【感想】[新訳]読書について

ショウペンハウエル, 渡部昇一 / PHP研究所
(33件のレビュー)

総合評価:

平均 2.8
1
5
11
5
4
  • 人の批判ばかりしている印象

    新訳とは言うものの、訳した文を読んでいるという感じではないです。
    冒頭にショウペンハウエルがどういった人かと言うことを記して本編に移るわけですが、訳の部分より解説の方が長いのでショウペンハウエルがどういうことを主張していたかが頭に入ってこないで著者の何かを例に出した批判文を読んでいる感じ。
    ネット掲示板なんかでよくある一文をあげつらってそれについて批判しているような本ですね。
    まずは訳したものだけ載せてもらって後で感想なり解説なりを書いてくれればまだ読めたかもしれません。
    この内容で800円は高いかな。
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    投稿日:2014.05.31

ブクログレビュー

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  • touxia

    touxia

    第一部
    デカンショとは、デカルト、カント、ショウペンハウエルの略だ。
    デカンショ節は、学生時代に歌ったなぁ。
    デカルトは、宇宙を哲学の対象とした先駆者であり、ニュートンにつながる。
    カントは、認識論の集大成のようなところがある。
    ショウペンハウエルは、悲観哲学。
    大なる悲観は大なる楽観に一致する。
    「読書とは、自分で考える代わりに他の誰かにものを考えてもらうこと」
    ショウペンハウエルは、オランダ系の名前、祖父も祖母も、オランダで生まれた。
    オランダは、デカルトやスピノザがいた。
    ショウペンハウエルは、ロンドンで生まれた。9歳の時、フランスに。15歳の時は、ロンドン。
    「この世は夢が作られているのと同じ材料でできている」そして、ヨーロッパをまわる。
    17歳の時に、父親がうつ病で、自殺する。しかし、遺産を残したので好きな研究ができる。
    ショウペンハウエルは、「生に対する盲目的意志」が時間と空間を通じて、われわれに認識される。
    快楽を追求することが虚しいことだと悟る。
    ショウペンハウエルの哲学は認識論であり、カントを重んじる。
    『意思と表象としての世界』
    ヘーゲル哲学から、ショウペンハウエルの哲学に代わっていった。
    ショウペンハウエルは、ニーチェ、ベルグソン、フロイト、ユング、マーフィらに影響を与えた。
    第二部
    読書については、切り抜きだった。ふーむ。こんな手法もあるのだ。
    本を読めばバカになるという論調が、ショウペンハウエルにあったのだ。
    ちょっと、がっかりである。
    「読書中のわたしたちの頭の中は人の思考の遊び場であるに過ぎない」
    「紙の上に書かれた思考とは、決して砂の上の足あと以上のものではない」
    「私たち読者の側に関して言えば、非読書術が極めて重要である」
    「読者は印刷されたてのものばかり読みたがる。
    つとめて古典を読め。まぎれもない本物の古典を」
    「本物の文学と、うわべだけの文学が存在する」
    「思想は世界を動かす。それゆえ哲学は本来、正しく理解されれば、最強の実利的な力となる」
    ふーむ。ショウペンハウエルはいうだろう。「この本は悪書であり、読むべきではない」と
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    投稿日:2022.10.26

  • katotake

    katotake

    前半は著者ショウペンハウエルの解説。
    私は著者のことを知らなかったので概要を知ることができて参考になる。

    読書とは、私たちの代わりに誰かが考えてくれることであり、その人の心の動きを反復しているだけ。
    読むことばかりに慣れていると、極端な場合は自分で考える力を全く失ってしまうのだ。

    本を読んでいる時、考えるという作業の大部分が免除される。

    反芻することによってのみ、人は読んだものを身につけることができる。
    多読、雑読。していれば、そのうちにだんだんと本を選べるようになる。
    役に立つかどうか分からない本は読まない。というのは点滴で栄養を摂ることに通じる。それでは胃や腸そして歯は発達しないだろう。

    読んだら自分で考える。そうしないと自分の中に根付かない。

    良書を読む条件は、悪書を読まないことである。人生は短く、時間と労力には限りがあるのだから。

    古典を読む。しかも原書を読むこと。
    一方で、著書はベストセラーをなるべく読もうと心がけている。ベストセラーは、少なくともその時代の何かを反映していると思うからだ。

    本を読んでどんどん忘れても良いのである。忘れるようなものはいらないと諦めて構わない。

    自分の読んだものが身に付いたかどうか確かめる方法がある。それは書くことだ。
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    投稿日:2022.07.10

  • yuusukee

    yuusukee

    ショウペンハウエルの「読書について」を読もうと思って手に取ったら、右寄り爺さんの居酒屋噺だった。。
    冒頭のデカンショのくだりでなにやら悪寒を感じたのだけど、つい撤退できずに読み切ってしまった。
    ひょっとしたら「読書を盲信してこんなものを崇めるなよ」と、身をもって教えようとしたのかも。
    いや、ないな。
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    投稿日:2021.03.14

  • 坊一郎

    坊一郎

    反芻することによってのみ、人は読んだものを身に付けることができる。
    という指摘は鋭いと思った。
    反復は習得の母らしいので実践したい。

    投稿日:2021.02.17

  • macmarry

    macmarry

    このレビューはネタバレを含みます


    読書については本来2巻本の一部であり、これはさらにその断片を切り取り、致知で著名な渡部昇一が、訳と自身の異論を含む解説をつけた形式。以前の本を読む本でもあったが、解説・解釈があっているかは確認すべきだが、それなりに納得はできる解釈。原著の内容よりも訳者のエピソードが面白い。読書後に自分で考える・書く・伝える・自分の意見を述べるといったアウトプットをしないと意味がない。渡部は本に、妻は自宅に金をかけ教養と快適な暮らしを生前から享受。子供に金を使う話や自身の哲学にお金を使う話は非常に感銘を受けた。

    父の自殺、母との相性が悪い、母や妹の小説の方が売れた、この辺りは彼の哲学を読む上での前提。
    「読書とは自分で考える代わりに他の誰かにものを考えてもらう事」「大量に、また一日中読書する人は自分で考える能力を次第に失っていく。自分の思考への従事から離れて読書に移るとき安堵感を得られるのはそのため。」文章を書いたりアウトプットすることは自分で考えながらやらないとできない。読書ばかりしていても、それについて自分で考える・書く・伝える・自分の意見を述べるといったアウトプットをしないと意味がない。論語なら、学びて思わざれば則ちくらし思いて学ばざれば則ちあやうしの前半部分。
    「反芻することによってのみ、人は読んだものを身につけることができる」これは哲学書的な一読で理解しづらいものだけではという感じ。訳者も異論を出し、全ての本でやる必要はないと説く。訳者は雑読・多読により取捨選択できるようになるとともに時期を空けて年を取ってから再読することで感じ方や得られるものが違うというスタンス。これは正しいと思う。
    「読書に費やすことのできる限られた時間を、あらゆる時代と民族に偉大な、他の人間からはるかに傑出した精神の生み出した作品、評価のゆるがないこれらの作品にあてよ」いわゆる古典や名作と呼ばれるものだが、こればかりでは正直読書が嫌になる経験も。色々読むほうが結局続く気がする。
    「良書を読むための条件は、悪書を読まないことである」訳者も否定的で、自分の母や娘が書いているような通俗的小説などを悪書といっているのかもしれないが、そもそも良書を見分けるための力は多読から生まれるものだと説く。また、哲学等については、身の程を知るべきであって、分かりもしないうちに分かった気になっても意味がない。分からないこともあるという方が本当だろう。
    渡部は、ベストセラーはなるべく読むようにしているらしい。少なくともその時代の何かを反映していると思うから。時代を見るために、過去のベストセラーに関心があるとのこと。詩も意外に年をとっても読めるらしい。自分なりの解釈がしやすいからかも。
    「頒布は習得の母と言われる。とにかく重要な書物は間を置かず二度読むべき。結末を知ることで冒頭を正しく理解できる」ある意味その通り。間を空けて読むのもあり。
    渡部は、アメリカで客員教授をしていた一年で現地の通俗小説ばかり読むようにしたらしい。現地の人と同じぐらいに楽しめるようになりたいと思い始めたとのこと。中でも「エリザベス・アルプトン」が役に立ったと。子供が不良になり、親が金をかけてくれたらと言われる話だが、ここから、「子供というのは、必要なときに金を使ってならなければ駄目だ」と感じたらしい。そこで、渡部は、借金してでもと覚悟し3人の子供を望まれた音楽の道に勧めたらしい。弦楽器で留学もさせたらしい。貯めていたらちょっとした資産家になったかもしれないが、子供が年をとってからお金をもらっても意味がない。旅行など散財するくらいしか使い道がない。渡部は本に金をかけ、妻は自宅に金をかけるというスタンスらしい。教養と快適な暮らしを生前から享受できる。
    子供に金を使う話や自身の哲学にお金を使う話は非常に感銘を受けた。特に、子供の話はこの通りにしなければと感じた。野村監督の座右の銘を思い出す。「金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流」。「財を残すは下、仕事・業を残すは中、人を残すは上」という後藤新平。
    史記もよいがだらだら長いので十八史略がコンパクトでいいらしい。また、何が古典として残るかについて、アーノルドベネット曰く、少数の熱狂的な読者を持った作家のみが残るということであった。大衆小説の流行作家の本が消えていくことを思うと説得力がある。渡部曰く「自分にとっての古典とは、自分が繰り返し読む本」。
    ショウペンハウエルの悲観の哲学。人間の根底にあるのは「生に対する盲目的意思」であり、人間は満足することなくこれに動かされ、終わることなき苦悩となる。この哲学が悲観と言われる所以。仏教にも影響を受けており、苦悩から逃れる方法として、解脱のようなことを説く。1つは、生に対する盲目的意思を捨てる。例えば、童貞・未婚・粗食など。もう1つは芸術に触れること。一時的ではあるが、芸術的な直観はあらゆる制約から脱して事物を直観的に感ずる。

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    投稿日:2020.06.13

  • kusukosu214

    kusukosu214

    「読書とは、自分で考える代わりに他のだれかにものを考えてもらうこと」という痛烈な一節で有名な本書。「読書してるからそれでいいと考える人への警鐘本」だと奥様に薦められて図書館で借りた、ら。
    渡部昇一の独壇場でした。
    これ、「新訳」とはあるけれどまぎらわしいかも。読むとしたら、本家が先だと思う。途中で放棄。
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    投稿日:2020.01.15

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