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powered by ブクログフーコーの入門書で新書(5冊あり)というと、岩波新書のものがベストだと思います…が、岩波的な硬い文体が読みづらいと思うのなら、同じくベーシックな構成(著作順解説)で書かれたこちらで代替可能だと思います。 ただし発行年が古いので、情報が少し古いです。また、語り口は柔らかですが、難解度もこちらの方がやや上かも…。
0投稿日: 2025.10.09
powered by ブクログ・道徳性がおのれの欲望の否定として提示されるようなキリスト教の自己の解釈学では、自己を問題とすることはそのまま道徳的な悪へとつながった。すべての人が自己を放棄し、他者のために生きることが求められるのである。これが統治の権力として構築されたものが、司牧者権力である。この権力は、他者の救済を目的としながら、自己の支配を貫徹するという異様な権力、自己の救済のために自己を放棄するという逆説的な権力である。
0投稿日: 2024.11.07
powered by ブクログ時代順に主要著作毎で章立てになっているので、各著作の解説を読み進めることにより、思想的な変遷が一応追えるような構成にはなっている。 著者はフーコーの思想には、現代を生きることの意味、現代において思考することの意味を問う、という一貫性があり、本著では、その思考のツールやモチーフを明らかにすることを目的とすると述べてはいるが、自分の勉強不足が原因なのか、その試みを充分に理解することはできなかったように思う。
0投稿日: 2023.05.17
powered by ブクログ簡潔かつ丁寧なミシェル・フーコーへの導き書。 キリスト教の司牧者権力と近代国家のポリツァイを同一の視点から分析するとは驚きました。 告解が罪の意識を作り、そこからまた告解へと戻る。無限のサイクルの内に人が閉じ込められている。 歴史を過去のものとして振り返る際、そこで表現「されたもの」と「されなかったもの」の差異、ディスクールを理解することの困難さと重要さ。 一面的な観点を見て単純素朴な結論に終着しないよう吟味することっすね。
0投稿日: 2023.02.10
powered by ブクログ自分の信じたものをもう一度見直すことはかなり面倒だと思います。見直さなくてはこのままでは良くならいことは理解してるけど、面倒。 フーコーの真理を追うために何度も現実に向き合う姿に真理の重さを感じられます。 ( オンラインコミュニティ「Book Bar for Leaders」内で紹介 https://www.bizmentor.jp/bookbar )
0投稿日: 2022.11.04
powered by ブクログフーコー入門として、非常に読みやすい。 後半は、フーコーの著作から彼のアイデアを解説していく流れになるが、「どの著作について、どのような観点で」解説していくかを明記しているので非常に理解しやすい。
0投稿日: 2022.06.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
現在、私の存在、思考がどのような意味を持つのか、ミシャエル・フーコーの哲学をもとに診断することで、自分が考えているよりもはるかに自由であること、自明で真理だと信じられていることが、歴史の特定の時点に作りだされたものであり、この自明性は批判し、破壊することができるという。 フーコー入門ということで、 『狂気の歴史』『言葉と物』『監視と処罰ー監獄の誕生』などなど全く読んだことが無い人でも、フーコーの哲学の概要が分かる。 フーコーの個々の自由な主体の行為(真理を語ること)である真理のゲームに参加するという考えは、何かスリリングな気もするが「普遍的な真理」にこだわることはないのだと心が軽くなり、またすぐ目の前が霞む。 しかし、現在を生きる私たちのまなざしが新しい物の秩序を開く、、その通りかもしれない。
0投稿日: 2022.02.13
powered by ブクログフーコーの生涯を著作を中心にまとめたもの。この本からすると著作そのものが簡単なようにも思える。でもこんなものではないと思う。
0投稿日: 2021.08.08
powered by ブクログ■著者が扱っているメインテーマ 思考のエチカとは? ■筆者が最も伝えたかったメッセージ 社会が用意した真理に従うより、自分の欲望が実現される世界に目を向けて、 自己と社会を変えていこうという意志。 ■学んだことは何か 本当の自由って社会や集団が用意した場所に従って生きることではなく、 自分の欲望と向き合い、そこを追求していける人生なんじゃないか?
3投稿日: 2021.01.26
powered by ブクログ真理という常識が、まなざしとしてある。生き方に不安になり、誰かに告白することで、「健常な世界」に頑なにしがみつく。疎外された自己は本当の欲望を隠す。「ありのままに!」。真理は個人それぞれがもっているのだ。
0投稿日: 2020.01.10
powered by ブクログ基礎的なワードを丁寧に説明してくれ、入門書としてとても良かった。 また、初期から後期への思想の変遷と、その中で一環した目的など、よくこんだけ綺麗にまとめたな、、という本。 生権力に対して、抗うことは可能なのか。 「真理のゲーム」を続けなければいけない。
0投稿日: 2018.06.24
powered by ブクログフーコーの足跡をたどるための一冊。 非理性という罪、人間の分裂、歴史の目的性と進歩、生かす権力と殺す権力などなど、これまで「監獄」以外ではあまり触れることのなかったフーコーの思想について理解することができた。 もっと強い刺激を受けても良いような内容だったが、あまりそうした面を強調しすぎず、あくまでフーコーの思想を淡々と追って行く内容で、これはこれでよかったのかも。
0投稿日: 2018.06.14
powered by ブクログフーコーは『監獄の誕生』について少し知っている程度だったが、権力という一貫した主題をもって、考古学や系譜学といった考えや、装置などの基礎的な概念を知ることができた。とてもわかりやすく、おもしろい。次は実際にフーコーの著作を読んでみようと思う。
0投稿日: 2017.09.26
powered by ブクログ最近、ジュディス・バトラーの「ジェンダートラブル」と「自分自身を説明すること」を読んで、すごくフーコーの影響を感じた。 フェミニズム系の論者の間では、フーコーはあまり人気がないと思っていたので、個人的にはなんとなく意外であった。 というのは、私の個人的な偏見かもしれないが、アメリカの大学で政治哲学を学んだ2人の教授が、ともにフェミニズム系の女性で、一人は、「フーコーは女性のためになる哲学か?」みたいなエッセイを書いていたりしたことを思い出したりもするからだ。 さて、そのフーコーだが、その知識と権力に関する緻密な分析は、圧倒的なのだが、読んでいて、なんだか元気がでないんですよね。 だって、権力というのは、自分の外部に抑圧的な支配構造としてあるというわけではなくて、個人の内面に制度化されていて、それに対抗するという行為自体が、権力に取り込まれて行くみたいな話しで、ちょっと救いがない感じがするわけ。 そういうニュアンスでフーコーを読んでいたので、バトラーがフーコー的にジェンダー概念の社会的な構築を指摘しつつも、その秩序に対するパフォーマティブな攪乱を目指すという戦略につなげて行くロジックがいまいち分からなかったのだ。 で、「自分自身を説明すること」で、フーコーの「自己への配慮」への言及があったので、「そうか、バトラーが踏まえているのは、晩年のフーコーなんだ」と思い、フーコーへの再入門を行うべく本書を読んでみたという流れ。 で、とってもすっきりしましたよ。 あの難解なフーコーがこんなに分かって良いのかという感じ。 これは、まさにフーコーの主な著作だけでなく、講義録やインタビュー、小論文などなどが整理されて読む事ができるようになって始めて可能となった入門書だな。 ある意味、フーコーが最後にたどり着いた境地から逆算しながら、その思想の変遷を物語化している、という印象もなくもないが、フーコーの思想の一貫性がとてもよく分かる。 つまり、フーコーが、過去の権力のあり方を分析したのは、決定論的な社会的構築を述べるためでなく、私たちが今生きている社会を変革するためである、と。(途中、かなり悲観的なニュアンスが強くなる時期があるのだけど。) フーコーが、晩年にたどり着いたのは、「実存の美学」という主体の問題。これは実存主義的な主体という概念に対して批判的だったフーコーにとって、一種の退行ではないか、とも批判されたところなのだが、その辺も含め、本書は一貫性をもってすっきり説明している。 あと、本書によると、フーコーの最後の境地は、「真理ゲーム」という概念で、これはウィトゲンシュタインをヒントとしたものらしい。フーコーは、このゲームのなかで、主体が、他者との関係性を変革を目指して、行動することを通じて、社会や権力が変化する可能性を見出していたとのこと。このへんは、私の最近の関心事にぴったりである。晩年のフーコーをもうちょっと勉強してみよう。 ちなみに、フーコーの個人的な社会変革に向けた実践とは、ホモセクシュアルであることを認めて、頑張ってゲイになること! というところが、レズビアンで、それを公言しつつ、その生き方を通じて、他者との関係性の変化を志向するバトラーとフーコーはぴったりと合致していたんだ、と納得。 それにしても、ゲイの実践がたたったのか、84年に還暦前にフーコーはエイズで死んでしまったわけで、もう少し長生きして、その「実存の美学」や「真理ゲーム」の概念をちゃんと展開してほしかったと今さらながら思う。
0投稿日: 2017.05.01
powered by ブクログ網羅的に、一貫性を持って、手堅く、フーコーの著作を解説。最初に読む本として、まさに入門として適切ではないだろうか。 ・ある種の自由は、直接に制約を加える社会と同一ではないとしても、それに劣らぬ拘束的な効果をもたらす。 ・カントが試みたのは、人間の理性の限界を明らかにすることだったが、フーコーにとって理性の定めた限界を〈侵犯〉することが重要な課題となる。 ・精神医学が科学となったから狂気が疾患として認識されたのではなく、狂気が「精神の病」として位置付けられたからこそ、精神医学と心理学が可能になった。 ・歴史に目的があるという考え方は抑圧的な機能を果たすことがある。「人間の目的」や「正義」に適った行為をしていると確信している人物は、他者に対して過酷な抑圧を行使することをためらわないからである。 ・この生物学、言語学、経済学の誕生によって、〈人間〉という概念が誕生した。18世紀半ば。 ・哲学に〈考古学〉の方法が必要となるのは、明晰な自己知が存在しないという認識があるから。 ・ある思想が一つのエピステーメーにおいて確保していた位置ではなく、だれがその思想を真理と信じて行動するかの方が重要な意味を持つ ・これまで権力は「排除する」「抑圧する」「隠蔽する」「取り締まる」などの否定的な用語で考えられてきたが、権力は主体の内部から、現実的なものを生み出している力として理解する必要があるのではないか。 ・レゾンデタ(国家理性)と同じ構造が司牧者権力にある。より大きなものの維持のため。 ・司牧者権力が、他者の幸福を目的とするというみかけのもとで、教会の支配の原理を貫徹しようとすることにある。 ・〈自由な社会〉が形成されるのは、自由な個人によってではなく、身体を調教され、精神を監視する大きな〈眼〉を魂の内部に埋め込まれた主体である、という逆説のもつ意味は大きい。 ・身体が魂の牢獄なのではなく、魂が身体の牢獄なのである。 ・社会が欲望の概念によって人々を組織しようとする時に、個人が社会の生-権力に抵抗することのできる重要な根拠は、自己の身体とその欲望である。 ・福祉社会の先進国である北欧諸国やカナダと米国が、優生学研究の先進国でもあることに示されているように、生活を保障する社会は、「劣った」生命を抹殺することで、生活の質の高さを維持する方向に向かう危険性はないだろうか。 ・ゲイに〈なる〉こと、それは現在の社会で公認されていない新しい生き方を模索すること、他者との間で友愛に満ちた新しい関係を模索することである。 ・フーコーが示した可能性の一つは、人々が自己を放棄しないこと、自己の欲望を断念しないことにある。しかも自己の欲望を解釈して、自己の欲望の〈真理〉を求めるという〈オイディプスの罠〉にはまらずに、自己の欲望が実現されるような世界に向かって、わずかながらでも自己と社会を変えていくことである。
2投稿日: 2016.04.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
フーコーといえば『監獄の誕生』というイメージ。あと近代の人だと思っていたから20世紀の人だったのがちょっと驚き。 「系譜学」、「規律権力」、「生権力」、「装置」など用語に注目して読んだ。他の人に説明するためだったので何度も読み直して理解しようとしたけど、それでも分からないことがけっこうあった。他の本も読んで複数の説明から理解を深めたい。
0投稿日: 2014.04.23
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
フーコー読みにもとめられるのは、変化と一貫性の両立に耐え続けることである。それが知性の一つのかたちである。
0投稿日: 2013.12.23
powered by ブクログ◆権力は秘密を欲す 真理とは何だろうか。真理は常に正しい、しかし、真理が何か戦略的な意図により作られたものだとしたらどうだろう。しかもその真理の意図に、権力が深く関わっているとしたら。フーコーは権力が支配を強めるために、いかに真理を巧みに利用してきたかを解き明かす。 権力がいかに真理を利用しているかを知るには、学校現場を見ればよいだろう。教師は学生を教育するために試験を実施するが、試験とは教師あるいは第三者が設定した真理を、学生に内面化させる装置である。学生は試験装置の中では、反論する機会を奪われ、一方的な関係性に置かれる。このような真理を利用した仕組みは、社会のいたる所で見つけることができるだろう。そして、真理を利用する者にとって欠かすことが出来ないのが「秘密」である。権力は「秘密」のヴェールで真理を覆うことによって支配装置へと変貌する。もし「秘密」がなければ、真理の化けの皮は剥され、そこに込められた権力の意志が露わとなり、管理・支配の土台が揺らぐことになる。そのため権力は常に「秘密」を必要としている。権力は我々の生活に満ちている、決して権力それ自体が悪いわけではない。だが権力が「秘密」を利用し、一方的な関係性に我々を押し込めるなら、それに抗う力もまた必要になる。 本書は難解なフーコーの思想を分かりやすく解説しており、入門書として最適である。真理や「秘密」を巧みに利用する権力の姿が、本書を通して浮き彫りになるだろう。 (龍谷大学ライティングセンター)
2投稿日: 2013.12.11
powered by ブクログ岸さん。 難しい哲学的な用語が並んでいるので、 ぼくの頭では理解できないかもしれないと恐々としている一冊。 ちょっと落ち着いたら時間かけてでも読んでみよう。
0投稿日: 2013.11.04
powered by ブクログフーコーは現存の体制から新しい可能性を見つけた人。 監視社会としての二つの要素 身体の規律化と、眼差しでの精神の規律化のパノプティコン。 現代福祉社会の 権力と生との関係。国民の福祉の維持を建前としながら、生という観念から国の維持のために必要な国民を管理し、自国の力の維持を図る。と同時に戦争などでの暴力によって国民を殺す、人種差別的な観点。国の維持と言う構図それは、司牧者の権力図と重なる。 途中中だるみしたけど、権力の分野はおもしろでした。。
0投稿日: 2013.02.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
人間が「正常である」という思考そのものを侵犯しようと試みること、これがこれからのフーコーの思考のエチカとなる。p36 【レヴィ=ストロースの構造主義】p71 サルトルとメルロ=ポンティにおいては、人間の行為の意味と価値は、歴史の方向性が決定するものであった。しかしレヴィ=ストロースは、意味とは体系における要素の差異で発生することを示したソシュールの言語学に依拠しながら、意味を生み出すのは社会の構造であると指摘した。そして歴史とは、共時的な社会構造が内的な理由から変動することにすぎないと考えたのである。 <一般文法>p94 「思考は単一な操作であるとしても、言表することは継起的な操作である」 フーコー「富に秩序があり、これであれを買うことができ、金が銀の二倍の価値があるとすれば、それはもはや人間の欲望が比較できるからではない。身体を持つ人間が同じ飢えを感じるからでも、人間の心が同じ魅惑にとりこになるからでもない。人間が時間、労力、疲労、さらに究極において、死そのものに支配されているからである」p103 リカード「歴史の一刻一刻において、人間は死の脅威のもとで労働するほかない。すべての住民は、新しい資源をみいださなければ、消滅するように運命づけられている」このように経済を可能とし、必要とするのは、稀少性という基本的な状況であり、労働はこの稀少性を一時的に克服し、一時的に「死に打ちかつ」方法である。p104 生物学、言語学、経済学の誕生によって、それまでに存在しなかったある概念が誕生した。これが<人間>という概念である。p105 (人間は)「知にとっての客体であるとともに認識する主体として、その両義的な立場において登場する」p106 知として学んだものを身体に教え込み、身体の次元で学んだものが知として普遍化される必要がある。そのための一つの手段が試験であり、これは近代の特権的な<真理の保証>である。p143 パノプティコン:「権力を自動的なものとし、没個人化する」p145 ⇒近代の新しい「政治解剖学」の基本原理 身体と精神の双方に働きかける戦略は、魂という「柔らかい脳繊維」の上に「強固な帝国」を築くことによって、身体の叛乱を未然に防止することを目的とする身体の「政治解剖学」として結実する。p147 プラトンは、身体が魂の牢獄であると考え、哲学とは魂をそこから解放するための「死の稽古」であると語っていた。フーコーはこのテーゼを完全に逆転させる。身体が魂の牢獄なのではなく、魂が身体の牢獄なのである。p147 ストア派では自己の吟味には四つの技術があったー書簡、良心の点検、アスケーシス(禁欲)、夢の解釈である。p217 【真理のゲーム】p228 ①主体化の様式 ②行動の戦略 ③歴史的な条件 ④客体化の様式 ⇒絶対的な真理が存在するのではなく、個々の真理は自由な主体の行為としてしかあり得ないと考えると、すべての主体は自分なりの真理の確立に参加することができる。
0投稿日: 2012.12.16
powered by ブクログ入門にしては難しかったが授業で習ったことが沢山出てきていて面白かった。これからも繰り返し見て復習したい、特に性の歴史の所が難しくてまだわからない。
0投稿日: 2011.12.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
史上最も偉大だとされる哲学者であるミッシェル・フーコーの晩年を、主要な著作とその概要を交えながら描いた本。解説もわかりやすいし、何よりこの一冊で、フーコーがどのようなことを問題意識として持ちながら人生を歩んだのかが良くわかる。この点において、本書はかなり有用だといえるだろう。 フーコーの数ある著作のうち、最も示唆的なものは「監獄の誕生」であると個人的には感じる。なぜなら、後から述べるように、従来信じられてきた「権力」に関する概念を全く新しいものに構築し直した上に、それは現代まで通じるものであるし、加えて、あらゆる学問分野・生活に適用可能だからである。これが幅広い読者によって長年読み続けられてきたのが何よりの証拠であろう。 さて、監獄の誕生において、フーコーは何を主張したのか。フーコーがこの著作を通じて主張していることは、「主体内部の権力」に関することである。古代ヨーロッパにおいては、罰則とはすなわち体罰を表した。それは鞭打ちに代表され、人間の身体に直接ダメージを与えるものであった。つまり、人間の「身体」という外部的なものに罰を与えることによって、人間の「精神」を正すことが目的とされたのである。これはいわば「従順な身体」を作ることだといえる。例えば、軍隊がいい例になろう。軍隊では規律を乱す人間には容赦なく殴る・蹴るなど身体的な罰則が与えられ、それに従って、やがって軍人の「精神」を持つようになるのである。つまり古代における罰則のベクトルは、身体⇒精神という方向性を持つものであったといえる。 だが、この罰則は中世ヨーロッパを境に激変することとなる。この変化をもたらした主要因とは、「監獄の誕生」であった。すなわち、罪を犯した人間を「監獄」という非社会的環境におき、精神の矯正を図る形の罰則が誕生したのである。従って、従来の罰則のベクトルが逆転することになる。監獄の誕生によって人間の「精神」という内面的要素を矯正することによって、「身体」の正統性の確立が目指されたのである。 フーコーは中世ヨーロッパにおけるこの監獄の誕生に着目し、新しい権力論を主張した。それはすなわち、従来の権力とは「相手を支配・抑圧」する力であったが、中世以降は「相手自身の内面から支配・抑圧」する力へと変わったと指摘したのである。これらはそれぞれ、前者が「身体⇒精神」の罰則、後者が「精神⇒身体」の監獄と対応している。複雑な近代社会を作り上げるためには、一人一人の人間を「従順な身体」にすることは不可能である。従って、権力者の意のままに動く従順な人間を作り出すためには、彼ら自身が自発的に行動し、近代というメカニズムの歯車になる必要がある。近代では、こうした主体を形成するために考え出された装置の一つが「学校」であり、先生が学生に知を「真理」として供与することによって、学生という主体を「精神」から支配するのだと、フーコーは主張する。 この原理を建築的に示したのが、イギリスの法学者であるベンサムであった。彼はパノプティコンという装置を考察した。これは、円環上に配置した建物の中心に見張り台が設置されているという状況である。重要なことは、見張り台からは建物の中で暮らしている人間を自由に監視することができるが、そこで暮らす人にとっては見張り台にいる人間が見えないことである。つまり、見張り台には常駐の監視者を設置する必要がない。それにもかかわらず、建物で暮らす人にとっては「見張られている」可能性が常時発生するので、自身の心の中に第二の監視者を設置してしまうのである。このようにして、パノプティコンは個人の主体の様々な欲望を絡めとり、内面からそれを支配するのである。このように、主体の内部から相手を支配することが、フーコーの主張した新しい権力論である。 このような監獄の誕生という歴史を踏まえたうえで、現代まで通じる権力論を展開したフーコーの主張は見事といわざるを得ない。フーコーが人生の課題としたことは、その時代において絶対に真理だと考えられていることは、実は歴史的・権力的に形成されたものに過ぎず、普遍的なものではありえないということであった。「監獄の誕生」はこの点を見事に表している著作だといえるだろう。
2投稿日: 2011.11.24
powered by ブクログ自分にとっては難しかったので、読むのに時間がかかった。でもためになったとは思う。いろんな学問が成立するのには並々ならぬ苦労があるとわかった。それから最後にわりと実践的なことが書いてあって、おもしろかった。難しいのをう~んってなりながら読んだ後、最後にそんなことが書いてあったからびっくりしたし、プレゼントのようだった。
0投稿日: 2011.11.08
powered by ブクログこんなことを言ってはフーコー礼賛者にぶっとばされるかもしれないが、どうにもフーコーは哲学者だと思われない。確かに彼は真理に迫っているつもりではったのかもしれないが、彼が迫ろうとしていたものは本当真理なのだろうか?フーコー入門という二百三十ページほどの新書を読んでこんな感想を抱くのもあれなのかもしれないが、そうした感想を抱かざるにはいられなかった。確かに、フーコーを歴史家というのは不十分だろう。彼は「考古学」といった歴史的な概念を持ち出し、実際に歴史を彼なりの価値観(哲学観とは敢えて言わない)でたどっていったように思われる。彼なりの起源を見つけて、ある種の歴史性、しかし、彼独自の歴史性を見出す手腕は見事である。とはいえ、現代的には半ば常識となりつつ範囲のこともある。これはある人が言っていたのだけれど、「ロックやルソーなんかが言っていることは別に誰でも言えることである」というのと非情に近しい感想なのかもしれない。個人的にはロックやルソーなんかも思想家だとは思うけれど、哲学者だとは思えない。そもそもが誰かのために――といった理由のために哲学があるわけではないのではないか?フーコーは大衆が当たり前のように信じている「真理」をうち揺るがすことこそが哲学者の使命だと感じているようであるが、それは二次的な使命であり、本性的には自らの疑問に答えを見つけることこそが哲学の使命であると感じられる。とはいえ、フーコーは同性愛者でありそのことに絶えず苦しみ続けたらしい。フロイトが言うところの超自我との戦いが彼の人生だったと言ってもいいくらいのようだ。彼は結果として、外部的な権威や道徳観を内部に取りこむといったことを言っているがそれにしたって彼自身の体験に根ざしているだろう。つまりは精神分析である。彼は絶えず自らを精神分析し、そうして自らがアウトローであるだけにそれだけに社会という意識も強く持たずにはいられなかった。結果として彼は社会観と精神分析を基軸とした哲学を構築したと言われるのだろうが、それは哲学というよりはやはり思想と思しい。精神分析は哲学ではないし、社会観はやはり哲学とは個人的には言い難い。個人的には精神分析を基軸とした社会思想学という方がフーコーを表すには的を射ているように思われるがどうなのだろうか? とはいえ、現代思想を理解する上でフーコーは非情に重要な人物にはなりえるのだろう。結局のところ現代思想においては歴史性(ヘーゲルマルクス)と構造性(レヴィストロース)とが重要な二大概念となっており、フーコーはその両者をある意味弁証法的に乗り越えようとしているからである。彼は主観や価値観によって歪められた歴史ではなくて純粋な歴史を捉えようとしているし、その過程で構造なるものを明らかにしようとしているように思われる。彼が言うところの「考古学」という言葉はそれら両者をうまい具合に内包しているのではなかろうか?また、彼の出発点は、現象学とマルクス主義であり、心理学への懐疑である。現象学による主観的アプローチを、マルクス主義により客観的なアプローチを、そして心理学、精神分析における「正常」と「異常」への疑義が彼のある種の原点となっている。彼は現象学とマルクス主義の二大基軸をすえたことを後で後悔しているようだが、俯瞰してみる限りではそれほど離れているように思われないし、精神分析は無論フロイトの影響を受けている。彼は考古学という概念を提唱する際に、現代思想の原点として、生態学・言語学・経済学をあげているが、これもかなり巧みな捉え方である。生態学はフロイトが、言語学にはソシュールが、経済学にはマルクスが含まれているとしたら、彼ほど現代思想の源流でありありとある要素を兼ね揃えている人物はいないであろう。無論、生態学には進化論が、言語学にはラカンが、経済学にはアダムスミスも含まれており、経済学における資本主義とマルクス主義は同じことを反対概念で述べているだけだというあたりもどうにも鋭い洞察である。正直、自らと徹底的に向き合い、そのことに死ぬまで悩みぬき、ゲイであることを公表し、性や異常といった概念を突き詰め続け、最終的にはエイズで没したミシェルフーコーという人物にはある種の敬意を払いたいくらいであって、ただ彼が哲学者であったのかということだけがどうにも疑義を呈してしまうというだけなのである。あと著者も、もう少しうまくまとめてほしかった。著作を読むときの解説本としては優れているのかもしれないが、一括で読み通すときにはこの構成はあまりよろしくないと思われる。
0投稿日: 2011.07.20
powered by ブクログフーコーの思想には「真理のゲーム」など啓発させられるものが多かったです。 著者のHPでも様々な解説を載せてるそうなのでぜひ参考にしたいところ。
0投稿日: 2011.06.12
powered by ブクログフーコーの話をずっとし続ける授業を受ける羽目になったので、とりあえず一冊入門書を読んでみようとして買ったもの。著者は最近光文社の新訳でご活躍中の中山元。 内容としては、フーコーが発表していった著作の流れに沿って、どのような問題意識によっていたのかと、その問題にどう取り組んだかが章のテーマ・著作ごとに語られる。パノプティコンなどの比較的読みやすい部分はそこそこ理解できたように感じたが、正直なところチンプンカンプンな部分も多くあった。そういった意味で「ぺらい入門書だ」という意識で読もうとすると跳ね返されるかもしれないし、実際「入門書」だからといってレベルを下げきったものではないように感じられた。 授業の役に立つかはわからないが、最終章の「真理」についての部分あたりは(解説が正しいのであれば)フーコーと強く共感するところもあったので、それだけでも読んだ価値はあったように感じる。
0投稿日: 2011.04.23
powered by ブクログフーコーの思想を彼の著書をひもときながら、つまびらかにしていく。真理について、生権力と司牧者権力、統治性のプロジェクト、欲望、実存の美学、パレーシア、真理のゲーム。 とても分かり易く、面白い。生権力の福祉社会のパラドクスなど分かり易い。
0投稿日: 2011.04.15
powered by ブクログ「監獄の誕生」を読んでみたくて、まずはとっかかりとして読んだ本です。 真理は権力と結びついている、真理を語っている人を見ないとダメ、といったあたりが新鮮でした。 次は「監獄の誕生」に行ってみよう!
0投稿日: 2011.02.07
powered by ブクログ生活に応用できる哲学。 今現在の自分の立ち位置を見つめ直すいい機会になりました。 途中はしょりすぎて意味不明、難解な箇所もありましたが(言説の部分)個人的に興味深い理論なので別の解説書を手にとって補おうと思います。
0投稿日: 2010.10.24
powered by ブクログちくま新書には、他にもカントやデカルト、ハイデガー等の哲学者や思想家の入門本があるので、それを読んでみたいと思った。自分は本来そういった分かった気になるようなものを読むのは好きでないのだが、思想の流れのようなものを大まかに掴んでみたいし、一人ひとり丁寧に作品を読んでいったのではかなりの時間がかかり疲れる。 以上の理由から本書を読んでみた。以前にバタイユ入門を読んだが、それよりも非常に分かりやすく、内容も自分にとって興味深かった。フーコーの造語であるエスピテーメー、エノンセ等の概念が理解しづらかったがそれ以外は問題なかった。以下に、自分が考えさせられたところを箇条書きで記す。 「人間学の罠」 人間を研究するということ自体が根本に矛盾を孕んでいるということが説明される。研究の対象それ自体が研究の主体になるという点で、新に科学的にはなりえない。 心理学の矛盾についても触れられる。精神学や心理学は精神病患者をとらえられている何かから解放することを目的としているが、精神病患者というくくりそれ自体が、人間は本来このようにあるべきという「人間性」を前提としている。このような人間性を用いている限りで、人間を解放するのではなく、実際には人間の抑圧を強化する可能性があるとフーコーは考える。 「知の考古学」 この章では狂気や精神病院や監獄やまなざしといったことが取り上げられる。読んでから時間がたっているのでその内容はうろ覚えなので、ここには詳しく書かない。概要は理性が信頼され全盛の時代に第二次世界大戦などの大きな戦争があり、大量の殺人がなされたことからなぜ有史以来最も理性的であった国家がこのような大量殺人を巣に至ったか、それをどのように合理化していったのか。また、これまで信じてきた理性について疑いを抱き、理性は必ずしも万能ではなく、理性以外の人間の原始的な欲望も重要であると考えられ、研究され始めるという流れが説明される。 「監視と処罰」パノプティコン・訓練・従順な身体 パノプティコンの概念は、フロイト心理学の超自我の概念に似ていた。 学校などの機関においての勉学の奨励、または罰則などの訓練によって、社会にとって都合のよい存在「従順な身体」を作っているということは私人も考えていたことで、面白かった。特に興味深いのは、社会における訓練が監獄に利用されたのではなく、監獄や精神病院において発展してきた訓練の概念が社会に利用されているという指摘だった。 レヴィストロース「構造主義」 社会を構造的に解析することによって、一見無意味に見えることも実は大きな意味があるというもの。レヴィストロースの思想は全く触れたことがなかったので、新しい発見だった。例として近親相姦の禁止というのは、遺伝子的な問題ではなく、女性の交換を通して集団を開いたものとするという目的があるという。これだけで説明できるとは考えられないが、親族結婚では子供に遺伝子異常が生じる可能性が高まるというのは、実は何の科学的根拠がないと、何かの本で読んだことがあるので、科学的な根拠がないと、社会・人文的問題であり、この説明が最も有力なのかなあと思える。 フーコーは全ての思考の過程で共通して、本書にも書いてあるように、「人々が真理だと信じているものが、実は歴史的な根拠から作り上げられたものにすぎず、普遍的なものでも、絶対的に正しいものでもないということを示すことによって、自明で見慣れたものと考えていたものを覆すこと」を目標としていた。私自身もこの世の中の道徳や規則など、納得できなかったり、あまりにも手前勝手なものであるように感じられることが多い。日ごろからこのようなことを感じているので、フーコーの思考は自分にとっても分かりやすく、共感できるところが多かった。
0投稿日: 2010.09.19
powered by ブクログ世界に対する視点を180度転換するほどの威力。自分たちが今まで「真理」と信じてきたものが、歴史的産物に過ぎないということを示してくれる。フーコーの思想は間違いなくそういう威力を持っている。その威力は入門書ですら損なわれない。(というよりも、原典は誤訳もあるし、読みにくくもあるので、入門書の方が手取り早いといえば早い。)「言葉と物」の章は個人的にイマイチピンと来なかったんだが、「規律訓練型権力」や<生権力>を提示する他の章は抜群に面白い。
0投稿日: 2010.09.11
powered by ブクログ[ 内容 ] 「真理」「ヒューマニズム」「セクシュアリティ」といった様々の知の「権力」の鎖を解きはなち、「別の仕方」で考えることの可能性を提起した哲学者、フーコー。 われわれの思考を規定する諸思想の枠組みを掘り起こす「考古学」においても、われわれという主体の根拠と条件を問う「系譜学」においても、フーコーが一貫して追求したのは「思考のエチカ」であった。 変容しつつ持続するその歩みを明快に描きだす、新鮮な人門書。 [ 目次 ] 序 現在の診断 第1章 人間学の「罠」 第2章 狂気の逆説 第3章 知の考古学の方法 第4章 真理への意志 第5章 生を与える権力 第6章 近代国家と司牧者権力 第7章 実存の美学 第8章 真理のゲーム [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
0投稿日: 2010.08.16
powered by ブクログフーコーの思想に興味を持ち斜め読みしました。筆者は下記のようにサマライズしています。 フーコーは、哲学のつとめは真理が自明なものでも普遍的なものでもなく、歴史的に作られたものであることを暴露することによって、その真理の絶対性を崩壊させることにあると考えていた。 我々が当然と思っている事項は長い歴史によって作られてきたものが多いのでしょう。 我々はそれを学校教育などを通して学んで当然のように受け入れているが、当然でもないよ、ということでしょう。フーコーはゲイだったそうです。彼は、異性愛が普通で同性愛は異常のように思われているが、それも歴史的に作られてきたものだ、というのも特に言いたかったのではないでしょうか? フーコーの有名な概念として、エピステーメー、があります。知の枠組み、といった概念であり、中世とルネッサンス、古典主義時代、近代、と3つのエピステーメーに変化していることを考古学的に分析しています。エピステーメー、納得感があります。我々が無意識のうちに捕らわれている思考の枠組み、といったものは確かにあるでしょう。またこれが大きく変換するときが来るのでしょうか。
0投稿日: 2010.07.24
powered by ブクログ5/19 ルネサンス→古典主義に至って「まなざし」の覇権に。 監視の視線の内在化による抑圧。 「普遍的な真理」の欺瞞→「真理ゲーム」 ちくま新書の「○○入門」シリーズは質が高い。
0投稿日: 2010.05.19
powered by ブクログフーコーの思想を、著作を追いながら解説。わかりやすいが、結局のところはフーコー自身の著作にあたらなければ・・・入口にはいいかもしれない。
0投稿日: 2010.05.10
powered by ブクログ知と権力には深い関係があるそうです 「人間は死んだ」 フーコーは狂気の研究を進めるうちに近代ヨーロッパ学問全体を支えている価値観に切り込んでいくことになった
0投稿日: 2009.10.15
powered by ブクログ難易度としては、中〜上級者向け、という印象でした。 講談社現代新書の「ミシェル・フーコー」よりは格段に分かりやすい(著者の考え方は別として)。 著作と章をつなげて解説してくれているので、ある著作について理解を深めたい時は、そこだけ読む、というやり方もありだと思います。 この類の本を読むたびに、やっぱりフーコーの考え方は「現実的で飛んじゃってる感じ」という、パラドキシカルな考えに行きあたってしまいます。でも、それでいいんだろうと思います。「考古学」というキーワードは、慣例的な用法とフーコーの用法では違います。そこが、まさにフーコー理解にとって一番のキーであるようなないような。 「エピステーメー」と一言で言ってしまえば簡単ですが、内容は、この本や他の本を何冊読んでも頭を抱えるぐらい、深い。まだまだ、フーコー探求は続きそうです。 「真理の理論においてニーチェが傑出しているのは、「真理とはなにか」という〈本質〉を問う形而上学的な問い方を否定して、「真理を語る者は誰か」という政治学的な問い方に転換したことである」(p130)
0投稿日: 2009.08.05
powered by ブクログフーコーなど、過去の偉人の本を読むときには入門書が欠かせません。 また、一体どの入門書が良いのかを選ぶ事も大切です。それは難しい事です。相性もあるし、情報の少なさもあります。 このような入門・解説書を読む時でさえ、その時のテンションに依っては、わざと難しい表現にしてあるんではないかと疑う事もあります。
0投稿日: 2009.01.24
powered by ブクログいろいろなことを勘違いしていたかもなぁとしみじみした一冊。 と同時に、監視社会論でのこの人の引用の仕方は 何か変な解釈が混じっているようにも感じるけれど。 フーコーの流れはざっくりわかった気がする。 フーコーの本も読んでみようかな!
0投稿日: 2008.08.27
powered by ブクログ哲学、社会学、政治学に生というトピックから影響を与えたフーコーに関する入門書。政治学でも生・政治という概念がフーコー以後注目されるようになった。個人的には哲学にも興味を持っているのでフーコーの価値観、考えはおもしろく感じた。また、自身が同性愛者であったことから、性に関する哲学的、政治学研究として有名なフーコーが(知らなかった)古代ギリシアや初期ローマ帝国における同性愛に関する価値観をキリスト教的価値観と比較しているのも面白かった。
0投稿日: 2008.02.16
powered by ブクログ読み始めは「なーんや、つまらん本やなあ」と思ってたんですが、『監視と処罰』についての紹介あたりから面白くなって一気に読了。フーコーというと、『管理と処罰』やら『知への意志』やらのあたりの、絶望的とも言えるクラーい〈権力〉イメージしか知らなかったもんですから、そういう行き詰まりを突破する「出口」をどう構想しているか、というのは、この年齢にしてようやく知りました(恥)。しかしこの本、あらかじめフーコーの思想について基礎知識を持ってないと、たぶん読めません。ちょっと「看板に偽りアリ」じゃないですかね(苦笑)(20070115)
0投稿日: 2007.03.15
powered by ブクログ約10年ぶりに再読中。昔読んだ時にフーコーの着眼点に素直に感心し切ってましたが、今は少し違和感持ちつつ読んでます。その違和感が何に起因するのか、その解明を楽しみにしつつ、読破目指してます。
0投稿日: 2006.03.02
powered by ブクログエピステーメーに因って揺らぐ真理。権力構造の分析に拠って明らかになるエピステーメー。権力と真理は不可分のものなのだろうか。
0投稿日: 2005.07.26
powered by ブクログフーコーの全体像を見渡す。 フーコーの人となりから、どのようにして彼がみずからの哲学を形成していったのかが、客観的に理解できる。フーコーという人物が自然発生的に突如として現れたのではなく、現れるべくして現れたというように納得させられる。さまざまな近代学問の発生状況、近代的「人間」の構造的説明などとても分かりやすい。もっとも印象に残ったのは「近代国家と司牧者権力」の章である。魂の救済という建前の下、実際に行われるのはひつじたち(信者)をみずからの支配下に置くということである。そして、そのことに司牧者は気がついていない。このような状況は日常生活のあらゆる場面で見受けられる。例えば「私利私欲を捨て」がんばるような人である。これは他人たいし権力を振るうやりかたである。日常生活にあふれるこのような、無意識の権力のやり取りをやさしく理解させてくれる。
0投稿日: 2005.05.07
powered by ブクログ現代思想系の本を読むとよく名前が出てくるのですが この人の考え方など知らなかったので どうしても理解が浅くなってしまいがちだったので それなら読むかと思い まず手にしてみたのがこの本なのですが これが非常に面白かった。 フーコーの思考のテーマとなっていたのは 本文から引用するなら 「人々が真理だと信じているものが、 実は歴史的な根拠から作り上げられたものに過ぎず、 普遍的なものでも、絶対的に正しいものでもない ということを示すことによって、 自明で見慣れたものと考えていたものを覆すこと、 これはフーコーの終生の課題であった。」 って部分でしょうか。 フーコーの理論に説得力を感じる一つの所以は 自身がゲイであることを公言しているところにあって 自分にとってはそれが当然のことなのに 社会的には性的異常で逸脱した人だと見なされることに対して 自由であろうとするところが大きいように感じる。 上記の引用文と合わせて言うならば ゲイが異常であると見なされるのは歴史的な根拠から作りだされたものであって 別の文脈・別の世界においてはそれが当てはまらず普遍性はないということを 古代ギリシャでは性愛の対象の性別が問われなかったことから明らかにしている。 そして、多くの場合は歴史的な根拠から作られた真理というものは 政治的な意味を持ち権力に使用されるということである。 この辺はニュアンスが難しいので実際の文章に触れてもらうのが一番なのですが 外在する権力だけでなく人の内部で働く権力の構造であったり 人間そのものへの洞察であったり ニーチェと同様な考古学的な手法の活用であったり どれもこれも深くて面白いです。 僕が普段から考えていることへの答の一つがそこにあり さらにとその先にものまで描かれているような感じです。 僕が以前に書いた「主観と客観」という日記でいいたかったことは 真理が歴史的な根拠に基づく以上は 普遍的・絶対的な真理などなくて 個々の真理は自由な主体の行為としてしかあり得ない というフーコーの考え方に近いですし。 これはこの人を研究しなきゃいかんなって感じです。 もっと深く知って、自分で考えた結果が すべてフーコーと同じなのかどうかはもちろん分かりませんが 思考への一つの道しるべとして フーコーの思索は僕にとって非常に価値あるものだし 現代というものを考える上でも非常に役立つと思います。
0投稿日: 2004.10.13
