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ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか?
ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか?
ひこ・田中/光文社
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総合評価

36件)
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4
7
13
6
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    氏の著作は、単著としては初めて。自分が触れてきた作品に関しては、懐かしさもあってなかなかに楽しめる。ただ、過半数を占める未体験作品については、知識なしでも問題なし、とはとても言い難い。結局何が言いたいのか、ってのも伝わりづらい。総じてイマイチ。

    0
    投稿日: 2022.04.04
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    アムロ=レイや、碇シンジのモデルから、いかに脱却できるかが、自分自身の課題。 そのことに気がつくことができただけでも、一歩前進。

    0
    投稿日: 2020.04.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    各アニメの第1話のチェックは欠かせない僕にとっては,この本は待望の一冊。児童文学者という第三者から眺めるサブカルの社会的評論。マンガや小説だけではなくて,ゲームや児童文学(作者のホームグラウンド)をも射程に入れているのが素敵。個別の作品に変に熱くなっていないのもいい。この分野に興味があれば,面白く読める。 個人的にすごく感動だったのが,僕がなぜガンダム(そしてその子孫的作品のエヴァンゲリオンとかにも)にはまらなかったのかについての理由を見つけられたこと。ひと言で言えば,成長の味を探してしまうから。マニアックな作品世界にはあまり興味がないから。僕は元来アニメ志向というより,ゲーム志向。ガンダムの血を受け継いているはずのワタルをピンポイントで受け入れたのも,同作品がRPG的要素を持っているから。RPGでさえ成長が見えなくなっている今,僕のゲームに対するスタンスが微妙になっているのもここに理由があるのかもしれない。 ただ,ちょっと残念なのは,この本には触れられていない部分があること。それは「スポーツ」ものや「部活」もの。これらのカテゴリーの作品は,最終的に負けることがあっても,今でもなお成長(勝利)抜きで語るのは難しい。今でも健在なカテゴリーだけに,作者の見解を聞きたい(聞きたくなってしまう)。

    0
    投稿日: 2019.01.30
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    この本を読んでいるあいだにいろいろな本を読まざるおえなくなったので、時間がかかってしまった。 面白い本です。ひこ・田中さんが語る“子ども”の心理というか、子どもの心に映る世界にいちいち共感しながら読んでしまった。 ここに書かれている“子どもの物語”は多様なものであり、性差も存在しているが、俯瞰して流れている子どもが見つめる“大人の世界”へのまなざしは、今でも自分の中に眠っていたのを思い起こさせてくれた。 素晴らしい。 以下、“子どもの物語”の存在を語る部分一部抜粋”しました。 〜〜 自然の驚異や不可思議を、神という人間に模した存在に仕立てて説明したり(ポセイドン・アトラス・天照大神)、集団の中で何らかの影響力を持つことになった人物や出来事の正統性を示すために事実を脚色したり(アーサー王、ロビン・フッド)、共同体の秩序を伝達する教訓(赤ずきん)や、その秩序によって生じるストレスのガス抜き(桃太郎。外部に仮想敵を設定し、英雄がそれを滅ぼして宝を持ち帰る)のために語られます。 ですから、それらの物語は共同体を外敵から守り安定して保つといった役割を担っている大人にこそ必要なもので、子どもは大人の横でそれを聞かせてもらっていただけと考える方が自然です。そのため、子どもにはわからない部分(大人だからわかる部分)が多々あったはずです。仕方なく子どもはその物語から骨格と理解可能部分だけを聞き取って、自分たちなりに辻褄を合わせたり、合わせられなくとも気にせずにそれを楽しんだりする術を身につけたでしょう。 その後、科学の発達や技術の進歩に伴って理屈で理解できる事物が増え、書物の普及によって知識や秩序の伝達が容易かつ簡易になってくると、そうした口承伝達は、大人の共同体を保持するための情報ツールとしての価値を次第に失っていきます。神話はもう現実を語るには不適だと思われてしまったのです。その判断が百パーセント正しかったと現在の私たちは思わないはずですが、価値の転換時にはこうしたことが起こってしまいます。 とはいえ、それはものと違ってゴミ箱に捨てたり燃やしたりできるわけではありませんし、捨て去ってしまうにはあまりに魅力的な物語であるには違いないので、新しい消費者として選ばれたのが、大人の横で興味津々に聞いていた子どもたちです。それらは大人の情報ツールから子どものおもちゃに変わり、長い間子ども部屋に忘れ去られていたのです。 ………時代の流れは、子どもに厳しくから子どもに優しくへと変わっていくわけですが、それは同時に子どもが、大人の子ども観によって、より縛られていく過程でもあります。社会の中にある厳しさや不条理な現実は隠蔽され、子どもは子ども時代の安全を保障され代わりに囲われ、監視されていきます。 〜〜

    2
    投稿日: 2018.10.11
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    借りたもの。 児童文学からサブカルチャーにおいて、「子供の成長」を描かなくなった理由を、時系列からその変容を解説。 ゲーム、アニメ、特撮の中で善悪二元論の矛盾とそれ故に多様になるスタイルの変容が様々な有名タイトルを例に上げ、丁寧かつ簡潔に書かれる。 教訓や成長譚からアイデンティティの話へとシフトしてゆく過程を紹介。 それはマスメディアの発達により、大人と子供の情報量格差が無くなったことを指摘。 子供向け番組と言えど、作っているのは大人であること、“子供”が何故“大人”にならなければならないかを説明できなくなっている事や、“子供”が目指す理想の“大人”の不在、社会的な世相の反映も含めて、その世代の子供が何に衝撃を受けたのかまで明文化している。 短絡的に「子供の成長」という主題が古臭くなったという意味ではないのだろう。 近代化して中産階級が増え、生活にゆとりが生まれた人々は、安価な労働力だった“子供”を大人とは違う、慈しみ育てるものと解釈した。 それが今また、変容しようとしているのかも知れない。

    3
    投稿日: 2015.09.02
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    近代になって子供であることの価値が反転し、イノセンスが一つの理想となる、という文脈で、日本のサブカルを捉え直すという試み。懐かしく読んだ、が、それはそれだけのことという気もするが。

    0
    投稿日: 2015.06.16
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    子どもから大人へと言う「成長神話」なき時代が来ていることをあぶり出した労作。  主に日本の子どもたちをめぐる主要なメディアを通して、近代とその後に肉薄している。自分の周りの現象のいくつかに合点がいった。  私は40代男性。いかに自分が成長神話ある時代に育ったかを自覚した。状況がどんなに困難なものであっても、成長を信じて疑うことは無かったのである。   ・何者かに名前を与える行為は、それにアイデンティティを持たせる第一歩であり、その責任を任される。(DQ) ・なぜ女子用メディアが後付けになるかは現場の作り手の多くが男だったから。 ・彼女たちは戦うだけではなく、自分たちの夢や悩みを実によく語り合う。答えは出なくても、考え続けること。一番大切なのはそのことですから、戦う動機ははっきりしている。世界のためではなく、自分のために。 ・この時代、『赤毛のアン』が生き残っていたのも日本だけ。 ・子ども向けの新しいメディアや物語は、その正体を大人がつかめない(おもしろさがわからない)ため、恐れから否定的に評価されることが多い。 ・アンケート人気至上主義は、作者が終わりを想定できない事態、その主導権を子どもが握ることができる可能性を読者に強く印象づけた。 ・王と教皇から、近代は個と個=競争社会を招いた。職人から藝術家へ。誕生日や結婚記念日が大切な日になり、日記を書くようになったのも近代。「私」が誰なのかを示すことが重要なのだ。 ・「子どもにはもっと夢を持たせたい!」は子どもの夢ではなく、子どもに託した大人の夢。 ・経済力は違いがあるが、情報量は差異が減ってきているのがいま。 ・成熟した大人、成熟しない大人、大人にならないままの大人、大人を放棄した人。そうした様々な道筋が、子どもが育とうとする先に見える社会こそ、本当の近代社会だと考えていいのではないか?今はポストモダンなどではなく、モダンはようやくその面立ちを見せつつあるのでは?

    2
    投稿日: 2014.05.14
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    主に5~8章を読んだ。7章の『赤毛のアン』の箇所とトールモー・ハウゲンの箇所を覚えておきたい。参考文献が分かりやすくて良い。ただ、例えばムーミンなら『ムーミンのふたつの顔』のほうが、コミックス、ヤンソン後期の短編などと比較していておもしろいし、『アルプスの少女ハイジ』なら村瀬学先生の論のほうが興味深い。概説書という位置づけで書かれたのかな?(13.11.1~11.14)

    0
    投稿日: 2013.11.14
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    あらすじばかりの読書感想文を読んでいる感じ。 最後の方の数章をもっとふくらまして、作者なりの結論が読みたかった。 サブタイトルの「なぜ成長を描かなくなったのか」を期待していたので、がっかり感が、、、。

    0
    投稿日: 2013.05.03
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    テレビヒーロー、アニメ、ゲーム、児童文学を子どもの物語として串刺しで論じている点はおもしろい。けれど踏み込みが甘く解説の域を出ない点、取り上げる作品(とくに女児向けアニメ)がちょっと恣意的かな~と感じた。

    0
    投稿日: 2013.04.12
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    大人への成長を描かなくなった、という子どもの物語論。 自分が触れていない作品のオンパレードで、粗筋を一通り眺めるだけでも価値あるかな、とも期待して読み進めた。 高度成長期時代の大人の期待したい子どもの物語というエゴが、二十世紀末までに破綻してゆく様がわかった。子どもの物語に今後触れていく向きには、避けては通れない論考。 大人と子どもの差異は、昔は経済力と情報量で、情報量の大人における優位性は怪しくなってきた。情報量は更に体験・経験と知識に分けられ、前者に頼らなくても生活が営める社会を目指してきているし、後者はアクセス権の大人における独占が難しくなっている以上差異が無くなる。やがて情報こそ経済だという世界の広がりで、大人と子どもの差異も揺るがされていく。結果「大人へと成長しなければならないわけでもない」となる。 なお、本書では宮崎駿、藤子不二雄作品、サザエさんやちびまる子ちゃんなど、家族で今でも結構触れることのある作品への言及が無いので、それも含めたアップデート版も期待したい。 (それにしても、読了まで相当な時間を要してしまった。多分気にも留めなかった作品も沢山出てきていて、興味が湧かぬくだりなどで多数気力が途切れたからだと思う。。)

    0
    投稿日: 2013.02.17
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    仮面ライダー、ウルトラマン、魔法少女にRPGゲームなど どのように変化していったのか? ドラクエだけでも様々な物語があることをはじめて知った。 児童文学というジャンル意外と侮れない。

    0
    投稿日: 2013.01.05
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    ●:引用 ●子どもの物語の変化は、近代が元々目指している社会と、これまで正しいと信じられてきた社会との間に生じてきたズレそのものに忠実に寄り添っています。こう言い換えてもいいでしょう。大人社会の要請と子ども自身の欲望との間でバランスをとりながら描かれてきた子どもの物語は、相変わらず大人としてだけ振舞っている大人社会から見れば奇妙でも、子どもの側かえあ見ればこうしか見えない、こう考えるしかない大人と子どもの差異が減少した世界を正直に描いているのです。子どもは成長してみんな大人になるって本当か?それ以外の選択肢もあるのではないか?もし、近代社会がその問いに答えを出したとき、子どもを別の価値ある存在として切り離したときに生まれた子どもの物語は、これまでと全く別の物語を語っているでしょうし、ひょっとしたら必要がなくなっているかもしれません。 世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」→「幼少の帝国」→「総特集◎平成仮面ライダー」→「ふしぎなふしぎな子どもの物語」

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    投稿日: 2012.11.11
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    成長しないとダメですか? 大人になる必要がありますか? 子どもの物語は、結局大人が与えるもので、それが子どもに必要なものであればウケるけれど、なぜか大人(年を取った子ども)にウケてしまう。アニメとか、ゲームとか、なにが子どものためなのさ、と思うことも。確かに、児童文学が下敷きのアニメやマンガや他メディアは多い。で、割と児童文学はシビア。 大人じゃない人が子どもなだけ。大人って年齢だけで決まる物でもない。けれど、私は「大人」には責任が伴うと思う。「大人」と「子ども」を分けるのは、経済力と情報量かもしれないけれど、それはそれらを扱うという責任に結び付くのではないか。「大人」にならなくても生きていける世の中でもいいかもよ。いつまでも「大人」になれない人しかいないんじゃ、世の中どうなるんでしょうね。

    0
    投稿日: 2012.08.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    児童文学だけではなく、テレビゲーム、テレビヒーロー(特撮)、アニメ、漫画も射程にいれて、子どもを描く物語が成長を語らなくなったのはなぜかを解き明かしていく。 膨大な数のメディアの中で、流布したもの、人気を博したものをピックアップして、近代社会が内包していた、大人と子どもの差異の現象が、情報の肥大化の中で、進んでいった結果であると分析する。その差異がなくなったとき、子どもの物語は全く別の物語となり、もしかしたら必要がなくなってしまうのかもしれない、とする。 児童文学作家でもある筆者が出した分析である。価値の変質に気づいている作り手がおり、それを問題提起していることが重要なのかもしれない。 それぞれの分野でサブカルとして分析している研究者は多いが、「子どもを描く」という視点で貫かれていて、なおかつ、読みやすく構成されていた。それぞれの分野の専門家にとっては、納得しがたいところもあるかもしれない。筆者の描いた構図におさまりきらない作品も数多く存在する可能性も高い。(たとえば、アニメではロボットアニメ以外、『銀河鉄道999』などはどうするのかな、とか、少女漫画にもその傾向は残っていて、ヒットしているものもあるけれど、などなど) 反例も含めた内容もうかがってみたい。

    0
    投稿日: 2012.06.20
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    ゲーム、アニメ、特撮ヒーロー、漫画、これらからこどもの時代の変化を解こうという試みの本。 面白そうだと手にとったものの、元ネタを知らなすぎてあまり楽しめず。

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    投稿日: 2012.06.08
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    サブカルから分析する社会論。 めーーーーーーーっっちゃ面白かった。 特にドラクエの話とか、うんうんわかる!みたいな。 大人とはなんなのか。 エヴァンゲリオンが描いてる子供達のこの先は? 人は物語を必要とする。 これから先、人が描いていく物語ってなんなんだろう。 とっても考えさせられた一冊だった。

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    投稿日: 2012.04.28
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    子どもの物語について読んでいながら、大人とか成長って、何なんだろうなぁ〜、と考えてしまう。思春期の子どもを持つ立場として、子どもに成長を願っているけれど、そもそも、私は何を願い、何を期待しているのか。そんなこと考えること自体が、近代、なんだろうなぁ。

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    投稿日: 2012.03.10
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    章ごとに書かれた各ジャンル(ゲーム、アニメなど)の流れについてはそれぞれ興味深く読んだが、結論が分かったような分からなかったような…。 「大人になりたくない」子どもが増えたというのはもうかなり昔からの話だが、子どもの世界に留まっている大人が増えたということだろうか。そこには確かに成長はない。大人なのだから。 友達親子でいたいというのもここからきているのだろうか? 単純に子どもが成長する過程を描くのが児童文学、と思い込んでいたけれど、そうとも言えないらしい。大体子どもの本、と言いながら子どもは読んでいなくて、大人が読んでいる風景ってよく見るものなあ。それってどうよ、と思っていたのだが。私含め、だけど。

    0
    投稿日: 2012.03.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ≪目次≫ 1章  テレビゲーム 2章  テレビヒーロー 3章  アニメ(男の子編) 4章  アニメ(女の子編) 5章  世界名作劇場 6章  マンガ 7章  児童文学 8章  子どもの物語が示すもの ≪内容≫ 様々なメディアを通して、子どもの物語の世界に起こっている変化を読み解こうとするもの。 著者は、従来の物語は、”子どもが大人になっていく”物語だったというが、社会の変化(というのが一番ラクか)の中で、ヒーロー(ヒロイン)はその立ち位置を見失っている。それは、大人が「大人」ではなくなったから?大人と現代の子供の差異が減ったから、と著者は言います。だから、子どもの物語が、王道を走れなくなったのだと。 ただ、近代社会は「大人とは何か?」「成長しなければならないのか?」を問わない社会であり、「成熟した大人、成熟しない大人、大人にならないままの大人、大人を放棄した人、そうした様々な道筋が、子供が育とうとする先に見える社会こそ、本当の近代社会だと考えていいのではないか」っ著者は言っています。

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    投稿日: 2012.03.06
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    年代・ジャンルを問わず調べ上げ鑑賞し遊んでいる、その点には感服である。 ゲームの分野に関しては、「こども」という点に強調をおく一冊であるならば任天堂のポケモンシリーズやカードゲームにも触れるべきだったと思う。初代ポケモンの登場から2000年代をリードしてきた、子供にとってのゲームといえばポケモンは外すことはできないだろう。あと強いて言うならモンハンぐらいか? 本当に低年齢層向けの作品か、かkつてアニメやマンガ・ゲームに慣れ親しんだ人間がつくったオタク向けの作品かどうかもよくよく区別して書かないとそのへんがごっちゃになって混乱するだけの気がする。 問題提起と問題解決の道筋が弱い一冊なので、雑学程度に読む本だろう。この点はさすが新書、といったところか。

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    投稿日: 2012.02.14
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    R25で紹介されてて興味を持って買った本。 紹介ページはこちらです。 http://r25.yahoo.co.jp/books/detail/?id=20111102-00021936-r25 なんだろうな、しょうがないんだけど どうしてもそれぞれの章の内容が年表のようになってしまうから なかなか集中できず読みきるのに時間がかかりました。 本筋には関係ないんだけど、面白いなと思った視点。 RPGの登場で、物語を自分で動かしてるかのような感覚を 得ることができるようになり、その要素の一つとして 「自由に名前を付けられる」というのがあるのだけど。 この名前を、例えば代名詞にしてしまうと・・・・。 脇役が主人公を呼ぶとき、まるで他の人のことを 話しているかのようになってしまいます。 「☓☓(名前)はどう思うのだ?」→「彼はどう思うのだ?」へ。 一人称にしてしまうと、「私はどう思うのだ?」という混乱の極みへ。 ちょっとね、試してみたいかも。笑

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    投稿日: 2012.02.05
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     日経BPネットで著者のインタビューを読んだ。DQやFFに比べてメジャーとは言えない「ペルソナ2」を本書で取り上げていることを知って購入した。  著者の主張を理解するだけなら、最後の第8章だけ読めば事足ります。誤解を承知でざっくり言ってしまうと、今の子どもはすれているということ。「ペルソナ2」に端的ですが、ちょっと牽強付会なところがあります。

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    投稿日: 2012.01.08
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    駆け足で読み解くこども文化近代史。大人と子供の線引きが限界になっているとゆー説には激しく同意。そう、このトシになるまでずーっとこじらせていたもんだいもすっきり氷解。そもそも質問の立て方が間違っていたのだなぁ、と。ああ、これからも大手を振って生きてゆけそうでござる。

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    投稿日: 2012.01.07
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     仮面ライダー、ウルトラマン、ガンダムの話は面白かった。それぞれ、他にもっと詳しく書いてる本があるのだと思うけど、それだと重すぎなので、このくらいの裏話がちょうどいい。

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    投稿日: 2011.12.25
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    著者は児童文学作家。タイトルからして、ファンタジー童話に関する内容かと思いましたが、アニメやゲームを中心とした子供むけ作品の変遷について述べられたものでした。 月光仮面やウルトラマン、仮面ライダーなど、往年のヒーローについてこと細かに語られますが、実はその辺りの作品の内容に関してほとんど知らない私には、詳しすぎてよくわからず、共感の置きどころがなく、忍耐を持って読み進むこととなってしまいました。 この本も先日読んだ『リトル・ピープルの時代』も、雑誌で紹介されており、どちらも震災後に書かれた、ウルトラマンと仮面ライダーのヒーロー像について述べられた本。 二次元のヒーローというと、少年マンガ系のものになり、どうも縁遠くなってしまいます。 ゲームもやらないため、ドラクエでは主人公は無言のまま一言もしゃべらないということを知りませんでした。 なんだか、現実の会話の少ない子供たちの原型を見る気がします。 ウルトラマンは、死なせた青年と一体化していることや、仮面ライダーは世界征服をたくらむショッカーによって改造された人間だということも、知りませんでした。 デビルマンのようですね。 かつてはTVヒーローの実写版を見て、「シュワッチ!」「変身!」など空き地で真似をしていた子供たちが、危ないと禁止されたり、遊ぶ空き地が無くなったことで、そうした遊びをしなくなり、その代替行為としてアニメキャラのコスプレに繋がっていったという著者の論に、驚きました。 アニメ観賞後の表現行為としては共通しますが、それぞれの行動は、内容的にも年代的にも、かなりの変容を遂げています。 月光仮面の歌で、ヒーローをおじさんと呼んでいることに、前々から違和感を感じていましたが、放映当時は子供にとっておとなが憧れの対象であった時代だったからだとする著者の意見に、なるほどと納得しました。 おじさんとは、尊敬の念が混ざった呼び名だったわけですね。 キャラとはキャラクターの略語だと思っていましたが、著者に言わせると、双方別ものなんだそうです。 キャラとは、ミッキーマウスやキティなど、成長すると気持ち悪い存在で、キャラクターとは、ガンダムの登場人物など、成長しないと気持ち悪い存在を指すのだとか。 アムロの「親父にもぶたれたことないのに!」というセリフは、声優古谷徹が『巨人の星』星飛雄馬役で父親にぶたれっぱなしであることへのパロディだということは、製作者の遊び心が見えておもしろく思いました。 『エヴァ』では、子供たちは心を保つために、自閉する(シンジ)、切れる(アスカ)、感情をなくす(レイ)といった性質を帯びているとのこと。 逃げ場がない、病的さを感じます。 対照的な作品『ワンピース』では、主人公ルフィは、海賊王を目指す海賊行為をしない海賊というふるまいを永遠に続けていっているとのこと。 すでに完成形で、成長過程とはまったく縁がないそうです。 主人公の成長が見られない物語は、ストーリーとしておもしろいものなのでしょうか? 少女向けアニメのことも、書かれていました。 TVアニメは、男の子向け漫画が原作で、主人公も男の子、製作側も男性ばかりだったため、いざ女の子向けのアニメを作ろうとしても、誰も「女の子」についてわからないため、苦肉の策として、「大人の女」を子供化した像を作り上げ、それが魔法少女たちの造形となったと知りました。 少女向けアニメながら、男性ファンが多い作品があるのは、やはり男性目線で作られたものだからでしょう。 かなりジェンダー的な背景がネックになって存在していることがわかりました。 興味深い内容ながら、アニメ大国日本の膨大な作品を比較し、潮流を押さえていくのは、なかなか大変な作業だと思います。 はっきりとした方向性も見えない、混沌とした流れになんとか竿をさしていこうとするのは果敢な試みですが、テーマが大きすぎて、著者の手に余っているような印象を受けました。 それにしても、少女向け作品といったら、憧れの彼との恋愛成就というような感情表現がメインテーマになることがほとんどですが、それは(そうあっていてほしい)という製作側男性たちの希望と妄想によって形作られたものだとわかり、多少なりとも衝撃を受けました。 いまだ、少女が大人の女になる話はあっても、少女が大人になる話はないとのこと。 なんだか、いまだジェンダー面での表現方法は発展途上で、整い切れていないという、根深い問題があるように思います。 また、あとがきでは、3月の震災についても触れられており、今後は、ファンタジーがリアル側面を持つであろうことが述べられていました。 ありえない光景を目にしてしまった私たち。 もしかしたら、仮想世界の表現法が今後がらりと変わりゆく、その分岐点に立っているのかもしれません。

    0
    投稿日: 2011.12.15
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    8章に全てが書いてある。筆者は否定してるが何だか意地悪な表現が気になりなかなか読みすすめられなかった。でもヒーロー物やドラクエなんかの歴史を体系だてて知るには良かった。

    0
    投稿日: 2011.12.14
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    タイトルの「なぜ」に対する答えとしてはつまり、大人と子供の境界線があいまいになったから、ということなのだろうか。 著者の言っていることは、「なぜ成長しなければならないのかではなく、なぜ成長しなければならないと思いこんでしまったのか、必ずしもその必要はないのに」ということのようだ。時代がそういう風に変わって来たのだから、それはそれで受け入れてもいいはずだと…。 あれ?本当にそれでいいのかな?? 著者が、非常に細かく丁寧に、様々なゲームやアニメ、テレビ、児童文学など、それぞれの内容とその意義、時代の流れを照らし合わせ分析しているのには驚かされたし、またそれぞれが時代の潮流に敏感に反応し、それが作品に見事に反映されているのにも大変感じ入るものがあったが、近代社会の目指すものが、必ずしも成長する子供や目標としての大人ではなく、もっとフレキシブルな社会なのだ、という結論には、あまり納得できないかな…。 そういうことなのかもしれないけれど、だからこそ成長物語が作られなくなったということなのかもしれないけれど、そんな社会でいいのだろうか、と疑問に思わずにいられない。 まあ、それこそが著者の言う「自分の知識や経験や文化的背景を通してしか物を見られない」ということなのかもしれないけど。

    0
    投稿日: 2011.12.10
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    ゲームにアニメ、ヒーロー、世界名作劇場、マンガ、児童文学と、成長を描かなくなっている傾向が窺えるというもの。 大人の男(の子)が子どもの物語を消費するようになったから、単純な成長物語がなくなってきたのではないかと思っていたが、そんなに簡単なことではないらしい。 この本を楽しめたのならば、紅一点論(斎藤美奈子)もおすすめ。

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    投稿日: 2011.12.03
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    「テレビゲーム」、「テレビヒーロー」、「アニメ(男の子編)」、「アニメ(女の子編)」、「世界名作劇場」、「マンガ」、「児童文学」の作品の背景を探ることで、社会背景や子どもたちのおかれている状況を分析しています。 仮面ライダーやウルトラマン、ハイジやネロの話がでてくると、つい力が入ってしまいました。 子どもの世界にマンガが入り、その延長としてテレビアニメやヒーローものがあります。 マンガやテレビの世界に大人も参入しているのが現代。 大人と子どもの差違が小さくなった近代社会は「大人は必ずとも将来の目標とはなり得ない」と著者は指摘しています。 著者の言うとおり、大人と変わらないほどの情報を手に入れることができ、行動の制限も著しく緩くなってきているのですから「将来の目標とはなり得ない」という指摘は理解できます。 もし、経済力までも手に入れたとき、そこにある差は「経験知の差」だけになるのかもしれません。 小学生が起業して成功しました、という類の子供向け本も出版されています。経済力を手に入れることはネットを使えば、十分可能です。大人、危うし! かも。

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    投稿日: 2011.11.03
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    テレビゲーム、テレビヒーロー、アニメ(男の子編)、アニメ(女の子編)、世界名作劇場、マンガ、児童文学、そしてまとめにあたる章という構成。 まずそれらの歴史や変遷、意義に、よくこれだけ丁寧に寄り添っているな、ということに驚く。 このように時系列で並べて分析して見せられると、子どもの(或いは親の)立場で、ただ面白おかしく見たり体験したりしていただけのそれらに、こんな意味や意図があったのか、と気付かされる。 歌は世につれ…などというけれど、子どもをとりまくゲームやアニメも世につれ、世はそれらにつれて変遷してきたということである。 中でも、世界名作劇場の「若草物語」が単身赴任の増加とリンクしていることや、離婚率の上昇と家族関係の複雑化が、孤児や孤児的な物語の供給に影響していること、などは、なるほど、と思わされる。 そして「子どもたちは大人に反抗しているわけではなく、さりとて大人を尊敬しているわけでもなく、かといって軽蔑しているわけでもありません。」「相手が大人というカテゴリーに属すること、自分が子どもというカテゴリーに置かれていることは知っていますが、それは人間が辿る歳月、ひと連なりの人生としてとらえられているのではなく切断されています。」と言う。 著者はそのことについては、否定的ではないようだけれど、私はマズいんじゃないの!!と思う。大いに思う。 なぜなら、その先にある「成熟した大人、成熟しない大人、大人にならないままの大人、大人を放棄した人。そうした様々な道筋」は、一見いろいろな生き様があっていいように見えて、実は大きな正義や価値観を提示しない、善と悪の境目の薄らいだ、ぼんやりととりとめのない社会のように、私には思えるからである。 葛藤や苦難を超えて成熟した末に、いろいろな生き様を認め合った 豊かな社会というのではなく、ただ薄ぼんやりと過ごす、大人になれない(ならない?)80年があるだけなのではないか、という気がして。 なんだか少し寒々しい気がする。

    3
    投稿日: 2011.11.01
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    児童書だけでなくゲーム、アニメ、コミックなど、子どもを取り巻くメディア全般を概観した上で、今の物語はあえて成長しない子どもの姿を描いているとしている。それは社会状況をそのまま反映しているという見解で、その点はまったく同意だけど、ただ、ガンダムの読み方とか、女の子向けアニメの解説とかは「それはちょっとずれてるんじゃないか」と感じる箇所多数。結局は男性の年長者視点なんだよね。

    0
    投稿日: 2011.10.27
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    なぜ子供向けの本(文学、マンガ、アニメ、ゲーム、映画)は成長を描かなくなったのか。 結論には賛成できないけど、過程には傾聴に値する分析がたくさん含まれている。 著者の答えは、「そもそも子供という概念が近代に特有のものであり、大人という概念の合わせ鏡として生み出されたものにすぎない」「大人と子供の差は経済力と情報量の差であり、後者がなくなってきた以上、成長もなくなった」というもの。 前半はアリエスの『<子供>の誕生』だからいいとして、後半には賛成できない。むしろ、そういう、薄っぺらい大人観子供観に由来する成長観が病巣。 (もちろん、著者がこれを「そうあって欲しくはないが、事実として、歴史的経緯として、そうなっている」と書いたのであれば、それには同意するが、そこはよく読み取れない。) 成長譚というのは近代固有ではなくて、神話にも組み込まれている普遍的なものだと思う。成人になるための通過儀礼イニシエーションを考えると、連続した成長ではなく、非連続な生まれ変わりこそが本質なのかもしれないが。 なお、著者は成長は否定しても物語(の必要性)は否定していない。むしろ強く訴えているくらい。成長以外の物語を書こう読もうと。

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    投稿日: 2011.10.25
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    TVゲーム、テレビヒーロー、アニメ、まんが、児童などについて。大人と子どもに関する関係で昔と現代の違いは、情報量。子どもがかなり情報を得られる社会になっているので、昔は多くを知っている「大人」に成長することが目標だったのだけれど、差異が少なくなってきた現代は目標となりにくくなっている。子どもが情報に接する機会が増えるにつれ、アニメや漫画などで子どもの成長が描かれる作品が少なくなっていく。それが悪いというわけではないということも著者は書いてある。 ところでドラクエってそんな成長過程のあるゲームだったのか~。一回も遊んだことのない自分。

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    投稿日: 2011.10.22
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    はっはぁ~ と納得するとこが多く 自分の知らない世代のアニメや漫画の移り変わり また、世界名作劇場から 最近のアニメや漫画のこと 日本と海外の児童文学についての視点の違いなど 結構細かく書かれてるなぁと思いました。 うん、まぁこういう意見もあるのかな、と。

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    投稿日: 2011.08.27
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    http://twitter.com/#!/stj/status/104024028498509824

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    投稿日: 2011.08.18