
総合評価
(74件)| 13 | ||
| 26 | ||
| 16 | ||
| 1 | ||
| 3 |
powered by ブクログ解説を読むことで腑に落ちる箇所がいくつか。 断章っぽくなっていて、悪く言えばとっ散らかっている印象も受けたが、それが一周まわって読みやすくもあるし面白いと感じる不思議な経験をした。 ただし、本作でデュラスを初めて読む自分からすると、どうしても「自己完結しすぎだろ!」とツッコミたくもなる。小説なんて全部そうだろと言われればそうだが、それにしても……というか。 本作を「詩的で、幻想的」と言いきれないのはこういう点も含めてのことだ。純粋に詩的と言うには個人的すぎるような気もする。自己正当化とか、そういうことじゃないのも何となくわかる。 それでも、すごく嫌な言い方をすれば、独りよがりで、それっぽい文章を書いて気持ちよくなっているような臭さがまだ残っているように思えてしまう。と言うよりは「匂い立っている」と言うべきかもしれない。強烈に。 最終的には「そういう作品」と割り切るしかなくなった。が、少しモヤモヤする。 とはいえ、本作の絶妙な感じの理由には、作者と読者のギャップと言うよりは、「時間の差」があるようにも思った。老年期の、老成した人なりの時間感覚、スピード感(あるいはぶつ切り感)と言えばいいのか。もう少し歳をとったら違うかもね。
0投稿日: 2026.03.12
powered by ブクログあくまで自伝的 自伝小説ではないのでご注意! 記憶を辿りながら、美しくも脆い情景を映し出してくれる。 古いモノクロ映画をガサガサのスクリーンで見ているような、幻想的な話だった。 アジアの情景と熱愛、ただ少女によくある、後になってあの気持ちは熱い恋愛感情だったのだ、と気づく類のもの。官能的であるけれど、決して下品なものではない、靄がかかった情景 人に勧めたいとか、再度読み直したいとか、あまりそういう気持ちにはならないけど、 読んでよかったな、と思う作品
0投稿日: 2025.10.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
大好きな友達と、自分の人生で好きな本10冊あげようという会話をしている中であげていたので。 あっという間に読んでしまいました。 あの映像(イマージュ)… 海、かたちのない、単純に比類のない海。 男は女に言った、以前と同じように、自分はまだあなたを愛している、あなたを愛することをやめるなんて、けっして自分にはできないだろう、死ぬまであなたを愛するだろう。
2投稿日: 2024.04.28
powered by ブクログ「十八歳で私は年老いた。」この一言が強烈に印象に残る。タイトルで手を出しにくい作品かもしれないが、是非一読を。
0投稿日: 2022.11.26
powered by ブクログ【オンライン読書会開催!】 読書会コミュニティ「猫町倶楽部」の課題作品です ■2022年8月30日(火)20:30 〜 22:15 https://nekomachi-club.com/events/6abcbfc41d4e
0投稿日: 2022.08.13
powered by ブクログもう大変。 とんだおおやけどってやつです。 読み方がまずわからん。 彼女はわたし?彼女もわたし? 飲み込まれ、放り出され、やけどしつつ、溺れたり、慣れない読書でした。 この暑い中読むのには適してしたかな。 一言では言えない濃密な人生、しかもかなり前半で。 生き延びるために快楽を存分に解放する。閉じ込めておくわけにはいかなかった、そうしたら死んでしまう。 解説を読んだら理解が深まるかと思ったら、ますますドツボ。 修行が全然足りませぬ。
0投稿日: 2022.06.16
powered by ブクログ文章が独特で、一人称から三人称になったり実験的な小説だったように思う。それでもデュラスの言葉は芳しく広がり、とても自由奔放のそのものだ。 ストーリーを堪能するまえに、まずはデュラスの背景を知らなければならないように思う。自伝的小説による宿命だ。 「十八歳でわたしは年老いた」嵐が過ぎ去ったあとのデュラスは何を見ただろう。 中国の男性と白人の娘による決して官能的ではない、愛の物語。
5投稿日: 2022.01.19
powered by ブクログ高校生の時映画を観て本も読んだ。確かに切ない話ではあったけど、経験値も低く免疫もなかったのでこういう世界もあるんだ、程度だった。 歳をとった今読むともっといろいろわかるのかもしれない。
2投稿日: 2021.10.16
powered by ブクログ「仏領インドシナを舞台に15歳のときの、 金持ちの中国人青年との最初の性愛経験を語った自伝的作品。」(表紙裏より) 映画は観ていないが、予告編の雰囲気に記憶があるので、 エロティックで妖艶な恋の物語だろうと思っていた。 ところがなんと哀しい可憐な少女の心。 そして文章の美しさ。 インドシナのメコン川デルタ地帯、靄と湿地とのけだるい空気。 愛人との出会いの迫力、愛人と過ごす時間の濃密さ。 そのひまに見え隠れする少女の家族。 その家族の精神のあやうさ、すさまじさ。そして、貧しさの原因。 文章が美しいと言ったが翻訳とて、言葉というより構成がいいのかもしれない。 一人称、三人称と自在に変わり、情景もめくるめく、時も行ったり来たり、 まるでデュラスが思い出を思いつくまましているようにみえて、 しかし、印象深い作者の思索。書きたい意欲。みずみずしさ。 作者これを書いたとき60歳だったのだ! もうひとつ。 この本の表紙、18歳の美少女が作者自身で、 みかえしの老いた作者のお顔をみて、のけぞってしまった。
4投稿日: 2021.08.31
powered by ブクログこちらの作品、ブクログに登録した日は、2015年2月18日ですが、レビューを書いていなかったので、本日(2021年7月5日)書きます。 著者、マルグリット・デュラスさん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。 マルグリット・デュラス(Marguerite Duras, 1914年4月4日 - 1996年3月3日)は、フランスの小説家、脚本家、映画監督。 ヌーヴォー・ロマンの作家の一人に数えられることもあるが、キャリアの点でも作風の点でもヌーヴォー・ロマンの枠内には収まらない。 この本の内容を、適当なところからコピペすると、 18歳でわたしは年老いたー。あの青年と出会ったのは、靄にけむる暑い光のなか、メコン河の渡し船のうえだった。すべてが、死ぬほどの欲情と悦楽の物語が、そのときからはじまった…。仏領インドシナを舞台に、15歳のときの、金持の中国人青年との最初の性愛経験を語った自伝的作品。センセーションをまきおこし、フランスで150万部のベストセラー。J・J・アノー監督による映画化。
5投稿日: 2021.07.05
powered by ブクログこの作品は映画でセンセーショナルな反響があったと記憶していますが、こうやって原作を読むとこれは年寄り婆さんの遠い昔の思い出に耽った繰り言ですね。(笑) 少女時代に彼ー愛人とひたすら性愛に溺れた日々の感傷に耽るみたいな感じですかね。 ただ、マルグリット・デュラスの少女時代はかなり悲惨だったようで、当時生まれ住んでいたベトナムでは父が早くに亡くなり母が土地投資に失敗し、母や上の兄からはモラハラ紛いのことをされていたようです。 なので家庭的な要請や自己逃避など複雑な背景があったように思いますが、金持ちのちょっと気弱な中国人男性に目をつけたのもある意味必然だったのかもしれないですね。 15才のマルグリットは、三つ編みに縁の平らな男物のソフト帽をかぶり金ラメの靴をトレードマークにして男を誘惑し周囲の気を惹く術を心得ていたのでしょう、これに金持ちの愛人の黒塗りリムジンで学校に通っていたとはかなり異様な光景でみんなさぞ近寄り難かったでしょうね。(笑) 年老いたデュラスはそうした孤独な日々と愛人との関係がふつふつと思い出される境地になったのでしょう。 この本では年寄りの昔ばなしよろしく、時空間がころころと変わるだけでなく、自分自身の主語でさえ、私だったり彼女だったりと主観と客観も入れ替わったりするわ、話が愛人と思っていたら友達の話だったりその親の話だったり、そうかと思うと兄の話になっていたりと状況がすぐに変わるので読みづらいことこの上ないですが、こうしたデュラスのごちゃ混ぜの記憶が怒濤のようになって思い出されるのを文章化するのはさぞ大変だったでしょうね。 生々しい少女時代の過去を題材に、ある意味、内面を見つめ直し、熱量や香りや匂いまでもそのままに赤裸々な描写で文学にまで昇華させるところなどはさすがとしか言いようがないですが、ここまでくると、もはや年寄り婆さんの自慢話の域に達しているかもしれません。(笑) 原作の方はデュラスの複雑な心境を淡々と描写していましたが、映画の方はエロティックな方で話題だったように思います。 ぜひ映画の方も鑑賞してみたい。(笑)
27投稿日: 2021.03.14
powered by ブクログ1984年ゴンクール賞受賞作品。 1992年発行の文庫本が本棚に積まれてました…(;'∀') 1929年のフランス領インドシナ。 関係も家計も破綻した家庭の貧しいフランス人少女が 華僑の中国人青年と愛人関係を持つようになる。 しかし、人種差別的にはフランスが強く中国は 弱い立場なので少女の家族を含んで非常に ゆがんだ関係が築かれる。 日本では1992年に映画が公開されました。 映画のちょっと妙な服装をした少女と イケメンだけどおどおどした中国の青年、 よどんだメコン川がはっきりと思い出されます。 友人と観に行きました。懐かしいなぁ。
4投稿日: 2021.01.03
powered by ブクログ映画を2〜3回観てから読んでみた。本の方が間に今現在の描写が何度も出てくるので、回想感が強い分ちょっとあっちこっち気が飛んでしまうかも。 読んでも観てもお話のような運命の出会いだよなぁと思う。男はロリコンでもなさそうだし、むしろ15歳という歳に似合わず大人びている彼女に一目惚れしたんだろう。その男が大金持ちで彼女は家が貧乏で苦労している…なんて。なんてドラマみたいなの!交際?している間は淡々と付き合って深入りはしないようにしていたけれど、最後の客船での涙は愛していたから流れたのよねぇ。それでもあの当時もう2度と会えないかもしれない距離に帰ってしまったことは、彼女にとっては忘れられる、思い出にできる機会ではあったよな。全てをサイゴンに置いてきた。 読み終えた今、あたしはホーチミン(サイゴン)に居て、この地で映画も本も目を通せて良かった。異常と言っても良いスピードで経済発展をしたサイゴンにインドシナの面影はもう無く、港も寮の建物も残っては居るけれど映画のソレでは無い。映画撮影当時、色補正やセットの作り込みはしているだろうけれどあの時が1930年代を辛うじて感じ取れる最期の時だったのではと思う。
3投稿日: 2020.08.20
powered by ブクログ作者の自伝的小説。少女の愛と死、情念と苦悩の物語。作者は、作者自らの経験をもって、生きることがいかに愛と死に近く狂気に満ちているか詩情豊かに描いている。読者を作者の心酔する「美」の世界に誘う。
21投稿日: 2020.08.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
映画を見てから読んだので、印象が違って驚いた。愛人(ラマン)と呼ばれたのが男の方だったのが一番の驚きだった。15歳の少女からラマンと呼ばれる青年の微細さ。男はいつも女の前では弱いのかもしれないが。これを読んだ後で映画を観ればまた違った印象になっただろう。
1投稿日: 2020.04.06
powered by ブクログ植民地時代の仏領インドシナ。 貧困家庭の白人の娘と裕福な黄色人種の青年。 そもそも始まりからして歪んでいて、 それは愛として結実できる代物ではなく、 熟んで倦んだ。 昇華できない情欲の関係は 娘の心と若さを削り取っていくしかなかった。 とてもフランス的な自叙伝。 私は好きだったけどね、 こういう救いがないけど抜け出せないような どうしようもない話は。
1投稿日: 2020.03.08
powered by ブクログフランス領インドシナで生きるフランス人の主人公の、中国人青年との性愛を中心に描いた自伝的小説。 植民地の中でフランス人としては最下層におり生活に困窮しているため、中国人青年と関係を持つのはある種生活のためであるという義務感と、どれだけ困窮しようとも自分は白人であり黄色人種の中国人青年とは違うのだという差別意識とが綯交ぜになって感情が複雑なまま、一つだけ確かなのはその青年との悦楽のみ。決して青年を愛してはいないと、自分に、彼に言い聞かせながら関係を持ち続けていた主人公が、はたと自分の本心に気づく瞬間のやるせなさにぐっときた。
1投稿日: 2019.01.03
powered by ブクログp.180「そしていまようやく、彼女はその愛を見出したのだった。 ちょうどのちに、死を横切って、下の兄の永世を見出したように。」 散文詩とでも言うのか、あざやかな言葉と影像の塊によって描かれた小説。インドシナの地で、貧困と憎しみで結び合わされた家族と、思春期の変わった少女と、中国の青年との出会い。 植民地・肌の白い・人種の違い・プライドとコンプレックスといった感情と歴史的背景を完全に理解することはできなかったが、溢れ出るかの地の情緒とコラージュされた映像、とても印象的な小説だった。
1投稿日: 2018.06.30
powered by ブクログ小説ではなく詩のような、 たゆたうようなうねるような、 この文章をそのまま飲み込んでいくことが、 この人の小説を読むということなのかな。 わかりにくいといえば確かにわかりにくいけれど、 イメージを直接注ぎ込まれるような この書き方が私は好きです。 誰とどこにいても本心をみせない主人公に、 心惹かれるものの、理解や共感はしにくかったのですが、 船上で不意に訪れた裂け目のようなシーンに、 もしかしたらそういうことだったのかもしれないと 思いました。 そうだったのなら、幼くいびつな愛が切ない。 <引用>ーーそして彼女は突然、 自分があの男を愛していなかったということに 確信をもてなくなった、 ――愛していたのだが彼女には見えなかった愛、 水が砂に吸いこまれて消えてしまうように、 その愛が物語の中に吸い込まれて消えていたからだ、 そしていまようやく、彼女はその愛を見出したのだった、 はるばると海を横切るように音楽の投げかけられた この瞬間に。 (180ページ)
6投稿日: 2017.08.08
powered by ブクログマルグリットが少女だったころ さまざまな事情からデュラス家は貧乏だった 早くに夫をなくした母は、実らない耕作地を知らずに買ってしまった フランス領インドシナにあるその土地で 白人の最下層に立った母は、誰にも見下されまいと身をこわばらせ それがよくなかったのか 子供たちの教育に失敗したあげく、精神を病んだ マルグリットはのちに、そのころを小説に書いて名声を得るのだが 必ずしもそのことに満足したわけではなかった なぜならそこでは不道徳な真実が省かれていたからだ 母の不安はマルグリットの不安だった 精神的に、経済的に それを癒すため、彼女はみずから男を求めたのだった 母が死に、兄たちも死に、年老いた彼女は すべてを暴露してみずからの物語を破壊することに決めた それはひょっとしたらありえたかもしれないもう一つの人生 失われたイマージュ、失われた愛情をとりもどそうとする試みだった あるいは、社会が望む物語のため犠牲になったものたちへの 鎮魂の試みであったかもしれない
1投稿日: 2017.06.16
powered by ブクログサイゴンが舞台ですが、フランス領で教師として働く母とその子どもたち、植民地の不動産を扱う華僑一家と中国人が住むショロン地区…ベトナム人が登場しないお話でした。
1投稿日: 2016.09.25
powered by ブクログベトナムが好きなので気になっていたが、映画は生々しそうだから本にした。 結果、とにかく難解!感覚的に思うがままに語られる形式にうんざりした。人称も時間軸も人物描写も辻褄が合わないめちゃくちゃな文章。私にはムリ。ただ、風景描写は所々すてき。ゆったりとした茶色い河や湿度や食べ物の香りを思い出す。 他の方のレビューであったけど、たしかにサヨナライツカはパクリみたい そして、扉絵のデュランの顔写真が、まるでホラーのように不気味…!
1投稿日: 2016.09.22
powered by ブクログはじめて読んだときは、『太平洋の防波堤』のあの無力感に圧倒されて、ただ、さっと流してしまった。 改めてもう一度読んでみて、デュラスがこれを書かずにはいれなかった情熱と、一方でその情熱を持て余してやりきれないでいる彼女の姿が見えた。 時系列や場所、人物に一貫性はない。彼女の筆が進むまま、記憶の連想が進むままにただただ綴られていく。まるで思い出の活劇を眺めているみたい。その中で一本とおっている筋は、「わたし」という何者かがたしかに生きて考えているということ。時にその言動さえも揺らいでいるようにも見える。シナ人の愛人を持ったのはなにゆえか。金か愛か。そんなものでは決してない。ただ、彼女が生きている。そして、見初められた。彼女には特に断る理由もないから、彼に委ねた。それだけのこと。もしかしたら、「わたし」には思うところがあったのかもしれない。しかし、思い出のままに書き連ねるデュラスは、それをよしとしなかった。自分が生きて確かにあのアジアの片隅で呼吸していたということを、そのようなもので簡単に片づけられるはずない。行動に対する理由ではなく、ひとつの必然を伴ったビジョン。彼女にはそれ以外何もいらなかった。 彼女にとってこれを書くということはかなり一大決心に違いない。創造であることには変わりないが、自分という存在に確かに触れて書かねばならない。自分が一番よく、わからないということを知っている。疑いや歪曲に一番敏感なのは、書いているこの自分に他ならない。けれど、ただただ書き連ねていては物語にならない。あふれそうな記憶を、自分という糸でしっかりとひとつに綴じあわせなければ、書けない。そういうせめぎ合いの中で、これは生まれたんだと思う。
1投稿日: 2016.06.12
powered by ブクログ映画よりも、小説のほうが中国人の愛人のことより、母親のことが書かれていると思った。母親の関心をひきたいから、愛人を作ったようにも見える。母親の愛は上の兄に注がれるだけ、主人公と下の兄は母を愛していたが、愛に飢えていた。母親は娘のことを殴ったりするけど、外を向いては子供たちを絶対に否定しない。そこには強い女、母親が見てとれる。一人で3人の子供たちを育てた強い母親。お金が必要だから、娘が金持ちの中国人の愛人になっても、見えないふりを続けた。否定も肯定もない分からない行動。娘自身も愛というものがどんなものなのか、体の関係と割りきっていたはずなのに、本国に還る船の中で、突然彼を愛していたのかもしれないと気がついて涙を流す。それは、最後の子供時代との決別でもあたたのかもしれない。大人になってしまった、自分への涙でもあったのかも。
1投稿日: 2014.11.19
powered by ブクログhttp://scheherazadeoflight.blog.fc2.com/blog-entry-1320.html
1投稿日: 2014.02.02
powered by ブクログ高級な悲しみよ、こんにちはであるという気もするけど、目まぐるしいくらいの視線の移動が煩くなく効果的なことや、時系列の混濁が絶妙に倒錯的な効果を発しているのが最近の小説手法らしくいかにも現代的。 悲しみよこんにちはで終わっていないのは、狂気のモチーフが手法の妙によって生きているからかな。
1投稿日: 2014.01.11
powered by ブクログフランス人がベトナム人を見る、あるいは中国人を見るという視点がわかる本である。現在ならば差別小説になってしまうであろう。
1投稿日: 2012.11.25
powered by ブクログ再々々…読。私が生涯付き合うことになるであろう1冊。とはいえ筆者の脳内のフラッシュバックのように、時代も場面も異なる描写がランダムに出てきて読みづらい。それでも冒頭の「18歳で私は年老いた」からの印象的な数行と、少女がフランスに帰国するために乗った船を桟橋のリムジンが見送る場面からラストの数ページを読みたいがために、それ以外の難解というか面倒な言い回しに耐えている感じ。特に最後の数行のパラグラフが最高に好きで、それを再び読むために何度も読み返す。私にとってはこのラストを読むためだけにある1冊とも言えそう。
1投稿日: 2012.11.09
powered by ブクログ映像(イマージュ)という言葉が何度も出てくる通り、とても映像的な作品でした。正直、1度読んだだけで理解したとは思えないけれど、行った事もないサイゴンの街並みと、小説世界のけだるく倦んだ空気を感じたような気がします。
1投稿日: 2012.07.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
確か島本理生さんが文体に魅せられたと紹介していたので読んでみた。 自伝的小説なのにほとんど現在形で語られ、一人称と三人称が混在しているのが斬新だった。が、翻訳によるところが多いので、たとえば村上春樹が訳したら1Q84みたいな普通の語りになるのではないか。 この訳はかなり原文に忠実なようで、翻訳小説らしくセンテンスが長く、挿入句、修飾句が多く入り、日本人にはかなり読みにくいと思う。 内容的には、長男にだけ異常な愛情を注いで家を破滅させた母親のせいで、15歳の若さで愛人を持ったヒロインに深く同調した。顧みられずに死んでいった下の息子も哀れであった。 表紙の写真は著者が18歳のときのものだそうな。なんと妖艶な。
1投稿日: 2012.07.05
powered by ブクログ18歳のときの顔写真を表紙に、15~7歳あたりの日々を回想しつつ書き記された一冊。18歳の彼女は確かに美しいがどことなく不気味である。「18歳で私は年老いた」という述懐があるが、この写真は年老いた前なのか後なのか、恐らくここが境なのだろう。とはいえ、老いたというのは傍目に映じるものではなくて、彼女の中で何かしら決定的なものがあったのだろう。決定的なこと、それは、表面的には、「愛人」との別離であろうか?白人である彼女は仏領インドシナで暮らしていた時代があったのである。17歳でフランスに行くまで、彼女はインドシナで過ごした。彼女からして彼女の家族はすっかり破綻していた。父親は死に、母親は気が狂っていた。おまけに彼女は、「性的快楽」を知らなかった、だから、逆に彼女は性的快楽を知る必要性に駆られたように思われる。また、上の兄は、放蕩者でお金ばかりを湯水のように使い切ってしまう人間であったが母親の偏執的な愛を受けてもいた。下の兄は、痩せ細り気が弱かったようである。上の兄に、彼は脅かされ、上の兄の特別扱いを目の当たりにして彼は生きた。だが、デュラスは上の兄を生理的に半ば拒絶し、下の兄を偏執的に愛した。といった具合に、彼女の家族の中でまともな人間はある意味いなかった。加えて、彼らの生活は非常に苦しいものがあった。父親が死に、稼ぎ頭を失い、母親も舵取りに失敗し、一家は物を売ることで日々を凌ぎながら生きていたのである。植民地で生活する彼らは、白人であるという特権意識と貧困との間で、矜持を歪ませてしまったのだろう。 という、前提があった上で、デュラスは華僑の青年と身体を擦り合わせた。といっても、青年も、実際は父親が金持ちなだけで、彼自体は留学していたものの、落第気味なので強制的にインドシナへと帰された身で、現実から逃避するためにセックスばかりしていたようである。そうした彼はある意味で不可思議な魅力を放っていたのだろう。特に、デュラスからしてみれば、「セックスのために生きている」と思われるほどに、彼はセックスがうまくそのことをデュラスはついていると感じたのである。彼女の小さな乳房に彼は噛みつき、巧みに指を彼女の孔へと差し込む。彼女は快楽に咽び、彼からお金を得た。つまるところ、彼はパトロンだったのである。やがて彼は公認的な存在となる。だが、それは婚約者のようなものではなくて、彼女に惚れて彼女に尽くすパトロンとして、であり、それも、卑しいパトロンとして、である。ねじくれた白人意識によって彼女の家族は彼を下僕みたいに扱おうとする。繊細な彼は不満を抱きながらも爆発することはできずに、そう、惚れた弱みで彼女に尽くし続ける。彼女は彼の黒塗りのリムジンに迎えられ、セックスをしてはこっそりと夜中にでも寮に帰ってくる。17歳のデュラスは本国に行くことになり、それが彼らの別れとなる。彼らは別れる。彼女は白人である彼女は彼を愛してはいけなかったが、彼から離れて彼女は彼を愛していたような気になる、いや、愛していたという気持ちを受け容れることが可能となる。彼と一緒にいるときはそれを受け容れてはいけなかった、あくまで、彼の肉体とお金だけを愛していなければならなかった。やがて、時が流れ、彼が妻を連れてフランスに出てきたときに、電話がかかってくる。「僕はまだあなたを愛している」と、そして、彼女は彼のことを一度も忘れていないのである。 ストーリー中心でレビューをつけてしまったが、それは本作が伝記や私小説としての性格を持っているからであろうし、ただ、反面で彼女の多作品とのリンクが見られるらしい。訳者はひたすらそうしたあたりをプラスにとらえているが、自分からすると意味不明な描写が目立った、といった感じである。短めの、簡素な文が続く。役者は抒情的になりすぎたか?と書いていたが、確かにそのきらいはあるが、むしろ、それこそが本作の味とも言えると感じる。当時の彼女はすべてをわかっていたのだろう。簡素で断定的な言葉が連ねられ続ける。すべてを知っていた彼女は、彼の「愛人」になるのだということもやはり知っていた。母から放れることも知っていた、全てを知っていた彼女が、その特権的な力を失うまでの数年間が凝集された一作、というのが、本作の主軸なのかもしれない。
2投稿日: 2012.07.03
powered by ブクログ母によって粗末に扱われたデュラスが、中国人男性とのマゾキスティックな性愛関係にアディクトすることで、必死にうちなる悲しみをのりこえようとする様が痛々しい。またそこに、植民地における支配-被支配の脈絡が、性愛化されて現れていく。この関係性の輻輳を破綻なくまとめあげるデュラスの力量が堪能できる一冊。
1投稿日: 2012.05.31
powered by ブクログとにかく文章が魅力的。 作中には「川」がよく登場し、デュラスもそれは意図的なものだったようだが、この文体にも私は「川」を感じた。 流れるような、ときに歌うような、ときに小石にけつまづいて滞るも、すぐに走り出すような、奔放で流麗な言葉に魅せられた。 イマージュのさざめき。 きっと読むたびに豊潤な味わいを感じさせてくれるであろう、深みのある作品。
1投稿日: 2012.05.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
最後まで読み終わってから全体を振り返ると、素敵なキレイな恋愛小説であった。かと思いきや、自伝であったようだ。 中国人青年の思いは一方通行で報われないのかと思ったが、実は報われていてホッ。 しかし、このあっちいったりこっちいったりの文章はなかなか読むのが辛かった。私には合わないのか、フランス文学を読みなれてないためか
1投稿日: 2012.02.29
powered by ブクログ植民地時代の東南アジアが舞台の、エキゾチックな感じの恋愛小説だった。なかなか背徳的な感じもして面白いんだけど、場面の切り替えが多いし、外国文学特有の分かりにくい表現も多くてちょっと難しかった。 主人公はフランス人の少女だけど、父親を亡くしており、家は貧しい。周囲とも上手くいっていない感じ。そんな環境だから、恋愛に没入していったのかなあ。すげえ浅い読みだな。
1投稿日: 2011.12.31
powered by ブクログはじめてデュラスを読む。 映画の中のインドシナの退廃的な雰囲気が忘れられず原作をと。 映画では2人の逢瀬に多くの時間が割かれていた記憶があるのだが原作での描写は家族と私,彼と私,自分の周りの女性と私,という3つ程度にカテゴライズされる印象を受けた。 そのため最初は暴力的な家庭と悦楽の記憶が交互に立ち現れ,独白の羅列かのように見えるのだけれど,なぜか暴力ゆえにあれがさらに輝きを増していき,混濁が次第にエロスとタナトスの濁流を作り始める。私はその濁流にうっかり飲み込まれる(そうなることを望んでいたのだが)。メコンの流れを思い出す。あの土褐色の大河。 原作に忠実に映画化したら相当前衛的だっただろうな。とも。 たしか映画は時系列が割とシンプルだったような。 一方,原作はむしろそれを破壊し再構築し それによって未知の世界観を紡ぎ出す試みがある気がする。
1投稿日: 2011.11.15
powered by ブクログわたしは十五歳で全てを知っているような顔をしていた。本当は何も知らなかったにも関わらず。時間、つまり経験に先んじて憔悴した顔。隈のできた眼。 十五歳半。まだ髪を長くして、お下げに編んでいる頃。仏領インドシナ。メコン河の渡し舟の上で黒塗りのリムジンに乗った金持ちの男と出会った。白人ではない。中国人の青年。 ……靄にけむる暑い光の中。すべてはそのときからはじまった。はじまる前からわかっていた──。 そして十八歳でわたしは年老いた。 貧しいフランス人少女の「わたし」と裕福な中国人青年との愛人関係を描いたマルグリット・デュラスの自伝的小説。
1投稿日: 2011.10.25
powered by ブクログ南方の植民地小説の典型かもしれないが、それでもデュラスの自伝的な作品という意味で私小説的な側面もあり、興味深く読めた。私小説的であるがゆえにデュラジア(デュラス+アジア)の真骨頂ともいえる。幻想と現在と過去と、そこを行き交う肉親と友人と愛人。南方独特の高湿な空気と、性に目覚めることでしか自我を獲得できない主人公の価値観が絶妙な交配をみせる。圧倒的。
1投稿日: 2011.10.22
powered by ブクログ大好きな小説です。フランス語分からないので原文がどうなってるのか分からないんだけど、とにかくアーティスティックな文体が大好きです。文がどんどん「、」でつながって行って最初は分かり辛いけどすごいパワーを感じる。翻訳本ってどうしても原文が透けて見えるようなものが多く、言葉としては元から日本の作家によって書かれたものには遠く及ばないものがほとんどだと思ってましたが、この本だけは凄いなー原文どうなってるんだろう?ってすごい好奇心を刺激されました。
1投稿日: 2011.10.11
powered by ブクログ記憶と感情、情景をさまよいながら回想される中国人青年との情事。 ぼんやりと記憶の中で浮かんでは消えてゆくふたりのセックスと会話。それに比べて、それぞれの人生を十分に歩んだ後のふたりが電話越しに話すラストにははっきりとした愛情の自覚があり、思わず涙が出た。 なぜ「18歳にして老けた」デュラスは70歳という人生の夕べに差し掛かりこの物語を書いたのだろうか。
3投稿日: 2011.09.28
powered by ブクログベトナム行くといったら知人から餞別にもらいました。せっかくなんで現地で読んでみたけれど、思ってたのと大分違ってかなり観念的で真面目な文学でした。勝手にエロイメージを持ってましたがごめんなさい。そして、ちーと観念的に過ぎてあまり入り込めなかったか。。。
1投稿日: 2011.09.26
powered by ブクログはじめは戸惑った。だけど読み慣れちゃえばその後はもう一気。だって今までに全く読んだことのない種類の文章だったから、何ていうかこの小説の書き方が。 徹底的に統制された奔放っていうんだろうか。この物語の背景にもなっているメコン河の流れのような流麗な文体の中に、時折織り込まれる氾濫みたいな長文や、逆流みたいな語順倒置とリフレイン。自在に操られる人称によって、絶えず変化していく描写対象への距離感。それに何より、ここまで一切主義主張なく自分の過去を語れるなんて!もう「達観」って言っていいほどだ。こんな風に小説が書けるなんて知らなかった。私はこの先きっとデュラスからものすごい影響を受けていく。 文章は平易だけど決して分かりやすい本じゃない。よくこれがベストセラーになんかなったなぁ、という感じ。やっぱりフランスって文化的にすごい国だなぁ。 こういう独特の、ある種実験的ともいえる書き方を前にするとやっぱり翻訳の壁も感じる。といってもこの本の場合、訳者の方の力量の問題じゃなくて、明らかに作者の意図するフランス語の時制の使い方が日本語ではうまく再現できない(それによって話の前後関係が分かりづらくなったり、言い回しが不自然になったりする)ことに起因していると思う。やっぱりもっとフランス語勉強して原文読みなさい、っていうことか。あ~ぁ気が遠くなる……。
1投稿日: 2011.07.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
デュラスの自伝的小説。イマージュが鮮烈。男ものの帽子と金ラメの靴。「18歳にして私は年老いた」という一文は衝撃的で、その「老成感」が物語を貫いている。 ブランショの『明かしえぬ共同体』のなかの「恋人達の共同体」を再読する必要あり。(2011/05/15読了)
1投稿日: 2011.05.15
powered by ブクログ母の像が不確かで揺れているように見え、文字の隙間から「愛して、愛して」という悲痛な叫びと、方向性の違う盲目な愛情を客観的に赦しつつも「私は貴女に勝ったの」という怨念故の嘲りが浮かび上がってくるように思える。 それからすると、金持ち中国人青年ってその実どうでもいいような道具にしか見えず、胡瓜や茄子で代用してもいいのではないかと思ったりもする。 根本そのイマージュのコラージュ的な切り貼りに鬱陶しさを感じたのだが、素敵だと思える所もそれ以上にあり複雑だ。
1投稿日: 2011.02.26
powered by ブクログ購入 舞台が仏領インドシナ、中国人の金持ちの青年と、15歳の美しい少女の性愛経験。 予想していたもの以上にピュアな、おもうようにいかない恋愛の話。 "もう、おまえを楽しみたくないんだ、とどなる、とたちまちふたりはまたもたがいにしがみつき、激しい不安のうちにふたりだけのなかに閉じこもる。そしてたちまち、この激しい不安はまたもほどけ、ふたりはまたもそれに屈服して、涙のなかへ、絶望のなかへ、幸福のなかへと落ちてゆく。" 「サヨナライツカ」は影響を受けているのではないか。
1投稿日: 2011.02.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
時間の解体というのはラテンアメリカ文学辺りからの現代文学の一つの伝統と解しているのですが、そのような理解でよろしい? よろしい? 私文学わからぬので、よろしいと思っちゃっていいか、判断つかぬのです。よろしい? よろしくなければコメント欄にでも、忠告書いてくださるとありがたいです。 これはデュラスの自伝的小説らしいです。実体験とフィクションがない交ぜになった本、ということらしいです。最初に数ページ、デュラス自身の写真があります。日本だけらしいです。デュラスがかわいくてどきっとします。まあそれはどうでもよろしい。この数ページ、写真を見ながら、そこにつけられたコメントを読むという作業が要求されますが、この感覚が、この小説のすべて、私はそう解しました。 語る時間の錯綜。 時間を解体するというのは、いったい何を意図するのか。西洋的な線形の時間からの逸脱、すなわちポストコロニアル時代の、政治的技法――まずそれが大きいのは間違いない。だが、この本の場合、読んでいてすぐわかるのだけど、あらゆる時間が、現在形で語られる。原文がどうなのかは知らんよ。ただ、日本語翻訳文で、あえて時制を「する」で統一するというのは、原文にもそういう意図があるとしか思えない。まあとにかく、現在形なんだ。過去のあらゆる出来事が。ミックスされて。 写真だ。 実は、本文中にも、写真を見ながら回想していると思われる文が、出てくる。解説でも、デュラスはある時写真を見ながらコメントをつけるという本の出版を頼まれ、その作業の最中にこの小説を思いついたと、そうはっきり書いてある。そして冒頭の写真はその本からの引用、とのこと。つまりそういうことなのだ。 どういうことか。 われわれは、もうすっかり物語の文法を身に着けてしまっているから、おそらく回想にあたっても、きわめて個人的な回想にあたっても、その文法に倣うことが多い。しかし、そうした回想って、映像よりナレーション的になって、処理された、「語られる物語」、経験者である自分と、語り手である自分の乖離が介入した、生々しさを失った独白に、なってはしまいませんか、と。もともと回想はもっと映像的でもっと生々しかったはずだ。それを表現するためには、西洋的な物語文法に依拠した語りでは、もうだめだ。いかんのである。 西洋言語の時制。 どの西洋言語にもおそらくは現在時制、過去時制、未来時制の三つがある、と思うのですが、この時制が、物語文法には、大きく作用している、と、私は、思う。現在、過去、未来、いやいや、過去、現在、未来、ですね。この線形の並び、数直線上に左から右へ、ベクトルの固定された時間の流れ。それを、切り取る。固定された流れ、それってもう、殆どそれ自体、秩序である。そのことが物語を物語として整然と語れる、一つの支えになっている。だけど、本当は、そのような物語は構築しない限り存在しないし、語る物語は本来全部過去形であるわけですけど、回想のレベルでは、過去は追体験している現在なわけです。次々に過去が、現在として襲ってくるわけです。 われわれはここで注目しなければいけないのですが、襲ってくる現在としての過去を、物語文法によって「私の物語」にしたとき、われわれはもう襲ってくる現在としての過去を必要としない。「私の物語」を、自分のために語りだせばいい。だけどその時、すでに私は、語られた物語を、聞き手として繰り返している、という奇妙な状態に置かれているわけです。経験者である自分と、語り手である自分の乖離。物語は、経験としての生々しさを奪う。一つの側面です。 そしてデュラスは、そこに反抗したかったんだろうなあ、と思うのです。 この小説では、時制が解体されて、あらゆることが現在形で、秩序なく語られます。そこで、物語ることは徹底して拒否されていて、断片的な印象の集積から、全体像を探るしかない。いや、実は探ることすら、できないのかもしれない。私の頭の中では今ひとつ全体像は浮かんでいません。それほど描写が多岐にわたるわけではなく、むしろ執拗に一つのイメージを繰り返しているところすらあるのに、です。 そしてそのような文体で語られる内容は、生々しく、眼前に迫るかのようで、けれど映像としてはきわめて貧弱で、すぐ消えてしまいそうな危うさがあります。 語り手と、読み手の、同一化。 それは、究極的には不可能な話です。経験と語られる内容が、すでに同一じゃない。しかし極限まで近づけようとするなら。このスタイルしかなかったのではないかと思います。私は。 読み手の、語り手に対する、より高度な感情移入の方法。 デュラスは本文中で「流れゆくエクリチュール」という表現を一度、用いている。これが、すべてではないでしょうか。対象化された自分を経由しなければ語り得なかった物語形式からの、可能な限りの脱却、それは対象化について回る西洋的な整合性を拒否し、彼女自身の生の体験を、読者に追体験させようとする。 そこにしか、この物語に、意味はなかった。 私はそういうことだと思って読みました。 だけど、これは、小説です。 核心部分に触れるのであまり書きませんが、一人称と三人称が混合し、視点が飛翔する幾つかの場面がある。クライマックスではその飛翔が彼女の経験を飛び越え、神の視点となって、それから再び彼女のところまで降りてくる。 そして、あなた、と語りかける声が、そこにある。 そのあなた、は、もちろん作中の「わたし」を、指しているはずなのだけれど、その「わたし」を貫いて、今、この本を読んでいる、私にも、届いているような、気がする。 その感覚と同時に、小説世界が解体され、フィクショナルな舞台仕掛けがあらわにされ、「そう、これは小説だったんですよ」と、直接告げられたような、気がした。 それは、「あなたはこんなにも、フィクションの世界を生々しく体験していたんですよ」と、言われたような、不思議な感覚だった。 だけど、それが感動的だった。 これは、紛れもなく小説だった。 筒井康隆が以前、リョサの『緑の家』を評して、こんなことを言っておりました。「最後に物語が収斂しはじめ、ついに結末を迎えた時、読者に残るのはこの手法に対する感動である。実は物語に対して感動しているのかもしれないのだが、手法に対する感動の如く感じられるところに、この小説の新しさがある。」(『言語姦覚』中公文庫、95頁) 筒井さんの言葉を借りるなどおこがましいのですが、私はぜひともこの小説にも、まったく同様の賛辞を送りたい、と思います。 素晴らしい、小説でした。
1投稿日: 2011.02.03
powered by ブクログその頃のインドシナの情景も目に浮かぶようです。 「シロップを焦がした匂いが部屋の中に漂ってくる、それから南京豆を炒る匂い、中国風スープの、焼き肉の、いろいろな薬草の、ジャスミン茶の、埃の、香料の、木炭の火の匂い、」と続いて行く匂いを描写したところなんて、まるで自分がそこに居るような奇聞になった。
1投稿日: 2011.01.28
powered by ブクログ映画では見たことあるんですけど。 某作家さんがこの本は過剰なほどの自己愛に溢れていると評していたので、どんな作風なのか読んでみようかと。 この本の表紙、映画のヒロイン使ってるのかと思ったらなんと作家さんの少女時代の写真だとか。随分そっくりな人をキャスティングしたものですね。
1投稿日: 2011.01.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
これが流行ったのはいつだっただろう? あまりにも流行り過ぎて読むタイミングのなかった本。 今回、何故今さら読むことにしたのかというと『愛人』と『北の愛人』を続けて読むといいよ、と人から聞いたからだ。 デュラスの作品自体一冊も読んだことがないから、初めはその文体に戸惑ってしまった。いかにもフランス風だと思った。読み進めていくうちに、あれよあれよとあっという間に読み終えてしまった。 そして、全然愛人の話じゃないじゃん! ていうか愛人(あいじん)じゃなくて愛する人って意味なのか!とびっくりした。 あんなに流行ったのに何故か間違った認識でいた自分にびっくり。 当初思っていた、少女と中国人の男についてはそれほど書かれておらず、家族のことが殆どを占め、残りはフランス人作家らしい、あらゆる方面へ飛び移る文章たち、隠喩的な描写、空想的かつ幻視的な描写が占めている。 でも、作品として内容として、流行ったのは分かる。心地良い文章に、美しい女性と歪んだ家族というモチーフ。そういうのって好きな人は多いと思う。 私は苛立ちにも悲しみにも似た暗い気持ちになった。文章も作品も素晴しいと思う。でも私にはどうしてだか苦し過ぎた
1投稿日: 2010.12.25
powered by ブクログ『ヒロシマ、私の恋人』がマイブーム中のところ、古本屋で発見、再読。洗練された文章の中から、痛いほどの感情がわきあがってくる。やはりデュラスはいいわ〜とあらためて思いました。
1投稿日: 2010.07.05
powered by ブクログ『ある日、もう若くはないわたしなのに、とあるコンコースで、ひとりの男が寄ってきた、自己紹介をしてから、男はこう言った。「以前から存じ上げてます。若いことはおきれいだったとみなさん言いますが、お若かったときよりいまのほうが、ずっとお美しいと思ってます、それを申し上げたかった、若い頃のお顔よりいまのほうが私は好きです、嵐のとおりすぎたそのお顔のほうが」』 『思えば私の人生はとても早くての打ちようがなくなってしまった。十八歳のとき、もう手の打ちようがなかった。十八歳から二十五歳のあいだに、わたしの顔は予想もしなかった方向に向かってしまった。十八歳でわたしは年老いた。』
1投稿日: 2010.06.29
powered by ブクログ何年か前に映画を見た。 でも、性描写ばかりが印象に残り、 ストーリーは思い出せない。 赤く塗った薄い唇。 肌にはりついたワンピース。 腰に巻いた黒いベルト。 目深にかぶった帽子。 能面のような男の表情。 「あれ」のための暗い部屋。 浮かんでくるイメージ。 本は、記憶の断片が連なっているようで、 わかりづらく、暗号のようにも感じられた。 訳者がいうように、ほかの著書を読めば、 もう少しクリアになるのかもしれないけれど。 ただ、家族、とりわけ母親との関係は痛く、 愛人よりも、娘や妹の立場が興味深かった。
3投稿日: 2010.05.30
powered by ブクログ島本理生が『ナラタージュ』や『生まれる森』を書いていたときにイメージとしてあったのがこのデュラスだ、とどこかで言っていたので手にとってみた。 家族の不和がベースとしてあって、中国人青年との出会いによって少女が女性になる過程が描かれている。 なかなか『ナラタージュ』のイメージとは重ならなかったが、この物語がデュラス自身から生まれたものだというところが、島本理生に通じるところなのかもしれない。 独特の文体、リズム感がデュラスらしさを増している。
1投稿日: 2010.05.24
powered by ブクログ96年前の1914年4月4日に、その頃はフランス領インドシナだった今のベトナムで生まれた小説家・映画監督。 第二次世界大戦下のフランスでレジスタンスに加わり、戦後は共産党へ入党し、1968年の五月革命にも参加したというのに、これほどまでの、せっかくの歴史的洗礼をきっぱりと自分の中には侵犯させずに、ただ圧倒的に女としてだけの存在で生きた稀有な人。 いや、逆にあの時代、みんなが社会的存在であらねばならない苦悩と葛藤に蹂躙され、そのせめぎ合いに身を引き裂かれていたのに、ひとりスパッと、個的な性愛を赤裸々に高らかに歌い上げたことこそに、彼女の存在理由があったのに違いありません。 戦争も革命も、たかだか私を通りすぎて行く風景にすぎない、本質的には何の関わりもなく、ただただ淫乱な、ふしだらな自堕落な、堕ちて行きつく先の先の奈落の底は、これほどまでに美しい官能と耽美の世界だということを、身をもって全部丸裸になって差し出したのが彼女の小説です。 こういう超越した献身的な禁欲的な生き方に対して、誰が淫売とか売女とか非難を浴びせかけることが出来るものですか。 ただ残念ながら、小説の成果としては五万とある単なる告白小説の域を出ていません。女の書くこの手の小説はどうしようもなく退屈だという、訳知り顔の声が聞こえてきそうです。
1投稿日: 2010.04.05
powered by ブクログ映画もすばらしいが、 小説もすばらしい・・・ フランス文学というかデュラス独特の文章の流れが 切ないけれど美しく感じてしまう。
1投稿日: 2010.03.15
powered by ブクログ映画化されて流行っている時に購入。 うーん。面白いのか面白くないのかよく分かんない。 私にとってはすごく読みにくい文章。
1投稿日: 2010.03.08
powered by ブクログまさしく、流れるようなエクリチュール。デュラスも大学時代、よく読みました。フランス風って、きっとこんな感じ…と思っていた(勘違い?)。
1投稿日: 2010.02.17
powered by ブクログたたみかけるように澱みなく言葉が迫ってくる文章が印象的。文の途中で主語が変わったり、時系列がばらばらだったり、地の文に直接話法の会話表現が用いられたりと、一見読みにくさを感じさせるような文法が目立つ(訳によるのかもしれない)。肌にまとわり付くように濃密な文章でありながら、肝心なことは何一つはっきりと語らないという点で淡々としている。好き嫌いは分かれそうだけれど、わたしは結構好き。言葉の本流に身を任せてほしいままに翻弄された。
1投稿日: 2009.10.10
powered by ブクログ今更読みました。映画化されていたよなあと思って手に取ったがなんじゃこりゃ難解な純文学なのか? 人称がころころかわるは時間軸がよくわからんはで私にはついていけませんでした。これたくさん売れたみたいだけれど…映画に興味を持ちました。 全体に流れる退廃的な雰囲気だけ読み取れた、そんな感じ。
1投稿日: 2009.09.13
powered by ブクログ原文のクセか、訳文か読みにくい…サガンのあとだっただけに余計。小川洋子さんの「読書案内」評にもうなづきつつ。
1投稿日: 2009.06.15
powered by ブクログ少女の美しさを、単なる早熟だと括ることはできない。 暴力的な運命の前に力なく屈服する女は、いつも美しい。 そういう女は、欲情を自らの思うままに内に宿らせることができる。 少女の未熟な身体と、未だ愛を知らないからこそなせる完璧な諦観が、それを際立たせる。 だからこそ少女は美しく、欲情を誘う。 そもそも早熟なのではない。 愛人という地位から逃れてようやく愛に目覚めた、 あの時点から少女は熟し始めるのだと思う。 でも彼が愛したのが、愛を知らない少女に宿った欲情だとしたら。 少女の愛は絶対に届かない。 最後の電話がこの愛の成就の形だったのかもしれない。 時代背景に詳しくないとちょっとよくわからないところもあるし、 描写が難解ではあるけど、いくつか出てくる鋭い表現が頭に残る。
1投稿日: 2009.05.27
powered by ブクログデュラスの文書は詩的で本当に美しい。 原文のフランス語で読んだら、どんな感じなのだろうか。 この本は何度も読み返し、映画も観たが、映画もよかった。 「男は女に言った、以前と同じように、自分はまだあなたを愛している、 あなたを愛することをやめるなんて、けっして自分にはできないだろう、 死ぬまであなたを愛するだろう。」
1投稿日: 2009.01.27
powered by ブクログ冒頭の文章から詩みたいで、すばらしいと思いました。 衝撃的な「十八歳で私は年老いた。」から、イメージの奔流のような文章がとにかく好きで何度も読み返しました。
1投稿日: 2008.09.11
powered by ブクログ流れるような文体は原文のほうがずっとすてき。まとわりつくような暑さのインドシナ、一見おだやかな水面のしたで荒れくるう大きな河、そしてかのじょの心。
1投稿日: 2007.12.08
powered by ブクログ彼女固有の鋭さも多分にあるが、少女期特有の感受性の鋭敏さと残酷さが、ひりひりくる。しかし最近再読したら、少女にのめりこまずにいられない中国人男性の切なさに感情移入。なぜだ…。
1投稿日: 2007.09.17
powered by ブクログ映画のイメージが先行してしまうが、小説は真面目なラブストーリー。 その時には「恋」と認めなかった。だけど、時間がたって甦る大切な思い出。美しい自分と永遠の恋。
1投稿日: 2007.08.18
powered by ブクログ18歳でわたしは年老いた―。あの青年と出会ったのは、靄にけむる暑い光の なか、メコン河の渡し船のうえだった。すべてが、死ぬほどの欲情と悦楽の物 語が、そのときからはじまった…。仏領インドシナを舞台に、15歳のときの、 金持の中国人青年との最初の性愛経験を語った自伝的作品。
1投稿日: 2007.06.13
powered by ブクログヌーヴォー・ロマン(ロブ=グリエ『反復』を同書店で紹介)の代表的作家デュラスによる自伝的小説。ジャン=ジャック・アノーにより映画化された。フランス領インドシナを舞台に男物の帽子を被り船の甲板に立つ十五歳の少女。その少女をじっと見つめる金持ちの中国人青年。湿度の高いインドシナを背景に全てが無になる欲情を描いた激しい性愛の物語。早熟な少女はどこか冷静に自分の性愛体験を捉えています。性に溺れても、愛には溺れないのがファム・ファタルのひとつの条件
1投稿日: 2007.05.13
powered by ブクログ愛か恋か…恋なんかじゃない。否、恋だったのかもしれない…微妙な少女の心。遍歴多き女性ならば納得するはずの一作。若き日を省みよ。
1投稿日: 2007.05.10
powered by ブクログこの小説の映画化は、果たしてデュラスの云うところの愛が描かれていたのかしらん。映画の方はそれほど私を打たなかった。
1投稿日: 2006.12.31
powered by ブクログ“J'ai un visage détruit.” という言葉が、こわくてゾクゾクしました。 映画もよかったです。
1投稿日: 2006.11.22
powered by ブクログエロティックな事ばかりが取り上げられた映画だったけど、ラストの少女の涙が沁みたので、原作を読んでみたくなりました。
1投稿日: 2006.10.21
powered by ブクログインドシナがフランス領であった20世紀前半、ベトナム・サイゴンで若すぎるフランス人女性が踏み入れてしまた中国系の男性との関係。
1投稿日: 2006.06.25
powered by ブクログ作者の自伝的作品。中学の時に平気で教室で読んでた。確実にそんな本ではない。苦くても大切な思い出を、時間をかけて語ってる感じ。
1投稿日: 2006.03.21
