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知と愛(新潮文庫)
知と愛(新潮文庫)
ヘルマン・ヘッセ、高橋健二/新潮社
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総合評価

49件)
4.3
24
13
6
0
1
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    このレビューはネタバレを含みます。

    就学生の頃教科書で読んだ「少年の日の思い出」を書いたヘルマン・ヘッセが気になり、あの物語を書いたヘッセが「知と愛」という題名でどのような物語を書くのか気になり読み始めた。 一回しか読むことができていないため浅い感想になってしまうが 知を表すナルチスと愛を表すゴルトムントが初めて出会ったときはナルチスが修道院という俗世間から隔離された環境において神意をより理解していたと思われる。しかし、3度目に合うときはゴルトムントが愛や死、飢え、芸術、病、衰えを経験しており死さえも受け入れる心境になり、ナルチスですら理解できない考えを持っていた。そんな正反対な中でも互いに尊敬しあっている姿に感動した。

    12
    投稿日: 2024.03.31
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    かなり好き。 原題は、ナルチスとゴルドムント。 ふたりの対比が美しく、知性だけだど人生の主役にはなれないかもなぁと感じた。

    3
    投稿日: 2023.11.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

     精神を求め知に奉仕する神学者のナルチスと愛欲を求め美に奉仕する芸術家のゴルトムントの友情の物語。そうは言っても、ナルチスは元々始めからほとんど完成されており、ナルチスがゴルトムントの気質を見抜き芸術家としての道を示した後は、ゴルトムントが思いのままに放蕩し芸術とは何たるかを理解し芸術家に至る成長の物語がメインとなる。  ナルチスとゴルトムントの会話がお互いに下地となる思想と感情に根差したものになっており、それぞれの微妙に噛み合ってなさなどが表現されていて、議論のシーンは読んでいて楽しかった。また、心情描写がとても素晴らしく、ゴルトムントが自分の気質に気付くシーンやリディアとの交友のシーンなど、読んでいるこっちがいじらしくなるような気持ちになった。特にリディアとの仲を深めていって、少しずつ態度が変わっていく描写はこの物語で一番好きなところだった。後、最後にナルチスにとってのゴルトムントに対する思いが述べられたところも好きだった。  ただ、ゴルトムントは魔性だったので、リディアやレベッカといった一部の人を除いてだが恋愛無双していて共感がしにくかったり、年を取って古典の良さが分かるようになるといった芸術家としての成長はあるものの、ペストによる人々の変化の恐怖を味わった後でさえ自分の愛欲を求める態度のせいで捕まっても多少の反省もなく生き汚さを発揮していたりと人間的ないわゆる成熟さみたいなものを獲得することがなく、今の価値観とは違うところを感じた。それが真の芸術家というものなのかもしれないが。加えて、訳された時代のせいなのか、それとも元々の文章がそうなっているのかもしれないが、会話文にぎこちなさを感じ、特にゴルトムントが口説く会話に対し薄ら寒さを覚えてしまったのは残念だった。

    7
    投稿日: 2023.09.25
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    「知」をもって「愛」を知るナルチス 「愛」をもって「知」を知るゴルトムント 読み終わって見ると素敵な言葉すぎる、、 慣れない文体に最初は読むのに苦労しましたが、自分なりに解釈し楽しく読めました。 こんな真逆の2人が語り合い、理解し合う姿に何度も心打たれました 「道の上の1匹の小さな虫が、図書室全体のすべての本よりはるかに多くを語り含んでいる」と言うゴルトムントに対し、 「存在するものを愛し、可能なものではなく、現実のものを愛する。自然にさからってだけ生きることができる」と言うナルチス 一見、型に収まった生活をするナルチスより、自由で愛欲のままに生きているゴルトムントの方が幸せなのでは無いかと感じるけど 結局どっちがいいかなんてわからない、、 少なくともこの2人の関係はお互いの人生にとって、強い刺激を与えたんだろうなと思う。 海外文学は読むのが初めてだったので、理解するのが難しかったです。 現代風に悪く読むのであれば、キリスト教神学を学ぶけど、女の子と遊ぶ楽しさを知って学校を出て放浪し、たくさんの女の子を見て愛を知り、彫刻を学び年月を経て学校に戻ってくる。 最初はこんな解釈をしてしまって、、 何回も読み直してもっと素敵な読み物にしたいです。

    6
    投稿日: 2023.03.12
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    やっぱりヘッセの小説には女性的・母性的なものへの憧れやコンプレックスが満ちている。真面目な人だったんだろうな。

    0
    投稿日: 2022.04.14
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    『目標はこうだ。 自分が一番よく仕えあるところに、 自分の流儀や特性や天分が 最上の地盤と最大の活動の分野を 見出しうるところに、 常に自分を置くことだ。』 ここの部分がすき。

    0
    投稿日: 2022.01.08
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    原題は『ナルチスとゴルトムント』。知と精神の世界に生きる師ナルチストと、愛と芸術の世界に生きるゴルトムントを描く。ゴルトムントは修道院に入って神に帰依するはずだったが、ナルチスの影響により、愛や芸術の世界に目覚め放浪の旅に出る。清く正しい世界を目指した者が愛欲に溺れ廃退していく姿に、正直戸惑いはあった。しかし、自らの意のままに強欲に生きる姿に不思議と羨望も感じる。人生とはなんなのか、人間の本来あるべき姿とはなんなのか、そのようなことをゴルトムントの姿に重ねながらじっくり味わえた作品である。

    30
    投稿日: 2021.11.25
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    ヘッセの人生というのは、常に知性と感覚のせめぎ合いだったのだろう。この激しい二項対立を抱えて生き続けたと言ってもいい。知るとは何だ。目の前にあるこの美しい景色を感じるこの心はなんだ。彼は幼い時からそう思う心を非常に大事にしてきたに違いない。彼にとって学問は感覚抜きに行われる、純粋に抽象的なものであったのだろう。なぜ、感じられもしないそんなことをしなければならないのか。どこまでも素直な彼にとって、こんな理不尽なことはない。彼はそうして何もかも捨てて飛び出していくのであった。 旅に生き、流れのなかに生き、とめどないひとの世でさすらうということは、別れが必然であり、定住はできない。ひとが好きなのに、ひとと別れねばならない。ずっと一緒にいられればいいのに、心がそれを望まない。そんなせめぎ合いの中、ゴルトムントは何を残せるのかと問い、ついに芸術というものを知る。しかし、その芸術さえも超え、ついに形而上の世界へ飛び出してしまうのだった。生きているということは、それ自体不思議で、魂は不滅なのだと彼は気付いたのだろう。そんな彼の生き様を抱えて、ナルチスは生きていかねばならないのだ。ナルチスの選んだ道はそういう生き方でしかないのだ。かくしてふたりは結局わかりあうことはなく、ゴルトムントはナルチスを置いてひとり旅立っていく。 多分に『デミアン』や『シッダールタ』で培った精神分析や、諸行無常観が取り入れられている。ヘッセにとって、そうした考え方にどこかひかれるところや、新しい境地を見出したのは間違いないようだ。おそらく、二項対立という考え方をどうにかして乗り越えようとしていたに違いない。ずっと愛したい、けれど限りある命だからずっと一緒にはいられない。ここではないどこかへ行きたい、けれど安住の場所などなく、どこにもいられない。それならば、なぜ自分は今こうして生きているのか。それはすべてを生みだした母なる原型に帰るためなのだ。これこそ悟りであり、人間の目指すべきところではないか。彼はそう感じていた。 いい意味でも悪い意味でも、ヘッセはいわゆる西洋的な信仰に裏打ちされて生きてきたゆえの発想なのだとは思う。しかし、知と愛はそれほどまでに対立するものなのか。「知る」ということと「感じる」ということはそれほどに違うのか。終盤ゴルトムントも触れており、ナルチスも気づいているが、心象のない思索というのはありえない。形式と内容というものはどうあがいてもそれ単一では存在しえない。形式のない内容、内容のない形式、そんなものはおおよそあり得ないのだ。 二項対立という現象自体、そもそも、それを見出す第三者の存在なしにはありえない。二項対立を作りだすのは他でもない、この自分だ。内容と形式を分けているのは、他でもない内容と形式を併せ持ったこの自分でしかない。『シッダールタ』でみられたあの一体感というものが、この『知と愛』ではまったく感じられないのは、おそらく、この辺についての考察がヘッセ自身煮え切っていないからなのだと思う。母の姿を持たなくとも、ひとは愛だとか、死ということばを先に持ってしまっているのだ。その母という原型さえも、ことばの存在ありきでないといけないのだ。ほんとうに原型に帰るのなら、ことば自体を成り立たせている、ことば以前の存在を感じているはずではなかったのか。ゴルトムントはその生涯を終える際に、あのようなうわ言ではなく、ことばにならない叫びをあげるか、静かに何も語らず従容と消えていくべきではなかったのか。そう思わずにはいられない。

    1
    投稿日: 2016.08.21
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    正反対の人格を持つナルチスとゴルトムントがお互いに惹かれ合い、支え合う。次々に新しいことが起こるストーリーに引込まれた。長さもあり、18世紀以前の世界に浸れて良かった。 なんだか求道的な話ではあるが、ゴルトムントのプレイボーイぶりがただひたすら羨ましくもあって、浅はかな自分を痛感した。出てくる女性がそれぞれ独特の色香を放っていてみな魅力的なところも良かった。 主人公の二人はどっちも極端で個性的だけど、ナルチスは修行を追求しすぎて人生を楽しんでいないとも言えるし、ゴルトムントは奔放過ぎて殺されかけたり危なっかしい。実際のところはその間ぐらいのいい感じのポジションがベストなんでは?となんとなく思った。それが凡庸ということなんだろうけど。

    0
    投稿日: 2016.01.06
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    知と愛、ナルチスとゴルトムント、一見反芻する立場の二人が互いに惹かれ合う姿を描いている物語。あとがきにあるように、この2つは永遠のテーマでもあるからそれをこのように物語として完成させた本書は素晴らしい。

    0
    投稿日: 2015.09.02
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    これまで読んだヘッセの作品中最も刺激的。精神世界と肉体の交差点。ストーリーテラーとしてヘッセは退屈だと思っていたがこの本は緩急、静動あり、全く退屈しなかった。

    0
    投稿日: 2014.11.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    顔だけイケメンのクソ野郎がやりたい放題放浪した結果詰みかけたところを知的な先輩が拾って面倒みてくれる話。

    0
    投稿日: 2014.08.24
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    2014.03.26読了。 今年14冊目。 デミアンからの知と愛だったので、理屈っぽいところはあるけど読みやすかった。 ナルチスとゴルトムントの美しい友情の話。 はじめ5章は教師と生徒という関係もあり友とお互い呼び合うことが少し不自然に感じたし、明らかにナルチスがゴルトムントを導く立場にあった。 ゴルトムントはナルチスに刺激され、揺さぶられ、彼のようになれないと悟り、自分らしく生きるため放蕩の旅に出る。 それが最後の5章で再会し、かつてナルチスがゴルトムントに与えたものは倍になって返ってくる。 大人になったゴルトムントとナルチスは対等になり、それとともに与える立場にあったナルチスを刺激し、揺さぶる。 私には最後の5章で彼らは本当の友となったように思えた。 そして最後が1番好きな部分かも。 それぞれの苦悩の中に私と同じ苦悩があり、共感できる部分があった。 人は完成することがなく変化していくものだからこそ、確かなもの、変わらないもの、そして自分のあり方を探し求める。 ナルチスは知として、規律を守り、規則的な生活を。 ゴルトムントは愛として、感情のまま愛を求め、自由を求め、旅をする。 ナルチスのように知識はあるけれど経験をしていないのも淋しい人生だと思う。本ばかり読んでる時期にたまに私も思うことがあるけれど笑 本からの知識だけでなくたくさんのことに触れて、経験して、感情、感性を豊かに、感じることも大事にしていきたいなと。 中10章のゴルトムントの旅は移り行く季節とともに美しい景色、自然の厳しさ、気ままな旅の楽しさ、苦しさ、不安、絶望、恐怖、怒り、出会った数々の女性たちとの愛、虚しさ、そして芸術、感動と本当にたくさんのことを経験し、感情豊かな生き方が描かれている。醜い部分もたくさんあるのに全てが美しく感じられた。 行く先々で女の愛を摘み、官能に溺れる部分は意気込んで旅に出てこれか!と思ったけれど笑 女たちとの経験もゴルトムントにとっては芸術という部分で無駄にはなっていないし、醜い部分があるからこそ彼の人生が美しく見えたのかもしれない。 ゴルトムントの旅した人生はかなり極端だけれど、私も同じように人生を旅していく者として、もっともっとたくさんのことを経験して感じていきたいなと思う。 また何年後かに読みたい。 そのときは感じ方が変わってる気がする。

    1
    投稿日: 2014.03.26
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    すごく苦しく醜く深く美しいお話。 デミアンやおおかみはとっ散らかっているけれど、こちらはドイツらしく整っている。 腐女子さんやゴスロリさんにも読んでほしい。

    1
    投稿日: 2014.01.16
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    対称的な生き方をした二人を通して見る、「知」を大事にする生き方と、「愛」を大事にする生き方。 なんだか口にして語ればそう、かからない話なのに、すごく壮大な話であったかの印象。

    0
    投稿日: 2014.01.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    知と愛、論理と芸術という相反する二元性を描いた作品。 互いの相反する役割を認識し、忘れ得ぬ友情を育みながら別々の世界で生きて、互いを認め合うところにまで到達した二人に賞賛を与えたい。ゴルトムントは最後まで求め続けてきた母の偶像を作り上げることができなかったが、彼の死によって彼自身の人生とその芸術が完成されたような感覚を得た。人生に対する美学を感じた作品だった。

    0
    投稿日: 2013.10.03
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    たぶん高校生くらいのときに読んで、いま再読。 ナルスチ(知)とゴルトムント(愛)という対称関係は、ほかに「霊と肉」「理論と芸術」という対比にもなっていて、もともとけっこうヘッセの小説ってこういう対比がキッパリしていると思うのだけれど、本作においてはよりキッパリして実に小説らしい。 修道院にはいったゴルトムントは高い精神と信仰心をあわせもつナルチスに惹かれ、彼をめざして勉強にはげむ。しかしナルチスはゴルトムントとの間の埋められぬ境界に気付き、むしろお互い正反対の性質を持つがゆえに重大な存在であることを説く。 まだ若くたびたび混乱をおこし強情を張るゴルトムントと、彼に対し忍耐をもって理解を促すナルチス。ふたりの道を分かつことになると知りながら、ゴルトムントへの愛ゆえに彼の進むべき道を説くナルチス。そしてもたらされるふたりの和解――こういう友情を、ヘッセはほんとうに美しく描く。 ゴルトムントは母なる道を歩む。母とは彼のうちにある幼少の記憶であり、官能と感性であり、また生と死がはげしく相剋するこの広い世界である。 ここまでがだいたい第一部。 ゴルトムントは旅に出る。そこで出会う女たちと浮気な愛を重ね、そして彼が決して手に入れることのできない騎士の娘リディアと出会う。 後に出会うユダヤ娘レベッカとともに、彼はこのリディアを想起する。彼女たちは彼が本当に求めて手に入れられなかった愛を体現しており、それは秩序や信仰が支配する世界―同時にナルチスの住まうところでもある―であり、ゴルトムントが彼の道を歩みつづけるかぎり交わることのないもう一方の確かな道だ。 (書きながら。こういうところ、深いなあ…) ゴルトムントはヴィクトルという旅人を打ち殺し、立ち寄った教会でそのことを懺悔する。彼は教会のマリア像に感動して、それを作ったニクラウス親方に師事する。 そこで彼は彼の人生にひとつの意味を持たせるもの、すなわち芸術を発見するに至る。 ナルチスを象ったヨハネ像を作り終え、ゴルトムントが明朗に芸術について語る場面はぼくにとって心地いい。この小説にとっての「春」がこの場面だろうと思う。 第二部の終盤が「春」ならば、ペストの村々を放浪する第三部の序盤はさながら「冬」だろう。そしてぼくには、ここから物語の勢いが急に失速するように思える。その印象はラストのナルチスとの再会と対話の場面をもってしても盛り返せてない、とぼくには感じられる。 その決定的な別れ道がどこにあったかといえば難しいが、第二部の終盤でふたたび旅に出ることに決める内的独白がどうもくさいと思う。 p.275「彼が従わなければならないのは、芸術ではなくて、母の呼び声であった」「指をなおいっそう器用にすることが、何の役にたちえたろう?(略)名誉と名声、金と安定した生活とには達するが、同時に、あの神秘を開く唯一のよすがである内的な感覚を枯渇させ萎縮させるに至る」 たしかにゴルトムントは感性の人であり同時に放浪癖を生れもっているように描かれているけれど、ここの論理はどうにも甘い気がする。その証拠に、というわけではなが、ゴルトムントは第三部の旅にすっかり飽いてるようにぼくには思えるのだ。もっといえば作者のむら気が出てきてしまったというか。 ゴルトムントとナルチスの再会後の対話だっていまいちだよなあ。熱がないというか、比較するのはおかしいけどドストエフスキー並のドライブ感を期待してしまって裏切られたような感じではある。 よって☆ひとつ減じよう…かとおもったけど、移り気な愛、より堅固な愛、そして官能や芸術についてなど、やはり考えさせられる文章がとても多かったので満点つけたろ。

    1
    投稿日: 2013.05.16
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    (メモ) ・構成がしっかりしていて話の展開も整っている ・ただ、デミアンや荒野のおおかみが好きな自分にとっては、やや整い過ぎている気もした ・「知と愛」という題名が好きだ。訳者が邦題としてつけたという。 ・二元論 ・厚い ・後半の一部は哲学語りそのもの

    0
    投稿日: 2013.02.22
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    読んでいる間の身の震えるような感動は言葉にできない。心のいろんな所を揺すぶられた。近いうちにまた読みたい。

    0
    投稿日: 2012.11.20
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    神に奉仕する学者ナルチスと、美に奉仕する芸術家ゴルトムント。 そんな二人の友情の物語で″知と愛″という邦題は見事。 対照的な生涯を送った二人が、最後に芸術を通して互いを認め、精神世界と思想を語る姿に感動しました。 清廉と官能が織り成す精神性の美しさに心が洗われるようで。 哲学的な作品でまだ理解しきれてない部分もあるので、大人になったらまた読み返したい。

    4
    投稿日: 2012.06.21
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    レビューというのは自分から距離が離れていればこそ、気軽にホイホイ書けたのだ。ヘッセのレビューを書こうとすると、思い知らされる。 苦しみを宿命づけられた生のなかで、人がその生と死を渡り仰せるだけの光ー平穏ー意味など、何かしらの確かさを見いだそうとする不断の努力。ヘッセという人の根底のテーマは一貫している。そして、そのような凄惨さの中に、美しく優しく人や世界が描かれる点も変わらない。 「シッダールタ」や「荒野のおおかみ」の変奏として「知と愛」を捉えることが適切かは分からない。けれど「シッダールタ」では主人公シッダールタが1人でくぐり抜けた聖者の修行と俗人の生活という2つのアプローチを、ここではナルチスとゴルトムントという2人の主人公に分けている。そのことで得た成果は大きい。キャラクターはより一般的、具体的になって、2人が同時に生き、対話することが可能になった。追求の形はいわゆる宗教的な「求道」一つではないこと、異なる手段を選んだ他者から受けとるものがあること、そしてそこにこそ「愛」があること。。求道と恋愛のストーリーに垣根はなくなり、より複雑で生き生きした普遍性が生まれた。 この「知」と「愛」の対話の構図は、多くの人にとって覚えのあるものなのではないかと思う。相手次第で時に自分はナルチスであり、またある時はゴルトムントであるような。

    4
    投稿日: 2012.05.10
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    高校生活が始まってから70冊めに読んだ、個人的には記念すべき、思い入れのある本です。2年に1回ほど読み返しますが、毎回「前に読んだときの自分は、全然理解できていなかったな」と思うのです。きっと2年後も読みます。 たくさんの経験が豊かな創造性につながること(音楽家である自分には身につまされるものがあります)、それがどんな運命であろうと自分の使命に従う決意の実行の辛さと幸せ、官能と苦悩の不思議な紙一重…こんなに充実(この言葉を使うのには少々の違和感がありますが)したひとつの人生を覗き見るのは、もはやただの「読書」ではなく「経験」です。私はキリスト教には詳しくありませんが、宗教画のテーマの一つ「放蕩息子の帰還」はこういう意味か、と思ったりもします。彫刻をやってみたくもなります(笑) 高橋健治氏の訳は賛否両論あるようですが、私はヘッセの文章の美しさや誠実な言葉づかいを最も忠実に再現しているように思えて好きです。 ヘッセの長編なら、本書が一番のおすすめです。

    2
    投稿日: 2012.03.17
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    自分にとってはこの本を読まずに死んでいたら後悔するような本.ホントは★★★★★★つけたい.ヘルマン・ヘッセは大好きでずいぶん読んだが,自分の中ではこれがベストの著作だと思う(シッダールタも良かったが)

    6
    投稿日: 2012.02.24
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    ヘッセは「デミアン」しか読んでおらずまた記憶も曖昧な中、新聞記事で見かけ気になったので読んでみた。ゴルトムントがナルチスによって目覚めて放浪の旅をはじめてからの年月が頁を割いているが、ゴルトムントの傍らにはいつも愛が、つまりナルチスがいたということ。それがヨハネの像に結びついた場面を読んで、愛と芸術を心に抱きながらも表わそうとしたものが精神のひとナルチスだということに心震えた。終盤の対話で「自分を実現する」という部分があったがとても興味深くて夢中で読んだ。これまでの物語によってこの対話がより際立っていた。 (素晴らしい読書体験だったのは間違いないのですが、やっぱりどうにも難しくて何一つ理解できていないのではという不安でいっぱいです。また、間をおいて最初から再読しようとおもいます。) 2011/05/13

    0
    投稿日: 2011.10.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    久方ぶりにヘッセをば。 で読んだのだけど、読み終わった後泥のように眠った。 読む力衰えてるのかもしれない。 知と愛。 原題はNarziss und Goldmund。 修道院長になるナルチス(宗教家としてではなく、自らをあくまでも学者・思索家として定義しているのがこの人物の造形の肝ではないかと思う)、 放浪の日々を経て芸術家になるゴルトムント(ナルチスから見るゴルトムントは常に少年らしさを失わず・・・何か少年漫画の主人公みたいね。) その二人の応酬が軸になっている。 * 前5編、後ろ5編、ナルチスとゴルトムントの会話が繰り広げられる修道院の中の場面は、設定も含めてヘッセらしく理屈っぽい。 ナルチスと同じく学者(修道僧)を目指そうとしたゴルトムントが、 ナルチスとの応酬から適性を悟っていき最終的には修道院を抜け出す。 トラウマものと言ってしまえばそれまでだけれど、 過去からの抑制、母の記憶の喪失と復活、天性の見極めといったドラマがテンポよく繰り広げられて、ここまでで一つの小説として成り立っているように思う。 中10章については読み解きかねる・・・ これを「愛」の象徴的な生活と読むのだろうか・・? 血の通った人間としてのやりとりを読み解くのが正直私には難しかった。 むしろ冷徹に形象としての女性を観察していることが描かれていて、そこに愛着が生まれることはない。 更にペストのくだりにおけるゴルトムントの冷徹さは芸術家としての目で死を観察するというもので、地獄変を連想すると、このくだりであるのは「愛」ではないよなぁ、と。 * やっぱりシッダールダが群を抜いていたように思われ、 そしてしばらくまたヘッセはいいかな、と思った。 (むしろいまはもっと直近の作品を読むか、または少年漫画とか読みたい)

    0
    投稿日: 2011.05.22
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    両親から受け継がれ、自分に流れる血のいかに濃い事か。自分を知る為に母を探すゴルトムント。神にその全身全霊を捧げるナルチス。二人の対極な青年は見えない何かで繋がれている。まるでお互いに欠けているものを求めるように。ゴルトムントに有るものとは。ナルチスには無いものとは。

    0
    投稿日: 2011.03.18
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    人の一生分の愛、苦悩、不安、情熱、絶望、戦いをみてしまったようです。 知と愛どちらかの道しか歩むことができないんだろうか。

    1
    投稿日: 2010.10.24
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    この訳者、日本語下手すぎじゃありませんか? 違和感バリバリで読む気が失せつつあります。 どうやら岩淵達治訳がいいらしいんですが、入手困難らしいです。 ヘッセ自体はおいておいて、この訳者の下手糞さに星1個です。 ほかのドイツ語の先生の指摘も・・・↓ http://miura.k-server.org/newpage117.htm

    0
    投稿日: 2010.10.21
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    美しいしとても整っているしついでに萌えるし、良い小説。でも結局『デミアン』の一展開に留まるように思う。それを超えた内容はない。

    0
    投稿日: 2010.08.26
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    これまでに読んだ本の中でもかなり印象に残っている本。構成も、内容も、ほんとに完成されてる。ゴルトムントが、彼の少年時代を鮮やかに彩ったナルチスと絶妙なタイミングで再会するそのシーンでは感動で鳥肌立ちそうでした。住む世界は違っても、ほんとうの友というのはずっと友であり続けることができるんだ。 人生において哀しいとき、つらいとき、また幸せなときにも、これから幾度となく読み返す本になるだろうと思う。

    0
    投稿日: 2010.01.20
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     仮住まいへの引越のため1/3程度で時間切れ。修道院で悟りを開く一生かと思ったが、途中で方針転換してからは今までとは逆の放浪生活。先が読めないがある程度したら気分を変えてヘッセの他の作品を読む予定。  新潮文庫の古い文庫本は字が小さくて読みにくい。。

    0
    投稿日: 2009.12.05
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    素晴らしい物語です。 理性と本能、それぞれの権化のようなナルチスとゴルトムントの友情とも愛ともいえない魂の巡礼のお話です。 僕はゴルトムントの放浪生活には妙に影響を受けてしまいました。 現在お遍路をしているのも原点はこの辺りにあるかもしれません。 ヘッセを読むなら是非とも高橋健二訳をお勧めします。 山村のはずれでひっそりと流れる小川のような語りは、 静かに、深く僕らを物語に引き込んでくれます。 主人公二人の対比は日本人なら真っ先にキンキキッズの両堂本君が浮かびます。 決してタッキー&翼ではありません。

    0
    投稿日: 2009.10.31
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    「ナルチス(知)とゴルトムント(愛)なら、君はゴルトムントだね」 って、全然知らない人からメッセで言われた。 で、読んだ。 確かにそうだと思った。

    0
    投稿日: 2009.08.02
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    敬虔な修道士のナルチスは、奔放なゴルトムントに 「自分の本質に逆らった生き方はするな」と教えた。 それが教会の教えからかけ離れた破天荒な人生であっても。 残したものはいくつかの彫刻。 それでも、自分のしたいことに逆らわずに生きたゴルトムントは幸せだったのかも。 やりたくないことして一生送るよりいいな。

    0
    投稿日: 2009.07.24
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    活字苦手な私にはかなり苦労しましたが、面白かった。そしてヘッセにはまった。 こういう話が書けるようになりたいと思った。

    0
    投稿日: 2009.05.27
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    この作品を読んだのは10代の頃で、ナルチスとゴルトムントの間にある友情に深く共感しながら読んだ記憶があります。続けざまに何度も読み返した記憶も。若い頃は、自分の持っていないものを持っている相手に強く惹かれることがよくあると思うのですが、私自身が当時そういった状況にあったからこそ、ゴルトムントがナルチスに憧れを抱く姿や、知と愛を象徴する対照的な二人が互いに影響され惹かれ合いつつも、全く違った道を選んで自己を確立していくプロセスに共感したんだと思います。

    0
    投稿日: 2009.04.04
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    ヘッセの長編大作 翻訳なので簡単には読みにくいが、非常に読み応えのある一冊 修道院を抜け出し、芸術の道へと進む主人公の愛と友情の物語

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    投稿日: 2009.02.26
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    2008.06 ヘルマン・ヘッセ(独)  └「車輪の下」 ・原題は・・ってドイツ語でない!!;

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    投稿日: 2008.10.01
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     何かを創作しようとしている人、創作しようとしたことがある人、今、創作している人、必読の書です。  原書の題名が『ナルチスとゴルトムント』、邦題では二人が象徴するものをとり『知と愛』とされたそうです。修道院にて神と精神に全てを捧げ絶えず努力する知のナルチス、彼に強い憧れを抱きながらも物質に全てを込める芸術を志す愛のゴルトムント。  ゴルトムントは当初、ナルチスのような精神の人となることを志すが、ナルチスに諭され、愛欲と放浪の生活に入る。彼は数多の女性と出会い、自然を楽しみ翻弄され、出生と数え切れない死を目の当たりにする。そこから得た生と死、男性的なものと女性的なもの、快楽と苦痛、全てを一つの精神のかたちとして永遠に芸術に留めようとする。物語の終盤、死の極限からもなお生きようとし、ナルチスによって救い出されたゴルトムントは修道院に戻り、創作に没頭する。彼は自らが空となるまで出しつくし、ナルチスに看取られながら満足のうちに息をひきとる。  放浪の間、ゴルトムントの胸のうちには常にナルチスの肖像があり、またナルチスもゴルトムントを思い続ける。精神と物質、公平無私たる知と移ろいやすい愛、真逆ゆえに反発し、慕いあう姿を多感、多彩に描かれています。人生に一度は読むべき一冊です。

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    投稿日: 2008.07.27
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    高校時代初めて読んだ時、登場人物の性格や物語構成がつぼにはまりすぎて暫く脳内の興奮が収まらなかった。 読破するまで眠れなくなるので要注意。

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    投稿日: 2008.06.15
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    同じくヘッセ作の『デミアン』『シッダールタ』ほどの衝撃はなかったものの、ストーリーでは優れていたのかもしれない『知と愛ーナルシスとゴルトムントー』。精神の世界と愛の世界に生きる2人の友人の物語。この「精神と愛」というのはすなわち「信仰と芸術」であり、「教会での規律ある生活と放浪の旅」の対比である。2人の極端な性質を持つ人間を、ヘッセは自分の中に住まわせていたのだろう。そしてその2人の矛盾は常にヘッセを悩ませた。しかしその矛盾こそは不完全な人間の証で、だからこそ人間は創作などを通して永遠を求め続ける、まさに人間が人間足り得るものになるための溝なのだ。私達は誰もが心にナルシスもゴルトムントを住まわせているのだろう。 自分が自分になる事のみが達成されるべきことなのだ、というヘッセの核のメッセージも、ナルシスの言葉として登場します。 ヘッセの作品はベッドで寝転んで読んでても、途中から「!」ってなって、正座して読んでしまうとこがあるなー。心に刷り込まれていく。私、ゼッタイこの作品忘れないわ、っていうかんじがしまふ。。

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    投稿日: 2008.05.06
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    で、なんだかんだ言って感想(?)(になってないし)書く私。 知と愛はそっりゃーもうどっぷりどっぽりはまり込んだんで、感想書こうとすると延々だらだら書いちゃうんですが、とりあえずは今回は知と愛のキンキさんっぽさについて! 知と愛って、結構美学についてとか、神について、とかいろいろ小難しそうなことは出てきたりするんだけど、それらが全てナルチスくんのKYっぷりを表すためだけに出てきてんのがナンダカナーと思います。 前半でのナルチスくんのとうとうとした演説が、一読ではとっさに意味が掴みにくかったんで、しゃーねー気合入れて読み直すかーとか思ってたら「ナルチスは自分の言葉に酔っていた」とか出てくるじゃないですか。 え!ああ、酔ってるだけ!!じゃあ、まじめに取る必要ナシってことでオッケーね!てなもんで。 で、ゴルトムントの方も前半は、いちいちまじめにナルチスくんの言葉を受け取って、苦悩したり考え込んだりしてたのが、自分自身いろいろ人生経験積んだ後半は、ナルチスくんの演説が始まったら、「あ〜また始まった〜ナルチスはかわいいな〜」と内容に関してはほぼスルーで、まったりナルチスくん観察に励んでるさまがなんとも・・・カワユス。 なんか、この辺り、光一さんが一生懸命水の話だの車の話だのしてて、ツヨシ様「フン・・・フン・・・フン・・・」と全く内容には関心ナッシングなのに根気強く相槌だけは打ってあげてて、光一さんが話し終わって満足したら、テケトーな答えを返して光一さんを「??」にさせるあのやり取りをホーフツとさせるじゃないっすか。 (で、その典型的な例・・・どこだったっけ・・・と自分備忘録を検索してみたら、去年の4/17どんなもんやだったらしい。光一さんが熱心に環境問題、エネルギー問題について演説をぶってるのをツヨシ様は、フン・・・フン・・・フン・・・と、関心ゼロなの丸分かりつつも辛抱強く相槌打ってあげてて、話し終わったら「お前なんか買え!」と、話の内容に沿ってないコメントをし、光一さんは「へぇ!?!?」とビックリ声、というキュートな一幕だった模様。かわいいなあ。) つか、ブンガクって・・・一体・・・と思わせてくれるに十分な素敵ブンガクですよな。 そして、感想書いてる方ほぼ「BLぽい」と口をそろえてらっしゃるのが・・・アハハー。 読んだ当時激ハマリで、ろくすっぽドイツ語出来なかったけど、お気に入りシーンを一語一語辞書引いて必死で脳内補完に努めました。若かったなー。イッヒリーベディッヒ!とかにいちいちドキドキしたなー。(若い若い)

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    投稿日: 2008.02.06
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    大好きです! ナルチスとゴルトムントの正反対ながらも惹かれあうこころ。 正直文庫の帯の「愛か友情かそれが問題だ」という言葉は全然関係ないと思う…。

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    投稿日: 2006.09.30
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    ある日孤児院に黄金の美少年ゴルトムントが現れる。神に仕えるナルキスは、ゴルトムントに惹かれていくが手を伸ばし切れない。文豪ヘッセの名を胸に刻みたくなる圧巻の結末。 言い方がちょっとおかしいかもしれないが、全ての女性同人作家に捧げたい美しい少年の物語なのだ。

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    投稿日: 2006.09.24
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    現実を超えることを模索していた時期に出会ったので、忘れられない作品の一つ。ヘッセの後期作品は全てそうです。 最後のナルチスの独白がいい。

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    投稿日: 2006.08.10
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    ヘッセの小説ではこれがいっとう好きでございます。ナルチスとゴルトムントの、ラストの会話、「私は君によって愛を知った」うんぬんのあたりは感激でした。西田幾多郎哲学からのタイトルもうーんとうなるものがある。

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    投稿日: 2006.07.17
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    人生を貫く二つの欲求である知と愛、それぞれを体現するナルチスとゴルトムント。出会い、別れ、邂逅する彼らの人生は、離れ離れのようで常に寄り添っているように感じられ、それは知と愛という相反するようでありながら共に真理である二つのものの在り方そのものとも思える。詩人を志したヘッセならではの豊かな詩情と、美しく深い物語が胸に残る名作。素晴らしい邦題にも感動を覚える。

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    投稿日: 2006.04.13
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    ナルチスとゴルトムント。お互いが惹かれ合う感情、わかるなぁと。自分の中にこの2人がいる様な気がする。

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    投稿日: 2006.02.23
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    美しすぎて泣きました。読み終わったあときっとナルチスの眼差しが見えたように、染みとおるように感じるはずです。これはBLで片付けたくないなー。

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    投稿日: 2005.09.22