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私という病(新潮文庫)
私という病(新潮文庫)
中村うさぎ/新潮社
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総合評価

50件)
3.9
17
12
9
7
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    この作者さんは、自分の内面をあまりにも愚直に見つめ、掘り進めてしまった結果、後戻りできないところまで病んでしまったのだと感じる。そこまで凝視せず、もっと楽にして他のことにも目を向けた方が上手く行くのにと思った。自分探しのためにグルグルと変なところを回っている視野の狭い学生のようだ。 また、所々ハッとさせられるが、やっつけ仕事的な部分も多く混ざっている。自己分析のために包み隠さず書かれた文章が半分、締め切り間際にヤケになって書かれた文章が半分、といった印象を受けた。

    6
    投稿日: 2025.11.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ※自分語りです。けどね、本文中の「私(中村うさぎ)はあなた」ということで、私自身の「女という病」を語らせてくださいませ。他の方の感想を見る限り私も禿同!!なので、、!せっかくなら私の考え語らせてー! 【1章 読むにあたったきっかけ】 大学に入学して以来、女を謳歌している子達とよく接することになった。彼女達と話をすると、どうも噛み合わない。日々恋愛話やゴシップに花を咲かせ、私に語りかけてくる。どうも毎日続くと、まるで私は女を謳歌せずにこのまま死ぬのかと、頭が痛くなった。 高校時代は部活に勤しんで、恋は二の次(ということにせねば恋を恐れているのことが明白になる)で、恋せずとも充実した人生を送れると当然だと信じて疑わなかった。それが、恋愛に消極的な自分自身への慰めでもあった。その慰めの効果が、女を謳歌する彼女らの前では塵と化す。 知ることは自殺行為だと高校時代の恩師に教わった。私は知ってしまったのだ。私は恋愛をしたいということを。しかし、恋せずとも強く楽しい人生を送れると信じて疑わない私(この原因は後ほど)と、恋をしたいどこまでも乙女な私、その2人に挟まれ、このピンボケした心の内をどうか明確に、輪郭をハッキリできる方法は無いのかと悩んだ。 そのうえ、ネットの男友達が私の悩みを増幅させた。彼曰く「大学生は色恋沙汰が1番楽しい」私も薄々気づいていたが、気付かないふりをしていたのに。彼は、恋愛を謳歌できるタイプの男だ。どれだけ女を遊べるかが男のステータスだと言葉の節々から伝わる。(誤解のないように、彼の人間性は魅力的だ。ただ少しお酒が入ってただけ。)彼と電話した夜、私は泣いた。死にかかった希望が私の中で悶えている。 そんな時に、「私という病」に出会った。大学の友人から教えていただいたもので、今思えば読まれるべくして私の元へ導かれたように感じた。 【2章 自己分析】 1番初めの1行。「どうして私は、女であることを、おおらかに正々堂々と楽しめないのか?」どきっとした。中村うさぎさん、この人はきっと、私の謎を解き明かしてくれるはず!色恋を楽しんでいる子達を見てすくすくと恋愛コンプの実が育つ。まさに性的自己確認に悩んでいる。 いつから恋愛しずらくなったのだろう。思えば、高校時代で両片思いイベントを経てからだ。彼は私と接する時は下手に出て、「僕なんて、、君はすごいよ!」と言ってくれる。素直に嬉しかったが、いつしか自分自身の魅力を自己確認する対象になっていた。いつしか彼は私の元を去って他の女の子と付き合った。その瞬間、私は自己確認の術を失った。その瞬間、私は嫉妬と執着の化け物と化した。自分より下の存在(ごめん)が何故このようになっている。受け入れ難い事実。いや、それそのものが受け入れ難いのでは無い。私が「差別意識」を彼に向けていたことの自覚が受け入れがたかったのだ。私のプライドもライフもズタズタ。癒すのは彼を引き戻して私のものにするか、はたまた代用品か。結局私は部活に明け暮れた。卒部し、大学生となった今、あの過去は風化し残されたのは、男の人への優位性を欲する肥大したプライド、愛されたいのに傷つくことを恐れた私のハート。これが正しく、恋愛をしずらくなった原因だ。この矛盾した2人、どちらも私なのだ。 差別意識は無くせるものじゃない。自覚して、それが不当であることを知って、そんでもってそんな己を恥じる気持ちがあるか。 何よりも、愛されたい気持ちを動機とし異性に異性への目を向けている自分への嫌悪感を否定するかのように、異性からの異性の目を汚らわしいと思うようにしているんだ。 中村うさぎさんは、本文にあった通り、客観視して分析して答えを出したい人、すなわち、言語化が凄まじい。ぼやけた輪郭を彼女の言葉がピントを合わせてくれる。 解像度高く捉えた文章は、目の前の磨りガラスをとっぱらってくれる気持ちよさがある。裏腹に、砕けたガラスで切り傷を負いまくる。自己解剖。ガラス越しでぼんやりと見たまま生きる方が余程楽だろうに。それでも尚、見たい。そんな不器用な私は私が大好きだ。 【第3章 これから】 フェミニズム(あえてこの表現)の対義語マスキュリズム。女性エッセイを読み終えて、恋愛がしたーーい!誰か私を愛してー!と単純な欲求が浮き彫りになった。兎にも角にも、「男」を知らなくては、「女」は知れない。日本の良さに思いをふけるのは、日本にいる時ではない。海外にいる時だろう。比較してやっと理解できるのだ。中村うさぎさん視点からの「女」、マスキュリズム的視点(男性エッセイ)からの「女」、好きな人視点からの「女」。沢山見たい知りたい。まだまだ終わらない。「女」は不治の病と書いてあったけど、本当かな。とりあえずまだ止まるのはやめておこう。運命的なこの本に敬意を込めて。素敵な時間をありがとうございました。

    1
    投稿日: 2025.11.18
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    ●2025年11月3日、YouTubeであとで見るフォルダに入れてた動画をみたらコメント欄でこの本の名前を出してる書き込みがあった。 《【誰かに選ばれなくても】自分を好きでいられる女の強さと静かな自由│中村うさぎ中瀬ゆかり(第1回/全2回)》 https://youtu.be/URQorr8Cr-4?si=Kwwu4-aF5oAb0DAu コメント:「大好きなお二人♡ちょうど、私という病を読んだばかりでびっくりしました。うさぎさんの新刊も楽しみです!」

    2
    投稿日: 2025.11.03
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    壮絶。壮絶すぎてすぐに感想が書けなかった。中村うさぎが自分の女性としての価値を確認したくてデリヘル嬢として風俗店で働くところから始まる。単なる風俗体験記ではなく、そこで見つめた自分のはらわたまで引きずり出して著述している。作家とはこうまで曝け出すのか、と戦慄すら覚えた。性的強者であった女性が加齢などのさまざまな理由から性的弱者になっていくという分析・視点には説得力があり、それを受け入れたくない様を赤裸々に教えてくれてる。読んでいて心が痛くなる。マチズモに関する考察や指摘も沢山含まれていて今の俺の興味に相応しい一冊でもあったと思う。どんな文脈で出てきたのか忘れたが、「大人になるとは親を人間だと認めること」と言うのも強く共感するし、大変印象深い。まさかラストで東電OLが出てくるとは思わなかったけど、あくまで彼女の想像の範囲とわかってはいるが、男側からはとても想像がつかない破滅願望とも呼べるような露悪の持つ優越感などの魅力についても深い洞察があった。凄まじい本だった。

    2
    投稿日: 2025.01.28
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    前回のオヤジどもよ! より中村うさぎさんのコンプレックスやその原因を客観視しながら語っていて気持ちいい。 第4章は共感出来た! 男の中村うさぎさんの作品言及に対する過度な自己正当化は相変わらずだったけども

    1
    投稿日: 2024.08.16
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    まず大前提として、自分の存在意義や評価を完全に他者評価に委ねてしまうべきではないと私自身はは思っているが、作者はまさしく他者評価で自身の性的価値を測ろうとした。それ故に作者は病んでしまったのでは?と感じた。最後に良い結論に辿り着いているので安心するが。 と言う大前提の自分の考えはさておき、この本は人生経験として読む価値がある1冊だと思う。自身の中の「女の性的価値」について深く考えさせられる。私自身は、信頼できるパートナーの存在を改めてありがたく感じたが、まだまだ執筆当時の作者に比べれば若輩者で、自分が47歳になった時にどう思うかはまた別なのかもしれない。 しかし作者は東電OLとか、依存性当事者としての声だとか、よくぞここまで読みやすく言語化できるものだと感心してしまう。笑えるポイントもとても多く良かった。 「大人になるということは親を人間として見られるようになること」これが非常に的を射た表現で1番心に残ったフレーズだった。

    1
    投稿日: 2024.06.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    今回は中村うさぎさんの体験等をもとに、自己分解?をされているお話でした。 確かに、わかる。と思うことが多く、普段の生活で感じていても言語化することがなくもやもやとしている気持ちをうまく言語化してくださっている感じでした。 「女であること」を拒否した女は、どんなに出世して「勝ち組」になろうと、惨めな「負け組」に分類されてしまうのだ、と。 ここはとてもわかる。女だからと舐められたくなく努力して成功したとしても、今度は女としての評価で負けてしまう。 どちらも勝ち組でいることは、今の社会だと難しいのだな、と改めて感じた。

    0
    投稿日: 2022.06.12
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    デリヘル体験記というより 女性であることへの深い考察。 女性であることでの生き辛さの深い闇の分析。根が真面目な人なんだろうな。 うさぎさんのように極端な行動は取らないけれど、うんうんわかるよって頷きながら読了。

    0
    投稿日: 2021.12.30
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    文庫版の伏見憲明さん解説がkindleには載ってない....。「『私という病』は結局、風俗という現場で何を見たのか、というルポタージュではなく、風俗という体験を通じて自分の内側から何を抽出できたのか、という深い自己分析の軌跡であった。それはうさぎさんが自分という身体に自らメスを入れ、臓物を掻きだし、そのにおいを吟味するようなグロテスクな作業であり、麻酔もかけずに開腹手術をしていく残酷で怜悧な実験だった。その躊躇のない手さばきこそが、中村うさぎという作家の真骨頂なのだろう。」

    0
    投稿日: 2021.05.08
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    女性という作者の実存。そこから風俗の経験を通して、また東電OL事件という記号を通して考えてみる。人間どうしても自分の属性に依存したものの考え方しかできなくなってしまう。男なら男目線で女を見る。筆者は、そういった無知の眼差しに敏感である。これですべてわかるというわけではないが、相手を理解する知性を身につけるために読むべき本。

    0
    投稿日: 2021.01.24
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    期待以上に深かった。中村うさぎの「だって、欲しいんだもん!ー借金女王のビンボー日記」を読んだ時には語り口があまり好きになれなかったけれど、本作は自らの女性性を嫌悪して閉じ込める自分と、男性に愛されたい、性的に魅力的でありたい、性を奔放に楽しみたいという自分との二面性を深く考察している。女性なら多かれ少なかれ誰しも持っているであろう二面性。自分の中の「女」を押し殺して振る舞う自分と、女として魅力的でありたいという自分、どちらも本当の自分で、それを場面や相手ごとに使い分けながら矛盾しないように見せているという感覚、疑問にも思っていなかったけど、それってもしかしてこの社会で生きるために身につけた処世術だったのかな…。

    0
    投稿日: 2017.11.04
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    堕ちるところまで堕ちて、自分をとことんまで曝け出したと言ったところか。万人にオススメはしないけれど、男女問わず一度くらいは読んでみていいんじゃないかと思う本。

    0
    投稿日: 2017.08.22
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    大概の男には女の気持ちはわからないだろ、という記述が延々と続く。東電OLの心情の推察は、なるほどと思った。2017.8.13

    0
    投稿日: 2017.08.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ホストとの「心のない義理セックス」で奪われた「性的強者」のプライドを取り戻すべくデリヘル嬢バイトをした著者による体験と考察。作中の『女を「人間」として、対等な目線で見』よ。でなければ、『「理解」も「共感」も生まれない』に納得できるからこそ、著者自身も強者弱者などとせず対等に思える相手を見つけたら良いだけではと思った。理解は出来ているのに二元論的な振舞いでしか対処出来ないからこその『私という病』なのか。風俗で売買されているのは身体ではなく「性的幻想」だ。男は幻想を抱いている女には優しいが、抱けなくなると人間扱いしなくなる、との指摘は体験者ならではの説得力があった。また、女らしさを隠すべしとされながら時期によって突如として求められる女性の戸惑いが伝わった。人を人として接することの難しさと尊さを再確認すると共に、女性ならではの生き辛さの一端を学んだ。

    0
    投稿日: 2016.11.27
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    著書の徹底的に自分と向き合い混沌した自らの内面を自己分析し言葉にし 痴態や醜態までもをさらけ出すという営為には感服します 私が薄々思っていた事を彼女が言葉にして代弁してくれたという感じ

    0
    投稿日: 2015.11.13
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    201501 周りの目を気にせずデリヘルで働こうとするのがすごいと思った。 中村さんの男性は金で女を排泄場として買っているのではなく、日常生活では満たされない性的幻想を買っているという考えは好きです。 なんとなくその意見は女としてわかる気がする。 デリヘルはマイナスではなくある種のプラスを生み出す場所という。 ただ誰にでもできる体を売るという行為に慣れてしまうことで、他の真っ当な仕事ができなくなる。そういう意味で汚れる、落ちるというのは事実。 あと中村さん東電OLが好きだなーと思った。ただ実在の人の意志を確かめたわけでもないのに、やたら個人的な想像でものを言ってしまうのは、危険なことなのではないかと思った。 死人にくちなし。

    0
    投稿日: 2015.01.15
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    自分に対する不信、外部に対しての不信、エネルギーの強い人がそれを埋め合わせようとしたとき、この人のような行動になるのだろう。 満たされぬ何かを、埋め合わせたくて人は生きている、という世界観には完全に賛同。

    0
    投稿日: 2015.01.08
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    整形手術。風俗勤務。ホスト通い。買い物依存性のような、他人にとってどうでも良いような武勇伝をちらつかせ、自分を語る。つまらない人生。でも、自己特別視をしたい。完璧に他人に嫌悪されるような挙動ばかり。しかも、そいつが、女性を代表するように語る。うさぎ姉さんの凄いのは、一言。恐れない、ことだ。文中、男性恐怖がどうのと。本当か嘘かわからなぬような、飾り付けはどうでも良い。そんな、自己分析には興味は無くて。東大OLがどうのも、どうでも良い。恐れない、体験ルポ。これが、面白い。 考察の中で面白いと思ったのは、性的強者、性的弱者という概念。まさに、人生は、その奪い合いによって、性的な関係を成立させているのではないだろうか。

    0
    投稿日: 2014.06.01
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    買い物依存や整形にはじまり、とうとうここまで。 常に虚栄心とコンプレックスの狭間で戦っているのかもしれない。

    0
    投稿日: 2013.11.07
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    心にグサグサ来る本だ。でも一度読み始めるとぐいぐい入り込んでしまう。前半の風俗嬢体験記も面白いけど、東電OLに自分をなぞらえる(憑依する?)くだりは圧巻。男に対する鋭利な刃物のような指摘と、非常に冷静な自分の中の「いばら姫」についても分析している。風俗嬢になったときの心持ちを「コスプレ」と書いていて、ああ、これはワタクシが舞台だの紙芝居だのをやめないこととも通じているのでは、と思い至った。それでバランスをとってるのだなあ。

    0
    投稿日: 2013.10.17
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    女の主体性ってヤツは!!!女だけど人間ですもの、いろいろ大変なワケ。なんか泣けてきた。いろいろ最終的に、女だからだよなーって気がする。この人本当にすごみがある、リアリティがある論客。

    0
    投稿日: 2013.09.26
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    同性が共感できる本と聞き、読みました。ありのままのご自身を書かれていて、清々しさを感じる作品でした。

    0
    投稿日: 2013.05.28
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    読むまでは、何でデリヘルなんてやるの!?と訳が分からなかったが、読んでみるととっても真剣な内容だった。うさぎさん入魂の一冊という感じ。読んで良かった。共感できるとこありすぎ!きっと女性ならみんなそうだ。ところでこの本、実は旦那が買ってきて面白かったと言ってたので私も読んでみた。

    0
    投稿日: 2013.05.11
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    【経緯】 ぺりこさんに、徹子の部屋にでてきたときの中村うさぎと顔が似てると言われ。笑 【書き出し】 「どうして私は、女であることを、おおらかに正々堂々と楽しめないのか」 これが、私の長年の疑問であった。 【感想】 「女としての価値」をわかりやすく数値で示して!って考え方がユニークで笑っちゃった。 いやー 身につまされるというか‥ 人間として、女として、求められたいというのは至極真っ当な話なんだよね。 別れたときにセックス依存になる女は、「セックスしたい」ということよりも「女として求められたい」んだな、とストンと納得した。 【引用】 「自分の欲望を刺激するのはけしからん」とか「自分の欲望を刺激しないから面白くない」とか、そんなおまえの理屈でファッション評論される筋合い、どこにもないんだよ。 我々の中には確かに「男に欲情されたい」という願望があるけれど、それは私の意志を無視して一方的に他者の欲望の餌食にされるのではなく、私の主体性に基づいて私の方から「男を欲情させたい」ということなのだ。 【不可解】 メディアにいちゃもんつけられるのに無防備すぎる点。 ほんとすごいと思う。。

    0
    投稿日: 2013.02.23
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    矛盾に満ちた自己との闘いの記録、というべきか。男に主体性を奪われた自分と、それに肯定的な自分が同居している、矛盾に満ち満ちた自己の内面。普通なら自己の一貫性を保ちつつ社会に適応していくが、中村うさぎ、そして東電OLは、肥大化していく「隠蔽した自己」と意識的にせよ無意識にせよ、付き合わずにはいれなかったのだろう。 思うに、男は自分を否定されることに女以上に怯えている。社会的地位、それに付随するプライド、権威、男としての価値…それらを失いたくないが故に「逆ギレ他罰(p116)」して自己正当化に走る(男女の世界だけではなく、会社などの組織でも起こりそうなことだ)。中村うさぎは本書を女たちに読んでほしいというが、そんな思考停止に陥った男性こそ読むべきだろう。無論、理解のキャパシティがあるかは別問題ではあるが。

    2
    投稿日: 2013.02.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この本を読んだのは2年前なんですが、常日頃疑問に思うことや不満と通じるものがある気がして個々にレビューとして綴る。    2012年9月の話。  ※今から吐く毒は、「一個人」として吐くものです。  最近勤め先(某学校)で、男生徒に「やらせてくれっ!」って迫られ、襲われそうになった女子生徒(未遂)が、友人のススメで先生にその事実を学校に訴え、そのため加害者の男子は職員会議で何があったかを詳細に全教職員に知らされる事になった上、退学の危機に陥るという事態になったということがあった。  学校の対応としては、別に間違いはないし、女が泣き寝入りするなんてあってはならない。(まぁ結局何も起こってないんだが。)だから別にこの学校側の対応にどうこういうつもりは全くない。  わたしがこう感じるのは、おそらく私が「アバズレ」なのでしょう。  「『生徒』として間違ってないけど、『女』としてどうなのよ。」と。  「やらせてくれ。」と言わせる要素が女子側にも恐らくあったであろうということとともに、  男が血気盛んな10代後半の野獣どもっつう認識だって、女子側にはあるでしょう。  「やられるかもしれない」という可能性があるのなら、まずそんな環境作るべきじゃなかったってこと。自分の身くらい自分で守れ。  プラス。まぁわたしがアバズレなんでしょうけど、  うまくかわせなかったのかなぁ…。  のらりくらりと、「またね。今度ね。」「今生理中」もしくは「お前とやるほど安くねーよ。」と一喝。  これ、言っちゃだめだけど、話聞く分には、 その男の行動、20年前の女落とす時の男の行動ママだと思うわ。ある意味ダメ元でもガンガン食い下がっていったそのガッツは現代の男にはなかなか見られない。   まず最初に「彼氏いる?」とかいう詮索入れて、  「いないよ」=「俺と付き合ってもいいというメッセージ」  とかいうご都合主義甚だしい解釈につなげる  傷つくことをしたくない甘ちゃんよりはよっぽど男だわ。バカだけど。いや、男はおバカか。だから正直「退学どうこう」を学校が言っちゃうのはなんか違う気もしちゃう。女の方にもそこまでの制裁加えさせてしまうだけの落ち度が本っ当になかったのかと言われたら、自分の潔白さを証明できないんじゃないかっつう。     ※追記  もういっこいっすか。  今朝の話。  SHRの時間になっても教室にいない女子が3人いて、なんだとおもってトイレに行ったら、過呼吸で苦しんでるクラスの子がいて、保健室に運ばせたという話。  今就職試験まっただ中で、緊張のあまり出た(もともと出やすい。元A◯Bの誰かさんと一緒。)のかと思い、よくよく話を聞いてると、  「彼氏と一モメあったから。」  だって。担任に聞くと  「あいつが過呼吸出す理由、他に無いですよ。」と。  わたしは、平安時代の恋愛話なんかを紐解くに、  「恋焦がれて死ぬ」だの「好きな男を追い求めて息絶える」だの、ンなことあるかーい!と、か弱いお姫様体質なんてクソ喰らえと思っていた人間なんですが、  なんともまぁ恋愛体質って、体の構造としてあるんですなー。     わたしは見苦しいくらいに生命力に溢れてるんで  「今わたしがここで「怪我」とか「病気」になんて状態に陥ろうものなら、一体どんだけ人に迷惑かけるか!」  と思った瞬間、病気怪我、なきものになりますからね。  39度近い熱を数日間出しながらも、  「出勤せねばならぬ。」と思った瞬間に  日中は平熱に戻るっつう便利な体をしています。(仕事が終わると熱が出るんですなぁ。不思議な事に。)  こんな人間にはならんでいいので、  せめて男と喧嘩したくらいで過呼吸で倒れんでくれよ…。    と、教師にあるまじき感想かもしれませんが思ってしましましたとさ。    追記の追記  何でこんなにもこの顛末に疑問を抱くのかということを考えてみた。  わたしは男なんて大嫌いだし、「やらせてくれ」と迫った男を弁護するつもりは毛頭ない。  ただ、「襲われそうになった」→「先生に言った」→「加害者とされる側が制裁を受けた」  この図式が成立するのは前述のとおり、「最低限自分で自分の身を守ることをした」ときに成り立つものな気がしてしまう。  言葉を選ばないといけないところだけど、  「女性の権利」を主張するのなら、それなりに女も強くなきゃいけないって思うのは、私が男よりの考え方をしているのかなぁ。  「女って弱いんだから気を使ってよ!}っていう権利の主張の仕方って何か違和感を感じる。  「女って弱いんだから、その弱さに漬け込んだ男が報復を受けるのは当然の結果だ」って言われてるみたい。  何を持って「女は弱い」のかを履き違えんな、ってことよ。  少なからず日本は男社会だから、社会に出ている時の女性の立場は未だ弱い。私もそれは認める。私も今と同じように働きながら子育てだなんだとか色々無理!とか思う。基礎体力も男に劣るのも確か。  だから、働く女性の権利だったり、子育てしやすい環境であったり、「もともと違う性差」を埋める努力も男はすべきだと思うし、女も権利を主張していいと思う。  でも今回の一件って違う。  自分の身を自分で守る努力をしたかを問う前に、学校は男に退学に近い措置を下した。もちろん他に手立てがなかったのだとは思う。  でも、高校生ってそこまで子ども?  だって子どもと一緒よ。女の弱さを子どもの弱さと履き違えてる。  「自分は何もできないひ弱な存在です。か弱い私を守ってください」って要求を、学校が認めちゃったのよ。今回の一件。  女の主張は「子どもの主張」なののい、男は「大人としての制裁」が加えられているという奇妙なギャップ。  それ、間違ってるんじゃないんだけど、  被害者の子が「これでいいんだ。」って思ってしまったとしたら、そこに関しては大きな間違いだと、私は言いたい。  「女は弱いままでいい。何もできなひ弱な存在でいい。庇護されるべき存在でいれば誰かが助けてくれる。」  ねぇ、それ、すごく恐ろしいことよ。  男はこの件で大人に成長するきっかけを得たけど、  女は今回の行動で、多くの人に「その考え方でいい」=「子どものままでいい」っていう間違った考えを植えつけちゃったものじゃない。  女の弱さ、履き違えんじゃないよ。  女の弱さは、子どもの弱さなんかじゃないよ。  最低限自分の身は自分で守らなくてどうすんの?  「これでいい」って思っちゃったら、女は同じ事繰り返すわよ?それは男女の関係に限った話でなく!  わたしは、とんでもないことをもしかしたら、暗黙の了解のうちに認めてしまったのかもしれません。

    0
    投稿日: 2012.09.24
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    年末の文化系トークラジオLifeで(2010年だったような、でも2008年の出版か。)斉藤さんが、紹介してた本。 とってもおもしろかった。マツコでらっくすが、なんでこの人をリスペクトしてるのか、ちょっと分かった気がした。 熟女ヘルス嬢として働いた体験談とそこに至る理由(後者が白眉)、そこから自分の実存の深い部分まで迫りきるその容赦のなさ。そしてその深さゆえに、女性一般の実存(自意識)の問題・矛盾にまで及ぶ射程の大きさを持っていると感じた。 しかし、唯一共感できなかったのは、中村うさぎという女性の世渡り下手な部分。そこまで、男の愚かさを憎まんでも、鼻で笑って、時には上手くあしらって、時には抱きしめてあげたら、Life would be more easier for herとも思わずにいれなかった。「律儀な人」なんだな、失礼な表現で言えば「融通の利かない女」なんだなと思った。僕の叔母の世渡りの上手さを見てきたからかもしれない。それも彼女の魅力だと思う。 やはり、体験に根ざしたというか地に足着いた、という表現では生ぬるいほど、「泥臭い」この人の物を書くということに対する姿勢に、僕は深く深く心惹かれました。 あとがきをゲイアクティビストの伏見憲明さんが書いていた。左翼臭が苦手です。開かれてないというか、ノンケを巻き込めてないアクティビズムのケツの穴の小ささとかいうのが、苦手です。

    0
    投稿日: 2012.08.29
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    私は、作者と根本的に似ている精神構造だなって思った。 城で眠る、救われたいお姫様。城を守り、男をはねつける魔女。この比喩で語られた自己矛盾に、大いに共感した。 また、東電OL事件の被害者の心情を想像して書いた文章も、大きく心を掴んだ。 中村うさぎのファンになった。

    3
    投稿日: 2012.07.25
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    うさぎさんがデリヘル嬢になった、と聞いたときは驚いたけど、これ読んだら心理としてはすごくわかった。 仕事で評価されて、友人に恵まれてても、愛してくれる男がいない… 貢いだホストからの仕打ちに女としての誇りを傷つけられ、「男に欲情され対価を支払われる」デリヘル嬢になることで自己確認したかったんですね… 絶対しないけど、しないからこそ、うさぎさんが体験して書いてくれることに感謝。 「荊ひめ」に準えた自己分析にもすごく共感。 男を排除した、女のための本だろうな~。

    2
    投稿日: 2012.06.26
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    冷静に筆を進める感じの人かと思っていたが、 意外にも熱っぽく、そしてギャグっぽい筆致。 さくっと読める。 でも、その文字の一個一個から怨念というか、 黒い煙がもやもやと出ているようだった。 フェミニズムとか、そういう「主義ありき」の目線ではなく、 あくまで自分の心と体で感じた「女である」ことを書いて いるから、文章に熱さがある。

    4
    投稿日: 2012.06.24
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    桐野夏生の「グロテスク」を読んで、モデルの事件の解釈にぐさりとくるものがあった。自分の内部にも通じるものを感じたからだ。中村うさぎがこの本でそれに触れていると知り読んでみた。 彼女は3日でやめてしまったがデリヘル体験をし、その体験が語られている。そのさわりだけの本の紹介をみて、読んでない人は単なる興味本位の体験ルポととるだろうが、実は中身は、女という性の、自身の考察である。 「グロテスク」を読んだ時、4人の登場人物すべてが自分にあてはまる気がしたが、小説なのである意味、著者ともども第三者的に俯瞰する感じになる。ところがこれは中村うさぎがさらけだされているので、そこに共感する部分があると、より直截的にこちらにはね返る。この本の感想も男性からは揶揄と侮蔑であったのに対し、女性からは批判と軽蔑はそれほど届かなく共感さえもあったという。その違いは見出しの「男の自己正当化病と女の引き裂かれ症候群」「欲望する側とされる側」といった言葉にも表れている。 東電OLに関しては、「たった一人の戦い」として、彼女の濃い化粧をコスプレに例え、濃い化粧をすることで、「もうひとりの自分」が殻を突き破って躍り出た瞬間に、彼女は凄まじい恐怖と快感を同時に覚えたはずだ、と分析している。どちらが本当の自分なのかという疑問が愚かしくも空疎に感じただろうとし、うさぎ氏とおなじように、自分が「女」という性的存在であることに、嫌悪感や罪悪感を抱いていたタイプであろうとしている。 「もうひとりの自分」は周囲に認められないと潜在化する自分。周囲とは男である。そしてこれが男女逆転することは無いであろう。男は男に認められることを欲し、女は男に認められることを欲するのではないか。

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    投稿日: 2012.06.24
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    色もの、キワモノと侮ったら大怪我します。 「私」という病とは、「病んでいる私」なんかじゃなくて、全ての女性存在(オカマ含む)の根源的苦悩のことを「やまい」と称しているふかい深い一冊である。 証拠に一部引用します。 「私は、女たちが好きだ。たったひとりで頑張って働く女も、主婦という孤独な立場で必死に踏ん張っている女も、道に迷ってへたり込み絶望している女も、泳ぎ続けてないと死んでしまう魚みたいに暴走し続ける女も、すべての女が私だから。私は、私を救いたいのよ。だから、彼女たちに向かって語り続けるのよ」 デリヘル嬢としてほんとうに十人ばかりの男の客の相手をしてみた彼女のことを、北野武はそこまでやったら「作家のやることじゃねえ」と言ったそうだが、タケシさんともあろう人が読みもしないで批判するのは止めてもらいたいものだ。 金めあてのホストからしか相手にしてもらえなくなった口惜しさから始まって、こちらの拒絶にもかかわらず若かった頃の自分を勝手に欲望のはけ口にしやがった、痴漢野郎やセクハラおやじへの怨念。女であることの苦悩とおんなとして認められなくなってしまったことの口惜しさ。見ず知らずの男たちの欲望に応えて金を払わせるという、傍目には暴挙に見える挑戦に走ったのは、その精神分裂的とさえいえる自己内の懊悩であっただろう。それは、一人中村うさぎの懊悩に止まらず、全ての女性存在が内包する矛盾する深層心理でもある。だからこそ、東電OL事件の被害者女性について、類例のない徹底的に透徹した、それこそ彼女以外では絶対に書き得ない一文で本書は締めくくられている。そしてまた、中村うさぎが身を挺した暴挙を通して告発した、コンプレックスと差別意識とは、女の敵であるだけではない。彼女が意図したフェミニズムの枠を超えて、男にとっても仇であるのだ。 自らの深すぎる苦悩から始まって、全女性の深層の矛盾を突き、男女の枠さえ超えた根源的な人間の醜ささえ抉る。こういうのを「作家」の営為と言わずして、他になんと言えるだろうか。 中村うさぎは、作家に他ならず『私という病』は名著である。声を大にして私はそういう。

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    投稿日: 2012.03.29
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    著者の中村うさぎが、自らデリヘルで働く(でも3日間)の話。 自分に女という記号がついて、求められることに価値を求めている。 そしてその価値をさらに記号に直して、「金額」で換算する。 一見殺伐とした、乾いた感じが漂うのに、痛いくらいの愛おしさ。 私もそう、男になりたいわけじゃないけど、女であることも受け入れられない。わかる!わかるよ!私にとっては、もう私の説明書みたいなものです。 これは本というより、筆者本人に五つ★かも

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    投稿日: 2012.02.27
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    女性作家のデリヘル嬢体験記ということだけど、その実務的(?)な部分な部分よりも、なぜそこに至ったか、その体験を通じて分かったことなどの考察が面白い。性の部分だけでなく、社会的に人間的に、自分の存在価値を掘り下げていく作品。男ですがとても共感できます。

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    投稿日: 2012.02.21
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    作家、中村うさぎが新宿は歌舞伎町にある熟女ヘルスにて実際にデリヘル嬢として働いた経験を通して描き出される女としての相反する欲望。読み終えたあとに深くて暗い闇のそこを除き見たような感覚が致しました。 ずっと読もう読もうと思って、ツイッター上でも筆者本人に読むと約束して結局読むのが遅くなってしまいました。 「どうして私は、女であることを、おおらかに正々堂々と楽しめないのか」― という疑問の果てに彼女がたどり着いた場所は、新宿歌舞伎町のとある熟女ヘルス。 そこでデリヘル嬢「叶恭子」として三日間働き、ここで感じたことと、 「自分はなぜ、女としての性を楽しむことができないのか?」 という自らのみをえぐるような考察と、最後のほうに出てくる東電OLについての考察が記されていて、読んだあとに女性の深遠を覗き見たような気がして「なるほどなぁ」と思うのと、彼女の男に対する考察があまりにも鋭かったので、そこについてはウーンと考え込んでいる自分がいました。 あとがきにもありますが作家の永江朗さんにインタビューを受けたときに 「うさぎさん、この本を読んで思ったんですが、それじゃあ男はどうすればいいんですか」 という質問を本人にしたくなりました。いや、実際にはできるのですが、彼女から返ってくる答えはおそらくこうだと思います。 「さぁね、そんなの自分で考えたら?」 と言う答えが確実に帰ってくるので女性というものについてじっくり考えてみることにします。 そして、彼女が東電OLについて書いているのは彼女ならではの切り口で、彼女が派手な化粧をしていたのは「コスプレ」なんだと。別な自分になることで夜の街に街娼として立って、行きずりの男と大胆なことができたのではないかと。それについてはなるほどなぁと思いました。僕も彼女のことを大学時代に知って以来、個人的にずっと追い続けているものなので。 男にとっては耳の痛い話がてんこ盛りですが、「女」という向こう岸の存在を少しでも理解するためには読んでいて損はない文献だと思います。

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    投稿日: 2012.01.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「『男性嫌悪』である私が同時に『女として認められたい』と強く思うのはなぜか」という問いをひたすら自問自答し、内省を綴る書。 その問いの立て方、論の進め方、そして結論に至るまで、ほぼフェミニズムの考え方を踏襲しています。 著者自身はそのようなつもりはなかったと冒頭で書いていますが、しかしフェミニズムのテキストとして読まれてしまうのも致し方ない内容。 類書と異なるのは、自らデリヘル嬢になることで自らの葛藤の深遠を探った、という点。 これは出版当初かなり話題になったようで、本件を記した前後で周囲の男どもの態度が急変したことも、本書の検証対象の一部となっています。 穿った見方をすれば、本書の結論に到達するまでにデリヘルの経験は必ずしも必要なく、薄々悟りかけていたその結論を検証するために自らの体を使った、という順番の方が正しいのではないか、という印象を受けました。 著者は、社会人になってからストーカーのような男に毎日電車内で痴漢の被害に遭い、 会社の中では社員旅行で上司から押し倒されて手篭めにされかけ、 独立した後も"仕事と引き換えに身体を要求する"多くのクライアントに苦しめられ、 プライベートでも合コンで「お前なんかいなくていい」と言わんばかりの態度を取られ、 最初の結婚相手は結婚後に著者を人間扱いしなくなったために離婚し、 挙句の果てには、惚れてしまったホストに「お金を払って、嫌々ながらも目をつぶってセックスをして頂く」という屈辱的な立場に置かれたことに苦悩し、 その反動で「今度はこちらがお金を取って、(疑似)セックスをしてあげる」という“強者”の側に立てるデリヘルに魅力を感じたのだろう、と自己分析しています。 ひたすら内省(というか男への怨嗟)が100ページ以上も続き、結論としては 「私は、一人の女として対等に扱われたい。獣でも女神でもなく、ひとりの女として見つめて、欲情されたい。珍獣扱いも、腫れ物に触るのでもなく、ささやかな会話に笑いあえるような、そんな人間としての扱いをされたい」 という“妄想”が展開されます。(著者はつまり、対等に接してくれる男性に出会ったことがない) この“妄想”が、デリヘルを体験した後に膨らんだものであるとは思えません。 きっと、人間扱いされてこなかった過去の数多の経験から既にこのような妄想は進んでいて、デリヘルという“性的強者”の立場に立ってみることでその仮説を検証したのではないかと思われます。 (同様の考察は買い物依存症に陥った時にも進めていたようなので、尚更本書の考察にデリヘル体験が絶対必須だったとは思えません) (無論「検証」にも大きな意味があり、たとえそこから得られる新しい発見が皆無であっても、「あそこには何もありません」という情報自体が貴重ではあります) 簡単に書いてしまいましたが、これだけのことを訴えるために注がれているエネルギーは半端なものではなく、怨嗟の対象である「男」としてはページをめくるのが辛いものがありました。 「一人の女として対等に見てほしい」と訴える著者はしかし、本書の中で「男」を総称としてしか使っていません。 「あの男が嫌い」「あの男も嫌い」という個別事象ではなく、「男」というアイコンに対する極めて強い憎悪が渦巻いており、「どうせ男には理解されない」という絶望が何度も綴られています。 それは「(ひとりひとりではない)男」に対する蔑視でもあり、著者は敵と戦うことで敵と同様の思想体系をまとってしまっているようにも思えてきます。 (尚、本書は「同じように悩む女性のために」書かれており、「男性は読者対象ではないので、男性に対して『だからどうしろ』という提言はない」と明言されています) 著者はその持てる知性を以て上記のような考察を展開していましたが、「なぜ、男嫌いなのに積極的に性風俗産業に向かう女性がいるのか」については、当事者から別の形での”解”を得たことがありました。 「私ね、風俗で働いている(女の)人の中には、むかし男の人に(性)暴力を受けたことがある人が多いわけがちょっとわかる。風俗に来ても相手の人は選べないけど、それでも『お金のために自分の意思でやってる』って思える。だからこの仕事してると、昔されたことも、『私がサービスしてあげたけれど、その“客”がお金を払わずに逃げただけ』って思うことができるんだよね」 本質的には中村氏と同じことを言っていますが(つまり“性の主体”になりたかった)過去の辛い経験までも上書きするために行っている、という可能性まで本書の考察は及んでいませんでした。 *** 本当はA4で10ページにもわたる長大なレビューを書いていたのです。 最初はたいへん刺激的に思えたフェミニズムが苦手になってしまった経緯とか、 フェミニズムが反証可能性を残していない点で自然科学とどう違うんだとか、 中村氏は(キリスト教の)バプテストだけれどもその背景と本書の論の関係とか、 長々と駄文を連ねていたのですよね。過去に接したフェミニストを疑似的な反駁社と想定しつつ。 がしかし、そんな小難しい論を展開しようが何だろうが、 今から5時間後に乗る満員電車にもやっぱり痴漢は存在していて、そういう半径10メートルで起こっている事態に対して何ら改善に資することはないな、と思ったらバカバカしくなってやめました。 久しぶりにレビュー書いて疲れました。

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    投稿日: 2011.12.08
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    こんな赤裸々に性について語る読み物、初めてでした。 結構過激な内容で、今まで読んだことのないものでした。 ある時は「え?これは考えすぎでしょ…」と批判的に読むけど、またとある時は「あー、言ってる意味わかるわ!」と妙に納得してしまうという… でも、解説にもあったけど、これは紛れもなく社会男性批判。 女性が男性をそういう目でしか見れなくなるのは、少し残念。 たまごが先か、ニワトリが先かの問題と似てて、男性が女性を筆者が言うように扱うから、女性が批判的な目で男性を見る。また、それが更に男女間の関係を悪化させる…という風に私は思います。 少なくとも、この本を読んで良い気する男性はあまりいないはず。 東電OLの話とか、かなり語ってるけど、全部想像上の話かーぃ… 作家としては文章が美しくないので、 たぶん一回この人の体験を読むだけで、もう手に取ることはないだろうな。 …と思ってた矢先、 「女性専用車両に乗らない女性は痴漢しても良いと、男は思うよ」と上司に言われ、言い返したくてたまらなかった。 それだったら電車ごと男性と女性で分かれたほうがいいんですが

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    投稿日: 2011.11.24
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    先日、とある人からお借りした1冊 私の読書歴の中に「中村うさぎ」は居なかった・・・ 多分、借りなかったらずっと居なかったかも でも、そこが面白いよね 本でも映画でも食べ物でも服でも何でもさぁ~ いつも何気に選んでしまうモノはやっぱり偏りがあって・・・ こうやって絶対に自分ではチョイスしないモノに触発されて 新しい世界が広がっていくのは楽しいことだと思うなぁ~ この本は小説ではなく、中村氏が実際に体験?したことを書いてるので ジャンル的にはエッセイなのかな?! テレビでのちょっと過激な?発言をしてるのを見た時に 「変わった人だなぁ・・・」って思ったくらいの認識しかない 買い物依存でブランド品ばかり買いまくり、整形までした変な人 それが何でか?って事も書いてあり、その後のデリヘル体験を書いてある 「私って・・・」 を突き詰める為にここまで身体を張れるのか・・・ 全部はちょっと理解できなかったけど、だけどちょっとだけ何となく そうだよね!って思うところもあった この本を読むまで中村うさぎと言う人を誤解してたのかも知れないなぁって・・・ かなりハッキリと書かれてる個所もあるので、ちょっとドギマギしながら 読んだけど意外に嫌な感じはしなかったな 中村氏自身も言ってるように「不器用だからやってみないと分からない」ってのが よく分かる感じで、それが頭だけの行動じゃないってのが分かったから みんな、それぞれの方法で幾つになっても「私って・・・」って探してるのかも 知れないなぁって思った1冊でした

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    投稿日: 2011.10.15
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    中村うさぎさんは、本当に自分を掘り下げていくのが好きで、何で自分はこういう行動をするのか、徹底的に追求しています。 心理学的な意味ではおもしろいんだけど、おそらくほとんどの人は、自分の行動(または他人の行動)の元をそこまで追求しないので、読んでいて途中からどうでもよくなってくるのではないかしら。中村うさぎさんは、行動自体が普通の人より破天荒なので、追求せざるをえないんだと思う。 結局私は、途中まで読んでやめていまいました。。。

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    投稿日: 2011.09.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    こんな私小説?みたことない。男の欲望を刺激しない女は存在価値がないという空気に対する反発。 異性に対するアンビバレントな感情。東電OL事件を切り出し、自己の違和感が特別なものでないと昇華する展開は圧巻。 まとめると『通念が ガラスの自意識 傷つける』といったところでしょうか?

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    投稿日: 2011.08.20
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    (中村)うさぎさんのデリヘル体験記とも言えますが、 内容的には体験を通した思考整理記という印象でした “そんなもん、単に問題の摩り替えでしょ。 私はね、自分の抱えた問題の意味をきちんと考え、的確な答を出したいの。 もちろん、的確な答に辿り着くまでに間違った答を出してきてしまったり、 奇妙な方法を選んでしまったりするかもしれない。 私はバカだから、そんなに簡単には正解には行き着けないのよ” という言葉、とても印象的であり、激しく共感できました

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    投稿日: 2011.04.02
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    著者は、自分の体を使って 『自分を知る』試みをやり続けてるんだと思った (文中では「自己確認」と表現してた) 頭だけで考えたり人から聞いた話じゃなくて、 自分自身が動いてぶつかって その実体験から得られたこと =自分についての発見・葛藤などの心の動きなど を整理して言語化してるんだと思った わたしも同じ。 「生きづらさ」の形を表す媒体が違うだけで やろうとしてることは「自分を知る」ことと、 そこからの【自尊心の回復】。 その他、男性と性に関する考察や 日本社会で女性が抱える問題や葛藤についてもわかりやすくかつ書かれてて、なるほどーとおもた

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    投稿日: 2011.01.26
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    薄くてあっという間に読めるけど、内容が重かった。 ジェンダー的苦悩を体を張ってありったけ表現した本。 しかし読んでいる間、自分の居場所がなかった。 「女として認められなければ自分を肯定できない」 という感覚がつかめなかったからだ。 自分の「女度の低さ」故? しかし、とっくの昔に淘汰されれるべき、 (とっとと定年して淘汰されたまえ。アーメン) 「セクハラ」オヤジが今も沢山いるんだね。 そういう人種が身近にいない、もしくは気づかない 今の環境を感謝すべきか。 ところで。 著者は女性をひとくくりに「味方・被害者」風に 扱っているが(まぁジェンダーを扱うならしょうがないよね)ひとこと。 老若かかわらず、女だって同じぐらい卑劣である、と。 なぜか矛先が同姓に向かうことが多いけどw

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    投稿日: 2010.10.31
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    女の子でいたい、でもいたくない。なんなんだろ、って自分でも思うけど。日常でやりづらいから、見ないふりしてる。 でもどんどん正面から行ってる。誠実な本です。

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    投稿日: 2010.01.16
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    面白い 中村うさぎさんはとても頭がいい方だなと思う。 賢過ぎてなんだか苦しそうな気がする。 形にならなかった気持ちを具現化して頂いたような本でした。

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    投稿日: 2009.06.16
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    中村うさぎ好きです。自分の考え方をしっかり持っているというか。共感するしないにかかわらず、彼女なりの意見を読んでいると気持ちがいい。デリヘル嬢って、そういう疑問があっても簡単にやろうと思えるものじゃないと思う。

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    投稿日: 2009.04.29
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    うさぎさんやっぱり好きです。 でもこの本の話を彼氏にしたら全然共感してくれなくて、やっぱり男性には理解されないものなのだろうな・・と思いました。 うーんフェミニズム的な? いいんだけどね。私幸せだし。

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    投稿日: 2008.12.23
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    作者、好き勝手に主張できてお金もらっていいなぁ デリヘルの真意を彼女なりに解釈できたみたいです 後半が同じ主張の繰り返しなので激しく退屈です

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    投稿日: 2008.11.05
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    自分の中にあった言葉にできないすっきりしない部分を言語化してもらったような感覚。 腹をえぐりながらも、自分と向き合う中村うさぎは、勇ましくて潔い。

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    投稿日: 2008.09.15
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    中村うさぎ、デリヘルになるの巻。 男を待つエクセで読むにしてはシュールだなと思う本だが 基本的にはそんなのかんけーない!!!で乗り切る。 デリヘルさんをやるまでの顛末とその後の発見された新たな自分の 疑問と考察がのっているんだが、なんだかこの人の世界は 本当に見ていて近いと感じることが多い。 自分が抱いている疑問とかね。 心は擦れる、慣れる、そして依存する。

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    投稿日: 2008.09.14