【感想】偶然性・アイロニー・連帯 リベラル・ユートピアの可能性

リチャード・ローティ, 齋藤純一, 山岡龍一, 大川正彦 / 岩波書店
(8件のレビュー)

総合評価:

平均 3.5
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ブクログレビュー

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  • gakudaiprof

    gakudaiprof

    NHK100分で名著で放送している本である。非常に読みにくく内容が頭にすっとは入ってこない。本で読むよりも放送で聞いた方がよくわかる。原文が難しすぎるのか、あるいは翻訳との相性が悪いのかよくわからない
     学生にもどうやってすすめていいかよくわからない。
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    投稿日:2024.02.17

  • り

    やべ〜、『資本論』ぶりに全然頭に入ってこないし何言ってるかわかんない←哲学に造詣深くないので最初は苦戦したけど読み通していくうちに言いたいことはなんとなくわかってきた

    第三部に入ってから読みやすくなった…ような気がする。文芸批評的趣きが強いからかな。ナボコフやオーウェル批評としても興味深いのでこの機に『一九八四年』読み返したり『ロリータ』『青白い炎』読みたくなった
    『一九八四年』の拷問についての解説読んでると韓国の小説『生姜』思い出す
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    投稿日:2024.02.03

  • yasu-san

    yasu-san

    https://www.iwanami.co.jp/book/b260939.html
    https://1000ya.isis.ne.jp/1350.html
    https://ameblo.jp/yasuryokei/entry-12838972663.html続きを読む

    投稿日:2024.02.02

  • kakano

    kakano

    前作『哲学と自然の鏡』において普遍性を目指す営みとしての哲学を批判的に解体したローティはその批判を突き詰め、表題にもなっている「偶然性」、「アイロニー」、「連帯」をキーにリベラルユートピアの実践の可能性を探索する。

    リベラルユートピアに必要なことは
    アイロニーによる私的な領域と
    残酷さへの意識という公共的な領域とを並存させることだとローティは説く。

    本書では、私的領域を開発していくアイロニストの例としてプルーストやデリダが、
    残酷さを描き出すことによって連帯に寄与した例としてナボコフやオーウェルが検討されていく。

    わたし個人、特に興味を惹かれたのはアイロニストとしてのプルーストについての言及だ。ローティが使用するアイロニストの意味はやや特殊である。
    ローティの言う「アイロニスト」とは普遍性、永遠性、固定的な真理性とは対照的に「偶然性」をもって臨んでいる者のことである。変化することのない絶対的な真理や存在を求めない、いや、そもそもそんな問題にかかずりあわない。自分が関係を持つことになった対象、-それは必然的に偶然性以外のなにものでもないのだがーを歓待する。そんなスタンスを有した者のことだ。

    アイロニストは偶然性を受け入れる。偶然性を受け入れるということは要するに、変化を受けれいることであり、それはまた時間性への意識でもある。
    プルーストがアイロニストの代表として取り上げられているのはまさにこの点においてなのだ。
    『失われた時を求めて』の最終巻のタイトルは「見出された時」だが、主人公は、貴族の没落、成り上がりの者の繁栄、美しき婦人の老衰、政治思潮の激変、憧憬を抱いたものへの失望などなどを目の当たりにし、それら圧倒的な変化としての「時」を再発見する。
    このように主人公が時を見出したことによって『失われた時を求めて』の執筆を決意し物語の幕が閉じられるのだ。

    整理すると『失われた時を求めて』を執筆したプルーストは、ローティの言う「アイロニスト」になるまでの過程を、アイロニストとしての眼差しで描き直したということになる。
    このあえてつくられた位相のずれはプルーストが本来の意味でも「アイロニスト」たることを証立てていると言えるだろう。
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    投稿日:2021.06.19

  • 波瀬龍

    波瀬龍

    wired・近代と社会・7位

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    【要約】


    【ノート】
    「リベラル・アイロニスト」という立ち位置から、新たなリベラリズムの地平を目指したアメリカの哲学者は、本書で現代において人間の連帯がいかに可能かを指し示す。続きを読む

    投稿日:2018.10.28

  • bax

    bax

    [ 内容 ]
    人間の連帯は、真理の哲学的な探求によっては不可能である。
    他者が被る残酷さに対する私たちの感性を拡張することによって、連帯は達成されるのだ。
    20世紀後半を代表する哲学者が、ありうべき社会はいかに構想されるかという課題を、永遠に自由を実現してゆく終わりなき過程である「リベラル・ユートピア」として描き直す。
    世界中に大きなセンセーションを巻き起こした「哲学と自然の鏡」の政治哲学的帰結―衝撃の問題作。

    [ 目次 ]
    第1部 偶然性(言語の偶然性;自己の偶然性;リベラルな共同体の偶然性)
    第2部 アイロニズムと理論(私的なアイロニーとリベラルな希望;自己創造と自己を超えたものへのつながり―プルースト、ニーチェ、ハイデガー;アイロニストの理論から私的な引喩へ―デリダ)
    第3部 残酷さと連帯(カスビームの床屋―残酷さを論じるナボコフ;ヨーロッパ最後の知識人―残酷さを論じるオーウェル;連帯)

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]
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    投稿日:2014.10.31

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