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水木楊 / PHPビジネス新書 (13件のレビュー)
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総合評価:
Reader Store オフィシャル
5
その海賊は、“私益”よりも“思想”を優先させた
百田尚樹氏の『海賊と呼ばれた男』で脚光を浴びた、出光興産の創業者・出光佐三氏の一代記。戦 後の苦境のなかでも、社員を一人もクビにしなかったという出光氏の信念の根底を、幼少期の経験 から描く。 「陸の…上では売らない。海の上なら問題ないだろう」という“海賊”と呼ばれる所以となった言葉 や名言を章ごとに掲載。何度も自殺したという噂が流れるほどの状況になりながらも、人間を大切 にする新年を貫き通した出光氏の生き様が、言霊を通じて伝わってくる貴重な一冊。続きを読む
投稿日:2014.01.28
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3
出光さんの伝記
同じ出光さんの本でも海賊と呼ばれた男よりこっちの本の方が面白かったです。
投稿日:2013.11.05
出光佐三 反骨の言魂(ことだま) 日本人としての誇りを貫いた男の生涯
「海賊と呼ばれた男」の方はいかにも小説という感じなので、出光佐三の生き方を学びたいと言う方にはこちらのほうがよいかもしれません。
投稿日:2013.11.07
2
ごめんなさい
出光さんがこんなすごいことやってたなんて初めて知りました。 国難の時代にキラリと光る名言満載の一冊です。
投稿日:2013.11.03
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Kohei Matsumura
今の日本ではブラックと言われるかもしれないけれど、信じた大義を何がなんでも貫き、人を引っ張るリーダーに感動
投稿日:2021.05.29
rafmon
百田尚樹の海賊とよばれた男で出光佐三を知った。シンプルにカッコ良いと思い、もっと知りたいと思って手に取った本。その期待は全く裏切られない。何故カッコ良いのか。自らの私利私欲よりも、成し遂げようとする大…義に生きる姿勢、強者に巻かれない強さがあるからだ。その実力と徹底した姿勢が人を惹きつける。読めば読むほど、奮い立つ。こんな風に生きたいと、素直に思える一冊。続きを読む
投稿日:2018.07.07
monmon
読み終わるのが惜しいくらいの本だった。運というのは実力が伴わなければそれに気づかずやり過ごしてしまうものなんだなと教えられた。運が味方してくれるとき、それは自分がそれだけものごとに向かいあって努力した…結果なんだろう。自分もそうあるように努力したい。続きを読む
投稿日:2016.08.29
kingasia722
アングロサクソン流経済観念に毒される事のなかった稀有な経営者、出光佐三。彼の情熱と狂気が良く描かれた良作。これを読むと百田尚樹のアレは、実話ばかりで、所謂"小説"じゃないことが良く分かる。
投稿日:2015.04.24
yasz
今では株式上場も果たし東京の日比谷公園の近くに本社を構える出光興産ですが、会社を創業した頃は、日本石油(現JX)の代理店のような仕事をされていたようですね。 戦争の前後を通して、出光興産が他の日本の…石油メーカと異なった独自の道をどのように歩んできたのかがこの本に集約されています。 この内容を小説、映画化した「海賊とよばれた男」は、両方見て感激しましたが、この本はその「ネタ本」のような位置づけですね。 豊かになって、それに慣れきっている日本人の中から、どれほど「出光氏」のような起業家が出てくるかわかりませんが、彼が最後まで拘った「人を大切にする経営方針」は、今後の日本企業の経営者も忘れずにいてほしいと思いました。 以下は気になったポイントです。 ・出光氏は神戸高商の卒業論文において、石炭が主エネルギー源として降盛をきわめていた時に、石炭に対する石油の有利な点を上げた、採掘に労力かからない・エネルギー量に比べ積み込み重量が減る・煤煙がない・積み込み時間が少ない・遠距離輸送可能・管理容易(p39) ・日田氏は出光氏に資金提供にあたり、1)従業員を家族と思い仲良く仕事する、2)自分の主義主張を最後まで通す、3)自分が金を出したことを人に言わない、という条件をつけた(p48) ・店を開いてすぐに、出光は日本石油の下関支店を訪れて、日石の特約店にしてくれないかを申し入れた(p50) ・大正3年5月に、南秋田郡金足村で、黒川油田5号井がものすごい油を噴出し、日石の株価は連日のストップ高となった。当時、日本は使いきれない油を手にした(p57) ・機関車の実験において、出光油は外油に勝利したが、出光油は引火点が130度で規格に満たしていないことを外油の技師たちは文句をつけた(p77) ・石油精製業者は全国に直営のガソリンスタンドを持ち、消費者に直接製品を売っているが、それは出光が発明したシステム、当時は生産者と小売業者の間に卸売業者が介入するのが常識であった(p86) ・出光が株式会社方式を採用したのは昭和14年、12月には上海に資本金1000万円の「中華出光興産」、同月に、資本金150万円の「満州出光興産」、15年には資本金400万円の「出光興産」を東京に置いた(p90) ・満州石油は、需要の半分を売り、残りを外油に与えていた、内地のメンバーは、日石・三菱・小倉・丸善などのほかに満鉄と三井物産(p110) ・日本軍は昭和17年1月にフィリピンマニラを占領、ビルマ、シンガポールを支配し、3月にはジャワ島に上陸したので石油の問題は一気に解決した。石油生産量は年産1000万キロリットルで日本の全需要以上であった、このとき出光の親会社である日石は、帝国石油に吸収された、このとき出光と日石の縁が切れた(p122) ・太平洋戦争において、日本人の戦死者は民間人含めて300万人、船舶の80%、工業用機械の34%、一般家庭の家財の20%、国富の4分の1が消失した(p133) ・特殊整理委員会が、旧三井物産のタンク群を三井系のゼネラル物産に売ろうとしているのを、熊谷商会と一緒に抗議して認められた。そのおかげで出光は6つのタンク(徳山、門司、宇部、大阪、釜石、釧路)で一番札を取った、これが出光が今ある原点である(p163) ・昭和24年3月、外油(スタンダード、カルテックス、シェル)および日本石油、昭和石油、三菱石油、日本鉱業、ゼネラル物産、日本魚網船具、とならんで出光も元売業者になった(p164) ・昭和30年代半ば、全国の農家は家庭用の熱源を薪炭から灯油に切り替えた、薪炭地の雑木を伐採しなくなったので、マツタケが姿を消して高級食品になった(p264) 2014年3月22日作成続きを読む
投稿日:2014.03.22
Excia
「海賊とよばれた男」で出光佐三に興味を持ち、あわせて読んでみました。 万感胸に迫るものがあります。 限られた字数で感想を纏めることができません。
投稿日:2014.02.02
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