Reader Store
荒天の武学
荒天の武学
内田樹、光岡英稔/集英社
作品詳細ページへ戻る

総合評価

28件)
4.0
7
10
7
0
0
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    (2014/7/14) 凄い本に出会ってしまった。 麻木久仁子の週刊ほんなびのpodcastで精神科医 名越康文さんが紹介してくれたのを聴いて、 名越さんが進める内田さんの本なら間違いないだろうと思って手に取った本。 タイトルだけでは何の本だか分らなかったのだけど、、、、 光岡さんというのはハワイで育って日本に来た武術家。内田さんは思想家、武術家。 ものの考え方と言うか哲学と言うか、それらを武道を軸に対談している。 生きるか死ぬかの時に型がどうのこうのじゃないだろう!というのがベースにあるように思った。 保護されてる、守られてる前提で武術やってて意味あるのかと。 処世術が先にあって、そのあとに技がある。形、型なんて口で説明できるもんじゃない、相手との関係で常に変わるものだと。 なんだかすごい。 固定観念をぶっ壊す勢い。 今は温室栽培で、生きるという基本から離れてるんだろうな。 生を実感しないから、逆に死にこだわる。死なせることは悪いことと思う。薬漬けでも生かす。 なんて偉そうに、自分が何がわかっているわけではないのだが、 マラソンを走る中で、山を歩く中で、なんとなく、頭でっかちの意味のなさはおぼろげながらわかる気がしている。 高尚な話だが、ピンとくる。いい本。

    0
    投稿日: 2024.05.28
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    武道的な力とは、端的に言えば、一個の生き物としてあらゆる状況を生き延びることができる能力。自分自身が愉快に、気分良く生き続けられるために心身の能力を向上させること。 ただ、自分ひとり愉快であればよいというものではなく、社会格差のせいで苦しんでいる人がいれば、自分も楽しくなくなる。だからこそ、武道家としての自分であれば、そういう問題も何とか解決するように努力する。自分自身の心身の能力の開発を阻害するすべてのファクターを「敵」だと考えて、どうやってその敵を無力化していくのか、それを工夫する。 内田老師はそう述べた上で、現在の武道がある種無菌状態の中で競技化されているものは、晴れた日の武道=晴天型の武道であり、本質的に重要であるのは、あらゆる足場も崩れた上で、荒れ狂う初期条件の中でいかにふるまうかという荒天の武道であるとする。 荒天型の武道家は、まず自分が置かれている状況を大づかみな歴史的な文脈でとらえるところから始まる。政治も経済も社会問題も宗教も学術も、自分が投じられている状況の変化に関するさまざまな因子については、できる限り情報を集め、それぞれの知見を深める。 主体的に受け身を取る。武道では、常いかなる状況でも「場を主宰する」人間であらねばならない。それはつまり、先手を取るということである。攻撃されたではなく、攻撃させたという地点から物事を考える。武道では後手に回ったと思った瞬間に、人間は絶対的に遅れてしまう。相手が提示した状況に応じるための最適行動を直ちに選らばなければならないという形になる。相手に出された問題に正解を迫られるという状況は全く武道的ではない。そう考えると、受け身という受動的な行動に見えるものすらも、主体的に実施している状態としなければならない。これは、自分自身仕事をしているときも感じる。状況に先手を取られている時にパフォーマンスは低い。常に、状況よりも先手を取り、場を主宰する。現代的に言えば自分のペースで仕事をできるように、努力する、準備する、行動するということが重要である。 武道のみならず、仏語でも「随処に主となれば、立処皆真なり」という言葉もある。常に、場の主人公であれ、そうすれば、そこが正しい立ち位置となる。仕事では、多くのMTGやPJTが進行する中で、状況に先手を取られ、MTGも無目的になんの発言もせずに終わってしまうことも最悪のケースとしてある。もちろん、船頭多くして船山に上るではあるが、常に自分自身がその場の主人公であるという自覚をもって主体的に立ち向かうことが重要である。

    0
    投稿日: 2023.11.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「荒天の武学 内田樹 光岡英稔著」読了。理解できない内容でなかった。自分の住んでる世界とあまりにも違うので、理解でなく誤解しているのかもしれない。首狩族の話も出てくるが、単なる野蛮人でなく、その人達のそれなりの倫理感で生きていると知った。男の荒々しい世界に見えてワクワクするが、女の人はどのように見るのかと思った。

    0
    投稿日: 2022.01.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    武道家が少なくなっている。武道家以外には無関係なことに思えるが、間違いないなく世の中に影響はある。そのことをもっと考えるべきだと思う。

    0
    投稿日: 2015.12.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    [ 内容 ] 現代思想家・内田樹は合気道七段の武道家でもある。 その内田が注目するのが中国武術韓氏意拳の光岡英稔。 光岡は十一年にわたるハワイでの武術指導歴を持ち、きれい事ではない争闘の世界を歩いてきた。 本書はふたりの対話を通じ、護身、闘争という狭い枠にとどまらない、武術に秘められた荒天の時代を生きぬくための知恵を提示する。 [ 目次 ] 序章 武運ということ(出会いの話;ハワイの道場ではいきなり金的を蹴ってくる ほか) 第1章 荒天を生きるための武術(非日常を経験する文化;他者、道具と感応する古の武術 ほか) 第2章 荒天型武術の学び方(生きている力が萎えるようなものから遠ざかりたい;脳が影響している身体が鈍感 ほか) 第3章 達人はフレームワークを信じない(武術は想定内のフレームをつくると後れをとる;自分のわがままの通用しない状況がスタート ほか) 第4章 荒天を進む覚悟(争いを調停する島の文化;自分がいちばん嫌いなヤツと仲良くなること ほか) [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]

    0
    投稿日: 2014.10.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    5/10うてなの先生が貸してくださった。 内田せんせいが光岡先生の話を聞いて「分かりません」と言うところが2カ所くらいある。 分かりませんと言えるせんせいを見習いたい。 さて、前半はあまり印象に残らなかったのだが、後半、引き込まれる。 日本は「知識基盤社会」を提唱しているが、数値化されパッケージされた知識や情報を社会活動のベースにするのは危険だと。知識や情報が重んじられ過ぎると、潜在的な感覚で「これはまずい」と感じたことがだんだんぼやかされてしまう。と内田せんせい。 この流れで、光岡先生が知識や情報は過去知だから、未来の確定にはつながらない、感覚のみが一寸先を読むものだ、という話をされる。おっしゃりたいことは分かるが、この意見にはちょっと同意できない。 これはまずいんじゃない、と感じたときに、過去知をどう使うか、だと思うのだ。 まあ、この対談の主眼ではない部分。

    1
    投稿日: 2014.05.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    内田先生のお話は、基本的にいつもといっしょです。 そして話の相手によって切り口が変わるので、それが面白くて読んでるわけです。 今回の相手はは、甲野先生をして 「相撲のルールで白鵬が勝てるかどうか―」と言わしめた光岡先生。 あまり詳しく韓氏意拳について知らなかったので、とても面白く読めました。 真理を追究する道は数々あれど、身体的なものを置き去りにして、 脳の新皮質ばかりで考えてると結局遠周りなんだな、と。

    0
    投稿日: 2013.11.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    私の娘が虫を殺したときに「なぜか自分がいけないことをしている」とかんじた。私が教えてないのに彼女はそう感じた。…から続く234pあたりは最高に面白かった。

    0
    投稿日: 2013.10.31
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    侍が現代に生きていたら、剣を振る稽古などせず、最先端の科学研究に従事していたはずだって。ビジネスの、政治の論理は晴天型。フレームワークを信じたらやられる。善悪二元論の危険性。キーワードだけとれば、理解できることが並んでいる、と思うんだけど、なんだこのわからなさは…。簡単にまとめることを是としない本なので、それに引きずられているのか。もやもやしながらも、すがりたくなるような本です。

    0
    投稿日: 2013.06.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    頭より体の方が実は賢い。 感覚、言葉、記憶…これまでの自分を振り返るのによいきっかけを与えてくれた。 武についての論にとどまらず、随所にお二方特有の論調が散りばめられており、それもまた頭・体に染み入る心地がした。 体に聞く機会を増やし、皮膚感覚的なものを鍛えていきたい。

    1
    投稿日: 2013.05.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

     ものすごく奥深い話が続き、中々理解できない。しかし、何度も読むうちに少しずつわかってくるのでは?という期待感が持てる対談集ととった。少し武道はかじったことがあるが、本書にあるような境地はおろか、ろくすっぽな思考もなく、ただ練習?してた気がする(もっとも当時このような書があっても間違っても読みはしなかっただろう)。  今、あらためて武道経験を振り返ってみて、当時の道場の雰囲気を想像しつつ読みすすめた。武道こそ、体験の学と思うので、再開してみようか。  本書はただ、難しい。いろいろ。でも再読するだろう、という書でもある。   2回目:  言語的入力内容はすぐに消える。一方身体的に出力したことは長く残る。という記述がしっくりした。これをベースにしばばらく読んでみて、少し理解が進んだ気がした。観念的な師匠と具体的、方法論的な弟子との対話のように取れる構成も良い。1回目と異なり、急激な感覚的理解が得られた。もういっぺんか。

    1
    投稿日: 2013.05.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    自分が やってきたこと してきたことに執着が ある人は 新しい出会い 武運には恵まれない! 生き延びるための知恵と力を高めること それが武術修行の目的 過ぎたことは もう過ぎたことだから考えても仕方ない。 まだ起きてないことは まだ起きてないんだから考えても仕方ない。 どちらも武道的には禁忌です。 あんなこと、しなければ よかった こんなことが、起きたら どうしよう 取り越し苦労する人は 想定内 の未来に縛りつけられて、いかなる想定外の事態が起きても、不意を突かれてしまって 対応できない。 想定内の対応なら凡人でも できます。 想定外の ことばが ぱっと出てきたときに ふさわしい判断が できるように普段から自分を磨いておく。 そこに おそらく武の存在意義が あるのだと思います。

    1
    投稿日: 2013.04.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    現代に稀有であろう身体を使って思考する武道家御二方の対談本。身体感覚として実感されているからこその表現が随所に有り実感を伴っていないものとしては理解し難い部分も正直あります。でも、そういった感覚を言語化すること自体が本来の武道からすると不要なのだろうことから考えるとそれを言語化しようとする試みは意義深いものと考える。 個人的には合気道を最近始めた事もあり、様々な示唆に富む大変参考になる内容でした。図書館で借りたけど、何度も読み返ししたくなる名著だと思います。

    1
    投稿日: 2013.04.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    今の私にとって、かけがえのない1冊になった。内田樹さんと光岡英稔さんの対談は、ふにおちる宝のような言葉ばかりで、一気に読んだ。透明な感覚で自分の内側をかんさつし、外側を感知していきたいと思う。

    1
    投稿日: 2013.03.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    現代社会は晴天の時期ではない。「荒天」の時代の武学とは・・。 武に対して造詣のない私としては、うなずいてはみるものの、どうもよくわからない。再読しないと。

    1
    投稿日: 2013.02.28
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    内田樹さんの対談相手の光岡英稔氏が凄まじい人だということはよくわかった。単に殴ったり蹴ったりすることが強いというだけでなく、山伏や修行僧のような思想面での強さや、どんな状況であれとりあえず生き残るノールールサバイバル強者という印象。 ただし、私の方にその発信を受けとめるだけの強さがないようだ。スゴイ、もっと知りたいと思うより先に、ひぇっと身をすくめてしまう。 とはいえ、幾つかのメッセージは受け取ることができた。 「晴天モデルではなく荒天モデルで準備し行動しよう。」ふむ。 「メソッドに頼ればある程度のところまではいけるが、それより上や想定外には対応できない。」ふ〜む。

    0
    投稿日: 2013.02.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    内田樹さんと光岡英稔さんの対談。 よくわからない部分が多いけど、おもしろい。そんな本。 特に武道の話をしているときは、本当に異世界の話。 めちゃくちゃ抽象的な話やけど、そんな話で対談ができるほどにお二人の感覚が研ぎ澄まされている。 人間の振舞い方など、身近な話になるととたんにわかりやすくなる。そしてそこが個人的には白眉でした。 想定外に対応できる力、感覚を優先していく。 めちゃくちゃ武道をやりたくなる。

    1
    投稿日: 2013.02.14
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ハワイと武術のイメージがなかったですが、ケンボーなど漢字そのままの音で使われていました。サモアンの喧嘩、相手の本気度と対等のテンションで戦うシーンが印象に残りました。相手の気をそぐ、内包してしまう方法としては、パーティで会ったことあるよね、と刃物を振り回す男に近づく話など。

    1
    投稿日: 2013.02.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    光岡英稔の認識の深さもさることながら、それを少しずれたところから受けて立つ内田樹の立ち位置の見事さ。

    0
    投稿日: 2013.02.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    どういうことを話しているのかほとんどわからないというのが正直な感想です。 けど、内田さん自身もよくわからないと時折言っているので、安心してわからないなりに興味を惹かれたところをつまみながら最後まで読めました。

    1
    投稿日: 2013.01.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    内田氏の著書は浴びるほど読んだが、今回はとりわけ武道にフォーカスした内容で、対談相手は韓氏意拳の光岡氏。光岡氏はストリートファイトで日本の合気道とは性格を異にする面も多いが、根本は相通じているようだ。時間概念の捉え方など、素人には少々ついて行けないような単元もあったが、海外での体験談や過去の武人にまつわるお話、さらには日本が現在直面している危機など幅広い話題を扱っている。終盤のエアガンの子どものエピソードには正直ビックリした。この事態からも、日本の危機的状況が浮き彫りになっている。平和を実現する手段としての、次元の高い「荒天の武道」が今求められているのかもしれない。

    1
    投稿日: 2013.01.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    光岡英稔さんというのはハワイで韓氏意拳を教えていた武術家だそうです。それがどんなものか全く想像もつかないのですが、中国拳法の一派で人間個人のあり方を探求するもののようです。合気道の師範である内田先生とは一部噛み合わない部分もありながら、なかなか奥深い武道論が展開されています。頭でっかちになってしまったもう少し身体の感覚を大切にした方が良い、というのが共通点ですね。知識というのは常に後智恵になってしまうので武道的にはもう遅れている状態なのです。そこに拘泥するよりもまずは自分の身体から来る警告を感じ取って行動する大切さは分かるような気がします。

    1
    投稿日: 2013.01.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読み助2013年1月11日(金)を参照のこと。http://yomisuke.tea-nifty.com/yomisuke/2013/01/post-2c12.html

    0
    投稿日: 2013.01.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    光岡師範の語る内容は、ご自身の身体経験から得られたものであろうから、ところどころよく理解できない部分もあったが、「武」というものをどうとらえるのかということについては、何となくイメージできたような気がした。 何より、その追求の姿勢の凄まじさを感じた。これからの韓氏意拳の稽古がますます楽しみになってきた。

    1
    投稿日: 2013.01.08
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    いかなる状況下でも生きのびるための身体感覚を身につけよう、という本。 ちょっと要求が高すぎると思うが身体のセンスは良くしたいと思った。 (もちろん弱い人もいるのだろうが)ハワイアン強すぎ

    0
    投稿日: 2012.12.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    武術とは何か、武術と社会とのつながり、また今後の武術のあるべき姿について主に対談しています。武術とはいえ、お二方のバックグラウンドが異なるためか、微妙に色が違うのが面白かった。あの内田樹先生が、「わかりません(笑)」となってしまうくらい、お二人は異なるみたいです。私自身は身体をほとんど使わず、脳を使ってばかりだから、実感としてついていけないことが多かった。こんな世界があるんだなー。やっぱり、身体を使わないと決してわからないことってあるんだろうな、と思わされました。

    0
    投稿日: 2012.12.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ちょっとわかんないところ多し。でもその道の一流の応用力というか、他ジャンルに対する解釈理解力はすごい。

    0
    投稿日: 2012.12.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    とても奥が深い対談本。 内田さんの『疲れすぎて眠れぬ夜のために』のなかで既に光岡英稔さんの名前が出ていた。 光岡さんは1972年生まれとお若いのに、この空間からはもはや超越されている。 私は数値や目で見えるものでは説明できないような、 感覚的、時間的な話題に対しては感受性が高いので 光岡さんが仰っているような 「輪廻とは『そうなってるね』と言われたら、『うん、そうだね』と言えるくらいのもの」 というのに腑に落ちて、この本に対して 「うん、そうだね」と言いたい。 印象的な場面をいくつか。 内田さんが「『何となくそう思う』とか・・・どうしてそう判断したのかわからないけれどそう判断したという直感が本来は社会制度の基盤になっていたはず・・・。知識はその土台の上に、『どうしてそう判断したのか』を説明するために展開したもの・・・」とした後で、光岡さんが 「感覚しか一寸先を読むものはないわけです。」と未来の抽象性について語られているところ。 韓氏意挙の稽古について、光岡さん 「自分の在り方をいかに把握するか、・・・現実にそうであるところを『なぜそうなっているのか』と問うてみる。」 「人間は基本的に寂しがり屋で、その寂しさと向きあったときに、他者との関係を求め始め、そこで社会性が出てきます。・・・一方で・・・自分がこの世に生を享け、またこの世から去っていくときは、ひとりだということです。・・・他者との共有は『自分が何者であるか』を知っていくためのもの。・・・唯我独尊であることを学んでいく。そのためのひとり稽古も大事です。対人稽古との双方が必要だと思います。」 「自分をよりよく知っていくことです。」 光岡さんの「おわりに」より 「人間は自分たちでつくった社会という枠組みの中で共同幻想を生きている。だから国土を広げ、利権を得ようとし、・・・それは幻想の中での利権、拡張、発達、進化に過ぎない。・・・私たちが世を去るとき、それらを何ひとつとして持って行けないことが、その幻想性を物語っているだろう。自然から提示される避けて通れない現実はシビアである。」 対談のなかで内田さんが 「うーん、むずかしいなあ。」と仰っているところ。 内田さんの器の大きさを感じ、ますます好印象を受けた。

    0
    投稿日: 2012.12.23