
総合評価
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powered by ブクログまず大正時代に、我が子を国内に預け置いて夫婦2人であてどもなく7年もの間、海外を放浪していた…という事実それ自体に度肝を抜かれるわけだが、それ以外にも、色々な意味で現代の軟弱な日本人には想像がすら及びもつかない、タフな生き様が全編に染み渡っている。 まさに地べたを這いずる虫の如く、汚泥塗れになりながらも決して諦めることなく、剥き出しの本能が命ずるままに生き永らえ、さすらっていくという、逞しい等という表現では生温い日々が、まるで第三者が観察しているかのように極めて客観的に語られている。 あるいはこれこそがまさに、こじれきった人間の性というものか。 惜しむらくは、私が恥ずかしながら金子光晴氏の詩作等に対する一切の造詣を持ち合わせていないことだが、それであってもどすんと重しのようなものを胸に落とされたような感じがする、そんな質量を備えた作品である。 関係詞等によって接続される節が多く、誰にでも読み易い文章ではないが、小気味良いリズムの重なりで形成されるシークエンスが実に流麗。 2020年代の今では、ここに書かれているような表現や言葉の使い方がすべて容認されるものではなく、それはもちろん進歩ではあるのだが、深い味わいを持つ文学的な修辞が様々な自制や配慮によって失われていることは、率直に寂しかったりもする。 文学というものは、自身の心身を覆う布切れをすべて剥ぎ取り、丸裸になったところから初めて生じる、いわば恥辱の権化なのだということがよく分かる、重くて昏い、壮大な三部作の幕開けだ。 「私たちは、健康な体と、尻のくさったくだもののような精神とをもっていた。」 「賽の目の逆ばかり出た人間や他人の非難の矢面にばかり立つ羽目になったいじけ者、裏側ばかり歩いてきたもの、こころがふれあうごとに傷しかのこらない人間にとっては、地獄とはそのまま、天国のことなのだ。」
0投稿日: 2026.01.30
powered by ブクログ主人公とその妻の放浪。戦前の話でまだ海外に行く日本人は少なかったであろうが、活路を見出そうとする貧困者に交じり上海に上陸する。無銭に近い状態で縁故を頼り、また見捨てられもせず、香港やジャワにも渡る。目的地はパリなのに費用がなく遠い。自然だけでなく、女衒や影の実力者など生々しい。街のすえた匂いまで漂ってきそうだ。2025.7.14
1投稿日: 2025.07.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
沢木耕太郎がたいていの紀行文には旅の目的地が設定されているが、しかし、金子光晴の放浪三部作は目的地が設定されていない稀有な例であると書いていたので、いつか読みたいと思っていた。この時代の知識人、詩人には、マルクス主義よりもアナーキズムのほうが影響力をもっていた。しかし、震災後に大杉栄、伊藤野枝などのアナーキストも大量に虐殺された。(朝鮮人の虐殺は金子には見えていなかった。)アナーキストにはつらい時代の到来によって金子光晴も海外に弾き飛ばされるように放浪に出たくなった、出ざるをえなくなったことが読み取れた。
0投稿日: 2025.01.19
powered by ブクログflier公式YouTubeチャンネルで肉乃小路ニクヨ✖️岩井志麻子さんの動画で愛についての話から紹介される 「愛は至上のものではない。愛は諸悪の根源 愛は執着。執着をなくすことが幸せにつながる。 よくないものを全部コーティングして誤魔化すのが愛。 いろんな言葉があるなかから全部を雑に愛でくくるのはよくないですわよ! 日本人のウェットさには情が合う。情があるから捨てられない。情があるから別れられない。 愛は人生に不要かもしれないけど、情は必要」 という岩下志麻子さんの言葉が響く この作品は3部作の一作で寝取られ文学らしい。 この2人の間には何があったのか?愛?執着?
0投稿日: 2024.05.12
powered by ブクログ大正期の詩人が妻と共に上海へ旅立つ話。 子供を日本において、金もあまりなく上海に行ってしまうクレイジーな筆者が、当時の混沌とした上海の生活を描く。 改行が少ない文字がびっちりの本だが、美しい文体でなせまか読めてしまう。
1投稿日: 2022.06.15
powered by ブクログ関東大震災からはじまる、妻森三千代との5年に及ぶ東南アジアとヨーロッパ放浪の記録。 ひさびさに読んでみたが、圧巻の迫力は変わらず。
1投稿日: 2017.09.12
powered by ブクログなんていうかこの時代の魔都上海にめっちゃ行きたいし興味がわいてきた。詩人金子光晴の7年にわたる目的のない旅の軌跡。「どくろ杯」の正体には本当にびっくりだけど、当時の上海らしいアイテムだなあ。 あと、比喩が素晴らしい。美しさとはまた別だけど、何かピースがかっちりはまりこむような爽快さがあるきれいな比喩が多かった。
2投稿日: 2015.05.29
powered by ブクログ三部作はこれがスタートでした。 これに「ねむれ巴里」→「西ひがし」と続くようです。 金子と妻・森美千代の出会いも出てきます。 ・・・束髪に結った和装姿の、オリーブ色の袴の紐を胸高に結んで、女高師のバッヂをした三千代があらわれた。 タイトルは所謂カパラのことですが、これが凄まじいの。高くて買えないからって、土葬の習慣の異国にいるを幸い、他人の墓をあばいて・・・・ ><。。 うじゃっ~ あと「勝丸事件」の話。 水道から毛髪ってだけでも総毛立ちそうなのに;; ワタクシもまだまだ修行が足らないようで。
0投稿日: 2014.10.05
powered by ブクログお金がなくても働かなくてもなんとかなるもんだ。底辺の生活が凄まじいのに、のらりくらり。ついてく三千代さんがすごい。 人間の料理法って、支那人怖いなぁ。
0投稿日: 2014.05.21
powered by ブクログ1935年くらいの東京や長崎、上海を舞台にした本です。 放浪記って言えば良いかな。 1970年くらいに書かれた本です。 正直よくわからない。まあ、基本は物書きだが、金を借りたり、人の絵を売ったりして生きてる。もっと、働けよって思うw
0投稿日: 2014.01.04
powered by ブクログ知人の勧めで読むことに。なんと言ったらいいのか言葉が出ない。暗い淵に今にも顔を押し付けられそうで、ただただ読んでいて苦しかった。が、途中で本を放り出すこともできなかった。
0投稿日: 2013.10.11
powered by ブクログいつも思うことなのだけれど、この時代のひとたちは「恋愛をしてみよう」と決めてから恋愛をしているような気がする。感情としては同質のものだとしても、入り方が決定的に違うような気がする。それだから妙に冷静だというか、自分の感情や行為に対して客観的であるように感じられるのだろう。(『ねむれ巴里』に続く)
0投稿日: 2013.09.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「こんな人間には(金子光晴本人)、誰もかかりあわないことだ。避けることだ。」でこの小説は終わっている。私もそう思う。谷崎潤一郎の痴人の愛」 の主人公を彷彿とさせる。「うんこの太そうな女」には腹をかかえて笑った 不意打ちを喰らったのだ。写真の風貌も飄々としていて面白い。 どん底と言うよりは能天気な金子ワールド
0投稿日: 2012.12.15
powered by ブクログ「どくろ杯」、人の頭蓋骨をさかずきにしたものである。そんなおどろおどろしいものをさかずきにするような心理はどこからやってくるのだろう。自身が統治者であるなら征服、達成感の確認か(信長なんかもやってたらしい)。それともいつかは自分にも来る死を忘れないようにするためか。中世ヨーロッパでペストが流行した頃に、人々の間で髑髏のアクセサリーをつけることが流行った、と聞いたことがある。かつてそれを聞いた時、人間の奥深いところにある不可解なものを感じた。 詩人金子光晴の自伝も兼ねたような旅行記。これも他の方の感想で興味をもった本。 読んでいて金子光晴とはどういう人なのだろう、と何回も立ち止まって考えた。文章が淡々としていて、自分のこともまるで他人のように見ているようなところがあるように思える。しかしその割には頭よりも先に体の方が動いてしまっているようなところもある。明晰さと突拍子もなさが同居していてなんだか終始面白い。実際には何年も後に書いたものらしい。だからこうなるのだろうか。 ふと思ったのは、自分自身と他人との境界線があまり明確な人ではないのではないか、ということ。というよりも、読んでいる私自身が、普段他人との間に線を引きすぎている、と感じた。友達の髪の毛を橇上げて血だらけにしてしまうところも、三千代さんを抱きしめるところも、どこか自分自身の体に対してやっているところがあるように思える。読んでいる私自身の、他の人の何かを引き受ける許容量の少なさを思い知った気がする。 これは感想をまとめていて思ったのだけど、この自身と他人との境界線が不明瞭な感じと、どくろを生活の中に取り入れて死を身近に置くことは、どこか響き合っているように感じられる。どくろを生活の中に置くことは、自分自身の死ともうすでに亡くなった人との境を曖昧にすることなんじゃないかと思う。それはひょっとすると、厳しい状況におかれた時の知恵のようなものなのかもしれない、などと考えてみたりした。 上海の雑然とした様子を描いているパートは特に印象に残った。続編もあるらしいので是非読みたいと思う。
2投稿日: 2012.07.06
powered by ブクログ山崎ナオコーラがオススメしてた詩人のエッセイ。昭和頭かな?第2次大戦が始まる前、中国に渡航した際の話。この人、気が小さい割にやることは大胆(笑)みたいな。けど、しがない男の気持ち満載で身につまされる。こういう、すこし前の日本人のエッセイとか読むと、今と違う文章文体に頭が開発されます。おもしろい。
0投稿日: 2012.05.11
powered by ブクログ高田連のライブで、吉祥寺のさかえ書房がAUショップになってしまったときいて再読。 爪をたてて生きる。
0投稿日: 2011.10.29
powered by ブクログ圧倒的だった。正直、何と感想を述べるべきか判らない。 著者が詩人として世に出た後、関東大震災が襲う。胸が塞がれるような記述が冒頭に続く。 夫人となる森美千代との出会いがあり、婚姻、子供の誕生。夜逃げを繰り返すような生活の中、家族を放って上海へ遊ぶ。帰国すると、彼女に若い恋人出現。結局、妻と彼が復縁しないように距離を置くことを目的に旅が始まる。 洋行すると宣言しながら、大阪、長崎に長く留まり、なんとか上海へ。いかがわしい文章をガリ版刷り、いかがわしい売人に託したりする、綱渡のような生活。旅情など望むべくもない。放浪、風天というか、逃避と呼ぶべきか。そして著者を含め、何処にも居場所のないような人間が沢山登場。 微に入り、細に入り、かつ冷静な自己分析は、じっくっり読ませる文章だった。 しかし、可愛い子供と離れ、日本の文学や詩人の世界と連絡を絶ってまで、何故、旅を続けるのか、判らない。この答えはは寧ろ、美千代夫人に何故、著者に付いて行ったのかと聞いてみたい。とても理解しがたく、摩訶不思議。 近いうちに、続編も読んでみようと思う。
0投稿日: 2011.08.01
powered by ブクログ「めりけんじゃっぷ」の谷譲次を彷彿とさせるファンキーな生き様、そんな生き様にはおよそ似つかわしくない詩人らしい流麗な文体。時代背景を考えれば考えるほど、この金子光晴ってオヤジの海外放浪記は素敵すぎる。自らの血の一滴を振り絞るように、人間の底知れぬ奥深さを抉ってみせます。続編の「ねむれ巴里」「西ひがし」も一気読みだな、これは。
0投稿日: 2011.02.02
powered by ブクログ「こがね虫」の詩人・金子光晴の、関東大震災で全てを喪失してからの生活を書いたエッセイです。この人の暗さは、安吾のカラッとした冷たさと違って、ジメジメうじうじしているのですが、読んでいると何だか一緒に泣いてあげたくなってしまいます。この人も文章が巧い! (関係無いですが、↓下にある「みんなのタグ」欄に石田衣良とあるのが気に入りません)
0投稿日: 2010.10.01
powered by ブクログこんなこと気軽に言っちゃいけないんだろうけど、 三千代がうらやましい。 ゆるされている三千代がうらやましい。 三千代と出来あうところしかおもしろくないなどうしようと思っていたが、 インドネシア渡ってからはテンポが良い。 上海の辺りが停滞してしまうのは、 そのとき本人がくすぶっていたからしょうがない。 海外出ちゃってからはなんだかんだでなんとかなってるからいいけど、 日本篇はきつい。読んでてきつい。
0投稿日: 2010.09.07
powered by ブクログしらけわたった天地が、悠久につづいて、かなしさが霧のように茫々と立ちこめている。感傷だけが、ひそひそと溝河のせせらぎのように底にながれている。 ↑5年前の自分が線を引いていた箇所
0投稿日: 2010.08.12
powered by ブクログ金子光晴は、今から35年前の1975年6月30日に79歳で亡くなった詩人。 なんといっても果てしなく詩人という存在は、今も昔も貧乏の代名詞みたいなもので、たまらなく儲かってウハウハな詩人などというものは、おそらく谷川俊太郎くらいなものだと思います。 金子光晴もご多分にもれず、自分の詩集だけでは食べていけなくて、ランボーやモーリス・ルブランなどの翻訳でギリギリの生活をしていたといいますから、なんとかそこからの脱出を図って書いた小説を次点止まりにした第一回改造懸賞小説の選考委員たちの判定は、いかにも残酷すぎるといえばいえなくもありません。 賞をとれなかった結果を得て、プライドの高い彼は、そのあと小説を書くことを断念したのですから。 もっとも現代と違って、1928年(昭和3年)当時は本当に小説家へのデビューは狭き門で、文章が滅茶苦茶でも言葉使いが支離滅裂でもアイデアさえ面白ければ賞がとれる今とは全然情況が異なりますが。 ところで、先日刊行された川西政明の『新・日本文壇史』は、かつて1952年から69年に書かれた伊藤整・瀬沼茂樹の『日本文壇史』のあとを引き継いだもので、全10巻のスタートをとてもうれしく思います。 文壇史といっても堅苦しいものではなく、作家群像を時代の変遷のもとに描くといったもので、私は伊藤・瀬沼著の元本を中学生の時に図書館で読みましたが、今まで読んできた小説家やこれから読む詩人が、目の前で息をして実在しているような錯覚を覚えて興奮したものです。 川西政明も心得たもので、各巻の読ませどころはすべて、作家たちの愛憎混じった妻の譲渡や愛人関係などのスキャンダルだと言いますから、これらの著作の本質が明らかというものでしょう。 そこでは金子光晴の妻・三千代と美術評論家・土方定一との恋愛関係はどう扱われるのか? 金子光晴の本質的文学的意味・意義もそっちのけで、この醜聞は興味の尽きないものかもしれません。 あっ、いや、それとも、70歳になって3度目の離婚届けを出したりする金子光晴の方が注目度が高いでしょうか。
0投稿日: 2010.06.30
powered by ブクログ朝日新聞「ジュンク堂・スローな旅」選 ☆上海 放浪と抵抗の詩人の自伝。かなりドロドロ暗そう。 人間の暗部を描いたか?好みではないかも。
0投稿日: 2010.06.26
powered by ブクログ日本て変わったなぁという気持ちと 人間て変わらないなぁという気持ちと、両方。 大正から昭和初期にかけての時代の空気に触れて単純に今との違いに驚いた。 成功も失敗も自己責任だよというドライな個人主義がないかわりに 目も当てられないような貧富の差や階級の差がある。 40年も前のことを振り返っているからか、 あくまで淡々とぶれも乱れもない確かな筆致で、 波乱万丈な内容とのギャップが素敵。 漢学の深い教養に裏打ちされている硬質な文体の合間に 詩心爆発の溢れる寸前で抑制された情緒を湛える色気のある文章が混じって 魅力的。この人の観察眼と文体は大好き。 続編の『ねむれ巴里』、『西ひがし』も読みたい。
2投稿日: 2010.05.09
powered by ブクログ世界を旅した人の本は多数あるけれど、これほど泥臭く、腐臭と怯え、快楽と逃亡を記録した作品は時代背景も含めて今後出てこない、というかこれないと思う。 詩人として華やかに文壇に登場した金子光晴ではあったが、最初の作品以後これといっためあたらしい作品をださぬまま、妻を連れて放浪の旅へでてしまう。 日本がアジアを統治していた時代、金もないのに誰かにすがりながら生きながらえて、時に豪遊し、なぜかパリまでたどり着けたのは、極限であってもそれを受け入れ生き抜く動物のような感覚なのか。 人間のモラルは世間体という他愛のないものによって実は守られている というような文章があった。 その世間体を抜きんでる人物が、自分は臆病ものなのだ、と表現することが多い。臆病を隠すためにはじけてしまうのだと。 これだから芸術家肌は魅力的でやっかいだ。
0投稿日: 2010.01.12
powered by ブクログ金子光晴の自伝的小説。 どろっとしたものがずっと流れているよな、 そんな小説。 わくわくドキドキまるでなし。 淡々とすさまじい人生。 結婚して、奥さんが不倫して、 その奥さんと恋人を引きはなすためにパリを目指す。 激☆貧乏旅行。 上海→香港→シンガポール そしてパリへ。 他にもジャカルタや蘇州にも足を伸ばす。 詩人が絵をかいてお金を得る。 『どくろ杯』は言ってみれば出発編。 『ねむれ巴里』、『西ひがし』と続編がある。 1920年代後半からはじまるたび。 不思議なのは、80年近く前のことなのに、 金子光晴の感じていることが、 すごく生き生きしていて、 私が上海や香港で感じることと重なると言うこと。 発展しても、時間が流れても、 その町の根底にあるものはそう簡単には変わらないのかもしれない。 楽しい旅行記だと思ったら大間違い。
0投稿日: 2009.07.07
powered by ブクログ美しい言葉を読むのは 食べ物を 体内に取り込むような むさぼるのではなく 少しずつ浸透するような そんな気持ちで読みました
0投稿日: 2009.06.15
powered by ブクログすさまじい、としか感想の浮かばない、とんでもない放浪記だ。昭和のはじめ、金子光晴は、生まれたばかりの子供を日本に置いたまま、妻の森三千代を伴い、上海を皮切りとする5年間におよぶ放浪をはじめる。潤沢に資金があるわけではない、どころか、旅先でお金を稼がないと暮らしてもいけないような状態での放浪である。放浪する、というより、むしろ、どうやって「生きのびる」かがテーマになるような貧困の中での放浪だ。そのようなすさまじい放浪であるにも関わらず、筆者はそれを、あっさりと、むしろ淡々と記述している。それは、筆者がこの放浪記を書いたのが、旅を終えてから40年を経た後の筆者の人生の晩年であったからだろう。まるで他人事のように、「そういうこともあったよね」というような感じで書いている。おそらく、そうでなければ、およそ読むに耐えないような旅行記になっていたのではないだろうか、と思う。この「どくろ杯」は放浪記の第一巻。もちろん、続きを読んでみるつもりである。
0投稿日: 2007.11.05
powered by ブクログ詩人が残した自伝めいた紀行文。タイトルに象徴されるように、おどろおどろしくも生命力に溢れた一時期の上海のイメージが言葉から立ち上がってくる。
0投稿日: 2006.11.29
powered by ブクログ虚飾さえめんどくさくなった老人の半生記。もう本当にどこを読んでも面白い。詩人ならではのやわらかく切れのある文章。
0投稿日: 2005.08.09
powered by ブクログ『こがね蟲』で詩壇に登場した詩人は、その輝きを残し、夫人と中国に渡る。長い放浪の旅が始まった青春と詩を描く自伝。〈解説〉中野孝次
0投稿日: 2004.09.25
