
総合評価
(5件)| 2 | ||
| 1 | ||
| 2 | ||
| 0 | ||
| 0 |
powered by ブクログ「価値を決めるのは人じゃ。よいものを持つことが力ではない。これはよいものと決めるのが力。」 内裏で初春の催しが行われる中、都で神馬が現れたとの噂が。道真は長谷雄と共に神馬の噂を確かめに行くが!? 高子姫の入内に向け、ついに藤原家が動き始める。 応天門の変まであと二年ほどとなる。良房は相変わらず自邸にて隠然たる権力者として振る舞い、せっかく青馬節会で名馬を揃えようとした良相の意思をくじく。 ずっと入内するするといってストップがかかっているが、貴子が入内するのは、漫画タイトルの応天門の変後であるので、今回もまたしない。しかしあんなに嫌がっているのに、ちくちくと刺激する基経との仲は最後まで悪かったようで、基経は清和天皇に別の女御を紹介している。 架空の存在であり、一般庶民の視点を持つ白梅がいてくれることが、本作の癒しになっている。もちろん紀長谷雄も。実際はどういう人だったか知らないが。
0投稿日: 2026.01.21
powered by ブクログ通常運転。 ほんの5年ほど前は連銭葦毛がどんな様子の馬か具体的にイメージできていなかったのに、某ゲームのおかげで馬の毛色について随分と詳しくなった。そのため、「芦毛より時折真っ白い馬が生まれる」という台詞を見ると、「ないない」と突っ込みを入れたくなってしまう。 作中の馬が葦毛か白毛かは、フィクションの話なのでよいとして、実際問題、平安時代の白馬節会(あおうまのせちえ)でどんな馬が使われていたのかについて、俄然興味が湧いたため、調べた範囲での考察を書いておく。 白馬節会の成立と名称について 万葉集、巻20-4494に大伴家持(718-785)の歌、 水鳥の鴨羽の色の青馬を今日見る人は限りなしといふ (正月七日の宴会にて、水鳥の鴨の羽の色をした青馬を見ると無限の寿を得るということでめでたいことだ) が見えるため、すでに700年代後半には、正月七日に、「青馬」を観る行事があったことがわかる。この時の馬の色は、「鴨羽」色であった。鴨色は、おそらく灰色、薄茶であり、黒くは無いと考えられる。 節会としては、『続日本後紀』に承和元年(834年)「天皇御豊楽殿観青馬宴群臣」、『日本文徳天皇実録』仁寿2年(852年)「幸豊楽院。以覧青馬、助陽気也。賜宴群臣如常」とあり、800年代半ばには存在していたといえる。この時期、馬は「青馬」と記載されている。この「青馬」が、青毛=黒を意味するのか、青みがかった色(灰色)を意味するのかについては決め手が無い。 枕草紙「正月一日は」(第3段)に、「七日...白馬みにとて、里人は車きよげにしたて見に行く」とあるため、平安時代中期(1000年ごろ)には白馬を観る行事で、しかも民間人も見物できる形態であったことがわかる。 このころには、『小右記』寛和元年(985年)正月7日条、『御堂関白記』長保2年(1000年)正月7日条などでも「白馬」と記載されている。 「しのぶれど色に出にけり我が恋は」の歌で有名な平兼盛(生年不詳-991)に 降る雪に色も変はらでひくものを 誰があを馬と名づけ初めけむ (雪のように白い馬を引くのに、青馬とはこれ如何に) という歌があるので、900年代後半から、このような青馬と言いながら、披瀝されるのは白馬状態であったことがうかがわれる。 よって、700年代以降1月7日に馬を見る行事があり、馬は元「青馬」であったが、徐々に「白馬」を見るものになった。しかし、馬は「白馬」でも名称は「白馬節会」と書いて、あおうまのせちえと訓ずるように発音としては「青馬」のままとなったといえる。 2.白馬節会で使用された馬の色について 上述の「白馬節会」は、行事内容としては、左右馬寮から、白馬21頭を引きまわす(『江家次第(ごうけしだい)』)ものであったという。ここで「白馬」は何であったか。 まず、馬の種類については、サラブレッドはまだ存在しないので、日本各地に平安期に存在していた馬、日本在来種(または、その原型)と考えてよいだろう。 日本在来馬で現存するものは、北海道和種(道産子)、木曽馬、御崎馬、対州馬、野間馬、トカラ馬、宮古馬、与那国馬の8種。すでに絶滅した在来種としては、南部馬、三春駒、三河馬、能登馬、土佐馬、日向馬、薩摩馬、甲斐馬、ウシ馬があるらしい。現存在来種は比較的小型で、絶滅在来種の方が大きかったようだ。平安期の馬の種類や頭数については、ざっとネットで見渡した範囲ではよくわからない。 ここで、馬寮で管理する馬の数について考える。 奈良文化財研究所「2 馬寮についての史料的検討」を見ると、奈良時代の馬寮の馬の収領は、年間500疋程度が集まるものという西岡虎之助の推定を引用している。国ごとに特産の馬がいる地方ではその在来種が貢納されていたと思ってよいだろう。 馬寮の管理馬数はよくわからないが、とりあえず、奈良文化財研究所の年500疋の収領を基準に考える。仮に3歳の馬が貢納され、同一世代の馬につき年間1/10が死亡するとして、これが毎年行われるとすると、馬寮の管理馬は、3000-3500頭程度と推定される。 仮に3500頭として毛色の分布はどうか。 現在のJRAではサラブレッドの毛色を8種類、日本馬事協会では在来馬も含め馬の毛色を14種類に分類している。サラブレッドの毛色は、鹿毛、黒鹿毛、青鹿毛、青毛、芦毛、栗毛、栃栗毛、白毛。日本馬事協会の「馬の毛色及び特徴記載要領」では、栗毛、栃栗毛、鹿毛、黒鹿毛、青鹿毛、青毛、芦毛、粕毛、駁毛、月毛、河原毛、佐目毛、薄墨毛、白毛である。 白馬はきわめて珍しい。 馬の毛色の割合として乗馬クラブクレイン調べの以下の数値を示す。(「馬の毛色|白馬や芦毛はどれぐらい珍しい?」 https://www.uma-crane.com/column/post-325) 鹿毛(かげ) 約50% 栗毛(くりげ)約25% 黒鹿毛(くろかげ)約14% 芦毛(あしげ)約7% 白毛(しろげ)約0.04% 上記数値はサラブレッドのものであるため、在来種とは毛色割合が異なる可能性があるが、白毛がかなり珍しいことはほぼ間違いない。在来種の毛色割合の統計は見当たらなかった。しかたがないので、仮に平安時代も、上表の割合と同程度の毛色の馬がいたものとする。上記仮説を、馬寮の管理馬推定3500頭にかけると、白馬は1.4頭。全体でやっと1匹いればいいなというレベルである。葦毛だと245頭いることになる。 見栄えの関係上、白馬や葦毛が優先的に貢納されており、地方の牧での生存割合より、馬寮の管理馬での割合が高かった可能性は考えられるが、白馬節会では21頭の馬の必要としており、これを本当の白馬で用意するのはまず不可能である。白馬と言っているのは、白く見える馬と思って差し支えなかろう。白く見える馬としては、葦毛および在来種の佐目毛の馬が該当する。 現代日本で、白馬の神事を行っている神社がいくつかあるが、本当に白馬を使っているところはないようだ。 以下、白馬神事事例。 上賀茂神社白馬奏覧神事:葦毛サラブレッド https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%E4%B8%8A%E8%B3%80%E8%8C%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%80%80%E7%99%BD%E9%A6%AC&mmscn=stvo&mid=CA14D1E0596AB0896886CA14D1E0596AB0896886&ajaxhist=0 住吉大社白馬神事:佐目毛在来種 https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%E4%BD%8F%E5%90%89%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E7%99%BD%E9%A6%AC%E7%A5%9E%E4%BA%8B%20%E5%85%AC%E5%BC%8F&mid=4BC708F8B26E88D5390B4BC708F8B26E88D5390B&ajaxhist=0 鹿島神宮白馬祭: 神馬7頭なのだが明らかに白くない鹿毛もいて面白い。白い馬は在来種に見える。白毛か葦毛か判別か、動画からは(自分には)判別できない。 https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E7%99%BD%E9%A6%AC%E7%A5%AD&mmscn=stvo&mid=955C65529B5A4A0BE979955C65529B5A4A0BE979&ajaxhist=0 白馬祭は鎌倉時代から行われており、「おうめさい」と読むらしい。なんとあおうまさちえっぽい。 現在の「白馬」神事の様子を見ても本物の白馬にこだわっている様子はなく、葦毛、佐目毛が使用されている。やはり、白く見えればよいというのは妥当な推測であろう。 平安時代であっても、それは言えるはずで(白毛はそろえられない)、その場合、使用されるのは多くは、おそらく葦毛馬だと考えられる。葦毛馬の白さは、個体差があり、同一個体でも年齢によって差があるが、葦毛の白いものは、本物の白馬に比べても白さにおいて引けをとらない。(葦毛馬のゴールドシップはデビュー頃は灰色だが、引退時は十分白馬である) 上記のとおり、本当の白馬はきわめて稀であって21頭そろえるのはほぼ不可能。みんな、本当に白馬かどうか気にしているとは思われない、単に白い馬であればいいと思っていると思われるというところから、使用された馬は、葦毛、ないしは佐目毛、かつ適当に両方まざっていて統一されていない状態というのが、真実に近いのではないかと考えられる。 結論としては、平凡社「改訂新版 世界大百科事典」の以下記述が当たっていそう。 白馬節会 (あおうまのせちえ) 宮廷年中行事。天皇が正月7日に〈あおうま〉を見る儀式。大伴家持が〈水鳥の鴨の羽の色の青馬を……〉と《万葉集》に詠んだように,はじめは青馬であったが,平安中期より白馬と書くようになった。しかし,その後も〈あおうま〉とよんでいる。中国において青は青陽,春をさし,馬は陽の獣であるところから,この日に青馬を見るという儀礼があり,年中の邪気をさくという風習が日本に伝わり,日本の祓(はらい)の思想と結びついたもの。日本では古来より白馬を神聖なものとして用いることから白馬と変えた。ただし,馬は灰色または葦毛で,表記だけを白馬に変えたにすぎない。嵯峨天皇の811年(弘仁2)を起源とする説などがあり,はじめは豊楽院,のちには紫宸殿で行われるようになった。左右馬寮が白馬21匹を引き,天皇,群臣の前を7匹ずつ3組にして引き回してゆく。応仁の乱以後,一時行われなくなったこともあるが,明治維新に廃絶されるまで引きつづき行われた。一方,白馬神事として京都賀茂別雷神社,大阪住吉神社,茨城県鹿島神宮などでも行われた。 執筆者:山中 裕 https://kotobank.jp/word/%E7%99%BD%E9%A6%AC%E7%AF%80%E4%BC%9A-24087 ざっとネットで拾って書いてみたが、日本史の学部レベルの卒論ぐらいなら書けそうなネタのように思う。読み、とか「あお」という文字の意味を調べる方向と、実際の生き物として居たはずのウマの頭数や、管理状況などを組み合わせた論考はなさそうなので、書けばそれなりのものにできそうな気がする。真面目に書くなら、この時期の、海外貿易で馬が輸入できるかどうかの可能性の検証はやるべきだと思う。菅原道真のころは、公式の遣唐使は838年を最後に派遣されておらず、輸入するとすれば民間貿易になるが、民間貿易でウマは持ち込めたのだろうか? 鴻臚館の通商記録ってあるのかな。まあ、書かないから、もう調べないけど。
2投稿日: 2026.01.12
powered by ブクログ比較的静かな話数でしたが、平安貴族の見栄の張り合いに見せかけた謀略と隠された本意 精神的にきつい戦いですねえ 今に繋がる言葉の蘊蓄は勉強になりました。今後の高子さまの展開も楽しみです。 「思い込みや呪いが祟りとなる」「価値を決めるのは人、これは良いものと決めるのが力」は、名言ですね。
8投稿日: 2026.01.11
powered by ブクログ最新刊21巻が出て、また1巻から巡回。 そういえば、ブクログに入れてなかった! 長らく読んでいる推し本 まず内容が面白い、そして画が好み。 さらに、大変馴染みのある年代 ときたら、読まなければならぬよ。 たしか、ガタに越してすぐのころに 古本屋で1巻とたまたま出会って、どハマりし すぐに既刊取り寄せのを覚えている。 いやもう、公達がかっこええのよね。 解説は本郷先生でそこかしこにコラムがあって、 非常にお得感満載。 在原業平と若い道真が解くミステリ
29投稿日: 2026.01.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
思い込みが呪いや祟りとなるから 言霊を侮るなとは本当にそのとおりだと思う。 実際今黒馬が縁起が悪いような雰囲気が 徐々に作られている訳だし。 炭を塗られて縄もついたまま、怪我もしている馬が可哀想だ。 無事に生きていけると良いのだが。 人の不安につけこんで「それは不信心だから」と言う人に ろくな人はいない気がする。 賜り物だからなのだろうが、子猫に 「ペッてなさいませ」って言うのがなんだか可愛かった。 とても危険なことではあるが、主上がひとりで 外に出たいというお気持ちはわかる。 手伝ってあげたいと思うのもわかるし、 一応見守りもつけていたのは偉い。 このおふたりは本当に微笑ましい。 高子様は一体どうなるのだろうか。
1投稿日: 2026.01.08
