
國語元年
井上ひさし/新潮社
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総合評価
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powered by ブクログ(01) 近代口語日本語の問題を戯曲3編により浮き彫りにしている.「国語事件殺人事典」とする冒頭の戯曲のタイトルからして配列に狂いが表現されているが,一見,気付かれなかった.登場人物たちのしゃべり言葉にも,狂い(*02),どもり,方言も含めた偏り,こだわりなど,イレギュラーな表現のオンパレードが,これらの戯曲を読みにくくしている. しかし,少し慣れてしまうとセリフは読者に呑み込めてくるし,登場人物たちがいきいきと活劇を演じている様子が見えてきて,戯曲を通じて,おかしな言葉でしゃべりかけてくれているような気すらしてくる.また,本書は書かれたものにすぎないが,劇場で俳優たちがこれを台本に演じたとき,そこに飛び交う言葉は,観客に完璧には分からないまでも,何事かを伝えてくれる情景を思い描くこともできる. しゃべられる言葉,しゃべり言葉,口語の豊かさや口語理解の許容力を本書は,書かれた言葉で言葉足らずに表白している.本としては不思議な本である. (02) 狂気にとらわれた人物も登場するが,その狂気にいたるプロセスがセリフにより独白されるとともに,ほかの人物も狂気と正気の合間に登場しているようにも見えてくる.例えば,「國語元年」の太吉は無言であるがコミュニケーションをともなう音をもっており,彼に奏でられる音楽も正常と異常のマージナルにある. 「花子さん」は政治性をもったメッセージともとれるが,「國語元年」の登場しない田中のように,その政治には斉一性,平準性への力と抗いがみてとれる.それは,ことばたちが,人と人の間で伝えられようという意志に乗って漂いつつも,いつもどこかあさっての方向へ,未来や過去へ,より遠いどこかへ,向かおうとすることばの自然も感じさせる.
0投稿日: 2019.04.10
