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powered by ブクログ4の観光まで 幸いなことに、日本には天然資源がない。そしてこの国を反映させてきた資源は別のところにある。それは繊細、丁寧、緻密、簡潔にものや環境をしつらえる知恵であり感性である。6 快適さとは、溢れかえるほどのものに囲まれていることではない。むしろ、ものを最小限に始末した方が快適なのである。99 わかってはいるけど、なかなか断捨離できない。
2投稿日: 2025.12.14
powered by ブクログ・よい製品や環境を生み出すには、高い欲望の水準を実現する必要があり、デザインは欲望の根底に影響を与えるものである。すなわち、デザインとは「欲望のエデュケーション」である。 ・日本の根底にある価値観として「繊細」「丁寧」「緻密」「簡潔」を挙げる。 ・四角は非常に不安定なため、自然界で発現することが少ない。 ・モダニズムとは、物が複雑からシンプルへ脱皮するプロセスそのもの。 ・シンプルとエンプティは違う。代表例として同仁斎。 ・
0投稿日: 2025.12.11
powered by ブクログ880 坂茂は、紙管を素材として用いることで注日を集めた建築家で、日本よりも世界で知名度が高い。現在は活動の断 点をパリにおいている。紙管は一見弱そうだが、建築資材として十分な強度を持ち、生産しやすい上に解体後は簡単にリサイクルできるという特性を持つ。そこに着日した独創性と、それを活かした数多くの建築的実践に、斯界の価と興味を集めている。二〇一〇年フランスのメッス市に、第二ポンピドゥーセンターが完成したが、これは坂茂の設計によるものである。 デザインとはスタイリングではない。ものの形を計画的・意識的に作る行為は確かにデザインだが、それだけでは ない。デザインとは生み出すだけの思想ではなく、ものを介して暮らしや環境の本質を考える生活の思想でもある。 したがって、作ると同様に、気付くということのなかにもデザインの本意がある。 おそらくは、直線と直角の発見、そしてその応用が、四角い形をこれほど多様に人間にもたらした原因だと思われ る。直線や直角は、二本の手を用いれば、比較的簡単に具体化することができる。たとえばバナナのような大きな葉 を二つに折ると、その折れ筋は直線になる。その折れ筋をそろえるようにもう一回折ると、直角が得られるのであ る。その延長に四角がある。つまり四角とは、人間にとって、手をのばせばそこにある最も身近な最適性能あるいは 幾何学原理だったのである。だから最先端のパソコンも携帯も、そのフォルムは古典的なのだ。そういえば、スタンリー・キューブリックの映画100年宇宙の旅》(一九六八年に出てくる教智のシンボル「モノリス」は、黒くて四角い板のようなものであった。 円もまた、人間が好きな形の一つである。古代神具の鏡も、貨幣も、ボタンも、マンホールの蓋も、茶椀もCDも 正円である。初期の石器の中央に正円が完璧にくり抜かれているのを見て驚いたことがあるが、硬い石をドリルのよ うに回転させて、より柔らかい石をくり抜くと、ほぼ完璧な正円の穴を得ることができる。これもまた、回転という 運動に即応して人の二本の手が、頭脳による推理や演繹より先に、正円を探り当てていたかもしれない。いずれにし ても、簡潔な幾何学形態は、人間と世界の関係のなかに合理性に立脚した知恵の集積を築いていく基本となってい る。人間は、四角に導かれて環境を四角くデザインしてきた。そしてそれに劣らず円形にも触発されて、日用品に少 なからず円を適用してきたのである。 柳宗理の父、柳宗悦は日本の民芸運動の創始者であった。民芸とは、用具のかたちの根拠を長い暮らしの積み重ねのなかに求める考え方である。石灰質を含んだ水滴の遠大なるしたたりの堆積が鍾乳洞を生むように、暮らしの営みの反復がかたちを育む。川の水流に運ばれ研磨されてできた石ころのように、人の用が暮らしの道具にかたちの然をもたらすという着想である。その視点には深く共感できる。 その流れに即して、物は「力」の表象である必要がなくなった。椅子は王の権力や貴族の地位を表現する必要がな くなり、単に「座る」という機能を満たせばよくなった。科学の発達も合理主義的な考え方を助長する。合理主義と は物と機能との関係の最短距離を志向する考え方である。やがて猫足の椅子の湾曲は不要になり、バロックやロココ の魅惑的な曲線や装飾は過去の遺物になった。資源と人間の営み、形態と機能の関係は率直に計り直され、資源や労 力を最大限に効率よく運用しようとする姿勢に、新たな知性の輝きや、形の美が見出されてきた。これがシンプルで ある。 複雑さを力の表象としてきた長い時代が終わりを告げ、人間の暮らしの率直な探求から、家具が、家が、そして都 市や道路が再構築されはじめた。モダニズムとは、物が複雑からシンプルに脱皮するプロセスそのものである。高や 人々の欲望は往々にしてものごとの本質を覆い隠す。人々は時にシンプルの探求に倦んで、放蕩へと傾きがちであ る。しかし日を細めて骨格を見通すなら、世界はシンプルという中軸をたずさえて、この瞬間も動き続けているので ある。 シンプルという概念は、権力と深く結びついた複雑な紋様を近代の合理性が超克していく中に生まれてきたという経緯を前節で述べた。しかしながら、日本文化の美意識のの真ん中あたりにある「簡素さ」は、シンプルと同じ道筋を たどって生まれてきたものではない。シンプルの誕生は百五十年ほど前であると述べたが、日本の歴史を振り返る と、そのさらに数百年前に、「シンプル」と呼びたくなる、笑簡潔に極まった造形が随所に発見できる。その典型がこの長次郎の楽茶碗であり、また、今日の和室の源流といわれている、立京都慈照寺に残されている足利義政の書院「同代斎」である。それらは、複雑さと対峙する簡潔さ中に力をたたえているが、シンプルとは本質的に異なっている。あえて言うなら「エンプティ」つまり空っぽなのである。その簡潔さはかたちの合理性を探求した成果でもなければ偶然の産物でもない。「何もない」ということが意識化され、意図されている。空っぽの器であることによって、人の関心を引き込んでしまう求心力として「エンプティネス」は体得され、瞬運用されていたのだ。 簡素を旨とする美意識の系譜は世界でも珍しい。なぜなら、世界は力の表象のせめぎ合いで複雑さに輝いてきたからである。複雑さを脱して、簡素さへと意識を移してく背景には相応の理由があるはずだが、その理由はおそらくは応仁の乱という大きな文化財の焼失が京都を襲ったことに起因するのだろうと考えている。 エンプティネスの視点に立つなら「裸の王様」の寓話は逆の意味に読みかえられる。子供の日には裸に見える王に 着衣を見立てていくイマジネーションこそ、茶の湯にとっての創造だからである。裸の王様は確信に満ちて「エンプ ティ」をまとっている。何もないからあらゆる見立てを受け入れることができるのだ。 一方では家族のかたちも新しい局面を迎えている。工五十年前は四・一人であった平均世帯人数は、今では二・五人。世帯構成のトップは「一人暮らし」で、二位は、「二人暮らし」上位ふたつを合わせると、全世帯の六割になる。おじいちゃんやおばあちゃんのいる大家族は激減し、子供が巣立ったあとの夫婦二人の世帯や、離婚のの増加により独身者の世帯も増えた。この傾向には問題もあろうが、悲観するだけではものごとは前に進まない。この状況をポ ジティブに捉える視点が必要なのだ。世帯構成の変化は、東京の暮らしに新たな可能性をもたらしている。暮らし方 の異なる人々が、皆同じ間取りに住む必要はない。自分の身の丈に合った「住まいのかたち」を自由に構想すればい いのだ。集合住宅の外観は変わらないとしても、その内側にめくるめく多様性を育むことができるなら、それは豊か さでもあるはずだ。 本が好きなら、壁という壁を本棚にして、図書館のように本を収蔵し、書物の迷宮に住めばいい。厳選された本に囲まれたなら、落ちついた読書がゆったりと満喫できる。 石元泰博はサンフランシスコに生まれ、三歳で両親と日本に戻り、高校を出るまで高知県で過ごした。高校卒業後 に単身で渡来するも、帰米二世として第二次大戦中はコロラド州の日系人収容所で過ごす。そこで写真と出会い、や がてシカゴで本格的に写真を学ぶ。最初に購入した造形関係の書物が、モホリ=ナギの『ヴィジョン・イン・モーション』や、プゲオルグ・ケペシュの『視覚言語』、つまり当時の先駆的、実験的な視覚デザイン研究書であったというから、生来の才能の傾向がそちらを向いていたようで、シカゴではモホリ=ナギが渡米後に開設した「シカゴ・インスティテュート・オブ・デザイン(通称ニュー・バウハウス)」の写真学科に入学している。そこで構成的な視点で世界を 見る写真家としての基礎を身につけ、一九五三年に卒業している。ニュー・バウハウスは、モホリ=ナギの死を契機 にイリノイ工科大学に併合されるが、イリノイ工科大学そのものも、バウハウス最後の学長を務めた建築家、ミース ・ファン・デル・ローエがシカゴに開設した教育機関であった。したがって、石元泰博はバウハウス直系のモダニズ ム教育を経て写真家となったのである。 花を活けるというのは、空間に気を通わせるということである。空間とは壁に囲まれた容積のことではない。意識 を配して、配慮の明かりが点灯している場所のことである。何もないテーブルの上にぽつりと石を置くと、そこに特 別な緊張が発生する。その緊張を介して人は「空問」にふと気をとめる。このように、施設の内に小さな蠟燭を灯す ように、ぽつりぽつりと意識が灯されて空間になっていく。花を活けるというのはそういう行為である。造形そのも のもさることながら、心の配信が空間に生気を生み出すのである。 太平洋の真ん中にあるハワイ群島は、米国が先住民族から奪い取ってリゾートパークと化した場所でもある。しかしここに降り立つとそういう歴史を忘れてしまう。ウクレレや甘い、エレキギターでこの土地の音楽を聴き、フラの利きに感覚をゆだねると、気持ちの深奥が溶け出すのがわかる。現地語の、特に名詞は音韻的に感覚を弛緩させるような響きを持っており、「アラモアナ」「ハレクラニ」「フラ」「ロミロミ」などという緊張を解く呪文のような音組 をハワイアンのメロディとともに浴び続けると、身も心も蓄積した疲労と一緒に溶けてしまいそうだ。人に天才がい るように、土地にも天才的なリゾート地があり、ハワイは癒しの霊性に満ちているように思う。 バリ島は、バリ・ヒンディーという島独白の文化とオランダ文化の融合が薬味として効いていて、ゆるみや開放感 が主旋律になりがちなリゾートの空気をほどよく引き締めている。耳を澄ますとどこからともなくガムランの音が聞 こえてくるこの土地は、神々の島としての尊厳がどこかできちんと担保されている。しかしながら、ここに無数に作 られてきたホテルの着想も画一的であると言わざるを得ない。バリ風建築を採用したエントランスやロビー。海にし ても山にしても、その眺望をきれいに取り込んだ敷地の造作と、景観を集約するポイントに「インフィニティ・エッ ジ」すなわち近景を水庇で切り取る美しいプールがある。土地の風土を巧みに生かしたヴィラの数々は素晴らしい が、やはりその根底にあるリゾート観はまぎれもなく西洋スタイルなのだ。類型に浸るのが心地よさへの近道かもしれないが、そろそろお決まりの植民地式リゾートから自由になって、アジ ア式リゾートを考えてみるのはどうだろう。同じインドネシアならこんなアイデアはどうか。インドネシアは一万八 〇〇〇にも及ぶ島々からなる国で、東西はアメリカ合衆国と同じくらい広い。その島のひとつを「巨大植物園」とし て運営する。植物園といっても温室やフラードームが並ぶようなものではない。ガラスの温室も百面白いけれども、こではその土地の風土にあう植物を、できるだけなにもしないで、自然のままに育て上げるボタニカル・ガーデンである。ここでは花を愛でるのではなく植物そのものを味わう。珍しさや希少性を鑑賞するのではなく、旺盛な植物の繁茂 を楽しむのだ。立派なへチマがなっていたりマンゴーがたわわに実をつけていたり、その土地にごく普通に生育する あまたの植物がのびのびと葉を広げているような風情からは生命の精気を分けてもらえる気がする。人間の生命の場 幹にある更新する力と植物の力を共振させるとでも言おうか。贅の尽による逸楽ではなく、植物が秘める生命力と 交感する場所である。 白然植物園には繊細なハイテクが管理するヴィラをまばらに分散させる。透明なガラスで覆われたヴィラの内部は 空調で快適にコントロールされているが、居住空間は屋外のようにも感じられる。それぞれのヴィラと中枢施設をつ なぐのは整備された細い小道。そこを電動カートが行き来してあらゆるサービスを行う。個々のヴィラには、神経系が緻密に張りめぐらされるように、ハイテクの端末が余裕を持って配置されている。インターネットに接続するたびにパスワードを入力するような煩わしさもない。スムーズに世界のあらゆる場所に接続している。テクノロジーは白然と拮抗するのではなく、むしろ進化するほどに自然との親和性を増し、その境界を曖味にする。どこまでがが自然で どこまでが人為か分からないような融合感にこそ気を通わせるのだ。そのためには自然の贈与を素直に受け入れる建 築を考えなくてはならないが、これは建築家にとっても面白い課題になるはずだ。 植物関内には農場も並行して作っていく。土地の人々にここで働いてもらえれば理想的である。有機栽培で作られ る土地の野菜やハーブ、薬草を利用したレストランやスパも展開できるかもしれない。スパはアジア流の施術を基本 としたい。 僕の仕事は「もの」を作るというより「こと」を作ることであると普段から言い募っている。だからこういう仕事 こそ本領である。デザインとは、物の本質を見極めていく技術だが、それが産業のヴィジョンに振り向けられたときには、潜在する産業の可能性を可視化できなくてはならない。 建築家のブルーノ・タウトをして、すでに完成された建築があったと感涙させた桂離宮に限らず、日本の文化は美と誇りを携えていた。襖や障子のたたずまいは、空間の の秩序のみならず、身体の秩序、すなわち障子の開け閉てや立 ち居振る舞いという、躾けられた所作に呼応して出来上がってきたものだ。いかに美しく、そしてささやかなる矜持 を持って世界に対峙し、居を営むかという精神性が建築の秩序と一対をなしている。この美意識を未来の住まいの たちや観光のかたち、ホスピタリティのかたちへと活用していく構想については、本書で幾度となく触れてきた通り である。 本書は『図書』に二〇〇九年九月より二年間連載した「欲望のエデュケーション」をまとめたものである。連載は 無理だと思っていたが、始めてみると不思議なことに、 曲がりなりにも生活のリズムになった。
1投稿日: 2023.06.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
建築もデザインも、仕事はおおむねコンペの連続であるから、これくらいではへこたれない。コンペに勝てなくても、全力で考えた思考の成果はアイデアの貯金として蓄積されていく。それがたまればたまるほど、クリエイターとしての潜在力や爆発力は増していくのである。 [車が嗜好品から当たり前のものになり、実用性を優先して設計された似たような四角いデザインばかりになるのについて] これを寂しいと感じるか、ものに対するふさわしい認識が成熟したと見るかは難しいところだが、大事なことは、そこに他の文化圏にはないオリジナリティが生まれている点である。 日本の車でユニークなもので共通意見 ダイハツのタント ガソリンエンジンから電気自動車 ドライブ系→モバイル系 行くという能動性・主体性、エンジンを制御するという運転の美学 →スムーズに移動するという合理性、トランスポートを最短、最少エネルギーで実現したい冷静な意欲 若者の一人用マシンや歩行を好むベクトルも ドライブ/モバイル 都市/自然 パブリック/パーソナル 宗教や文学、神話ではなく 物の表面に偉容をなす細部を付与するための装飾紋様が動物化したと考えるべきである。 阿弥とは、やや乱暴にたとえるなら、優れた技能や目利きの名称を付す「拡張子」のようなものだ。 …長く使う構造体スケルトンと、可変性のある内装インフィルを分けて考え、良質なスケルトンを吟味して入手し、インフィルを自分の暮らしに合わせて徹底改修すればいいのである。 伝統的な工芸品の再興に対して …問題の本質はいかに魅力的なものを生み出すかではなく、それらを魅力的に味わう暮らしをいかに再興できるかである。 スピーカーは音響空間へ テレビは壁の中に埋まるか、より存在を主張するか 照明器具は天井化 環境は静かに人や身体と交感を始めるのだ。 石元泰博 モホリ・ナギ『ヴィジョン・イン・モーション』 ゲオルグ・ケペシュ『視覚言語』 働きアリと怠けるアリ
0投稿日: 2022.01.15
powered by ブクログおもしろいと興味を持ってどんどん読み進められる部分と 退屈で眠たくて、全く進まないような部分があって その差がものすごかったです だけどデザインという概念を通して日本の未来を考える良い機会になったし 改めて日本のこれまで育んできた文化や未だ潜んでいるポテンシャルに誇りを持って、しかしおごることなく 未来に向かって進んでいきたいなという気持ちになりました
0投稿日: 2021.08.29
powered by ブクログデザインという「モノ」だけでなく、何のためにという自分や相手の主体性に寄り添わないと、暮らしも文化も熟成しない。 西洋と日本のシンプルの違いがわかりやすかった。
0投稿日: 2021.06.09
powered by ブクログ世界はデザインで溢れている。紙が四角いのもボールが丸いのもデザインだ。四角いから省スペースにたくさん書けるし、丸いから転がっていく。デザインは人の行為の本質に寄り添う必要があるが、日本の生活に根付いたデザインを探っていく。 ダイハツの「タント」や日産の「キューブ」は、ヨーロッパの車と違い、四角いデザインだ。欧州ルーツの車は、空気抵抗を軽減するため、四方のウインドウは斜めに傾いている。したがって、タントやキューブは、遅そうに見える。しかし、空力特性を捨てることにより居住性が優先され、構造が安定するので前後のドアの間にある側面の支柱も不要になった。 現在、「シンプル」という言葉は、良い意味として捉えられているが、その概念が生まれたのは150年ほど前のことだという。シンプルを意識するためには、それとは逆の複雑さが存在しなければならない。昔から、物には権力の象徴という側面がある。椅子や青銅器、建築物にしても、所有者の権力や財力を示すために、きらびやかで複雑なデザインになっていった。しかし、近代社会の到来によって、価値の基準は、人が自由に生きることを基本に再編され、国は人々が生き生きと暮らすための仕組みを支えるサービスの一環となった。これによって、本来の機能を最短距離で発揮させようとする合理主義的な考え方が主流となり、デザインもシンプルなものが好まれるようになった。 日本の室町時代の書院造は、時代を先駆けてシンプルさを追求していたように映るが、筆者によれば、それはシンプルさとは違う「エンプティネス」(=空っぽ)だという。何もないことによって豊かな想像力が喚起される。そういう美しさだ。 他方で、現代の日本の家庭を見ると、(ボクも含め)ごちゃごちゃと物に溢れている家も多い。ものが少ないということは、それだけで美しい。もったいない精神を発揮するのではなく、エンプティネスを重視するのも良いかもしれない。
0投稿日: 2021.04.04
powered by ブクログ日本を代表するデザイナー・原研哉による日本のデザインの魅力・可能性に迫った一冊。 プロダクトやファッションから自動車、素材や観光業まで、カテゴリーを超えた話が200ページ強に詰まっていて、読み応えがあった。特に、日本には昔「阿弥」と呼ばれる茶道や華道、能から空間の演出まで手がけた、今でいうデザイナーのような人がいた、という話が面白かった。華美な装飾や複雑さがなく簡素さ、潔さ、モノの本質を突き詰めることを是とする美意識が日本人の中に宿っている、と言われている一方で、街の景観など俯瞰した時の美しさには鈍感だ、という話にはハッとさせられた。 今まで以上に文化や価値観が世界中から混ざり、人種や国籍以上に個性が問われる時代だからこそ、「日本人」や「日本の文化」という観点から日本特有のセンスについて改めて考えさせられた。
0投稿日: 2021.02.21
powered by ブクログ未来に向けて日本の在り方、可能性が明るく述べられているが、残念ながら本著が記されて10年経った今そこまで未来は明るくない 日本語は洗練されており、「白」同様文章構成は素晴らしい
0投稿日: 2021.01.31
powered by ブクログ日本のデザイン業界を牽引してきた原さんの書籍 日本人の簡素さやシンプルに関する歴史やご自身のイタリアでの展覧会のご経験などが記載されている。 デザインに関する歴史を学ぶ一冊/教科書的な位置づけに近い
0投稿日: 2020.11.28
powered by ブクログデザインについてかかれた本だが、デザイン以外のことにも通じるものがあるように感じた。 デザインと一口にいっても、車・家・ファッションなど様々なものに触れており、時代の変化によるデザインの変化も紹介している。 具体的なイベントや、場所、素材などの紹介もあるので少しこういった専門分野に興味がある人にもおすすめできそう。 デザインとは、生活を作り上げていくものである。
0投稿日: 2020.03.05
powered by ブクログ0045 2018/07/28読了 デザインのデザインより先にこちらを読んでしまった… 日本のデザインというよりアジアのデザインって感じ。 西洋の考え方からどうやって脱却するか、日本はこれからどのように世界の中にあるべきか、みたいな? 阿弥衆調べよう
0投稿日: 2019.12.28
powered by ブクログデザインは欲望。 希望というよりも欲望。 どりゃ 私にとって、正解はない 自分の主張や客観を語る。 どりゃのきっかけをくれた本。 正解がないんだから、出してみるしかない。 どりゃ
0投稿日: 2019.11.27
powered by ブクログ岩波書店「図書」に掲載されていた連載記事をまとめたものだそう。 ・石本泰博の桂離宮写真集4種 ・アマン・リゾーツ ・東京大学大野秀敏教授の「巡回公共サービス」 ・311 SCALE
0投稿日: 2019.05.17
powered by ブクログシンプルという概念がいつ生じたのか。シンプルとエンプティネスの違い。その部分が特に勉強になった。 長い時間をかけて日本人が生み出し時に壊し受け継いできてくれた美意識や文化というかけがえのない、いくらシンガポールや他の国がお金をかけて買おうとしても決して買えないことを、この時代に生きる私たちも最大限に感じ受け継ぎ時に壊し新しく生み出して繋いでいきたい。お金では買えない生きるうえでの豊かさに気づいていきたいし伝えていきたいなぁ
0投稿日: 2019.05.01
powered by ブクログ総評 日本の未来が明るく描かれている。日本が持っている美意識という強みを生かして世の中に価値を与える構想が垣間見えてとても良かった。 序 美意識は、石油や鉄鉱石などの天然資源などと同様な資源なのである。日本人は兼ね備えている。 1 移動 車の存在価値のパラダイムシフトが起こっている。 おもしろい。 2 シンプルとエンプティ 四角は人間が生み出した人工的な形。優れたデザインは人の行為の普遍性を表象している。 文化は複雑から始まったのではないかという話が面白い。シンプルは合理主義。エンプティは何もないこと、見立ての創造力。空白にイメージを誘う。 日本の美意識。繊細、丁寧、緻密、簡潔。 3 家 日本の家はモノで溢れかっている原因の1つが、戦後からの復興、モノへの渇望であるというところから来ているという視点が面白い。 また、リノベーションでの内需拡大や家×テクノロジーの可能性の大きさは興味深い。 URのノウハウが中国マーケットで活かせるなら、面白い。 4 観光 日本の美意識が未来資源。 アマンリゾーツなどの先行事例から、日本のおもてなしは今後重要度が増すのであろう。ホテルや旅館で経験のデザインをしていくことが必要。国立公園の運用を考えるなど、日本に希望を見出している。瀬戸内国際芸術祭にも、関与しているとのこと。この芸術祭の背景もまた、興味深かった。 5 未来素材 世界で評価されるのではなく、機能するという主体性。日本の最先端技術を如何にして世界で機能させるかを考えてきた著者には敬服するばかり。TOKYO FIBERにおいても取り組みもとても興味深かった。最先端の繊維を世界でどのように機能させていくかがテーマになりそう。ファッション情報の流れに乗るということは、フランスとイタリアの残業の隆盛を加速させるとのこと。 6 成長点 東日本大震災直後の執筆ということもあり、震災復興についてである。復興を復元にしない。日本の課題を踏まえたうえで未来構想を練っていくことがたいせつとの示唆がある。
0投稿日: 2019.03.17
powered by ブクログたまには普段と全く異なるジャンルも読んでみようということで買ってみた。。 最近イベント関係の仕事(といってもBtoBだが)にも携わるようになってきて、今まで全く関心のな かった「デザイン」「美意識」を否が応でも意識せざるを得なくなった。 そういう意味では、「未来素材」の章は、デザインど素人の自分でも読みやすい内容だった。著者が 関わった、「TOKYO FIBER '09/SENSEWARE」は、日本のハイテク繊維を可視化するという趣旨で開催 された。本章でクリエイターたちの作品のいくつかを紹介しているが、技術とデザインが融合すると はこういうことかと教えてくれた気がする。
0投稿日: 2018.10.08
powered by ブクログ今後の日本のあり方、可能性を示した一冊。デザインという手仕事よりな発想ではなく、俯瞰的に、日本をどうプロデュースしていくかという観点から述べられている。 特に秀逸な前書きは日本という国の素晴らしさを再認識させてくれる。
0投稿日: 2016.03.23
powered by ブクログ原研哉氏のエッセイ連載をまとめたもの。 デザイン、ものづくりで日本を語るとき、表現はどうしても保守っぽい雰囲気になるんだな、と思った。 それとも、敢えて、国の文化方面にウケの良さそうなネタにしているのか。 それでも大陸や西洋のいい部分、参考になるところはきっちり紹介してあるし、日本礼賛部分も当然著者の広い経験と実績、深い知識に基づくもの。 日本の文化を守る、伝えるというのはこうあるべきと思った。
1投稿日: 2016.01.20
powered by ブクログ日本を代表するデザイナーのひとりである原研哉による、岩波書店の月刊誌『図書』における「欲望のエデュケーション」という題名の連載(2009~2011年)をまとめたものである。 著者は、連載の題名「欲望のエデュケーション」について、「製品や環境は、人々の欲望という「土壌」からの「収穫物」である。よい製品や環境を生み出すにはよく肥えた土壌、すなわち高い欲望の水準を実現しなくてはならない。デザインとは、そのような欲望の根底に影響をあたえるものである・・・よく考えられたデザインに触れることによって覚醒がおこり、欲望に変化が生まれ、結果として消費のかたちや資源利用のかたち、さらには暮らしのかたちが変わっていく。そして豊饒で生きのいい欲望の土壌には、良質な「実」すなわち製品や環境が結実していくのである」という。 また、本書の題名については、「こうなりたいと意図することがデザインであり、その姿を仮想・構想することがデザインの役割である。潜在する可能性を可視化し、具体的な未来の道筋を照らし出していくこと、あるいは多くの人々と共有できるヴィジョンを明快に描き出すことこそ、デザインの本質なのである」と語る。 著者は、「ものの作り手にも、生み出されたものを喜ぶ受け手にも共有される感受性があってこそ、ものはその文化の中で育まれ成長する。まさに美意識こそものづくりを継続していくための不断の資源である」とした上で、日本の「美意識」の中心は、「繊細」、「丁寧」、「緻密」、「簡潔」を旨とし、簡素さや空白に価値を見出していく感受性にあると言い切る。 そして、今後、日本に求められるのは、西欧中心の既成の価値観において「評価される」ことではなく、日本発の価値観において「機能する」ことであり、日本が如何にして世界で「機能する」べきかについて、移動手段、家、観光、素材などについて具体的に語っている。 著者のいう“デザイン”の意義・価値に大いに共感するとともに、その未来について考えさせてもらった。 (2014年3月了)
0投稿日: 2016.01.11
powered by ブクログ資源が不足しているからこそ、日本は「美意識」という資源を手にした…というところから話は始まる。シンプルという美、そしてシンプルを先駆けしていた足利義政、繊細で丁寧で緻密で簡潔な日本のデザインなど、日本の美意識という観点から我々を勇気付けてくれる一冊。 様々な小話が盛り込まれているが、リノベーションに関する提案、世の中が丸と四角ばかりワケ、新素材を使った笑う車などまさに目からウロコの情報ばかりだ。
0投稿日: 2015.12.11
powered by ブクログデザインの視点から、日本の未来の可能性を考察する。洗練された考えと言葉の選び方で、心地よい緊張感と勇気をもらった。
0投稿日: 2015.04.11
powered by ブクログ大阪出張時に購入。丁度デザイン思考に関する本を沢山読んでいた時期。途中で放置してしまった。こういうのは一気に読まないと入らないな。デザインは欲望を具現化する過程。←こんなこと書いていたかなぁ
0投稿日: 2015.01.13
powered by ブクログ(1)私が読んだのは、原研哉の「日本のデザイン」という本だ。 内容としては、主に外国のデザインと日本のデザインを比べたものが多い。身近な「JAPAN CAR 飽和した世界のためのデザイン」からシンプルとはなにか、家をつくる知恵、国立公園の観光、ファッション・もののデザイン、そして現在の日本のデザインによって今日の東日本大震災は復興が進んでいるかと思う。 (2)私が注目したのは、主に2つある。 ひとつは、「JAPAN CAR 飽和した世界のためのデザイン」の展示会についてだ。本では、こう書いてある。「ここしばらく日本のクルマはある傾向を示しはじめている。少し注意してみるとすぐに気付くが、ひと昔前まで主流を占めていた高級志向のセダンや、スポーティなクーペがめっきりと数を減らし、代わりに四角くてコンパクトなクルマが増えた。つまり実用性に焦点を絞って設計されたクルマの割合がぐっと増えたのである」(19ページ)。確かに最近の車は、燃費がよく走りかっこいいというよりも小さく可愛い軽の車が増えてきた。そのため、車といえば男の人が乗り回すイメージから女の人も車に愛着を持って運転する人が増えたのではないかと考える。これは、外国からすれば、大きな進歩であり、日本経済にも影響を与えていると考える。 二つ目は、東日本大震災に関係した現在の日本のデザインである。デザインとは、ただ単に外見がかっこいいや可愛いだけでは成り立たない。今までの阪神淡路大震災、東日本大震災を経て日本のデザインは変わった。「受け入れるべきは受け入れ、慎むべきは慎みつつ、前に進み未来を構想する。長い歴史の中で、人間は倦まずたゆまず、そうして大きな困難を克服してきたのである。今回の災害もそうして乗り越えていかなくてはならない」(218ページ)。このように常に日本のデザインはその時、その時代に合ったものを作り出していかなければ、将来残ることはないと考える。 (3)全体を通して感じたこと。 それは、日本のデザインはその時の災害や経済の流れに沿って常に変わり続けており、そしてまた、人々もそれに従って変わってきている。外国に比べ、日本のデザインはどこか深く意味があり、ふと時間を忘れてしまうような空間を作り出してしまう。だから、外国からも人気が高く、作り出すのにどこよりも苦労が必要だ。決して外国が簡単に作り出せるというのではなく、その国独自のデザインがあり日本には日本に合ったデザインがあり、その中でもコストや耐久性など場所に合ったものを日本はつね日頃作り出そうとしているのではないかと考える。そしてまた、私はそんなデザインをはじめ、機能性にまで重視している日本のデザインが好みであり、私も将来、日本に大きな影響を示すデザインを作り出してみたいと思った。(愛 20150105)
0投稿日: 2015.01.10
powered by ブクログデザイナーの言葉だな、としみじみ思う。どちらかというと無駄のない、洗練された日本語だ。言葉の選び方もハッとするものがある。 しかし、どこか物足りない。あくや癖がない。幕の内弁当的編集なのだ。「一冊を通して」何かを訴えようという本ではない。どこかお気に入りがあれば、というつくりで、未来への示唆はあちこちにあるが、骨が太くないのである。雑誌の連載をまとめたものとあって、合点がいった。 気になった示唆のいくつか ・住まいやオフィスの環境も、モビリティや通信文化の洗練も、医療や福祉の細やかさも、ホテルやリゾートの快適さも、美意識を資源とすることで、僕らは経済文化の新しいステージに立つことができるはず ・精度の高いボールが宇宙の原理を表象するように、優れたデザインは人の行為の普遍性を表象している。 ・現代の日本人は、小さな美には敏感だが、巨大な醜さに鈍い ・抑制、尊厳、そして誇りといったような価値観こそデザインの本質に近い。 ・ファッションとは衣服や装身具のことではなく、人間の存在感の競いであり交感である ・世界から評価されるのではなく、世界で機能するという主体性を持つ。
0投稿日: 2014.06.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
原研哉さんは好きなアートディレクターの一人だ。 「HAPTIC」展等、非常に好奇心をくすぐられる美しいデザインに、10代の頃から憧れを抱いていた。 最近、研哉さんが携わった代官山Tサイトに行ってきた。ずっと行きたかったとこ。建設のサインやブランドロゴなどを担当している。居心地が良く、美しい空間だったな。 本著の中で語られてる「TOKYO FIBER」展が面白そうだな、と思った。見たかった。日産キューブの「笑うクルマ」が可愛かった。クラクションはいわば「威嚇」であるが、もしもクルマが「微笑」を表現出来るなら、街角は相当に和らぐはずだ、という考え。 考え方がスマートで、なるほど!と思わず微笑んでしまう、そんなデザインはやっぱ素晴らしい。
0投稿日: 2014.04.04
powered by ブクログ武蔵野美大教授であり、日本を代表するデザイナー、原研哉さん。 ”可能性は常に意外性の中にある” の言葉通り、原さんの斬新かつシンプルなアイディアにはほんとに驚かされます。 常に消費者目線でデザインを追求する原さんの考え方が沢山学べる一冊だと思います。
0投稿日: 2014.03.27
powered by ブクログ2014.3.1 とてもおもしろい。文化論である。 文化の授業をする時に、文化というものをどう考えるのかという切り口で使えそう。コピーして読ませてもいい。 デザインのデザインも読んでみたい。
0投稿日: 2014.03.01
powered by ブクログ無印良品、愛知万博等を手がけたデザイナー、原研哉の本。 デザインするということは装飾的に着飾ったり、ものをお洒落にするということではない。 例えば「考え方」だってデザイン出来るし、するべきだ。 デザインするということの本質、核心に迫りながら今後の世界、そしてその中での日本の立ち位置や振る舞い方を提案している。 「デザイン」は日常の中に溢れている。 お勧めの一冊。 まえがきより引用。 「中国、そしてインドの台頭はもはや前提として受け入れよう。アジアの時代なのだ。僕らは高度成長の頃より、いつしかGDPを誇りに思うようになっていたが、そろそろ、その呪縛から逃れる時が来たようだ。GDPは人口の多い国に譲り渡し、日本は現代生活において、さらにそのずっと先を見つめたい。アジアの東の端というクールな位置から、異文化との濃密な接触や軋轢を経た後にのみ到達できる極まった洗練をめざさなくてはならない。 技術も生活も芸術も、その成長店の先端には、微細に打ち震えながら世界や未来を繊細に感知していく感受性が機能している。そこに目をこらすのだ。世界は美意識で競い合ってこそ豊かになる。」
0投稿日: 2014.02.20
powered by ブクログ「こうなりたいと意図することがデザインであり、その姿を仮想・構想することがデザインの役割である。」 というように、「もの」のデザインについてだけでなく、デザインを介してルーズになりがちな私たちの欲望について疑問を呈してくれる本でした。 すっと入ってくる文章に、原研哉さんの文章の上手さを感じました。 まだまだ日本も捨てたもんじゃない、ここからが勝負だ!と自分の国の素敵さを再確認できる一冊。 筆者が日本の未来をあきらめていないのがいい。 私自身も自分の毎日を素敵に「デザイン」していきたいと思えた本です。 図書館で借りたけれど、購入して、折に触れて読み返そうと思います。
0投稿日: 2014.02.12
powered by ブクログデザイン系を志しており、課題として出たのが本書。 他にもいくつか課題本はありましたが、前著「デザインのデザイン」が面白かったので購入。 単行本と文庫本、形は違えど前著の続編の位置づけなのかな? 構成もほぼ同じ。 日本のデザインを焦点に当てている本書では、現在の問題(大量生産の果てやアパートマンションなどの統一された構造等)の指摘、それらを今よりも良いものにする未来へのアイディアまでも鮮明に記されています。 鮮明、と書いたのは著者の考えた構想がそんなの夢だよ、無理では終わらないように思えるから。問題点を深く理解されていて、その上で出されたアイディアの数々はひょっとすると今でも実現できるのでは?と読んでてワクワクする。時折入ってるイラストカットも可愛い。 この方の本を読んでいるとデザインってもはや経済支配するんじゃね?とまで思えてくるからすごい。実際にそうなのかもしれません。 デザインを目指す人が読むといいと思う。自分が今から携わりたいと思うことに期待と誇りが持てた。
0投稿日: 2014.02.03
powered by ブクログ日本人の良さを取り入れたデザインは、世界に通用するし、もっと日本人らしさを前面に出して、世界に発信しようという強いモチベーションを感じるとても良い本だと思う。
0投稿日: 2013.12.11
powered by ブクログ【推薦文】 シンプルとはなんなのだろう。 リゾートとはなんだろう。 そもそもデザインとは力の象徴だった?? デザインとして美という観点から日本という今を見つめなおす。 広報学科や国際学部にお勧めな本です。 普通に使っていた言葉を見つめなおせる素敵な本です。 <情報学部 T> 企画コーナー「成長する本棚」は(2Fカウンター前)にて展示中です。どうぞご覧下さい。 展示期間中の貸出利用は本学在学生および教職員に限られます。【展示期間:2013/11/26〜】 湘南OPAC : http://sopac.lib.bunkyo.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1606115
0投稿日: 2013.12.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
大好きなグラフィックデザイナー原研哉氏の著書。 【まえがきについて】 デザインとは欲望のエデュケーション。 この言葉の背景には、 製品や環境は人々の欲望という「土壌」からの「収穫物」であり、それを生み出すにはよく肥えた土壌が必要。 デザインとは欲望の根底に影響を与えるものであるという考え方があるとのこと。 そして、エデュケーションという言葉をあえて選んだのは、この言葉に、教育するという視点に加えて、潜在するものを開花させるというニュアンスが含まれているからだとも。 このくだりにより、エデュケーションという表現がデザインにぴったりであることが納得できます。 「潜在するものを開花させる」 これがデザイナーの仕事であると思いました。 形になってない欲望。目に見えていない欲望。 それらを表現し、日常に送り出すことがデザイナーの使命であると思いました。 まえがきからはまずそのように感じました。 ・・・続く。
0投稿日: 2013.11.19
powered by ブクログ本書は「デザイン」という切り口から日本の将来展望や未来構想を語ったものです。著者の原研哉氏は、武蔵野美術大学教授で、「無印良品」のボードメンバーでもあります。 日本の強みのひとつを「美意識」に見つけ、そういった価値観を具現化するものとして「デザイン」を位置づけたり、「デザイン」とは物の本質を見極めていく技術であると定義づけたりと、本書で語られている著者のメッセージはとても興味深いものでした。 日本の将来に対するポジティブな著者の姿勢は気持ちのいいものです。
0投稿日: 2013.06.18
powered by ブクログ好きなデザイナーである氏の新刊。日本の生活の中で歴史を重ね醸成されてきた美意識や道具の在り方を「移動・シンプル・家・観光・未来素材・成長点」の6つに分けて見つめなおしながら、震災後とこれからのデザインについて語る本。 氏の著作はどれも好きだけど、今回は日本のデザインを見つめなおして未来へ活かすという割には、ややアジア全体ひっくるめて現代の飽和社会への警鐘として紹介、どこもひっくるめて地に足をつけた生活発信のデザインを産み出す地域と定義している感が強い。この辺は少しタイトルとそぐわない気がした。 でも、デザインによる怠惰な日常生活の改革というか気付きは多かったので、そこは満足。一番深く同意したのは、デザインは欲望をエデュケーションする道具であるという文。社会の側を発端とした、よく考えられたデザインに多く触れて、消費者と生産者とが価値観を共有することで欲望が変化し、ルーズなニーズ(駄洒落のつもり)が教育されてより良い製品や環境を皆が目指すようになる、というのはとても素晴らしい流れだと思う。自分も、なるべく良いと感じるデザインに日常生活で触れる機会を多くしていきたい。生活必需品とか、部屋とか、車とか、美少女キャラとか(えー デザイン本?の感想考えてたからか、唐突に思い出した。来年は是非、あいちトリエンナーレ(http://t.co/krfMyiSa)に何回か行って自分なりに楽しむことと、無何有という旅館(http://t.co/lUjAkSGZ)に2泊くらいすることをやることリストに加えておきたい。
0投稿日: 2013.05.26
powered by ブクログ2013年3月にHOUSE VISIONを開催した原研哉氏の著作。 イベント開催に至る経緯(著者の思考や美意識)が読み取れる。講演などで聞いたことのある内容とかぶっている部分もあり、新鮮さはなかった。
0投稿日: 2013.04.10
powered by ブクログ日本の文化を踏まえ、日本人の強みを生かして、今後の世界における日本の立ち位置や進むべき道を説いた一冊。 「デザイン」とは単なるファッションの創造のみならず、生活を作り上げていくもの。 デザイナーの仕事とは建築も含め、色んな工業製品だけではなく、生活様式や社会生活まで「デザイン」すること。 改めてスゴイと思いました。 目から鱗です。 また原氏の文章がとても秀逸で説得力を伴うものであったことも驚きました。 物書きの人よりよっぽど綺麗な言葉を駆使し、時に熱を帯びた文章に感動を覚えます。 ポイントポイントをノートに控えましたが、少し目の前が開けた感じがあります。 これは繰り返し読んで自分の中にしっかりと植えつけたい本です。
3投稿日: 2013.04.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
日本のデザインの可能性を感じられる本であった。 日本は工業製品の輸出国であったが、これからは変化を求められる時代。そんな時代にアジアでも島国という環境で独自に育った日本文化の中にあるデザインで勝負していける。 デザインとは作り出すことではなく環境の本質を考える生活の思想であるという言葉が印象的であった。
0投稿日: 2013.03.03
powered by ブクログこのデザイナーの周到な言葉づかいに感心。半分まで来たが、簡単に読み飛ばせない。一語、一文に含蓄がある。的確な言葉で精緻な文章を大胆にデザインしているような…。 最後まで楽しく読み進めることができたのは、どういう状況で、何が課題で、そのための仕事(「ことをつくる」デザイン)とは何かがわかりやすく述べられているからだ。ものづくりでも、人づくりでも、そのための「ことづくり」でも、創造力の根源に言葉があることを実感した。
0投稿日: 2013.02.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
デザインについて、車や家、素材など様々な視点から未来を描いたもの・ ・富を所有するだけでは幸せになれない。 手にしているものを適切に運用する文化の質に関与する知恵があってはじめて人は充足し、幸せになれる。 ・良質な旅館に泊まると、感受性の感度が数ランクあがったように感じる。それは空間への気配りが行きとどいているために安心して身も心も開放できるから。しつらいや調度の基本はものを少なく配すること。 何もない簡素な空間にあってこそ畳の目の織りなす面の美しさに目が向き、壁の漆喰の風情にそそられる。
1投稿日: 2013.01.26
powered by ブクログクルマは「ドライブ」系から「モバイル」系へ。 移動は個人から都市インフラへ。 道路の白線という約束を頼りに運転の全てを委ねていた時代は過ぎ去るが、 根源的な欲望としてのクルマも趣味性の高い乗り物として残る。 「シンプル」が生まれたのは150年前。 世界が「力」によって統治され、せめぎあって流動性をつくっていた時代には、 人工の複雑さが威嚇の象徴だった。 近代化という名のもとに、自由に生きることを基本に再編され、 物は「力」の象徴である必要がなくなった。 家を輸出する。 テクノロジーにより家が制御され始めている。 テレビもスピーカーも照明も壁と一体化していく。床がセンサーになる。 靴を脱いで入る住環境は体と環境の新たな対話性を生み出す。 世界で「評価される」より「機能する」 日本独自の情報の流れを主体的に生み出していくこと。
1投稿日: 2013.01.23
powered by ブクログ日本人は「何もないことの豊かさ」を感じ取れる、独特な美意識を持っている。シンプルではなくてエンプティであること、空虚であることから新鮮な感覚がどんどん生まれてくる。 そういった日本人の美意識は資源である。他の国には決して無い特徴であり、強みである。天然資源はお金で買うことができるが、文化の根底で育まれた感覚資源は買うことができない。 少子高齢化や産業の空洞化、グローバル化の潮流に飲み込まれる日本。工業化に邁進してきた今までのあり方ではいけない。日本人が今まで培ってきた美意識に回帰して、新たな日本のあり方をデザインする必要がある。 「GDPは人口の多い国に譲り渡し、日本は現代社会において、さらにそのずっと先を見つめたい。アジアの東の端というクールな位置から、異文化との濃密な接触や軋轢を経た後にのみ到達できる極まった洗練をめざさなくてはならない。技術も生活も芸術も、その成長点の先端には、微細に打ち震えながら世界や未来を繊細に関知してゆく感受性が機能している。そこに目をこらすのだ。世界は美意識で競い合ってこそ豊かになる。」
0投稿日: 2013.01.20
powered by ブクログ多くのデザインプロジェクトに携わり、世界中から高い評価を得てきたデザイナーが日本の未来に向けて語った書。 デザイナーとは程遠いエンジニアの私にも、共感できる部分が多くありました。 本書で著者は日本についてこのように書いています。 「日本には天然資源がない。しかし、この国を繁栄させてきた資源は別のところにある。それは、繊細、丁寧、緻密、簡潔にものや環境をしつらえる知恵であり感性である。天然資源は今日、その流動性が保証されている世界においては買うことができる。 (中略) しかし文化の根底で育まれてきた感覚資源はお金で買うことはできない。求められても輸出できない価値なのである。」 そして、我々日本人は、自らの文化が世界に貢献できる点を、感覚資源からあらためて見つめ直してみてはどうだろうかと提案します。 現在、多くの国で、日本の「おもてなし」が評価されはじめています。 これも日本特有の感覚資源だと思いますが、本書を読んで、「おもてなし」と同じように、日本人特有の緻密さや繊細さが世界に類を見ない日本特有のデザインを作り上げていることに気付きました。 本書では、クルマ、家、ファッションなど、様々なデザインについて触れていますが、その中で、クルマを例にとると、著者は以下のように言っています。 「トヨタ、日産、ホンダのデザイン部門の人々と会して、意見交換をしていた時のことである。今の日本のクルマでユニークなものは何かという話題で意外な意見の一致をみた。3社の人々が共通して指摘したのが、ダイハツの『タント』という軽自動車である。 このクルマのどこが特徴的かというと、それは軽自動車の基準、すなわち、長さ・幅・高さの基準をいっぱいに活かした、極めて率直な四角い形状にある。 軽自動車の基準を最大限に活用しようという長年の工夫が実って、単に小さいだけではない、知恵と技術が凝縮した『四角いかたち』が育まれてきたのである。おそらくこれから、世界に認知される『JAPAN CAR』のひとつの典型をなす形である。」 とても印象深いエピソードでした。 ダイハツのタントは、日本だからこそ生まれたデザインです。 このような日本のデザインをもっと積極的に世界にアピールしていけば、いつか日本らしいデザインが日本の新たなアイデンティティとなる日がくるのかもしれません。
0投稿日: 2012.12.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「デザインのデザイン」の著者が送る第二弾。 図書に2009年9月から2年連載した文章の単行本化。 展覧会 JAPAN CARの企画の顛末が不思議。 「東日本大震災から」という章では、日本デザインセンターなどの取組みに注目。 http://www.ndc.co.jp/hara/news/index_7.html 「日本デザインセンターでは「311 SCALE」というプロジェクトを始めました。「演出しない/主張しない/世界の人々に分かりやすく/可能な限り正確に」を基本姿勢とし、東日本大震災のデータ(地震・津波・放射線・電力消費等)を可視化する活動です。」 上の図は凡例が地図にかかってみにくい。下の図は地図からはみ出ていてい分からない。WEBデザインについて、もう少し検討して欲しいかも。
0投稿日: 2012.11.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
無印良品のデザイン等で知られる原研哉さんの本。 どっちかというと産業論のお話。 美意識は資源だ、というのが先生の持論。 製造業が新興国の追い上げを受ける中、 日本的な美意識をもとに、住宅や観光で 新たに産業を興す可能性を語っていきます。 また、石や紙が、様々な知識や技術創出の媒体と なったように、最近話題の人工繊維にも同様の 大きな可能性を見ています。 http://tokyofiber.com/ja/ 思えばいつの時代もアーティストは新しい素材に敏感ですね。 実業界もこのような動きに敏感にならないといけないと 思いました。
0投稿日: 2012.10.20
powered by ブクログ権力を誇示する必要があった社会から市民社会に移り変わる中で複雑さとの対象として生まれた「シンプル」。そんな中、日本の美意識にある「簡素さ」は、かたちの合理性を探求したものではなく「何もない」が意識化されたもの。何となく分かる感じもします。現在、進められているHOUSE VISIONも日本人の持つ美意識を世に問う機会になりそうです。
0投稿日: 2012.10.19
powered by ブクログ『膨大な無駄を排出した結果の、廃棄の局面でのみ機能させるのだとしたら、その「もったいない」はやや鈍感に過ぎるかもしれない。廃棄する時では遅いのだ。』
0投稿日: 2012.09.22
powered by ブクログ「日本のデザイン」と言うと、伝統的な物品や技術が浮かぶけれど、ここではむしろ最先端の技術、さらには公団住宅を作り維持してきた公団の「やり方」などのようなものも、実は素晴らしいデザインであることが指摘されている。 たとえば人口が増えていく中国においては住宅の安定供給は喫緊の課題であるが、日本の公団がやってきたことは、世界でも類を見ない規模の住宅供給であったとのことで、参考になるらしい。 このように、実は日本には、海外、特にアジアに訴求しうるような魅力的なものが多く存在しているということが例示されていく。 いくつかの異なったネタを集積したような印象を少し持ってしまうのが微妙なところではあるが、デザインという領域に疎い私としては実際の事例を挙げながら論じていくこの本のスタイルは非常に刺激的だった。
0投稿日: 2012.08.07
powered by ブクログ日本的な美に対する意識の本質をついていると思う。 未来を考える上では地方志向についてもっと踏み込んでいくのが面白いんじゃないかな。 1章の「移動」が特に良かった。人が物質的な流れに縛られているのは忘れがちだけど、かなり根源的だ。だからそこから見えてくるデザインもより本質的かもしれない。
0投稿日: 2012.07.21
powered by ブクログ適応させる。深化させる。 あとがきの、ジャグリングのような仕事の最中になんとか握った24このおむすびが岩波書店によってお弁当箱に詰められた っていうたとえがなんか親近感わいた。
0投稿日: 2012.07.21
powered by ブクログ敗戦から日本は、経済復興と再生のために一丸となって遮二無二に働き気づけば世界第二位の経済大国になっていた。これは歴史に類例のない奇跡的なことで、先人たちにわたしたちは、感謝と尊敬の念を抱かずにはいられない。その一方で、わたしたち「日本」は自分を見失っていたのではないだろうか。数百年と綿々と文化の深奥に流れる日本的なものとはなんだったのか、いまこそ振り返る必要がある。
0投稿日: 2012.07.14
powered by ブクログ日本は明治時代以降、西洋の模範によって発展をしてきました。 つまり、それまでの日本の伝統を捨てて新しい感性を受け入れて発展してきました。 しかし、今、その発展は頭打ちの状態になっています。 その状況を打開するためには、 日本人らしい感性で勝負していく必要があるのではないだろうか、 その部分でこそ、日本は他国と差別化ができ、発展していけるのではないだろうか、 ということで日本の文化や美意識を取り上げて紹介しています。 あとは、原さんが手がけた展覧会のことなんかも取り上げられていて、 読んでいて面白かったです。
0投稿日: 2012.06.28
powered by ブクログいわゆる「和」と言われるような、古来からある日本のデザインについて知りたかったのですが、思っていたような内容ではなく、ちょっと残念。
0投稿日: 2012.05.29
powered by ブクログ無印良品や愛知万博、最近では代官山蔦屋書店のアートディレクションで有名な原氏による著書です。日本における広義のデザインーものづくり、サービス、ホスピタリティーという資源とその先ある未来について書かれています。一般的なデザイナーの多くは西洋的な価値観のもとに創られるデザインの思考が主なのですが、原氏は一貫して日本の文化に根付くデザインの独自性と美しさを語っており、非常に共感出来る部分が多いです。特に本書における、東山文化での足利義政と阿弥衆の存在が現在の日本的なデザインの根本を築いたという視点は非常に興味深いです。章ごとに対応する要素としては、日本車、楽茶碗、桂離宮、瀬戸内海アートプロジェクト、センスウェア展、そして東日本大震災といった流れです。デザインの領域を越えて、これからの日本を考えるという点から見ても良い本ですね。
0投稿日: 2012.05.27
powered by ブクログ・デザインは生活の本質を浮き彫りにする。 ・紙ほど白い物体は自然界にはそうそうない。そしてその白さは、何かを記すときに緊張感を生む。 ・素材の持つ可能性。半透明のコンクリートを見てみたい。
0投稿日: 2012.05.20
powered by ブクログ出張の移動中に読了。 「スト競」の楠木建教授がTwitterで激賞されていたのを見て買ってあったもの。 楠木教授が「これは日本の学校の教科書にせよ!」と評されていたが、なるほど。 序章からして名文。まさにその通り。 ただ、新書としてはかなり写真を掲載してくれているが、それでもまだ私にはイメージが浮かばない固有名詞が散在し、途中画像検索をしながら読んだ。 良書。日本人なら読むべし。 余談だが、千円札の夏目漱石の肖像は45歳頃のものなのだとは知らなかった…。(だいたい没年が49歳なのだからそれよりは絶対に若い) 自分の今の年齢と大して違わないとは!
0投稿日: 2012.05.18
powered by ブクログ「無印良品」のアートディレクションでも知られるプロダクトデザイナーが、これからの日本が向うべき、ものづくりや暮らし等の方向性について述べた一冊。 デザインというと目に見える"物の形"をより見栄えよくだったり、使いやすくするような作業という印象を受けるが、著者の言葉を読むと、人間の考え方や行動の本質をより具体的に捉えることであると感じる。 著者曰く、日本人の価値観の根底には「繊細」「丁寧」「緻密」といった感覚があるという。おそらく、これらの特性を活かすことが 日本の産業を今後も持続させていくポイントになるのだろう。 自動車やTVといった単体の商品では中国や東南アジアのメーカに勝つことは大変難しい。より安全な都市交通システムだとか、節電効果がスマートハウスだとか、技術を総合的に組み合わせる分野に日本の優位性があるのではないか。 本書からはそんな日本の可能性がみえ、元気づけられる。 --------------------- ・潜在する可能性を可視化し、具体的な未来の道筋を照らし出していくこと、あるいは多くの人々と共有できるヴィジョンを明快に描き出すことこそ、デザインの本質なのである。 ・「繊細」「丁寧」「緻密」「簡潔」。そんな価値観が根底にある。日本はそういう国である。 ・自分たちの作り出すものの文化的な意味についての多角的な考察やヴィジョンが不可欠になる。 ・デザインとは生み出すだけの思想ではなく、ものを介して暮らしや環境の本質を考える生活の思想でもある。 ・そこに必要なものは理性と合理性をたずさえて自分たちが生きる未来環境を計画していく意思だ。 ・合理主義とは物と機能との関係の最短距離を志向する考え方である。 ・もったいないのは、捨てることではなく、廃棄を運命づけられた不毛なる生産が意図され、次々と実行に移されることではないか。 ・デザインとは、物の本質を見極めていく技術だが、それが産業のヴィジョンに振り向けられたときには、潜在する産業の可能性を可視化できなくてはならない。 ・今日の政治がやりにくそうに見えるのは、政治家のみが情報を握っているのではなく、同等の情報をすでに一般の人々も手にしており、場合によっては政治よりも先に、集合知のネットワークを通して問題解決の方向性を見込みがつけられているからに他ならない。 ・今日、低成長の時代を迎えて、日本はようやく自らの歴史と伝統が、世界の文脈で価値を生み出す希有なソフト資源であることに気づきはじめている。
0投稿日: 2012.05.12
powered by ブクログ文化の価値観。 先進国、お金持ち大国になってしまった日本の方向性、全くもって共感しました。こんな時代に育ってきた若い世代の中に気づかないうちにこういう価値観を持って生活してる人もいるのではないかなあと感じました。 ナンバーワンではなく、オンリーワン。
0投稿日: 2012.04.19
powered by ブクログ欲望のエデュケーションということ。 白紙が使用用途だけじゃなく精神にも作用するように、 デザインによって、意識をかたちづくっていくこと。 物の見方考え方に、直接的にではないけど、無意識的に、強く影響を与えていく仕事。
0投稿日: 2012.04.02
powered by ブクログ歴史的な転換点に立つ日本において、様々なデザインの可能性を語る一冊。 原さんの守備範囲の広さには驚かされる。様々な世界にたくさんの可能性が秘められていることを知ることができる。 特に興味を持ったのは移動ー車の章と、未来素材ー繊維の章。日本の独自性と技術力。 これから先にどんなものが作られるのか楽しみです
0投稿日: 2012.04.01
powered by ブクロググローバル化する経済、価格で圧倒する中国・韓国のメーカー。日本の製造業に行き詰まりを少し感じていたが、どんな時代になっても本当に行き詰ることはないんじゃないか、デザインがあれば。そう思えてくる本。
0投稿日: 2012.03.31
powered by ブクログデザインそのものを語るというより、 デザインすることによって 世の中がどう動いているかを探り、 そして今後どういう姿になっていくべきかを 冷静に語る原 研哉さん。 語り口は冷静だけど、 デザインに対して、そして日本の未来に対して 熱き思いを内に秘めているのがよくわかる。 この本を読んで、日本という国の文化や歴史を もっとよく知りたい、知らなきゃダメだ、と思った。
0投稿日: 2012.03.25
powered by ブクログ「デザインのデザイン」をまだ手に入れていない中で、原さんのデザインの関心がよく見える一冊だった。特に、日本人の持つ美意識を資源として扱う考えは非常に興味深いと思った。 本書は著者のデザイン活動の未来への展望であり、デザインの考えの基盤が記されたものが「デザインのデザイン」とされていた。 逆になってしまったが、ぜひ「デザインのデザイン」も読んでみたい。
0投稿日: 2012.03.22
powered by ブクログ慣れない日経新聞、経済書を読んでいくと、 これまで当たり前だとおもっていた事象が、こんな仕組みの中で 決まり、うごいていっているのだと、新しい「目」を得た、気分になっていた。 中でも、私の価値観に一番近い考え方は、 経済を手法として、社会問題解決にいどむ「社会起業」というもの。 先日紹介したユヌス氏のことだ。 更に昨日メディアを通じて「出会った」デザイナーのお2人。 現代のマスな価値観に呑み込まれて、本来の価値を失っている「コト」を もう一度捉え直し、未来にむけてデザインし直し、社会へもどしていく。 そのなかで、人びとがその価値に再び気づき、豊かさを取り戻す。 そんな仕事をしている2人だな、とおもった。 国や個々の人生の豊かさを計るものはなんだろう? 経済だけではないはずだ。これは今、行き場を失ってしまっている 日本のわくわくした未来への実は大きなヒントである気がした。 大切なことをきづかせてくれたお2人をHPでぜひご覧ください♬ ↓ http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1110/sin_k615.html ↓ http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0220/index.html ☆最後に 同じNHKの番組で、飛騨高山のパン職人さんに出会う。 妥協を許さない、そしてあえて地方で最高のパン屋を目指す姿が ものすごくかっこよかった。 ↓ http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0227/index.html
0投稿日: 2012.03.09
powered by ブクログ面白かった。 全6章でそれぞれのタイトルが、移動、シンプルとエンプティ、家、観光、未来素材(繊維)、未来社会のデザインとなっている。 これからの日本の未来を見据えて書かれている。 過去の展覧会で発表された車のデザインや繊維の先端技術の説明のあたりや、観光でのアマン・リゾーツの例のあたりは具体的で取っ付きやすくて、一番楽しく読めた。 西洋のシンプルと日本の簡潔さの感覚の違いも分かって、日本が日本らしさを生かしてものやことを作っていくべきだと思った。
0投稿日: 2012.03.04
powered by ブクログ原研哉の最近の仕事、考えてること、これからやりたいこと。岩波の「図書」に連載されていた内容、ということで、「デザインのデザイン」よりは軽い印象。自身の概念や考えてることをここ最近はどう落とし込んできたか、みたいな。 僕もその一人やけど、新書でなくて作品集ぐらいのレベルで図版もたくさん交えつつ、がっつり原研哉と向き合いたいって人は多いんではなかろうか。 自らコミュニケーション・デザインが専門、というだけあって、相変わらず「モノが書けるデザイナー」さんだなぁと思う。
1投稿日: 2012.03.02
powered by ブクログ詳しい中身については他の方がもう書かれているので少しだけ。 本書は本来は「欲望のエデュケーション」というタイトルになるはずだったもので、「デザインのデザイン」と対になる著作とのこと。著者は「なぜデザインなのか」にしたかったようですが… とても刺激を受ける良い本でした。
0投稿日: 2012.02.13
powered by ブクログ面白かったです。西洋で発見された「シンプル」と日本固有の「エンプティ」とか、装飾による力の誇示などの視点が興味深い。中でも共感できるのは「デザインとは欲望のエデュケーション」という発想。「安くてよいもの」の果てに昨今のデフレ化した世界があるのであれば、「高くてもほしいもの」へと方向付けるエデュケーションこそ、デザインに求められる役割。こういう言葉がわれわれ消費者の志を高くしてくれます。
0投稿日: 2012.02.12
powered by ブクログレビュー評価があまりに高くて期待しすぎたかな。 日本の未来ヴィジョンについてかなりひいき目というか好意的というか楽観的というか…に書かれてる。 公害や原発の問題をそんなに軽く扱っていいのかなと思っちゃうんだけどね…。 京都慈照寺の足利義政の書院「同仁斎」に行ってみたくなったのと、阿弥衆の話が面白かったのと(デザイナーの始原)、新しいリゾートホテルのイメージ(ボタニカル・アート)が読んでるだけで気持ちいいなと思った。活け花は空間に気を通わせること…ってのは音楽に似てるなぁって思った。 文章が美しい。
0投稿日: 2012.02.12
powered by ブクログランドスケープデザインに携わる人間としては「観光」の章における著者の提言が気になりました。いわゆるバリなどに代表される「植民地的リゾート」に対して、「その土地の風土に合う植物を、できるだけなにもしないで、自然のままに育て上げるボタニカル・ガーデン」というコンセプトが示されています。 一方で「できるだけなにもしないで、自然のままに育て上げる」というのは下手したら薮になってしまうわけで、なかなかコンセンサスを得にくい提案であると思います。それを解決するのがランドスケープアーキテクトの役割なのでしょうか。リゾートのような場所においてさえ粗放的な環境を相応しく感じられるようにするという課題は、頭の片隅に置いておきたいです。
0投稿日: 2012.02.08
powered by ブクログ著者の主張する「デザイン=暮らしの本質や文化の誇りに覚醒していく営みである」とは、まさにその通りだと思います。 日本の文化、地元の文化、今住んでいる土地の文化、知れば知るほどその土地に親しみや誇りを持ち、自分の面白味や他人に対する説得力の向上に繋がっていくのではないでしょうか。
0投稿日: 2012.02.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「陰影礼賛」「桂離宮」など、欧米とも他のアジアの地域とも異なる日本独自のデザイン文化は古来より存在してきた。そのエッセンスを土現代、未来においてどのように昇華させられるのかを問う。グラフィックデザイナーとしての著者が、どのようにここまでの広く深い文化的境地にたどり着いたのか、非常に興味深くー自分自身の至らなさを感じながらもー読み進んだ。 日本が、というより世界が今、歴史的な転換期にあると思うのだが、産業革命以来、エネルギーを取り出して消費を増大させる経済のありかたが、限界を迎えている中で、日本が得意とする引き算的なデザイン、足るを知るデザイン、といったものが見直されるいい契機になるのではないか。日本の未来はまだまだ明るいと信じたい。
0投稿日: 2012.01.21
powered by ブクログ原研哉さんが歴史文化なども 深く研究している感じがにじみ出てました。 前著に「白」という本も出版されていましたが、 そこでもやはり日本の文化に深く切り込んでいました。 日本の美意識にデザインを感じるのは同感。 もっとその日本の美意識を大切にし、 世界へ発信していけるといいですね。
0投稿日: 2012.01.11
powered by ブクログ事象の本質をきめ細かく切り取る作者の文章力にどんどん引き込まれた。 日本のデザインの素晴らしさを見事に表現している。
0投稿日: 2012.01.08
powered by ブクログ一見先進的にしか見えなかったデザインが背負っているビジョンにワクワク感と使命感を覚えさせる一冊。 ずっとぼんやりとしかイメージを持っていない日本のソフトパワーを、的確な言葉と事例でまとめる。感覚を可視化する能力の高さにまず嘆服。 きっとまた読み直す一冊。
0投稿日: 2012.01.05
powered by ブクログ原さんの語りから得られる高揚。頭だけでなく全身の血の巡りが良くなる感覚。日本のトップデザイナーによる「欲望のエデュケーション」は巷間の気付かざるところで確実に奏功しているように思う。
0投稿日: 2012.01.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
要約 ・ナショナリスティックで保守的な視点から、これからの「日本」がどうやって世界(市場)に対して振る舞っていくべきかが述べられている ・日本固有の課題や制限によって発達させてきた技術力、室町時代以降の侘び寂びの美意識が既に「資源」として存在しているので、有効に活用すべき ・独自の「技術力」と「美意識」があるにも関わらず、上手にアピールできていないので、それらを認識させ、今後展開させたいコンセプトを提示できる「場」を提供して機能させることが大事 感想 「コト作りのデザイン」をする立場から、これまでの仕事や現状の日本の社会状況を踏まえて、抱える課題と解決のための足がかりが提示されているが、「日本の再発見」という文脈で基本的には語られている。 が、これまで散々語られたことの焼き直しのようにも感じる。 (実は日本はすごい力を持っているのにそれが世界にアピールできてないだけ云々) ITについても言及がほとんどされていないのも、著者の関わりがないことによるものだと思う。情報のデザインもどんどん語られるべきだと思う。 また、個別の課題ごとに小さく切り分けられて語られているが、そこからもう一歩踏み出して、日本という国の規模で、産業からライフスタイルまでの一貫したデザインを提示するところまでいってほしかったと思う。雑誌の連載を新書化したものだから仕方なしか。 ただ理想を掲げるだけでなく、社会学・文化人類学・政治学・経済学などの様々な分析を踏まえて、デザイナーがコンセプトをまとめていくような、壮大で現実味のある日本の再デザイン。 それが今必要だと思う。
0投稿日: 2012.01.03
powered by ブクログデザインという視点から、ミライの日本を考える一冊。「デザインとは欲望のエデュケーションである」という原氏のひとつの結論を示した点でも意義高い。2003年、「デザインのデザイン」で示した、デザインの再定義、デザイナーの可能性の再提案を受け継いだ一冊。
0投稿日: 2011.12.25
powered by ブクログ物事の雑味を全部無視して、きれいなところだけ見て、すごいでしょ、っていっているように感じた。途中からは自分の作品の客観的な評価というより、ただの自慢にしか見えなかった。いつから車は「クルマ」とカタカナで表されるようになったのだろう。 言っていることは立派なのだけど、どこか一貫性が感じられないように感じた。人は生々しく生きているはずなのに、著者が提案する暮らしからは一切の生々しさがそぎ落とされているような気がした。 図書館の期限が来てしまいそうだったので返却してしまったが、もう一度再読してじっくり考えてみたい。
0投稿日: 2011.12.15
powered by ブクログ日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)/ 原研哉 【ポイント】 3/全ての人が、丁寧に篤実に仕事をしている日本。 「繊細」「丁寧」「緻密」「簡潔」←海外にはない日本の感受性、価値観。 展示会「Japan Car」= 移動への欲望と未来 19/日本では車は、ステイタスでも、スタイルに酔いしれる対象でなくなりつつある。 20/車は普通の道具。求められるのは、機能と効率、それを過不足なく体現するデザイン。 21/欧州では、遅い車は、走りへの意欲や、敏捷性を放擲した「負け犬」。 ダイハツの「タント」は、スピード感、精悍さは減少するが、暮しの道具としては日常になじむ。 33/日本のクルマがかわりはじめている。 →移動への欲望の形が変わり始めている。 42/シンプルとエンプティ(美意識の系譜) 柳宗理のやかん 44/人間は世界を四角くデザインしてきた。←自然中には四角はほとんどない。 51/人間の作り出すものは、プリミティブから複雑に向かう。 現存する人類の文化遺産は複雑。 ex:青銅器 ←「強い力」を表現する。 54/物の表面を覆い尽くすその稠密性によって威を発する。 56/世界が力によって統治され、「力」がせめぎあって世界の流動性をつくった時代は、 文化を象徴する人工物は力の象徴として示された。 57/近代市民社会が到来し、人間が等しく幸福に生きる権利を基礎とする社会になった。 58/物は「力」の表象である必要はなくなった。椅子は王の権力を表現する必要がなくなり、 単に「座る」機能を満たせばよくなった。 合理主義は、物と機能との関係を最短距離を志向する考え方。 84/富を所有するだけでは幸福になれない。手にしているものを適切に運用する文化の質に 関与する知恵があって初めて人は充足し、幸せになれる。 116/観光 -文化の遺伝子- その国独自のもてなしと食の饗応を基本とした宿泊施設で、西洋式の高級ホテルより 高い対価を設定できるサービスの形式をもつ国は世界広しといえども日本をおいて 他にない。 152/工業生産と豊かさを経由した日本は、一つ洗練の度合いを増した美意識の国、ホス ピタリティの国として、世界の人々を招きいれるビジョンを描かなくてはいけない。 162/瀬戸内国際芸術祭 瀬戸内はアートゾーンとして急激に成長してきた。 岡山の大原美術館、高松のイサムノグチ庭園美術館、丸亀の猪熊弦一郎現代美術館 165/未来素材 「こと」のデザインとして 166/人間の創造意欲を喚起する物質を、僕は「センスウェア/SENSEWARE」と呼ぶ。 センスウェアとしての「人造繊維」 171/僕の仕事は、「もの」をつくるというより、「こと」をつくることであると普段から 言い募っている。 172/「VOGUE」の編集には筋の通った原則があった。ファッションとは、人間の存在感の 競いあいであり交感であるという暗黙の前提があった。 174/そういう雑誌を見るほどに、ファッションとは人生の芸術だというおもいがつのり、 おしゃれであるよりも存在感のある人になりたいと思うようになる。 219/成長点:未来社会のデザイン 現在の日本では、子供用のオムツよりも、大人用のオムツの生産量が多くなった。 222/女性は社会の中に相応のポジションを得て、賢く損のない人生を生きようとする。 少子化の根は、育児にお金がかかるからという単純な理由にあるものではない。 全ての人々が自由を享受する社会の趨勢に根をおろした現象である。 231/日本はようやく、自らの歴史と伝統が、世界の文脈で価値を生み出す稀有なソフト 資源であることに気づきはじめている。
0投稿日: 2011.12.11
powered by ブクログデザインとはかくも壮大な営みであることに気付かされます。潜在する可能性を可視化し未来を照らし出すという本質には感嘆せざるを得ません。日本の美意識・感覚資源を通して世界に貢献できることを信じようと思います。
0投稿日: 2011.12.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
多くの人々と共有できるヴィジョンを明快に描き出すことこそデザインの本質」と著者が述べるように、日本人が共有し、継承してきた「美意識」があった。それは文化の顕れでもあり、生活様式の顕れでもある。デザインの奥に踏み込む1冊。(三浦崇典) ▼『ジセダイ』140文字レビューより http://ji-sedai.jp/special/140review/20111124.html
0投稿日: 2011.12.09
powered by ブクログたぶん、FBのお友達の推薦。 第一印象は、岩波新書なのに、紙質がいい。リアルの本ならではの快感がある。 原さんは、デザイナー、視点は車から商品、ファッション、建築物など幅広い。 デザインのもつ力って結構強いんだなというのが全体的な感想。 最後に東日本大震災についてコメントしているので、そこを主に感想を。 ①老齢化に向かう人々が安心できる暮らしを取り戻すことは重要だが、それだけでは足りない。複数の街や港をまとめて、都市機能や港湾機能の効率化を図るような、抜本的な都市の再創造が模索されている。(p210) 都市計画を考える立場としてはそのとおりと言いたい。しかし、それですみかを動かされる高齢者のことも考えると、むやみに実行するのもどうかとも思う。アンビバレントな感想。 ②大野秀敏さんの巡回公共サービス、車両型に設計され病院、図書館、映画館、アスレチックジムが順繰りに複数の街を巡回していくという構想。(p213) これは、両手をあげて賛成。介護施設、福祉施設、文化施設が巡回しつつ、一定の建物の中に収まっているというのは、夢があるし、効率的。 ③原発事故については、(中略)自分にできることは放射能に対する基本的なリテラシーを、新たな常識として社会に浸透させることに協力することである。(p215) これも大賛成。今は、リテラシーを磨く時期。いきなり、脱とか卒原発とか言い放たないで、じっくりエネルギー問題の対処と被災地の復興を考えるべき。 デザイン本体の議論についても、実際に展覧会とかいくともっと共感が得られそうな気がする。 「デザイン」がハードだけでなくコミュニケーションの技法も含むようになったのは、山崎さんのコミュニティデザインでそう思ったが、一般的にはまだそう思われていないのではないか。 デザインという名前がついた本もおもしろそうだ。
0投稿日: 2011.12.06
powered by ブクログ欲望が、ルーズなニーズにならないようにけじめを付けさせるのが、文化であり、美意識。 デザインはそこで働くべき。 四角形は製造過程においては効率的なデザインだが、自然界にはない、冷淡で人工的なもの。 複雑なデザインを力の表現としてきた、近代から、シンプルかつ効率制に回帰した現代。 『空白』はイメージを誘い出す。 意識を率いれる力学。茶室・生け花 詫びさび。 休む/行く オンとオフを同時に受け入れる、ノマドの為のリゾート地 (バリ島) 日本人が古来持つ美意識をデザインに反映し、プロダクト化させる事が、モノ作りでの国際競争力を再び持つことになる。 シンプル/もてなし/高齢化社会対策もノウハウとして売れ。
0投稿日: 2011.12.04
powered by ブクログ過去のプロジェクトを織り交ぜながら、日本のデザイン、美意識の系譜とともにデザインについての考えが語られている。「デザインとは」ということに対する原さんの考えが、言葉を替え、様々な比喩によって本書の中で繰り返し語られていくのですが、わかりやすく納得感があった。「desining design」を初めて読んだときに「あ、これは一度読んだだけでは私のアタマでは理解しきれない、繰り返し定期的に読まねば」と思ったのを覚えていますが(本の厚みからくる先入観かもしれないが)新書サイズということもあり非常に読みやすかったです。 「美意識は資源である」ということが印象的だったし、きっとこの本の核になっている軸ではないかと、感じた。
0投稿日: 2011.12.03
powered by ブクログ(111203) ザックリ読んだ。 建築家もそうだけど、著名なデザイナーは世の中全体を見ている気がする。言葉は悪くなってしまうかもしれないが、マーケティングがうまいというか。 これからの日本が、世界で「評価される」ものでなく、世界で「機能する」ものをつくるべきだという言葉は印象的。
0投稿日: 2011.12.03
powered by ブクログ日本のデザインの「これまで」と「これから」を語った本 「未来の日本のデザイン」 と、いっても手塚治虫が描いたような「未来」ではなくて 僕たちが目をこらしたら視えるくらいの近さの「未来」のデザイン 日本のデザインは「木と和紙」等、昔からあるモノが日本のデザインではない 日本のデザインの根本は、目に見える“モノ”だけではなくて 感じる事のできる“コト”にもある 、、、らしい。うん。なるほど。 原さんが「やはり優れたデザイナーであるな」と感じる事ができるのはこの本にも表れていると感じた。 デザインについて書かれた本はたいてい その著者の言いたい事から書かれている事が多い(気がする) その前半部分の「考え」の重さと 後半の「考え」の重さのバランスがあまりよろしくない(気がする) 前半に重みを加えすぎたせいか、後半の内容が飲み込みにくくなったりする しかし、この本の場合。「考え」のバランスがよい 第一章は『移動』について 一見、デザインとは関係が薄そうな事が入口になっていて 徐々に広がっていく 最後の章がとても良かった
0投稿日: 2011.11.30
powered by ブクログ名著『デザインのデザイン』の流れかと思いきや、最近の仕事のレビューレベル。好きな文章を書く人ではあるが、金儲けのための文章の臭いがしたとたん読む気をなくした。半分以上読んでいない。
0投稿日: 2011.11.28
powered by ブクログシンプルとプリミティブとエンプティネスの、その違い。球技のボールの精度の高い丸さによって球技が上達するように、デザインが人の行為の本質によりそっていないと、暮らしも文化も成熟しないと。これだけ掴めたらこの本には満足です。
0投稿日: 2011.11.28
powered by ブクログ新刊書なのにこれだけの人数が登録し、レビューも多い。それだけ期待された新書なのだろうか。それともこのデザイナーが有名なのだろうか。 「安直にファッションという既存産業の仕組みにすり寄ってはいけない」 西洋・アメリカに追従するのではなく・・・という視点が必要なのでしょう。今こそ、日本の「未来」のデザインを政府や行政がしっかり持ってほしいものだ。 評価されることを期待するのではなく、主体性を持つことなのだ。
1投稿日: 2011.11.24
powered by ブクログ世の中の多くのものが権力を象徴した複雑なデザインからシンプルなものへとシフトしているけれど、シンプルと日本がもつ「簡素さ」は質が違う。日本の産業の可能性について、住空間や化繊などを例にしてあげている。世界から評価されるのではなく、世界で機能するという主体性を。美意識はお金では買えない財産であると書いてあった。 よくわかるようなわからないような。
0投稿日: 2011.11.20
powered by ブクログ日本のデザインの、今昔、これからを語る。日本は、モノをデザインするばかりではなく、書院、茶の湯など、コトもデザインしてきたと。震災にも触れており、これから日本が、日本のために世界のための、コトのデザインを考えさせられる。
0投稿日: 2011.11.18
powered by ブクログ欲望のエデュケーション。つまり、美意識の教育し、開花させること。 日本の景観と情報の欲望はまだまだ低い。未来に向けて、そんな仕事がしたいものだ。
0投稿日: 2011.11.17
powered by ブクログHONZで紹介されていたので買ってみた。『日本のデザイン』 - HONZ この本を読む前までに、日本は日本らしさを強みにして海外で戦って行くのが一番だと、漠然といた考えを持っていた。しかし、具体的な考えまでには至って無かった。 そんな中で、本書に出会えてラッキーだ。これから日本の進み方について、デザインを中心に語ってくれている。 著者の言うように、日本は次のフェーズに入っている。工業を中心とした国から美意識を中心とした国へ。 以前、京都の銀閣寺に行った時、そのわびさびの空気に感動を憶えた。それと同時に、銀閣寺から見える周辺地域の近代化に、残念な気持ちになった。あまりにも勿体ない。著者も言うように、日本人は小さなことに対する美意識は高いが、景観に対する美意識はまだまだだそうだ。 景観を含め、西洋の良いところは取り入れつつ、日本の美意識を大事にして国を作っていくことが大事だと思う。 そして、それを世界の人に知ってもらうのにはどうしたら良いかを考えよう。
0投稿日: 2011.11.17
powered by ブクログ日本の、アジアのデザインの可能性を沢山吸い込ませた本です。 日本人が当たり前に感じていたことこそが、価値あること。 事(イベント)を多数プロデュースしてきたデザイナーである原さんの視点は、日常生活にこそ気付きがあることを伝えています。 質素、清潔、コンパクトなどなど、日本の得意とする考え方は、大きいものが優れていた右肩上がりの経済成長が終わった国には何らかの処方箋足りうる、この著書からのメッセージは多岐に及びます。 同書を数回読んで、京都など歴史を内包する日本の町並みを歩くと、相当沢山の気付きが得られるんだろうと感じました。
0投稿日: 2011.11.16
powered by ブクログほとんどが「目から鱗」ではなく「そうそう」と首肯しながら読んだ。良い意味で驚きがなかった。日本を代表するデザイナーの考えと自分の考えが大きくずれていないということを確認した。 まえがき 「デザイン」とは「欲望のエデュケーション」である。 よく考えられたデザインに触れることによって覚醒がおこり、欲望に変化が生まれ、結果として消費のかたちや資源利用のかたち、さらには暮らしのかたちが変わっていく。そして豊穣で生きのいい欲望の土壌には、良質な「実」すなわち製品や環境が結実していくのである。 1 移動 「JAPAN CAR 飽和した世界のためのデザイン」 エンジンからモーターへ、ガソリンから電気へ 「行く」という主体性・能動性から、「スムーズに移動する」という合理性へ 運転への能動的な欲求を背景とした「ドライブ」系から、移動への冷静な意思に寄り添う「モバイル」系への移行 産業全体としては、「乗用車/商用車」のような区分ではなく、「ドライブ/モバイル」「都市/自然」「パブリック/パーソナル」というような要因が、新たな領域区分として意味を持ちそうである。(p.39-40) 2 シンプルとエンプティ ボールが丸くないと、球技の上達は起こりえない。同じ動作に対するボールのリアクションが一定でないとテニスもサッカーも上達は望めない。 球と球技の関係は、ものと暮らしの関係にも移行させて考えることができる。柳宗理の薬缶もそのひとつだが、よくできたデザインは精度のいいボールのようなものである。精度の高いボールが宇宙の原理を表象するように、優れたデザインは人の行為の普遍性を表象している。 暮らしを啓発する、もののかたちの探求である。 暮らしの営みの反復がかたちを育む。 →ペトロスキーの進化論 今日、僕らはボールを丸くつくり得ているだろうか。ずんぐりと鈍い柳宗理の薬缶を見ながら、そんな思いを反芻している。 p.47-49 シンプル。プリミティブ。エンプティ。 バロックやロココは王の兄弟な力を表象した。簡素さは力の弱さ。 近代の市民社会、自由と平等の価値観は、合理主義的な効率性に知性や美を見出した。これがシンプル。 モダニズムとは、物が複雑からシンプルに脱皮するプロセスそのものである。(p.59) 誤解を恐れずに言えば、茶を飲むというのはひとつの口実あるいは契機にすぎない。空っぽの茶室を人の感情やイメージを盛り込むことのできる『エンプティネス』として運用し、茶を楽しむための最小限のしつらいで豊かな想像力を喚起していく。水盤に水を張り、桜の花弁をその上に散らし浮かべたしつらいを通して、亭主と客があたかも満開の桜の木の下に座っているような幻想を共有する、あるいは供される水菓子の風情に夏の情感を託し、涼を分かち合うイメージの交感などにこそ、茶の湯の醍醐味がある。そこに起動しているのはイメージの再現ではなく、むしろその抑制や不在性によって受け手に積極的なイメージの補完をうながす「見立て」の想像力である。(p.67) ※松岡正剛の山水思想 空間にぽつりと余白と緊張を生み出す「生け花」も、自然と人為の境界に人の感情を呼び入れる「庭」も同様である。これらに共通する感覚の緊張は、「空白」がイメージを誘いだし、人の意識をそこに引き入れようとする力学に由来する。(p.70) 阿弥衆とデザイン 「阿弥」とは本来時宗の僧侶の法名に用いられていたが、次第に優れた技能や目利きの名称につける「拡張子」のようになった。 3 家 自分の生き方にぴったり合った「住まいのかたち」を獲得するには、暮らしの「へそ」を部屋の真ん中に据える。 内需拡大という言葉があるが、需要のリアリティは人々の普通の暮らしから見出されるのが自然だろう。これ以上道路を作ることもダムを作ることもナンセンス。すでにクルマもみんな持っている。不景気なので海外旅行をする気分でもない。しかし住居が合理的に刷新できることに多くの人々が気付くならどうだろうか。日本人は世界一の預金残高を持っている。それをどう吐き出させ、循環させるかが日本の内需活性化の要点である。すでに建っているスケルトンはそのままに、どんどん、ちょうど「たこ焼き」を引っ繰り返すように、個々のインフィルを次々と更新していけば莫大な内需が発生する。 人口動態も高齢化に拍車がかかるが、貯金を持っているのは若者ではなく高齢者である。人生経験豊かで目も肥えた大人たちに、そのプリンシプルを具体化すべく「人生仕上げの家」をリノベーションしてもらえばいい。 (p.97) 持たないという豊かさ ものを所有することが豊かであると、僕らはいつの間にか考えるようになった。(p.99) 快適さとは、溢れるほどのものに囲まれていることではない。むしろ、ものを最小限に始末した方が快適なのである。(p.99) ※断捨離、片付けの流行 空っぽだから清清しい しかし、そろそろ僕らはものを捨てなくてはいけない。捨てることのみを「もったいない」と考えてはいけない。捨てられるものの風情に感情移入して「もったいない」と感じる心持ちにはもちろん共感できる。しかし膨大な無駄を排出した結果の、廃棄の局面でのみ機能させるのだとしたら、その「もったいない」はやや鈍感に過ぎるかもしれない。廃棄するときでは遅いのだ。もしそういう心情を働かせるなら、まずは何かを大量に生産するときに感じた方がいいし、さもなければそれを購入するときに考えた方がいい。もったいないのは、捨てることではなく、廃棄を運命づけられた不毛なる生産が意図され、次々と実行に移されることではないか。 だから大量生産という状況についてもう少し批評的になった方がいい。無闇に生産量を誇ってはいけないのだ。(p.102-103) しつらいや調度の基本はものを少なく配することである。何もない簡素な空間にあってこそ、畳の目の織りなす面の美しさに目が向き、壁の漆喰の風情にそそられる。(p.103) 無駄なものを捨てて暮らしを簡潔にするということは、家具や調度、生活用具を味わうための背景をつくるということである。(…)緊張ではなくゆるみや開放感こそ、心地よさに繋がるのだという考え方も当然あるだろう。家は休息の場でもあるのだ。しかし、だらしなさへの無制限の許容がリラクゼーションにつながるという考えは、ある種の堕落をはらんではいまいか。ものを用いる時に、そこに潜在する美を発揮させられる空間や背景がわずかにあるだけで、暮らしの喜びは必ず生まれてくる。そこに人は充足を実感してきたはずである。(p.104-105) 問題の本質はいかに魅力的なものを生み出すかではなく、それらを魅力的に味わう暮らしをいかに再興できるかである。漆器が売れないのは漆器の人気が失われたためではない。今日でも素晴らしい漆器を見れば人々は感動する。しかし、それらを味わい楽しむ暮らしの余白がどんどんと失われているのである。(p.104) 豪華さや所有の多寡ではなく、利用の深度が大事なのだ。よりよく使い込む場所がないと、ものは成就しないし、ものに託された暮らしの豊かさも成就しない。だから僕たちは今、未来に向けて住まいのかたちを変えていかなくてはならない。(p.105) 持つよりもなくすこと。そこに住まいのかたちを作り直していくヒントがある。何もないテーブルの上に箸置きを配する。そこに箸がぴしりと決まったら、暮らしはすでに豊かなのである。(p.106) 日本の家を輸出する 玄関で靴を脱ぐ暮らし方は、身体と環境界面が直に触れ合い、対話する未来型の住環境として大きな可能性を持っていると考えられる。(p.107) 4 観光 日本の美意識が未来資源であるとするなら、それを観光という産業の中で具体的にどう生かすか。そのひとつの事例として参照してみたいのが、シンガポール育ちのインドネシア人エイドリアン・ゼッカが生み出したホテル群「アマン・リゾーツ」である。アマンは、西洋流のオペレーションを基本としながらも、一方ではその合理性を否定するアンチホテルとしての独自の運営哲学で、リゾートホテルの考え方に新たな潮流を生み出してきた。その特徴は、ホテルが存在する土地の景観、風土、伝統、様式といったものを丁寧に活用し、文化の最上の収穫物のひとつとしてホテルを構想・運営しようとする姿勢である。 (…) 高級リゾートホテルの経営は、ワイナリーの経営などと同様、利益を確保しつつも理想郷の実現を目指すという、実業と芸術の境界にポイントがある。美と経済に精通していなければできない、針の穴をくぐるような、紙一重の感覚的な投機の連続技なのである。 ※ベネッセ福武總一郎 (…)そのサービスによって、顧客のリゾートに対する欲望のかたちそのものを変容させ、異境や異文化への興味を加速的に深めていくという、まさに欲望のエデュケーションがこのビジネスの本質でもある。 西洋人は、大航海時代や植民地時代の昔から、文明から遠く隔たった異境に、洗練を極めた居住や食事を持ち込んで楽しみたいという欲望を育んできた。(…)傲慢さと隣り合わせの愉楽を持ち込むリゾートに人々はもはや感動しない。(p.126-128) エントランスからキーにたどり着くわずかの間にも、微細な経験が無数に織り込まれていく。(…)部屋についた客は、一息つくと、おもむろにキャビネットのドアを開け、上着をぬいでハンガーを取り出しそこにかけるだろう。あるいは冷蔵庫から冷えた飲み物を取り出して備え付けのタンブラーに注いで一口飲むかもしれない。その一種一瞬に何かがさりげなく待機していなくてはならない。ハンガーを手にした時、冷蔵庫を開けた瞬間、栓抜きを探す一瞬、そしてタンブラーの下に敷くコースターに目をとめた刹那に、もてなしの機会がある。(p.130) ※サービスデザイン 花を活けるというのは、空間に気を通わせるということである。空間とは壁に囲まれた容積のことではない。意識を配して、配慮の明かりが点灯している場所のことである。(…)心の配信が空間に生気を生み出すのである。(p.131) テクノロジーは自然と拮抗するのではなく、むしろ進化するほどに自然との親和性を増し、その境界を曖昧にする。どこまでが自然でどこまでが人為か分からないような融合感にこそ気を通わせるのだ。(p.142-143) 移動が常態化している。仕事をしながら休む「新遊牧民」。 現代の日本人は「小さな美には敏感だが、巨大な醜さに鈍い」 情報のアーキテクチャーとしての国立公園を作り上げていく 5 未来素材 このような媒質、つまり人間の創造意欲を喚起する物質を、僕は「センスウェア/SENSEWARE」と呼んでいる。(p.166) 日本の先端繊維は安易にファッションという既存産業の仕組みに接近してはいけない。フランスやイタリアが考え出したファッションという仕組みにすり寄っていくのではなく、むしろそこから距離を置いて、新たな環境形成素材としての独自の世界を提示することこそ、先端繊維の魅力と付加価値を周知させることにつながるのである。(p.170) 日本の先端繊維は、「世界で評価される」わけにはいかない。 世界から評価されるのではなく、世界で機能するという主体性を持つ。これはしばらく意識し続けていることのひとつである。評価される、という受動性には、何か大きな力や文化に依存している甘えがある。(p.181) 6 成長点 成熟した市民社会、つまり絶対的な力や権力による抑圧がなく、ひとりひとりが自由な意思で生きていく仕組みが成熟した社会において進化するのは、ものや情報の「平衡」と「均衡」への感度であろう。(…)熱い衆愚ではなく冷静な集合知が、最も無駄なく合理的な解決をもたらすだろうという、これは思想というよりもある種の感受性のようなものが社会の中で機能しはじめている。(p.221-222) そうした新たな常識の裏側にも個人への抑圧は潜んでいる。「解放」と「共有」という、合理性の連鎖をうながす社会意識そのものに、特殊な抑圧が含まれていると僕は思う。(…)シェア・ハウスやシェア・オフィスはプライベート空間に他者の存在を許容していく。それを可能にしているのは、偏差をもった「個」の部分を上手く抑制できる細やかな意識の共有である。突出観のないフラットな連帯とでも言うか。おかげで台所も風呂も、他者の使用を意識してきれいに掃除され管理されている。勿論、そういう関係は「洗練」と呼べなくはない。しかし、この暗黙のモラルの共有は微妙に息苦しい。 「ともだち」とは美しい言葉であって、これが抑圧の源であるとは誰も思わない。しかしこういう流れで考えてくると、価値共有の進んだコミュニティは目には見えない排他性を持ちうる。つまり「ともだち」化は「非ともだち」化へのプレッシャーにもなりうるのだ。(p.222-223) ※inclusion/exclusion あとがき 権威ある岩波新書に「欲望のエデュケーション」という怪しいタイトルは採用されず、 ref. 暇と退屈の倫理学 http://booklog.jp/users/zerobase/archives/425500613X
0投稿日: 2011.10.31
powered by ブクログ日本の美意識や文化の中にある物事の見方を、これからの日本発のサービスや製品に生かしていこうという提案と、著者のこれまでの取り組み。刺激が多かった、また読もう
0投稿日: 2011.10.27
powered by ブクログものづくりに必要な資源は「美意識」であるという。それは、「繊細」、「丁寧」、「緻密」、「簡潔」にものや環境をしつらえる知恵であり感性である。 床の間におけるしつらえる知恵が急速に失われていくことを感じていますが、日本のデザインの資源もまたヨーロッパのように職人のなかだけに残ることになったとしたら寂しいでしょうね。 石元泰博の写真集『桂離宮』に言及して日本人の美意識を説明する条がいいなあ。石元が「最初に購入した図形関係の書物が、モホリ=ナギの『ヴィジョン・イン・モーション』」とくれば、2011年7月の京都国立近代美術館で回顧展をやっていたなあ。石元はバウハウス直系の写真家です。桂離宮の踏石の写真がいい。
0投稿日: 2011.10.25
