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個人的な体験(新潮文庫)
個人的な体験(新潮文庫)
大江健三郎/新潮社
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総合評価

107件)
4.0
36
30
21
7
0
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    難解すぎた 時代を考えると、直接的な表現を避けられた比喩が多出している、言論として規制のようなものがあったのだろうかと感じる ストーリーはバードが子供の障害に対して、どう向き合うかといったところで、妻ではない女と寝たり酒浸りになったり、アフリカに思いを馳せたりと、今書かれると受け入れられない表現が多かった 面白いかはわからなかったが、葛藤ということを表現するとこういうことなのかとなんとなく感じた

    0
    投稿日: 2025.11.14
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    初の大江健三郎作品。ずっと読もうと思って積読していたけど、10年以上の時を経てようやく読了。 実は最近知り合った外国人が大江健三郎を好きで、日本人として大江健三郎を読んだことないのは宜しくないのではないか…!?と思い読み始めた。 最初はずっと読みづらくて、2/3くらい経ってから漸くテンポに乗れたというか。 終わりがハッピーエンドというか、救いがあるのが良かった。あのまま現実から逃げてアフリカに逃げてしまうのかと思ってたから。 一人の青年の成長を感じられる作品ですね。

    0
    投稿日: 2025.10.12
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     バードがしっかり責任を果たしてくれてよかった。自らの行動や状態を捉えることは大切であり、バードのそれを7分で見抜くゲイすげえと思った。でも確かにゲイってそこら辺鋭いイメージある。この認識って昭和からあったのか?  自分の手で赤ちゃんを殺すか、それとも受け入れるか、その2択のみが責任を果たすということであり、そして責任を果たすのは自分自身のためというのが印象深い。もし自分だったら浅はかに赤ちゃんのためだとかいってしまいそう。  不気味で陰湿な表現が上手だなと感じた。バードが赤ちゃんと同じ仕草をし始める所とかすごくキモかった。

    0
    投稿日: 2025.09.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    障害を持った子が産まれてくるという状況で、自身の感情と世界での倫理に挟まれるとても苦しい状況。その中で葛藤や矛盾を繰り返す心理描写が本当に現実的であり、感動した。最後は倫理を優先するが、それは結局、社会からの圧力に敗北するしかなかったのではないか。私は、簡単にハッピーエンドだとは捉えられなかった。それを含めて非常にリアルな作品だった。

    0
    投稿日: 2025.07.08
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    弱い人間が父になるまでの心情の動きが描かれていた。しかもかなり激情。生まれた赤ちゃんの死を待つ父親という設定が斬新すぎた。

    0
    投稿日: 2025.06.22
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    産休入ってから読み始めて産後の入院中に読み終わった。賛否両論のラストも含めて、たぶん一生忘れられない小説。自分がバードよりのカス人間であることは否定できず、親となった今、もはや共感しかない。二日酔いのシーンで頭痛くなった。

    0
    投稿日: 2025.05.23
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    大江の作品の、じめじめして汗の滲む、日本の夏のイメージに、好感は感じないのに、どうしても惹きつけられてしまう この重い選択を担ってのたうち回る鳥の姿は、どこか滑稽でもあり、そして真に切実でもある

    0
    投稿日: 2025.05.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    4.2/5.0 頭部に異常を持って生まれてきた息子に対して、現実を見つめる事が出来ずに、現実から逃れようとする男。現実から遠く離れたアフリカを夢見て、不倫と性に溺れるその姿が鮮明に描かれていて、その葛藤が苦しい。 最後は現実を受け入れ、対峙することを選択するが、実際に息子を葬り去る一歩手前まで傾いており、その選択がいかに酷なことであったかが窺える。 文学として、厳しい現実に対する逃避と対峙の葛藤模様の緻密さが面白かった。

    1
    投稿日: 2025.04.15
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    大江健三郎自身がモデルであることは本人は否定しているが、やはり主人公と近い境遇の人間にしか書けない物語なのは間違いない。 独特な文体で今時の読みやすい文に慣れると最初は戸惑うが没入感が強い。 シナリオとしては裏表紙のあらすじがすべてだし、今後主人公に待ち受ける苦難を考えるとほんの入り口でしかない物語なのだが、ページを捲っているだけの自分にも無視できない影を落とす読書体験だった。 忍耐かあ……

    1
    投稿日: 2025.03.30
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    障害をもって生まれた息子が早く死んでくれることを願いながら、行けなくなったアフリカ旅行に思いを馳せ、酒と女友達とのセックスに溺れる退廃的、背徳的な日々を過ごす男の話。 なんなんだこの本は。ただただ呆然とする。 なぜか主人公の鳥に入れ込んでしまい、ときたま自己嫌悪に陥る自己の気持ち悪い感情、やべえ感情が全てさらけだされたような気分。なんなんだこれは。 倫理など無視した地獄のような葛藤。それが自分の中に巻き起こるかもしれないという恐怖。 この本と一生向き合って生き続けることになるだろう。

    1
    投稿日: 2025.03.28
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    数年前、引越しの際に持っていく本を選別した。千冊ほどの中から百冊ほどに絞った。その選考基準は、再読するかどうか、あるいは再読したいと思うかを基準とした“再読指数”によるものだった。その基準を突破した本の中に、大江健三郎の作品があった。中古で買ったものばかりだった。 「飼育」を読んだことがあったが、よく分からず、冷たくて薄暗い空間で過ごした時間のような感覚だけが残った。ただなんとなく、いつか読むような気がして、数冊の積読本を持ってきた。そして最初に読んだのが「性的人間」だった。 表題作のほかに「セブンティーン」「共同生活」が収められている。読み始めはなかなか文章を捉えられず、集中が途切れたが、数ページ読み進むにつれ思わず「ノーベル賞作家、すごいな!」と口にした。 続けざまに大江健三郎の作品を読もうと思ったが、贔屓的な感情が生まれるかもしれないと思い、別の作家の作品を間に挟みつつ読み進めた。次に読んだのが「人生の親戚」。これは間違いなく素晴らしい作品だった。好きな作家である村上春樹と通じるものを感じた。そしてまた別の作家を挟んでから、三冊目として「個人的な体験」を読んだ。 読み終えて、沢山のメモを見返しても、完走など書けない。いや… 感想を書ける話ではない。 あくまでも"個人的な"なのです。

    0
    投稿日: 2025.02.06
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    いやー難しかったけど引き込まれた。比喩表現の多彩さ、引き出しの多さが半端じゃない。 重厚感のある文章。 よく読み切れた。 病院の人々が官僚的という説明があったが、本当に酷く冷たい印象だった。意地悪というか。 特異な形で生まれた赤子を馬鹿にしている風で嫌悪感が生まれた。 鳥(バード)の現実逃避が極端で、かつ堕落しすぎていて、ずっとモヤモヤしていた。 ただ、自分の自由への意志と病気のまま生まれてくる赤子というジレンマに酷く苦しんだのだろうと思う。

    7
    投稿日: 2025.01.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    脳瘤がある息子と向き合えず、アルコールとセックスに溺れて現実逃避する男という、まあ近現代文学あるあるな内容にそっか〜なんて思いながら読んでたんだけど終盤に全部持ってかれて今割りと呆然としている。 こういうストーリーで近現代といったらめっちゃ辛いラストになっちゃうんだろうなとか疑った私が大馬鹿だった。 ウルトラハッピーエンディングを掴み取って譲らない大江健三郎が凄すぎてちょっと泣いてしまった。 これ、本当に1960年代に書かれた小説なのか?????????? 正直読んでてうげえってなるところもあるのは確かだが(現実逃避をする男のために尻の穴まで捧げちゃう女友達が本当にわからない。どういうこと?????)、ラストで全部報われた。 障害者が大量に殺害される現実を生きているからこそ、余計に揺さぶられるものがあった。 ラストに関して大批判してる奴大多数なんだけどマジでうるせえ〜〜〜〜!!!!!!!と声を大にして言いたい。 作品の質を高めるために弱者(この作品でいうと脳瘤を持った息子)を殺さないから良いんだろうが!?!?!?!?!?!?!?!? Wikipediaに書いてある三島由紀夫の評論とか読んだけど意味がわからなさすぎて逆に笑った。ウルトラハッピーエンディングの!!!!!どこが悪いんだよ!!!!!!!!!!!!!!

    2
    投稿日: 2025.01.05
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    この作者の作品を初めて読んだが、村上春樹の作品に近い印象を受けた。物語の流れや内容というより、文章の上手さや美しさが素晴らしいと思った。生まれた主人公の息子の頭に異常があったという話。ダラダラと最後まで話が進んでいくかと思ったが、最終盤に展開があって良かった。

    1
    投稿日: 2025.01.02
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    すっげ〜 これが文学だ! 形容が特異で、それでいてここまで想像を掻き立てられて且つ読みやすいのは初めて

    0
    投稿日: 2024.12.14
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    読書経験を揺るがした小説を挙げろと言われたら、真っ先に大江健三郎『個人的な体験』と村上春樹『海辺のカフカ』の名を答えると思う 村上春樹は大江健三郎から影響受けてるのだろうか?書き方や作品の雰囲気が似ていると思ったら、大江健三郎自身も自分のことを「20世紀の作家」、村上春樹のことを「21世紀の作家」と称して交流があったみたい

    5
    投稿日: 2024.10.27
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    鳥(ばーど)の成長(といっていいのだろうか)の記録みたいな小説。登場人物である鳥は大江自身だと思われるが、あとがきによると小説内で共通しているのは障害をもった赤ん坊を持ったという点のみだそうだ。正直なところ初期作品のような緊張感のあるじめっとした感じの筆致が重苦しい。 なにより不憫なのは火見子じゃないかと思う。p.291では火見子の後ろ姿を見て最良の教育を受けたがそれを生かせず子供を持ちそうにない彼女に憐憫を感じたとあるが、そう思ってもこの時点で鳥は彼女を利用し自分のために行動していた。最終的には鳥は父親として子供の人生を請け負うと決めたが、その時の彼女の心境は…。彼女の救いはどこにあるだろうかと考えてしまった。 自選短編の中期のような作風のほうが個人的には好みです。作家自身の転換期となったこの作品(そして障害児をもつ子供を授かったということも)は読んでおきたい、そういう思いでこの小説を読んだ。

    18
    投稿日: 2024.10.24
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    面白かったです。 描かれたことのない場所を精緻に描いている小説だった。 最後、大江健三郎がアスタリスク後のこだわりを語ってるところも良かった。

    1
    投稿日: 2024.10.22
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    産まれてきた息子が異常を持っているという未だかつて経験したことのない現実に27歳の「大人」が直面するとどうなるか?という内容の小説。 一言で言うとずっと面白い。 ほんの数日間の出来事が描かれているにも関わらず、一才が緊迫したシーンで埋め尽くされている、恐ろしい長編。 予想できない展開、ユーモア、メタファー、回想シーンへの導入、魅力溢れるキャラ、アフォリズム、官能的な文体。 挙げたら切りが無いが、どれを取ってもピカイチ。 無限に味わい深い。

    9
    投稿日: 2024.09.09
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    同じモチーフを保有し、同時期に発表された姉妹作として『空の怪物アグイー』があるけれど、個人的にはそちらの方が面白い文章が多くて好み。こちらはより実験作という方が相応しいように現在進行形で思考を連ねていくスリリングさがある。けれどその分、大江健三郎という作家のトレードマークのようなあの緻密でソリッドでハードな文章からは離れた幾分隙のある古臭い文章にも感じた。

    1
    投稿日: 2024.08.13
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    大江健三郎の小説を読むのは初めてなのだけど、想像してたのと随分 違っていた。とても独特で 比喩が多く なんとも言えない不思議な世界観。読むのにすごく時間がかかった。世界観が独特すぎて。悪くはないのだけども、大江健三郎ってこんな感じなんや…ということが知れてよかった。

    4
    投稿日: 2024.02.24
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    大江健三郎の2冊目。昭和39年8月に出版されたこの小説の20代後半の主人公と大江とは合い重なる設定。大江の子供「光」も脳瘤によって知的障害者として生きている。新潮文庫の巻末には大江が昭和56年1月に書いた一文が置かれている。その中で小説の終幕への三島由紀夫などの批判に対して、「経験による鳥(バード)の変化・成長を表現するという、最初の構想をまもりたかった」と記している。20代の大江が突っ伏して動けなくなるほど困惑していた子供を抱えた父親としての姿は、大江自身の言葉のように「青春」そのものを切り取っていると感じた。これから読み進めていこうと思っている大江の作品が楽しみになってきた。

    3
    投稿日: 2023.12.17
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    子どもが産まれる前の「自分の生活が変わってしまう」という不安、障害があるってわかってからの「道徳的には育てるべきだが育てられる自信がない」という葛藤が、非常に巧みに言語化されている。自分がすでに子持ちだから、共感できる部分は大いにあった。 子どもが産まれるのはすばらしいことだけれども、障害の有無に関わらず、子育ては綺麗事ばかりではない。鳥の現実からの逃げ方はまさにクズと言える所業。しかし、自分にも通ずる部分があると考えさせられた。

    1
    投稿日: 2023.10.04
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    素晴らしかった。 読み終わった後のなんともいえない余韻。これだから読書はやめられない。 作者によるとこれは青春小説ということだが、なるほど、テーマは大変なことだが、青年が悩み、葛藤し、迷い、経験し、蘇生し、決断する。 まさにこれは青春小説か。 主人公をバードと一貫して、表現したり、独特の病み付きになる表現の文体は、驚愕する。 一気に読んでしまった。 後半急に心変わりする感じて急転直下するが、バードは最初からこうしたかったんじゃないか。 ラストのアスタリスク以降の文はいらないんじゃないかと、いろいろ批判があるようだが、自分はいいと思う。

    29
    投稿日: 2023.08.08
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    読書会課題図書 今更気づいた かの有名な著者の作品を読んでいなかったことに 読書会に感謝 表現はすごいと思う でも、小説だと理解していても共感できないものはどうしようもない ラストはストンと落ち着いたが、むしろこれがない方がいいとも言われたとか それでは救いがないのではないか すごい作品群を残して逝かれた大江健三郎氏を追悼する ≪ 自らの 運命受けた 魂よ ≫

    26
    投稿日: 2023.06.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    世界は暴力で満ちていて ぼんやり生きてきたせいで 気がつかなかったけれど 今あるこの日常にも 密接に結びついている 子供の生まれた若い父親、鳥(バード)の日常もまずケンカのシーンから始まって、暴力的な飲酒、暴力的な職場放棄、暴力的な女友達の生活への介入(火見子が優しかったから良かったけど…)あげくは「子供はいらない」って暴言! 私の心はむちゃくちゃになった そしてバードは選択する 義父である教授は言う 「君にはもうバードという子供っぽいあだ名は似合わない」 それでも私はバードという名前で呼んでいきたい いつだって暴力はそばにあって、子供の自分はここにいて、そして常に選択して生きていかなくてはならないのだから

    0
    投稿日: 2023.06.17
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    大江健三郎が後書きでこの小説を「青春の小説」だと言っていた。書いている時はバードを青春とは切り離した存在としていたようだった。しかし、自分の子供のことで悩み、堕落し、逃げようとしながらも最後は自分のために子供を受け入れていこうとする姿はまさに青春だった。どんな国際問題よりも自分の子供をめぐる家庭の問題の方が重くのしかかっているので、他のことに対して落ち着いて超然としていられるのは当たり前とバードは考えていた。だからと言って自分のような体験をしていない人が、自分を羨望する理由はないだろう。と言うところがなんとも苦しい。やはり、どこまでも個人的な体験であり、他者とは共有できないものだった。 最後、火見子とアフリカに行かない現実がありながらも、二人でアフリカに行くという世界がどこかにあるという考えは切なくもちょっと夢があっていいなと思った。

    1
    投稿日: 2023.05.14
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     主人公の名前が終始一貫して「鳥(バード)」というあだ名でだけ表されていて(お前は本名で呼ぶだろという相手からすらも絶対に鳥(バード)と呼ばれてる)、これは三人称で書かれている小説であるので書き手もまた鳥(バード)としか呼ばないのだが、この小説が大江自身の経験に基づかれながらもなお創作つまりフィクションという前提をふまえ書かれているという、この現実との歪な関係が、ナラティヴの形態が三人称でありながら本名が絶対に出ないっていうに関係している気がする。  あとになって読んだ自伝によれば、大江自身も『個人的な体験』という作品の成功は、限りなく自身の経験に近かった事柄を「鳥(バード)」つまりは他者の物語として、そのために初めて三人称を採用して書いた努力の点にあるとしていた。自分の切実な経験を書くにあたり、同じ主題の短編「空の怪物アグイー」では傍観者でありつつも抜け出せなかった一人称視点から悪戦苦闘の末抜け出せた記念ということだ。  文庫版の大江自身によるあとがきが泣ける。*マーク以降のラストシーンを誰に非難されても、現在の自分が、未熟であろうと若い頃の自身を支持する、というのは主題に即する。

    1
    投稿日: 2023.05.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    主人公“鳥(バード)”は脳ヘルニア(実はそうではなかったが)をもって生まれた嬰児の存在に苦しめられる。嬰児を直接手にかけることも、受容して育てていくこともできない。鳥は恥と欺瞞の混沌に落ち込んでいく。 最後数ページの、混沌から脱出した後のシーンについて、発表当時、世間からは必要でないと批評されることもあったそう。個人的には、それまでのページで読んでいるこちらまで混沌に呑まれつつあったので、あのシーンは私をも救済してくれた。 相変わらず、メモしてしまうほどの巧みな比喩表現 や、息を呑む生々しい描写が目立った。 「ああ、あの赤んぼうは、いま能率的にコンベアシステムの嬰児殺戮工場に収容されて穏やかに衰弱死しつつあるわけね、それは、よかったですね!」

    2
    投稿日: 2023.04.22
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     鳥は邪魔者だと思っていた赤んぼうを最終的には受容し自らに父親としての責任を感じるが話はそんなに簡単なのか?  私は常に子供から逃避していた人間が最後にケロッと父親とならねばならないと、この赤んぼうと生きねばならないと思えるようになるとは素直に納得できない。本当にその責任を感じられる人間とは、赤んぼうを目の前にその将来への暗さや不安をなんとかして受け止めようと試みた人間ではなかろうか。赤んぼうから離れ、情人と逢瀬を重ねている人間より、一度その子供の首に手をかけてしまうほど絶望した人間の方がまだ救済の希望は大きい。自分の子供を殺そうと思った人間は、鳥言うように、引き受けるか殺すかの境地に至っているのだから。  一方鳥といえば、赤んぼうとほとんど一緒にいることがない。彼はどれほどまじまじとその瘤を、その赤んぼうを見ただろうか。私は鳥があの境地へとあまりにも容易に至ったように思えた。  また、不良少年グループの存在も必然性を感じなかった。

    3
    投稿日: 2023.04.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

    終わり方が自然で、ああ、実際こうなるんだろうなあ、と納得感のある最後だった。 ただ、自己中心的なバードの行動には苛々するし、女友達の厄介さといったらない。一方で内面の描写が非常に飾らなくて人間らしく共感してしまう部分があるので、彼を真っ向から責められない自分にも呆れるという始末。 優れた作品で面白いが、読後感は清々しくないので気力のある時に読んでほしい。

    0
    投稿日: 2023.03.29
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    素晴らしかった。 小説を読んだ後に呆然となるあの感覚に久しぶりに襲われた。その感覚にしばらく呆然と身を浸していた。 読んでいてとても苦しかった。 主人公の異形の赤ん坊に対する心の動き、つまり直接は手を下さず彼を死に追いやろうとすることへの渇望と恐怖と欺瞞とに苦しめられている様子が克明に描かれすぎていて、とてもつらかった。 だから最後のバーでのくだりは圧巻だった。 「赤んぼうの怪物から逃げだすかわりに、正面から立ちむかう欺瞞なしの方法は、自分の手で直接に縊り殺すか、あるいはかれをひきうけて育ててゆくかの、ふたつしかない。始めからわかっていたことだが、ぼくはそれを認める勇気に欠けていたんだ」 「それはぼく自身のためだ。ぼくが逃げまわりつづける男であることを止めるためだ」 ああこの言葉をようやく聞けた時私は読者として本当に何かにうたれる思いで、心が震えた。 理由が赤んぼうのためではなく自分のためであることはとても重要だと思う。葛藤は一貫して自分との闘いとして描かれており、なのに最後の最後に赤んぼうのためなどと言い出したらそれこそ欺瞞、偽善だと思うから。 それから火見子の乳房の描写が自分のに似ていてとても好き。セックスの後に健やかに眠りにつく描写も。

    1
    投稿日: 2023.03.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    鳥が世界中でただ1人、彼の身に降りかかる異常児を巡る運命と信じる悲惨に、人間が元来備えるニヒルで利己的な心情を当人の堕落と衰退にのせて壮大に描いた作品。 自身にとって、前身だろうが後退だろうが、自分を取り囲む欺瞞の罠を掻い潜り、解放しながら受け止めて対処することが生きるということ。 鳥が見舞われていた異常児の問題は、周りの他人たちが共有している時間や運命からは完全に孤立した「個人的な体験」であった。 だからこそ、自身が受け止めて対処することが重要。 「個人的な体験」に情人である火見子が自ら参入し、共通の体験として解決に精進するのは、感慨深かった。 また、突発的に「脆い」という概念の素晴らしさにも気づいた。 今にも崩壊しそうだが、自らの姿形を保つために重力に抗う性質がこの言葉には含まれている。 脆いとは、力に抗う反骨心。脆いとは、攻撃され続けても、それでも尚、立ち続ける反逆精神。

    0
    投稿日: 2023.02.27
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    最初の5ページくらいがなかなか進まなくて、読もうと思ってるうちに図書館の返却期限きちゃった ストーリーは気になるからまたじっくり読みたい〜

    0
    投稿日: 2023.02.14
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    若々しいオーケンの漲るパワーが籠った一作。 結末の纏め方は賛否あり、作者本人も葛藤があったとコメントしているが、それを差し引いても当時の文学作品の中ではインパクトと熱量で抜けている作品だと感じる。

    3
    投稿日: 2022.09.09
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    短編集『空の怪物アグイー』と間髪入れずに読む。 しかしまあ、大江作品の女性の理屈っぽさよ(笑 相変わらずまわりくどくねちっこい観念的な文体が心地よい。 彼のような文体、たぶん外国語ではちゃんと訳せない気がする。ということは海外の日本語訳の小説もちゃんと訳せていないんだろうな。やはり原文で読まないといかんのだろう。わしにはできないけれろ。 20代ですでにほぼ完成した作家なんだなぁ。 でもたしかに2つのアステリスク(*)後はいらないと、私も思う。

    0
    投稿日: 2022.06.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    あまりにも考えられない病院側の反応に困惑したことから始まりました。嫌な現実から逃げようとする主人公。それを受け入れる関係をもった女性。しかし主人公は前向きに変わっていった。 スワヒリ語のくだりと、沢蟹を探す熊みたいなんて感じの表現が好き。

    0
    投稿日: 2021.06.15
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    はじめての大江健三郎作品を読みました。 1964年に発表された作品です。 作者の子どもが、脳瘤のある障害を持って生まれたことをきっかけにして書かれた作品。主人公は同じ立場で描かれますが私小説ではなくあくまで体験に着想を得て書かれた小説です。 最初から半分くらいまで読むに耐えない話で、主人公の自意識過剰さと、ろくでもなさ、自分勝手で鬱陶しい性格にほとほと嫌気がさし 『なんでみんなこれを名作だと言うのか? これが人間の本質だというなら 自分も含めて全員滅んだ方がいい』 と思うほどの残念さと倦怠感がありました。 こらえて読もうと半分を超えた頃から、 嫌悪感が共感に変わり、見守り願い気がついたら読み終わっていました。 あの気持ちから、ここまで連れてこられたことにとても驚きました。読んでよかったです。 また、形容する言葉や表現が面白く 突飛な例えが出る度に、これはクセになる。と自分の中に作者の言葉が染み込んでいく感覚がありました。

    2
    投稿日: 2020.11.25
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    自身の体験を基にした小説、なのだろうか。脳ヘルニアの子供の出産を受けて本作品を執筆した大江氏であるが、作中の様は子供に対する愛情や希望ではなく嫌悪である。脳ヘルニアを抱えた子を出産した青年の葛藤や苦悩ではなく逃避である。極めて衝撃的な独白である。それは小説のなかの話であったか私小説であったのか。三島由紀夫氏には評判が悪かったようだが、ラストのある種の希望溢れたハッピーエンドは大江氏自身の現実逃避であったように思う。 逃避した現実の未来、脳ヘルニアを持して生まれた大江健三郎氏の息子大江光氏は一流の演奏家・作曲家として活躍している。

    1
    投稿日: 2020.10.31
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    まぁなんちゅうてもグイグイ引き込まれました。 ずっと打ちのめされたボクサーみたいな気分で読み進めました。 ページをめくるのが惜しいくらい楽しませてもらいました。 セオリー通りに主人公は変わりながらも、ゲームセンターにたむろする少年たち、変な名前のヒロイン、堕胎医、石ころの少年、菊比古、物分かりの良い義父など、無造作に整列させている。 なんかボコボコにされた気分。

    0
    投稿日: 2020.08.20
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    8割読み進めて、ああこの主人公は赤ん坊から逃げているんだなと、彼の苦悩を理解しながら読み進めることが出来た。彼のどことなく周りの荒波から離れて静かな池の中にポツンと浮かんでいる様な他人事の様な心情。それでも遂に、自己欺瞞の罠から這い出て新しい命を受け止めようとする姿。 人間の闇を照らし、光を見つけようともがく様が 力強く、そして達観された文章で著されている。 読み始めて暫くは、様々な視点からあらゆる生々しい比喩を用いて描いている所に急速に惹かれていった。しかし、終盤の主人公【気づき】にもっと理性的なものを含ませて欲しかった。現実世界と混乱させてしまっているかもしれないが、物語に埋もれさせず、パンチ力のある自己欺瞞からの解放を描いてほしかった、、という勝手な思いから、 評価は星四つです。

    0
    投稿日: 2020.08.15
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    男(なのか、人なのか)の身勝手さを感じた。 時代背景が違うにも関わらず、今読んでも古くない、人間の本質を描いている。

    0
    投稿日: 2020.07.20
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    とにかく重厚、濃密な文章で書かれている。 文体の範囲内において、物語の主人公は行動や思考をすることになる。液晶の解像度のようなもので、多彩な語彙や表現によって形作られた文体があってこそ、人間の複雑な心理を映し出すことができる、とまでは必ずしも言い切れないのかもしれないが、この作品の世界観はやはりこの文体によってこそ支えられているのではないか、と感じた。

    0
    投稿日: 2020.01.02
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    はじめての大江健三郎作品。著者が長男誕生を題材にした小説であるとあとがきで知る。主人公の鳥(バード)は、当初、難産の末、長男が生まれた際には頭に大きく醜い瘤があり、うまく生き延びても植物以下だと担当の医師から脳内ヘルニアという診断を受ける。それを妻に知らせることが出来ず、大学時代からの女友達である日見子との性とウィスキーに倒錯していく。終盤、知人の医師に赤ん坊の処理を委ね、兼ねてより興味のあったアフリカへ逃亡を画策するも…。 結末が急に意外な方向に振れ、少々戸惑う。

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    投稿日: 2018.09.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    いやはや、これは凄いですね。とんでもねえな、って思いました。大江健三郎、とんでもねえなあ。小説家・エッセイストの原田宗典が好きなのですが、その原田さんが、確か著書の中で大江健三郎を評して「でえれえ」みたいに言っていた気がするのですが(違ったらすみません)確かにでえれえよ、こりゃすげえよ、ノーベル文学賞、恐るべし、ですよ。この作品、1964年の作品だそうです。2018年現在からすると、54年前!ですか!遥か昔やん。そんな昔に、こんなとんでもねえ作品が書かれていたのかあ。驚きだなあ世の中って。 障害を持った子が生まれる、という出来事は、そらもう、その夫婦の間の(この小説でいいますと、奥さんには最後の最後の方まで、生まれた子が障害を持っているのは秘密にされますので、父である鳥(バード)にとっての)極めて個人的なできごと、体験、となるのでしょうが、そのごく個人的な現象を突き詰めて突き詰めて突き詰めまくった結果、大げさに言うならば、人類全部に突きつけた作品、という感じでしょうか?どうでしょうか?違うか?そんな認識を持ちました。極めて個人的な問題、経験は、突き詰めると、究極の所、人類全体の問題なのです、という壮大さを感じた、気がします。錯覚かもしれませんが、、、うーむ、凄い。 なにしろ、文章が、文体が持つ、おっとろしいまでの熱量、というか破壊力、というか、すっげえな、って思いました。パンクだぜ大江健三郎、とか思ったのです。全然見当違いな認識だとも思うのですが、これ、この作品、圧倒的にパンクだなあ、と。ロックンロールだなあ、と。言い回しや文体や表現や、なにしろもう、とんでもねえ。文字の力、というのは、数値化できるものではないと思うのですが、そのモジヂカラが、とんでもねえ数値をはじき出してるんではなかろうか、と思ってしまいました。ドラゴンボールでいう所の、戦闘力を計ることのできるスカウターみたいなのが欲しいな、って思いました。文学力を計るスカウターが。100メートル走を何秒で走る、とか、砲丸投げを何メートル飛ばす、とか、そういう目に見える数字が凄いんじゃない、目に見えない、数値化できない何かがとんでもなく凄い。そんな所も、大江健三郎さん、パネえな、って思いました。なんとなく、読んでて、町田康や村上春樹の文章みたい、って感じました。町田さんや村上さん、大江健三郎さんの影響、受けているのだろうか、、、どうなんでしょうね? すっげえ滅茶苦茶に乱暴にこの作品を要約すると、 子供が障害持って生まれたもんだからテンパって現実逃避しちゃった父ちゃんが、家族を捨てて昔の学校の同級生の女の家に入り浸ってセックスばっかして嫌な現実から逃げようとして、でもいよいよ抜き差しならんくなったから「よし。俺の子供、殺そう」って思ってそのセックスフレンドになった同級生の愛人に協力してもらって闇医者紹介してもらって我が子を殺してもらう寸前まで行くんだけど、こと其処に至る直前でまさかまさかの180度心が入れ替わって大回心改心、俺は真人間になりました、我が子を認めて育てていくことにしました自分のために。そして家族の絆も戻りハッピーで一件落着。という話? という、なんだこりゃ?な纏め方なのですが、自分はそんな話だと認識したのですが、その話の持って行き方がホンマ凄い。エグい。文章まじパネえ。 こんな話、書いちゃっていいの?と言う意味では、ホンマに凄いですよね。ミもフタも無い。自分の子供の事を、障害持っているっていうことで「化け物」とか言っちゃってるんだもの。本当にひどい。でも、これが、剥き出しの現実なんだよなあ。それを書き切った。と言う意味では、もう凄い、としか、いいようがない。ブランキー・ジェット・シティの大名曲「ディズニーランドへ」を思い出しました。冷たい人間の仲間入り、とはこのことか、、、いやもう、なにしろ、なにしろ、凄い。 でも、それだからこそ?って言ったら変な言いかたかもしれませんが、こんな話だからこそ、物語最終盤の、あの、とってつけたような?ハッピーエンド、個人的には大賛成です。「現実を引き受ける」という行為を、大江健三郎さんは、真実リアルに「体験」したんだろうな。ブルーハーツでいうならば、終わらない歌。本当の瞬間はいつでも死ぬほど怖いものだが、それを、受けいれた、乗り越えた、ということかなあ、と。そこはもう、何よりも尊い事だし、本当に凄いことなんだろうなあ。と。そんな体験をしたことがない自分としては、想像することしか、できないのですが。 それにしても、主人公の本名は、登場せず、物語中ずっと、彼は「鳥(バード)」というニックネームで呼ばれ続けるのですが、学校の同級生の火見子がそう呼んだり、地の文でそう呼んだりするのは分かる。そら分かる。ニックネームだもん。でも、主人公の義父や義母や妻ですら、主人公を「鳥(バード)」って呼ぶのって、相当シュールですよね。ある意味コント。でも、きっとそこには、この作品の肝であり、大江健三郎さんの確固とした考えが、あるのだろう。それは僕には分かりませんでした。すみません。 あと、主人公の義父の大学教授は、何故にあの時。主人公が、生まれた子供の障害を告げに行ったときに「ウイスキーもっていきなはれ」って、ジョニー・ウォーカーを主人公にプレゼントしたんだ?あの意図がさっぱりわかりません。主人公をからかったのか?試したのか?義父も事実の衝撃にテンパって混乱していたのか?むう、、、読解力が欲しいな、って思いました。あの意味、わかりませんでした。無念。

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    投稿日: 2018.07.26
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    読み終わって一言、文中の言葉を借りるなら 「怪談だ!正常じゃない(183項)」だなぁ。急に打ち切りが決まった連載漫画よろしくラストシーンは怒涛の展開を見せるわけだが、当時としては(今もか)珍しい作者のあとがきと合わせて読むと、人だもの感じるものはある。まぁ赤ん坊を抹殺して火見子とアフリカに渡る夢のような選択肢を手に入れた時も、どうにも晴れないもやもやを鳥は抱えていたわけだし。 何にせよ、文中の「不幸の鬼」は実は火見子だったというオチで、最後のゲイカウンターの場面なんかは、火見子は昔の鳥本人に化けていたんじゃないかと思えた。別の人と行くと言う選択肢にああもあっさり火見子が辿り着くのは、作者の都合でもなんでもなく、取り付いていた鬼が退散したから or アフリカに連れて行く男の子は多次元的な宇宙に生きるもう何人かの鳥のうちのひとりだと火見子は思い直したからだとか、読み終わった後に考えると面白い。 死者の奢りやら飼育やら戦いの今日やら読んだ後の2作目だったので、そのギャップに驚く一方で鳥のコミカルにもすぎるあまりの屑人間っぷりを多彩なレトリックで表現する大江健三郎の文才っぷりには感動した。 中でも冒頭の、少年たちに絡まれるシーンにある「弱い連中を見るといじめないではいられない粗暴な子供の欲望に身震いしてかれらは、パンチ力500の哀れな羊を襲撃すべく追いかけてきたのだ」 涙流して笑った。一生忘れないと思う。笑

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    投稿日: 2018.03.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    最低な行為をしている時は必ず人間は、どこかで常に自分の最低さを、わかりすぎるくらいに「わかっている」。 読みながら最低だなと思いながらも「当然」の行為だなと自分自身、思ってしまうところが、バードと共に最低な行為を犯してしまっている。 ラストのバードの改心(?)があまりにも突然だと言う批評を読んだが、単にあまりにも自然なだけだと思う。人間の改心のきっかけなんてそんなものだ。 私としては火見子に対してだけ、かわいそうだな、と感じたが、火見子は所詮そういう扱いを受けて当然の女なのだと思う。悲しいけれど。そういう人っているし、そういう状況ってあるのだ。

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    投稿日: 2018.02.25
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    話の本質が掴めるまで時間がかかった。読み終わった後に初めて物語の全体像が見えてくる。後味が強烈な作品。

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    投稿日: 2017.09.24
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    バードという主人公は頭部に障害を持って生まれてきた子どもの親となったにも関わらず、現実から逃げて女友達の火見子との情事とアフリカ旅行を計画していた。しかし、突然逃げるのを止めて現実を受け入れて子どもの親になることになる。

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    投稿日: 2017.07.07
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    大江健三郎の本をたくさん読んでいるわけではないけど、彼の本の主人公は、どうにも好きになれない。卑屈で、自意識過剰で、性的欲望に流されすぎる。そのくせ、英雄的行為に憧れたり、肉体的な強度を求めたりする。気持ちが悪い。男性読者にとっては感情移入しやすいのだろうか。こういう私小説の主人公のような男性とは、あまり親しくなりたくはない。

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    投稿日: 2017.06.13
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    大江健三郎の、説明的にならない圧倒的な情景描写の洪水に飲み込まれる。 驚異的な比喩の嵐に圧倒される、精神的ジャーニーのロードムービー小説。 頭部に特徴のある赤ん坊を授かった、27歳青年。 その嬰児がアフリカ行きの夢を奪う怪物ではないのかと錯覚に囚らわれ、安寧な死を願う。 衰弱死の報告を待つ間中、かつての女友達と性行に耽る最低のクズ野郎。 自分の人生に無価値を見出すのを止め、欺瞞と立ち向かい試練に正面から向き合えるか? そんな男の、または子に対する父の、心の動きに身をつまされる一冊。 著者もあとがきで書いているが、二つのアステリクス以降は確かに必要ないかも知れない。 そこ以前で終わっても、作品としては成立する。 むしろ私が作者なら、そこで止めるだろう。 敢えて、それ以降に拘った大江健三郎の意図を体感して頂きたい。 余談だが、アーケードに「鉄の処女 二十世紀タイプ」があれば私もプレイしてみたい。

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    投稿日: 2017.06.11
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    27歳の「バード」というあだ名の青年は名前のとおりちょっとふわふわした男の子。子供が頭部に異常を持って生まれてきて、アフリカ旅行の夢が潰えたと自暴自棄な生活を送り、悩みを深めていくが、最後にはわが子とともに生きる選択をする。ちょっとふわふわした頼りないけれど憎めない男性が父親として目覚める時を描いた作品であると解釈した。バードだけじゃなくて、登場人物誰もが、諦めとか覚悟とか妥協を持ちながら生きている姿がなんとも人間臭くてよかった。

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    投稿日: 2016.06.10
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    自分にもし子供が産まれて、もし障害を抱えていたら…。男版のマタニティーブルーと言えるだろうか、女に逃げ酒に溺れ現実逃避…。けれど主人公が父として自覚を持ち子供に向き合おうとしていく過程が巧く書かれている。

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    投稿日: 2015.11.01
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    大江作品二作目。鳥(バード)を大江自身をモデルとして主人公に仕立てている私小説とは異なる小説。バードが父親として、しかも障害児の父親と宣告され、それを受け入れるまでの過程が自身の内面を克明に描写して書かれている。新しい人よめざめよ、の大江とは打って変わって若さが迸る文体。この作品から新しい〜までの大江と家族 変遷を思うと、深い感銘を覚える。内容は読むに耐えない程の激しさを内包するが、生への真剣な面持ちに感動する。自らも27歳4ヶ月をここからスタートし、新しい人よ~に至ることができるかもしれない、という励ましを得た。

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    投稿日: 2015.07.05
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    いろいろと考えさせられる本・障がい児の親であることを自ら認める事ができるまでの体験・・障がい児にかかわらない作家では書けない内容・・・障がいに対する社会の目・・・・誰にでもある心の襞・・・・・結局は自分のありのままを認めなければ辛いだけだ!

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    投稿日: 2015.02.05
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     1964年発表、大江健三郎著。塾講師をしている27歳の青年バードに脳瘤のある子供が生まれた。彼は愛人火見子の元へ逃げ、秘密裏に子供を殺してほしいと病院側に頼み込む。葛藤した彼は最終的に子供を受け入れることを決意する。  どこか寓話的な小説だった(おそらく医者の露骨な態度と赤いスポーツカーがその雰囲気を醸し出しているのだろう)。個人的な体験を私小説ではなく物語として昇華したところがすばらしい。これこそまさに「小説」だと思う。  ラストのアスタリスク以降は不要だと感じた。なぜならこの話は「バードが障害児を受け入れる」ことがテーマだからだ。安直なメッセージを付け加えて分かりやすい美談として丸め込むのは若い小説家が陥りやすい失敗だろう(娯楽用の小説ならそれでいいのだろうが)。ただ後書きを読むと、著者本人としてはこうせざるを得なかったというのは理解できる。  しかし厳しいことを言えば、もし仮にラストシーンで親戚連中に「そんな障害児など一族の汚点だ。今後お前らとはかかわりたくない」というようなことを言われたらどうだろうか(現代の日本ではあり得ないとしても、世界を見渡せば現実にそのような境遇の人がいるかもしれないのだ)。それでもバードが父親として障害児を育てていくと宣言できたなら、ようやく真の意味で「受け入れた」と言えるのではないだろうか。

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    投稿日: 2014.02.25
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    「恥と恐怖心を秤にかけている」というような表現が新鮮であった。そうやって動けなくなり自暴自棄になっていくところの心理をすごくよく描いているように思う。 「いったいどのようなおれ自身をまもりぬくべく試みたのか? と鳥は考え、そして不意に愕然としたのだった。ゼロだ」という転機。自分にも訪れないかしらと緩やかに待つ。

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    投稿日: 2014.01.27
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    それを個人的な体験としてしか考えられてないと、それ欺瞞に満ちたものになるのか。欺瞞という意味についてもう少し考えてみる必要がある。

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    投稿日: 2013.11.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    初大江は『死者の奢り・飼育』。そこで素晴らしい文章とはじめて出逢うも、著者の代表作というべき『万延元年のフットボール』にはあまり馴染めず、自分には合わない作家なのかと思ったが、ノーベル文学賞作家を簡単に諦めてしまうのも厭なので、もう1作、と思い本作をチョイス。そうしたら見事というべきか、これはほんとうに面白かった。最後がハッピー・エンドになっているし、こういう「面白さ」が逆に不興を買った部分もある(著者のあとがき参照)のかもしれないが、個人的には讚えたい気持しかない。面白さのなかに、重厚さももちろんあって、テーマは畸形児が産まれた父親の葛藤となっている。しかし、はたしてほんとうにこれがテーマなのだろうか。私自身は、畸形児であるかどうかに問わず、もっと広く子供一般が産まれたときの父親の感情がテーマになっていると思う。宿酔状態に至ったり、情人と性交したりするのは、たんなる畸形児をもった不安では説明できないのではないか。メイン・テーマが畸形児を持つことであることは否定しないが、やはり根柢には、男が父親になること、あるいは逆に、男が「子供」になることというテーマも多分に含まれていると感じた。そして、そのような感情に対するひとつの答えとして、議論を呼んだハッピー・エンドがあるのではないか。望むにせよ望まないにせよ、この小説は「こうでなければならない」ような気がする。短文で表現できるのはここまでだが、そういう深い意味合い、必然性をもった小説である、ということが理解してもらえれば嬉しい。

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    投稿日: 2013.10.06
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    鳥(バード)という男の 個人的体験についての物語 妊娠 そして 出産 27歳四ヶ月   生まれたのは 脳ヘルニアの赤ん坊だった。 飼育される バード 檻の中で アフリカに行くことのみが 願い。バードの希望。 なぜ飼育されるようになったのか? 誰に飼育されているのか? 大学院の中退 アルコールの飲み過ぎによる。 自由なバードからの変化  義父、義母、妻に 飼育された。 火見子とバードの奇妙なつながり。 赤ん坊が死ぬことへの熱望 火見子との共同作業。殺すことへの共同策謀。 ソビエトの核実験とのかかわり合い。 結果として 脳ヘルニアの子供を たとえ 植物的な存在になろうとも 命を大切にしようとする意志とアフリカを捨て、この現実に生きようとする決意をもつ。 それは もはや バードでなくなる過程である。 結末は ハッピイエンド。 バードの過程のなかで 火見子の役割は。 菊比古との過去と現在は? どのような意味をバードに持つのか? 社会とバードの乖離。いかなる交渉を持つのか?

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    投稿日: 2013.10.03
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    再読。鳥(バード)の苦闘―もっとも、それはひたすらな逃亡(赤ん坊からの、そして自己からの)に過ぎなかったのだが。大江自身にとってのイニシエーションは、まさしくこの作品を「書く」ことによってしかなされなかったのだろう。それは、文字通りに「個人的な体験」だったのであり、また大江の作品史の上でも、重要な転換点となった小説。

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    投稿日: 2013.09.23
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    とっつきにくいが、我慢して読み進めていくとどんどん引き込まれた。 「なにをさがしているの?沢蟹をさがしまわる熊みたいな格好で」 という部分で、その表現力にうならされた。

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    投稿日: 2013.06.07
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    20130501読了。 すごい迫力のある本。文自体は淡々としているのだが、なんとも表現できないと凄みが感じられた。 喜ばしいはずのわが子の誕生にもかかわらず、生まれてきたことを喜べない。それどころか死を願う身勝手さ。そして、現実に向き合えず逃げ回るが土壇場でやっと向き合う踏ん切りがつく。 まったく男とはなんて仕方がない動物だとその身勝手さに嫌悪しつつ、どんな人でもそうなるかもしれないという不安を感じさせる内容だった。

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    投稿日: 2013.05.02
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    理念や概念について語るのではなく、個人的なことを語ることでかえってそれが普遍性をもつことがあるのではあるまいか、的なところ(正確ではない)に私はすごく心打たれた。situation的な意味で「状況!」なんて叫んで人の人生が普遍化されがちな(あるいは無化されるともいえるような)中で強度の「個人的」出来事に遭遇した彼の言葉は、別に障害者の息子を持っていなくても、個人的人間としての「人」を励ます強さをもつ。(受け入れ乗り越える的な結末はいささかサルトル的気持ち悪さで書かれているとはいえ)

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    投稿日: 2013.04.06
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    大物著者が何十人も存在する30年代の中でも、安部公房と並び、文才と想像力と洞察力が極めて突出している大江健三郎の名作。なるほど物語の締めは流れからすると何だかぎこちないが、生きる・生かすことに固執した著者の心が出ている素敵な作品だと私は評価したい。

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    投稿日: 2012.11.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ボクがヒロシマノートを初めて読んだのは、4年前の夏だった。その夏、原子力関連の仕事に就いたボクは、広島への旅行を思いついた。原子力を学んでみたいと思って大学へ入学して以来、考えてみると、これは遅すぎる試みだったのかもしれない。が、その夏、なぜか、どうしても広島へ行きたくなった。仕事を終えて夕方、東京へ向かい、夜行バスに飛び乗る。広島へ到着したのは朝8時半くらいだったのかな。鐘の音は鳴り終えて、黙とうは終わっていた。漠然と8時15分には間に合うであろうと思っていたボクは、残念に思いつつも、それはそれで、次でいいやくらいに思った。 気をとりなおして、平和記念資料館をたっぷり半日かけて回る。平和公園では、どこかの市民団体だろうか、いろいろな催しが開催されていた。それらも見て回る。いろいろと絡んでみる。しかしそれでも、時間はあまる。映画館へいってみるのだけれど、そそられない。どうしようかなあと思いながら、鞄を開けて、本を読みだす。ヒロシマノートだった。2日間ほど一人で広島をプラプラした。やることもなく、公園のベンチで、喫茶店で、バーで、ヒロシマノートを読んだ。 学生を終え、就職し、研究をすすめながらも、手ごたえのない日々。一人で自分の生きづらさと向かい合いながらお酒で流し込む日常。初めての広島への旅行は、鬱屈としたボクが、どうしようもない自分を、もっと一般的な意味で位置付けて、そこへ逃げ込むための試みだったのかもしれないと、今は思う。 今日、ボクが書きたいのはヒロシマノートに出てくる「正統的な」原爆後の日本人について。ずっと、書きたかった。でも、なかなか書けなかった。けど、書けるようになったから書くんじゃない。書かないといけないと思っていて、それでもやっぱり書けないのだけれど、それじゃいけないとおもって現状をメモしておきたいと思ったから、書く。 まずは、ヒロシマノートの最後のページを眺めてみる。読みにくいかもしれないけれど、引用部は明確にするために斜めにしてみた。 「~僕は、重藤原爆病院長をはじめとする、真に広島の思想を体現する人々、決して絶望せず、しかも決して過度の希望をもたず、いかなる状況においても屈服しないで、日々の仕事をつづけている人々、僕がもっとも正統的な原爆後の日本人とみなす人々に連帯したいと考えるのである。」 いきなりこれを読んでも、当然よく分からないのだけれど、重藤医師はヒロシマノートの随所に登場する広島原爆病院の院長で、自身も被爆者であり、被曝直後の広島で、そして、その後の広島において長く原爆症の治療とそして解明に当たった人である。ヒロシマノートでは、この重藤医師をはじめ、広島の医師に対する作者のイメージが、「正統的な」原爆後の日本人へつながっていく。 「広島の医師たちの自由な想像力は、また、そのまま、恐ろしい想像力でもあるはずであろう。白血病と被爆とを結びづける想像力というものは、じつに厖大な恐怖に直面することを強制する。しかも、その医師たち自体が、被爆者であるということを、われわれは忘れてならない。広島の医師たちは、その想像力によって原爆の災害を追求しつづけながら、すなわち、自分自身もおちこんでいる地獄の深遠をより深く、よりあきらかに覗こうとする人たちなのである。このパセティクな二重性が、広島の医師たちの想像力と、具体的で地道な発展に、まぎれもなく誠実な威厳の印象をあたえるのだ。」 広島と長崎での被爆から65年が過ぎた。当時、生まれたばかりで被爆した人もいまは、65歳になっている。人体に対する放射線影響に関して、科学的な基礎データを与え続けた原爆被爆者に関する寿命調査は現在でも続けられているわけだけれど、被爆した多くの方がなくなり、多くのことが明らかになった。もうすぐ、データが出尽くして(こういう見方をしたくないから、広島へいったのだ)、この調査も終わるだろう。そんな現在でも、影響のすべてがわかっているわけではないし、ましてや、当時にしてみれば、放射線にさらされることでどんな影響が発症するのか、それらへの対応とか、手探りのなかで、頑張っていたんだろうと思う。 しかも、自分自身が被爆しているとなれば、なおさらで、自分がさらされている恐怖というか、不可解なものを模索しながら、追究していくという作業。自分自身の恐怖の淵源をわざわざ明らかにしようとすること。大変だろうなと想像する。葛藤は大きいのだろうなと想像する。しかも、そこには、個人的な恐怖感のほかに、社会的な、つまり、被爆によって何らかの健康影響を発症する可能性があるということ、子供が生まれれば遺伝的影響が発生するかもしれないこと。そういうことを事実として提示することで、被爆した人たちがさらされるかもしれない、あらたな差別に根拠を与えてしまうかもしれないということ。そういうことに、間接的であれ、加担してしまうかもしれないこと。しかもそのような眼差しは、自分自身にも向けられるかもしれないということ。そういうプレッシャーの中で、被爆後の辛さとか、困難さに立ち向かい続ける人たちがいたということは、感動に値する。そしてそういうすごさに共感しながら、ヒロシマノートを読んだ。 ボクが思うに、ボク自身の生きづらさや困難に立ち向かう方法は、いくつもあるように思う。1つは、自分の中でそれらを解消すること。これは、消極的な方法なのだけれど、例えば、忘却。時間が経つのを待つこと。あとは、消極的で意図的な方法としては、価値の相対化とか。すなわち、辛さとか困難さの意味を否定すること。意味のないことだったと思い込む方法。意図的な自己欺瞞。 一方で、解消ではなく、積極的に立ち向かう方法として、解決を試みることも、もちろんありうるのだと思う。だけれど、自分自身でもどうしようもない場合にどうすればよいかということは、必ずしも明確じゃない。というか、明確なのかもしれないけれど、解決しようがない。そのような場合にどうしたらいいのか。それが、大切なことのように思う。つまり、解決できない辛さや困難に立ち向かい続けること。それが何なのか明らかにしようとすること。向き合い続けること。そうしなければならないこと。そこから目をそらさないこと。事実として受け入れること。考え続けること。そして、改善できるように実践すること。諦めないこと。そして、いったんは克服すること。 ボクがヒロシマノートを読んだときに、強く共感したのは、そのような積極的な解決に向かおうとする試み、ひとの強さを、そして同時に弱さもだけれど、筆者が原爆という事実を基に、具体的に描くことに成功しているということにあったのかもしれない。もの書きというのは、すごいものだなと思った。自分の語彙力、分析力、精神力ではここまで到達できないなと思った。でも、必ずしも共感しきれないところもあった。筆者は、広島の医師のイメージを紡ぎながら、正統的な個人という概念を提出し、そこまではよいとしても、これを日本人のナショナリズムの確立へ向けて結びつけようとしているふしがある。なんだかしっくりこない。というか、やはり、どこか気持ち悪い。けど、理解できないでもない。この筆者はノーベル賞を受賞したことでも知られているけど、そのときの記念講演のなかで、彼はデンマークの文法学者クリストフ・ニーロップを引いて『(戦争に)抗議しない人間は共謀者である』と述べていて、たしかに、ああ、なるほどと思った。 ボクが、現実生活を生きること。それはどうしようもなく、たくさんの事実に目を向けざるを得ないことを、どうしようもなく含む。ボクの怠惰さや、不足や、自己欺瞞で見えなくなっているものも多くあるだろうし、その可能性を常に意識しながら、つまりは可謬性を前提として、ボクは向き合っていかないといけないのだけれど、それでも、いや、だからこそ向き合い続ける。そうすることには、想像力によって不安や恐怖にさらされながら、究明し続けないといけない苦しさもあるかもしれない。もちろん、たくさんの岐路において、それらと向き合わなくても生きていけるように、選択することは可能だし、年齢を重ねるにつれて、諦めというか、欺瞞というか、自分を否定することなく生温かい中で生きていく方向性もあるのだと、強く感じる。そのような生温かさに浸るのか。それとも向き合い続けるのか。いずれにしても、それは自分で選ぶことなのだと思う。少なくともボクは、自分で選びたい。自分で選んだのだと、しっかり認識したいと思う。 しかし、この選ぶという行為は、実際、難しい。というか、怖い。ボクは選んだのだ。他の誰でもなく、このボクが。人のせいにはできない。あたりまえだけど、そのことを自分で背負わないといけない。ボクの葛藤。他への影響、まきこみ。実際に、それはすごく怖いことだ。だから、慎重に。ゆっくりとすすんだらよいと思う。すこしずつ、選んでいけばよいのだと思う。というか、そうとしかできない。ここらへんはとても悩みながら書いているのだけれど。ゆっくり選ぶ。すこしずつ定める。ただし、この緩やかさは単に時間的なものではなく、方法的なもののことでもある。もしかしたら矛盾するかもしれない2つの批判を、自分に課してみる。2つの批判。1つは、個別のルールを普遍化してみることで得られる批判。もう1つは、普遍的と思われるルールに対する個別事例による批判。これらをいずれも、大切にする。そういう方法。 ボクには、生きていくなかで負わなければならない複数の義務というのが、やっぱりあると思うのだけれど、それらのうちのいくつかは、ボクが自分の意志で選んで合意したものなのだろうし、別のいくつかは合意によらずボクが負わなければならないものもあるんだろうなと、思う。 例えば、特定の個人間での合意に基づいて、果たさないといけない自発的な責務があるのかもしれない。普遍的ではなく、合意した個人間にだけ生まれる義務。個別的な類のもの。このような義務には「個別のルールを普遍化してみることによる批判」を適用してみて、ボクとキミの合意が「普遍的なルール」に照らして、おかしくないのかなって考えみる。ほかのだれかを傷つけることになっていないかなって、考えてみる。繰り返し、繰り返し、考えてみる。場合によっては、キミにもお願いして、お話しながら考えてみる。 じゃあ、そのほかにどんな義務があるだろう。例えば、ボクは、人間の生命を尊重しなければならないという自然的な義務についても考えてみたりする。ボクが他のだれかを殺さないということは、両者の間に約束が存在してはじめて達成されることじゃないし、ボクは殺したいとも思わないわけで。こういうのは、ボクとキミの間で、何か合意があったわけでもないだろうし、あたりまえのように適用されてしまう類のものなのかもしれない。そう思う。さらには、家族とか、国家とか、歴史とか、その時代に、その場所で生きていることで、このボクが負わないといけない義務があるようにも、感じる。ボクは、生まれる前に合意して、この時代、この国に生まれてきたじゃないのだけれど、既にありきものとして負わなければならない義務ってやっぱりあるのかも、と。でも、そういう義務だって、いつも常に、絶対に従っていないといけないかというと、状況によっては従うことがおかしいことだってあるだろう。でも大きな流れの中にあって、おかしさに気がつくことは、中々難しいことだろうと思うから、そのことに気がついたり、そのことのおかしさを人に説明するためにボクは、「普遍的なルールに対する個別事例による批判」を適用して、本当にそのような義務が、現在のボクたちに適切なのか、いま、まさに、この状況に置かれた一人ひとりにとって暴力的なものになっていないのか、考え続けていく必要があるように思える。 ここまで、「普遍的なルール」って簡単に書いてしまっていたのだけれど、これが何なのかということはやっぱり根本的な問題としてあるわけで、正義って何なのだろうかと、考えてみる必要があるわけで。だけれども、これは、とても難しいことのように思えてきて、というよりも、やっぱり「普遍的なルール」、すなわち、あらゆる状況において正しさを主張できる根拠、つまりは正義というものが、存在すると言い切れる人は、やっぱりいないのだろうなと、ボクは思っているわけで。そのことを前提としていて。 だから、自分が生きにくくなったり、おかしさに気がついたときには、どうすれば正しいのかを考えて「これが正義だ!」って言うことはむしろ全然大切じゃなくて、むしろおかしくて。もしかしたら「これが正義だ!」っていうことも必要かもしれないけれど、そういうのを、いつも考え続けようとすること。おかしいなと思い続けて、自分自身を、周りを眺め続けてみること。そういうことが、素敵なのかもしれないなと。 ヒロシマノートで、著者は、被爆した人たちの生き方に向き合いながら一つの「正統性」を紡ぎだした。それは、すごいことだと思う。けど、それがどこまで一般化できるのかといえば、わからない。逆に、それらを筆者が、強引に一般化してナショナリズムに結び付けようとしたとしても、一方で実に気持ち悪く感じて、他方でそのやり方を受け入れることだって、ボクにはできるのだろうと思う。 同じ筆者の、別の本を開いてみよう。この物語の主人公は、27歳の男性、予備校講師。通称“バード”。このバードに赤ちゃんが生まれた。そしてこの赤ちゃんには頭部に異常があることが告げられる。バードの気持ちの中には、これから障害を抱えた子供と生きていくことへの不安と、束縛への憂鬱。そして、内面から湧き上がる怒り。周囲の人々に対しては、妄想的な悪意を読み取ってしまうような羞恥心が芽生え始める。バードは、子供の死を願いながら大学時代にセックスした女性、火見子を訪れ、性的快楽に溺れる日々を過ごしながら、いったんは現実から視線を外し、そして現在の日常を捨てて他の日常へと逃げだすべくアフリカへの冒険の旅を夢見ていたのであるが、結局、旅立つこともなく、子供の回復を願い手術を受けさせる。 このような一人の人間の葛藤の物語。その物語の最後、バードの妻の父、大学教授とのシーン。こんな会話が交わされる。 * 「きみは今度の不幸をよく正面からうけとめて戦ったね」と教授はいった。 「いや、ぼくはたびたび逃げだそうとしました、ほとんど逃げだしてしまいそうだったんです。」と、バードはいった、それから思わず怨めしさを押しころしたような声になりながら、「しかし、この現実生活を生きるということは、結局、正統的に生きるべく強制されることのようです。欺瞞の罠におちこむつもりでいても、いつのまにか、それを拒むほかなくなってしまう、そういう風ですね」 「そのようにではなく現実生活を生きることもできるよ、バード。欺瞞から、欺瞞へとカエル跳びして死ぬまでやっていく人間もいる」と教授はいった。 * ヒロシマノートの冒頭にも書かれているように、二つの作品「ヒロシマノート」と男の葛藤の物語「個人的な経験」は同時期に執筆された。全人類を覆うべき、ヒロシマ。ある一人の人間が向かい合った、個別の経験。ぱっと考えてみると、全く逆のお話なのだけれど、この二つの物語に使われている「正統性」という言葉は、切なくも、同じ正しさに加担しているのだろうと、ボクは思った。

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    投稿日: 2012.11.20
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    私が生まれる前から存在していた作品なのに、とても新鮮でクール。あの穏やかな顔から想像できない作風でした。それにしても、男って自分勝手でちょっと腹立たしかった。

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    投稿日: 2012.10.26
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    最近、自分自身が大江さんの作品の主人公とカブってきている。ような気がしてならなくなってきている。葛藤と逃避と、それでも結局は受け入れていくしかない現実にどう折り合いをつけていくか。それが問題なんだ、と僕は捉えてみた。けれど、それがあっているかはわからない。ええ。(10/11/25)

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    投稿日: 2012.08.17
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    表現力に圧倒された。重すぎる現実からの逃避をやめて覚悟を決める場面の描写(「答えはゼロだ」)が一番心に残った。全然小説とは無関係だけど、若い頃相当やんちゃした人ほど、大人になってすごく礼儀正しくて家族思いのいい人になってるのを思い出した。きっとこういう心の転機があったんだろうなと思った。

    1
    投稿日: 2012.07.15
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    主人公の鳥は、頭部に特徴を持ち生まれてきた息子から、逃げ続ける。 彼は遊戯に逃げ、酒に逃げ、女に逃げる。 読み進めるうちに、少しずつ自分を重ね、ラストに期待を抱く自分を見つける。まるでこの本が、自分の背中を押してでもくれるように。 思えば、今の世の中は不安だらけだ。放射能汚染、世界恐慌、年金介護問題、それに、諸々の人間関係だってそうだ。 数え上げればきりがなく、どれも避けて通りたい。しかしながらわたしはまだそのいずれにも、ちゃんと当事者として関わったことがない。知識なんて、テレビやネットのゴシップ的記事や良くて書籍だ。だからこそ、不安が募るのかもしれない。 守りたい自分は空っぽだと気付いたとき、人は今を受け入れられるのだろう。こんなありふれた言葉、今ならどんな自己啓発本にでも書いてあると思う。でもそれを、こんなふうに斜め下の視点から映し出した本はなかなか無いとも思う。 空っぽだと気付いたから、特別なことをする必要はないのかもしれない。案外逃げる自分を乗り越えていたら、前に進んでいるものなのかもしれないなぁ。

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    投稿日: 2012.06.18
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    (1994.12.14読了)(1994.11.05購入) (「BOOK」データベースより)amazon わが子が頭部に異常をそなえて生れてきたと知らされて、アフリカへの冒険旅行を夢みていた鳥は、深甚な恐怖感に囚われた。嬰児の死を願って火見子と性の逸楽に耽ける背徳と絶望の日々…。狂気の淵に瀕した現代人に、再生の希望はあるのか?暗澹たる地獄廻りの果てに自らの運命を引き受けるに至った青年の魂の遍歴を描破して、大江文学の新展開を告知した記念碑的な書下ろし長編。

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    投稿日: 2012.01.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    大江健三郎にしては、一定の結末まで書かれた作品。こんれを読んだあと、生まれてきた娘に『イチゴ状血管腫』が発症し、ますますこの作品に感情移入した。これを読んでいたから、我が子に異常が出ても、狼狽することなくそれに向き合えた。

    0
    投稿日: 2012.01.21
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    頭部に重大な障害を持って生まれてきた我が子の死を願い、病院からの訃報の電話を待ちつつ女友達の家で鬱々と過ごす青年「鳥」の紆余曲折、心の宙づり状態と暴かれていく欺瞞を描いた青春小説。 おそるべき表現力。 個人的で微細なニュアンスの表現を重ねていくことでむしろ普遍性を獲得していくような文体は「小説」という形態の一つの理想形のように思える。 物語云々という以前に、作者独特の視点や、ユーモア、言葉の選び方の技巧が抜きんでており、もはや何を書こうが面白い気配さえある 当時批判があったと言われる物語終盤の展開は自分としてもやや物足りない感覚があったが、それについて言及した巻末のあとがきが良かったので帳消し。

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    投稿日: 2011.12.15
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    やはりこれまでの流れを全く逆転させてしまう最後に疑問を持った。しかし、作者自身の解説を読み一応の納得はできた。退廃的な雰囲気がずっと続くので苦手な人も多いかもしれない。

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    投稿日: 2011.11.23
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    このレビューはネタバレを含みます。

    著者の体験をうまく小説におとしこんでいる。まあそれはこの作品だけじゃないんだけど。こういうのはほんとうに自分のために書いてるっていう感じがしてスッキリしていてよい。誠実さっていうのはそういうところでしか生まれない気もするし。個人的には最後まで赤ちゃんを見捨てて、現実とは全然違う結末にするかと思ってたけど違かった。

    0
    投稿日: 2011.08.27
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    筆者の作品は初ですが、この作品は現代的な作風で、読みやすいです。 主人公の奥さんが子供を産み、それが奇形児だった。その子供を主人公は生かすべきなのか考える。 ラストまで心理描写が非常に巧みで、第三者目線で読む事によってそれにさらに拍車をかけるような作品です。 陰鬱な内容ですが、構成や流れがすごく掴みやすいので30年前の作品とは思えないような内容でした。

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    投稿日: 2011.06.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    大江健三郎の同時代ゲームは途中で断念してしまい、読みやすいと言われているこちらを読みました。 読んでいると、村上春樹的な(村上春樹が大江健三郎的?)雰囲気でした。特に、火見子みたいな女性は村上春樹の作品に割りと出てくるなあと。村上春樹好きなので、とてもおもしろかったです。 時代背景も、核兵器により、社会情勢が緊迫していて、赤ちゃんも核の影響ではないかと少し触れられていました。今の状況と似ていなくもないですよね・・・・ そして、暗いまま終わるのかと思いきや・・・・という終わりも少し意外でした。

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    投稿日: 2011.05.19
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    子どもができて、混乱してAFで大興奮って、最低なだけじゃないか!最低な自分を嘲笑い、吹き飛ばす痛快作。日常にこそ冒険がある。ただ、これをもってノーベル賞に値するとは思わないけれども。「万延元年」などよりもある意味「らしい」作品だと思う。個人的にはひたすら打ちのめされる初期作品群の方が好き。

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    投稿日: 2011.03.22
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    大江氏は不幸をテーマに作品へと取り組んでおられるが、その不幸をテーマにした原点ともいえる作品が個人的な体験である。この作品を読んで感じたのは、これほどまでにマゾヒスティックに書くことができるのかということである。しかし、ただ単にマゾヒスティックに書いてある作品ではない。そこには、ユーモアや鋭い感性、そして読者が引き込まれると同時に感心してしまうような表現力が十分に詰まった作品である。間違いなく大江氏の作品のなかでもトップクラスの力作といえる。また、この作品の表現力が非常に気に入ったうえで、英語ではどのように翻訳されているのかを知りたいという方は、A Personal Matter を読んでいただければそれがよくわかる。

    0
    投稿日: 2011.01.16
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    大江健三郎の非常に有名な作品。ノーベル文学賞候補。主人公の鳥の妻が、不幸にも、障害児を出産するところから始まる。サルトルを意識した作品で、ハイ・ティーンとの喧嘩、官僚制に対する反発、モラルの無さ、不徳まで全て揃った作品。私の弟が文学専攻へ入学するきっかけとなった作品。

    0
    投稿日: 2011.01.09
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    それは僕自身のためだ。僕が逃げ回り続ける男であることをやめるためだ。 大江健三郎さんの本を初めて読んだ。独特の作風があるような気がする。なんというか、個人的に村上春樹のもつ雰囲気に似ているような気がした。 主人公「鳥」の心の葛藤が読者に対するメッセージ性も含まれて書かれているような気がしてとても読み応えがあったし、おもしろかった。だれしもがもつ人間の醜い心と、それでも人間の尊厳を尊重し目の前にある事実を受け入れようとする心情の移り変わりに心を打たれる作品だと思う。

    1
    投稿日: 2010.10.09
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    読書感想文の課題図書としてこの本に出会ったのですが、素晴らしかった!! 人間の生き方について深く考えさせられました。 きっとバードの様な人間はこの世界に満ち溢れていて、悶えながら生きているんだと思います。 そんなバードの最後の決断を知るためにもこれは読むべき!(笑)

    0
    投稿日: 2010.08.26
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    初大江健三郎。 パパになるときの男の人ってこんな気持ちなのかと思ったら子供産むの怖くなりました。そして女が男にはまってくるといつも悲しい想いをするのね、といたたまれない気持ちになったり。 確かに個人的なモラトリアム小説だと思いました。

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    投稿日: 2010.05.19
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    うーん、なんか今まで読んだ二冊に比べるとちょっと微妙? どうも文章が英訳文のような感じがする。そんなものか?

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    投稿日: 2010.04.02
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    すごい!すばらしい!すてき!! 私の貧弱な表現力ではいくら賛辞を呈しても言い尽くせません。 結果がどうであれ、虚飾や欺瞞から絶対に目を逸らさないところが素敵です。大江健三郎氏も、光氏から絶対に目を逸らさなかったんですね、パパ、素敵なことだよ! 物議をかもしたらしいアスタリスク以降ですが、私はたいへんよいと思います。あれがあるとすごく分かりやすいし、それ故単純なハッピーエンドとして作品を貶めた、なんて捉えられるかもしれませんけど、でも、バードはまだ27歳と4ヶ月ですよ??私と全く同じだ。 希望があってもいいじゃないですか、ハッピーエンドっぽくてもいいじゃないですか。 待ち受ける苦難を乗り越えようとする、バード夫妻の前向きな意志が眩しかったです。 10.01.11

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    投稿日: 2010.01.12
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    障害を持った子供が生まれて、バードは逃げまくる。昔の若者はウィスキーを飲むのか、と思った。登場人物の過去が語られるところが面白い。

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    投稿日: 2009.10.12
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    火見子の語る「多元的な宇宙」の話はなかなかいいです。 Aになるわたし Bになるわたし Cになるわたし AにもBにもCにもならないわたし どれがいいとも悪いともいえないし、最悪かもしれないし最高かもしれない。 つまりなんの慰めにもならない。 でもなんかホッとします。

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    投稿日: 2009.03.24
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    自分を曲げなければならないとき、どうそれを受け入れるか、あるいはそれは本当に曲げなければならないのか。大江作品の最高傑作だと思う。才能と体験との混淆。すばらしいよ。

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    投稿日: 2009.03.09
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    現実?なにそれ美味しいの? 知らないよ俺の所為じゃないよ逃げ出してしまえー的な本。 奥さんも捨てて、友人の女の人とぐちゃぐちゃする話。 色々あって最後は前向きになるんだけど。 なんか最後の方で鳥に共感したフレーズがあったんだけど忘れちゃった。 もう一回読みたい。 大江健三郎の話って、最初はもうどうしようもないくらい暗くて 主人公もうじうじうだうだしてるけど 最後は何だかんだで光が射してるパターンが多いと思う。 めちゃくちゃ前向きになるわけじゃないけど、頑張ってみようかな、程度。 物語のオチに救いを持たせるのって難しいことだと思うの。 暗いだけで救いのない話なら案外簡単に書けるけど、 そこに光を、しかもクドくならない程度に与えるって大変だと思う。 そこはやっぱり大江健三郎の人間性かなーとか思う。 ノーベル賞は伊達じゃない。 この人はきっと天才なんだろうと思う。

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    投稿日: 2009.01.21
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    多感な思春期の頃に読んだ本にもかかわらず、印象が薄い。それでも覚えているのは、火見子という妙な名前と性描写に対する違和。

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    投稿日: 2009.01.17
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    最初はすごい即物的な捉え方をしてて、 今の時代だとちょっと口に出せないかな?っていう感じだったけど、別な切り口から、結局主人公は新しい道を見つけていくんですね。 その葛藤とか、ラストへの繋ぎ方とか、本当にさすがという感じです

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    投稿日: 2008.12.28
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    真っ暗で湿った地下室のにおい こわくて苦しくて息もできないんだけど 遠くになんとなく光が見える

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    投稿日: 2008.09.15
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    表現がね、やはり純文学だけあって、巧みですね。 それ故会話文が不自然になることも、やはり有るのですが、文学ってこれかと思わされました。 ところがやはり疑問もいくつか。 不自然な、意図が読めない動物の動作への描写や、寝籠という名詞の多様が気になる点もしばしば。 どうしてなのかと考えてしまうなぁ。 ストーリーにはなんだか疑問は残ります。 大長編にしてもよかったんじゃないですか。500ページくらいの。 その方がさ、色々描写できたでしょうに。 火見子は勿論好きです。

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    投稿日: 2008.08.18
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    内容(「BOOK」データベースより) ノーベル文学賞受賞。異常をもって生まれたわが子を抱える青年の魂の遍歴、絶望と背徳の日々―。新潮社文学賞受賞の名作。

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    投稿日: 2008.05.23
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    授業の教科書なんで読んでみた、第2弾。つらい現実から逃げる。逃げる。逃げる。雰囲気が気に入ったから大江健三郎の他の本も読んでみようかな。

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    投稿日: 2007.11.25
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    大江健三郎は大学の授業でこの本を取り上げていたことから読み始めました。 この人はヘミングウェイなどの影響を受けているせいか、自然の描写が美しいと思います。 加えて、自分の人生の内容をオマージュする(私小説とは少し違うと思いますが)ことが多いので、内容が少しわかりにくくても変に臨場感があるのが面白いと思います。 自分にもし子供ができた時、自分は逃げずにその子を自分から守れるだろうか? 考えられました。

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    投稿日: 2007.11.23
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    やはり実体験に基づいた感情のほとばしりは力強い。主人公の悩み苦しみ、逃げてしまおうか…という素直な感情。非常に率直に表されている。

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    投稿日: 2007.09.18
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    回りくどい表現が多く自分には難しかった。時々はわかりますが連続的に理解はできませんでした。なんど寝たことか… とにかく主人公の絶望がながながとつづられていて鬱になるかもしれません。 しかし最後には批判もあったようですが個人的には納得いく締めくくりでした。

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    投稿日: 2007.05.05
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    それが意図的かどうかはともかく、この小説が(或いは他のいくつかの作品が)著者の実生活に端を発しており、そのファクターのうち幾つかが実在の人物、事物であり、そして何より読者が容易にそれを知れる(マスコミの報道、出版物などによる)明示された事実である事は、1からフィクションを練り上げて執筆された小説に比べてこの実生活に根を持つ「自伝的小説」の方がよりフィクションであり、それを作品として完成させ発表する著者の志、創作に対する真摯さ、ちょっとでも気を抜けばただの安っぽい作家の告白とでも言えるようなスキャンダル性を売り物にした駄文になってしまうという緊張感を持った、非常に危険で研ぎ澄まされた側面を持つ作品である。と読者に思わせる事に成功している。簡潔に言えばこの小説は、大江健三郎という作家の「ただものじゃなさ」を思わせるのにうってつけの作品であると言える。かつての自分および自分に起こった事件、それに対する周囲の人間の行動や言動を全て客観化する事はやはりどっちかと言えば難しい事で、自分自身という対象は一番書きやすく見えて実は一番書きづらいものである。小説の題材に自分を選ぶのは、端的に言えば間違った選択といわざるを得まい。そこをあえてテーマに選び、ともすれば自分自身がかつて自分の子供を、その異形がゆえに殺してしまおうとした人間であると読者に誤解(あるいは?しかしそこは大した問題ではない)されることを厭わず、そして極端なまでに客観的冷たさ、鋭さを持った筆致で描写する。しかしこの作品がそういったこと―作家としての手腕をアピールする事や、或いはまあ そういう色々の表面的なものを繕う或いは飾るための意味合い―を目的にして書かれたのではなく、つまり純粋な創作物としての目的以外何ら関せずに作られたのだとしたら この著者は恐ろしい作家である。陳腐な言葉だが、書くために生きているのだろう。と思う。しかしまあそういった諸々は置いといて、個人的にはあんま面白くなかったです。何か、見え見えで。

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    投稿日: 2006.12.07
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    エンディングの部分で三島由紀夫が批判したのは余りにも知られて居るので、短く書くけれども、 クライマックスで切るべきだったと批判されて尚、作者がクライマックスその後、を書き続けたのは、 氏が文学において「魂の遍歴」に重点を置いたことに他ならないと感じたので、 私はこの物語設定に満足しています。

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    投稿日: 2006.07.23