
総合評価
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powered by ブクログ本文で理解できなかった箇所も、この巻の解読を読んだおかげで理解できた。 ロシアの時代背景や当時の宗教観、ドストエフスキーの生い立ちや価値観を知った方がより深く楽しめる本。そういったことを、本書をきっかけに学びたくなりました。
0投稿日: 2026.01.28
powered by ブクログシリーズ最終巻(第一の小説)。エピローグに、訳者の熱のこもったドストエフスキーの生涯と解説がついている。エピローグの「カラマーゾフ万歳!」は感動的でありながら勝利の宣言ではなく、彼らがここからまた始めるための合図のように思えた。すべてが解決することはなく、それでも、人と人が一瞬でも善を信じて集まることができた、その記憶だけが残されていた。全体を通して、大筋(訳者の言う物語層)を追う読みまでしかできてはいないので、またいつか再読したい!
0投稿日: 2026.01.19
powered by ブクログ最後は泣けた。 アリョーシャが、人間の、人生の真実を子どもたちに語ったその言葉は、この小説の核として奥の方で輝いていたものだ。 今までの長い物語があったからこそ、アリョーシャの言葉は胸に響いて鳴りやまない。 心が洗われるような思いのする最後だった。
0投稿日: 2026.01.06
powered by ブクログ19世紀ロシア社会の激動を背景に描かれた小説であり,きわめて多くの問いを内包し,長く人々を魅了してきた作品である。
0投稿日: 2026.01.01
powered by ブクログひとこと、重厚。 多くの人が何度も読み返す理由がわかる気がした。初回は大筋だけつかめただけだった。理解しきれなかった細部が、より気になった。 淘汰されずに、大作として読み継がれていることに納得。
19投稿日: 2025.12.12
powered by ブクログやっと全巻読み終わりました。 長かった… 5月に読み始めて11月に読了。 7ヶ月は長すぎた?そうかも知れない。ストーリーに惹き込まれる迄の時間がかなり掛かった。 しかしながら、ここで『評価と感想』を書くのは気が引ける。あまりにも相手が巨大過ぎる。 色々と書いては消し、書いては書き換えながらやってみたけれど、どれも書いている自分に嫌気がさしてくる。 それでも一応は当たり障りのないことを書いてみた。 ………… 世界の名著には必ず含まれるであろう大作『カラマーゾフの兄弟』。 読後の満足感は大きい。 とは言え…話の筋が分かっただけ。 肝心のゾシマ長老の話やイワンの語る大審問官の部分は、ただただ字面を眺めていただけ。 まぁそれでもドストエフスキーのポリフォニー的な要素は楽しめたし、カラマーゾフ家の父と兄弟、同居するスメルジャコフ。グルーシェニカやカテリーナ…その他の大勢の登場人物の関係性や一部その心の動き機微にも触れられたと思う。 ………… また、近い将来に再びチャレンジ出来たらと思う が…←かなり根性が要るし他にも読みたい本は沢山あるし… 少なくとも『読んだことがあります。』と自信を持って言える状態にはなった笑
19投稿日: 2025.11.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
長い物語の中で、いくつもの父と子の関係が描かれている。 ヒョードルと実子たちと私生児 二等大尉とイリューシャ 血のつながりだけではなく、「父=教え導く者」としての関係性も散見される 長老とアリョーシャ アリョーシャとコーリャ(コーリャに父がおらず、偏った考えで突き進むところも印象的)、こどもたち そして、ロシア正教に基づく神と登場人物たちの関係 勤めを果たさない父を持った4人のカラマーゾフの兄弟のうち、外の世界に父を求めたアリョーシャだけが、精神の安寧を、救いを得たようにみえる。 最後のシーンでアリョーシャは、両親の元で幸せに過ごす幼少期の尊さを少年たちに説くが、今後の自分たちの繋がりを強調する。 両親に恵まれなくても、求めれば導きを得られ、精神を貶めず引き上げていくことはできる、という思いが込められているように読めた。 …しかし、面白かったけど長かった! 普通の会話でも登場人物が軒並み「!」と叫んでいて、エネルギー過剰、、とやや当てられて(嵐が丘でも同じ印象を受けた)さらにイワンの1人語り問答のわけのわからなさもあって、途中ちょっと停滞しました。 でもモームが紹介している中で「冗漫で読み飛ばすこともある(大意)」と書いていたので、そっか〜理解しきれなくても一度読み通してみよう、と少し気楽に付き合えました。 ロシア正教について予備知識があった方がより面白いかな、と初心者向けのキリスト教の本を併読したことで、ドミートリーの罪の意識などが多少理解しやすくなって良かったです。
1投稿日: 2025.09.24
powered by ブクログドストエフスキーが常に監視や検閲の元で執筆をしていたと知り、文体がとても回りくどく感じるのは本当に伝えたいことをチェックに引っかからない程度に含みをもたせた結果だったのかなと思った。
0投稿日: 2025.09.21
powered by ブクログ2022年半年ほどかけて読書会を実施し読了。 世界文学における名作としても有名な一方で読み通すのも大変なこの本で読書会ができて良かった。 今まで3回読んだ。 高校生の時に初めて読み、大学生でこの新訳版に出会って読み、社会人になってから翻訳者の亀山郁夫氏がゲストで来る読書会に参加するために読んだ。 以前読んだ時は三兄弟+スメルジャコフ、カテリーナ、グルーシェニカの言動やパーソナリティに目が向いたが、今回は脇の人々の活き活きとした振る舞いに目が向いた。 ミウーソフ氏のヨーロッパかぶれインテリ感。 ゴシップ通のラキーチンが抱える劣等感。 ちゃっかりグルーシェニカの所に居候している地主のマクシーモフ。 ミーチャの心配をして値引きまでしてあげる役人のペルホーチン。 ミーチャのトロイカを制御する御者。 イリューシャをはじめとする少年たち。 200ルーブルを受け取らないスネギリョフ二等大尉。 作中で一番怖いやつなのではないかと思えるゾシマ長老の過去にでてくる紳士。 すれ違いコントのようなホフラコーワ夫人とミーチャの「金鉱」の話。 などなど。 脇のキャラクターのちょっとした描写から見えるその人々のパーソナリティが面白かったし、彼らから見えるカラマーゾフ家の性質がむしろ当人たちよりよほど鋭く言い当てていたりもする。 読むたびに良いと思えるキャラクターや話が変わる。 前回読んだ時はイワンが好きだったが、今回は父フョードルとホフラコーワ夫人の振る舞いを面白く読めた。
0投稿日: 2025.08.28
powered by ブクログそれぞれのその後が描かれる最終巻! → エピローグの終わってない感もすごい。本当なら第二部があったはずなので、おそらく第二部のプロローグに繋がるんだろうな、という終わり方なんだけど……けど!! カラマーゾフの兄弟って、未完なんですよ!私知らなくてびっくり(←下調べせずに読み始めるタイプ)続きが読みたいー!!!
3投稿日: 2025.08.06
powered by ブクログずっと読んでみたかった名作。めちゃくちゃ長くてめちゃくちゃ時間かかったけど読んで良かった! あとがきにあった、四巻+エピローグという形式は交響曲の形式と似ているっていうのにすごく納得。 第一部がアレグロ・コンブリオ(速くいきいきと)。登場人物が多い割に、時系列や人物関係、キャラクターが分かりやすくまとめられていて、さほど苦労せずに読めた印象。カラマーゾフとは何たるかを知る場面。 第二部がアダージョ(ゆっくりと)。ここが長くて辛かった!あとがきにここで挫折する人が多いとあったけど、それも頷ける。神がかり的な力を持つゾシマ長老に傾倒する無垢な三男アリョーシャと、「神がいないことで全てが許される」と説く次男イワンの対立が軸となって、ロシアの社会情勢や作者の無神論者的な考えが反映される。話の大筋には関係ないようなことが長々と語られて、交響曲であれば確実に寝てしまうところ。長ったらしい和音の中に時折魅力的なメロディや衝撃的な異音が混ざったりして、物語全体に深みをもたらす部分。特にゾシマ長老の「腐臭」の場面はかなりの衝撃だった。 第三部はスケルツォ(諧謔的に)。ここから話が一気に進み、本作のテーマである「父親殺し」に向かって話が展開していく。無類の女好きであり道化的な性格をもつ浪費家の父フョードルの性質がそのまま「カラマーゾフ」となって三兄弟にも受け継がれる。対極的な2人の美人、カテリーナとグルーシェニカ、そしてカラマーゾフ家の使用人グリゴーリーとスメルジャコフを巻き込んで、フョードル殺害をめぐる事件が起こるまでを描く。ドミートリー・イワン・アリョーシャの三兄弟がそれぞれ絡み合いながら行動し、それぞれが別の目的を持って一つの事件へと向かっていく。 第四部はモデラート・マエストーソ(ほどよい速さで厳かに)。カラマーゾフを語る上でポリフォニー(多声)的な視点というのはよく言われるが、第四部はまさにこの視点が多用される。登場人物たちの視点によって見えなかったものが見え、意味のなかった行動が意味付けされ、事件が一つの結論へと集約していく。対話によってその人物自身気付いていなかった心情に気付かされる場面や、「父殺し」の真相が明かされる場面は圧巻。そして最後の裁判シーンは最初から最後まで目が離せない急展開。陪審員の判決もまた、ドミートリーの「カラマーゾフ的」な性質を裏付けるものとなっている。 別巻のエピローグをもって完結となる本作だが、序説にもあった通り、これは「第一の小説」であり、本来は第二の小説に続くのだという。第二の小説が書かれることなく終わってしまったのは残念だが、むしろ第二の小説がないからこそ、最後の「カラマーゾフ万歳」がある種不穏で狂気的な印象を与えるのかもしれない。父親殺しの事件が一つの解決を見せ、これからアリョーシャと町の少年たちを中心とした話が始まるのだという兆しを見せるが、その未来は果たして明るいものなのか?ミーチャの脱獄が仄めかされ、カテリーナとグルーシェニカの関係も曖昧なままである。「カラマーゾフ」は女好きで道化で浪費家の象徴であった。父は殺され、長男は服役囚となり、次男は精神を病み、私生児とされるスメルジャコフは自殺した。三男のアリョーシャだけが万歳と祝福されるわけにはいかないだろう。 個人的には、カラマーゾフの血を受け継ぎながら、世間の人々やゾシマ長老、2人の兄、そして自分本位な父からも天使のようだと一目置かれていたアリョーシャの、カラマーゾフ的な一面を見てみたいと想像を膨らませてしまう。
4投稿日: 2025.06.13
powered by ブクログ第1巻前半は登場人物の前史のような話でつまらない。 カラマーゾフ兄弟に絡む二人の女性が登場してそのあとは俄然面白くなる。これほどプロットのある長編とは思わなかった。事前の想像より面白い。 未読の方は、世界屈指の評価を受ける小説がどんなものか、読んでみることをお勧めする。 この古典新訳文庫の5巻目は訳者亀山氏の解説が長い。 小説部分(エピローグ)が60頁、訳者解説等が300頁ほど。 エピローグは4巻に含め、5巻は解説書として販売した方が読者に親切だった。 ちなみに解説中の「ドフトエフスキーの生涯」100頁程は未読。 解題(200頁程)は、批判的に読んだ。 この作品のどこが・なぜ、過去から現在まで世界中で高く評価されているのかをまず簡潔に説明してくれた方がわかりやすい。
1投稿日: 2025.05.15
powered by ブクログここで終わるんだ。がまず最初の感想 3巻ぐらいから、グルーシェンカのことを可愛いなと思い始めていた私はその対局のようなカテリーナがヒステリーっぽくなるたびに、よりグルーシェンカと比べてしまった けれどこの5巻ではアリョーシャに素直に、今の彼女の気持ちを話しているところで、少し見方が変わった。 まだイワンと、しなくていいような嫉妬や言い合いしそうだけど 幸せになってほしいなとおもえた。 私はあの、どうしようもないフィヨードルが一番好きだったから (途中からグルーチェンカに変わった)早々の退場で残念だった
0投稿日: 2025.04.15
powered by ブクログエピローグは、明るい未来を感じさせるものでした。「カラマーゾフ万歳!」と青年たちが叫ぶのはよくわからなかったですが。 ドストエフスキーの生涯や解説は興味深い内容でよかったです。作品を振り返ることができました。
0投稿日: 2025.02.12
powered by ブクログ名作を読もうシリーズ。とっつきやすさから光文社の新訳文庫で。5巻はエピローグと訳者解説などおまけのような感じ。これで一応は、『カラマーゾフの兄弟』を読んだことがある人間になった。ほかの訳でじっくりいつか少しずつ読み直したい。
0投稿日: 2025.01.22
powered by ブクログ正直咀嚼しきれていない部分も多いが、物語全体を貫く宗教価値観・ドストエフスキーの自伝的要素等、精緻に論じられた解題のおかげで解像度が上がったと思う。振り返るとサスペンスとしての面白さは圧巻のものであった。読み返すことは当分ないかも。でもこの1ヶ月の読者体験のことはまた思い出しそう。 年内に読み切れた。来年も活字には触れ続けないと。
0投稿日: 2024.12.29
powered by ブクログカラマーゾフの兄弟エピローグとドストエフスキーの生涯と解題と。 訳者のドストエフスキーに対する造詣の深さに驚かされる。これぞプロのお仕事。自伝的要素を含む三層構造。 未完の小説
15投稿日: 2024.11.26
powered by ブクログ文学史上の最高傑作を読みたくて購読。 長く、難解なため読むのに非常に時間がかかった。 本作のテーマは、神は存在するかという点である。様々な場面で神の存在を信じる者と信じない者との対比が描かれており、その様子を楽しむことができた。 私はカラマーゾフの兄弟以外にも『罪と罰』を読んだことがあるが、当時のロシアの様子、キリスト教的価値観の揺らぎを感じることができ、非常に面白い。 全体的に理解できたとは言い難いが、各巻の後書きの解説を読みながら進めることで、理解が深まった気がする。その解説の中でも、カラマーゾフの兄弟は四楽章仕立ての交響曲的構成になっているという指摘は、フィナーレに向けて盛り上がる様子からまさにその通りだと感じた。
9投稿日: 2024.09.18
powered by ブクログとても、面白かった。 でも振り返ってみると「大審問官」が全然理解できていなかったことがわかった。 もう一度、キリスト教について学びなおし、読み返してみてこういうことが書いてあったのかと、やっと少し理解。 ドストエフスキーの厳しいカトリック批判だなんて気が付きもしなかった
0投稿日: 2024.08.19
powered by ブクログ訳者による解題がとても興味深く、解題を踏まえたうえでもう一度読み直したくなりました。引っかかりを覚えた一文や、何気なく通り過ぎた箇所にそんな意味が込められていたのか、と驚きました。 謎がたくさん残る小説でしたが、とても読みごたえがありました。最後まであきらめずに読めてよかったです。でも理解しきれている自信はないので、いつかまた復習したいな。
0投稿日: 2024.08.01
powered by ブクログ読んだ本 カラマーゾフの兄弟5 ドストエフスキー 20240602 最終巻は、本文60ページで残りは「ドストエフスキーの生涯」と「解題」。なんか感想が変わっちゃうんで解説とかは読まない方なんでありゃって感じ。 エピローグっていうだけあって後日談って感じ。 しかし、読み終わって思うのは、これだけ神の在不在なんかを描きながら、奇跡らしいことが全く起こらない。死ぬ人は死んで、誰も救われない。聖人も死ねば腐臭を出すし、父殺しの裁判でも客観的事実のままに裁かれ、読者の知る事実は無にされる。ある意味身も蓋もないお話なんだよな。 神はいない。だけど必要だから人間が作った。ってのがイワンだったっけな。宗教法人はともかく、神は必要ですよね。それがどんなもんだとしても。信じたものが誰かの利益のためとか、利用されてたとかって突きつけられる残酷さって考えさせられるもんがあるんですよね。ちょっと本とは関係ないんだけど。
1投稿日: 2024.06.02
powered by ブクログエピローグで何かあるかと思ったがこれもあっけなかった。 それより全体解説の「ドストエフスキーの生涯」約100ページと「解題」約200ページがわかりやすくてすばらしい。ロシア皇帝権力に対するテロ事件に影響を受けていた様子がよくわかった。単なる芸術家ではなく祖国を何とか良くしたかった。 だから第2の小説は13年後のアリョーシャやコーリャが皇帝暗殺を目指すという説に説得力がある。ドストエフスキーがもう少し長生きして執筆してくれてたら・・・。でも若い頃国家転覆の罪で銃殺刑に処されかけたのが恩赦で助かって第1の小説を書いてくれただけでも良しと考えよう。ドストエフスキー万歳!
1投稿日: 2024.05.28
powered by ブクログまずは約2週間かけて読破できた自分を褒めたい。非常に充足した気分。 振り返ると、第一部は非常に苦しかった。正直面白くなかった。全く知らない登場人物の詳細がないまま会話ベースに話が進んでいく。誰が、どんな気持ちで話しているか読み取るのが非常に困難だった。 第二部の大審問官は実は読み飛ばしてしまった。が、これから頑張って読み直そうと思う。 第三部からは打って変わって手が止まらなくなった。少しずつ各キャラの性格や、物語の向かう先がわかってきたのと、ドストエフスキーの文章(と、訳者の亀山さんの文章)に慣れてきたのもあり、一気に読みやすくなった。 第四部は終着点。正直最後は、えっ、これで終わり?と思ってしまった。 そしていよいよエピローグ。最後、子供達とアリョーシャのやり取りを読んでいて、ふっと気持ちが軽くなった。少し、未来に希望が持てそうな気持ちだった。 そのうえで、亀山さんの解説を読むと、いろいろ納得できるところも多く、もう一度読みたいと思ってしまうのが不思議なところ。また落ち着いたらカラマーゾフの兄弟の世界に足を踏み入れてみようか。 もっと面白い本は世の中にたくさんあると思うが、それでも傑作と名高いカラマーゾフの兄弟を「読破」した側の人間になれたことが嬉しい。 万人におすすめはできないが、読書好きな人にはぜひ、読んで欲しい作品です。
1投稿日: 2024.05.26
powered by ブクログエピローグは登場人物たちのその後の物語。 全部読むと、「未完の作品」だと強く感じた。 続きを書く前に亡くなったことが本当に惜しい。 読んだ後、登場人物のことをずっと考えてる。 解題もめちゃくちゃ面白かった。 解題を読むと、また頭から読み直したくなった。 自分なりにもっと細かく読みたい。
0投稿日: 2024.04.08
powered by ブクログ5巻ってほんのちょっとなんだね… ドミートリーやイワンがその後どうなったか、知りたかった アリョーシャは宗教とどう関わっていくのだろうか。 全体を通してみると、まぁ緻密な物語。 カラマーゾフたちの性格が、最後の裁判にどう繋がっていくのか、いつか再読してたしかめたい。
0投稿日: 2024.02.18
powered by ブクログ第2の小説を予感させるエピローグで全巻読了。結局、3ヶ月かかりましたが、最高の読書体験でした。鑑賞には絶対必要な「ドストエフスキーの生涯」、180ページに渡る訳者の「解題」はミステリー並みの面白さ。小説に隠されている作者の生涯が浮かぶあがります。
1投稿日: 2023.12.31
powered by ブクログ「カラマーゾフの兄弟4」 「カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻」 ※4.5の感想です。 これで、亀山郁夫訳のカラマーゾフの兄弟全巻を読み終えた。 長くて苦しくて楽しくて、、今まで読んだどの本にも無い読後感だった。 それはこれが、未完の大作であるからということも大きいのかと思う。 ドストエフスキーは、このエピローグまでを第一の小説とし、その13年後を描く第二の小説を念頭に置いて書いていたが、亡くなってしまったから。 にもかかわらず、この完結性の高さという、他に比べようがない(少なくとも自分が読んだ中では。)「人類の奇跡のような」作品。←訳者、亀山郁夫氏の言葉 まずは、第4巻から。 第4巻は、第10編「少年たち」という話から始まるのだけど、これが個人的に素晴らしく良くて、ドストエフスキーの、反抗的でありながらも、少年のもつ純真さや繊細さ、故の暴力性を台詞回しや出来事によって描き切る才に驚愕した。特に、後々まで重要になるコーリャという少年の描写が本当に良くて、、どことなく、スティーブン・ミルハウザーの「エドウィン・マルハウス」の世界観を思い出させた。(これも傑作中の傑作) イワンの内面が徐々に浮かび上がる中盤、スメルジャコフとの対話のシーンは不穏で不気味、グロテスクで、なんだか自分自身の内面を暴かれているようでどきどきした。 その流れからのミーチャの裁判。 世の中の残酷な事件や、戦争、虐待。 「父殺し」という作中での直接的表現にそれらをあてはめてみると、更に先ほどのイワンの内面描写が他人事ではなく思えて今度はゾッとするのである。 そしてそれらを見つめる「わたし」の俯瞰的目線、それによって台詞の意味が補完される。 5巻にある訳者による解題での「ポリフォニー(多声)性」という手法の巧みさ!読み手により如何様にも読めるという面白味に加えて、最大の主題「神はあるのか」についてもまた、登場人物の言動や行動や、それに伴う結果のそれぞれの違いによって複雑に絡み合って、決して白か黒かでは分つことができない。 その「複雑さ」がリアルで惹きつけられる要因のひとつなのかもしれない。 またしても「二項対立の脱構築」的思考だなと、、 第5巻エピローグは、僅か63ページ。 これで本編自体は完結する。 最後のアリョーシャのスピーチを読んだとき、本当に自然に、ハラハラ涙が出て、心が動くということは多分これのことなんだなと実感した。 これまで積み上げてきた長い物語世界の、一つの側面であり大きな主題でもある、先述した「神はあるか」についての、人間としての最適解というか、本当は全ての人間がこうありたいと願っていると「思いたい」と思える、素晴らしいものだった。 143年前のロシア古典文学が、今もずっと読み継がれている理由が身に染みてよくわかった。 訳者違いで、また何度も読みたい。 素晴らしい読書体験だった。
0投稿日: 2023.10.29
powered by ブクログ読書として長い旅だった。数十年前は分からなかったことが少しはうなづけるようになり、ドストエフスキーの生涯と解題を読んでさらに理解が進んだ。 キリスト教と社会主義、農奴解放後の混乱という19世紀のロシア特有の空気と、著者が実生活で持つ背景が作品に及ぼす強い影響。ミーチャ、イワン、アリョーシャという3兄弟と父親、スメルジャコフやコーリャ、女性たちとの会話など、どんなに分かりやすい翻訳でも、おそらく原語が理解できないとその面白さは半分以下なのだろうと、訳者の解説を読みながら実感。それでも他作品を間に挟みつつ3か月で読み通せたのは、活力ある言葉での翻訳に徹した訳者のおかげだ。 著者が予定していた第二小説が永遠に読めないのは残念だが、ここまで5冊でも十分に体力の要る読書だったし、読み方によっては十分に完結している物語でもあった。
0投稿日: 2023.09.02
powered by ブクログカラマーゾフ万歳! 兎にも角にも続きが気になります。。 ロシア文学は苦手意識が強かったんですが、こんなに楽しめるとは想定外でした 新訳が良かったのか、亀山さん訳が自分に合ってたのか。。時間があれば原さん訳にもチャレンジしようかと!
5投稿日: 2023.06.19
powered by ブクログ読み終わった。この本は、何をテーマにしていたのだろう。多くのことが思い起こされるが、人生と同じく、一度は考え、悩むことがたくさん盛り込まれている。そこに、裁判という小説としてのエンターテイメントも加えられている感じがした。 伝えたいのは、ドストエフスキーの思想。それをエンタメ作品にのせて吐き出した? あまりにも評価が高いだけに、どう言っていいのかわからないが、素直に言うなら、もう一度読みたい。訳もわからず読み進めた部分、得に登場人物の深層心理を理解を深めつつ、状況の進み具合を把握しつつ読んだら、もう少し物語に没入して楽しく読めそうだ。
2投稿日: 2023.06.09
powered by ブクログ【作品全体(1〜5巻)を通しての感想】 「世の中には二種類の人間がいる。カラマーゾフの兄弟を読破したことのある人と、読破したことない人だ。」と、村上春樹氏が『ペット・サウンズ』という小説のあとがきで語ったことは、あまりにも有名だ。 正直読了するまでは、「いやいや、村上さん、それはあまりにも誇張しすぎでしょう!」と思いつつ読み始めた。エピローグを読了後にあまりの感動から、その後5巻目の続きの解説を読もうと思うまで、半日ほど掛かってしまった。小説を読了後に、半日も日々の生活が手につかなく、フワフワとした気持ちになったのは、生涯初めての体験だった。村上氏の発言で、注目すべき点として“読破“したかどうか、ズバリここがポイントだと思う。そう、一番感動するのは、最後の5冊目の60ページ程のエピローグだ。ここでアリョーシャが子供たちに語った言葉があまりに素晴らしく、感動の渦にのみこまれた。 坂口安吾氏が小林秀雄氏との対談集で、「僕がドストエフスキイに一番感心したのはカラマーゾフの兄弟ね、最高のものだと思った。 アリョーシャなんていう人間を創作するところ……。アリョーシャは人間の最高だよ。涙を流したよ。ほんとうの涙というものはあそこにしかないよ。」という発言もおそらく、最後のエピローグの部分を指しているんだろう。 もし途中でカラマーゾフの兄弟を読むのをやめてしまった方がいれば、ぜひもう一度チャレンジして頂きたい。 エピローグがあまりにも素晴らしいので。 作品のあらすじとしては、実は結構シンプルで、以下となる。 父親のフョードル・カラマーゾフは好色家で、淫蕩の限りを尽くし、自堕落な生活を送りながらも、地元の貴族の娘と結婚したことをきっかけとして財産を築き、小貴族となる。小貴族となったフョードルは、最初の妻との間に長男ドミトリーを、2番目の妻との間に次男イワン、三男アレクセイ(アリョーシャ)をもうける。最初の妻はフョードルと喧嘩別れ後に別の男と逃げ出すが、ある日突然亡くなる。2番目の妻もフョードルの女性遊びや毎日の乱痴気騒ぎにより気がおかしくなってしまい、亡くなってしまう。そして、残された兄弟は父親からその存在をすっかり忘れられ、見捨てられ、育児放棄される。3兄弟が大人になって、父親の元に帰ってくるところから物語はスタートする。そしてある事件をきっかけに父親のフョードルが何者かに殺される…。 そう、これだけ読めば、単純なミステリー小説だ。だが物語の奥に、神の存在の是非、人間の矛盾や両面性、良心また残虐性、科学の功罪や家族の愛憎劇、希望と絶望などなど、数え切れないほどの、著者の祈りにも似た思いがつまっている。約2,000ページにわたる物語の中に、ドストエフスキーが生前最後に生み出した集大成としての世界観が、この上なく濃縮されており、圧倒的な重厚感を持って迫ってくる。 今回カラマーゾフの兄弟を読んで、ドストエフスキー作品の凄さは、圧倒的な生への執着を、誰よりも生々しく描けるところだと思った。それはドストエフスキー自身が、実際に体験した人生経験からきていると思う。具体的には、死刑直前までいった臨死体験が、他の作家では決して描けない、生々しすぎる生への渇望や、死が目の前に迫った臨場感を、ありありとリアルに描けるのだろうと。 実際に銃殺刑直前まで体験し、恩赦という幸運から、奇跡的に生き延びた経験を持つ作家など、世界広しといえどもドストエフスキーを除いて、まずいないだろう。 そういった特異な体験が、ロシア正教への偏執的な啓蒙にも繋がり、作品に対して圧倒的な重厚感を演出できるのだろうと感じた。 【本書から得た気づき1.】 今回生涯で初めて、目的の小説を読む前に予習をした。理由は、20代前半で読んだ村上春樹氏の長編小説に対して、もうかれこれ20年以上も苦手意識が消えないでいる。一度読書で苦手意識を持ってしまうと、本当にずっと長年引きずってしまう。今回ドストエフスキーに対して、同じ轍はどうしても踏みたくなかった。予習の効果は想定以上だった。なぜなら「罪と罰」の読了時には、苦手意識があったのに、今は過去読んだ中で、最も影響を受けた著者に変わったのだから。 ほんの1日予習をするだけで、苦手な作家から好きな作家に変わるのであれば、これほど費用対効果の高い手法はないなと実感した。 【本書から得た気づき2.】 個人的に勝手に想像しただけだが、ミーチャ(ドミートリー)に対して、ドストエフスキーが自分自身を投影していたんじゃないかなぁと。そう思ったのは、ギャンブルをどうしてもやめられないドストエフスキー(詳しくはカラマーゾフの兄弟2の感想欄にて)と、纏まったお金が手に入ると、すぐ使えるだけ使ってしまうミーチャ。長期的視野に立てば、そんなことをすれば、自分で自分の首を絞めているだけなのは、本人含めてすぐに分かることなのに…。 だけどやめられない、ミーチャ。 ミーチャ、本当にバカだなぁと思いつつ、ふと普段の自分を振り返ってみた。 腹八分目で毎回食事を制限していると、最も健康体を維持しやすいのに、たまにお腹一杯食べてしまったり、残業してでも今日中にその仕事を終わらせてしまった方が、休日を気兼ねなく快適に過ごせるのに、ついつい仕事を後回しにしてしまったり…。 そんなこと日常茶飯事だなぁと。 そう、所詮完璧な人間などいないんだということを今回改めて再認識できたし、そういう欠陥があり、完璧じゃないからこそ、だからこそ人間なんじゃないかと。 そのことを上っ面じゃなく、完全に腹落ちし納得出来たので、今後の実生活でもぜひ活かしていきたい。今後他人がとんでもないミスをしても、そのミスをあるがまま受け入れ、相手を許せる度量を今回の体験で作れたと思うので、あとは実生活で実行するのみだ。 過去の知識と今回の読書体験で得た知識を融合することで得た、新たな知恵(詳しく知りたい方は過去読了した書籍、「行き先はいつも名著が教えてくれる」の感想欄をご覧ください)を、自分の血肉と出来たのが、今回最大の収穫だ。 【雑感】 さすが、世界文学の最高傑作の喧伝は、伊達ではなく、素晴らしい作品だった。だが内容を咀嚼するのに結構疲れた。なので、次はライトなエッセイでも読んで、気持ちを切り替えよう。次は、村上春樹氏の「村上さんのところ」を読みます。今回カラマーゾフの兄弟の本編を読む前に、100分de名著のカラマーゾフの兄弟編を読み、事前予習をしたことがかなり良かったと思う。いまだに苦手意識を拭えない村上春樹氏をそろそろ克服したいので、今回のエッセイ?を読んで、村上春樹氏をもっと知ることが目的です。
125投稿日: 2023.05.02
powered by ブクログ何が起きたのかは何とか理解できたが、そこから宗教や心理学、哲学に繋げることは非常に難しかった。もう一度読んだらもう少し深く理解できるのかもしれないが、そんな元気はもうない…(゚∀゚)
1投稿日: 2023.04.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
日本列島が最強寒波におおわれている頃、この凍てついたロシアの地で繰り広げられる物語もまた、クライマックスへーー。 昨秋から4か月におよんだ読書の旅も、ついに完結。 いやあ、それにしても長かった。 まずはおつかれ、私!! 3巻から徐々にスピードアップしていた展開は、4巻でさらに凄みをまして、5巻のエピローグまで一気読みでした。 ミーチャ、有罪になってしまったのか、うわあ……。 そしてイワンはこれからどうやって生きていくんだろうか。 それにしても話が長くて読むのが辛くて、途中で何度も投げ出しそうになったけれど、なんとか最後までたどりついたいま、この作品と出会えて本当に良かったと思っています。 なんとなく、最近は自分の経験のなかで、小説ってこういうものだ、というイメージをもっていたのですが、それを根底からくつがえすような構成と世界観。 はじまりがあって、事件がおこって、結末をむかえて、という流れに加えて、登場人物が話すごとに、頭の中に万華鏡のような球体が形づくられて、切り取り方や光の当て方でいくらでもキラキラと見え方が変わる。 人の心の、とらえどころのなさや危うさが、あますところなく表現されている。 運命のあやで無実の罪人になってしまったミーチャに、アリョーシャがかける、 「兄さんは苦しみを受けることで、もうひとり別の人間を自分のなかに甦らせようとしたんです。ぼくに言わせれば、一生どこへ逃げようとも、そのもうひとり別の人間のことをつねに忘れずにいるだけでいいんです……それだけで兄さんは十分なんですから。」 という言葉が好き。 苦難に巻き込まれた人の、怒りや絶望を絶ち切って、人生の主導権を自分自身に取り戻す意味が込められていると思う。 5巻は、約半分が訳者の亀山郁夫による解題でしめられているけれど、本編を読み終わってから読むと、これがまためちゃくちゃ面白い。 今回は途中で挫折することをさけるために、とにかく先へ進むことを優先して読んだけど、再読の際はもっとディテールに着目して読めたらいいなあ。 細部の描写で個人的に印象に残ったのは、最後の裁判でカテリーナやラキーチンの、風俗を生業にするグルーシェニカに対する差別心がむき出しになる場面。 ドストエフスキーの冷静な観察力に驚いてしまった。 それにしても、この重量の作品を読み通すには、2020年代に生きる身としては、学生時代に読むか、社会人の場合は生活上の何かの優先順位を下げて時間をつくらないと、かなりむずかしいと感じる。 私は学生時代(はるか昔)にカラマーゾフを読まなかったので、たまたまとはいえ、人生の中でこの作品に向き合う時間を与えられたのは幸運だったと思う。 めぐり合わせに感謝しよう。 そして同じく最後までたどり着かれた皆さまも、おつかれさまでした!! さようなら、カラマーゾフの兄弟たち、また会える日まで。
17投稿日: 2023.02.04
powered by ブクログエピローグそのものは短いが、その後に訳者による年譜と外題があるため、1冊分になっている。それが理解のためにとても役に立つ。
0投稿日: 2023.01.22
powered by ブクログ暫く間が空いたが、今日5巻を読み終えた。感想は?と聞かれると少し躊躇する。あまりにも表現が、気持ちが、そして神とのつながりや断絶が強すぎ、理解できない部分が多い。作者の神経の繊細さと激しさ、愛への狂おしいほどの猛進。兎に角もう一度読まないと理解は半分かもしれない。ロシアの人名や地名の難しさ。特に人名は下を噛みそうだし、相性と正式な呼び名の違いに混乱する。また、いつか読み直してみようとは思う本だ。
3投稿日: 2022.11.01
powered by ブクログ最終巻はエピローグが数十ページ。残りの大部分は解説となり、ドストエフスキーの生涯、解題、訳者あとがき。 エピローグのみ別巻とする配分は初めてらしい。気になる登場人物たちのその後は、アリョーシャと少年たちの未来を予感させて終わる。続編が予定されていた本作だが、刊行直後に作者が亡くなってしまい執筆されずに終わった。13年後のアリョーシャを見てみたかった……。 エピローグ部分は短いのですぐ読み終わる。その後の解説などは必ずしも読む必要はないのかもしれないが、読み飛ばす人は意外に少ないのではないか。圧倒的なエネルギーを持つ本作を読み解くには、何がしかの思考補助が有用で、訳者・亀山郁夫先生の「解題」は非常に大きな助けになった。 とても長い小説でありながら、多くの人に読まれ続ける『カラマーゾフの兄弟』。圧巻のラストを目の当たりにして、やはり人類の至宝といえる文学のひとつなのだと強い確信を抱いた。
2投稿日: 2022.09.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
完結巻。長い長い物語の終わり。訳者の解説で続編の存在に触れられている通り、シナリオとしては未完、アリョーシャの物語はまだ始まったばかりだ。それなのに読後は爽やかな気分になる。快晴の冬の朝のようだ。 劇的なシーンは前巻の裁判で最後であり、主要キャラクターの顛末を考えても決してハッピーエンドとは言えない。それでは物語の終わりと第二の小説への序章として必要だったのだと思う。
2投稿日: 2022.08.03
powered by ブクログついに読み終わりました。 読み終えた自分を褒めたいです。 後半はとても面白く読めましたが、 それでも難解で、解説を読んで補っています。 登場人物が一筋縄ではいかない感情起伏の激しい人々ばかりの中、アリューシャは、ホッとする存在でした。最後の言葉が意味するものは何なのか? しばらく考えています。
3投稿日: 2022.06.18
powered by ブクログ4冊+エピローグと長い小説であったが、内容が濃く、飽きることなく読み通すことができた。 未完の物語というのが惜しい。
0投稿日: 2022.04.29
powered by ブクログ新潮文庫(原卓也・訳)に続いて読み易いという評判の高い光文社古典新薬文庫(亀山郁夫・訳)を読了。 2回目でもあり、確かに読み易くはあったが解釈度合いの実感は、前回の50%に対し65%程度かな。父親殺しの主題については十分理解でき楽しめたが、そもそもヨーロッパ社会に対するロシアの抱く深い問題やキリスト世界の葛藤など理解不能の部分が多くハードルは高かった。 最後まで読み切れ、折しも北京五輪とウクライナ侵攻に揺れるロシアを少しでも感じられたことに満足。
2投稿日: 2022.02.22
powered by ブクログエピローグ。 ドミトリーとカテリーナの和解。 (引用)こうして二人は、ほとんど意味もなく、狂おしい、ことによると真実とかけはなれた言葉をたどたどしく交し合っていたが、この瞬間にはすべてが真実であり、ともにひたむきに自分の言葉を信じていたのだった。 この二人はその場の情熱で自分にも嘘を吐くし、似たもの同士なんだろうね。裁判でのカーチャの虚偽発言が有罪に導いたのは間違いないし、ミーチャは甘んじてそれを受け入れようとしているということか。 そして、イリューシャの葬儀で幕。書かれなかった第2の小説に繋がる箇所。 その後は亀山先生の解説。ドストエフスキーの生涯と評論「解題」。 ドストエフスキーはギャンブルが止まらなかったり、かなり破滅型の人だったんだな。恋愛についても(闘争の中で、奪われるという予感の中かでしか人を愛することのできないマゾヒスト)とあり、大作家はかなり問題のある性格と知った。 亀山先生の解題には、自分の読みの浅さを思い知らされた。全部書いていると限がないので、心に留めておくところを幾つか記す。 ・記述のポリフォニー性。登場人物を光と影から交錯させ、作者の一方的なまなざしを許さないとある。 ・破天荒なミーチャの行動に目が行ってしまうが、事件の罪人イワンの隠れた悪魔性が主題だったと思う。実行犯スメルジャコフが彼の深層心理を体現したばかりでなく、少女リーザの変身はイワンの関係性に起こっている。これは完全に読み落としていた。スメルジャコフとリーザと彼の幻影である悪魔もイワンの分身ということなんだろう。 ・大審問官の説話は教会批判でキリスト批判ではないと思ったが、キリストと思しき「彼」は言葉を発していない。悪魔と手を組んだと自白する大審問官に接吻するだけ。この接吻とこの話の後にアリョーシャがイワンに与えた接吻の意味を亀山先生は注目する。アリョーシャの意味とイワンの受け取った意味が同一でないとの示唆。 ・イワンは、神がなければすべてが許されている、という。スメルジャコフはそれに従う。では、神がいたならば。これがイワンの精神病を引き起こす。エピローグではイワンの命が尽きようとしていることが告げられるが、第2の小説での登場は想定されていなかったのだろうか。 ・この長編の自伝性についてドストエフスキー自身の内なる父殺しについては、NHKの100分de名著でも亀山先生レクチャーしていた。それから考えても、やはりイワンを一番の主役なんだろうな。ミーチャは父の死について、特段の感情持たなかったようだし、アリョーシャには長老ゾシマの死の方が重要だったろうし。 面白かったけど、かなりの難物。いつかは再読しようと思う。
3投稿日: 2022.01.23
powered by ブクログなんて膨大な知識と緻密な構想で作られた小説なのだろう 19刷を読んだのですが、誤植の多さが気になりました。
0投稿日: 2022.01.20
powered by ブクログ3兄弟と父殺しのいきさつ、下男のスメルジャコフ、2人の女性グルーシェニカ、カテリーナとゾシマ長老が登場するこの話は登場人物のキャラクターが興味深い。キリスト教的な死への恐怖、ロシア人の女好きな男ども、ドミートリーの大審問官等描いている人間の本性はとても奥深い。名著と言われるゆえんだろうか?
1投稿日: 2021.08.15
powered by ブクログエピローグと解説だけで一冊。 他の小説なら考えられないけれど、4冊分高嶺を乗り越えた心持ちでは当たり前に感じてしまう不思議。 一言では語り尽くせない作品です。 作者が伝えたかったことは何なのか? メインテーマは何なのか? 少なくとも犯人を当てるだけのミステリーでも、理想的な宗教物語を現代風に語りたい訳でもないことは分かります。 そこから先を、藪に踏み込むように進む重労働が、この本の特長といえるでしょう。 おっ、イリューシャのこのワンシーンは、ゾシマ長老のあのシーンとかぶってるぞ。そうつかの間喜ぶも、2000ページある中のほんの数行です。まだそれを翻す発言があるかもしれない。1万ピース超えのジクソーパズルに手を出した気分になりました。 大層辛そうだな、と思われるかもしれませんが、それは人それぞれです。 表面的でない、肉厚な人物像を前にして読み解こうするか、よくわからんと投げ出すか。スルメを一口で飲み込もうとするなら止めておくのが無難です。 読後感がパチパチと長続きしているので、この後YouTubeの解説にも手を出してみようと思います。
3投稿日: 2021.07.11
powered by ブクログ約2ヶ月かかって全巻読破。ロシアン家族のドタバタ劇。 学生時代に挫折した「大審問官」は、今なお難解で再び挫折しかけたが、その後は面白く読めた。
0投稿日: 2021.05.31
powered by ブクログ第5巻には、物語としてのエピローグ(約50ページ)の他に、訳者による物語の解説とドストエフスキーの生涯についての研究成果が載っている。解説は、参考にならないわけではないが、意見の合わない部分もあるし物語を楽しむに当たっては邪魔でもある。残念ながら、全体としてあまり役立つ情報とはならなかった。 「この小説に魅せられた哲学者のヴィトゲンシュタインは、何十回となくこの本を手にし、全文を諳(そら)んじるほど細部を読み込んだ」p172 「ドストエフスキーは、1年ないし2年の休息を経て、続編にあたる「第二の小説」に入る心づもりでいたが、突然の死により、実現を見ることなく終わった」p177 「カラマーゾフ家の兄弟は、しばしば真(イワン)、善(アレクセイ)、美(ドミートリー)の体現者であるといった言い方がなされる」p224 「わが国には『カラマーゾフの兄弟』の翻訳が8種類あり、原文よりも翻訳の方が優れていると感じられる場合が少なくなく、ドストエフスキーのゆるぎない位置は、翻訳者の献身的で不可欠な努力に負うところが大きい」p276 「『カラマーゾフの兄弟』は、あくまで未完の物語である」p351
0投稿日: 2021.04.15
powered by ブクログ何度も挫折し、何年か越しに完読 これ程までに壮大な物語だったのか… 今までに味わったことのない充実感と処理しきれないざわざわとした気持ち ドストエフスキーの頭の中に描かれていたその後の物語とはどのようなものだったのだろうか この本を超える本には、今後出会えないかもしれない 圧巻の一冊 最後に カラマーゾフの兄弟を完読できたのは亀山郁夫先生の翻訳お陰です
1投稿日: 2021.03.29
powered by ブクログやっとら読み終えた。 後日談でエピローグ主人公たちのその後。 いままであった剥き出しのはげしさはない。 何回よんでも新しい発見があるそうだけど、またいつかよめるかな?
0投稿日: 2020.10.21
powered by ブクログ約1年をかけて、ついに僕が自分に課した一大読書プロジェクトであるドストエフスキー・チャレンジが終了した。 ドストエフスキー・チャレンジとは、ドストエフスキーの5大長編『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』を読破するというものである。 このドストエフスキー・チャレンジの最中にドストエフスキーの名作の2作品『賭博者』『死の家の記録』、そして、レフ・トルストイの傑作『アンナ・カレーニナ』も合わせて読了した。これでロシア文学の古典については、それなりに 『読んだことがある』 ということくらいは言えるのだろう。 このドストエフスキー・チャレンジを始めたのは、トルストイの『戦争と平和』を2019年7月に読了したことがきっかけだ。 この『戦争と平和』が思いのほか面白かったし、歳を重ねたからだろうか、結構、登場人物たちの心情がよく理解できたのだ。 この歳になって、やっとロシア文学の古典名作の深い人生観に基づいた文章の面白さに気づかされ、改めてロシア古典文学を再度読んでみようと思い立った。 高校生の頃に読破した『罪と罰』を2019年8月に再読し、はっきり言って「感動」してしまった。 もう、こうなると止まらない。 『白痴』も、5大長編の中の唯一の恋愛小説として非常に楽しめた。ただ、『悪霊』『未成年』は結構難解で、これらは再読しなければならないと思う。 そして本書『カラマーゾフの兄弟』は、ドストエフスキーの最高傑作と言われるゆえんだろうが、まさに3巻からの面白さは度肝を抜かれた。 そして5巻のたった60ページのエピローグを読み終えてからの訳者・亀山郁夫先生による怒涛の「ドストエフスキーの生涯」と「解題」は、それだけでドストエフスキー好きの読者にはたまらない読み物となっている。 本書を読み終わって、本書が初めて未完の小説であるということを知った。 未完の小説だからこそ、この先を予測する楽しみというものもある。 やはり150年以上も世界中で読み続けられている本というものには、人類の英知が詰まっているのだろう。僕にとってのドストエフスキー・チャレンジは終了した。 しかし、これはまだあくまでも『第一回目』が終了したに過ぎない。チャレンジには『第二』『第三』もある。 そして、まだ、この世界には読むべき本が山のように待ち構えている。 僕にとって、まだチャレンジは始まったばかりなのだ。
24投稿日: 2020.07.18
powered by ブクログ▼ぼくたちは、死ぬまで忘れないようにしましょう。たとえ、ものすごく大事な仕事にうちこんでいるときでも、立派に身を立てることができたときでも、あるいは大きな不幸にあえいでいるときも、いつどんなときも、かつてこの場所でたがいに心を通わせ、率直な感情に結びあわされてすばらしい時をすごしたことを、けっして忘れないようにしましょう。 何かよい思い出、特に子ども時代、若い時代、家族や友人と一緒に暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で力強くて、健全で、有益なものはないのです。もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。もしかするとこのひとつの思い出が、人間を大きな悪から守ってくれて、思い直してこう言うかも知れません。「ええ、私もあのときは善良だったんです」と、ね。 人間はしばしば、善良で立派なものをあざ笑います。けれどもみなさん、ぼくはきみたちに保証します。思わずにやりとしたとしても、心はすぐにこう語りかけてくるでしょう。「いいや、笑ったりして悪いことをした、だって、笑ってはいけないことなんだもの!」ってね。そう、かわいい子どもたち、かわいい友人たち、どうか人生を恐れないで!【本文より】 ▼「カラマーゾフの兄弟 5」ドストエフスキー。初出1880年。亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫。2020年1月読了。この第五巻は文庫本で365頁あるんですが、実は「カラマーゾフの兄弟」の本編は、70頁もありません。「4部構成+エピローグ」という作りの小説なんですが、この5巻はその「エピローグ」だけなんです。残りは、訳者による解説とドストエフスキーの評伝です。 ▼長男ミーチャ、次男イワン、三男アリョーシャ、そして(恐らく)私生児のスメルジャコフ。この四兄弟と、父フョードルの物語。第3巻でフョードルが殺されます。犯人は状況証拠としてはどうみても長男ミーチャ。だが決定的な証拠は無いし、やや細部に疑問も残ります。裁判が行われる前日、スメルジャコフが「自分が殺した」とイワンに告白。そして自殺。 ▼第4部では、スメルジャコフの告白が法廷に晒されますが、これとても証拠はない。次男イワンは神経を病んで病人になります。そして誤審。ミーチャに有罪判決。シベリアにウン十年、という刑。そこで4部が終わっています。 ▼エピローグは、第4部の冒頭に出てきた少年イリューシャの葬儀の日です。イリューシャというのは、まあ色々あって、三男アリョーシャが友人になった、可哀想な少年です。病を得て、助からなかった。 ▼ミーチャはもうすぐシベリアに送られます。なんですが、イワンが立案した「途中でミーチャを脱走させてアメリカに逃がす計画」というのが進行中です。イワンはまだ病気。でも死に至ることはなさそうな感じ。 ▼ミーチャとイワンについては、もうそれ以上、この小説は触れません。ひたすら、少年イリューシャの葬儀の場での、三男アリョーシャと、参列にきた少年たちを描いて終わります。個人的には素晴らしい終わり方だと感服、感動(一応再読なんですが、すっかり忘れていました)。涙のスタンディングオーベーションでした。 ▼終わり方のメッセージ、後味としては。誤謬を恐れずにすっごく簡単に言うと、「いろいろ理不尽や辛いことや恐ろしいおぞましいことが、人間関係にも愛情関係にも家族や社会との関係にも、神様や運命との関係にもあんねんけど、それでも人生恐れたらあかんでー」と、言うことだと、思います。ほとんど寅さん映画後期の渥美清と吉岡秀隆の会話と変わらないレベルなんですが、無論のこと素晴らしいのは主題そのものだけではなくて、その小説としての解釈、落とし込み方、語り口、旋律であり演奏であるわけです(寅さん映画は大好きです)。 ▼村上春樹さんが「グレート・ギャツビー」について、「どうしてここまで鋭く、公正に、そして心温かく世界の実相を読み取ることができたんだろう?どうしてそんなことが可能だったんだろう、考えれば考えるほど、それが不思議でならない」と書いていますが、何も足し引きせずに「カラマーゾフの兄弟」についても同意見です。 (その村上春樹さんは別の本で、人生に大きな意味を持った本として、その「グレート・ギャツビー」と「カラマーゾフの兄弟」を挙げています) ▼一冊の本としては第5巻は全体の80%以上、訳者の亀山さんによる,ドストエフスキーの評伝と、「カラマーゾフの解説」でした。評伝の方は、かなりオモシロク読めました。 ▼よく知られていますが、ドスエフスキーさんは若くしてデビューして蝶よ花よと文壇のアイドルになり、その後スランプになり、社会主義者の集まりに加わり、官憲に逮捕されて死刑宣告を受け、死刑執行の場で特使が駆けつけてシベリア流刑に減刑(そういうパフォーマンスがけっこうあったそうです)、シベリアで極悪人たちと一緒に地獄の強制労働の年月を経て、数年後ようやく娑婆に出て、作家に復活。 ▼「罪と罰」をきっかけに以前を上回る大ベストセラー作家になり、かつ偉大なる文化人になりますが、並行して酒に溺れ、女に溺れ、そして何よりギャンブルの沼に落ち込み、借金と下半身スキャンダルにまみれ原稿料の前借りを繰り返しながら名作を書き続けます。2020年現在の日本だったら、芸能ジャーナリズムに骨までしゃぶられていたでしょう。作品はすばらしいけれど、もしドストエフスキーさんが身近に友人として居たらかなり鬱陶しい思いをした気がします。作品が好きだったときに、作り手とは会わない方が幸せだ、ということです。しみじみ。 ▼そして終生、ロシアの官憲の監視を受け、手紙は検閲を受けていました。なので、小説は全て「官憲に捕まってまた流刑や死刑にならないように」という周到な計算と打算も含めて書かれています。すごいですね。ちなみにドストエフスキーさんの生きている間は、ずっとロマノフ王朝です。 ▼解説の方は、まあ実はこれまでも各巻の終わりにかなり熱心な解説があったので、若干食傷気味でした。あと訳者の亀山さんが、「いやー、俺すごいことしちゃったもんね。ほんとにこの小説最高でしょ?凄いでしょ?こういうのも秘められてるんだぜ!」的な、かなりなセンチメントと感動を、ちょっとだけ意地悪な言い方になって申し訳ないのですが若干押しつけがましく語ってくるので、ちょっと疲れました。(翻訳としては、色々議論があるそうですが、僕は読みやすくて面白かったです。どのみち原語で読めない以上は、なんであれ訳者の誤訳、意訳、超訳、解釈が入らざるを得ませんから。みんな人間なんで。) ▼30ウン年ぶりの再読ですが、前に読んだときも大感動したことだけは覚えているんです。ただ、47歳で再読して、「いやー、ホントよかったー。絶対10代の頃はこの美味な感動は半分も分かってなかっただろうなあ」というのが率直な感想。また、10年後くらいに再読したらまたそう思える気がして、それはそれで楽しみです。(そのときにこの文章を読み返すのも楽しみ) ▼ドストエフスキーさんは、「カラマーゾフの兄弟」を、初めから「前後編の長い物語の、前編」という設計で書いたんです。死んでしまったから後半は書けなかった。訳者の亀山さんが再三指摘していますが、「カラマーゾフの兄弟」の中でやや流れから浮いて見える、「三男アリョーシャと少年たちの交流」が、恐らく後編のメインになっていく予定だったのでしょう。どうやら、後編でアリョーシャはロシア皇帝の暗殺に加わる流れだったそうです。そして、少年コーリャもそのそばにいることになっていたのでしょうか。シベリア送りになったミーチャは、無事に脱走したのでしょうか?イワンは再び元気になり、悪魔的な無神論を語ったのでしょうか? うーん。 読みたかった・・・。
7投稿日: 2020.02.21
powered by ブクログ遂に!完読! こうしてみると、いかに考え抜かれた構成か、練り上げられたキャラクターか、重なる層か、に感嘆するほかない。 そして、書かれなかったもう1つの物語の存在感。読みたかったもう1つの物語。それがあるから、これが更に際立つ。 亀山郁夫の渾身の解題が圧巻!
1投稿日: 2019.12.22
powered by ブクログ5月22日に1巻を読み始めて以来、6ヵ月半をかけて、ようやく5巻全巻を読み終えた。今まで挫折がちだった古典を読破したい、というレベルの低い目的から始めたが、何とか2019年内に読み終えたことは、自分を褒めたいと思う。 何故、今回はこれだけの大作を読み終えられたか、自分でもよく分からない。というのも、国や時代背景、宗教等の違いにより、情景を理解することも困難だったからだ。 にもかかわらず読めたというのは、やはり作品に力があったからなのか?いずれにせよ1度で理解できる代物では全くない。 話は、キリスト教、ロシア正教会、男女かかわらずロシア人の議論好き等を理解することから始めないと無理だった。 これをきっかけに宗教を知らなければ世界は理解出来ないことを痛感したため、宗教につき勉強を始めたことは自分にとってプラスだ。 また、ちょうど12月にNHKで100分で名著が、訳者の亀山さんの解説で始まったことに、タイミングの良さを感じている。 これを1ヵ月見て、また理解を深めたい。 また、読むことがあるのか、今はまだ分からない。 それだけ疲れ果てる作品だった。
0投稿日: 2019.12.09
powered by ブクログ今までの人生で沢山の本に出会ってきたが、カラマーゾフの兄弟ほど強烈な印象を私に与えた本はない。登場人物の誰もが凄まじい個性をもっていることが、その所以だろう。そして、彼らの多くは、宗教、父殺し等の重い内容をまくし立てるかのこどく、ハイテンションで話す。時には数十ページにも彼らの会話は及ぶため、終始、彼らの熱量に圧倒されっぱなしである。エピローグの後に訳者の仔細な解説が載っているので、キリスト教や当時のロシア情勢に疎い私のような人でも、より深く小説を理解できるようになっている。また数年後に読み返したい。
0投稿日: 2019.05.15
powered by ブクログ本編からはちょっと空いてしまったけど、これでとうとう、本大長編を読了。正直、本編の後半とかと比べると、本補足版はあまり楽しめなかったけど、後半の訳者による解題は熱量が圧巻。自身のあとがきでも書かれているように、それだけで新書何冊分、みたいなインパクト。細かいところは結構忘れてたけど、裏に秘められていそうな情報とか、結構読み応えもあった。書かれなかった第2部ありき、っていう読み方が望ましい物語なのね。あと、前半でかなり辛い章があったけど、やっぱりそこで挫折する人が多いってことも書かれていて、変な話、ちょっと安心しました(笑)。読みやすく訳した、って書かれていたけど、それでも十分キツかったです(苦笑)。
3投稿日: 2019.03.11
powered by ブクログ⑪エピローグ 公判が終わって5日目。アリョーシャはカテリーナの家にいた。隣の部屋にはイワンが意識不明のまま横になっている。カテリーナは法廷での自分の「裏切り」を後悔していた。良心の呵責にさいなまれていた。そして、アリョーシャの前で泣き叫んだ。カテリーナは事前にイワンから「脱走」の計画を聞かされていた。そしてイワンが動けなくなった今、自分がそれを実行に移さなければなるまいと考えていた。それが罪滅ぼしになると思ったのだろう。そこで、「脱走」について、アリョーシャにミーチャ(ドミートリー)を説得して欲しいと言う。アリョーシャ自身もその「脱走」計画を否定してはいない。おそらく、この計画、うまく行くのだろう。その後の展開については、結局最後まで何もふれられていない。さて、この日、長い間病床にあったイリューシャ(アリョーシャに石を投げ、指をかんだ、あの少年)の葬儀がとり行われる。少年はミーチャの判決が言い渡された二日後にこの世を去っていた。イリューシャはスメルジャコフにそそのかされて、犬に針を飲ませたことをずっと後悔していた。その思いを何とかしてやろうと、コーリャ(電車が通り過ぎるまでレールの間で横になっていた恐るべき14歳の社会主義者?)は犬を見つけ出し、しつけをしっかりした上でイリューシャの前に連れてきた。それでも、少年の病は良くならなかったのだ。コーリャは葬儀にやってきたアリョーシャの姿を見て非常に喜ぶ。そしてたずねる。「父親殺し」の犯人は本当にアリョーシャの兄なのか。アリョーシャはもちろん無実であると伝える。コーリャは言う「お兄さんは真実のために、無実の犠牲者として死ぬ。それでもお兄さんは幸せです。自分もいつか、真実のために命をささげることができたらと願っている。」葬儀が始まった。イリューシャの棺が教会へ運ばれ土に埋められた。その上にはパンくずがまかれる。雀たちがやってきてそれをついばむ。イリューシャが生前、父親に頼んでいたのだそうだ。雀たちの鳴き声がすれば、自分一人ではないと思えるからと。家にもどるとクレープが振舞われる。いろいろなしきたりがあるのだ。アリョーシャとコーリャ、それからイリューシャの友だちの少年たちは、家の近くの大きな石の前で立ち止まった。イリューシャが死んだら自分をその下に埋めてほしいと言っていた大きな石だ。アリョーシャは少年たちにここで話しておきたいことがあると言って、ぐるりと皆の顔を見渡した。「僕らは間もなく別れ別れになります。でも忘れないでいましょう。イリューシャのことを、そしてお互いのことを。イリューシャは立派な少年でした。正直で勇敢な少年でした。父親の名誉と、父親に対するひどい仕打ちを感じて憤然と立ち上がったのです。だから、僕らは死ぬまで彼のことを忘れないようにしましょう。何か良い思い出、特に子ども時代の思い出ほど、その後の人生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはないのです。自分たちが生きていく中で、そうした思い出をたくさん集めれば、人は一生救われるのです。もしも自分たちの心に、たとえ一つでも良い思い出が残っていれば、いつかはそれが僕らを救ってくれるのです。もしかしたら僕らはこれから悪い人間になるかもしれません。悪い行いを前にして踏みとどまることができなくなるときが来るかもしれません。他人の涙を笑ったりするかもしれません。でも、ここでこうしてイリューシャを葬ったこと、最後の日々にあの子を愛したこと、今こうして石のそばで仲良く話し合ったこと、今この瞬間、僕らがこれほど善良な人間であったことを、心の中であざけることなんてできないでしょう。それどころか、もしかするとこの一つの思い出が、僕たちを大きな悪から守ってくれて、思い直してこう言うかもしれません。『ええ、僕もあのときは善良だったんです。大胆で正直な人間でした』と。」「必ずそうなります。カラマーゾフさん、僕たち、あなたのおっしゃることよくわかります。」コーリャは目を輝かせてそう叫んだ。「僕がこんなことを言うのは、僕らが悪い人間になることを恐れるからです。でも、どうして僕らが悪い人間になることがあるでしょう。まず、第一に、善良であること。次に、正直であること。それから、決してお互いを忘れないこと。もう一度これを繰り返しておきますね。皆さん、僕は君たちに約束します。皆さんの誰一人忘れることはありません。30年たっても思い出します。それにしても、この素直なすばらしい気持ちで僕らを結び付けてくれた人は誰でしょう。それは他でもありません、イリューシャです。善良な少年、かわいらしい少年、僕らにとって永久に尊い、あの少年なんです! 永遠に彼のことを忘れないようにしましょう! あの子の消えることのないすばらしい記憶が、これから後、永遠に僕らの心の中に生き続けますように!」「そう、かわいい子どもたち、かわいい友人たち、どうか人生を恐れないで! 何か良いことや、正しいことをしたとき、人生って本当にすばらしいって思えるんです!」「そうです、そうです」少年たちは感動して繰り返す。「カラマーゾフさん、僕たち、あなたが大好きです!」「カラマーゾフ万歳!」コーリャが喚起の声を上げる。「永遠に、死ぬまで、こうして手を取り合って生きていきましょう! カラマーゾフ万歳!」 ⑫カラマーゾフとはいったいなんだったのか? 読了しました! 3ヶ月ほどだったでしょうか。何という感動。すばらしい時間でした。私は、だいたい常に並行して3、4冊の本を同時進行で読みます。この「カラマーゾフの兄弟」は、ほとんど通勤途中(1日往復30分ほど)で読みました。そして、最後のエピローグ。アリョーシャの石の前での語り。先月号に、少しずつはしょりながらですが、書き写していて、感極まりました。言っていることの一つ一つ全てに賛同できるのかどうか、それは、一つ一つしっかり吟味しないと分かりません。でも、その勢い、ことばの持つ力強さに圧倒されます。実は、第5巻にはエピローグが60ページほど、その後、ドストエフスキーの生涯、そして、本書の解題があります。その中で、本書は未完であると書かれています。確かに、本書の始めに、伝記作家であるところの著者のことばとして、これは13年前の出来事で一つ目の物語である。二つ目の物語の方がより重要である。といったことが書かれていました。解題を読んだ後で、もう一度エピローグを読み返してみると、第二の作品を意識して書かれている部分がたくさんあるようです。実は、本書の主人公はアリョーシャ(アレクセイ・カラマーゾフ)となっているのだけれど、あらすじを説明しているときには、あまり重要な役割を果たしていないのです。もちろん、エピローグの語りはすごいのだけれど、常に脇役を演じているのです。第二の小説で、33歳になったアリョーシャがどんな活躍をするのか。本当に悪い人間になってしまうのか。そして、イリューシャの思い出が立ち直らせてくれるのか。さらに、一番気になる登場人物、それはコーリャ・クラソートキン。この少年が27歳になって、一体全体、テロリストにでもなっているというのでしょうか。エピローグの中で言っています。「真実のために命をささげたい」と。そして、リーズ(足の不自由な少女。アリョーシャにラブレターを送っていた女の子。)解題を読んで初めて知ったのですが、途中からリーザと呼び名が変わっていたそうです。リーズの方がより親しみを込めた呼び方なのだそうです。それが、なぜリーザに変わったのか。そのきつい性格、そして、アリョーシャからイワンへ移ろう思い。著者はどうしてもリーザと書かざるを得なかった。大人の女性になったリーザは、第二の小説ではどんな役を演じるのでしょう。結局、作家カラマーゾフの早すぎる死によって、二つ目の作品は世の人々の前に姿を表すことはありませんでした。そこは、想像するより他ありません。さて、最後にずっと気になっていること、それは「カラマーゾフ的」とか「カラマーゾフの力」などと書かれていること。何の代名詞としてカラマーゾフという名が与えられているのか。そして、著者自身の名前が本書の父親と同じくフョードルであったこと。それが何を意味していたのか。ドストエフスキーの父親もまた殺されているのだそうです。そして彼は、自分がそう願っていた、「父親殺し」の罪が自分にはある、そんなふうに感じていたらしいのです。癲癇の発作も起こしたことがあるとのこと。金遣いの荒さ、博打、女性への接し方。社会主義者としてシベリアの流刑地へ送られることも。どうやら、「カラマーゾフの兄弟」という作品の中に、自分の自伝的な部分をいろいろな個所にもぐりこませていたようなのです。特にイワン、そしてスメルジャコフ、このあたりに自分を投影していたのかもしれません。「カラマーゾフ」なんともおどろおどろしい名前です。しかし、アリョーシャにはその「カラマーゾフ的」な部分が一向に見えてこないのです。これが、第二の作品の中では姿を現してくるはずだったのでしょうか。ゆっくりじっくりともう一度読み直してみたいのだけれど、他の作品も読んでみたいし、村上春樹の新作長編も出るというし・・・(2009年5月時点)。とりあえず、これで筆をおくことにしましょう。長らくお付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。この連載を始めていくつかの反響がありました。「私も読んでみようと思って図書館に借りに行ったら予約待ちがいっぱいいた。でも、待って借りて読む。」中1の女子です。また、「若いころに自分も読んだ。」と言ってきてくださったお父様もいらっしゃいました。うれしい限りです。ほとんどただ単にあらすじを書いてきただけで、自分の思いとか感想とか何も書いてこなかったのだけれど、少しでも本書のおもしろさが伝わって、読んでみようと思ってくれた方がいれば幸いです。
0投稿日: 2018.10.18
powered by ブクログ本来は第2部が書かれる予定であった、ということで、それを踏まえたのだろう、エピローグが非常に気になる。 あと、本編よりむしろ解説の方が面白かったのだが、解釈に幅があってなんぼ(京極夏彦作中人物の台詞より)の小説で、あれだけの量の解説が必要ということは…… やはり古典というか、教養人が教養人を対象に書いた小説なのだな、というか……
0投稿日: 2018.07.18
powered by ブクログ何度か挫折して、断食中の本読む以外何もしたくない特別状況に漸く読了。 話が佳境に入っていくと3巻あたりなど息もつかせないが、その前が長い。登山でも頂上が高い山は裾野が広いのだが、そんな感じ。なかでもゾシマ長老の談話とか、イワンの大審問官の挿話が長い。でもこういうのが結構この小説の味というか、人間と宗教について作者の語りたいエッセンスなんだろう。ずっと後でこういう部分だけ再読するのもありかと思う。事件の筋はもう知ってるわけだから。 見どころは3兄弟の書き分けなのかなと思うが、意外に主役のアリョーシャは像が薄い感じ。それは作者が続編を計画していてその中心にしようとしたためかもしれない。悩める近代人らしく描かれているイワンが一番理解できたように思う。
0投稿日: 2018.06.02
powered by ブクログこの巻は、物語の『エピローグ』が60ページ程、残り300ページ程は訳者による『ドストエフスキーの生涯』と『解題』『あとがき』です。 ドストエフスキーについてや、登場人物たちの性格、物語のダイヤグラムなど結構細かくいろんなことを説明してくれているので、なるほど!となるとこがたくさんありました。 読んだだけでは私にはなかなか理解できないとこが多かったので…。 このことをふまえていずれ再読したいです。 それと、確かにいろんなことが投げっぱなしというか伏線みたいなの張ったきりみたいな印象があるのでやっぱり第二の小説ありきで考えていたんだろうな、と。 読んでみたかったなぁ…。 (2022/05/10再読。やっぱり面白かったし、第二部を読んでみたかったなぁ…って気持ちになる)
2投稿日: 2018.04.23
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
昔読んだはずなのだが、全く思い出せずに最後まで読了 登場人物は饒舌で、ストーリーのテンポも遅く、現代の小説の基準からするとちょっと退屈かも。 五巻はほとんどが解説になっており、ここからまず読むというのが理解しやすい。
0投稿日: 2017.09.01
powered by ブクログエピローグ自体は静かなもので、第2小説、つまり、アリョーシャがより主人公として動く物語があってこそ完結することを伺わせた。 解題で、ミーチャ、イワン、アリョーシャの特徴、性格があらためて指摘され、多くの気づきがあった。これで☆5つ。
1投稿日: 2016.12.12
powered by ブクログ最後の解説を読んで、物語層しか読めていないことに嫌でも気づかされた。ドストエフスキーの生涯と、解説を読んだ後でもう一度最初から読めば違った視点で読めるだろうし、読めば読むほど新たな発見があるのではないか。そもそも未完の小説だということを知らなかった。文学界のみならず本当に惜しいことなのだろうと思う。
0投稿日: 2016.02.22
powered by ブクログ思想や信念は変わるものです、人間全体も変わるものです。 世界には、生きる喜びが溢れかえっており、人生少しのことでくじけてはいけない。 人間の魂の謎、これほどを解き明かしてくれる本は、他に見つけられない。 能動性崩壊後の19世紀ロシアの混沌と、現代は深い地下水脈でつながっている。
0投稿日: 2016.01.21
powered by ブクログ物語自体はあっけなく終わってしまった。主要人物達にとって不本意な判決が下った後、どのように話が展開するのか期待して読んだが、はぐらかされた感じ、これが現実⁈という事か。 5巻は数ページのエピローグの他はドフトエフスキーの年譜と訳者の解説がほとんど。この解説もなかなか面白い。4巻までを読んで、本当の主役はイワンではないか?と思った私の疑問もまんざら外れていないようだ。訳者によると3人のうちで心の声が描かれているのはイワンだけだと。 ドミートリーは単純だから感情を直ぐに口にしてしまう。アレクセイも意外に表面の声しか発していない。特にアレクセイは他人の言った事をそのままおうむ返しにしているシーンが多い。日本にはそういう人が結構いるのであまり気にならなかったが、言われてみると確かに多い。しかも日本語では言葉遣いが人物によって異なるけど、原書ではまるっきり鸚鵡返しなので不気味だと書いてあった。 アレクセイが近所の子ども達と関わるシーンが随所に見られ、「この部分いらないんじゃない?」と思っていた。主たるストーリーとは直接関係ないので。どうやらドフトエフスキーはアレクセイを主人公とした続きの物語を書く予定だったようだ。そこでコーリャを中心とした少年達の別な物語が展開される...読んでみたかった。
0投稿日: 2015.08.21
powered by ブクログ2015年14冊目。 短いエピローグと、訳者・亀山氏によるドストエフスキーの生涯紹介と物語の解釈で構成されている。 亀山氏の狙いであった「一気に読み切ることのできる翻訳」はシリーズ全体を通して見事果たされていると感じる。 解題パートに記された亀山氏の物語に対する解釈は、難解なところもあったが、この物語は単なる一つの事件を描くミステリーではなく、人間の根源的な部分に迫ったものであり、それを表出させるためにいかにドフトエスキーが細部にまで意図を込めていたのかが強く伺えた。 再度程度では辿り着けそうもないが、この物語の深さをもっと感じるために何度も読み返したい。
0投稿日: 2015.01.18
powered by ブクログ人間はすべからく嘘の中で生きている、その中で最大公約数的に受け入れられる嘘を「愛」「正義」と言うのだろうか。この”未完”の作品は色んな解釈が可能だろうけれども、虚構の中に作家は何を見出していたのだろう? "未完"ということを差し引いても光が差し込まない虚構という現実を受け入れるのはやはりしんどいんではないかな、本当に様々な意味で重苦しい小説であります。 ところで訳者の意図は分かるものの、やはりこの5巻目という構成はあくどい。小説そのものと解読は別物であって、その大半を解読が占める本巻を買わせる仕組みはやっぱり納得いかないなぁ。解読自体面白いことも認めますが、この商業的仕組みに対して本巻のみ★評価を一つ下げるというせめてもの抵抗を示しますかな。
0投稿日: 2014.10.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
すべての作品が終わりました。 だけれども、別のエディションでその違いを 大いに堪能して読みたいほど、 登場人物たちはそれぞれに、味があります。 なぜならば、彼らのキャラクターには ある種の象徴される味付けが なされているからです。 だから、ただ楽しむだけではなく、 そこの奥底に秘められた思想、 心情を読み取れば 時代を感じられるのです。 著者は決して、まじめそのものではなく 病気持ち(癲癇)でしたし、 浪費癖もありました。 どこかで、見たことありませんか…?
0投稿日: 2014.08.27
powered by ブクログエピローグということで、ミーチャの脱走計画と、10年後、20年後の新たな物語を予感させる動きが示される。 5巻を読み終えましたが、やはり、私にはロシア文学は冗長すぎました。慣れの問題なのかもしれませんが、向き不向きというのもありますね。
0投稿日: 2014.06.23
powered by ブクログストーリーはこの本の前半より前で終わっており、すぐに読み終えたのだが、解題が未読。 今までの「読書ガイド」は時代や作者などの背景が中心だったが、本巻の「解題」は非常に抽象度の高い内容である。 自分も一応日文科だが、あとでじっくり読もう、という言い訳とともに「いま読んでる」棚に収納してしまった。
0投稿日: 2014.05.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2014 4/12読了。Amazonで購入。 この巻はエピローグ+訳者による解題。 エピローグは、結局誤審の理由がはっきり書かれるわけではなし・・・お百姓さんが、ミーチャを許せなかった、ってことでFAなんだろうか。そう単純かなあ。 解題がかなり素晴らしい。作中、同時に起こっていたことのまとめが有難いのと、構造解説がわかりやすい。 何より来るべき、第二の小説がどんなものだったろうかの紹介とかが・・・ああ、読みたかったなあ! でも他にもいろいろドストエフスキー作品はあるわけで、どんどこ読んでいこう。
0投稿日: 2014.04.14
powered by ブクログあっけなく終わってしまった。 歴史的背景や、著者について深く理解があれば、もっと面白く読めたのかもしれないが、読み込む力の浅い自分には、あまり感動がなかった。 が、あきらめずに、古典を読んでいこうと思う。
0投稿日: 2014.01.16
powered by ブクログ『カラマーゾフの兄弟』のエピローグと翻訳者による解説。 解説によってようやく、この本の持つ圧倒的な深みが少しは理解できた。 大きなテーマとして「父殺し」があり、宗教、恋愛、お金、ロシア・・・ あらゆるテーマを網羅した作品だという事がわかる。 解説によって僕が初めて理解したのはイワンの存在感。 彼は「悪魔」を体現する存在らしい。 リーズ(リーザ)もまた然り。 確かに言われてみると分からないでもない。 「神がいなければ全てが許される」 というのがイワンの思想だが、その思想が スメルジャコフによって崩された、という解釈にも驚いた。 自分の読み方はまだまだ甘い、と痛感した。
0投稿日: 2013.12.12
powered by ブクログエピローグはエピローグだった。 コーダ。 そう終わりますか…! 解題の謎解きに興奮。ぞくぞくした。 読み続けられるべくして読み続けられている小説ですね。 深さ、周到さ、緻密さ、、圧倒的。完敗です…天晴れ! 第二の小説、読みたかったなぁ。。 初読なので、挫折しないようにこの訳を選んだのは正解だったと思う。 なにより、解説が面白かった。 他の訳でも読んでみたい。 作者の自伝的な要素が強いことが「ドストエフスキーの生涯」を読んでわかった。 作中の様々なキャラクターに“ドストエフスキー”が見える。 総決算。 苦しいほどに、人間が“人間”な物語。
0投稿日: 2013.11.02
powered by ブクログカラマーゾフ家の使用人(コック)。てんかんの持病がある。この人物が4人目の兄弟。なんか、この名前のイントネーションだけは、ちぐはぐな印象を受けるんですよね。この人の名前を聞いていると不安になるというか、落ち着かなくなるんです。 ちなみに、スメルジャコフという名前は「クサいもの、悪臭」という意味だそうです。スルメじゃないですよ、スメルです。「におい」というのは、現代になってますます意識化されているように思います。スメルハラスメントなんて言葉がいい例です。
0投稿日: 2013.10.05
powered by ブクログ終わったー!これで私もカラマーゾフ!(?) エピローグと、ドストエフスキーの生涯、訳者である亀山郁夫氏の解題、後書き、という構成。 解題を読み、再読が必要だと強く感じました。 研究対象になるくらい深いのだ。 もしやこの物語の主人公は、プロローグで謳われたアリョーシャでもなく、派手にわかりやすくドラマティックなミーシャでもなく、一見地味だが苦悩と葛藤に苛まれるイワンなのでは、と思えて来た。 後書きは亀山氏の溢れんばかりのドスト愛。 本当に続きが読みたかった・・・ 最後は大唱和で 「カラマーゾフ万歳!!」
2投稿日: 2013.09.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
終わった。これだけの大作になると読了の感慨もひとしお。1週間『カラマーゾフ』の毎日だった。さて、物語は4人の死が一種のキー・コードになっている。まず、ゾシマの死―それはロシア正教会の長老制の終り(制度としてではなく、精神的な意味で)だったのだろう。続いてフョードルの死―このことによって、兄弟の、また周縁の人々の本質と実態が大きく浮かび上がってくることになる。スメルジャコフの死―被支配階級の中から生まれてきた新しい階層の、あるいはテロリズムの死だろうか。イリューシャの死―それは愛と未来の希望への希求なのだ。
0投稿日: 2013.09.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
4部立ての小説が終わったあとのエピローグとして裁判以後の3章のみが5分冊になった文庫構成でした。最後がコーリャたちの「カラマーゾフ万歳」で終わるということも、未完成になった第2部への導入を示唆しているのですが、「カラマーゾフ」という言葉が、ここへ来て「アリョーシャ」のみを指していることに改めて気づいた次第です。イワンでもドミートリーでもないのは意外です。 そして文庫の大部分を占める訳者による解題が極めて内容の濃い迫力のある解説でした。象徴層、物語層、告白層に分類する考えは説得力がありますし、リーザ、コーリャの第2の小説で果たすであろう役割の説明は新鮮でした。特にリーザがアリョーシャに対する誘惑者として存在感が大きくなっていくことは全く考えたこともありませんでした。第2の小説がどのようなものであったかを想像することも大変ワクワク楽しいものがありますね。 そして登場人物の名前・地名などとドストエフスキー自身の人生やファウスト・歴史上の人物などに関連した説明の数々は謎解きに相応しく、巨大なパズルを解くような小説の面白さも痛感した次第です。
0投稿日: 2013.08.26
powered by ブクログやっと読破しました!ミステリアスな謎解きの要素もあり、個性的な登場人物たちが物語をぐいぐい引っ張っていくのですが、自分はロシア的なものの考え方というか世界観にあまり馴染めなくて、苦労した部分がありました。
0投稿日: 2013.04.26
powered by ブクログ本当は、この『第2部』が構想されていたという。 読みたかったな・・・・・・・・。 34わたし、あなたを好きだだったのは、あなたが心の広い人だからよ!・・・わたしこそあなたの許しが必要なんだもの。・・・ 61~のラストは感動的。なんとなくミュージカルの舞台を想像できた。 274口述筆記、の手段。・・・これなら私も書くとき使える気がする。 287ドフトエフスキー作品を周期的に大江健三郎、加賀乙彦は読み直すらしい。 360金原ひとみの言葉。「上巻半分を読むのに3ケ月。・・・中巻と下巻を私はほぼ3日でよみ終えた。」 これは、訳者の言葉の選定の努力の賜物らしい。 289作家の習性として、モチーフに対して始末をつける。
0投稿日: 2013.04.18
powered by ブクログ平易な文章を心がけたせいか、他の訳よりも底の浅さというか深みが伝わってこない印象を受けた。ただこの訳はそれを承知の上で読みやすさを重視した方針で刊行されていると思うので翻訳者の技量を批判するつもりはない。
0投稿日: 2013.02.22
powered by ブクログついに読みきった。この第五冊はほとんど作品の解説といったものだ。でも、今までの各巻についていた読書ガイドとともに、この小説を理解するのに大いに役立った。中でも、ドストエフスキーが第二の小説の構想があったというのは、成程頷ける。何故なら、この小説の終わりが物足りなく、何か残尿感のようなものが残るからだ。この小説は世界の古典として確固たる地位を占めているのだが、この小説の本当の良さを知るには、あまりにロシアのことを知ら無さ過ぎる自分がいる。
0投稿日: 2013.02.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
★4つなのは、まだ多分、読み返す必要があるから。 まず、そうだな。なんで読もうと思ったか。 村上春樹さんの「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」で、意識が消滅しゆく主人公が、カラマーゾフ3男のアリョーシャのことを思い出していた、という点と、村上さん自身がとても影響を受けていたという理由から。 自分がこの世から意識として消えてなくなってしまう時に思い出す人って、一体どんな人なんだろう、と。 はて。謳い文句がよろしくなかったな。「世界最高の文学」「傑作」これ以上無い接頭語のついた本を読むとき、少なからず人は(少なくとも私は)先入観を持ってしまう。「一体なぜそのように呼ばれるのだろう。」と。物語を楽しむ以前に、その理由探しに躍起になってしまう。 私はだからあまり、「評判がいいから。」と呼ばれる本を読まないようにしているのだけど、案の定わたしはその呪縛から逃れることが出来なかった。 でも、3巻からものすごいスピードで読み進めることが出来たことは、わたしがのめり込んで読んでいたのだということの確かな証明になる気がする。 でも情けないかな。まだそのくらいの段階なの。 読み直さなくちゃ、確かな感想はまだ得られないかな。 感想を持つまでには、きっとまだもう少し時間がかかる。 チープな感想しか持てなくて情けないけど、 面白かった。と綴っておく。 これだけの長いお話を、ものすごいスピードで読ませてくれたこの本に感謝。 追記 昨年のクリスマス、エンザにかかった彼氏に会えず、レーピン展を見に行った。 その絵を想像しながら、私はこの本を楽しみました。 フョードルは、イワン雷帝が息子を殺す(逆ですね)あの絵のイメージ。でっぷりした軍人の象、美しいロシア美人。わたしのなかの「ロシア」の映像を、美しく飾り立ててくれました。 追記の追記 このbooklogって、非公開メモとは別に感想を非公開にはできないのかな。 わたしは、読む本と生活がとても密接している。 困難にぶち当たれば、解決を本の中に求める。 だから、感想が、本の感想に留まらないことがある。 っていうかそのほうが多い。 でも、公に見られてるんだよね。わたし、その自覚薄かったなぁって、後悔してる。 この「カラマーゾフの兄弟」を読んで思ったことを絡めて、これを最後に、公開すべきことを今一度考えて行きたいと思う。 ここ半年ほど、わたしは「この人のこと、嫌いかもしれない。」って思ってしまった人がおり、思い切ってそれを認めてみた。レビューを読み返せば何度も自分が悩んでどうしたらよいものかが、1年半くらいに渡りちょこちょこ出てくる。もう、認めてみたら、楽かもしれないと、思ったのがここ最近。 でも、あんまり心が気楽になった、ということはなかった。 私は多分、その人のこと、「苦手」ではあるけれど、「嫌い」とはちょっと違うんだと思った。 具体的なことをあげたらきりがないし、まぁ過去のレビューを見れば嫌なことは自分の中で思い出せるので書きませんが、 押しなべて言うと、 「なんで今この人は、この発言をしたんだろう?」 もしくは「なんで今この人は、その行動をしたんだろう?」 と、ふとその人の行動を思い返して見るときに、 「人によく思われたい気持ち」やら「可愛らしく思われたい」「自己顕示欲」がその裏側にある気がして、なんかいちいちその人の行動に突っかかるような悪循環になってしまって、「もーやだ!」って思っていた気がする。 確かに他の人よりそういう面が大きいかもしれない。でも、 何がいやって、そういう行動を取るその人が嫌なんじゃなくて、「人に媚び売るような態度」や「自己顕示欲」みたいな、真っ黒でどろどろして、嫌な感じのすることに向かう自分の思考回路がきっと嫌なんだろうと思う。浅はかで、俗っぽくて、下卑た思考回路が。 もしかしたら、わたしの思考回路が向かう方向は間違ってないかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。わたしは、「そうじゃないかもしれない」という選択を、あまりに軽視しすぎていたんじゃないかと思って、ここ最近、本当に自己嫌悪に陥っている。 このネットの辺境で私が書いたようなことを目にする人は、きっと間違いなく少数派だと思う。 でも。 私の書いた、真っ黒で、「あいつが嫌だ。あいつが嫌いだ」っていうような嫌な嫌な感情、わたしは過去に遡って消すことは、しません。自分の嫌なところ、隠すつもりはありません。なかったことになんて、したくありません。見たくないし認めたくないし、「公」であることを無視した恥ずかしさだって消してしまいたいし、ブログや何やらはそれが可能で、直接会ったこともない人とのコミュニケーションを可能にするツールな分、自分を美しく飾り立てることが可能だけど、 私の中に確かにある、感情です。それを、なかったことになんて、できない。わたしはそんなに「キレイな」人間じゃないってことから、目をそらしたくない。 ただ、自分が間違っていたということを認め、思考の修正を迫られ、それを直していくことだけは、認めて欲しいと思う。(誰に対する承認かはわかりませんけど、誰かに言わずにはいられません。) アリョーシャは、ひたすら「よきもの」の象徴のように描かれていました。ドミトリーの犯行に対する弁護士の疑い方、それが私に、そのようなことを気づかせてくれました。 自分の嫌なところに、気づかせてくれたという点で、私は、私の隣人に感謝します。
0投稿日: 2013.02.06
powered by ブクログいろんな意味で、最後の最後まで先の読めないお話でした。エピローグは感動もしたけど、あんな能天気なラストってある?! 深読みする気力は残ってないので、シンプルに面白かったお話として記憶に留めておきます。「読書ガイド」には随分助けられました。感謝です。
0投稿日: 2013.02.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
書かれなかった第二の小説へ。 エピローグに出てくる少年たちとアリョーシャの姿は、それまでのドミートリーの荒れ狂い生き急ぐ転落や、イワンの高潔で誇り高いゆえに欲望に苛まれて幻覚を見る狂気に比べ、清らかで美しくその分先が怖い。亀山郁夫のいうように第二の小説が、テロリストとして皇帝暗殺を謀るアリョーシャ、その実行犯としてコーリャ、イワンという悪魔に魅入られたリーズの物語になるのだったら、このエピローグはすがすがしさに満ち溢れている分、不吉である。
0投稿日: 2013.02.02
powered by ブクログこんなにも人間の内面をえぐる本があるだろうか。。 印象深いシーンは数えきれないほどあるけれど、第2巻で、イワンがカテリーナに放った言葉は衝撃的だった。 個人的に、亀山郁夫さんの翻訳は合わないみたい。本編よりも、各巻末の読書ガイドの方が面白く感じてしまった。読者に内容を理解させることに特化した平易な文章を心がけた、ということらしく、確かに分かりやすいのだけど文章の面白味は全くと言っていいほど、、ない。本編は他の人の翻訳で読み直そうかな。
0投稿日: 2012.12.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
時間がなくてサーッと読んでしまったからか、面白くはなかった。 基本的に登場人物達の言動も含めた行動が、自分としては違和感だらけだった。 キリスト教とか当時のロシアの状況とか歴史とかの知識がほとんどなかったことも影響してはいる。 解説もざっと読んだら少しだけ読み直したい気もしたが、やはり長いので読むことはないだろう。 でも、書く前に著者が死んでしまって存在しないけど、続編は読んでみたかった。 罪と罰くらいは今度読んでみたい。子供の頃読んだけど忘れた。
0投稿日: 2012.10.19
powered by ブクログようやく読み終わった。とてつもなく長く、恐ろしいほどに混沌とした小説だった。 この小説を読み始めたきっかけは、村上龍が『音楽の海岸』という小説内で、「ドストエフスキーの小説は、不良のために書かれたものだ」という内容の文を書いていたからだった。しかも物語が始まる前の見開きのページには、「故、中上健次に捧げる」というような文章もあり、これはもう読むしかない、と思ったからだ。 昔、村上春樹の小説を貪るように読んでいいたときから「ドストエフスキー」という名前は知っていたものの、読んでみようという気にはなれなかった。それはきっと、村上春樹の小説内でその名前が出てくる場面が、そう魅力的に感じなかったからなんだと思う。 村上龍の小説を初めて読んだのはたしか『限りなく透明に近いブルー』だったと思うが、そのときは読みづらく、そんなに衝撃は受けなかった。しかし『愛と幻想のファシズム』を読んだとき、大きな衝撃を受けたのを覚えている。その感想は紛れもなく「これは不良のための小説だ」というものだった。 『カラマーゾフの兄弟』に対して、そういった運命的な衝撃は受けなかった。それはおそらく、僕個人が、リアリズムの小説を好んでいるからであり、物語の竜骨とでもいうべき《信仰》や《恥辱》とかいった形而上学的な問題に対する探求を今は欲していないということなんだろう。 《神や不死》に対する考え方やそこから派生する《恥辱》の問題を一旦脇に置いて、この物語の構造に関して備忘をしておきたい。 まず、この物語は一言でいうなら『カオス』である。登場人物の一人一人がそれこそ【カラマーゾフ的な】極彩色の心を持っており、物語が進行していくにつれて、その色同士が真っ白のキャンパスの上で混ざり合っていく。赤と青が混ざれば紫になるが、それに数えきれないぐらいの色彩が混入していけば、遅かれはやかれ、それは真っ黒になってしまう。 『バタフライエフェクト』という映画にもあったが、人の人生というのは、カオス理論のようなものなのかもしれない。そしてそれが二人、三人、四人ともなれば、それこそ予測は不可能であり、何気ない誰かの一言や身振り手振りが、人を殺したり、人を救ったりするのかもしれない。 このような混沌の世界で、自身の精神を固定し、自立させるものは一体何なのだろう。一旦脇に置いたはずの《信仰》というものが、ここでふと浮かび上がってくる。 『カラマーゾフの兄弟』において描き出された現代の《神》は、今僕たちが暮らしているこの今の日本では、一体どういうかたちをしているのだろうか。それはある人にとっては青山の高層マンションかもしれないし、あるいは定期の付いたスイカかもしれない。 どういうかたちにせよ、それは今もしっかり存在するし、人間が生きている限り、きっとそれは生み出され続けるのだと思う。僕も考えてみたが、僕にとってのそれは、抽象的な概念のようなものだった。それを示すにはなにか具体的なかたちにするしかないし、その現実化の方法が、今の日本(少なくとも僕が生きていく範囲)の、ある意味では象徴になるのかもしれないと思った。
0投稿日: 2012.10.18
powered by ブクログなんとか最後まで読みました。はー、長かった。。 自分で自分を褒めてあげたいっ。(笑) 誰かが、「長くて途中挫折しそうになるけど、読み終わると自分の中の何かが変わるよ。」的なことを言っていましたが、、、 うーん、、、私は何も変わってないっす。。。 だけど、次に読む本は何を読んでもおもしろい!と思えそうな気がします。
1投稿日: 2012.09.22
powered by ブクログ2012.8.22 おわったー! 3巻からは一気に読んだ 勝手にカラマーゾフ一家の人々の人生を追うようなものをイメージしていたが、衝撃的な瞬間を描いたごく短期間の物語だった。 深い意味はさておきストーリーはミステリー要素が濃い。罪と罰を思い出す。5巻の長すぎる解説を流し読みしたところ、ドストエフスキーがなかなか狂った人だったよう。ギャンブルと女と酒。カラマーゾフは自伝的な要素を含むらしい。ミステリーを自で行くか、すごい人だなあ、という感じ。トルストイのが好きだなこれは。 それにしたって、登場人物ほぼ嫌い。みんな汚くていやらしく人間的にすぎる。(でもアリョーシャはもちろん好き) それに何ページにも及ぶ大げさで派手な台詞も嫌気が差す。 それでも読み終えて振り返ると1人1人の生の熱気みたいなのがすごかった。熱くて熱くて、でも狂気の筋が物語に通っていて、こりゃすごい作品だ~と納得。 宗教問題は勉強不足で理解できない箇所あり。聖書読もうかなやっぱ。ほんとに神の存在なんてまじめに議論したんだろうか、時代を感じる。そゆとこは楽しい。
0投稿日: 2012.08.22
powered by ブクログ『カラマーゾフの兄弟』という小説に対しては,『スローターハウス5』の「人生について知るべきことは,すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある」という言葉で言い表されている。 大学生の頃に新潮文庫の原卓也訳で読んでから10年以上経過してしまったが,それと比べたうえでの感想を述べたい。白状すれば,覚えていたのは,イワンとアリョーシャのやりとりくらいであったが,当時「古典を読み通した」という満足感はあった。新訳は,やはりそれぞれのキャラクターがいきいきとしている。コーリャなんてほとんど記憶になかったのに,今回は鮮烈に印象を受けた。 とりわけありがたいのは解題である。もちろん色々な解釈は成り立ちうるのだろうが,一線の研究者による一定の解釈は,一読者がより世界的傑作を楽しむための絶好の補助線としての役割を果たしてくれている。 10年後にもう一度読みたい。
0投稿日: 2012.07.31
powered by ブクログ大半がドストエフスキーの生涯と、訳者による解説。本編だけではイマイチ分かりにくいので解説を読みたくて買ったのにその解説もわからない。とゆーか、この作品未完なので、そもそもスッキリ完結!とは思えないものらしい。もう一回挑んだらも少しは解るかな…
0投稿日: 2012.06.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
裁判のその後が書かれています。 短いですが、一番感動を覚えたシーンでもあります。 解説が大半を占めていますが、4巻まで読み終えたのなら 是非読んで頂きたいですね。 アリョーシャ!
0投稿日: 2012.03.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ドストエフスキーの本は、僕の心にとってなによりもの処方箋だった。無神論的実存主義的な考えにとらわれていただけあって、『地下室の手記』の中年や『罪と罰』のラスコーリニコフから始まって、今作品のミーチャ、イワン、フョードル、スメルジャコフ、ゾシマ、コーリャあらゆる登場人物が生きていて、感情移入して相づちを打っていた。これがポリフォニーか、とその手法に驚愕していたが、たったひとり感情移入できそうでできないアリョーショがいた。そして解題を読んでようやく、ようやくウムと相づちして、誰よりも昔の自分を重ね合わせた。
0投稿日: 2011.11.04
powered by ブクログ全五巻にわたるカラマーゾフの兄弟、ついに読了です。 長かったですが、非常に充実した読書時間でした。 この巻での小説はエピローグのみ掲載で、60pだけです。 後の300pはドストエフスキーの生涯として100p、年譜に、解題「父」を「殺した」のはだれか、という亀山さんの解説が掲載されています。 たっぷりとページが割かれているので、解説も丁寧で分かりやすかったですね。 この小説はご存じのように、古典小説の最高峰というには、けっこう未完成な印象が残ります。 一番?と思うのは、キャラクターの書き分けにバランスが欠けていること。 これだけしか出ない子供を、何故これほど丁寧に描写するのか、なんてことですね。 それからエピローグも唐突な印象で、これをもって文学史上の最高峰とまで言われると、荒になるような完成度です。 でも書かれなかった第二の小説があったとすれば、すべて納得なんですね。 その書かれなかった第二のカラマーゾフの兄弟を、亀山さんが非常に巧みに推理してくれている。 ・・・惜しかったよねえ・・・ドストエフスキー自身が言うように、この第二の小説が書かれていれば、そうとう凄い作品になったのではないか? こっちの方がオモシロそうだものね。 そういうことを読めるだけでも、この最終巻は価値があります。 それから神話的な象徴層と物語層の間に自伝層がある、というのも、やっぱりと思う指摘です。 名前からフェードルが一致していて、病気が同じですものね。 偶然とは思えない。 年譜やら生涯の話を読んでいるとまったく瓜二つ。 この小説は、ドストエフスキーが自分の人生を全部叩きこもうとした小説だったんですね。 良く分かりました。 ミステリーとして読めば話は完全に不条理モノの範疇で、何故かセバスチャン・ジャプリゾの「シンデレラの罠」とか思いだしましたよ。 何でだろうと思ったんですが、初読の時期が一緒だったという記憶があるんで、そのせいでしょうか。 他に共通点、ないよねえ・・・ 亀山訳は、簡単に訳され過ぎているという批判も一部ありますが、こうして読みとおしてみると、ドストエフスキーの小説は難解な単語に唸りながら読むより、勢いで読む作家だったのではないか、とも感じましたね。 俺が苦しんで読んだ本を簡単に読み終えるなんて許し難い、という気持ちもよく分かり(実は私にもそういう感情がありました)、また平易にすることで、深い場所に眠るエッセンスが消えるという危惧もありましたが、今はまず亀山訳でおススメと思いますがどうでしょうか。 亀山先生には、次に白痴か悪霊を、よろしくお願いしたいと思っています。
0投稿日: 2011.10.26
powered by ブクログ世界最高峰の父殺し物語、ここに終結! エディプスコンプレックス渦巻くロシアの大陸で、三兄弟のドタバタストーリー。 ドスト氏にはいつも驚かされる、ほんとに。うん。うん。フロイト先生もびっくりだっつーの。
0投稿日: 2011.10.19
powered by ブクログとうとう最終巻。これまでカラマーゾフ世界の混沌とした濁流の中でなすがままに揉まれてきましたが、それもこれが最後。 さあ気合いを入れて読むぞ、と思ったら、60ページにも行かない段階で物語は終了したので、驚きました。 残りは訳者による作者の生涯と、この作品に関する論文が掲載されています。 これはこれで、非常に読みがいがあり、作品理解の大きな手がかりとなりましたが、4巻が5巻の倍もある分厚さだったので、予想外のことで拍子抜けしました。 これなら4巻の「誤審」の章を、5巻に入れてもよかったのではないかと思いますが、ミーチャの刑が確定する前と後で、分けたかったのでしょうか。 5巻の章は「エピローグ」。まさに最終章です。 刑が告げられたミーチャの元へと元恋人のカーチャを連れて行こうとするアリョーシャ、ミーチャの部屋での恋敵同士のカーチャとグルーシェニカのはち合わせ、前後不覚の昏睡状態となったイワン、脱獄と亡命計画など、息つく間もなく密度の濃いシーンが展開されます。 彼らの会話の中で、この事件が4日間内に起こったことだということに改めて気が付き、驚きます。 長い年月を経た物語のように思えていました。 ロシアでは、裁判は翌日開催されるものなのでしょうか? 事件後日をおかずに行われるのはいいことですが、あまり早すぎると証拠が揃わず、この話のように誤審が多い気がします。 ラストは、イリューシャの葬儀に向かい、コーリャたち少年に囲まれ、歓声を上げられるアリョーシャのシーンで幕を閉じます。 結局、脱獄計画はどうなったのか、イワンは回復するのか、など、気になる話は残ったまま。 少年たちの登場は、あまり本編と直接に関係してはいないような気がしていましたが、彼らが最後に登場するということで、やはりドストエフスキーは続編となる第2部を構想していたんだろうと思えます。 2部を読めないのは残念ですが、それでも1部だけで十分楽しめるというかもうおなかいっぱいというか。 アリョーシャがテロリストになると作者の口から語られていたそうですが、おそらくコーリャたち少年も、そういった過激的行為に走るようになるのでしょう。 アリョーシャが常に読者によりそう形だったので、この非情な煉獄絵図のような物語の中も突っ切っていけましたが、アリョーシャの心的描写が、ほかの人物に比べて極端に少ない点は、やはり最後まで気になりました。 あちこちに動いてよく人と会っていますが、常に受け身的立場で、主体性があまり見えません。 感じたり考えたりするのをやめているような感じ。 こうした彼の描写が、2部にはがらりと変わったのかもしれません。 また、作者がプロローグで、アリョーシャのことを変人だと名指しして書いていましたが、この作品を読む限りでは、特にそうは思いませんでした。 むしろ周りの人たちが変人ばかりのような。 ただ、周りから見れば、アリョーシャはやはり変わっていて一人浮いていたのでしょうけれど。 前の巻では、いろいろなことが起こって、どこか感覚がマヒしてしまったようなところもありましたが、つまりイワンとスメルジャコフは裏と表のような存在だったというわけですね。 スメルジャコフが実行犯ながら、彼はイワンの父殺しを望む深層心理を読みとって凶行に及んだわけで、つまりはあなたがそうさせたんだ、と面と向かって言われたイワンは、確かに内なる心の声を聞き、自分の欲望に気付いてしまいます。 スメルジャコフを拒絶しながらも、父殺し実行犯は自分だったという衝撃で心身病んでしまう彼。 イワンに拒絶され、絶望して自殺をするスメルジャコフ。 漱石の『虞美人草』の藤尾が、屈辱で憤死をするように、登場人物たちは感情の起伏が激しすぎるあまり、精神が肉体を傷つけていると思いました。 人格的にいくら問題があろうとも、彼らなりに自分を愛してくれた父や兄たちが、それぞれ不幸になっているのに、結果的に誰一人として助けられず、結婚を約束した自分の恋人さえも去っていったことについて、アリョーシャは何を思うのでしょう。 キリスト教の教義の限界でしょうか。 アリョーシャがもし第2部でテロリストになったとすれば、それは宗教は人の救いとならないと見限ってのことでしょう。 キリスト教についての鋭い疑問を放った兄イワンの主張(「大審問官」のくだり)に、最終的には同意したということになるのでしょうか。 社会の体制が変わらないことには、いくら宗教が存在しても、魂の平安は得られないと思ったのでしょうか。 難しい問題を提示して、物語は終わりました。彼らの今後が気になります。 当時のロシアの社会状況がわからないと、理解しづらいところもありましたが、心理ドラマとしても非常にドラマチックな作品だったので、少しずつ彼の他の著書も読み進めていきたいです。 でも今回は相当集中して全巻読みこんだので、しばらくは軽い本を読んでクールダウンさせないと、頭がもたなさそう。。。
7投稿日: 2011.06.20
powered by ブクログ偉大な作品。間違いなく偉大な作品ではあるのだが、構成、設定、伏線を鑑みると、やはり未完である。これだけの作品が、単品としても世界有数の作品が、さらに重要な第二の小説のための前振りでしかないという事実をどう受け止めたらいいのだろう。 間違いなく人類の偉大な財産の損失ではあるのだが、同時に福音であるとも言える。エディーが遺したDevil's Wayを継いだコユキが、やっぱエディーの歌はすげーなーって思ってたら、これは君の歌だよってエディーの声が聞こえたみたいなノリで、いずれ偉大な第二の小説をも含む、もしも第二の小説が書かれていたとしてそれも含めたカラマーゾフの兄弟という作品を、トータルとして超える作品が生まれたときになって初めて、第二の小説が書かれなかったという事実が、人類の偉大な財産の損失から、福音に、より偉大な作品の登場を祝福する福音に変わるんじゃないのかな。100年か、200年、数百年先かはわかんないけど。
0投稿日: 2011.05.29
powered by ブクログ一巻からまとめて。 悪人にも魅力的な人物はいますが、実際主人公以外に終始善良な人間がいないこの物語も、魅力的な登場人物で満ちていたように思います。 全編を通じて一番面白かったのは、大審問官のあたりです。 三兄弟の中ではイワンのようになりたいです。 コーリャは何となく昔の自分を見てるようで、もっとも彼ほど優秀ではなかったですが、心がチクチクとすることもありました。 新訳だからか、とても読みやすかったです。 最近書かれた小説と言われても特に抵抗なく読めそうなあたりが文学史に名を残すような傑作としての資質なのでしょうか? 文学的に何が言いたかったのかとかはあまり分かりませんが、単純に小説として面白かったです。 僕に言える感想はこの程度です。
0投稿日: 2011.04.08
powered by ブクログ遂にカラマーゾフの兄弟読み終わりました!やったあ\(^o^)/五巻はエピローグだけで、あとはドストエフスキーの生涯と解題だったのですが、解題は中々ハードでした。でも、「なるほど、あれはそういう意味だったのか」という発見や意味が解った部分などもありました。 まだ寒かった季節からはじまったカラマーゾフVS自分の戦いは暖かくなって、やっと終わりを告げました。最初の方は、正直読み始めたことを後悔した日もありましたが最後まで読めて本当に良かったです。 次は、何を読もうかなぁ…。
0投稿日: 2011.04.02
powered by ブクログこの巻の大半を占めている解説がいい。 続編のことをあれこれ考えたりするのは楽しいし、話を忘れずにいられる。 面白い小説だった。
0投稿日: 2010.12.12
powered by ブクログ筆者の推察する「第2の小説」の構想に、こちらも興奮!アリョーシャのその後、少年たちのその後、ああ想像が膨らみます。
0投稿日: 2010.12.05
