕事にも家庭生活にも価値を見いだせない人が増えつつあるようだ。そういう人たちの生きがいは、本業とは別の社会活動に参加したり、あるいは余暇の趣味を楽しむ、「推し」を推すことにリソースを全振りする、といったあたりに落ちつくのだろうか。
2投稿日: 2024.10.24
powered by ブクログ病による孤独は壮絶なものだと思うが、病でなくても傍からみたら豊かであっても、心が孤独である人も多いと思う。孤独である、ということを真正面から受け入れられた時、そっと光が射し込むのではないかと思わせてくれた。私の生きがいとはなんだろうか、と常に持っていくことになると思う。
1投稿日: 2024.09.03
powered by ブクログ私の生きがいは何か? この本を読んでから、他の人の物語を聞くと、それは生きがいなのかな、と思うようになってしまった。 他者の生きがいを感じるようになったけど、肝心の自分の生きがいは何だかまだ分からない。 使命感、責任感、そして、生きがい感 いろんなことを知れば知るほど、いや、いろんなことに正しさなんてないと思うほど、私は何を生きがいにできるのかわからなくなる。 できること、いまやるべきことに全力で取り組むことはできるけど、それが私の生きがいなのかと言われるとよくわからない。 考えずにやれる方が楽しいと思う。 やったことで褒められるとまた頑張れる。 でも、それでいいのか、はよくわからない やはり他者の人生ではない、私の人生を歩んでいると思う時に生きがいを感じるのかな!? いや、他者の人生と私の人生が重なった時に生きがいを感じられるのかな!? 著者の神谷美恵子さんが癌になってから、愛生園の人に受け入れてください、と言ったのが印象的でした。
1投稿日: 2024.06.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
愛生園 国立のらい病患者施設に在籍した著者が生きがいについて考える内容 生きがいという言葉は日本語にしかないという点は知らなかった
0投稿日: 2024.04.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
【生きがいという体験の解体】 本書では、生きがい喪失の深淵をさまよった人の変革体験などを考察し、これらを心理現象として論じている。 1980年、45年前に書かれた本。そしてこれを書き終えるにも10年近く(7年!!)かかったということだから、50年以上前の聞き取り調査とかなのだと思う。英訳されて世界的にもよく読まれているみたいだったので手に取った。 たしか、教科書とかにも載っていたけれど、これまで読んだことはなかった。 個人的には、私の知る日本語では、「生きがい」は一般的な概念として、とても便利だなと思う。感覚的にそれがいいものであることが分かる。(今のサステナビリティみたいな?)一方、実態はよく分からないし実現しようとしてもその方法は分からない。だから言葉として便利であり、実在としてあまり意味を持たない(ように思ってきた。) そうやってバズワード化した言葉の本来持つ重さ、みたいなものを学べる本でもある。生きがいに求めている人間の欲求とは何なのか、生きがいを奪うものは何なのか、などな、精神医学的に、実際の患者の証言・哲学・文学的思索を分析し、「生きがい」とは何か、解体することが試みられている。 とくに著者が興味を持って研究対象としているのは、極限にある人々。そこで生きがいを見出す人々とそうでない人々。そこでいわゆる悟る人は何をどう悟るのか、みたいなことが具体的に書かれている。だから、ある意味この本は、そのような闇と新たな光を体験をした人々の声を代弁している部分もあると思う。 今、極限状態にいなくても、生きてるといつかそんなときがある。でも生きがいについての知識はその時のためだけじゃなくて、今、自分は自分の生きがいを感じているか、何かうまく行ってないことはあるか、なんで退屈を感じているのか、など、今の生き方を見直したり、意識的に新しい価値体系に適応することを助けてくれるものでもあると思った。 私たちは普段、何かしらの出来事がきっかけを作って、小さな自分の価値体系の変容、適応が起こっていると思うし、そこで欲求不満になったり、生きることへの高揚感を見出したり、し続けているように思う。 読書も、そんな好奇心からしていると思う。 全ての生きがいの体験は個性的であるという。 それぞれにある生きがい感、その喜び、そこにある周りとの関係性、たぶんその多様性、独自性、変化や成長の過程、未来への希望の持ち方、みたいなものがまた自分への励みにもなったりする。だから人は、いろんな本を読んだり、ドラマ・映画を見たり、そこでまた自分の価値形態をずらきっかけに出会ったり、影響しあっているのかなーと思う。 生きがいを求める健全な精神。
1投稿日: 2024.03.05
powered by ブクログ本屋さんのメンタルヘルスのコーナーで見つけて読み始めました。 何に注力することが生きがいなのか、どんな人生を歩めば幸せになれるのかそんなことを改めて考えさせられました。 自分の中では生きがいというものはおそらく死ぬまで考え続け、この世を去る時にようやく見つけられるものなのかと思いました。 この本を読んで理解できたのは、生きがいというのは、少なくとも自分の周りの環境によって左右されるものではないということです。自由という不自由もある。色々感じるところがありました。 また、年を重ねてからこの本と向き合いたいと思います。
0投稿日: 2024.02.23
powered by ブクログ仕事、恋愛、結婚など悩む人全てにこの本を送りたい。 内容は難しいが、どれか1文でも必ず心に残る文章がある。この本に出会えて良かったし、明日からも元気に生きていく糧になった。
0投稿日: 2023.10.12
powered by ブクログ生きがいについて考えたエッセイのような哲学書のような一冊。古典的な名著らしい。 心理学や哲学書を参照している箇所があって、不勉強な者にはわからない部分が少々あるが、全体としては読みやすい。ただ、歯ごたえはあるのでかみしめるように読む必要はある。 前半では生きがいという言葉の概念を考察している。後半ではらい病に罹るなど、絶望の底に落ちた者がどのようにして、どのような生きがいを見つけるのか?を考察している。 「生きがい」といっても様々なレベルがある。やっぱ仕事の後のビールだよ的な日常の些細なレベルの生きがいもあれば、人生の軸を貫くようなレベルの生きがいもある。この本が主に指しているのは後者の生きがいだろう。「生きがい」という言葉が内包する要素はいくつかあるが、「未来」というキーワードが自分には刺さった。 後半で触れられている、絶望的な状況から生きがいを見つけることはかなり難しいように思える。この本ではそこで生きがいを見つけた人について焦点を当てて考察しているが、生きがいを見出せなかった人も多いだろう。両者の比率はどうなんだろう。 絶望的な状況から復活して、以前よりも生き生きとした生を送るようになる、というのはわかる気がする。しかしこの本で考えているのは、絶望的な状況がずっと続く中で何らかの生きがいを見出せるか?ということだ。自分はそこで生きがいを見出せる自信はない。そこで生きがいを見出せる人は、ある種の宗教的才能のある人なのではないか?信仰する才能のある人なのではないか?なんだか先日読んだ村田沙耶香の『信仰』と繋がる話だ。 この本でも軽く触れられているが、現代はこの本の出版当時以上に生きがいを見つけるのが難しくなっていると感じる。簡単に信じさせてくれない。いくらでも疑うことができる。宗教的な力が弱くなっていると感じる。IT、効率、合理性、倫理、論理、金といった価値が現代には重要視される。それ自体が信仰とも言えるが、どれも現実から離れたスピリチュアルな宗教性からは遠い。近頃生きがいの一つとして「推し」という言葉がクローズアップされているが、宗教的な力の代替なのかもしれない。かつての宗教には、教育、医療、コミュニティ、生きがいや人生の指針の提示など様々な機能が統合されていた。その力が弱い今、世の中に分散されたそれぞれの代替機能は個々人が自力で探さなければならない。自由になったとも言えるが、しんどい。
1投稿日: 2023.06.12
powered by ブクログこの本を手に取ったいきさつを忘れてしまったが。今の時代だからこそ、というよりも本に記してあるように、いつの時代でもきっと、生きているうちに、もっと言えば窮地に立たされた時、或いは幸福至極な時に、自分自身に問うていみたり、答えてみる言葉だと思う。仕事の中で対象者の「生きがい」について深く考える立場でありながら、自分自身、なぜその言葉を表出することがなかったか、その理由が何となくわかったような気がする。他人の「生きがい」なんてそうそう語るものじゃないし、「生きがい」そのものの持つ意味すらこの本に巡り合うまで本当にわかっていなかったんだなとつくづく思い知らされた。自分の中で再び言葉を噛み締めて再読してみたい。
7投稿日: 2023.05.04
powered by ブクログ先日読んだ、”いつか君に~”から。本編の1/3くらいでしんどくなって、先にあとがきやら解説やら読んだけど、やっぱりいまひとつ良さが分からず、中途断念することに。別に自分探しの目的なんかこれっぽっちもなく、純粋に見識を広めたくて手に取ったものだけど、ちょっと厳しかったす。
0投稿日: 2023.05.02
powered by ブクログ「生きがい」をテーマに深く思考を重ねた本。著者の神谷美恵子さんはハンセン病患者の施設愛生園の精神科医として勤務していた経験から本書が生まれたと話している。本書の中でも時折、患者の心情が語られる。 生きていくことが、とてつもなくしんどく苦しい人たちの気持ちに寄り添い続けた経験が本書を生み出したのだと感じた。
2投稿日: 2023.03.02
powered by ブクログいま読んでる 「生きがいということばは、日本語だけにあるらしい。〜 “ただ漫然と生の流れに流されて来たのではないことがうかがえる”」 「こうした論理的、哲学的概念にくらべると、生きがいということばにはいかにも日本語らしいあいまいさと、それゆえの余韻とふくらみがある」 フランス語で近いのは“raison d'être” (存在理由) 「ためらわずに行動するためには反省しすぎることは禁物なのであるから。しかし、深い認識や観照や思索のためには、よろこびよりもむしろ苦しみや悲しみのほうが寄与するところが大きいと思われる」 「ひとは自分が何かにむかって前進していると感じられるときにのみ、その努力や苦しみをも目標への道程として、生命の発展の感じとしてうけとめるのである」 「”身をささげるものが何もないというのは何という欠乏を感じさせるものだろう。幸福とは独立性にあると一見思われるかも知れないが、実際はそのさかさまなのだ”」 「どのようにしてひとは特定の価値体系を採用するようになるのであろうか。幼年時代に主として両親を通して社会的環境によってこれが与えられるという考えは、フロイトをはじめ多くのひとによってみとめられて来た。そこに文化人類学者たちのいう文化と人格の関連性があるわけであるが、しかしことはそれほど簡単であろうか。〜 別の生活圏から現れて来た人物との出会いを通して、まったくちがった価値体系がもたらされることもある」 「生きがいを求めるという心は、被害や非難のない状態を前提条件にするか、あるいはたとえ被害や非難があっても、それをおぎなってあまりあるようなものを求める心であろう」 「結局食欲の満足というものは、ただそれだけではあくまでも生理的なもので、身体と精神に低い次元の安定をもたらすだけではないであろうか」 「“成長動機”の場合にはむしろわざわざ一層の困難や努力を、すなわち一層の緊張を求める欲求がみられるという」 「キャントリルによれば人間はあらゆる経験に際して直観的に価値判断を行うようにできている。それを彼は経験の“価値属性 value attitude”とよんでいるが、彼の考えでは、人間の最も普遍的で本質的な欲求は“経験の価値属性の増大”を求める傾向であるという。 この欲求がみたされたときには、それは経験の“高揚”として感じられるはずであるが、その感じの判断は本人のみによって行われる。」 「キャントリルのいう“経験の高揚”とは私たちの“生きがい感”にほかならない」 「ふつうの健康の持主が、朝おきて、その日自分のなすべき仕事は何かわからない、というような状況にあるとすれば、それだけでも生存の空虚さに圧倒されるにちがいない。精神生活の上での失業はこの点でなお一層大きな不幸である」 「未来においてより大きな自由を手に入れるために、現在の小さな自由を放棄し、覚悟の上で自らを不自由の中に拘束しておくというならば、そのような計画性と選択性には、やはり自由と主体性がひそんでいるといわなければならない」 「いきいきと、堂々と歩いていくためには、どうしてもひとは自己に忠実に“そのあるところのものになる”必要がある」 「本質的な自己を実現して行くには多くの努力と根気が必要とされる。その結果、この目標が少しでも達せられるならば、そこにはすべてを圧倒するようなよろこびが湧きあがるであろう」 p70 「人間の知覚というものは必ず“解釈”を伴っており、またその解釈には過去や未来まで内在していると考えられるからである」 p73 「ところがひとは自分の心の世界を超えるものについては、自分の世界での概念を使って説明や理解をこころみることしかできないので、そこからたくさんの心のくいちがいがおこる」 「ほんとうのところは自分が住むのに最もふさわしい世界、つまりそのなかで一ばんのびのびできる心の世界を作ろうと努力しているだけのことなのかも知れない」p84 「しかし何よりも苦しみの感情を概念化し、ことばの形にして表出するということが、苦悩と自己との間に距離をつくるからではなかろうか。 “いうにいわれぬ”苦しみをいいあらわそうとするとき、ひとは非常な努力によって無理にも苦しみを自分からひきはなし、これを対象として眺めようとしている。 その時、自分ひとりでなく、だれかほかのひとも一緒にそれを眺めてくれれば、それだけでその悩みの客体化の度合いは大きくなる。 悩みというものは少しでも実体がはっきりするほど、その圧倒的なところが減ってくるものらしい。 したがって、いいかげんな同情のことばよりも、ただ黙って悩みをきいてくれるひとが必要なのである」 p128
1投稿日: 2023.02.19
powered by ブクログフランクルの「夜と霧」、エディスイーガーの「選択」と並び、自分の書棚に残しておきたい本が1冊増えました。テーマは「生きがい」です。 精神科医、神谷美恵子さんが、ハンセン病患者との交流を通じて本当の生きがいとは何なのか?7年かけて考察しています。 少し厚い本でしたが、心理学の本としては思ったよりも平易に読むことが出来ました。彼女がアカデミックな分析よりも、患者の発言や、作品など実体験を通じた考察を好んで引用しているためです。 初めてハンセン病患者の療養施設(愛生園)に収容されたとき、患者の多くはどれほど絶望したのか。その中で、どんな発見をしていったのか? わたしたちが日頃大切だと「思い込んでいる」お金や、地位、名誉、物的な充足感がいかに皮相的なものなのか。 そんな誰にとっても大切な話を書斎だけで終わらせず、臨床の中で膨らませている。だからこそ、彼女の一言一言に重みがあります。 この本の副読本(100分DE名著)を読んで知ったのですが、書中で引用されている話のうち、いくつかは彼女自身の体験だそうです。 20歳のときに意中の人を結核で失ったこと。 自分自身も結核で死の淵をさまよったこと。 癌にかかり、期待していた人生を送れないかもしれないという恐怖。 生きがいを失うのはハンセン病患者に限った話ではなく、 生老病死から逃れられない、われわれ全員だと気づかせてくれるエピソードです。 こうした苦しみを通じて、ハンセン病患者と、神谷さん本人がどのような生きがいを見出したのか? たくさんある中で1つ、わたしが手を止めた一節がありましたので、そこを引用して、レビューを締めます。いい本でした。 『人間が最もいきがい感じるのは、自分がしたいと思うことと義務とが一致したときだと思われる』
7投稿日: 2023.02.11
powered by ブクログわざわざ目を向けなければ、生きがいなど考えずに生きていけます。しかし、ひとたび自分の生きる意味は何か、生きがいはなにか、と考え出すと、はっきりとした答えのなさに肝を冷やします。 では生きがいは何かと考えるだけ損か、と言われるとそうは思いません。生きがいを探すためにもがく行為が、人間的な成長を促しますし、何よりその行為自体が生きる意味となるのではないでしょうか。
1投稿日: 2023.02.07
powered by ブクログ読みごたえがあった。 生きがいについての深い考察がなされていた。どんな人にも起こりうることながら、不幸をきっかけに感じること。不幸でなくても日々の虚無感から感じること。それを考え抜くなかで、何かを突破した感覚なのでしょうか。〝生を超越した悦び〟ここに至るには大変な道のりがあろうが、歩いていく価値はある。
0投稿日: 2023.01.21
powered by ブクログhttps://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AH55NVKTKM4PICHXTC5RKJO7KRBA?preview=true
0投稿日: 2022.12.31
powered by ブクログ生きがいという言葉には、いかにも日本語らしい曖昧さとそれゆえの余韻とふくみがある。 本書では、生きがいを感じている精神状態を生きがい感と呼んでいる 生きがいについて一番正直なものは感情。理屈というものは後からついてくる。先に理屈がくることは絶対にない。
0投稿日: 2022.12.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
よくある自己啓発本に書いてあるような好きなことをしようとかそういうことではなくもっと本質的な本でした。 光、愛、自然、宗教などに触れて自分の中から湧き上がってくるもの。 人間の存在意義は野に咲く花のように、ただ無償に存在しているひとも、大きな立場からみたら存在理由があるにちがいない。 この言葉が響いた。 もっとしっかり読むべき本だなとおもう。
0投稿日: 2022.10.23
powered by ブクログ分厚い本だけど、読み進めやすく感じた。難しい言葉はあまり出てこない(1966年に著わされた本なので見慣れない表現はあるけど)。 思うところはたくさんあった。 ・「この人精神科医?医者の文章じゃないでしょ?」とまず思う。…これは私の知識不足。神谷美恵子さんは本当にすごい人なのだと知った。他の著書もまた読みたいと思う。 ・50年以上前に書かれたものなのに、今の時代にもすごく通じるところが多い。しかもさりげなく(?)今の時代への警鐘も含まれている。 ・私自身に思いを重ねて読んだ。うまく言えないが「自分はこれでいいのだ」と思えた。生きがいを求める心は、ハンセン病患者のように肉体的精神的に追い詰められ社会や家族からも疎外されて強く打ちのめされた人でなくても存在するし、だから文中の愛生園の患者の人たちの言葉にもすごく共感できたりする(最初のうちは「私はハンセン病患者の人たちほど健康被害や差別や偏見に苦しんだりしていないのに共感してしまうって失礼じゃないだろうか?」などと思いながら読んでいた)。 …等々。 本編の後に「執筆日記」が付いていて、これも著者の人柄がよくわかって良かった。
0投稿日: 2022.09.02
powered by ブクログとても心に響く部分とただただ読み進めていった部分がある。おそらく自分のその時の感情や悩み、立場などによって感想がかわる本なのだろう。また折に触れて読み直したい。
0投稿日: 2022.07.24
powered by ブクログ最高でした。 フランクリンにも通じる生きているための生きがいについて明示されており、何度も読みたい名著。
0投稿日: 2022.05.10
powered by ブクログ古い本なのに、今の時代にあっても、なお考えさせられる。 生きがいについて考えさせられたし、もしかしたら、自分の生きがいは、まだ見つけられていないのでは、と考えさせられ、途中で、読んでいて苦しくなることが多かった。
0投稿日: 2022.04.03
powered by ブクログ評価が高かったため、手に取ってみた。 生きがいについてを深く考察された本。 読み込みが浅いためか、特に感銘を受けるようなところ、学ぶような事は無かった。生きて行くことに悩んだらまた読み返してみたい。
0投稿日: 2022.03.31
powered by ブクログ本文をちゃんとは読めていなくて、折々に出てくる、世界中の様々な悲しみを表現した詩や言葉を、心を慰めながら読んでいました。 大きな書店で、この本を含むみすず書房のコーナーがあり、書棚に納められた本の背表紙を眺めるだけで、何かとても静かな力みたいなものをもらう気がしました。
3投稿日: 2022.03.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
人間がいきいきと生きていくために必要なものは生きがい。私たちの毎日の生活を生きるかいがあるように感じさせているものは何であろうか。難病や愛する者の死で生きがいを奪われた場合、自殺をふみとどまらせるものは。新しい生きがいの発見はできるか・・・。多くのことを示唆され、そして考えさせられました。神谷美恵子さん(1914~1979)が7年かけて作成された大作「生きがいについて」、1966年刊行。神谷美恵子コレクション、2004.10発行。自殺をふみとどまらせるものは、明日への好奇心、憎しみや攻撃心、名誉心とか。
0投稿日: 2022.03.21
powered by ブクログ「社会的にどんなに立派にやっているひとでも、自己に対してあわせる顔のないひとは次第に自己と対面することを避けるようになる。(中略)生活をますます忙しくして、これをきかぬふりをするようになる。」
0投稿日: 2022.01.05
powered by ブクログハンセン病患者の隔離された島で精神科医として働く傍ら、哲学や文学を深く愛し、人の本質を探ろうとした神谷美恵子先生の代表作。 生きがい というとフワッとしたイメージの言葉になるが、ここではよく自己啓発本などで出てくる「好きなことをやる」などという簡単な言葉で言い表せるものではない。 もっと現実的にヒリヒリした、溺れる者が藁を掴むような必死さの中で求めるようなものである。 特に当時のハンセン病患者のように、健常な人が当然のように出来ることを全て取り上げられ、社会からつまはじきにされた人々にも生きる希望はあるのかと問う重たいテーマになっている。 ただし、それを自身の体験だけで終始せず、古今の哲学・文学・心理学とも照らし合わせ、人は何に生きる希望を見出してきたのか、そしてそれをせしめた精神構造はいかなるものであったかと解き明かそうと試みている。 章立ては11章あり 1. 生きがいという言葉 2. 生きがいを感じる心 3. 生きがいを求める心 4. 生きがいの対象 5. 生きがいを奪い去るもの 6. 生きがい喪失者の心の世界 7. 新しい生きがいを求めて 8. 新しい生きがいの発見 9. 精神的な生きがい 10. 心の世界の変革 11. 現世への戻り方 世界的な古典に決して劣らない名著だと思う。 これからの未来にも語り継がれていってほしい内容だ。
0投稿日: 2021.12.28
powered by ブクログここまで一冊の本に長い時間をかけたのは久しぶりだった。 1ヶ月の間、何度も何度も読みこみ、それでも正直読み解けてはいない。 この本は主に精神医学・哲学的観点から、緻密に丁寧に「生きがい」について考察し記されている。著者も『一般のひとの生きがいを考える上でなんらかの参考になれば』と記しているように、ハウツー本ではなく、ただただ「生きがいとは何たるか」を人間の精神と対峙しながら書かれている。『ただ動物のように生きることではまん足できず、己が存在の意味を感じないでは生きられない人間の精神構造』を思いながら。 著者はハンセン病療養施設 長島愛生園で献身的に従事したことで有名な精神科医。 本書は名著として名高い一冊。1966年に刊行された本だが、今この時代にこそ気付きをもたらすのではないかと思う。 SNSと現実の境目が失われた世界、無敵の人と呼ばれる人々、そして異常な自死の多さ。凄まじい進化を遂げた平和で美しいこの国が腰まで浸かっていながらも目を背けている、暗澹たる現実の汚泥に溺れている人々が、半世紀前に書かれた本書の行間に潜んでいる。生きにくさに喘ぐ人間、それを糾弾する別の生きにくさに喘ぐ人間、向き合うことを止めた人間、そもそも概念すら持たない人間。多くのものの狭間に挟まり身動きが取れなくなった人の叫び声は誰にも届かない。 私は全てから離脱することを肯定的に捉えている。本書でも『自己の生命に対する防衛的配慮が一切必要でなくなったときこそひとはもっとも自由になる』と記されており、これは真理だと思う。「なぜ」という数万の嘆きはあっても、たった一つの救いの手が無い。そういうものなんだろうと思う。 ただそれでも巻末に付録されてる日記で『人は自分であり切らねばならない』と書いた著者のように、心の内のどこかに使命の種火を抱えているならばその灯を待つ人を思うこともまた重要なのだと思う。それは親が子にもつ愛や伴侶への情を代表とするような、本書の中でいう「社会化」された生きがいを他者に与える状況において生まれる使命感なのかなと。 本編の中で背負った重みを吹き飛ばすほどの迸る生きがいと情熱が読み取れるので、巻末の著者の日記は必読。ノブレスオブリージュの鑑。 年末にむけて色々整理したいと思い、まずはじめに手にした本書。ちょっと重かったな…近頃仕事でもなかなか出さない集中力を発揮してようやく読み切った。 まだ読みたい本が数冊あるので、しばらくは頭フル回転で読書だな…ここを抜けたら何か物語を読みたい。ほんわかするやつ。
1投稿日: 2021.12.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
母の勧めにより読んだ本。 自分の生存は何かのため、又は誰かのために必要であるか。人生は生きるに値するものであるか。 らい病に苦しんだ愛生園の人々の体験を踏まえ、生きがいとは何かについて、書かれた本。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 生きがいとはその人の価値体系をつくる性質を持っており、自発的で対価を求めず個性的なものである。経験拡張欲であったり、愛などの反響への欲求であったり、自己実現への欲求の場合もある。 生きがいを失うと、孤独の中で「自己そのもの」と相対することを余儀なくされ、悔いや恨みから自暴自棄に陥る。他人にうちあけ、苦しみに意味づけをし、新しい生きがいを模索することで乗り越える。 「小我を捨てて大我に生きる」 事故を超えるものに身を投げ出すことによって初めて建設的に力を使うことができるようになる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー らい病や死を宣告されることに比べれば穏やかだが、誰しも過去の挫折や今の生きづらさに、多かれ少なかれ苦しみながら生きていることだろう。 私自身過去の挫折から、経験拡張欲や自己実現欲ばかりのやや一匹気味だった「私」から、他者を理解し他者の助けになろうとする心が芽生えたと思う。辛い過去に意味を見出そうとすることは何年と時間がかかるしつい逃避したくなるが、人や物を別の角度から見て、理解し感じ取れる部分が増えた、人間としての厚みが増えたと思っている。今となっては貴重な経験だったと思える。 生きがいは、人生の経験によって変わる価値体系を作るものであるならば、数年後読み返したときには別の感想を持つのかもしれない。また時期をおいて読み直したい本だと思った。
0投稿日: 2021.11.25
powered by ブクログわたしの想像していた生きがいよりも更に壮大な生きがいについての本だった。著者がキリスト教徒のせいか、宗教を絡めた考察が多めかな。
1投稿日: 2021.11.17
powered by ブクログNHKの島津元アナウンサーが、番組100分de名著で本書を紹介するにあたり読んで、感銘を受け、自らの生きがいを考えた結果、NHKを退職して医者になる道へ進んだ(勿論、それだけじゃないだろうけど、ある番組のインタビューでご自身そうおっしゃっていました。)、という本です。
0投稿日: 2021.10.22
powered by ブクログ岩波文庫『自省録』(マルクス・アウレーリウス)の訳者でもある神谷美恵子さんの著作。 ハンセン病患者を精神科医師の立場で接するなかで肉付けされた「生きがい」の喪失と発見についての考察は、深く考えさせられる。 死別や事件・事故、受刑など他の理由で生きがいを失った人だけでなく、日常生活をつつながく送りながらも生きがい感に満たされない僕らへも「心の世界」と通じることを説いた一冊。 >これらの病めるひとたちの問題は人間みんなの問題なのである。であるから私たちは、このひとたちひとりひとりとともに、たえずあらたに光を求めつづけるのみである。(p.282)
1投稿日: 2021.09.11
powered by ブクログ※2000.4.29購入@古書店 購入したのはみすず書房の古い版 2005.2.27売却済み
0投稿日: 2021.09.03
powered by ブクログしっかり読まないと理解できない部分も多かったですが、ハッとさせられるものがたくさんありました。人の生きている意味なんて、宇宙全体からみたら小さくて、有用かどうかなどで判断するものではない。というような記載があり、そういう考えは大事だと思いました。生きがいを考えられること自体幸せなことなのかもしれません、
1投稿日: 2021.08.16
powered by ブクログ素晴らしい名著。 人にとって「生きがい」とは何かを追求する事は、人とは何かを追求する事に非常に関係してくると思った。
0投稿日: 2021.08.15
powered by ブクログ◯生きがいについてを読んで、生きがいを見つけられるわけではない。人の生きがいを感じる精神や背景、それがあることによって何が変わるのか、といった生きがいに関する論考という感じの本。 ◯緻密に生きがいに対する精神を分析して行っている印象。分析内容は精神的なもの、感情的なものであるため、なんとなくふわふわした感じがしてしまうが、本書の構成から考えると一つ一つ丁寧に考えられている。 ◯ただ一つ個人的によく分からなかったのが宗教の部分で、これはハンセン療養所の人たちをベースに書かれたものだから出てきたものなのか?と思う。しかし、内容について異論はなく、むしろその後の流れとして必要性を感じる。 ◯一番ハッとしたのが自然との融合体験であるが、このきっかけとして宗教はあると思うし、しかし宗教がなくても自然との融合はあると思う。 ◯仕事が暇で、単純な日々を繰り返し、ふとした時に死ぬのが怖いが、なぜ生きているのか分からない。死にたくないから生きているということに意味が見出せない。しかし、今の環境を抜け出し、生き物として自然に触れることができれば、自分の小ささに気がついて、何かが変わる気がする。 ◯大変面白かった。
17投稿日: 2021.06.06
powered by ブクログ今、自分が必要とされていること。求められていること自体が幸せであり、生きがいだも思った。 私1人は何もできない。でも必要とされることは、ありがたい。これから先も役に立てるかわからないけど、必要とされる限りは、生きがいとして、行動する。 それが使命なのかもしれない。 もし、生きがいがなんらかの形で失われたとしても、またその枠の中での生きがいがあるだろう。なぜなら、世の中には無駄なものは存在しないから。
1投稿日: 2021.05.13
powered by ブクログ「生きがい」といいう言葉は外国語にはないらしい。普段わかっているつもりだし、持っているつもりだが、さて、本質的に何と問われると、なんとも心許ない。この本では、神谷さんのご経験から、生きがいとは何か、生きがいがない状態とは何かについて、多くの事例に基づいて解説されている。基本的な問いとして、「自分の生存は何かのため、誰かのために必要であろうか」「自分固有の生きていく目標はなにか。あるとすればそれに忠実に生きているか」。生きがいの分類として「生存充実感への欲求を満たすもの」「変化と成長への欲求を満たすもの」「未来生への欲求を満たすもの」「反響への欲求を満たすもの」「自己実現への欲求を満たすもの」「意味への欲求を満たすもの」。これ以外にも「破壊への欲求を満たすもの(敵討ちなど)」もある。生きがいの辞書として保有したい。
1投稿日: 2021.04.18
powered by ブクログ看護学生時代の課題図書で、前期の精神看護学の試験がこの本を読んで自分なりの生きがいについて書くみたいなものでした。正直、とっても難しい。言葉がまず昔だし、らいについては知識が浅かったので。なおかつリミットが迫っていて、結局21歳の私が書いた『生きがい』は本作とはかなりかけ離れてしまいました。 最近臨床を離れてから、精神科医学や精神科看護学について考えることが多くて、いつか読もうと思っていました。 最近はメンタルヘルスのニーズの高まりもあり看護書を探しに本屋さんに出向くと色々と精神の本が置いてあって、この『生きがいについて』も秋の看護学フェアで再会しました。 ちょっと勇気を出して購入しましたが、当時より解説を読みながらよんだり、ちょうどアーカイブでしたがNHKで100分de名著という番組で取り扱われたものをみたりでやっと理解にたどり着けたように思います。 実はまだ、ちゃんと理解に漕ぎ着けておらず、とはいえ私が書いた『生きがいについて』は何となくちゃんと書けていたんだな、という事もわかりました。というのも、個人によって生きがいというのは違うからです。 ただその生きがいがなんなのかというよりは、その生きがいが奪われるときはどんなときなんなろうと考えてみたり、ありふれた幸せみたいなものに、私達がちょっと当たり前に過ごしすぎていることに気がつかないといけなかったのだなということだけは何となく気がつけていて、弱者と呼ばれる色んな根底を失った人達の生活や感じとるものから、私達が今手にしているものを生きがいとして再び認識することが何となく現代必要なのかもしれないな、、って感じたりします。とはいえまだ途中なのでまた加筆します。(2020.12/14)
7投稿日: 2020.12.14
powered by ブクログメモ→ https://twitter.com/lumciningnbdurw/status/1334280164763557888?s=21
0投稿日: 2020.12.03
powered by ブクログ毎日を生きていこうと思わせるものは何でしょうか。それを失ったとき,人はどうしたら前向きに生きていけるのでしょうか。つかみどころがなく一人ひとり異なる「生きがい」を,米コロンビア大で文学と医学を学んだ神谷美恵子が様々な角度から考察する古典的名著です。
0投稿日: 2020.08.28
powered by ブクログオーディブルで。現状の認識の仕方で生きがい・幸せを感じる事が出来ますよ。という実報告と過去の哲学者の言葉を引用して説明している。
1投稿日: 2020.08.24
powered by ブクログ「生きがい」とはなんだろう?生きる意味とは?ずっと考えてきたことを真摯に問うた本。 二回生まれという言葉に納得。パールバックの苦しみ。ステージによって生きがいも変化する。 生きがい感の中に自我感情が含まれている。ほかならぬこの自分が生きている意味があり、必要があるのだ、と言う感じである。これは既に直感として感情の中に備わっているのではないかと思われる節がある。というのは精神薄弱児でも自分が邪魔者として扱われているのかそれともかけがえのない存在として扱われているのか、その差を敏感に感じ取るものである。幼児についても同様である事は少し彼らの生活を観察してみれば分かること。したがって人が仕事を選ぶ場合にも、もし生きがい感を大切にするならば、世間体や収入よりもなるべく自分でなくてはできない仕事を選ぶのが良いと言うことになる。 生きがいとは何かおおまかな問いは次の4つ。 1、自分の生存は何かのため、または誰かのために必要であるか。 2、自分固有の生きていく目標は何か。あるとすればそれに忠実に生きているか。 3、以上あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか。 4、一般に人生と言うものは生きるのに値するものであるか。 自由を縛るものは外的なものばかりではない。人間の心の中にある執着、衝動、感情などが外側のものよりもなお深刻に人を縛り付ける。対人関係も愛情、恩、義理などの力で人を精神的な奴隷にする。 自由を得るためには様々な制約に積極的に抵抗を試みなくてはならない。自由から尻込みする心の根底にあるのは、その対極にある、安定への欲求だ。 環境への無言の抵抗と自己に対する押さえの力。未来においてより大きな自由を獲得するために現在の小さな自由を放棄する。 生きがい喪失の世界 生きがいを失った人は皆一様に孤独になる。人生の明るい大通りからはじき出され、それまでそこにはまり込んで暮らしてきた平和な世界は急に自分から遠のいてしまい、皆の賑やかな忙しそうな生活は自分とはなんの関係もなくなり、全く仲間外れとなる。 心と体はバラバラになる傾向がある。生きて行きたくないのに、それにもかかわらず生きていかなければならないのは、肉体の精神の状態とは無関係に生きていくからである。肉体の生きている限り生きていかねばならない。肉体に引きずられて生きていく存在。 悲しみには和らげることができる悲しみと、和らげることのできない悲しみと言う根本的に異なった2つの種類がある。和らげることのできる悲しみは生活によって助けられ、癒すことのできる悲しみ。和らげることのできない悲しみは生活を変化させ、悲しみ自身が生活になってしまうような悲しみ。(パール・バック) 生きがいを失った人間が死にたいと思う時、1番邪魔に感じるのは自己の肉体である。しかし実際はこの肉体こそが本人の知らぬ間に働いて、彼を支えてくれるものなのである。 苦しんだことのある人の心には奥行きがある、と時々言われる。生きがい喪失の苦悩を経た人は、少なくとも1度は皆の住む平和な現実の世界から外で弾き出された人であった。虚無と死の世界から人生及び自分を眺めていた人であった。「心の複眼化」心の深さと言うものがこのような現実からの遠のきと心の世界の複数化からくるのであるとすると、これを精神化と呼んでいい。「2回生まれの人間」の方が精神化に傾きやすいのではないかと思われる。「1回生まれの人」、つまり生まれながら現実の世界にうまく適応していける人はともすれば現実に密着して生きていく傾向があるように見える。
3投稿日: 2020.05.31
powered by ブクログもっとも生きがいと遠い人々でも生きがいを持っている人がいる。まだ臨床心理学が日本では馴染みがない時代において、手探りながらも作者が患者たちに寄り添いながら考えた事に引き込まれてしまう。
0投稿日: 2020.05.26
powered by ブクログ烏兎の庭 第六部 3.15.20 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto06/diary/d2003.html#0315
0投稿日: 2020.04.07
powered by ブクログ生きがいの大切さ 生きがいを持つのが難しい人、状況 生きがいを突然奪われた人 どんな状況でも見失なわない人 いろいろな生きがい 自分の生きがいも 他人の生きがいも尊重していきたい
0投稿日: 2020.01.11
powered by ブクログ【いちぶん】 平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかも知れないが、世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる。ああ今日もまた一日を生きて行かなければならないのだという考えに打ちのめされ、起き出す力も出て来ないひとたちである。耐えがたい苦しみや悲しみ、身の切られるような孤独とさびしさ、はてしもない虚無と倦怠。そうしたもののなかで、どうして生きて行かなければならないのだろうか、なんのために、と彼らはいくたびも自問せずにいられない。たとえば治りにくい病気にかかっているひと、最愛の者をうしなってしまったひと、自分のすべてを賭けた仕事や理想に挫折したひと、罪を犯した自分をもてあましているひと、ひとり人生の裏通りを歩いているようなひとなど。いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じさせているものは何であろうか。ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見いだすのだろうか。これはずいぶん前から私の思いの中心を占めて来たことがらである。しかしこれを一つの課題として或る衝撃とともに受けとったのは、九年前に瀬戸内海の島にある、らいの国立療養所長島愛生園に滞在していた時であった。 (p.4)
0投稿日: 2020.01.05
powered by ブクログ読もう読もうと思って一体何年経ったのだろう。昨年NHK「100分de名著」で取り上げられ、テキストを買って放映を見た。買ったテキストを読んだのは今年。 そして、やっとそのものを手に取る。読むべき時を本はじっと待っててくれてるのだなぁと感じる。 私にとって「今」であった。 冒頭から引き込まれる。今また読み返しても、また読み始めたくなる。もうしばらく読書はこの本だけでいいのではないかとさえ思える。 最初は図書館で借りた。いつものように気になる言葉は抜き書きをしていると、抜き書きしたいところが多すぎて… これは抜き書きもいいけど、自分で買って線を引いたりして、いつも手元に置いておくべき本ではないかと気づき、買った。 抜き書きしたものをいつもここにも記すのだけれど、ちょっと多すぎるような。 "人間もまた外的条件に恵まれないときにはなるべく抵抗を少なくして、エネルギーの消耗をふせぎ、なんとかその時期をやりすごすほうが全体からみて得策のことがある。鳴りをひそめ、小さくなって時期の到来をうかがうその姿は、一見消極的にみえても内に強じんな自由への意志を秘めている。環境への無言の抵抗と自己に対する押えの力と、これによってやがて自由を獲得しようというのである。" 70ページ "「今までの考えかたはみなまちがっていたのだろうか。その上に築いた人生設計は結局砂上のろう閣にすぎなかったのだろうか。これからどうやって、どういう方針で生きて行ったらよいのだろうか。」" 108ページ "心の世界がこわれ、足場がうしなわれるということは、とりもなおさず、その世界を支える柱となっていた価値体系もくずれ去るということである。つまり、今まで生存目標としていたものがうしなわれるとき、ひとはもはや何のために生きて行くのか、何を大切に考えるべきか、その判断の基準もわからなくなる。" 116ページ "何かのことで生きがいをみうしなうような状況にあるひとは、大ていの場合、孤独のなかで「自己そのもの」と相対することを余儀なくされると思われる。しかもその自己とは、生存目標をうしない、統一原理をうしなった存在であったから、これほど無力でみじめなものはない。ただ、おどおどして不安にみち、いたずらに過去をかえりみて悔いや怨恨の思いに埋もれている。" 126ページ "精神的苦悩は他人に打ち明けることによって軽くなる。なぜであろうか。きいてくれる相手の理解や愛情にふれて、慰めや励ましをうけるということもあろう。しかし何よりも苦しみの感情を概念化し、ことばの形にして表出するということが、苦悩と自己との間に距離をつくるからではなかろうか。「いうにいわれぬ」苦しみをいいあらわそうとするとき、ひとは非常な努力によって無理にも苦しみを自分からひきはなし、これを対象として眺めようとしている。その時、自分ひとりでなく、だれかほかのひとも一緒にそれを眺めてくれれば、それだけでその悩みの客体化の度合いは大きくなる。悩みというものは少しでも実体がはっきりするほど、その圧倒的なところが減ってくるものらしい。したがって、いいかげんな同情のことばよりも、ただ黙って悩みをきいてくれるひとが必要なのである。" 131ページ "もし新しい出発点を発見しようとするならば、やはり苦しみは徹底的に苦しむほかないものと思われる。" 132ページ "いずれにしても自分に課せられた苦悩をたえしのぶことによって、そのなかから何ごとか自己の生にとってプラスになるものをつかみ得たならば、それはまったく独自な体験で、いわば自己の創造といえる。それは自己の心の世界をつくりかえ、価値体系を変革し、生存様式をまったく変えさせることさえある。ひとは自己の精神の最も大きなよりどころとなるものを、自ら苦悩のなかから創り出しうるのである。知識や教養など、外から加えられたものとちがって、この内面からうまれたものこそいつまでもそのひとのものであって、何ものにも奪われることはない。" 140ページ "時間というものは人間の心の思い如何にかかわりなく、人間の内側のありかたを変えて行く。" 142ページ "生きがいをうしなったひとは心の世界のこわれたひと、足場をうしなって宙にただようひとであった。情緒の面からいえば深刻な不安や苦悩や悲しみにおびやかされており、知性の面から言えば価値体系がくずれてしまっているために、ものの価値判断がつけられなくなっている。末梢的な、習慣的な行動はりっぱにできても、個々の具体的な事柄を大きな文脈でとらえることや、新しい事態に対処する方針をたてるというような能力がうしなわれている。" 148ページ "すでにプラトンも『国家論』のなかで言っている。 「不幸な時にはできるだけしずかにしているのがいい。そして不満の感情はすべて抑えるほうがいい。というのは、こうした出来事のなかにどれだけの善いものと悪いものがふくまれているか、われわれには評価できないからである。また同時に、短気をおこしてもなんの助けにもならないからである。」 避けられない苦しみや悲しみを安易にごまかしてしまわず、耐えがたい生を何とか持ちこたえるためには、結局その当座はストア的な抑制と忍苦の力が要る。(略) 生きがいをうしなったひとが、もし忍耐を持つことができれば、長い時間の経つうちには、次第に運命のもたらしたものをすなおに受け入れることができるようになるであろう。避けることのできないものはうけ入れるほかはないという、いわばあたりまえのことを、理くつでなく、全存在でうけとめるようになるであろう。さらにそういう苦しみや悲しみとともにどうやって暮らして行ったらいいか、というすべを身につけ、場合によれば、ニーチェのいう「運命の愛」amor fatiすら自然に心のなかに芽ばえてくることもあろう。それは長い、苦しい「荒野」での道程である。" 149ページ "まず悲しみと融和することである。" 151ページ
2投稿日: 2019.11.10
powered by ブクログ何よりも印象的だったのは、神谷さんがライフワークとして長い年月をかけてこれを世に残したということ。大幅に削られたというが、それだけ多くのテキストでこの『生きがい』をとらえようとしたのだろう。自分にとってその対象は何かと考えさせられた。 自分自身に課せられた、大袈裟に言うと『使命』のようなものを、自分の中に、あるいは自分を取り巻く環境の中に自分で見つけていくこと、そこで小さいながらも『役割』を担いながら暮らしていくこと、それがベーシックな『生きがい』感につながるのではないかと思う。 それには人と人とのつながりがなくてはならない。そういう意味でも、自分と周りの人を大切にすること。 教育・学習の場に関しても、その点を留意していることが必要。それがフレネ教育や箕面こどもの森学園にはある。 最後に、宗教的なことや目に見えないことへの関心を持つことが、より深い生きがいを見つけるための助けになるだろうという感じがした。 自分を見つめ、運命を受け止めながら、自分の使命を果たすべく、ゆったりと流れに乗って生きていこう。
3投稿日: 2019.08.14
powered by ブクログ1960年ごろに初版。現代にも通じる考察が多い。 生きがい感 ・生存充実感 ・変化への欲求 ・未来性への欲求 ・反響への欲求 ・自由への欲求 ・自己実現の欲求 ・意味と価値への欲求 生きがいについて思い悩むとき、の大まかな問い ・自分の生存はなにかのため、だれかのために必要であるか ・自分固有の生きていく目標はなにか。あるとすればそれに忠実に生きているか ・と考えたときに、自分は生きているか資格があるか ・人生というものは生きるに値するものであるか 自己の生存目標をはっきり自覚し、生きている必要を確信して、その目標に向かって全力を注いで歩いているひと。言いかえると使命感に生きるひと。 意味と価値への欲求。 ひとは意識しないうちに、たえず自己の生の意味をあらゆる体験の中で自問自答し、確かめているのではなかろうか。そしてその問いに求める答えは、自己の生を正当化するもの、性の肯定なものでなくては生きがいを感じられないのであろう。 新しい生きがいを求めて 喪失からの受容、融和。 価値体系の変革。 時間軸。空間、場所。自然、大地、大空。 新しい生きがいの発見 生存目標の変化。空間的な社会化、時間軸での歴史化。 心の奥行きの変化。 精神的な生きがい 認識と思索のよろこび 審美と創造のよろこび アイのよろこび 宗教的なよろこび 多くの思想家や心理学者のいうように、宗教の果たしうるもっとも本質的な役割は、人格に新しい統合をあたえ、意味感、すなわち生きがい感をあたえることであろう。 心の世界の変革 変革体験。 多くの場合、ひとが人生の意味や生きがいについて、深い苦悩におちこみ、血みどろな探求をつづけ、それがどうにもならないどんづまりにまで行ったときにはじめておこる。 キリスト教での「回心」。 自然との融合体験が契機になる場合もあり。 変革体験の共通する特徴 ・特異な直感性 ・実体感。大いなる何者かと触れた意識 ・歓喜高揚感 ・表現の困難
0投稿日: 2019.06.21
powered by ブクログ志村 1966年、すなわち私が1歳のときに出版された、その後の「生きがい」本の先がけである。 巻末の案内では、評論家の坪内祐三氏が、 「『生きがいについて』を読む前に」 というコラムを掲載している。 このコラムが、この本の価値をそのまま評価しているので紹介しておく。 「私は『生きがいについて』というタイトルの本に安易に手を出していまいがちな、そういうヤワな読者が嫌いだ。そういう人は自分のことをそれなりに真剣であると思っているのだろうが、それは違う。『生きがいについて』を手に取る読者の多くは、たぶん、自分探しをしている人たちだろう。だが、そういうあなたたちは、どこまで本当の自分探しをしているのだろうか。私の述べる、本当の自分探し、とは、もちろん、“本当の自分”探し、ではなく、“本当の”自分探し、である。」 こんな本である。 私はこれは!と思う本は備忘録をテキスト化してアーカイヴしている。 この方法は、写経と一緒で、テキストを淡々と打ち込むことにより、一層理解が深まるのである。 以下に大量な備忘録をアーカイヴするが、おもしろいと思うフレーズがきっとあると思うので、よろしければお付き合いください。 【記】 ・生きがいということばは、日本語だけにあるらしい ・ブランス語でいう「存在理由(レゾン・デートル)」とあまりちがわないかも知れないが、生きがいという表現にはもっと具体的、生活的なふくみがある ・ウォーコップによると、人間の活動のなかで、真のよろこびをもたらすものは目的、効用、必要、理由などと関係のない「それ自らのための活動」である。「やりたいからやる」ことのほうがいきいきとしたよろこびを生む。 ・グロースやホイジンガのいうように、無償の遊戯的活動こそ文化活動の芽生える母胎 ・よろこびというものの、きわだった特徴は、ウィリアム・ジェイムズも気づいたように、それが不思議に利他的な気分を生みやすい点 ・生きがいを感じているひとは他人に対してうらみやねたみを感じにくく、寛容でありやすい ・ジュール・ルナール「自分の幸福に語るときにはひかえ目でなくてはいけない。あたかも盗みをざんげするかのように告白しなければならない」 ・ルソー『エミール』「もっとも多く生きたひととは、もっとも長生きしたひとではなく、生をもっとも感じたひとである」 ・人間はべつに誰からたのまれなくても、いわば自分の好きで、いろいろな目標を立てるが、ほんとうをいうと、その目標が到達されるかどうかは真の問題ではないのではないか。ただそういう生の構造のなかで歩いていることこそが必要なのではないだろうか。 ・苦労して得たものほど大きな生きがい感をもたらす ・なんらかの意味で自己の身をけずらないですむような愛は、愛という名に値しない ・「生きがい感」と「幸福感」の違い ?生きがい感には幸福感の場合よりも一層はっきりと未来にむかう心の姿勢がある ?生きがい感のほうが自我の中心にせまっている ?生きがい感には、意識的にせよ、無意識的にせよ、価値の認識がふくまれることが多い ・デュマのいうように、ひとの生活が自然な形で営まれているときには、一種の自動性をおびて意識にのぼらない傾向がある ・単に社会的な役割を果たすだけで人間の生存意識のすべてがみたされるかどうか、一個の独立人格としての存在理由は何か、というような問いは意識にのぼらないのが一般である。それは一種の防衛本能のようなものかも知れない。なぜならば、うっかり本気でこういう問題に立ちむかうならば、今まで安全にみえていた大地に突然割れ目ができ、そこから深淵をのぞきこむかのような不安や不気味さにおそわれる恐れがあるからである。 ・長い一生の間には次のような問いが発せられる ?自分の生存は何のため、またはだれのために必要であるか ?自分固有の生きていく目標は何か。あるとすれば、そこに忠実に生きているか ?以上あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか ?一般に人生というものは生きるのに値するものであるか ・人間が最も生きがいを感じるのは、自分がしたいと思うことと義務とが一致したとき ・ふつう壮年期は無我夢中で過ごしてしまい、だんだん年をとって来てそれまでの生きがいがうしなわれ、生きる目標を変えて行かなくてはならないときに、この問題が再び切実に心を占めることになる ・自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標にむかって全力をそそいで歩いているひと−いいかえれば使命感に生きるひとが一番生きがいを感じる人種である ・自己に対するごまかしこそ生きがい感を何よりも損なうものである ・人間の基本的な欲求は、生物学的な満足と社会的な安定 ・生きがいへの欲求というのは単なる社会的存在としての人間の欲求ではなく、個性的な自我の欲求である。オルポートのいう「プロプリウム的欲求」である ・マズローは、人間として一層ゆたかに、いきいきと生きようとするこの種の欲求を「成長動機」と呼んで、「欠如動機」から区別した。後者の場合には欲求不満による緊張を解除しようとする欲求がはたらくが、「成長動機」の場合にはむしろわざわざ一層の困難や努力を、すなわち一層の緊張を求める欲求がみられる ・生きがいの欲求の種類 ?生存充実感への欲求 ?変化への欲求 ?未来性の欲求 ?反響への欲求 ?自由への欲求 ?自己実現への欲求 ?意味と価値への欲求 ・仕事や労働というものがどんなに大きな役割を持っているか知れない。社会生活の上での失業はもちろんのこと、精神生活の上での失業はこの点でなお一層大きな不幸である ・プルーストが示しているように、私たちの現在をいわゆる「現実」以上にゆたかに充実させているものは記憶と想像力なのである ・生活に変化がなくなると人間は退屈する。それは精神が健康である証拠なのであって、心が病むと退屈は感じれなくなることが多い ・カミュのいう通り、「退屈な平和」は犯罪や戦争の危険をもはらんでいる ・かりに平和がつづき、オートメーションが発達し、休日が増えるならば、よほどの工夫をしないかぎり、「退屈病」が人類のなかにはびこるのではなかろうか(志村注釈→1966年時点での話ですが、現実化してます) ・生活を陳腐にするものにする一つの強力な力はいわゆる習俗である。生活のしかた、ことばの使いかた、発想のしかたまでマスコミの力で画一化されつつある現代の文明社会では、皆が習俗に埋没し、流されて行くおそれが多分にある(志村注釈→こちらももっと現実化してますな) ・ほんとうは、おどろきの材料は私たちの身近にみちみちている。少し心をしずめ。心の眼をくもらせている習俗や実利的配慮のちりを払いさえすれば、私たちをとりまく自然界も人間界も、たちまちその相貌を変え、めずらしいものをたくさんみせてくれる。わざわざ外面的に変化の多い生活を求めなくとも、じっと眺める眼、こまかく感じとる心さえあれば、一生同じところで静かに暮らしていても、全然退屈しないでいられる。 ・多くのひとは子孫とか民族国家とか文化社会、人類の進歩や発展に夢を託し、それらの大きな流れのなかに、その一部としての自己の未来性を感じ、それを支えに生きていく ・リントンは、他人からの、主として情緒的な反応を人間の基本的な根強い欲求だとしている ・テイヤール・ド・シャルダンによれば、共同世界は思想という「基質」であって、人間たちはその「基質」のなかに浸って生存し、分業と強力を通して互いに影響し合い、支え合い、人類という大きな有機体を作っているという。よって自己の生存に対する反響を求めるということは、人間の最も内在的な欲求と考えられる。 ・ひとは自分が世話になったひとよりも世話をしてやったひとのほうをこころよく思うものだ、という意味のことをリボーはいっている(志村注釈→報恩性のストレスですね) ・安定への欲求は、自由への欲求におとらず、あるいはむしろそれ以上に根づよい基本的な欲求である。精神身体医学的にいっても心身のあらゆるからくりは、この安定すなわちバランスを保とうとする方向に働くようにできている ・生物の系統発生的な進化の序列のなかで、あとから発生したものほどもろい、という一つの法則がある。おそらく主体的な自由への欲求というものは、系統発生的には安定への欲求より後になって現れて来たものである。安定への欲求は主として「旧い皮質」である間脳のほうに関係があり、自由と自発性への欲求は大脳皮質の中でも一ばん新しい前頭葉に関係があると考えられる。 ・自由には危険と冒険と、そして何しろ大変なことには責任が伴う。正直にいって、人間には、えらばないで済むほうがありがたいと思われることが少なくない。つまり人間には自由への欲求もあると同時に不自由への欲求もあると思われる(志村注釈→実はどんどんそういう傾向が強くなっています) ・グチこそが生きがい感の最大の敵 ・生きがいを求める心には、自己の内部にひそんでいる可能性を発揮して自己というものを伸ばしたいという欲求が大きな部分を占めている ・いきいきと、堂々と歩いて行くためには、どうしてもひとは自己に忠実に「そのあるところのものになる」必要がある ・人間はみな自分の生きていることに意味や価値を感じたい欲求がある ・生きがいは、いわば一種の無駄、またはぜいたくともいえる一面がある。この角度からみれば、ホイジンガのいう「あそび」の性格をおびているといえよう ・ふつうの人はほどんど自分でも気づかずに自分の心の世界のなかで自由に手足をのばして生きている。また自分が住んでいる世界がきゅうくつになれば、それをもっと住み心地のよいところにするために、意識的無意識的に、いろいろなものを求めてもがいたりする。そのとき他人や自分にむかっていろいろな理くつをつけるかも知れないが、ほんとうのところは自分が住むのにもっともふさわしい世界、つまりそのなかで一ばんのびのびできる世界を作ろうと努力しているだけのことかも知れない ・リボーによる情熱の4分類 ?個体保存への志向性に由来するもの →食通、飲酒道楽 ?種族保存への志向性に由来するもの →恋愛 ?個人の自我の拡張と権力への意志に由来するもの 1)共感によって表現されるもの →友情、家族的感情、母性愛 2)征服の形をとるもの →スポーツ・狩猟・冒険・かけごと・支配、名誉、名声への野心 ・所有欲・りんしょく 3)破壊的な形をとるもの →憎悪、怒り、復讐、しっと ?審美的、科学的、宗教的、政治的、道徳的欲求に由来するもの ・単に感動や衝動の烈しいひとは、情熱の持ち主とはいいがたい。一貫した情熱に貫かれるといった生き方よりも、その場その場での感情や衝動の波に動かされてしますため、波瀾万丈といった形をとりやすい。(志村注釈→「志」を持たない経営者に多いです) ・リボーのいうとおり「すべての情熱は、例外なく、死へと導きうるのである」 ・キルケゴール「女とは生きるよろこびなのだ」(志村注釈→男はつらい) ・自己に与えられた生命をどのように用いて生きていくかというその生き方そのものが何よりも独自な創造である ・人間が真にものを考えるようになるのも、自己にめざめるのも、苦悩を通してはじめて真剣に行われる。実存哲学のことばを借りれば、ただ「即自」に生きるのではなく、自己にむかいあって「対自」に生きる人間特有の生存様式がここにはじめて確立される。これこそ苦悩の最大の意味といえよう。この意味で「人間の意識をつくるものは苦悩である」というゲーテの言葉は正しい。苦しむことによってひとは初めて人間らしくなるのである。 ・「世界出世極ただ死の一事也。しなばしねとだに存ずれば一切に大事はなきなり。この身をあいし、命をおしむより、一切のさわりはおこることなり。あやまりてしなんよろこびなりと存ずればなに事もやすくおぼゆる也」(敬仏房) ・ポーラン 欲求や感情の社会化 == 神谷美恵子著『生きがいについて』 1966年に出版されたこの書は大変な名著である。 一冊分の備忘録は後でUPするが、 このなかで、「生きがい」の欲求の種類が分類されている。 ?生存充実感への欲求 ?変化への欲求 ?未来性の欲求 ?反響への欲求 ?自由への欲求 ?自己実現への欲求 ?意味と価値への欲求 の7つである。 この7つの欲求のいくつかを複合的に満たすものこそ、 「志」ある事業・商品・サービスとしてふさわしい。 ひとつひとつ噛み締めて、皆さんの事業・商品・サービスを 振り返ってほしい。 いくつあてはまる要素を持っているだろうか? 「インターネット」というものは、?〜?のすべての欲求を満たす。
0投稿日: 2019.05.31
powered by ブクログ時間がかかったが読み終えた。色んな論者の名前が出てくるけど、その名前に惑わされず、内容を読み取るように努力した。だけど、十分消化したとは到底言えない。 巻末の日記以降を先に読むのも良いかもしれません。巻末の坪内さんの指摘には赤面。次は坪内さんのお勧めに従い、「神谷恵美子日記」を読んで、また改めて「生きがいについて」に戻ってきたいと思います。
0投稿日: 2019.05.07
powered by ブクログ100分de名著 より。神谷美恵子 「 生きがいについて 」著者の深い人間洞察力、膨大な文献量により 生きがいを体系化した本。 著者が 生きがい研究で 伝えたかったのは 「人間の存在意義」「患者との壁を超える医師としての決意」と捉えた 「人間の存在意義は その利用価値や有用性によるものではない〜野に咲く花のように無償に存在している人も〜存在理由がある」 *人間の存在の価値は〜精神にある *生きがいの喪失=生存理由がない=闇→価値体系の崩壊 「病める人たちの問題は 人間みんなの問題である〜私たちは〜たえず新たに光を求め続ける」 *光=生きがい=生存理由→生存充実感など *求め続ける→著者が病める人たちと同じ立場にいる→医師と患者の壁を超えて共通意識化
0投稿日: 2019.04.07
powered by ブクログ現在までに読んだ本の中では生涯ベスト10に入る本。実用という意味においてこれ以上実用的な本を私は読んだことがない。
2投稿日: 2019.03.31
powered by ブクログ<学生選書コメント> 人は何のために生きているのかを考えさせてくれるので、 何か悩みがあった時や迷った時にオススメです。
0投稿日: 2019.03.04
powered by ブクログなんかの本の参考文献にあったから読んだ。 本でも言及されているように、本来普段考えないテーマで、人生に何か大きな転機があったり、死を意識する時に考えるテーマなのかもしれない。でもそれが物質的には豊かになった現代において問題になっているというのが皮肉だなと感じた。 まあでも、みんな色々と内側に抱えながら生活してるんだから、その辺のバランス感覚とか忘れる力ってのはバカにできないな。
0投稿日: 2019.02.20
powered by ブクログ時間のあるときに落ち着いて書こう、と思っていると、すぐに目の前のことで忙しくして、読書日記が書けなくなってしまう。 もっと、ちょっとした感想でもいいから簡単に書くことにして、なるべく読んでからあまり遅れずに、日記を書いていこう。 * * * * 久しぶりのブックレビューです。 しばらく前から、作家の小川洋子さんが毎週日曜日の朝に、TOKYOFMでオススメの本を紹介されている「パナソニック メロディアス ライブラリー」という番組を気に入って聞いています。 本書は、その中で取り上げられていて、興味がわいた1冊。 著者の神谷美恵子さん(1914〜1979)は、幼少期をスイスで過ごしたのち、精神科医になられた、「優秀」とう言葉では足りないくらい才気に溢れた女性。 本書は、彼女が瀬戸内海にあったハンセン病の療養所で行なった滞在・調査経験を軸に、執筆されています。 「生きがい」とは何か、自分にはなすすべのない出来事によって社会的な地位や人間関係を失ったとき、人を支えるものがあるとすればそれは何か、様々な精神医学の文献や、古今東西の文学作品を引用しながら、体系立てて考察されています。 文章がとても簡潔で読みやすい、というのが第一印象。 でも、「生きがいの特徴」「運命というもの」「人生の夢が壊れること」「価値体系の変革」など一つひとつの項目について、自分の人生と重なる部分もあり、理解が及ばない部分もあり。 読んでいくと、文章の上に自分の内面が映し出されていくような感覚があって、私は、果たして本当に生きがいを持って自分の人生を生きることができるだろうか? という問いがわいてきます。 今の私が読んで、心に残ったのは、「悲しみとの融和」という一節の中の次の文章。 「ここで注意をひかれることは、パール・バックが『中心をほんの少しでも自分から外せることができるようになった時』悲しみに耐えられる方向に向かったという点である。つまり自分のかなしみ、またはかなしむ自分に注意を集中している間は、かなしみからぬけ出られないということである。……ここではまさにこうした具体的な、短期の目標が必要であったのだ。それにむかって当座の注意とエネルギーがむけられる、そういう目標を設定することによって悲しみへの集中をふせげたのであった。」 実家の食卓に『生きがいについて』の100分de名著ムックがおいてあり、聞いたところ、母も若いときにこの本を読んだという。 私が、母くらいの年になって、この本をもう一度読んだら、どんな感想をもつだろう。 時間をおいて読み返してみたい一冊です。
13投稿日: 2019.02.17
powered by ブクログ最初はアカデミックな内容に頭が対応できずになかなか読み進めることができなかった。 しかし5章6章の生きがいがなくなった世界になるとそれはすごい読書体験をしているなと思った。この2つの章は文学だと思う。それほど人間の絶望とはどんなものかをらいに罹った人々を中心に説明している。 そして7章からはそこからどのように人がまた出発していくのかを書いているがこれも素晴らしい。 この章あたりから少し宗教に関する話が多くなるが、なるほど宗教というものは本来このように人々の信仰を得られるものなのかを僅かながら理解することができた。 面白いとはいえ自分にとってはなかなか難しい内容だったのでまた時間が経ったら読んでみようと思う。
1投稿日: 2018.11.13
powered by ブクログ愛生園で精神科に関わった著者が、「それまでの人生で築いてきたもの」を断ち切られた人たちの中にも生きがいを持ち続ける人と絶望する人がいることについて聞き取りなどから調査した本。所有してるものでさえ危ういのだから、生きがいは内面から湧いてくると。。。
0投稿日: 2018.11.11
powered by ブクログ・たとえ宿命的と形容されるような苦境にあっても、いっさいを放り出してしまおうか。放り出そうと思えば放り出すこともできるのだ。放り出して自殺やその他の逃げ道をえらぶこともできるのだ。そういう可能性を真剣に考えた上でその「宿命的」な状況をうけ入れることに決めたのならば、それはすでに単なる宿命ではなく、あきらめでもない。一つの選択なのである。そこにはもうぐちの余地はない。そしてぐちこそ生きがい感の最大の敵なのである ・未来においてより大きな自由を手に入れるために、現在の小さな自由を放棄し、覚悟の上で自らを不自由に拘束しておくというならば、そのような計画性と選択性には、やはり自由と主体性がひそんでいるといわなければならない ・「不幸な時にはできるだけしずかにしているのがいい。そして不満の感情はすべて抑えるほうがいい。というのは、こうした出来事のなかにどれだけの善いものと悪いものがふくまれているか、われわれには評価できないからである。また同時に、短気をおこしても何の助けにもならないからである」プラトン『国家論』 ・「中心をほんの少しでも自分自身から外せることができるようになった時」つまり具体的な短期の目標ができたとき、当座の注意とエネルギーがむけられることにより悲しみへの集中を防げ、悲しみに耐えれる方向に向かう ・自己の生命に対する防衛的配慮が一切必要でなくなったときこそひとはもっとも自由になる。自分のほんとうにしたいこと、ほんとうにしなければならないと思うことだけすればいい。そのときにこそひとはなんの気がねもなく、その「生きた挙動」へむかう ・同じ事柄でも、時代がちがったり集団がちがったりすれば、もうちがった基準で判断されているではないか ・病床に釘づけになているひと、四肢をうしない、視力さえうしなているひとにとって、精神というものが大きな意味と役割をもっている。文芸とか宗教とか何か精神的な生きがいを持っていうひとだけが、いきいきとした人間らしいものを保ちつづけている ・認識によって得られるよろこびとは、未知の世界を探検してえられるもの同質であろう。スペインの哲学者オルテガは、哲学的思索を通しえられるよころびを表現して、「前人未踏の沿岸が、われわれの眼の前にあらわれ出るとき、なんという歓喜がわれわれを襲うことであろう!」といった ・一個の人間として生きとし生けるものと心をかよわせるよろこび。ものの本質をさぐり、考え、学び、理解するよろこび。自然界の、かぎりなくゆたかな形や色や音をこまかく味わいとるよろこび。みずからの生命をそそぎ出して新しい形やイメージをつくり出すよろこび。こうしたものこそすべてのひとにひらかれている、まじり気のないよろこびで、少なくともそのどれかは決してうばわれぬものであり、人間としてもっとも大切にするに足るものではなかったか ・日常もっとも卑近ないとなみのうちにも、これを超える無限の意味を感じて、つきぬ興味を抱きつつ日を送る。こういう生きかたをするひとはふつう目だたないが、世のなかのあちこちで縁の下の力もちをつとめている
0投稿日: 2018.11.04
powered by ブクログオーディオブックで読了。 著者は精神科医として岡山県のハンセン病療養施設・長島愛生園に勤務し、多くの著作をのこした神谷美恵子氏。 何故生きるか、どの様に生きるか。 誰もが一度は通る(と思っているけど、違ったらゴメン)この問いに対して、著者の深い洞察と豊富な人生経験から著者なりの「生きがい」という形にまとめられている。 本書に書かれている生きがいについても、色々学ぶべきコトがあるのだけど、僕個人としては「この様な仕事ができたらなんと幸せだろう」というのが最初にふっと湧いてきた率直な感想である。 僕自身、子供が生まれてこの方生きがいについて思い悩んだことがないのだけど、独り身で仕事に忙殺される毎日を過ごしていたときはどこか心に空虚感を感じていた。 生きがいというのは、自由だから、健康だから、お金があるから良いというものでもなく、じゃあ大病を患えば生きがいを感じられるかと言えば、そういうことでもない。ましてや、心の持ちようなどという、安直な物でもない。 日々の何気ない、それでいて掛け替えの無いちょっとした幸せ。僕にとってはこれは生きがいを構成する大切な一つであるが、やり甲斐のある仕事や、周りからの評価、一定水準以上の知的生産活動などができていることもまた、生きがいである。 生きがいというものが人の数だけあるとして、それを一冊の本に「生きがいについて」とまとめきるには、どうすればいいのか皆目見当も付かない。なので、僕はこの本に触れたとき、真っ先に著者に対して「いいなぁ」と羨望の想いを頂いたのであろう。
3投稿日: 2018.10.14
powered by ブクログ付箋だらけになった。 とくにぐっときた最後の文章。 「人間の存在意義は、その利用価値や有用性によるものではない。野に咲く花のように、ただ「無償に」存在しているひとも、大きな立場からみたら存在理由があるにちがいない。自分の眼に自分の存在の意味が感じられないひと、他人の眼にもみとめられないようなひとでも、私たちと同じ生を受けた同胞なのである。もし彼らの存在意義が問題になるなら、まず自分の、そして人類全体の存在意義が問われなくてはならない。そもそも宇宙のなかで、人類の生存とはそれほど重大なものであろうか。人物を万物の中心と考え、生物のなかでの「霊長」と考えることからしてすでにこっけいな思いあがりではなかろうか。 (略) これらの病めるひとたちの問題は人間みんなの問題なのである。であるから私たちは、このひとたちひとりひとりとともに、たえずあらたに光を求めつづけるのみである。」
2投稿日: 2018.09.27
powered by ブクログ長く読まなければと思っていながら読めていなかった。それは「苦界浄土」と同じで、100分で名著で取り上げられたのを機会に、重い腰を上げてやっと読み始めた。全般的に哲学者の引用などが多いのが気になる。愛生園での取り組みをもっと中心にすえて書かれたらよかったように思う。何度もレビューに登場しているが、父は現在老人病棟に入院中である。退院の予定はない。父にとっての生きがいは何であろうか。いや、はたして生きるために生きがいは必要なのだろうか。最後の数行を引用する。「人間の存在意義は、その利用価値や有用性によるものではない。野に咲く花のように、ただ「無償に」存在しているひとも、大きな立場からみたら存在理由があるにちがいない。自分の眼に自分の存在の意味が感じられないひと、他人の眼にも感じられないようなひとでも、私たちと同じ生をうけた同胞なのである。もし彼らの存在意義が問題になるなら、まず自分の、そして人類全体の存在意義が問われなくてはならない。」50年以上前に書かれた文章が、いま社会で起きているゴタゴタを一瞬で黙らせる力があるように思える。
2投稿日: 2018.08.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「100分de名著」でも取り上げられたようだが、まずは他の人の解説を読む前に自分で読んでみることにした。 本書は、神谷美恵子氏の研究論文的な著作だ。 著者が「生きがい」ということについて、らい園(ハンセン病療養施設)で暮らすらい病の患者さんの暮らしぶりを実際に見、その声を聞き、あるいは不治の病を患った患者さんの言葉や、死刑囚らの言葉を聞き、人の「生きがい」ということについて様々な角度から考察し、まとめられた書である。 なんと本書をまとめ上げるのに7年もの期間を費やしたという。それほどこの研究に対して、強い思いがあったということだ。 章レベルの目次タイトルを列挙してみる。 1 生きがいということば 2 生きがいを感じる心 3 生きがいを求める心 4 生きがいの対象 5 生きがいをうばい去るもの 6 生きがい喪失者の心の世界 7 新しい生きがいを求めて 8 新しい生きがいの発見 9 精神的な生きがい 10 心の世界の変革 11 現世へのもどりかた 「生きがい」というものの実態を読者にイメージできるようにし、究極的には人が「生きがい」もって生きていける方向性を指し示そうとされているのだと自分は理解した。 本書の「はじめに」で著者は言っている。 「わざわざ研究などしなくても、はじめからいえることは、人間がいきいきと生きて行くために、生きがいほど必要なものはない、という事実である。それゆえに人間から生きがいをうばうほど残酷なことはなく、人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない。」 著者は、初めてハンセン病療養施設を訪れた際に衝撃を受け、それをきっかけに医学の道へ転向したという。 生きがいを奪われてしまった人々に、生きがいを与えたいという強い思いが、著者の生き方から伝わってくる。 強く思うだけでなく、それを自身の人生において実践行動に移し、その生き方こそが自身の「生きがい」であると述べている。なんとも高邁な生き方だ。 著者は、「生きがい」を喪失してしまうのが当たり前と考えられるような環境の中にも、「生きがい」を見出し生きている人がいることを知る。また、一度は喪失してしまった人でも、あることをきっかけに変革体験を経て、「生きがい」を見出す人がいることを知る。 「生きがい」を感じるのはどういうときなのか? どういう人が一番「生きがい」を感じるのか? ある頁では、「自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標に向かって全力を注いで歩いている人・・・使命感に生きる人ではないか」と著者は述べている。 本書を読むことで、読者としては、自身に「生きがい」というものが存在するのかを検証したくなるものだ。 正直のところ、その検証結果は未だあいまいに感じるが、少なくとも「生きがい」を喪失していない現状に「ありがたい」という気持ちを感じる。 もしも喪失するような出来事に遭遇してしまったときにも、新たな「生きがい」を見出せる心の変革が可能であると信じることできる。 何より、著者自身が自分の生き方を通じて、「生きがい」ある人生の証明をしているかのようにも感じられる。
1投稿日: 2018.08.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
☆本書のメッセージ あなたは、生きがいを見出すことができる。 ●本の概要 この本に書かれている生きがいとは、そんなに分かりやすいものではない。様々な人の苦悩、葛藤、戦い、研究、論説、そういったものを紹介しながら「生きがいとは何か」について迫った、人の魂の集約のような本。著者はハンセン病患者との交流から、人々は何に生きがいを求めるか、どのようにして生きがい感を感じ取ることができるのか考えた。四肢の自由を失い、視力を失ってもなお、舌で点字を読み、豊かに生きようとする人がいる。その一方で、ハンセン病であると判明してから、何もかもやる気を失い、地に落ちたように日々をただ過ごす人もいる。その人達は、どのようにしてそう考えているのか。なぜ、そのような思考に至ってしまっているのか。身体の自由や社会との繋がりが奪われてもなお、生きがいを見出すことの難しさを記述する一方で、「人はどんな状況に陥ったとしても生きがいは見いだせるんじゃないか」というような光明を与えてくれる、含蓄のある本。「夜と霧」と合わせて読みたい。 ● ●本の面白かった点、学びになった点 ・人は身体的には不自由になりうる。しかし、その精神活動はどこまでいっても自由なのだ。 ・ゲーテ「人は苦悩によって考えるようになる」 ・ ●本のイマイチな点 ●具体的なアクションの仮説&学んだことをどう活かすか ・生きがい感とは社会と人との繋がりを感じることではないだろうか。広島の原爆被害者が、社会に怒り、悲しんだとしても、その生を保ち続けられるのは「私の存在によって社会、世界がその過ちを実感し、学ぶことができるだろう」という、自己認識の説明をするからである。自分の四肢がどのようになろうとも、これから死ぬことになろうとも、自分と社会のありかたの説明の仕方は自分で選ぶことができる。シンガポールで獄中死した日本兵の書紀にも「私の死によって、国の犯した罪に少しでも報いることができるなら、何も不満はない」と言った。孤独な監獄における死を、社会との繋がりの中で捉えて見せたのである。 私が、たとえ、どのような状況に陥ったとしても、このことを忘れずにいたいと思う。
0投稿日: 2018.07.10
powered by ブクログ18/03/25。若松英輔さんが、一冊だけ選ぶとしたら、『苦海浄土』も捨てがたいがこれにすると言ってました。
0投稿日: 2018.03.25
powered by ブクログ過去の日本においては、社会的に抹殺されていたに等しかったハンセン病患者に寄り添ってきた著者の、彼らに対するまっすぐな視線と考察から得られた、絶望の淵に立たされても生きるということ、そこに芽生える生きがいについて綴られた本。 自分探しや自己啓発の本として手に取るような、そんな生易しい本ではないので注意。
0投稿日: 2018.01.26
powered by ブクログ神谷美恵子氏(1914~1979年)は、精神科医にして哲学書・文学書の翻訳者、エッセイストである。 神谷氏は、内務省のエリート官僚だった父の転勤で小学校時代をジュネーヴで過ごし、帰国後津田英学塾に進学したが、オルガン伴奏者として初めてハンセン病療養所を訪問したことをきっかけに、また、自身が結核を患ったこともあり、医学の道を望むようになったものの、当初は父の反対にあった。その後、父の再度の転勤で渡米し、コロンビア大学大学院で古典ギリシア文学を学ぶが、在米中に遂に父から医学部進学の許しを得、コロンビア大学医学進学課程に進み、帰国後は東京女子医学専門学校へ編入した。卒業後は、神戸女学院大学や津田塾大学の教授として、精神医学やフランス文学の講義を行い、その間には、マルクス・アウレリウスの『自省録』をはじめとする哲学書・文学書の翻訳や、本書を含む作品の執筆など、幅広い実績を残している。 本書は、著者が1957年に開始した瀬戸内海の長島愛生園におけるハンセン病患者の精神医学調査に基づいて、「生きがいとは何か」を問うた作品で、1966年の発刊から半世紀を経て読み継がれるロングセラーである。 著者は本書で、1.生きがいということば、2.生きがいを感じる心、3.生きがいを求める心、4.生きがいの対象、5.生きがいをうばい去るもの、6.生きがい喪失者の心の世界、7.新しい生きがいを求めて、8.新しい生きがいの発見、9.精神的な生きがい、10.心の世界の変革、11.現世へのもどりかた、という項目を立てて、ハンセン病に罹患した人々の精神の変化をもとに、「生きがい」というものを俯瞰し体系化しようと試みているが、加えて、広範な読書歴を背景に古今東西の多数の哲学者・文学者の思想が引用されており、「いかに生きるか」を考える上で、普遍性が高く、密度の濃いものとなっている。 印象に残るフレーズは限りなくあるが、ひとつ挙げるなら以下の部分であろうか。 「死刑囚にも、レプラ(らい病)のひとにも、世のなかからはじき出されたひとにも、平等にひらかれているよろこび。それは人間の生命そのもの、人格そのものから湧きでるものではなかったか。一個の人間として生きとし生けるものと心をかよわせるよろこび。ものの本質をさぐり、考え、学び、理解するよろこび。自然界の、かぎりなくゆたかな形や色や音をこまかく味わいとるよろこび。みずからの生命をそそぎ出して新しい形やイメージをつくり出すよろこび。-こうしたものこそすべてのひとにひらかれている、まじり気のないよろこびで、たとえ盲であっても、肢体不自由であっても、少なくともそのどれかは決してうばわれぬものであり、人間としてもっとも大切にするに足るものではなかったか」 「生きがい」の見出しにくい今こそ、改めて読み返される価値のある一冊ではないだろうか。
6投稿日: 2018.01.14
powered by ブクログ本の中に自分を見つけました。 たくさんの私の断片に出会いました。 うつ状態で酷く酷く落ち込んでいる時。何も未来のことなんて考えられなくな絶望している状態。 そんな、誰にも説明のしようのなかった状態のわたしの心情が、事細かにコトバにされていました。 ああ、こんな風だった。 と、自分を客体化することができて、そして何より一人ではない気がして、とても救われました。 特に、人に話すことについての効用について、コトバにすることで自分の感情を客体化して切り離すことができる、というコトバに勇気をもらいました。わたしは人に相談を持ちかけられても、なかなかうまく答えることができないし、建設的なアイディアを出せないから。聞いてあげるだけで良いんだな。と自信を得た気分です。 この本は、また読み返したい。
1投稿日: 2017.10.07
powered by ブクログ普段あまりちゃんと考えたことが無いが、確かに明確なモノがあると(言えると)人生にはりが出そうだ。 私の生きがいとは何かを考えてみた。 ・子供たちの笑顔、成長 ・妻の笑顔 ・自分の成長 周りの人を笑顔にする事なのかな、それにはまず自分が笑顔でいなければならない、手をさしのべる余裕が無くてはならない。 【学】 お金のためではない、お金にならない仕事をする楽しみ 1,自分の生存は何のためか、または誰の為に必要であるか 2,自分固有の生きていく目標は何か。それに忠実に生きているか 3,以上あるいはその他から判断して自分は生きていく資格があるか 4,一般に人生と言うものは生きるに値するか
0投稿日: 2017.09.26
powered by ブクログフーコーが晩年にたどり着いた境地が、マルクス・アウレリウスの「自省録」。で、その岩波文庫版を訳しているのが神谷美恵子で、この人は、フーコーの「臨床医学の誕生」の訳者でもあって、なんだか面白いなー、などと思いながら、「生きがい論」「幸福論」として著名な「生きがいについて」(初版1966年)を読んでみた。 おー、なんだか久しぶりに実存主義!という感じだ。引用されるのが、ヤスパース、サルトル、ヴェイユといったところが多い。 が、古いという感じは全くない。 内容的には、哲学や心理学の諸外国の成果を踏まえつつ、自身のらい療養院での経験をふんだんに盛り込んだ、とても根源的な人間論になっている。 最近、ポジティブ心理学などで注目されるようになった「幸福」「充実感」「フロー」などとの議論とも、とてもうまくかみ合っているし、たんに、ポジティブエモーションというだけでない、人間の本質への洞察が素晴らしいものがあると思う。 それにしても、この人の活動量には、驚くな。最初は、文学をやっていて、西洋古典などを勉強し、その後、医学部にいって、精神科医になる。そして、大学で教鞭をとるかたわら、らい療養院に通っている。さらに、「自省録」を訳し、フーコーを訳し、ヴァージニア・ウルフを研究し、こうして本も書いている。(本を書く時の集中力、情熱がすごい)そして、家庭の主婦でもあった。そして、この本の付録についている執筆日記を読むと、さまざまな洋書(英語、フランス語、ドイツ語)を次々と読んでいて、さらには、ピアノでバッハを弾いたり、いろいろしている。 あー、そのうちの一つの仕事も自分にはできないだろうなー、と思うと、嫌になる。というか、スゴい人は本当にスゴいなと驚嘆するしかない。 しばらく、神谷美恵子の他の作品も読んでみる事にする。
6投稿日: 2017.04.30
powered by ブクログつい最近、思いもよらないことや思いどおりに行かないことが度重なって精神的にとてもきつかったので、自分を励まし支えてくれる言葉を求めて何か本を読もうと部屋の本棚を眺めながていると、ふとこの本のタイトルが目に止まり何十年ぶりかに手に取って再読。 この本は、精神科医である著者が瀬戸内海の国立療養所長島愛生園でらい病患者に出会ったことをきっかけに、 人間がいきいきと生きていく上で最も大切な生きがいとは何か、それが失われたとき人はどのような世界に直面することになるのか、そしてその絶望的な状況から人はどのように再び立ち上がることができるのか等について俯瞰的網羅的に考察した学術書である。したがって、個人的な悩みについてこうすべきであるとか、こうすればこうなるといった人生相談的なノウハウ本とは一線を画する。しかし、著者は単なる研究者ではなく、らい病患者に対し「なぜ私ではなく、あなたが?」という問いを胸に彼らの生活に寄り添ってきた実践家でもあったので、ひとつひとつの言葉の背後に悩める人たちに対する共感と温かい眼差しを感じることができる。 この本を読み終えて、私自身何か具体的な答えを与えられたわけでもないのに、自分の置かれている状況を俯瞰的に眺めることができたことと、自分より遥かに絶望的な状況の中で希望や生きがいを持って生きている人たちがいることを再認識したことと、そして著者の温かい眼差しを感じることで、改めて自分の道をしっかり歩いていく勇気をもらえたことは確かです。
2投稿日: 2017.03.05
powered by ブクログ安易に感想なんて書けない、ものすごく深く広い世界。 何度でも読み返したい。 辛い経験をしてこれからどう生きていったらいいのか分からず途方に暮れている人に是非読んでもらいたい。
1投稿日: 2016.04.05
powered by ブクログあまりに素晴らしい文章だ。今まで日本人で読んだ中で一番素晴らしい文章かもしれない。 苦悩のプライヴァシを侵害する不愉快な調査に応じ、苦しい呼吸の中から色々語ってくださった方。 人間が生き生きと生きていくために生きがいほど必要なものはない。それゆえ人間から生きがいを奪うほど残酷なことはなく、人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない。 生きがい、生存理由。 ゆえにある人に真の喜びをもたらすものこそその人の生きがいとなりうる。 岡潔にとっては研究が最大の生きがい。 ウォーコップ、人間の活動の中で真の喜びをもたらすものは目的、効用、必要、理由など関係ないそれ自らのための活動。 子供には遊びこそ全人的活動、真の仕事、天職。 快楽のみでは生きがいにはならず、そこに人格のもっと重要なものが満たされる必要がある。 喜びの際立った特徴。ウィリアムジェイムズによれば不思議に利他的な気分を生みやすい点。生きがいを感じている人は他人に対して恨みや妬みを感じにくく、寛容でありやすい。繊細な神経の人は自分の幸せに罪悪感を感じやすい。 生存充実感ー毎日の生きている時間の内容がぎっしり詰まっている、時間の流れに対する適度の抵抗感もなくてはならない。するするすぎる時間は意識にほとんど跡を残さないからである。 目標が到達されるかどうかは真の問題ではない。一つの目標が到達されると無目的の空虚さを恐れるように次の目標を立てる。結局人は無限の彼方にある目標を追っている。 苦労してえたものほど大きな生きがい感をもたらす。 生きがい感の中に自我感情が含まれていることは明らか。自分が邪魔ものとして扱われているか、かけがえのない存在として扱われているか、その差を敏感に感じ取る。 人が仕事を選ぶときも生きがい感を大切にするなら世間体や収入より「なるべく自分でなければできない仕事」を。 人生で何度か立ち止まって生きがいを考える。 ー自分の存在はなんのため、または誰かのために必要であるか ー自分固有の生きていく目標は何か。あるとすればそれに忠実に生きているか。 ー以上あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか ー一般に人生は生きるのに値するものか。 あなたの存在が必要です、という感覚が生きる理由になる。 もっとも生きがいを感じるのは自分がしたいと思うことと義務とが一致したとき。 使命感 エネルギーが余って闘志満々の人はその力量にふさわしい困難な対象に惹かれるだろう。 シュバイツァー 使命感に目覚めたのは21歳だったが自分の幸福な境遇に比べて周囲にあまりに多くの苦しんでいる人がいるため不可解に思った。 自分は30までは学問と芸術のために生きて良いとするが、それ以降は人類への直接奉仕に身を捧げよう。個人的な独立的な活動。コンゴ医療伝道への呼びかけ。 かつての自分との約束を果たすもの。その約束を果たさなければ、たとえ世にもてはやされても自己に合わせる顔がなくなり、自分の生存の意味を見失うだろう。 ミルトン:大学を卒業してから6年間も静かな田舎に立てこもって読書と思索に耽り小説をかいた。 生きがい喪失者の心 このような危機的状況におかれた人間は虚無の世界からの脅威におののく単なる一個の生物にすぎない。あらゆるエネルギーは自己を防衛することにすぎない。自由は失われ、個性は窒息し、もはや人格といえない存在になる。急激な生きがい喪失者はみな似たような姿をしている。このパニックがひどければ世界没落感、幻覚、妄想が生じる。 価値体系さえも崩壊する。ホワイトヘッドのいう象徴的関連付けの能力も失うだろう。symbolism its meaning and effect 知覚自体も変化し、ものの形も意味も曖昧になり全ては異様な、馴染めない相貌をしてくる。いわゆる離人体験や疎外感もここから理解できる。何が良くて何が悪いかわからなくなった、という。骨組みと支柱を失った心の世界はバラバラで支離滅裂。 魔法のような目には見えないが不透明性の壁がいけるものから私を隔てていた。私のまわりの男や女は単なるイメージにすぎなかった。 みんなの喜びや悲しみが自分には少しもピンとこなくなってしまった。もはや何一つ心に訴えるものがなくなってしまった。同じ病を抱えている人といれば孤独感が和らぐ。 患者は一種の特権意識を持っている。否定意識は全ての外なるものを否定しても自己だけを最後の拠り所にしていればまだ戦える。自己にこもって自閉という姿勢をとることもできる。 否定している外側を自分のうちに発見したとき、戦いは内的なものに変わる。 全て生きがいを失った人の意識において心と体がバラバラになる傾向がある。生ける屍。 特別外部の影響がなくても生まれつきに自嘲的、虚無的な人もいる。精神的苦痛は他人に打ち明けることでましになる。大事なのは苦しみの感情を概念化し、言葉の形にして表出するということが苦悩と自己の間に距離を作るからではないだろうか。いうにいわれぬ苦しみをいい表そうとするとき人は非常な努力によって無理にも苦しみを自分から引き離しこれを対象として眺めようとする。誰かが眺めてくれれば客体の度合いが大きくなる 悩みは実体がはっきりすればその圧倒的なところが減ってくるものらしい。ただ黙って悩みを聞いてくれる人が必要である。 黙って悩みを聞いてくれる人がいないとき危険。この精神内の圧力を減らさないと精神的破局ー自殺や精神病理的反応を来すおそれ。どうしても苦悩を打ち明ける人がいないとき、文章をかくと楽になる。これは文学の原動力。 もし新しい出発点を発見しようとするならば苦しみは徹底的に苦しむしかない。 深い悲しみを経験した人は他人の悲しみや苦しみにもすぐ共鳴して鳴り出す弦のような作用を持つ。これは現世や自己に対する一種のニヒリズムを醸し出し、現世の事物や人間との結びつきを緩くするから、そこに愛の心の生み出す暖かさが不足すると冷たいシニズムや皮肉な態度や厭人的な心が生まれるのではないだろうか。しかしそこに暖かさがあればここから他人への思いやりが生まれる。 この悲しみを知っている人とそうでない人には大きな差がある。悲しみには和らげることができるものとそうでないものがある。後者は生活をも変化させ、悲しみ自身が生活になってしまうような悲しみ。 自己を含めて人間存在の儚さ、もろさをみにしみて知っているからこそその中でもなお伸びてやまない生命の発芽力をいとおしむ心。そのいとおしみの深さは経てきた悲しみの深さに比例している。 自殺一歩手前で踏みとどまらせるもの ウィリアムジェイムズ 単純な好奇心 憎しみや攻撃心(これが一番強い) 名誉心 自殺、犯罪、デカダンに陥る人の共通点。 気が短く、世界と時間に対して見切りをつけている。 光を見た後には社会貢献や宗教か芸術文学に行くのがよくある道なのであるな。ロールモデルロールモデル。 なんども読み直したい一冊
1投稿日: 2015.11.28
powered by ブクログ医学生へのおススメ本としてあったので一読。たくさんの研究の集大成とでもいえる言葉、そして、実際に生きがいを失った人との交流、そこから生きがいを見いだして這い上がった人たちとの交流を通じて得られた言葉の数々。 将来私自身もうつや行き詰まった人たちと接して行く際にヒントになるような言葉がたくさんある。また読み返したい。 「自分は、今体がどんな状態にあっても、どんな状況にあっても、生きていることは世界にとって意味があることなのだ。」と思う意味はとてつもなく大きい。 特に文盲の死刑囚の言葉に感銘を受けた。徹底的な孤独からわき起こった自然をお友達として愛でる心。さびしさを癒してくれる草花。自然は人間を癒してくれる存在。
0投稿日: 2015.09.09
powered by ブクログ引用 生きがいを感じているひとは他人に対して妬みや恨みが感じにくい。なぜなら、自分より幸せな人々に対するひそかな憎しみの念が入り込む余地がないから。 自己と他を同時に伸ばすのは無理。真の愛は他の生命を伸ばそうとするものだから、なんらかの意味で自己を削らないと真の愛とは言えない。 恨みや憎しみをもつ人ほど、他人とのあたたかい心の交流を求める気持ちが烈しく蠢いている。 不幸な時はできるだけ静かにしているのがいい。そして不満の感情はすべて抑える方がいい。というのは、こうした出来事のなかにどれだけ善いものと悪いものが含まれているか、われわれには評価できないからである。 話は終始抽象的で観念的。
0投稿日: 2015.02.09
powered by ブクログ1960年代には、「生きがいについて」など抽象的な概念を真剣に考え文に書く人がいて、またそれを読む人がいたのだ。 現代では、考えられない気がする。 日本人も時代とともに精神構造が変わってしまったのかもしれない。 視覚中心の世界となり感覚的に判断し、抽象的なことを考えることができる者が少なくなってしまっているように思う。
0投稿日: 2015.01.24
powered by ブクログ「生きがい」この言葉を、日々を送る中で殊更に意識することは、あまりないのかもしれない。 しかし、ひとたび生きることの苦悩に遭うと、生きている意味や価値を問うだろう。 神谷美恵子さんのこの本は、生きがいとは何か、から始まり、生きがいの喪失から新しい生きがいの発見について、わかり易く論じている。ハンセン病療養施設の方々の心の状況も伝わってくる。 読んでみたかった本。ハンセン病療養施設について、もっと知ってみたいと思った。 そして、わたし自身の生きがいはなんだろうと考える。「積極的な生きがいとしての宗教」の項は興味深かった。わたしにとって信仰は生きがいと呼べるようなものになっているだろうか。日常生活に押しつぶされ、副次的なものとなってはいないか。最も大切なものを隅に追いやってしまわないように、見えないものに目をとめよう。
0投稿日: 2015.01.11
powered by ブクログ[関連リンク] 人生の一冊『生きがいについて』批判: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2014/08/post-e7e5.html
0投稿日: 2014.08.19
