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沖縄文化論-忘れられた日本
沖縄文化論-忘れられた日本
岡本太郎/中央公論新社
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総合評価

43件)
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    太郎と旅してる様に感じる生き生きとした文体ですぐに読み終わってしまった。沖縄が太郎に書かせたんだろうな、太郎も書かされちゃったんだろうな、それが生き生きと伝わってくる。 読み始めて、なんか上から目線というか距離感のある客観視に違和感を感じたんだけど、この時は返還前でアメリカなんだ、って気づいてからしっくりきた。なんか距離感とか社会的に弱者が強者かでポジショニング変わっちゃうの悲しいけどしょうがないよなと思ってしまう。太郎はそういうの関係ないっ!ってどんな存在も対等にぶつかってるんだろうけど、、 はじめの方の下手なピアノの女に、すごい演奏見せつけて下手なピアノを止めさせてやろうのくだりとか、弱者強者でみたら弱者にマウントとってるからダサいなーとか思っちゃうけど、おそらく太郎は対等の気持ちなんだろうな そしてそういうとこ「紳士」とか演じたりしないから信用できる 途中で八重山の歌をしっかりたっぷりそのまま載せてくれてるのもとても良いです。 人頭税のこともしらなかった、八重山何回かいったのに、、。 あとがきの返還についてのとこで、今の感覚にあった叩きつける様な太郎節が読めて、これだよと思った。

    6
    投稿日: 2025.10.24
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    生と結びついた歌と踊り。 ミソギとしての入浴、そして日々の再生。 目が開かれる思いでした。 沖縄文化、興味深いです。

    0
    投稿日: 2024.10.31
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    このレビューはネタバレを含みます。

    沖縄事前読書週間3冊目、この後少し間は開くかもしれないですが、次は柳田国男や折口信夫の『沖縄文化論集』を読もうと画策中。その後はネフスキーの『月と不死』かなあワクワク。 本エッセイは1959年の11〜12月の沖縄滞在をベースに書かれ、その後にイザイホーを見に行った1966年、本土復帰の1972年の増補も収録している。全編面白かったし、楽しく読めた。岡本太郎の文章読みやすい。あとがきの…沖縄の魅力にひきこまれ、私はほとんど一年近くもこの仕事にうちこんでしまった。それは私にとって、一つの恋のようなものだった…という熱量がしっかり伝わってくる。 「何もないこと」の眩暈 …この世界では物として残ることが永遠ではない。その日その日、その時その時を、平気で、そのまま生きている。風にたえ、飢にたえ、滅びるときは滅びるままに。生き次生きながらえる、その生命の流れのようなものが永劫なのだ。…美しいものではあっても、美しいと言わない、そう表現してはならないところにこの文化の本質がある。生活そのものとして、その流れる場の瞬間瞬間にしかないもの。そして美的価値だとか、凝視される対象になったとたん、その実態を喪失してしまうような、そこにわたしの突き止めたい生命の感動を見とるのだ。さらに強調していう。問題は石垣や裸足やクバ笠ではない。その美しさなんて、本質的にいってそんなもの、あろうがなかろうが、どうでもいいことなのだ。ただそれが媒体となり、それを通して直感し、感じとる、永劫ーなまなましい時間と空間。悠久に流れる生命の持続。(p.70-1) この目まぐるしさはどうしたものだろう。…しかし勿論日本に限らない。世界じゅうのオーガニゼーション・マンが、自覚するしないにかかわらず落ち込んでいる絶望的なシチュエーションである。生命のリズムと時計の針との違和感。というよりも生命自体が画一化しているということだ。そういう矛盾がどこからくるかという問題は一応別として、ただ空しく一方的時間に飲まれてしまっては、生きている甲斐がない。(p.73) 八重山の悲歌 …歌というと、われわれはあまりにも、作られ、みがきあげられた美声になれてしまっている。美声ではない。叫びであり、祈りであり、うめきである。どうしても言わなければならないから言う。叫ばずにはいられない、出なければ生きていかれないから。それが言葉になり、歌になる。(p.105) 踊る島 …歓喜が全身をつき動かす。人は踊る。よろこびの極みが踊りであり、そのエネルギーの放出はまた強烈な歓喜である。心身が解き放たれ、自分自身を世界に向って惜しみなく投げ出す。それは自己拡大であると同時に、自己喪失といっても良い。際限なしにあふれ出る。その時人は世界を所有し、宇宙と同化する。踊り上がり、全身を空に投げ、くるくる廻る。世界は同心円を描き、すみずみまで輝いてこちらを包む。…そのような死こそ、そのような生こそ…。(p.121) ちゅらかさの伝統 …災いとか伝染病を美称でよぶのは、なるほど、ひどく矛盾のようだが、しかしかつての島の人には切実な意味があったに違いない。複雑な心情である。…恐ろしいからこそ大事にする。人間が自然の気まぐれに対して無力であった時代、災禍をもたらす力は神聖化された。"凶なる神聖"である。それは"幸いなる神聖"と表裏である。(p.185) …危機感、抵抗のピリピリした防禦反応が働いている間は、鹿鳴館精神も賢明な手段であったろう。しかしそれが鈍り、なれてしまうと、やがてだらしのない植民地風景になってくる。近代日本のカリカチュアーの一面である。そしてそれは今日なお続いている。(p.193) 本土復帰にあたって …私は島ナショナリズムを強調するのではない。島は小さくてもここは日本、いや世界の中心だという人間的プライドをもって、豊かに生きぬいてほしいのだ。沖縄の心の永遠のふくらみと共に、あの美しい透明な風土も誇らかにひらかれるだろう。(p.205)

    1
    投稿日: 2024.10.26
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    私が沖縄に関してもってる知識、観光、リゾートに関して80%、太平洋戦争の歴史に関して10%、独特な文化、風俗、農業など10%。 岡本太郎さんに関してもってる知識、太陽の塔を作った芸術家だということと、芸術は爆発だと言う名言のみ。 本土復帰前、観光開発前の沖縄と岡本太郎さん。私、何も知らなかったんだと思い知りました。

    0
    投稿日: 2024.01.27
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    芸術家が考えを言葉にできると、深い洞察と感受性により、ここまで鮮やかにまざまざと、感じたことを表現できるのだと感動しました。言葉もアートです。 「本土復帰にあたって」は涙がでました。

    2
    投稿日: 2023.01.29
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    私が少年の頃は、岡本太郎は奇妙な芸術家だと思っていましたが、この本を読んでたちまちファンになりました。沖縄だけでなく、日本の、ひいては文化芸術全般にたいする目が養われ、いま私自身が芸術にかかわる仕事をしていくうえでの、大事な感覚をもてたと思っています。

    1
    投稿日: 2023.01.26
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    川端康成「この本はいいねえ、沖縄に行きたくなった」 三島由紀夫「内容といい、文章といい、これこそ文学だ」 大阪万博の太陽の塔で有名な岡本太郎が本土復帰前の1959年に沖縄を訪れ、沖縄の持つ魅力と潜在的課題を見事に予見した「沖縄文化論」。 本土に何かを要求する前に、自分たちはこうなりたいという強い思い無くして、沖縄の豊かな未来像は描かれない。(「本土復帰に当たって」1972年) 沖縄戦:大日本帝国軍人の神懸った軍人精神の虚勢に自らを縛り、惨憺たる無意味な破局を眺めながら、虚栄の中に、反省もなく、「帝国軍人らしく」自刃した。旧日本軍の救いがたい愚劣さ、非人間性、その恥と屈辱を、私は嫌悪する。島民も兵隊も、飢えと疲労と恐怖でとことんまで追い詰められなお戦い続けなければならなかった。軍部が日本人に対しておかした傲岸無比、愚劣、卑怯、あくどさに対する憤りでやりきれない。 沖縄文化の本当の美しさは、芸術的遺品の中ではなく、人間、石垣、自然、歌や踊りといった生活そのものの中にある。それらは形として威圧してくるのではなく、こちらから全霊をもって見えない世界に呼びかける、その神聖感は身近で肌にしみとおる。 沖縄は戦争で何もかも失った。滅びなかったのは踊りや歌のような無形の文化財だけなのに、古いものはどんどん失われていく。 17世紀初め、沖縄は薩摩の島津氏に征服され、特徴的な沖縄女性の宗教的指導力(のろ、つかさ)は、武家社会という男性支配と対立し、弾圧された。 現代日本人にもある淡泊、思い切りの良さ、諦めといった気分はあるが沖縄の人にはより顕著に伺える。 久しく厳しい搾取と貧困に耐えながら明朗さを失わず、台風で飛ばされた屋根は、また適当に拾って乗っけておく、次の台風までもてばいい、そのように(なんくるないさ~)、彼らは永遠を生き抜き、生き継いできた。 神の島、久高島には毎月祭事があり、男たちも欠席は許されない。だから当時は一生、島から出たことがない人間も多かった。また、1959年当時には、風葬の習慣もあった。

    1
    投稿日: 2022.07.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    NHK大河ドラマ「西郷どん」で、西郷が奄美で出会った女性・「とぅま」が手の甲に入れ墨をしていて、奄美・琉球のハジチという文化だと知った。 なにか惹かれるものがあり、また沖縄出身の歌手・Coccoのファンだったこともあって、沖縄の本を読みたいなあと思っていたところ、面見せされていたので購入。 一年以上積ん読していたところ、2022年は沖縄本土復帰50周年、読み時になりようやく読んだ。 【目次】 沖縄の肌ざわり、「何もないこと」の眩暈、八重山の悲歌、踊る島、神と木と石、ちゅらかさの伝統、結語、あとがき 神々の島 久高島、本土復帰にあたって 「一つの恋」の証言者として(岡本敏子) とても興味深かったです。 私が読みたかった本でした。 p70「この世界では物として残ることが永遠ではない。その日その日、その時その時を、平気で、そのまま生きている。風にたえ、飢にたえ、滅びるときは滅びるままに。生きつぎ生きながらえる、その生命の流れのようなものが永劫なのだ。」 p173「沖縄の御嶽でつき動かされた感動はまったく異質だ。何度も言うように、なに一つ、もの、形としてこちらを圧してくるものはないのだ。清潔で、無条件である。」 p199「人々は久しく、厳しい搾取と貧困にたえながら、明朗さをもちつづけた。こだわらない。だが投げやりではない。呆れるほど勤勉に、せっせと働く。根こそぎとられたら、また作りはじめる。とばされた屋根は、また適当に拾ってきてのっけておく、といった具合。また次の台風までもてばいいというような、こだわらない建て方である。そのようにして民衆は永遠を生きぬき、生きついできた。」 上記は、滅びることを前提とするような、潔さの話だ。 震災があった後、私は、なぜそのような土地にまた家を建てるのか疑問だった。 でもあるとき、江ノ電からふと海をみて、「この土地がよいのだ、この海の、この景色がよいのだ。だからそこで生き続けたいのだ」と、理屈でなく感覚で、すとんとわかった。 それに最近、テレビ番組「日曜日の初耳学」で、成田悠輔さんが、人間は「滅びゆく動物」だと言っていた。 全然文脈は違うのだけれど、そういう考え方もあるのだなあと思ったところだった。 とてもフラットな意見として心に刻まれた。 p180「お風呂はただよごれを落し、身体をきれいに保つという実用的な意味だけでなく、多分に精神的で、マジナイ的要素がある。自分で気づかないで、毎日ミソギをやっているのだ。『ああ、いい気分だ。生きかえった』なんて、まさに再生の告白だ。」 小さな島では、禊は消毒のようなものだという。 清めの塩の由来を考えたこともなかったので、とても新鮮だった。 時代に取り残されたかのように、非科学的に見えても、実は意味がある。 私も翌日休みの場合、疲れていたりくさくさしていると、入浴せず寝てしまうことがある。 「まず一っ風呂あびて、さっぱりしてくる」ようにしようかな。 そういえば、エヴァのミサトさんも、お風呂は心の洗濯だって言ってたし。 太陽の塔とか「芸術は爆発だ」はぜんぜん知らないけれど、とにかくこの本はすてきです。 久高(くだか)島では、もう風葬は行われていないようです。

    0
    投稿日: 2022.06.11
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    岡本太郎が沖縄(八重山地域に関する話が多い)を訪れたときの旅行記と、日本文化に関する論考。 西洋的な現代美術及びその影響を深く受けた現代日本の美術や芸術は貴族文化がベースとなっているけれど、沖縄の文化(歌や踊り)は生活や労働に根付いたものであり、それが実は日本古来の文化なのではないか、という趣旨の論を展開している。 この考え方を敷衍して、沖縄が本土復帰するのではなく、本土が沖縄に復帰するべきなのだ、と主張している。 以前読んだ大江健三郎の『沖縄ノート』もこのような主張をしていた気がするので、この時期にこのような主張が流行っていたのかなとも思う。 岡本太郎の文章表現が非常に芸術的で、意図を読み取るのが難しい箇所も多くあったが、まだリゾート化する前の石垣島の様子も知れて、面白い本だった。

    0
    投稿日: 2021.08.06
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    「沖縄にこそ日本文化の純粋で強烈な原点がある」と、岡本太郎が確信に至るまでの沖縄との出会いと発見。日本の文化について考えるとき、避けては通れない一冊だと思います。

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    投稿日: 2021.01.28
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    2020.1.9 2 沖縄に行きたい。久高島に行きたい。 何度か行ったけど、もっと行きたい。原始的なもの、根源的なもの。岡本太郎の感性に感銘を受けた。 沖縄らしさ、無邪気さ、屈託のなさ。行きあったものは皆兄弟。素直さ、生きる楽しさ。 数々の写真が凄かった。

    0
    投稿日: 2020.01.09
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    沖縄の肌ざわり 「何もないこと」の眩暈 八重山の悲歌 踊る島 神と木と石 ちゅらかさの伝統 結語 神々の島久高島 本土復帰にあたって 著者:岡本太郎(1911-1996、川崎市高津区、芸術家) 解説:岡本敏子(1926-2005、千葉県)

    0
    投稿日: 2019.05.01
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    はじめて沖縄を訪れた著者が、歌や舞踊、宗教のなかに息づいている生命をとらえたエッセイです。 沖縄のプリミティヴな文化に、文明化された本土においてうしなわれてしまった意義を求めるのは、一見したところ、朝鮮の白磁に「悲哀の美」を読み取ろうとした柳宗悦と同様のオリエンタリズムのように思えるかもしれません。しかしそうした評価はあたらないというべきでしょう。むしろ著者は、沖縄で「何もないこと」に直面したのであり、オリエンタリズムの物欲しげな視線が求める「意味」が尽きてしまったところで、はじめて沖縄と出会ったことを語っています。 八重山を訪れた著者が、人頭税によって苦しめられた人びとの歴史に思いを寄せながらも、「まともに生きている人間は誰だって、何らかの形で人頭税をしょっている。人間の生きるってのはそういうことだ」ということばをぶつけ、「島の人たちはやや呆気にとられているようだったが、やがて真顔になってうなずいた」と書かれているところに、著者がどのようなしかたで沖縄に触れたのかが、端的に示されているように思います。

    2
    投稿日: 2019.02.19
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    公開中の映画「岡本太郎の沖縄」(傑作)の元ネタということで手に取ってみた。 御嶽(ウタキ)とよばれる森の中の聖域。海辺には風葬の痕跡。 「久高島にはこのおびただしい死と、ささやかな生の営みが、透明な比重の層となって無言のうちにしりぞけあっている。生はひっそりと死にかこまれ、死が生きているのか、生が死んでいるのか。・・・しかしあたりは限りなく明るい光の世界。清潔だ。天地根元時代のみずみずしい清らかさ、けがれのなさはこのようではなかったか」(P114)。 私自身、竹富島で早朝のウタキに行ったことがあるが、ホウホウというなぞの鳴き声、さらさらとそよぐ葉、うっそうとした茂みから漏れる光、あれは確かに神聖な気配に充ちた場所だった。 沖縄は日本の原点。谷川健一らほかの多くの学者も主張していることだが、人類学の素養と審美眼の二つを併せ持つ著者による類まれなる一冊と思う。

    1
    投稿日: 2019.01.27
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    沖縄で見たものを、どのように解釈してよいかわからず、この本を手に取りました。 岡本太郎は、奇抜な芸術家のイメージですが、 ソルボンヌで文化人類学を学んだため、文化論に関する著書が数多くあります。 この沖縄文化論は、1959年、1966年、沖縄を訪れたときのことについて、書かれています。 彼の見た沖縄は、今の沖縄とは、まったく異なる景色だと思いますが、沖縄の、そして人生のひとつの見方、考え方を教えてくれる一冊でした。

    0
    投稿日: 2016.11.11
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    ・沖縄の古典舞踊は、べた褒め。日本舞踊や歌舞伎をお座敷芸の影響を濃く受けてゆがんで発達したと批判的。 ・入浴文化論。日本人が大の入浴好きなのは、身体をきれいに保つという実用的な意味だけではなく、多分に精神的でマジナイ的。毎日ミソギをやっているのだ。というのは面白い。 ・久高島の風葬。 沖縄には日本の原始宗教、古神道に近い信仰が未だに生きている。のろは、その神秘的な女性の司祭、つまりシャーマンである。古い時代、沖縄では神と交わるのは女だけの資格であり、直接神事に関する一切は男はタブーだった。 すぶのシロウトにも子供にだってグンと訴えかけてくるようなものでなくちゃ仕様がない。(136頁) 身を守る最低の手段として、美しさ、みえなど考えてもいないのに、結果は偶然に美しいのだ。(65頁) 文化とは何だろう。土地の風土によって、、根をはったものが本当だと考える。その土地を耕すことによって生成するもの。その土壌とは、民衆の生活以外にはない。、、やがて貴族や特権層によって、形式の洗練をほどこされ、余剰の富と力の象徴、虚飾的な美となる。いわゆる高度な文化を誇ることになるわけである。(203頁) ・ひめゆりの塔〜異様な記念塔が構えている。デカデカと相当の金をかけたものばかりだ。ああ、ここに代表された無神経日本。聞けば地方選を控えて、昨年後半あたりにぞくぞくと建ちだしたのだという。(225)

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    投稿日: 2016.03.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    [ 内容 ] 苛酷な歴史の波に翻弄されながらも、現代のわれわれが見失った古代日本の息吹きを今日まで脈々と伝える沖縄の民俗。 その根源に秘められた悲しく美しい島民の魂を、画家の眼と詩人の直感で見事に把えた、毎日出版文化賞受賞の名著。 [ 目次 ] 沖縄の肌ざわり 「何もないこと」の眩暈 八重山の悲歌 踊る島 神と木と石 ちゅらかさの伝統 結語 神々の島久高島 本土復帰にあたって [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]

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    投稿日: 2014.11.01
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    芸術家岡本太郎が、何をどう見るか?ということは、興味ふかい。 岡本太郎の三原則がある。①芸術は、きれいであってはいけない。②うまくあってはいけない。③心地よくあってはいけない。 岡本太郎は、芸術において、美しいということを拒絶する。心を動かすような激しい芸術を求めている。芸術は、あくまでも人の魂を激しく揺さぶるものである。どれだけ強烈に、毒のような刺激を与えるのか? 岡本太郎は、パリのソルボンヌ大学で、フランス民族学の父とも称されるマルセル・モースのところで民族学を修めている。それは、アフリカの民族の原始美術が、衝撃を与えたからだ。岡本太郎の三原則に当てはまっていた。アフリカでなぜ?が岡本太郎の疑問だった。「抽象と具象がぶつかり合い、引き裂かれたところに人間の本当の存在がある」と思った岡本太郎の想いがアフリカの原始美術の中にあったのだ。 そして、東京国立博物館で縄文土器を見たときに、またしても衝撃を受けるのだった。縄文火炎型土器の造形美、四次元的な空間性にある世界観が原始美術の中にあったことだった。それは、火炎型でありながら、深海をイメージさせるものと岡本太郎は思った。縄文文化のすごさを認めたのは、岡本太郎であり、自らのアートに縄文文化を取り入れて、蘇生させた。 「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである」 その岡本太郎が、日本復帰前の沖縄に行って、またしても衝撃を受けるのだった。 その衝撃を表現したのが、本書『沖縄文化論』である。 「私を最も感動させたものは、意外にも、まったく何の実体も持っていない―といって差支えない、御嶽だった。御嶽―つまり神の降る聖所である。この神聖な地域は、礼拝所も建っていなければ、神体も偶像も何もない。森の中のちょっとした、何でもない空地。そこに、うっかりすると見過してしまう粗末な小さい四角の切石が置いてあるだけ。その何にもないということの素晴らしさに私は驚嘆した」と岡本太郎は書く。 『何もない』という空間が、御嶽だった。表現者である岡本太郎の存在さえも脅かす。沖縄の文化はそこから始まっているのだ。ゼロを発見したインドの人のように、祈りの表現としての『空』を岡本太郎は発見したのだ。 「沖縄の御嶽でつき動かされた感動はまったく異質だ。何度も言うように、なに1つ、もの、形としてこちらを圧してくるものはないのだ。清潔で、無条件である。だから逆にこちらから全霊をもって見えない世界によびかける。神聖感はひどく身近に、強烈だ。生きている実感、と同時にメタフィジックな感動である。静かな恍惚感として、それは肌にしみとおる」 沖縄文化論を通じて、岡本太郎は言う、日本は沖縄に返還されるべきだと。 沖縄の生活の中に美を見出し、踊り、紅型の色彩などに惹かれる岡本太郎。芸術を受け入れることは、根元に立ち向かうしかないのかもしれない。

    0
    投稿日: 2013.09.28
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    多磨霊園に眠る岡本太郎が沖縄を訪ねて、感じたことを思うままに書いた一冊。沖縄に毎年行っていた頃に感じていた沖縄の良さを、こうやって別の人の、特に感覚的に鋭い感性の持ち主の言葉で描かれた沖縄の姿を見せられると、「あぁそういう背景も確かにあるかも」とか思う部分もあったり、次に沖縄に行く楽しみがまた少し増えた一冊になりました。泡盛を本土で飲んでるだけじゃなくて、やっぱたまには訪れたいな~。

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    投稿日: 2013.04.21
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    久高島の聖地はぽっかりとして何もないところだった。それがまた、太郎さんの心をひきつけたのですね。芸術家としてだけではない、文化人類学の実践者としての岡本太郎の横顔が浮かび上がる。

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    投稿日: 2013.03.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    岡本太郎の返還前の沖縄への訪問。八重山、久高島の御嶽・巫女(ノロ)、風葬等の等の民俗等々を紹介。他の岡本太郎の著作に比べると、今一つ切れはないかなあ。

    0
    投稿日: 2013.01.27
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    岡本太郎っぽい、ロマンチックで感覚的な文章。 当時の沖縄がどんなのか想像するしかないけど、きっと私も同じように感じたのではないかと思う。

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    投稿日: 2012.10.28
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    沖縄の文化は何もないことから派生した、という考察が鋭くておもしろかった。 岡本太郎と同じく、島に恋する者として共感、感嘆する。 他の著書より、言葉のセレクトがウィットに溢れていてグングン引き込まれた。 岡本太郎が撮った、久高島の風葬の写真で、その習慣が断絶されてしまった事実が、わたしには衝撃だった。 文化学に長けている、岡本太郎クラスの人でもこういうことを招いてしまうことも衝撃だった。 その賛否についてはここでは述べないが、当時の世論のバッシングを岡本太郎は意に介さなかったというのが、岡本太郎っぽい。

    0
    投稿日: 2012.10.13
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    沖縄文化に興味があって購入。岡本太郎の本だったのはたまたまだったが、意外というか普通に面白かった。ソルボンヌで民俗学が専攻だったとは。沖縄の八重山では庶民は昔文字が禁止されていたそうだ。沖縄は元々文学に対する拘りは弱いのだろうか、少なくとも知る限り歌はシンプルだし観念的ではなく、自然な印象を受けていた。口承だからシンプルになるんだろうか。岡本太郎が言うように沖縄を通して日本を再発見するというのは、小泉文夫の発言にも通じていてなんとなく頷けるものがあった。

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    投稿日: 2012.03.17
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    1959年の沖縄。まだ米国軍政下の沖縄。ようやく高度成長の軌道に乗ろうとする日本が失うであろうものを1959年の沖縄に見出す岡本さんはやはり天才。

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    投稿日: 2011.09.21
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    現代アートは好きですし、岡本さんの著作は「今日の芸術」も読んでいたんですが、この本がこれほど魅力的だったとは思いもよりませんでした。 眼を剥いてオカシナ事を口走るオジサン、としか思っていない方は、一読、この文章の水準に驚くのではないでしょうか。 感心したのは、この本、沖縄文化の魅惑を語りながら、単なる沖縄論に留まることなく、普遍的な文明論として素晴らしく、芸術一般を語る論考としても優れていることです。 さらに沖縄の風を語る時は、一流の抒情的エッセイとしても読める。 時に確かに納得出来ない論証、賛成しかねる描写もありますが、その考察の鋭さは、文化、文明の深い本質を覗かせ、わずかなそよぎとしか感じられない些細な現象から、魅惑をすくい上げて表現して見せる手並みは抜群です。 芸術家としての感性と、表現者としての力量の両立を感じました。 結局、沖縄という場所が、岡本太郎によほどの驚きと感動を与え、啓発したのでしょう。 沖縄に惹かれている方はモチロン、優れた文明論、芸術論を読みたい方にはオススメの1冊です。 ps 沖縄は「踊る島」だそうで、1章が割かれてますが、以下@ブログ用に改変省略有 「・・そして世界の踊りの喜びがみなここに入り来ているんじゃないか、と極端なことを考える。・・・のびのびと自由にやっているが、洗練されている。民衆自体によほど踊りに対する鋭い姿勢がなければ、とうていこの純粋さと新鮮さを長く保つことは出来ないだろう。凄みである」 個人的には、このエッセンスが安室奈美恵に抽出されている、と考えます。 やっぱり出自からバックグランドがあったのだ。

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    投稿日: 2011.09.21
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    返還前の沖縄を訪ねた岡本太郎による見聞録。沖縄の特に離島の数々に今も残る信仰や芸能にこそ、日本文化の原型が残ると説く。いわく、沖縄が日本に還るのではなく、日本が沖縄に還るべきという指摘が、本土の人間の心にグッと突き刺さる。

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    投稿日: 2011.08.06
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    岡本太郎といえば、エキセントリックな言動の芸術家肌の人かと思っていたので、文章を読んで、こんな理知的に物事を論じることが出来る人なんだということを知って驚いた。 沖縄について、一般的な価値や見方を持って訪問した岡本太郎が、「期待していたものはここでは得られなかった」と、最初に述べている率直な感想がスゴい。 これは、よほど自分の審美眼に自信を持って、自分の価値観がはっきりと確立されている人物でなくては言えない言葉だし、そういう彼の視点から見た文化論であるからこそ、語られる意味があると思った。 沖縄本島よりも、そこから離れた離島のほうに岡本太郎は魅力を感じて、離島の記述に重点が置かれているところが面白い。離島になると、鳥葬があったり、人頭税があったり、独自の祭事があったりで、もう、まったく未知の文化で、日本とは完全に別物の文化を持っているように感じる。 もう既に、この本が書かれた時からは50年以上が経過してしまっているし、当時は本土復帰以前だったので、現代の沖縄とはだいぶ違っているのだろうけれど、独特な文化を色濃く残す土地が日本にあるということは、新しい発見だった。 私を最も感動させたものは、意外にも、まったく何の実体も持っていない、といって差支えない、御嶽だった。 つまり神の降る聖所である。この神聖な地域は、礼拝所も建っていなければ、神体も偶像も何もない。森の中のちょっとした、何でもない空地。そこに、うっかりすると見過ごしてしまう粗末な小さい四角の切石が置いてあるだけ。その何にもないということの素晴らしさに私は驚嘆した。(p.40) 昼は夢中で働いているからいいが、夜は淋しい。電気もない。村にトランジスターラジオが二つだけあるそうだ。夜になると村じゅうがそのまわりに集って聞く。だが天気の悪い日はそれも大変だ。若い人たちでも暗くなると早く寝てしまうよりほかはない。青春のエネルギーの苦痛な抑圧だ。(p.57) 人間の声はすばらしい。歌というと、われわれはあまりにも、作られ、みがきあげられた美声になれてしまっている。美声ではない。叫びであり、祈りであり、うめきである。どうしても言わなければならないから言う。叫ばずにはいられない、でなければ生きていかれないから。それが言葉になり、歌になる。ちょうど生きるために動かさなければならない身体の運動と同じように、ぎりぎりの声なのだ。(p.105) この貧困と強制労働の天地に、文化とか芸術が余剰なもの、作品として結晶し、物化するということはできるはずがない。そんな時間、エネルギー、富の余裕はなかった。日夜、ドロのようになって畠を耕し、布を織り続けながら、同時に描き、彫りつけるなんてことは不可能だ。マチエールの抵抗をのりこえて表現する美術とか、「文化生活」なんて思いもよらない。ゆとりはみじんもなかった。それはかつての生活を、いささかホウフツさせる今日の開拓集落の暮らしを直視してもうなずけることである。 だが歌、踊りは別だ。それは今も言ったように生活そのものであり、それなしには生産し、生きることができなかったのだ。ここでは、そのように物ではなく、無形な形でしか表現されなかった。(p.112) それにしても、今日の神社などと称するものはどうだろう。そのほとんどが、やりきれないほど不潔で、愚劣だ。いかつい鳥居、イラカがそびえ、コケオドカシ。安手に身構えた姿はどんなに神聖感から遠いか。とかく人々は、そんなもんなんだと思い込んで見過ごしている。そのものものしさが、どんなに自分の本来の生き方の「きめ」になじまないか、気づかないでいる。(p.169)

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    投稿日: 2011.05.10
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    彼は沖縄に原日本を見たんだと思う 世界で活躍した日本人だからこそ日本というものに対する感性が鋭く、的確に見ぬいたのだろう 沖縄論というより原日本論としての価値を感じる

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    投稿日: 2011.04.25
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    久しぶりに読んでいて、ドキドキした文学だった。 内容も去ることながら、言葉の選び方や文字での表現方法に、鳥肌がたった。 まさに、文字の芸術品。 太郎さんの言葉を借りるならば、『残酷な程に美しすぎる』エッセイだ。

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    投稿日: 2010.11.23
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    岡本太郎が米軍統治下の沖縄を訪れて書いた、名高いエッセイ集。そもそも沖縄にひかれたきっかけが料亭で見た琉球古典舞踊だったというだけあって(124頁)、とくに「踊る島」と題された章はダンス論としても秀逸。日本舞踊ともバレエとも異なる琉球舞踊の特徴を言葉で書き起こした部分は描写の見事さにゾクゾクしてしまう。 「情感がもり上り、せまる。そのみちひきのリズムの浮動の中に、私はとけ込んでしまう。目で見ている、観賞している、なんて意識はもうない。一体なのだ。しかし、にもかかわらず、踊り手はまるでこちらを意識していないかのようである。見る者ばかりではない。世界に、身体が踊ってるということの外には何もないという感じなのだ」(127頁) シャーマニズムに関する記述もある。久高島の御嶽(うたき)を訪れて、神聖な儀式の場所が実際は森の中のただの空地でしかないことに衝撃を受けるくだりなど異様なまでの迫力。 「神はこのようになんにもない場所におりて来て、透明な空気の中で人間と向い合うのだ。〔…〕神はシャーマンの超自然的な吸引力によって顕現する。そして一たん儀式がはじまるとこの環境は、なんにもない故にこそ、逆に、最も厳粛に神聖にひきしまる」(168-9頁)。

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    投稿日: 2010.10.30
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    沖縄×岡本太郎・・・面白くないはずはない! その導入から筆者の美意識に粛然とした。 著者は文字をもてなかった歴史の上に成り立つ歌・踊りといった無形のものや御嶽と呼ばれる神の聖所に心を奪われる。 そして沖縄の人の自然と生活感情を同質させ、こだわらないが投げやりでない生き方に素っ裸の原始日本を見る。 1959年というアメリカ統治下のレポートのため、現在の様相とは大分異なるはずだ。 しかし、著者が直観した深遠な魅力は、50年を経ても憧憬の的として私を惹きつける。

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    投稿日: 2010.09.30
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    身体、というもの、根源にある力みたいなものをかんじられる場所なのかも。 女性が宗教的なパワーを持った存在として優位に立つのも興味深い。

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    投稿日: 2010.08.09
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    芸術を創りだすとか、文化が何ぞやとか...、それを語るとか... そんな事を全く無視して存在するもの...って事なのか??? あの岡本太郎が『ビビーーット』来てしまった素の沖縄 観光の沖縄ではなくて、裏っかわの沖縄を覗きに.... 行けるものなら..行きたいと思ってしまう。

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    投稿日: 2010.08.05
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     沖縄、それは岡本太郎にとって日本が残ると感じた場所だった。何もない、そう何もないのだ。彼にとって、沖縄を感じさせるものは、首里城やら焼き物ではなかった。石垣であり、舟であった。何か想いなりを込めて作った芸術ではなく、長い時間をかけて、生活が、自然が、意味を削っていった、純粋なる記号が彼を捉えたのだ。単純であること、自然であること。それが彼らから感じた事だとまとめられるかもしれない。  ロラン・バルトの「表徴の帝国」に通じるものを感じた。再読する必要性が絶対にある本だ。

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    投稿日: 2010.05.15
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    沖縄が本土に復帰するのではなく、本土が沖縄に復帰するのだとのたまう岡本太郎はやっぱりかっこいい。たった数日沖縄を訪れるだけで、本質を見抜く岡本太郎って、やっぱり凄い人だったのだ。

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    投稿日: 2010.01.20
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     岡本太郎が沖縄に取材し著した文化論。タイトル副題が如実に示すとおり、沖縄に残る土着の信仰、素朴なシャーマニズムのつぶさな観察から、我々本土の文化や意識にもかすかに残っている昔ながらの自然の見方・考え方・信仰を再発見していく。  こうした原初信仰のようなものが、本土では、あとから入ってきた宗教や氏族権力にまみれて大げさかつ俗っぽくなっていった。著者はこの過程を、沖縄で発見したひじょうに素朴な自然信仰との対比から想像してみせ、ピュアな力強さ、信仰、表現、美とはどんなものかということを、ほんとうに一生懸命に考えている。つまり、この本で語っていることは、岡本太郎さんの美術のテーマそのものでもあるようなのだ。  ところどころ難解でピンとこないところもあったが、ひじょうに面白い。

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    投稿日: 2009.10.21
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    太郎さんが沖縄に行って書いた本。 日本古来の信仰が残っているところなんですね。沖縄は。 神道の元々の姿。自然信仰。 沖縄に行ってみたいなあ。

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    投稿日: 2009.01.14
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    岡本太郎ってやっぱり頭良くて素直な人だったんだろうなという気がした。 読みやすくて面白い。沖縄に興味があるなら是非おすすめの一冊。 イザイホー見に行っててうらやましい。

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    投稿日: 2008.05.12
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    本土復帰前の沖縄を旅した岡本太郎の見たものは何か。ユタ・御嶽(ウタキ)・闘牛・泡盛・市場・・・。「沖縄の人に強烈に言いたい。沖縄が本土に復帰するなんて、考えるな。本土が沖縄に復帰するのだ、と思うべきである。」太郎のメッセージは熱い。

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    投稿日: 2008.05.10
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    凡庸な芸術論なんか足元にも及ばない一冊。 エコノミーに回収されない、一瞬の美しさを捉えた素晴らしい作品。 心が震える。

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    投稿日: 2008.02.29
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    2007/06/01購入。岡本太郎が語る沖縄論。地知って言葉を知って気になる故郷のこと。琉球舞踊が無性に見たくなった。ユタにも興味を持った。

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    投稿日: 2007.08.15
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    岡本太郎氏がメディアに作られたイメージよりはるかに常識人だったことに驚かされる。沖縄や八重山の音楽や舞踊について触れている項目もあるが、彼の視点は主観的ではありながらも、共感や同情に終わることなく、終始平等で、厳しく、そして優しい。

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    投稿日: 2007.01.03