
総合評価
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powered by ブクログ2026.01.04記 著者の「弘法大師空海に対する嫉妬」を感じる一作。 著者自身「完璧な人間などいない。英雄というものはどこか欠点があるようなものだ。」 という思想があるのだろう。 それゆえに彼は「坂本龍馬」のような「大事をなしながら人間的欠陥を多く持つ者」は魅力的に描くことはできる。 しかし、四国の人々が尊敬してやまない弘法大師空海を「大山師」とまで、こき下ろしているのは文学者としては、やりすぎであると言えよう。 しかもタイトルにあるように「風景」という言葉に書くことで「空海本人そのものを書いたわけではなく、時代背景を説明していますよ」というような「逃げ」を感じる。 彼は、宗教というものを知識の集積で考える傾向があり「こんなに尊敬され、完璧な人間があるわけがない」という思想で書くことになる。 もし現代に彼が千年後に生まれ「大谷翔平」という人物が「野球という宗教」を中高の祖として起こしたという伝説が残っていたとしよう。 そうならば、同じく「このような完璧な人間は野球選手にはいない。 野球選手というものは、もっと人間的で欲がなければ、これほどまでの体力的 成績を残すことができないはずだ。」と、あくまでも自分の考える野球選手像というものをベースに描いていくことが考えられる。 筆者の膨大な勉強量と知識の集約に対しては脱帽の思いがあるが、仏教における悟り というものを一切体感していないものには、空海はとても描けないというのが結論である。 彼に神秘体験がなく、五感を超えた以上の 高エネルギー存在に対する敬意のようなものがあれば、もっと良い作品になったであろう。 有名な著者であり、影響力のある作品であるがゆえに、とても残念な思いである。
2投稿日: 2026.01.05
powered by ブクログ空海の壮大な構想、旅が味わえます! 今まさに「菜の花忌『空海の風景』を読む」シンポジウム(東大阪文化創造館)に来ております。パネリストは磯田道史さんや澤田瞳子さん。楽しみです。 本を持ってくるのを忘れてしまいました。
1投稿日: 2025.02.11
powered by ブクログ小説というジャンルになるのでしょうか。タイトル通り、空海が見て聞いた風景が描かれています。空海が主役で一人称ですすで行くわけではなく、空海の風景を司馬遼太郎が描いている作品です。難解な感じが多く、時間がかかりますが、おもしろいです。
0投稿日: 2024.12.05
powered by ブクログ1975年出版。 司馬遼太郎の本数多く読んでいるが、これは今回初めて読んだ。 空海についての知識はほとんどない。 司馬遼太郎は小説家で、歴史家ではない。歴史家は分かったことしか書けないが、小説家は分からないことでも書ける。 空海の場合資料や歴史家、宗教家の研究、彼自身の遺物などに間違いなく数多く目を通しているにもかかわらず空海のことはよくわからないというスタンスをつらぬきとおす。 これはやはり密教の密なるところで、しかたがないことなのだろうが、50ぐらいの司馬さんでもそういうでもそういうものなのかと思った。 それでも遣唐使になる前の空海、なった後の空海、 長安、奈良、京都、東寺、高野山、 高雄山寺、などの関係などをいろいろな資料、文献 あげて文化、芸術、宗教と多岐にわたり、見事な筆力で描き出しているのはさすがだ。 今後ここに挙げられた資料などをいろいろ見てみたいを思う。
1投稿日: 2024.09.09
powered by ブクログ「空海の風景(上)」司馬遼太郎著、中公文庫、1994.03.10 371p¥720C1193(2024.01.19読了)(2024.01.15拝借)(2002.01.30/16刷) 文庫版の初版は1978.01.10で1994.03.10改版です。単行本は、1975.10刊行です。 空海、密教について辞書には、以下のように書いてあります。 【空海】(774-835) 平安初期の僧。日本の真言宗の開祖。諡号、弘法大師。讃岐の人。804 年最澄らとともに入唐し、長安の青竜寺恵果に学ぶ。806 年帰朝して高野山金剛峰寺を開く。嵯峨天皇より東寺(教王護国寺)を賜り、その翌年には大僧都に任ぜられた。日本最初の庶民学校である綜芸種智院を設立。書にすぐれ三筆の一人にあげられ、「風信帖」などの名品がある。また、詩文にも秀でた。後世、広く庶民信仰の対象として尊ばれた。著「三教指帰」「十住心論」「弁顕密二教論」「性霊集」「文鏡秘府論」「篆隷万象名義」ほか。 [ 大辞林 提供: 三省堂 ] 【密教】大日如来を本尊とする深遠秘密の教え。加持・祈祷を重んじる。7、8世紀ごろインドで起こり、唐代に中国に伝わり、日本には平安初期に空海・最澄によって伝えられ、貴族などに広く信仰された。空海の真言宗系を東密、最澄の天台宗系を台密とよぶ。 [ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ] 密教というのは、仏教ではないというか、お釈迦様の教えではないんですね。知りませんでした。 この本は、小説というよりは、随筆というか、随想という感じですね。空海について生まれてから勉強して、修行して、唐に渡って日本で勉強したけど、よくわからいところがあるので確かめたい、といったあたりのことを、あんなことを考えたのだろうか、こんなことを考えたのだろうか、あの人とこんな会話をしたのだろうか、と思いを巡らせたことを書いています。 【目次】 空海の風景 一~十五 ●「三教指帰」(58頁) 演劇的構成でもって『三教指帰』を書くことによって、かれが大学で学ばされている儒教と道鏡と仏教の三者の優劣を比較し、結論として仏教のほうが他の二者よりはるかにすぐれているということをひき出すのである。 ●思想家(166頁) 思想家は本来、天の一角から思わざる思想を啓示されて誕生するのではなく、かれの思想を触発したものが何であれ、やがてかれが生むにいたるその思想は、かれの生まれながらのものの中に蔵されていると見たほうが自然でいい。空海は生命や煩悩をありのまま肯定したい体質の人間だったにちがいない。 (「煩悩も菩薩の位であり、性欲も菩薩の位である」) ●日本の船はあぶない(199頁) 朝鮮半島ではすでに中国式の造船法と航海術が定着していたにもかかわらず、四囲海洋にとりかこまれた日本にその技術が薄くしか入っていなかったということはふしぎというほかない。 ●逆風の季節に航海(237頁) 夏には風は唐から日本へ吹いている。が、五島から東シナ海航路をとる遣唐使船は、六、七月という真夏をえらぶ。わざわざ逆風の季節をえらぶのである。この当時の日本の遠洋航海術は幼稚という以上に、無知であった。 ☆積読中 「空海入唐記」前嶋信次著、誠光堂新光社、1983.11.25 「空海」上山春平著、朝日選書、1992.10.25 「徳一と最澄」高橋富雄著、中公新書、1990.06.25 ☆関連図書(既読) 「空海の思想について」梅原猛著、講談社学術文庫、1980.01.10 「司馬遼太郎の風景(1)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1997.10.25 「司馬遼太郎の風景(2)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.01.25 「司馬遼太郎の風景(3)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.04.25 「司馬遼太郎の風景(4)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.07.25 「司馬遼太郎の風景(5)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.12.25 「司馬遼太郎の風景(6)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.03.25 「司馬遼太郎の風景(7)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.05.25 「司馬遼太郎の風景(8)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.07.25 「司馬遼太郎の風景(9)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.11.25 「司馬遼太郎の風景(10)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、2000.07.30 「司馬遼太郎の風景(11)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、2000.09.30 (「BOOK」データベースより)amazon 平安の巨人空海の思想と生涯、その時代風景を照射して、日本が生んだ最初の人類普遍の天才の実像に迫る。構想十余年、著者積年のテーマに挑む司馬文学の記念碑的大作。昭和五十年度芸術院恩賜賞受賞。
2投稿日: 2024.02.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
空海の幼少期から唐に入り密教を授かるため恵果を訪問するまで書かれています。空海の風景という題名の通り、空海が見た風景、あるいは空海を写した風景を司馬遼太郎の考察を多分に含み表現しています。小説というよりは考察文に近い印象を受けるほどです。10代で三教指帰を書く天才性(しかも仏教の優れさを戯曲で表すという発想性)、唐に入った後の地方役員に上奏した漢文の見事さなどが伝わってきます。また仏教にただ詳しいだけでなく社会を渡り歩く機微も持ち合わせており、本当に杞憂な人物だなと思います。空海についてもよく分かり面白いのですが、遣唐使の航海の厳しさや唐の長安の先進性(人種差別がなく、多様な人種を受け入れ、宗教でさえ様々な宗教が保護されていた)や街路樹を植えていたなどの街造りとしての先進性もあったことに驚きと魅力を感じました。改めて司馬遼太郎の造詣の深さを感じることができる本です。
0投稿日: 2024.01.19
powered by ブクログ完全な小説でもなくノンフィクションのドキュメンタリーでもないという難しいスタイルにもかかわらず、とても引き込まれました。本書を通じて題名通り空海がどういう人物であったか、空海がどういう風景を見ていたかということで、司馬遼太郎氏の執念のようなものを感じました。かすかな手がかりでさえ用いて空海がどういう人物であったのか、どのような人物に囲まれていたのかということで、司馬遼太郎氏の想像力の世界を通じてですが、空海の深奥な世界に引き込まれました。一気に読めます。
0投稿日: 2023.04.27
powered by ブクログ日中合作の映画『空海 KU-KAI』が公開された時に、関連図書ってことで平積みになっていた時に手に取って以来の積読。一応中国も絡んでいるんだよなと思い出して取り出して読了。 一応、うちの檀家の寺は真言宗。善通寺にもお参りしたこともあるくらいなので、弘法大師さまの思想と生涯を知る。 いつも通りの司馬遼太郎節。小説というよりは、今ここにいる司馬遼太郎が空海の伝記の講釈をしているって感じ。 空海も行った白馬寺に俺も行ったんだと思ったり、もう一度長安=今の西安に行きたいなとも思ったり。 さっさと下巻も読みたいと思います。
0投稿日: 2023.02.19
powered by ブクログ難しい言葉もあったが、Kindleで検索しながら読了。香川旅行に行った直後に読み始め、最初の香川の情景の文章だけで胸が高鳴った。
0投稿日: 2023.01.21
powered by ブクログニコ生の仁和寺企画や平等寺など真言宗のお寺に触れる機会が増えたが、空海とはどんな人でどんな一生を送ったのかを知らなかったので手に取って見た。小説なのか、筆者の想像の語りなのかがよくわからないままに進むのがなんとも不思議な感じがする。でも小さな子供の頃から、唐に行き恵果に会うまで、まるでドキュメンタリー映画を見ているように色鮮やかに空海の半生を見ることができた気がした。
0投稿日: 2022.05.05
powered by ブクログ司馬さんは空海さんのことを本当に好きなんだなぁと感じました。空海さんの人物像を何とか知りたい描きたいという熱量が凄くて圧倒されました。
0投稿日: 2022.04.18
powered by ブクログ★4.5 司馬遼太郎氏の想像も混じえて描かれた空海は、非常に人間くさい。密教を分かりやすいように説明してある。上巻は、青竜寺の恵果を訪れるところまで。
0投稿日: 2021.09.07
powered by ブクログ空海の風景と言葉通り筆者からみた空海を書いている。 儒教より仏教が上との思いからか大学を中退し仏教にのめり込んでいくが言葉遣いが高度過ぎて文字を眺めるだけ、居眠りしてしまいながら折角空海を知る機会を得たのに断絶したくないと感じながらもやっと半分まで読むが一向に理解出来ない。 司馬遼太郎の考えを書いたような文章で、密教を理解していないと全然分からない。 少しづつ読んでいこう。理解して読もうと思わない方がいいのかも。 薀蓄として 舟に位階を与えて従五位下とし、貴族並みの扱いをする事で舟の航海を祈願するが、鉄釘を打ち込む技術もなく材木と隙間に水草で水の侵入を防ぐと言う死に行くようなもので航海する。日本の技術は他国に比べて非常に遅れていたのがわかる。 長安は世界の宗教が集まり繁栄していたので空海は様々な教えを吸収していたのかも。柔軟な考えを持っていたのだろうなぁ。 上巻は難しい文章だった。 下巻はスラスラ読めるといいんだけど。
0投稿日: 2021.08.20
powered by ブクログ数ある著書の中でも、とくに司馬史感の強い作品。1000年の時を隔てた思想的巨人の生涯を辿る作風なため、幾分か作者の想像が入り込むのは当たり前のことだが、ただの想像にとどまらない。司馬遼太郎特有の縦横無尽の知識をふんだんに用い、かつ、なにより愛のこもったまなざしで頭中の空海を見つめ文を紡ぐので、読者の目の前に空海の見たであろう風景がありありと広がるのである。まったく「風景」と呼ぶにふさわしい作品だと感じた。 個人的におすすめの読み方は、Google mapsを片手に、文中に出てくる地名を逐次検索しながら読む方法。著者の特徴に、地名が詳細に記載されていることが挙げられる。空海は最初大陸のどの辺に漂流したのか、そこからどのような道筋で長安に向かったのか。この河を渡る際に、先に日本に帰る部隊と別れの儀を行ったのか、など、より鮮明にその風景を見ることが出来る。 下巻が楽しみ。
2投稿日: 2021.05.27
powered by ブクログ[感想(良かった)] ◯印象に残った内容: ・〜国家は使用するべきものであり、 追い使うべきものであった〜 (p.019) ・〜自分(空海)の体系を国家が欲しいなら、 国家そのものが弟子になってわが足元に ひれ伏すべきである〜 (p.222) ・〜この宇宙にあまねく広がっているところの 真理に参入できた者は地上の権勢など 塵芥のように見えるものだ〜 (p.229) [感想(良くなかった)] ×小説としてジャンル分けされているが、 空海の思想史と考えるべきであろう。 [総論] ◯「四国八十八ヶ所」巡礼を結願した身ならば、 その教える処のエビデンスが欲しくなったから 読んだ。
0投稿日: 2021.01.26
powered by ブクログ司馬遼太郎さんって初めて読んだけど、一緒に旅しているみたいな気分になった。空海が主人公じゃなくて、物知り旅行ガイドの司馬さんが主人公みたい。 海賊がバリバリ活躍している中で、なんで遣唐使がそんなに苦労するのかよくわからなかったが、司馬ガイドさんの解説を聞いてわかった。要は勉強不足…。 舟では何食べてたのかなーと疑問だったけど一糒(ほしい)=蒸し米の干物のは米より硬く砂利のようだと。おんぼろでよく揺れる木造舟でなるべく火を使わないようにするため、糒をおかゆに戻すのではなく、水に浸して柔少しずつ食べたと。
0投稿日: 2021.01.06
powered by ブクログ膨大な史料や、関係者へのヒアリングに基づくであろうことが伺える。 他の、空海に関する本に比べ、構成、私情の入れ方含め読みやすいが、それでも、偉人1人の人生、何回か読み直したくなる。 難解ではないが、すんなり読み進めることは難しい。 だか、空海の生き方や意志、生き様が活き活きと伝わってくる。 バーで、ラム酒片手に、夕陽を眺めつつ読むこともできる。
0投稿日: 2020.07.15
powered by ブクログ空海は神秘的な要素が多い。 何かに導かれるように山を練り歩き、光を飲み込み、遣唐使の船に乗り込んで、遭難しかけるも長安まで辿り着いちゃう。 神童的な子供時代、唐に渡るまでの謎の期間、唐に渡ったらペラペラネイティブ。 失敗しない、ファインプレーの連続。 そして論理的でありながら、言葉で表現出来ない神秘的な要素を腹に持っていて、傍若無人に物事を乗り越えてゆく。 可愛げはゼロ。 本人の目線での感情表現が一切ないからかもしれないけど、とにかく最強という感じ。 書き方も、空海は辛かったと思うけど、どうだろ、正確には分かんない、って感じで書いてあるので、のっぺりしてる。 それでも長安に入ってからの空海は興奮していたように感じた。 長安の風景が幻想的に浮かぶ。
6投稿日: 2020.06.20
powered by ブクログ日本や中国の古い地名や名前、言葉が出てきて最初は読みにくいが慣れてくると興味深くどんどん読み進められた。 ただ、多用される「…であったことだろう。」という想像の話を想像と分かるように書かれている文体が気になるのと、同じことが何度も何度も繰り返し言われているような書き方には時々鬱陶しさを感じた。特に自分がどうでもいいなと思った登場人物を何度も何度も同じように深掘りされるとかなりしつこいと思った。薬子ノ乱のくだりなど。元々が雑誌の連載なのでこういうことになっているのだろうが、今読むと気になる。
0投稿日: 2019.11.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
小説というより伝記のような感じ。いかに空海が天才だったかと、いかに唐に渡るのが大変だったかが伝わってくる。 橘逸勢が良いキャラ。
0投稿日: 2019.09.09
powered by ブクログ一応小説ということになっているが、空海の生涯をなぞる評伝エッセイ的な雰囲気である。 まさに超人的だった(今にして尊崇を集めている影響力!)空海とはどんな人物だったのか、その辺りが浮き彫りになる味わい深い一書。
0投稿日: 2019.06.19
powered by ブクログまだ上巻だけなので完走は最後に。 幕末の司馬作品の大ファンで、今作を手にしたが、少しとっつきにくいかもしれない。
0投稿日: 2019.06.13
powered by ブクログ久しぶりに司馬作品を読んでみたが、これは氏の作品の中でも少しとっつきにくい方かもしれない。真言密教の祖空海の生涯を少ない資料を基に推測を交えて描いている。 上巻は讃岐に生を受けてから唐に渡り、密教を学ぶところまでである。私は仏教や密教の知識は全くといっていいほど無いが、現存している寺社仏閣において空海の伝えた影響がまだ色濃く残っていることがわかる。
0投稿日: 2019.03.10
powered by ブクログ★評価は読了後に。 途中でビックリしたんですが、この本って「小説」なんですね。作家本人がそういうのだからそうなんでしょうが、そうとは思わず読んでいたし、宣言があっても小説とは思えなかった。 いわゆる司馬遼節炸裂の人物・歴史ひいては日本人論としか感じられなかったんですけど。小説という観点では「いけていない」と思う。ノリが頗る悪い。でも日本人論であれば、それはそれでという気がしますけれどもどうなることやら。 下巻に進みます。
0投稿日: 2019.02.02
powered by ブクログ10年ぶりの司馬遼。さすがに練れた小説です。彼の眼から見た巨人空海を楽しめます。特に最澄との比較による空海の人柄の浮き上がらせ方は見事。とても楽しく読めました。
0投稿日: 2018.10.23
powered by ブクログ空海に関しては少し前まで一般知識として名前を知っている程度だったのですが、高野山の存在に興味を持ったことや、映画になったことなどから、もっと深く知りたくなって読んでみた。 あまりに時代が古いせいで史実を追うだけだと味気なくつまらない内容で終わってしまうところを、司馬氏が想像を思う存分駆使して物語を構築してくれたお陰で活き活きと動く姿を味わうことができます。 他の登場人物の描写がこれまでの自分の認識と異なる点が幾つもあるので、空海に関しても事実というより、あくまで1つの側面から見ればという前提付きで読めば良いと思います。 下巻に期待。
0投稿日: 2018.03.22
powered by ブクログかなり前に落語の枕で本書のことが語られていたのが頭に残っていた。近年になり四国八十八か所巡礼に別のきっかけから興味を持ち、本書を購入した。著者の他の歴史小説と違い、弘法大師・空海の生立ちを記者の目で見、一歩引いた立場で文章にしたという印象だ。したたかな人間としての空海を読むのは面白い。命を懸けて唐・長安へ行き、わずかな年数で帰国したことは知っていたが、彼の策略であろうことが容易に想像できてしまう。
0投稿日: 2017.08.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
1977年刊行。空海の人物評伝。上下巻の内の上巻。空海の誕生から入唐・長安入城まで。◆空海に関しては、実のところ判明しないことも多い。一方、著者の博覧強記によって、空海の生涯が色付けられるのはイイ感じ。また、唐、そして最澄が訪れていない長安の模様、密教が当時の中国においてどのような意味合いを持っているのか、インド宗教との関係等にも言及有り。
0投稿日: 2017.01.24
powered by ブクログ昨年仕事絡みで、高野山の宿坊の1週間住み込み体験をしてきたが、正直その時は空海について前知識がなく、ただ高野山という宗教都市の建築、美術などに、興味があっただけだった。 しかし実際に高野山に行くと、お坊さんの豪華絢爛な衣装や華美な装飾に違和感を感じ、お坊さんのあまりに下界的な現生利益の享受の仕方に衝撃を受けた。そして、お坊さんから、空海は日本で最初の、そして世界でも屈指のビジネスマン、革命家、演出家であった、という話しを聞いて、ますます???が増していく。 そこで山を降りてから、この司馬遼太郎の「空海の風景」を購入し、つらつら読み進めている次第。 前置きが長くなったが、司馬遼太郎が小説を書く前の取材のように、空海の足跡をたどりながら、空海の言動を、こうだったであろう、こうに違いない、と空想していく。 どっちらけそうな手法だが、司馬遼太郎が書くとやけに納得感が高いから不思議。 空海の自己演出が面白いが、こういうのを下手なビジネス書的啓蒙に使われるのは、司馬遼太郎の本意ではないだろう。
0投稿日: 2016.05.06
powered by ブクログ上巻読了。 小説というより、解説に近い印象。 内容が素晴らしいのはわかるのですが、まあ読み辛いこと・・・。と、思ってしまう自分が情けない。。
0投稿日: 2016.05.05
powered by ブクログ日本宗教界の巨人空海の生涯が、細かな実証をもとに描かれていきます。 空海の人となりを、出自から始まり、先祖のことまでさかのぼり、司馬遼太郎流に、時には脇に逸れながらも、克明に明らかにしていきます。 生まれから学生、放浪から得度、唐に渡り活動するまでの物語です。 読みごたえがあります。
0投稿日: 2015.10.17
powered by ブクログ中国文明は宇宙の真実や生命の神秘についてはまるで痴呆である。中国文明の重要な部分をなすものは史伝であり、史伝とは事実のことをいう。人生における事実などは水面に浮かぶ泡よりも儚い。なによりも儒教とは世俗の作法に過ぎない。この様な中国人と対局にいるのはインド人である。国費で儒学を学ぶ空海は、中国文明に身を置きながら私的関心としてはインド文明に引き寄せられていく(P104~参照) 最澄は天台宗で比叡山、空海は真言宗で高野山と覚えておこう試験にでる(笑
0投稿日: 2015.06.07
powered by ブクログ司馬遼太郎、空海の風景(上・下巻)を読む: 今日、これだけ、旅が、何処へでも簡単に、出掛けられ、しかも、ネットで、欲しい情報に、簡単にアクセス出来る時代からすれば、8世紀の時代に、航海術ですら、満足に発展していない頃に、命懸けで、当時の世界的文化的な大都市に、海外留学しにゆくが如きことは、おおいに、大変であったことは、容易に、想像されよう。 目的地へ、きちんと、到着した最澄と異なり、福建省の土地に漂着、辿り着いてしまった空海が、皮肉にも、彼の地で、語学の才と当時の文化的知的な教養である書道(五筆和尚という称号)・文章道・漢詩・文才に恵まれ、奇跡的に、これを活かすことになること、誠に、皮肉な廻り道であるものの、長い人生から、見た時には、おおいに、興味深いものがある。 その生い立ち、渡航目的、そして、何より、語学と書道の才に長けた空海の思想的な成り立ちと時代背景、そして、最澄や当時の様々な僧達との交流と政治的な背景を、1200年以上に遡って、考証しながら、構想・想像するという作業は、並大抵なエネルギーではない。 しかも、それを一日本の仏教の歴史だけに止めずに、広く、中央・東アジア・インドなどとの思想的な交流とも、絡めて、当時の密教の伝来を考察する作業は、単に、空海という一人の宗教僧の思考方式だけでなくて、広く、当時の世界文化史的な視点からも、興味深いモノがある。 改めて、そうした視点から、今日の中央アジアの歴史や中近東での出来事を再考察するときに、仏教の伝来とその東の果ての国である日本という国の思想的な在り方に、深く、考えさせられる。 15歳の時に、讃岐の国を出奔して、778年に桓武天皇時代に、平城京へ登った。 釈迦没後56億7千万年後に出現する弥勒菩薩を待つのではなく、弥勒が常住し、説法をし続けていると謂われる兜率天(とそつてん)にこちらから出掛けて救われようとする機能性を作り上げた。 18歳で、仏教・道教・儒教の盛衰を踏まえた優越論を戯曲風に論じた、三教指帰(さんごうしいき)を著し、儒教は、世俗の作法に過ぎないと断じる。 官吏になる途である大学の学生(がくしょう)を捨てて、官僧としてではなく、私度僧として、仮名乞児(かめいこつじ)として、入唐するまでの空白の7年間を旅に出て、「私は仏陀の勅命を奉じて兜率天への旅に登っている者である」と称し、山野を修行して歩く。 7歳年上の初めからエリート官僧たる最澄とは、そもそも、出発点が、異なるのか? アジア大陸には、生命とは何かという普遍性からのみ考える以上、そこには、時間とか、誰とかという固有名詞もなく、只、抽象的な思考のみで、宇宙を捉え、生命をその原理の回転の中で考え、人間の有する人種やあらゆる属性を外しに外して、ついには、その一個の普遍的な生命という抽象的一点に化せしめることにより、物事を考え始める。従って、漢民族が引き寄せられる歴史とか社会的な思考には、印度的な思考法は、かけらほども、入ることはなく、密教の伝授という観点から、広義のみでの漢語・サンスクリッド・梵字、イラン語にも、当時は、学ばなければならなかったのであろう。 二つの系統の密教というモノがあるという。純密と雑密(没体系的なかけらのような形の密教、巫女、外法の徒、山伏など)、現世を否定する釈迦の仏教と、現世という実在もその諸現象も宇宙の真理の現れであるとする密教の創始者は、宇宙の真理との交信の手段として、魔術に関心を持った。魔術・呪文・まじない・陰陽五行説・陰陽道・陰陽師など、後の純密以外の所謂、雑密である。最澄のそれは、不覚にも、それを拾ってしまったことなのであろうか? 虚空蔵求聞持法、という万巻の経典をたちまちの内に暗誦出来るという秘術、真言とはやはり、人間の言語ではなくて、原理化された存在である法身たる如来達が喋る言語で、虚空蔵菩薩という密教仏にすがり、その菩薩の真言を一定の法則で唱えて、記憶力をつけると謂われている。その秘宝を会得することになる。解脱という釈迦とは、逆の道を選ぶことになる。虚空蔵菩薩という自然の本質は、それへ修法者が参入してゆきたいと希い、且つ、参入する方法を行ずる時に、惜しみなく御利益を与えてくれるという。 術者が、肉体を次第に、形而上化してゆくことにより、諸仏の機能の中に身を競り入れ、ついには、その機能を引き出し、それによって、現世の御利益をうるというところで、初めて、宗教的に完結することになる。 求聞持法を行ずるには、場所を選ばねばならず、とりわけ、宇宙の意思が降りてきやすい自然の一空間であらねばならないと、それが空海にとっては、阿波と土佐の地だったのかも知れない。室戸崎洞窟での明星が、口に入るという超自然的体験も、決して、密教の概念には、無縁ではないのかも知れない。 密教の断片に於いて、科学の機能を感じてしまった空海と後世が知ったつもりでいる科学なり、自然の本質、とりわけ、原子力やら、津波や地震といった自然災害の脅威を間近に体験した我々の考え方は、どちらが、果たして、1200年も経過した今日、本当なのであろうかと司馬遼太郎は、問いかけている。(むろん。著者は、東日本大震災は、経験せずに、他界してしまっているが)のちの世の平安末期の厭世観的な出家ではなくて、むしろ、肉体と生命を肯定する密教に直進し、解脱を目的とする途とは別のものを追求してゆく。 咒(しゅ)という概念を、毒虫を食ってしまう孔雀の悪食を引き合いに出して、司馬は、説明する。それは、古代インドの土俗生活に於いては、生命を維持する不可欠なもので、苛烈な自然と会話する為に、自然の一部と考えられていた一種の言語であっても、人語ではなく、むしろ、密語の一部でもあり、人間がその密語を話すとき、自然界の意思が響きに応ずるが如く動くと謂われている。自然と人間は、対立するモノではなくて、人間の五体そのものが、既に、小宇宙であり、この小宇宙の人間が大宇宙にひたひたと化してゆくことも可能であり、その化する時に媒体として、咒(しゅ)が、あるのであると、孔雀の鳴き声には、それが、含まれていると、人間がこの密語を発すれば、孔雀に化すると、何か、動物の言葉を話すドリトル先生のようでいて、面白い。 インドに於ける咒(しゅ)の歴史から、古代アーリア人、バラモン教、土俗的な雑密・純密の考察を経て、いよいよ、密教的な宇宙に於ける最高の理念である大日如来なる絶対的な虚構の設定に移ってゆく。 無限なる宇宙のすべてであると同時に、存在するすべてのものに、内在し、舞い上がる塵の一つにも、内在し、あらゆる万物に内在しつつしかも、宇宙に普く充ち満ちている超越者でもあると、しかも、宇宙を過酷な悪魔のようなものとは、考えず、絶対の叡智と絶対の慈悲で捉えて、釈迦のように、敗北感を有することなく、絶え間なく万物を育成して、無限に、慈悲心を光被して止まないという思想で、こうした純粋密教こそが釈迦教の一大発展形態ではないかと考えるにいたる。この空海の陽気さというものは、何処から、来るのであるか? 釈迦以前のインド思想、から、釈迦以後を経て、華厳経の成立へ、西田幾多郎による絶対矛盾的自己同一ということの祖型であり、禅的な武道の中での「静中動有り・動中静有り」という思考法とも、関連づけられる。万物は、相互にその中に一切の他者を含み、とりつくし、相互に無限に関係し合い、円融無限に旋回し合っていると説かれ、毘盧舎那仏の悟りの表現でもあり内容でもあると、 華厳経では応えてくれなかった答が、大日経には、あるのだろうか?即身成仏の可能性とご利益を引き出してくれる法とは何か?そして、どのようにすれば得られるのか?大日経にあっては、華厳のそれより、更に、より一層宇宙に偏在しきってゆく雄渾な機能として毘盧舎那仏は、登場し、人間に対して、宇宙の塵であることから、脱して、法による即身成仏する可能性も開かれていると説く。 奈良南都六宗にみられたような人間の本然として与えられた欲望を否定する解脱だけをもって、修行の目的とするものとは、異なる方向性、有余涅槃と無余涅槃(=死)をも止揚しうる境地へ、向かう。死よりも煩悩や生をありのままに肯定して、好む体質だったのであろうか?大日経は、文章的にも難解で、サンスクリット語で書かれていて、この不明な部分を解読するためにも、漢語だけでは、不十分で、いよいよ、入唐を決意することになる。 奈良六宗に対する「論であって、宗教ではない」という最澄の痛烈な不満、経典は研究すべきものでなくて、声を上げて読誦すべきもので、その声の中に、呪術的な効果があると、読経と止観という瞑想行の必要性、華厳経の注釈書を読んでいたときに、法華経にぶつかる。体系としては、般若経の空観(くうがん)という原理を基礎にして、数字の零(空)にこそ一切が充実している、宇宙そのもので有り、極大なるものであり、同時に、極小でもあり、全宇宙が含まれていて、そこでは一大統一が矛盾なく存在していると、説かれる。 空海は、天台は、宇宙や人間はこのような仕組みになっているという構造をあきらかにするのみであり、だから、人間は、どうすれば良いかという肝心な宗教性において、濃厚さに欠けているとのちに、やかましく、議論することになる。 六世紀半ばでの仏教の伝来を考えるときに、玄奘三蔵が、インドへ経典収集の大旅行を敢行してから、或いは、それ以前のバラモン教や拝火教でも、現地の言葉(言語)というものを、何らかの形で、輸入言語・飜訳語・造語されることになることを、今日、忘れがちである。その意味で、サンスクリッドだけでなく、イラン語、中央アジアや印度・ネパールなどの言語も、改めて、その当時の造船・航海術、通信網やら交通の発展程度、当時の技術も、よくよく、念頭に入れておかなければならないであろう。 しかしながら、当時の人々の考え方というものが、今日の我々と根本的に、1000年も2000年も経過したところで、おおいに、隔たりがあるとも、思われない。形而上学的な宇宙論も、一神教も多神教も、旅をするという心も、外国語を学ぶということも、どれ程の違いがあるのであろうか?そう考えると、四隻の遣唐船のうち、運良く、辿り着けた二隻の船に乗り合わせた二人の運命は、当時の航海・操船技術を考えると運が良かったということなのであろうか?それとも、幸運だけでは説明しきれない何ものかがあるのかも知れない。 ヒト・モノ・カネ・情報では無いが、人脈と資金、写経ですら、アルバイトや専門の僧侶雇わなければならず、大変なプロジェクトであることが分かる。サンスクリットの原語を朗読する者、唐語・漢語に飜訳する者、それを整えて文章化する者、校正し直したり、議論したりしながら、何百人という専門家や学僧が関わることになる訳である。印刷技術が発達した今日では、いかにも、当たり前に、経典自身が、印刷されていると錯覚しがちであるが、当時の写経という行為を考えれば、或いは、つい100年も前ですら、本自体が、人の手から、手へと、書き写されていったことも又、事実である。それを考えただけでも、文化の伝来、その基礎となるべき本や、経典ですら、コピーをベースに、或いは、飜訳・造語を経て、行われていることに、改めて、思いを巡らさなければならない。それ程までに、多大な時間と人的なエネルギーが必要とされていたことであろうし、それは、換言すれば、お金がかかっていたと言うことにもなりえようか? 20年と云われる留学期間をあっさりと2年ほどで、終えて、帰国することになるわけであるが、長安での漢民族ではない不空から恵果へと伝授される密教の極意との出逢い、イラン、ペルシャ、回教徒、景教(ネストリウス派の基督教徒)、マニ教、インド僧、ラマ僧、中央アジアとの異文化・異教徒、異国のウィグル族の商人達との出逢い、謂わば、大いなるシルクロード経由での文明論・宗教観との激突という風景が、今日からでも、容易に、想像されよう。一体、現地では、どんなものを食べて、どんな言葉で、どんな人物と文化交流していたのであろうか?護摩修行とバラモン教、ゾロアスター教、拝火教との関連性は、どんなところから、影響し合ったのであろうか? 何故、空海は、密教の中に釈迦が嫌悪した護摩を取り込んだのであろうか?印度系の土着宗教であるバラモン教から系譜を引いているといわれるが、単に、バラモンの修法が、高度に思想化されて、火を真理として、薪を煩悩に喩えて、焼却し尽くすという思想的な進化を遂げることになるのであろうか?炎と行者と、その行者の前に佇立する本尊という三者の三位一体性ということが、果たして、身・口・意という三密行を感応せしめるということに繋がるのであろうか?それは、又、後の内護摩・外護摩(観念のなかで、具体的なものを抽象化して清浄にする)という二つの思想に分化してゆくになる。 具体的な世界は、すべて、煩悩の刺激材であるとみて、具体的な世界がなければ即身成仏という飛躍はできず、その抽象的な世界を、一瞬で浄化(抽象化)してしまう思想と能力を身につけることこそ、密教的な作業であると、だからこそ、後年、空海は、護摩をも、思想化してしまって、護摩の火に薪という具体的なもの、即ち、煩悩が、瞬時にして、焼かれて消滅してしまうという(抽象化)を遂げるという、そういう考え方を持つに至るのか? 護摩業とか、雑密に今日でも連綿として、残っているものは、どのように思想化されてきたのであろうか?それとも、思想が何故、風化されて、単なる儀式行為としか、残らなかったのか? 密教には、二つの体系があると云う。一つは、精神原理を説く金剛経系、もう一つは、物質原理を説く大日経系で、前者は、インド僧、金剛智が伝え、後者は、善無良という、これも又、インド僧が伝えたと謂われている。金剛智は、これを不空に、更に、恵果へ、更に、空海へと伝えたわけであるから、成る程、インド僧たる般若三蔵について、空海が、長安の都で、サンスクリットを学んだとしても、何の不思議はない。更に云えば、キリスト教の宣教師である景浄とも般若三蔵が深い関わり合いを有するとなると、もはや、大日経の経典を入手するという目的だけではなくて、広い意味での当時の中央アジア・インド・ペルシャ・イラン・唐に至る文化的宗教学的な視点が、実は、密教の誕生には、深く、関わっていたのかも知れない。そう思うと、文化交流というもの、宗教の成り立ちにも、様々な、国籍の錚錚たる異国のメンバーが、広く、深く、何らかの形で、直接的にも、間接的にも、関わっていたことが改めて、再確認されよう。それは、これ程、旅が便利になった今日でも、はるかに、想像を超えるものである。単なる大乗仏教と小乗仏教という二つの流れで、アジアへ、仏教が伝播したという単純な問題ではなさそうである。 しかも、西域人であろう不空:インド僧たる恵果:日本人留学僧である空海という系譜の中で、この二つの異質な流れが、互いに、反撥しあい乍らも、生き身の精神の中に、相克しつつ、この両部を一つに、「両部不二」として、空海の中で、止揚・完結されたという事自体が、驚くべき歴史的な事実なのかもしれない。しかも、その密教は、中国では死滅し、国境を超えて、曼荼羅や経典、秘具も含めて、空海により、日本にもたらされたという事実。その意味でも、精神原理と物質原理との双方からのアプローチとしての密教を考えると、今日の素粒子理論やニュートリノ実験の課題なども、まんざら、素粒子だけの問題ではなくて、宇宙理論、物質とは何から出来ているのかという永遠の課題にも、行き着いてしまうほど、底流に、共通項があるようにも思えてならない。 そう考えると、印を結ぶとか、密語を話すとかも、そういう観点からも、考察する必要があるのかも知れない。 何かの番組で、千日回峰を達成した阿闍梨の様子を見たことがあるが、解脱したような老僧の風貌ではなくて、まるで、極地から生還し立ての冒険家のようなエネルギーに、あふれたような風貌であったことを想い起こす。さすれば、若い時の空海という者も、恐らく、当時は、そんな風貌で、山野を跳び回っていたのであろうか? 話を元に戻すことにしよう。 下巻: 千人もの門弟を有すると云われた、金剛界と胎蔵界の二つの密教の世界観を同時に、修めた恵果和尚、しかも、その人生が終わろうとするまさに最後の僅か7ヶ月前に、空海が現れたというその奇蹟にも近い、偶然性、更には、その後、密教自体が、中国でも、消滅してしまったという事実を考えると、得がたい絶妙のタイミングであろうか。 恵果和尚による法を譲り渡すときに行われる灌頂(結縁灌頂・受明灌頂・伝法灌頂という3種類:)の前での投花の儀式での二度に亘る奇蹟、中央の大日如来の上に、投げた花が落ちる。この二回ともというものも、又、偶然なのか?それとも、必然だったのであろうか?そして、恵果より、大日如来の密号で、本体が永遠不壊で、光明が遍く照らすということを意味する、「遍照金剛」という号を与えられる。 灌頂を受けつつも、僅か三ヶ月で両部の秘密(象徴)を悉く学び、二百余巻もの根本経典も原典・新訳・漢語訳を含めて、これらをすべて、独学で、修得したという離れ業。 天台宗を体系自体を全部、国費で仕入れに渡った最澄とは異なり、空海は、謂わば、私費で、経費も与られずに、密教を一個人として、留学生(るがくしょう)として、請益してしまう。しかも、長安での滞在は、僅か2年に満たないで、本来の20年分の経費をも、惜しげもなく、一挙に、曼荼羅や密具への謝礼や経典写経の経費に充ててしまったのである。そして、帰国のタイミングも、後から考えれば、これを逃していれば、帰国できなかったかも知れないという、奇蹟に近い絶妙なタイミングである。入唐時での偶然の漂着、帰国に際してのタイミングという奇跡的僥倖、幸運の強さ、更に、「異芸、未だ嘗て倫(たぐい)あらず、」と唐僧から謳われた異能は、どこから、培われたのであろうか?生来、その人間が有していた固有の才覚なのであろうか?書道の達人、帰国後の三筆と称せられた嵯峨天皇との関係、或いは、長安での文化人との交流、帰国時での詩文の交換など、入唐に至るまでの現地交渉過程での文章力、漢文作成能力、など、こんな多彩な異能は、どう考えたら良いのであろうか? 帰国後から上京までの謎の期間を、必ずしも経典資料の整理の期間とは考えず、むしろ、自分に宗教的、政治的に有利な環境が醸成されるのを意図的に、待ち望んでいた感があると、司馬は解釈する。桓武天皇の死がその後の最澄の政治宗教上の苦境を徐々に、迫ることになる。天台宗が公認されたにもかかわらず、奈良六宗に対する否定的な立場と彼らからの反感を持たれるという相克を生み出すが、空海は、逆に、むしろ、親近感と排撃することをしなかったという政治状況が皮肉にもやがて、醸成されてくる。 最澄は、宮廷に、一定程度の影響力と旧仏教勢力との対決が不可避であったのに対して、無名に近い空海は、むしろ、逆に、それを有していなかった、そのことが、むしろ幸いしたのであろうか? 最澄は、天台過程を止観業と呼び、密教過程を遮那業と呼び、二つを同格視し、伝法公験という証明書紛いまで発行させたことは、密教を飽くまで、仏教の最高地位に位置づけ、これを教学・筆授ではなく、人から人へ秘伝として伝えようと目論んだ空海とは、密教それ自体に対する考え方で、徐々に、相容れなくなる。最澄が、仏教を人間が解脱する方法を道であると考えて、経典を基礎とした教えに、重きを置き、釈迦から自分はこう聞いたということが書かれた経典を中心に、一つの体系として、これを必要とした。むしろ、奈良仏教には、この体系がないとした。 さて、ここで、鎮護国家という考え方:護国思想という罠:について、考えてみよう。 誰一人として、密教伝来の正嫡という、嘗て入唐した日本人僧が得られなかった栄誉を単なる一留学生たる空海が、与えられたという事実。これは、最澄ですら、否定できない事実であろう。空海は、自分が、遠い異国からやってきた異種・異能の者であるという、人種・国境・身分を超えた普遍的な宗教思想家であるという自負、自意識、日本の矮小性を初めから、自覚していたのかもしれない。仮にそうであるとすれば、世俗との関係性において、皇帝とか、貴族とかを認めていたとしても、その宗教上の思想性の展開については、必ずしも、自身の経験と唐での様々な国との、今で謂う外国人との人的文化交流や生活から、そういう類の階層・身分に固執することはなかったのかも知れない。むしろ、異国での異文化交流や様々な宗教に広く触れ、且つ、言語の段階から、直接触れることで、謂わば、当時のコスモポリタン的な視野に、立脚できたのかも知れない。その意味では、国家護持仏教であるにもかかわらず、必ずしも、国という小さな枠では、守れない視点があろう。後の世での高野山の既得権益化と政治支配者化を考えたときに、宗教家の於かれた政治的・社会的な情勢は、権力による庇護なのか、対立・構想へと突き進むのかが、微妙に、別れるところである。 華厳経の世界を具象化した毘廬遮那仏(大仏)が鎮まっているという東大寺の政治的な位置、 新しいものが、旧いものを駆逐するという考えの中では、何故、共に、外国から入ってきた旧来の奈良仏教も、最澄・空海の新しい仏教も、併存する形が可能なのであったのであろうか?純思想的な、或いは、宗教上の純然たる論争による結着ではなくて、むしろ、当時の経済的、政治的、社会的な理由と取り巻く環境の要因が考えられるのであろうか? 平安朝に於ける藤原氏や薬子の乱や道鏡による政争の影響から、或いは、唐での政争を経験することで、安禄山の乱より、如何にして、自身の思想・宗教を守るのか?影響されることなく、如何に守るのかに腐心したのかも知れない。鎮護は、決して、根本的な鎮護国家仏教へと、空海の場合には、繋がるモノではなかったのではないだろうか? 顕教と密教:顕教とは、外側から理解出来る真理で有り、密教とは、真理そのものの内側に入り込み、宇宙に同化するという業法と理論で、空海は、真言宗という体系を樹立することで、密教が顕教をも包含する最高の仏法であるということを、自ら、体現し、明らかにしようとした。顕教を棄教して、宇宙で唯一の真理である密教を、身体と心で、挙げて服することが、本当に、最澄には、出来るのかと疑い始める。書物による伝授法、経典の借用、写経や筆授は、密教に於いては、あり得ないという空海の立場、師承という形以外に、秘事に類する重大なことを含めて、密教は決して相続されないものである。 泰範という最澄の弟子の改宗というエピソード的な出来事についての考察、: 経を読んで、教養を知ることは真言宗では第二のことで、真言密教は、宇宙の気息の中に、自分を同化する法である以上、まず、宇宙の気息の中にいる師につかねばならす、その師の指導の下で、一定の修行期間が与えられ、心身を共に、没入することによってのみ、生身の自分を仏という宇宙に近づけられ得る。宇宙とは、自分の全存在、宇宙としてのあらゆる言語、すべての活動という三密(動作・言語・思惟)を止まることなく、旋回しているが、行者もまた、この宇宙に通じる自己の三密という形で、印を結び、真言(宇宙の言葉)を唱え、そして、本尊を念じ、念じ抜くこと以外に、宇宙に近づくことは出来ないし、筆授では、決して、成し遂げられないと考えられた。最澄は、密教の一部を取り入れようとし、決して、密教そのものの行者になるつもりは決してなかったのではないか?だから、灌頂を受けても、あとは、書物で、密教の体系を知ることが可能であると、考えていたのであろう。最終的には、伝法灌頂を授けずに、程なく、経典を貸すのみで、両者は、その途中の紆余曲折の過程は別にして、結果として、断交状態に近い形になる。 飛白書という奇抜な書体についてである:書というよりも絵に近い、文字によって、筆も変えなければならない。能書は、必ず、好筆を用うと、南帖流の王義之や北魏流の顔真卿らの書風・書聖に話は、移ってゆく:「書とは、自ずから己の心が外界の景色に感動して自ずから書をなすもの」であり、「万象に対する感動が書には、籠もっている」と、更には、「書の極意は、心を万物に散じて心情をほしいままにしつつ万物の形を書の勢いに込める」のであると、「すべからく、心を境物に集中させよ、思いを万物に込めよ」、更には、「書勢を四季の景物にかたどり、形を万物にとることが肝要である」と、何とも、悪筆の自分などは、いつも、PCのタイプの助けを借りなければ、文章を書けないのに対して、誠に、苛烈な容赦ない言葉である。 しかも、その書体自体が、思想的な論理構造にも、何らかの形で、関係しているとまで、云われると、もはや、グーの音も出ないし、おおいに、悪筆を恥じ入らざるを得ない。 空海の書には、「霊気を宿す」とまで云われると、何をや、謂わんであろうか? 自然そのものに、無限の神性を見いだすという考え自体、自然の本質と原理と機能が大日如来そのもので、そのもの自体が、本来、数で謂えば、零で、宇宙のすべてが包含され、その零へ、自己を同一化することこそが、密教に於ける即身成仏徒でも云えるのか? 入定という思想:空海は835年に、紀州高野山にて、62歳でその生涯を閉じる。奥の院の廟所の下の石室において、定にあることを続け、黙然と座っていると信じられている。後年、俗化してしまった高野聖や高野行人や後世の中世半ばの荒廃を思うとき、その思想性の高邁さと孤独性が感じとられる。入定と入滅とは、おおいに異なり、この世に、身を留めて、定に入っているだけであると。一切が零で有り、且つ、零は、一切であると云う立場の空海が、「留身入定」という考え方を、信じながら、なくなっていったとも、考えられず、後世の結局は、言い伝えなのであろうか?「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなむ、」とは!!、「薪尽き、火滅す」と弟子の実慧は、師匠の死を唐の都にも、伝えている。 風速計で、風力の速度を知ることが、顕教とすれば、密教は、むしろ、風そのものですら、宇宙の普遍的な原理の一部に過ぎず、認識や近くを飛び越えて、風そのものになる(化ける)ことであり、即身にして、そういう現象になってしまうにしても、それはちっぽけな一目的で、本来は、宇宙の普遍的な原理の胎内に入り、原理そのものに化してしまうことを究極の目的とする。当時の宗教のレベルは、1200年も経った今日でも、誠に、不可思議で有り、「人間の肉体は五蘊(ごうん)という元素が集まっているものである」そうであるが、確かに、般若心経の一句でも、「照見五蘊皆空」(ショウケンゴウンカイクウ)「度一切苦厄」(ドイッサイクヤク)となっている。よくよく、文字の一語一語をしっかりと理解して、読経をしなければならない。まるで、ナノテクか、原子物理学の世界に迷い込んでしまいそうである。それでは、ひとつ、般若心経でも、唱えてみることにするか?さてさて、いよいよ、四国巡礼、阿波足慣らしのまずは、決め打ち準備に、掛かろうとするか!?足許不如意だから、サイクリングで、ゆっくり、ゆくとするか?雨が心配であるが、考えてみれば、雨も又、自然、宇宙の一部に過ぎないのであれば、自分も又、同様なのであろう。そう考えれば、濡れることも当たり前なのであろう。恐るるに足りぬか?でも、やはり、レインコートは、必要かな?一応、リストに入れておこう。
0投稿日: 2015.06.04
powered by ブクログブクログで小説のカテゴリで初めて★5をつけた。かつ暑苦しい司馬遼太郎の小説で二度読んだのは「関が原」と「空海の風景」だけ。それぐらいこの小説が好き。 空海は約1200年前の人物であり、そういう遥か昔、かつ宗教と言う精神世界のことを小説になんかできるわけないだろう、という作者の開き直りからこの独特の小説が生まれるわけだが、まさに小説と言うよりも心象スケッチである。 でも、それがよい。司馬遼太郎の想像力や思考がどういうものであったか、そして中世の日本人や中国人、そして仏教のことがおぼろげながらもいろいろ理解し、消化されていくようでなんとも好奇心をくすぐられる作品になっている。 先日訪問した高野山のある住職の方が、「空海と言うのは"日本的"と言われるもののほとんどすべてを作った。いわば日本と言うOSを作った人という感覚。そう長くはない活動期の中でこれだけのことをやれたという点において、アリストテレスやレオナルド・ダヴィンチと並び称されててもよいぐらいである」とおっしゃっていたのだが、そういった空海の類まれなる才能はこの作品を通じても余すところなく伝わり、それを司馬遼太郎はある種のうさんくささをもった人物として空海を表現している。空海とは、それぐらい実力も山っ気もある人物だったのだろう。 今年高野山は開山1200周年。この小説を読んでぜひ高野山にいってみよう。 (上下巻共の感想)
3投稿日: 2015.03.28
powered by ブクログ高野山に行く前に空海について知りたいと思って読んだ。 小説というか… 空海が考えた、見た、であろう風景を司馬さんが想像して書いてる。日記みたいな感じ。 難しいけど下巻もがんばるぞー
0投稿日: 2014.05.04
powered by ブクログ空海の天才性、性向の明るさ、派手好き、外連味は非常に魅力的。 でも最澄の謹厳実直な感じも好感が持てる。 唐、長安の華麗な描写が印象深い。
0投稿日: 2013.12.31
powered by ブクログちょっと変わったタイプの読書になりました。 多分、はるか以前・・・1年くらい前に、買ったんです。 で、しばらくなんとなく放置・・・。半年くらい前に読み始めました。 で、しばらくしてまた、放置・・・。 司馬遼太郎さんの小説は、「それで育った」と言い切れるくらい、 10代の頃に舐めるように読みました。 ただ、この「空海の風景」はとっつきにくくて、読んでなかったんですね。 なんとなく、折角今、近畿に住んでるしなあ、と。 なんですけど、覚悟はしていたんですが。これ。 小説・・・でもないんですよね。歴史本・・・でもないのですが。 歴史エッセイ・・・。とでも言うべきか。 でも、空海の人生を一応経年変化で追って行くんですよね。うーん。 で、仏教に関してのいろいろな考察など、面白いんですけど。 ちょっと乗り切れなくて、中断しちゃったんですね。 それが、つい1週間ほど前からなんとなく、再開しまして。 読んでいくうちに、面白くなりました。 やっぱり・・・これは不思議な本です。 司馬遼太郎さんの、まあ晩期にあたる1975年出版の本です。 これ以降は「胡蝶の夢」「項羽と劉邦」「ひとびとのあし音」「箱根の坂」「菜の花の沖」「韃靼疾風録」。しか、書いてません。 なんていうか、エッセイのような歴史本のような、でも小説なんですね。 空海の人生をたどりながら、考察しながら、 時折、 「小説であれば、こういう場面であろう」 「小説であれば、こう話しかけただろう」 みたいな感じでちょっと小説っぽくなるんですね。 でもすぐ、地の文とでもいうべき文体に戻ります。 司馬遼太郎さんという個性と一緒に眺める、空海の風景。 司馬遼太郎さんが語る、空海の風景。 当然ながら、「竜馬がゆく」とか「燃えよ剣」とかに比べると、 オモシロクはないんですね。でも、趣深いというか。 ざっくりいうと、シブイ、とでも言いますか。 なんていうか、 「いや、別に、面白くも出来るけどね。 ・・・あんまりもう、ウケ狙って面白くしたくは、ないんだよねえ なんかこう・・・そうじゃないけど、それなりに面白いっていうか そういうことしたいねえ・・・」 という感じがするんですよね。 この辺以降の晩期の司馬遼太郎さんって。 (うーん 例外は「項羽と劉邦」か・・・アレは、無茶苦茶面白かった記憶が) だから、この「空海の風景」では、 序盤だけ出てきて消えていく美女とか、 そういう構成破綻がありません(笑) それで、確かにこういう手法と語り口でしか味わえない、 平安時代の風景、司馬遼太郎が語る古代史の香り。 それを楽しみつつ、それでもやっぱり、司馬さんの小説だなあ、と思ったのが。 主人公・空海。やっぱり司馬さん好きなんですねえ。 ほんとの空海のことは、僕はさっぱり知りません。 だから、別に何も批判でも賞賛でもないんですけど、 とにかく "司馬空海" さんは、やっぱり合理主義者だし、楽観主義者だし、カラっと晴れたところのある人。骨太な英雄タイプ。 そして、そういう空海が、歴史の中にムックリと立ち上がる瞬間。 コレ、上巻の見せ場なんですけど。 遣唐使になって、団体の末席みたいにして唐に渡ります。 渡った先で、正式な日本の使者団と認められず、100人を越す団体が、 死ぬか生きるかという瀬戸際に追い詰められる。 打開するには。 「唐の役人たちが、のけぞるような、知性と品格溢れる漢文」 を書いて、提出するしかない。 そこに、全員の生死がかかってるんですね。 そこで、身分の低い末席の空海に白羽の矢が。注目を浴びる空海。 全く揺るがない自信。毛穴から溢れる才能。 書き出す。書き続ける。その文章が、唐の役人をのけぞらせ、中国の知識人たちがひれ伏し、遣唐使一行を救い、空海を歴史の舞台へと一気に押し上げます。 もう、この辺の描写なんて・・・。小説じゃないんですよ。でも、物凄いワクワク感に震えます。小説でもないのに。 ここんところの不可思議さ、ほんとに魅力ですね。 司馬マジック。 そして、なるほどなあ、と思うのは。 この遣唐使に、空海と最澄と両方いたんですね。 こういう歴史のワクワク感を掴み取るのが上手いんですよね。司馬さん。 という訳でこれは、 「司馬遼太郎版・遣唐使」 であり 「司馬遼太郎版・奈良~平安日本仏教史」 でもあります。 なんだけど、そこがすごいなあ、と思うのは。 僕は別に仏教の深奥についての興味はありません。 司馬さんは仏教に詳しいし、興味もすごくあるんでしょう。 僕は仏教について突っ込んでいく文章のときは、正直、流し読みしちゃいます。 でも、面白いんですね。 うーん。 阿佐田哲也さんの「麻雀放浪記」は、麻雀のルールが分からなくても、面白いから傑作だ、ということなのか。 でも、逆に興味なくても、ある程度仏教のことが分かってきちゃうんですよね。 三浦しをんさんの「風が強く吹いている」を面白く読んでたら、嫌でも箱根駅伝の仕組みや見所が分かってしまう、ということなのか。 どうやら下巻は、上巻より面白そうです。 楽しみです。 でも、読了は年明けになるかなあ。
2投稿日: 2013.12.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
空海の生い立ちから、入唐した長安での活動まで。司馬遼太郎はこれを「小説」断っているけれど、自分なりの想像・解釈を相当入れたと言う事でしょう。ちょうど坂の上の雲も同様の形式です。
0投稿日: 2013.03.03
powered by ブクログ空海は濃い人だとわかった。 小説の主人公として非常に面白い人材なのに小説になっていない。夢枕獏の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」の方がよほど良い。 でも下巻も読む。
0投稿日: 2013.02.16
powered by ブクログ高校で日本史を選択しなかった私には、空海は真言宗の開祖、弘法大師というくらいの知識しかありませんでした。 この本を読むと、空海が巨人であり天才である様がありありと目の前に広がってくるようです。人間空海を感じるし、それでいて人間離れした空海も感じる。 空海の凄さを、司馬遼太郎が削ることなく書き下ろした作品だと思います。 下巻が楽しみ。 年間30冊を目標にしていますが、2011年が18冊、2012年が22冊。今年こそは!と正月に誓ったのですが、1冊目が1月の終わり・・・ 幸先悪し。これから頑張ります。
0投稿日: 2013.01.31
powered by ブクログほとんど空海については予備知識もなく読んだ。 俗名が「佐伯真魚」であった(らしい)ことさえ、知らなかった。 その時代や、空海の人となりについて、司馬遼太郎的解釈かもしれないけれど、イメージができてきた。 上巻は、空海の唐での留学生活までが描かれる。 同じ遣唐使船で渡った最澄とは、境遇から人柄まで、対照的。 「弘法筆を選ばず」という言葉ひとつで、勝手にストイックな人物というイメージを持っていたが、むしろ溢れる才能を見せ付けることに躊躇しない、あくの強い人物であったようだ。 読んで楽しいのは、やはり唐へ渡るあたりから。 文章もいきいきとしてくる。 一緒に唐に渡った橘逸勢との関わりも加わって、「小説的」になってくる。 「小説的」ということで言うなら、不思議な小説だと思う。 「いまさらあらためていうようだが、この稿は小説である。」(一、p31) 「この章では、少年の空海が、奈良を出て長岡へゆくことになっている。」(二、p59) 上のように、この本が小説であることを、あちこちで自己言及している。 読者を歴史の現場にまるで立ち会わせるかのような書き方をするものとは一線を画している。 資料を読み、識者の話を聴き、そしてゆかりの土地へ行き、そうしたなかから立ち上がってくるものを掴み取ろうとしているこの叙述の意図はよく理解できる。 司馬遼太郎の作品は、この間やっと『坂の上の雲』全巻を読んだだけだ。 だから、本書のような作風が、空海という伝説に彩られた、古代の人物だからわざわざ選び取られたものなのか、それとも司馬が歴史ものを書くときに特有なものなのかはわからないけれど・・・。
1投稿日: 2012.12.24
powered by ブクログ空海というニンゲンへの知識は 満濃池と弘法大師という二つだけである。 私の知識は 小学校で学んだだけでとまっている。 『空海』という名前は 空と海 をあわせもった男としての スケールの大きさを感じさせるものがある。 空海の道を開いた・・理趣経。 宗教という枠ではなく 人間の中に宗教を見出す。 自然から生まれた宗教があれば・・・ 人間から生まれた宗教があってもいい。 空海は 欲望をみとめて 大きな道を切り開いた。 司馬遼太郎は 『空海』を書くにあったって 空海の風景という題名にしているのが卓越している。 空海というニンゲンをその時代の風景をかきながら、 浮かび上がらせるようにしている・・。
0投稿日: 2012.10.25
powered by ブクログ前半生をうすく語ると、 幼少の頃より天才の誉れ高く、讃岐の人々の期待を背負い、上京、大学入りするもすぐ中退。 20代のほとんどを仕事もせず山中をプラプラするか寺に引き篭るかして過ごす。 30ぐらいの時「口の中に明星が飛び込んだ!」と大騒ぎ、出家する。 その後「わが国に真の密教をもたらす」と唐への留学を決意。 地元の名士、奈良仏教界の大物達をたらし込み、留学資格と20年分の留学費用を捻出させる。 ※とにかく達筆で文才があったので、ここ一番は口八丁ならぬ、筆八丁で難局を乗り切る。 しかし、留学するも20年分の滞在費をたった2年で使い切り、本来20年間の滞在期間を筆八丁で屁理屈をこね正当化、たった2年で帰国。 が、 九州にて1年間消息を絶ち音信不通に・・・ とにかくデタラメで手前勝手なのですが、その後の功績や今日に至る仏教界での影響力から省みて、あらゆる『奇行』が『天才ゆえの所業』へと昇華されていきます。 お、面白い。。。 下巻へつづく
0投稿日: 2012.07.26
powered by ブクログ空海の生きた時代背景をよく調べ、資料の解釈も小説家らしくおもしろい。司馬さんの他の多くの小説と異なり、会話が少なく、テンポが遅く、読む方はなかなか進まない。じっくり読みたい。12.7.22
0投稿日: 2012.07.22
powered by ブクログいわゆる司馬遼太郎の歴史小説を想像していたが、印象は違う。歴史学者が書いた歴史書に近い雰囲気。あまり感情移入ができない。
0投稿日: 2012.07.07
powered by ブクログ12/02/03 今回は平安時代と資料が少ないからか、本人ではなく第三者的な視線から描く。とは言っても、司馬さんの相変わらずの知識・調査力は圧巻。上巻は唐に渡り恵果に会うまで。いよいよ遣唐使として唐に渡るところからが特に面白かった。
0投稿日: 2012.02.05
powered by ブクログやっとよみおわった。戦国時代のヒーローものじゃないので、分かりやすいサクセスストーリーでなく、なかなか進まない。さて次は下巻だ。
0投稿日: 2012.01.11
powered by ブクログ空海さんたらむっつりスケベなんだから。でもその欲をベクトル変換して高次な精神世界に昇華できるんだから偉大だ。 この本は史料なんだろうが、読んでいて「研究」という堅苦しさを頭から忘れさせてくれる爽やかさが感じられる。 誰かもレビューに書いていたが、本当に風景がそのまま伝わってくるようだ。 並行して陳舜臣の『曼荼羅の人』を読んでいるのだが、互いにいい影響をだしあって、2冊ともとても読みやすくなっている。 ~本文で印象に残ったとこ~ 空海は当時では命がけの遣唐使船に乗り込んだが、全く恐怖はなかった。というのも、彼は自身が日本に密教を持ち帰るための使者としての天命を持っているのだから、途中で失敗するなどという考え自体が微塵もなかったのだ。 そういえば、黒柳徹子さんもユニセフで地雷地帯に行った時、地雷原に現地の子供のサッカーボールが入ってしまったのを何の装備もなくとりに行ったんだとか。というのも「自分はここの子供たちを助けるという使命を持ってここにいる。だからここで死ぬはずがない。」かららしい。 使命感のある人生って痺れるね!!
2投稿日: 2011.10.16
powered by ブクログ司馬遼太郎だけど、奈良・平安時代なので現存資料が少ないのか、空想で風景を描いている感じ。長安の半ばまでが上巻。
0投稿日: 2011.10.15
powered by ブクログ平安の巨人空海の思想と生涯を描いた小説です。 読む前までは、歴史小説かな?と思っていたのですが少し違っていました。 空海が生まれてから~唐の長安にたどり着き密教の教えを請いに、恵果に会いに行ったまでが明らかにされています。
0投稿日: 2011.10.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
世界的な思想家・宗教家というのは様々存在するが、古今の日本人でその中に参加しうる唯一の人物であると作者が言うように、あの時代でこれほどの分析力を持って、倫理的な思考が行える人物が存在していたことに驚かされた。
0投稿日: 2011.10.04
powered by ブクログ空海という人物が宗教家というよりも思想家、変革者としての一面を強く持っているのをこの本を読むとよく分かる。また、弘法大師伝説にも見え隠れする事業家としての側面など、興味深い人物であるのを改めて感じた。
0投稿日: 2011.09.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
須藤元気の「幸福論」を読んで、そのネタ本の「空海の風景」を読み始めた。 日本文化のベースが垣間見れて、興味が沸いた。上巻はすすっと読めたが、 下巻は遅々として進まない。下巻の登録が少ない事実もなんとなく察することができる。
0投稿日: 2011.09.23
powered by ブクログ20110821実家から取り寄せ中。 NHKのBSアーカイブの録画を視て、改めて読むかと。 空海の書にちょっとびびりました。曼陀羅や仏像はよく言われますが、書は盲点やったな。 東京でやってる展示を観たかったのだが、先月は谷中巡りで行けなかったのを後悔中。週末、上京しよっかな。。。期間いつまでだ?
0投稿日: 2011.08.22
powered by ブクログ人生を、というか世界を切り開いていく人物の鼻息のものすごさを読んでいて感じた。「風景」という名が付けられ、小説=フィクションという形をとってはいるけれども、そこにいる空海本人の息遣いは確かに本物だ。こんな魔法使いみたいな人物が本当にいたんだと思うとワクワクしてくる。 「超人」空海と「秀才」最澄との対比も面白い。そこにはしっかり「人間味」のある二人の姿も浮かび上がってくる。 丹念に取材され、わかりやすく構成された内容。飽きさせない上下二巻である。
0投稿日: 2011.04.05
powered by ブクログ空海がどういう人物かほとんど知らなかったので、とても興味深く読めました。 あまりにも偉大な人物ゆえに、描き方に気遣いすら感じられます。空海の実像に迫ろうとするが、人物の大きさに近づきたくても近づけないような凄みを感じおもしろかったです。
0投稿日: 2011.03.18
powered by ブクログ遠い昔の人の話であるため、史実に乗っ取りつつも、著者の推測を多分に交え、傍証で空海の人物像を浮き彫りにしている。 「○○だっにちがいない」「きっとこういったであろう」などの表現を巧みに交えながら、自然と空海象を知ることが出来た。 空海は讃岐出身の人。 国の大学に行き明経科に行くが、現世のみを扱う儒学に不満を抱き、すぐに退学。 空海は性欲を押さえない生命力に満ち人物。 その後私度僧となる。 空海は「三教指帰」をいう戯曲を著す。 空海は密教である虚空蔵菩薩を伝授される。密教は肉体や生命を尊重する。伝授により、現世を肯定し、自然を驚嘆讃仰する。自然を知りこれ動かす方法を知った。 阿波の大滝獄で修行する・ 室戸岬へ修行に向かうが、大変な苦行であった。そして不思議な体験も経験する。室戸岬では、ひたすら求聞持法で山河の精霊と闘っていた。 大日経に出会う。しかし、梵語がわからず入唐を決意する。 最澄は空海とは異なる性格で、後年空海は最澄に様々な悪意ある行い、論争、非難する。 天台は、宇宙、人がどうなっているのかを明らかにするのみで、同比とは生きていくのかが明らかではないと空海は批判した。 入唐にあたり空海は全て自弁で対応した。 国際色の長安において、空海は様々な所へ出かけただろう。 長安に来て6月、空海は目的である密教教えてもらうために、すぐには行動しない。空海の名声がある程度聞こえた段階で、恵果のところへ赴く。 恵果のところへ行くまでに梵語、サンスクリットなどを理解していた。 恵果は、空海を厚遇した。自分の教えを継ぐ人物だと考えていた。 空海は国から何の命令もなく、わずかな金銭をもらっただけで密教の正統後継者として帰ってきた。 知を得た空海は2年で帰国する。 最澄はわずかに密教を学んだ。最澄が帰国したとき、天台よりも密教がはやりになっていた。
0投稿日: 2011.03.06
powered by ブクログよく「知の巨人」というけれども、空海は桁が外れた「巨人」なのだろう。司馬遼太郎の中では難解な部類だろうが、それは空海の存在そのものが難解だからだろう。 奥が深い。
0投稿日: 2011.02.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」は、その緻密な事実確認・考証をもととした壮大なストーリーを描ききっていることから非常に好きな作品だ。 本書は、その坂の上の雲の執筆前の資料収集時に、明治時代の具体的世界の確認作業に倦んでいた著者が、長年温めていた平安時代に発生した空海の形而上世界を小説にしたものいう位置づけとなる。 空海については、これまでの生活や義務教育等を通しても、「名前は聞くけどイマイチよくわからん存在」であった。 坂の上の雲の読了後、よい機会であると思い、空海についての本を読んでみようと考え、本書を購入した次第。 本書は、空海、その弟子、そして後世の人間の著作・資料をもとに、司馬遼太郎の考証を展開している。 考証内容 ・当時の文化的最先端(唐・長安)における評価 ・発展途上中の密教に対する純化と総合化の開拓 ・日本文化史上、初めて地域性に縛られることなく存在した、普遍性を持った人類的思想の保持者 ・卓越した企画力・行動力 感想としては、当時の仏教における世界の風景(日本、唐、インドの関係・思想体系の進捗)に対し、空海の才能が痛快にマッチする。 空海は、アウトサイダー・異端者だと感じた。そして、生半可ではない天才だった。 日本の歴史上にこのような、異能の存在があったことをもっと知るべきだと感じた。 読了後、タイトルにあるように「空海の風景」がおぼろながらに見えてくる。これこそ、司馬遼太郎が表現したかったことなのだろうと思う。
0投稿日: 2011.01.09
powered by ブクログ空海が唐の大僧、恵果と出会うまでの話。 作者は好き。仏教、平安時代にも興味はある。 が、本作品は推測している様な表現が多く、 非常に読み難かった。例えば、 「~と思われる。」 「~と言ったに違いない。」 「~をしたと考えるのが自然である。」 といった語尾の多用。 空海に対し断定的な表現は恐れ多かったからか。 または、類推と事実を明確にすることにより、 正確な空海像を浮かび上がらせたかったのか。 理由は分らないけれど、多分二度と読み返さないでしょう。 一応、下巻は読むつもりです。
0投稿日: 2010.11.20
powered by ブクログはじめて行った欧州一人旅で、なぜかずっとこれを読んでいた。空海と最澄の対立、特に天才空海を前にしての最澄の葛藤が、どこか自分と重なって見え、突然の許しをもたらした。雷に打たれたような衝撃の後、車窓の景色が突然ひとつ明るくなった。
0投稿日: 2010.10.01
powered by ブクログ5/16:空海自身の物語ではなく、司馬先生を通じた空海に関する話というより論文なので、正直読むのに疲れた。申し訳ないが挫折...もっと大人になってから読み直そう。 ---------------------------- 5/10:いつも読んでいるような戦国や幕末といった歴史小説と時代が異なるだけに、興味がある。密教文化を作り上げた空海とはいかなる人物なのだろうか?
0投稿日: 2010.05.10
powered by ブクログ上巻では、真言密教を作り上げた空海が留学生として唐へ渡り、師匠となる恵果に会うまでを書いている。 空海の幼少のころからの天才性としたたかさというか、人間臭さが描かれている。 現在でも、「弘法大師」「お大師さん」と言った名前で日本中で親しまれている空海のしたたかさ、人間臭さと言うとちょっと意外な感じがするが、作者の描く空海は驚くほど、人間世界に通じている。 マーケティングの参考になるかも。
0投稿日: 2010.05.03
powered by ブクログ文学の中に なかなか登場することのない香川県だが、 司馬遼太郎の『空海の風景』(中公文庫)に 少しばかり讃岐の風景に関する記述がある。 その一つが、 「讃岐の真野(まんの)の地で荒れていた古池を築きなおした」満濃池。 「ほとんど湖ともいうべき当時の日本で最大の池」が 「いまも野をうるおしている」ことは、 「空海の風景」が書かれてから数十年たった今でも、間違いないし これから先も、きっと変わらないだろう。 この時、 「空海の故地」へいく道を、 たとえば高松を出て予讃線ぞいの国道を西へ行き 国分寺を経て 府中から国道を離れ、左に折れて県道をとっている。
0投稿日: 2009.10.16
powered by ブクログ小説というよりも研究論文のような読み物です。読みすすんで空海の生きた時代背景、境遇などの外堀が埋まっていくうちに空海自身はホントどういう人だったのか実物を見たい!タイムマシーンがあれば!ドラえもーん!!と叫びたくなります。それもそのはず、あとがきで司馬さんはこう記されていました。「その人物を見たこともないはるかな後世の人間が、あたかも見たようにして書くなどはできそうにもないし、結局は、空海が生存した時代の事情、その身辺、その思想などといったものに外光を当ててその起伏を浮かび上がらせ、筆者自身のための風景にしてゆくにつれあるいは空海という実体に偶会できはしないかと期待した。」つまりは筆者自身が空海にめぐりあいたいと誰よりも切に願いそう期待しつつ研究した経過を書き記したものなので、読者にもそういう著者の思いが読んでるうちに伝わり空海に会いたくなるのだと思います。こういう読み物を読むのは正直しんどいですけど、とことんまで研究し尽くそうといういう姿勢、好きだからはからずもとことんなんだと思いますが、そういう著者の濃い読み物は自分の中に貯まっていくものだと思います。
0投稿日: 2009.07.20
powered by ブクログ最澄と空海 どちらも、日本仏教における、最大規模の偉人である。 ここでは空海のその半生に絞り、作者独自の視点で、その貴族出自の宗教家の足跡を追う。 日本に於いていち早く密教を大陸から持ち帰り、その教義を必要とした時の権力者たちとの 蜜月時代までを描く。 時代の求めた密教の本質を見抜く空海のその異質ともいえる視点を その出自にまで仔細にわかりやすく読みくどく著者も又空海並の慧眼の持ち主だといえるのかもしれない。
0投稿日: 2009.02.21
powered by ブクログ司馬遼太郎さんの著書の中ではこの本が一番好きです。頁から著者の声が聴こえてくる気がします。空海の(というか著者の?)持つ価値観・世界観は現代の私たちこそ持たなければいけないもののように思います。繰り返し読むたびに感銘を受けます。
0投稿日: 2008.12.20
powered by ブクログ空海ったら… めちゃくちゃ最澄を敵視してたんですね。 天才で、策士で、肉体頑丈で、… なんでも持ってる空海が敵視する『最澄』にものすごく興味が湧きました。 『純粋な人』ってことなんですが。。。 司馬さん、最澄の本書いてないのかなぁ〜
0投稿日: 2008.12.17
powered by ブクログ須藤元気に影響され読んだ一冊。 空海の天才、偉人、合理的考え、芯があり他から影響されない人柄が 読み取れる。 今の自分には難しい内容だが、情景がまじまじと浮かびあがってくるので 司馬さんはすごい。 6月23日 読破時間:6時間以上。 続けて、下巻に突入!
0投稿日: 2008.06.26
powered by ブクログ真言宗の開祖、弘法大師空海 西暦800年頃のお話 その時代の中国や日本の情景が頭に浮かぶ おもしろいです 南無大師遍照金剛
0投稿日: 2008.06.18
powered by ブクログ上下二巻二冊。空海という、史上稀にみる天才がいかにして成立しえたのか。天才肌の研究者の中には神業の如く緻密な史料の分析により、時としてあたかもその時代が肉眼で見えているかのように語る人があるが、司馬遼太郎は将にそうした中の一人であろう。そこにいるのは高潔な聖(ひじり)空海というよりも、人間空海である。まるで彼の呼気が伝わってくるかのように、鮮やかに空海の歩いた道を描き出す力作。
0投稿日: 2007.08.07
powered by ブクログ1000年以上前に生きた空海が、近所にいるような行生きいきと躍動している。嵯峨天皇も教科書で読む100倍の親近感で迫ってくる。小説で出てくる、文献が非常に興味深く第一級資料を図書館で手に取るきっかけにもなりますよ。
0投稿日: 2007.06.16
powered by ブクログ空海は、あらゆる分野で活躍した巨人である。その全体像を描くことは、並大抵の力で出来るものではない。それを司馬遼太郎が手をつけた。時代の風景も浮きあがらせている。
0投稿日: 2007.01.09
