
そこにあるのは私たちが求めて遠ざけている非日常。(デュラララ!!)
そこにあるのは私たちが求めて遠ざけている非日常。
この作品はきっと若い世代の人なら一度はタイトルを目にしたことがあるのではないかと思う。漫画やアニメ化など、様々な媒体からこの作品を見ることができるからだ。しかし私はあえて、小説版を強く強くオススメする。
舞台は東京の池袋を中心に回っていく。何のジャンルかと言われれば、一言で言い切ることはできない。それはもう複雑怪奇に現象が絡まっていくからだ。何しろ主人公が人外なのである。デュラハン、と呼ばれる欧州の妖精であるセルティ・ストゥルルソンがこの物語の主人公だ。だがそれは実際のところ便宜上であって、決して彼女が語り手というわけでも彼女が中心に話が回るわけではない…と、私は思っている。この物語の一番の見所は、登場人物の誰しもが主役になれる構成にあると私は思うからだ。少しずつ、どこにでもいそうな人間が非日常に染まっていく。その様子は見ていてその中に飛び込んでいきたいとも、当事者にだけはなりたくないと思いもする。その一筋縄ではいかない感情はまさにこの作品で「誰もが勝利しない」構成の象徴とも言える。一般的な物語でいう悪役・絶対悪はこの世界には存在しない。本来人間はそうであるべきだと言えるし、簡潔にまとめることなんて無理に等しいだろう。だが御都合主義や王道展開を人は求めるし、それが現実であればいいとも思っている。その矛盾を、優しいベールで隠さず敢えてむき出しにしてくるのが「デュラララ!」という作品なんだと思う。
私がこの作品に出会ったのは多感な中学生の頃だ。ある意味で、テーマがないこの作品は雑多で無機質な池袋の街を象徴している。当初は憧れはしたものの、今ではそこに飛び込むほどに気力はない。この作品の、むき出しになったその先を読み込んでみれば、もしかしたら私はまたワクワクしながら恐れも抱くようなそんな「非日常」の一員になれるのかもしれない。この書評を読んでいる方にもぜひ、非日常のその先を垣間見て欲しいと思う。(尾瀬)


