わたしたちに翼はいらない
寺地はるな(著)
/新潮社
作品情報
同じ地方都市に生まれ育ち現在もそこに暮らしている3人。4歳の娘を育てるシングルマザー、朱音。朱音と同じ保育園に娘を預ける専業主婦、莉子。マンション管理会社勤務の独身、園田。いじめ、モラハラ夫、母親の支配。心の傷は恨みとなり、やがて・・・・・・。「生きる」ために必要な救済と再生をもたらすまでのサスペンス。
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この作品のレビュー
平均 3.7 (100件のレビュー)
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あなたは『十代の頃って、人生でいちばん良い時代だよね』という問いかけに、なんと答えるでしょうか?
長い人生の中でどの時代を『いちばん良い時代』と考えるかは人それぞれだと思います。散々に苦労した先に大…成して人生を終えたという方がいる場合、その祝福されたゴールにいちばんの幸せがあるとみるのが自然だと思いますが、実際にどんな風に感じていらっしゃるかはわかりません。人によって何を幸せと感じるかが定まっていない以上、他人の人生の頂点などわかるはずもありません。
しかし、一般論として、『十代の頃』を振り返ってその時代を懐かしむかのように、『いちばん良い時代』だったと語る人は多いのではないかと思います。何ものも怖くなかったあの時代、未来は無限に輝いていると信じていたあの時代。とはいえ、そんな時代にも良いことばかりであったという人は少ないと思います。素晴らしい想い出があれば、悔しく、苦い想い出だって同じようにあるはずです。要はそのバランス感がそんな時代を今に見せていると言えなくもないと思います。なかなかに過去を定義付けるのも難しいものです。
さてここに、『十代の頃』のことを問う質問に『おれは違う』、『いちばん良い時代じゃなかった…』とはっきり答える男性が主人公の一人を務める物語があります。『十代の頃』に負った傷に今も苛まれる主人公を見るこの作品。そんな主人公の日常に、サスペンスの影を見るこの作品。そしてそれは、あなたが知る寺地はるなさんとはちょっと違う”黒テラチ”な世界が顔を出す物語です。
『この十五階建てのマンションができたのは、たしか』『小学生の頃だった』と振り返るのは主人公の一人、園田律(そのだ りつ)。『世界的に有名な電機メーカー』『パルスのお膝元、と呼ばれるこの街で』『生まれ育った』園田は『両親の仲が悪くて、いつも隣近所に聞こえるような大声で言い争っているのが恥ずかしかった』という中に育ちました。『園田が七歳の時に両親が離婚し』たことで、一度、『室井』姓に変わったものの、『高校に入った頃に』再婚したことで再び『園田』姓に戻った園田。そんな過去を思い出す園田は『マンションの十五階の外廊下』に立ちます。住人に『声をかけられる前に、さっさと飛び降りてしまおう』と『下の様子を窺う』園田は、『どうして彼は死んだのか。そんなふうに考えてくれる人が、ひとりぐらいはいるのだろうか』と思います。そして、『自分の人生でもっとも暗く過酷だった時期といえば、やはり中学生時代』だと思う中に『死にたい。死にたくない』と思いが巡ります。そんな中に仕事で会った一人の人間のことを思い出した園田は、『中原大樹。あいつを殺してから死のう』と、『「死にたい」と「死にたくない」のあいだに、「殺したい」』という感情が割り込んでくるのを感じます。
場面は変わり、『ファミリーレストラン』で美南とメニューを選ぶのは二人目の主人公・中原莉子(なかはら りこ)。『同じふたば保育園に子どもを通わせている』莉子と美南は、『中学まで一緒』の時代を過ごし、再会した間柄です。『税理士である夫の事務所』で働いていると証明書を偽造した美南に対し、莉子は父がやっている会社を手伝っていると証明書を偽造し、『四六時中一緒にいるのは耐え難い』という子供を保育園に預けて『無為なおしゃべり』の時間を過ごします。そんな二人はスマホのSNSで、学校時代のクラスメイトの情報を見て、『中学とか高校で地味だった人にかぎって、外に出ていきたがるよね。なんでだろ』と話題にします。『地元じゃそれ以上上に行けない』から『仕切り直しだか逆転だか狙ってんでしょ』と話す二人。そして、莉子は『ここは地方だけど、ぜんぜん田舎じゃないし』と地元に残った今を思います。
再度場面は変わり、『じゃあ、気をつけて』と宏明に向かってことさらに明るい声を出』したのは三人目の主人公・佐々木朱音(ささき あかね)。しかし、『ぐずぐずと足元に視線を落とし』『鈴音に手を伸ばす』宏明に『いいから、もう行って』と朱音は言い切ります。『半年前から』宏明と『別居している』朱音は、『夫の実家の敷地内に「建ててもらった」家から』鈴音を連れて出たことから別居が始まりました。『正式に離婚する前に』二人で『鈴音のお迎えに行きたい』という宏明の希望を叶えてあげた朱音は、『自称「子ども好き」だった』結婚前の宏明のことを思い出します。鈴音が生まれて『子どもがこんなに手がかかるものだとは』と言うようになった宏明の一方で、『日に日に「子どもがこんなにかわいいとは」という思いを強くしていった』朱音。『パパにバイバイして』と言うと『名残り惜しそうな様子も見せず』『「バイバイ」と手を振った』鈴音に、『怯んだように後ずさり』して場を後にした宏明を見送り、朱音は『マンションのエントランスに向か』いました。
園田、莉子、そして朱音という三人の主人公たちが苦い記憶の残る中学時代を振り返りつつ、今の人生をそれぞれの思いの中に生きていく様が描かれていきます。
“2023年8月18日に刊行された寺地はるなさんの最新作であるこの作品。”発売日に新作を一気読みして長文レビューを書こう!キャンペーン”を勝手に展開している私は、先月も津村記久子さん「うどん陣営の受難」、藤岡陽子さん「リラの花咲くけものみち」、そして瀬尾まいこさん「私たちの世代は」と、私に深い感動を与えてくださる作家さんの新作を発売日に一気読みするということを積極的に行ってきました。そして、私が読者&レビューの日々の最初期から注目してきた寺地はるなさんの新作が刊行される情報を得て、今回、発売日早々にそんな作品を手にしました。思えば寺地さんについては本屋大賞2023ノミネート作でもある「川のほとりに立つ者は」もこのキャンペーンの対象として昨年10月にレビューしています。
さて、そんなこの作品の本の帯には、寺地さんの作品にはあまり聞かないこんな内容紹介が記されています。
“他人を殺す。自分を殺す。どちらにしても、その一歩を踏み出すのは、意外とたやすい。それでも「生きる」ために必要な、救済と再生をもたらす、最旬の注目度No.1作家・寺地はるなのサスペンス”
本屋大賞2023へのノミネートによって人気作家の仲間入りを果たされた寺地さんを形容する”最旬の注目度No.1作家”という表現は本の帯を考えるとアリだと思いますが、問題は、それに続くカタカナ五文字”、寺地はるなのサスペンス”という部分です。寺地さんもさまざまな作品を執筆されていらっしゃいますが、それでも寺地さんに”サスペンス”というジャンルは違和感を感じます。しかも担当編集者からの一言には驚きの一文が含まれてもいます。
“まさに人間のドス黒い部分を描く「黒テラチ」の真骨頂!”
まさかの”黒テラチ”という言葉の登場です。小説を紹介する言葉に”黒”や”白”といった色が使われる作家さんは他にもいらっしゃいます。辻村深月さん、柚木麻子さんが有名だと思いますが、個人的には湊かなえさんも”黒”と”白”を鮮やかに描き分けられる作家さんだと思っています。一方で寺地はるなさんに、このような二色の形容が登場するとは思いもしませんでした。そうです。この作品は寺地さんの作品ということでイメージされる今までの表現世界からは一味異なる世界を垣間見せてくれます。とても新鮮な感覚で読み進めることのできる作品、それがこの作品「わたしたちに翼はいらない」なのです。
そんなこの作品は序章と終章に挟まれた章題のつかない十の章から構成されていますが、それぞれの章は『*』という記号に区切られて三人の主人公に順に視点を切り替えながら三人の物語が並列に描かれていきます。まずは、作品の主人公となる三人をご紹介しておきましょう。
・園田律: 旧姓・室井、三人兄弟の次男、独身。マンション管理会社の広報部で働く。両親は一旦離婚の後、園田が高校に入った頃に再婚。『人生でもっとも暗く過酷だった時期』を中学時代だと認識する先に、『自分こそが中原大樹を殺すべきなのだ』という強い思いを抱いている。
・中原莉子: 中学時代の同級生・大樹と結婚。専業主婦。娘の芽愛を保育園に預けるために就労証明書を偽造。夫のスマホを盗み見する中に、光岡という名の女の影を認識している。『かわいければ、なんとかなる。事実なんとかなってきた。これまでの人生』という先の今を生きている。
・佐々木朱音: バイト先のコンビニの客であった宏明と結婚するも離婚。娘の鈴音を莉子と同じ保育園に預け、輸入代行の個人商店のような会社で社長秘書(実態は雑用係)として働く。『自分は強くなどない。昔も今も、強くありたいと願い、それを叶えようとはし続けている』と考えている。
並行して描かれていく主人公三人は、全くの他人ではなく、それぞれに過去と今に接点があり、その関係性は作品冒頭早々に明かされます。
・園田律 → 中原莉子の夫・大樹に中学時代いじめを受けていた。偶然、大樹に再会する。
・中原莉子と佐々木朱音は『ふたば保育園』という認可保育園に娘を預けている。
・吐き気を催し、屈み込んだ園田律に佐々木朱音がハンカチを差し出したことで繋がりができる。
まさかの運命の悪戯によって、偶然に繋がっていく三人。物語はそんな三人の今の苦悩を描いていくと同時に、今も引きずる中学時代の苦い記憶が描かれてもいきます。中学時代に何かしら負った傷が癒やされぬままの今を生きる主人公たち。
あなたは、中学時代という多感な時代の記憶をどれだけ持っているでしょうか?また、そんな記憶はポジティブなものでしょうか?それともネガティブなものでしょうか?”人生のたった数年間にすぎない学生時代の出来事をひきずっている人が意外に多い”とおっしゃる寺地はるなさん。そんな寺地さんは、”人間関係はいつまでも一定の均衡を保つわけではなく、いつか必ず変わ”るということにこの作品を執筆する中で気づいたと続けられます。そして、この作品で伝えたいことをこんな風にもおっしゃいます。
“過ぎたことでも許せないことは許さなくていいし、忘れたくないことは忘れなくていい”
そして、人と人との繋がりに関しては、さらに一歩踏み込んでこんなこともおっしゃいます。
“「友達は大事な存在だから、いなきゃいけない」という言葉にストレスを感じる人たちに、「友達は少なくても、いなくてもいいんじゃない」ということを伝えたい”
この作品では、上記した通り、自らの中学時代の苦い記憶に引きずられる主人公たちの心の奥底にある思いが作品全体に薄暗い影を落としています。マンション管理会社で働く独身の園田律は、中学時代にいじめを受けた過去が、当該者とまさかの再会をしたことで『自分こそが中原大樹を殺すべきなのだ』という思いに集約されていきます。証明書を偽造して娘を保育園に預ける専業主婦の中原莉子は『頭の切れすぎる女は、そしてそれをひけらかす女はかわいくない。かわいくないと愛されない。愛されないと幸せになれない』と繰り返し母親から刷り込まれる中に育ち、『できることでもできないふりをしてき』ました。そんな先の今を『ほんとうにそれでよかったのだろうか。わたしは、わたしが望んだとおりに、幸せだろうか』と思う今を生きています。そして、『いじめの標的』にされ、『飛べ、飛べ』と囃される中に『ほんとうに飛び降り』たという過去を持つ朱音は、教師から言われた『ひとりで生きていけ』という言葉の意味を認識する先にそれからの人生を生きています。物語は、三人がそれぞれの過去に引きずる思いをどう決着していくのか、そんな思いとどう共存していくのかという彼らの心を有り様の変化を描いていきます。
三人の主人公たちは、中学時代に心の傷を負う中に大人への階段を上がっていきました。そんな中で、三人の心の傷は時が経つにつれ深まりを見せることはあっても決して癒えることはありません。中学時代というものは、私たちの人生の中でも最も多感な時代です。また、私たち誰もがそんな時代に何かしら傷つくこともある時代だとも言えます。しかし、過ぎ去った過去だからと言って、そんな時代をあっさりと忘れることは容易ではありません。また、寺地さんがおっしゃる通り、無理に忘れる必要もないのだと思います。
丁寧に描かれていく物語の中に、三人の主人公たちの思いがひしひしと伝わってもきます。そして、結末に到達したそれぞれの心境の変化を感じる物語の中に、寺地さんが”黒テラチ”な展開を用いてまで描かれたこの作品、「わたしたちに翼はいらない」という作品の書名に込められた深い思いに感じ入りながら本を置きました。
『十代の頃って、人生でいちばん良い時代だよね』。
そんな問いへの答えに『おれは違う』、『いちばん良い時代じゃなかった…』と答える主人公の園田。この作品では、園田、莉子、そして朱音という三人の主人公たちが、中学時代に負った傷に癒されないままに大人な今を生きる様が描かれていました。まさかの”黒テラチ”な展開に新鮮な読み味を感じるこの作品。それでいて三人の主人公たちの心の機微を丁寧に掬い取っていくいつもならではの寺地さんの筆致に安堵もするこの作品。
まさかの”寺地はるなのサスペンス”に、寺地さんのこの作品にかける強い意気込みを感じた、素晴らしい作品でした。続きを読む投稿日:2023.08.21
このレビューはネタバレを含みます
2023/09/28予約 122
レビューの続きを読む
半年まちで読んだ本。特に本の前半が好きだと思った。
朱音は学校でいじめを受け、その時浜田先生から言われた「きみには翼がある」
に対して、「わたしに、翼はいらない」と…言い切るところはその通りだと。
「どうして被害者が強くならなきゃいけないのか」
登場人物みんな、リアルにいそう。
信念を生きる朱音。
損得勘定で生きてきた莉子。
莉子の夫に中学生の頃いじめを受けていた園田。
損をする生き方でスマートでなくとも、私も朱音タイプ。そのままだ。
多分寺地はるな作品で、一番好き。
自分のライフステージが違うときに読んだら、また違う感想になりそうで、再読が楽しみ。
続きを読む投稿日:2024.04.14
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