【感想】曼陀羅華X

古川日出男 / 新潮社
(6件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • yakiudon41

    yakiudon41

    ちょうど今、ついったもXになって、なんか旬?
    それはそうと古川さんの本の中では読みやすいというか、難解な方ではなかった。

    投稿日:2023.07.29

  • ウロボロス

    ウロボロス

    このところ、現実に起きた事件を題材とした小説を連続して読んだ。円地文子「食卓のない家」(1972年、連合赤軍事件)、早見和真「八月の母」(2014年、愛媛県少女監禁暴行致死事件)。そして帚木 蓬生『沙林 偽りの王国』は、昨年出版され、医師でもある作家によってその実体とサリンという未知の化学兵器の恐ろしさを詳細に報告している。さらに本年2月に、古川日出男による『曼陀羅華X』が出版された。これもオウム真理教事件をその題材としているが、他の作品と比して破格である。帯には次の文章がある。
    『寓意と熱情に満ちた当代随一の琵琶法師的文学』『もしも━━ステレオタイプでない文学をするならば、ここまで来い』とある。

    『そこまで行こう』と読みはじめ.....読了した。粗筋を要約すると、1995年3月30日に、東京の地下鉄にサリンを撒いた宗教団体に作家・小説家である「私」は、拉致され、今後の教団の預言書を書くように指示される。教祖は警察に逮捕される前に『受胎のイニシエーション』によって六人の女性にそれぞれ子を孕ませる。そのうちの一人の女性が教団の真の母胎として教祖の遺伝子を、いや教祖そのものを、未来永劫まで永続させる子として啓(けい)と名付けられた二代目教祖を生む。そして大文字Xとして教団に拉致された作家を「私」、その預言書にしたがって啓を生んだ女性を「わたし」=大文字Yとしさらに作家の手になる二本の小説の登場人物であるラジオのDJを「ワタシ」としての三者の視点からなる一人称語りによって構成される。

    啓を戸籍上の息子として引き取った私は、教団を脱出し、息子と、しばしば訪れる作家=私のガールフレンドとの奇妙な協同生活を営む。啓は、生まれながらの聾者であり、会話は、手話と読唇術でおこなわれる。

    そして物語の大団円は2004年のアテネオリンピック後の東京でむかえる。それは、国家対宗教団体対作家との三つ巴の戦いとしてその結末を用意する。

    『受胎のイニシエーション』によって孕まれた啓以外の五人の子供たちは頭頂にスティグマ(聖痕)を刻印される。

    そして五人の嬰児には66936の数字のスティグマ(聖痕)を彫った。6と9は回転像であり、鏡面像であり、反キリストとしての666に9と遊びごころとして3を加えることでその真意を翳ませる。

    「君たちは妊娠した。(中略)『受胎のイニシエーション』を授けられた五人だ。(中略)幸いなるかな全員が身籠った。(中略)教祖は、あるいは教祖に順っているわれわれは、地上の道徳はとうに越えている。(中略)道徳ではない事象(もの)も越えている。たとえば法則だ。たとえば超越的な魂は同時存在する。(中略)時間の場合に起きるのが輪廻だ。空間の場合にも起き、これを新たな物理学の段階であるとする。教祖はあちらにおられてこちらにも感じられると説く。

    この作品は、古川日出男がこれまで読んで影響を受けた文学作品、フォークナーの「八月の光」「アブサロム、アブサロム」、オスカー・ワイルドのオペラ歌劇「サロメ」へのオマージュでもある。そして以下の文章に作家としての決意と矜持を感じる。

    「私たちの東京が静けさを失ったから」の文章表現が文学的?世間の文学は通俗な修飾、ステレオタイプを指す。人がその喉から発する音声を「美しい声」と言われもする。「鈴を転がしたような美しい声」は見事な表現だと讃えられもする。それを美でもって形容した途端に、いっさいは損なわれる。このような形容が暴力として他者をも損なう。他方には醜い声を誕生させる。言葉は.....言葉こそは転(まろ)ばさなければならない。そして聾者として生まれおちた者は「聾者たちの十字架」を背負わされる。

    1948年制定の「優勢保護法」は陳腐な文学である。その十字架を転がすのだ。重いが斜めに傾けるのだ。すると十は傾いでXとなる。
    もしもステレオタイプではない文学をするならば、ここまでこい。と古川日出男は挑発する。

    この預言書には21世紀の「いなご」を登場させる。

    大学生の政治集団(いなご)の思想の核心は、「改憲せよ」である。自衛隊は、憲法上きちんと位置づけられなければならない。九条を見直し、平和憲法を維持するか、交戦可能な軍隊と認識し平和憲法をを棄てるか?どちらかを選べと迫る。これは、現状のウクライナを考えると避けては通れないところまで来ている。

    それにしても古川日出男の文体を考える上で次の引用文(自分の要約文)は興味深い。

    私は、(わたしも)蓮華坐を組み呼吸に集中する。意識と呼吸を同期させ尾骶骨と頭頂骨を大地に垂直に立ち上げ、そこにエネルギーを集中させノックする。ノ・ノ・ノ・ノ・ノ・ノ・・・・
    呼吸はフ・フ・フ・フ・フ・フ・フ・・・・・
    ツ・ツ・ツ・ツ・ツ・・・・とすら鳴る。するとどうだ?無知はあっさり絶ち切られ花を観想する。天から雨(ふ)る美しい白い華。曼陀羅華。

    古川日出男の文章は、声と呼吸にその原点をおいて語られ騙られるのではないか?
    血の繋がりのない息子=啓とのコミュニケーションにその予兆を感じた。問題作であり、大傑作である。私たちは、オウム事件を松本サリン事件を地下鉄サリン事件を忘れてはいけない。
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    投稿日:2022.05.29

  • scaramouche

    scaramouche

    このレビューはネタバレを含みます

    新興宗教、予言書、小説、ラジオ、そして父と子に纏わる長編小説。話の筋は割にあっさりしているけれど、いつもながらディティールと構成の妙に圧倒される。読後、カバー下の遊びにもにやりとさせられた。

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    投稿日:2022.05.26

  • ニジム

    ニジム

    読んですぐにこれはオウム真理教と一連の事件を念頭に置いた作品であることは分かる。しかし、それをどう感じるかは、人によってだいぶ違うだろう。当時、親しい人たちが入信したり、被害にあったり直接的な影響があった人たち、わたしのように、同時代に生きながら、半分笑ってたり、何もできなかった人間もいる。テレビで中継される事態に目を離せなかった人も多数いるはずだ。また、存在自体を過去のものとして、終わったものとして遠くに認識している人も多いだろう。
    当時、わたしたちは少なからず傷付いたはずなのに、すでにそのこと自体も忘れて生活している。日々のことにかまけて普段思い出さないくらいならいいが、わたしたちはあまりにも簡単に忘却し、また同じ過ちを犯しがちなのだ。ああいう事態が起きた根本原因は解消しておらず、なあなあのまま時だけが経過している。風化しつつある。
    古川日出男は、それではいけない、何度でも思い出し、考えるのだ、と呼びかけているのではないか。彼が初めて著したノンフィクション『エフゼロ』もまた同じ思いで書かれたのだろう。
    物語は、拉致監禁され、否応なくではあるがカルト教団の芯を作り上げることになった60代の作家Xと当時彼が拉致し自分の子供として育てることにした教祖二世の啓(けい)、対する教団側は、啓の生みの親であり教母として教団を実質上取り仕切るYを此岸と彼岸として語らせている。そして、彼らを結果的に繋ぐDJX。小説から生まれたラジオ番組が彼らを繋ぎ、接近させる。物語の大半は離れたところから語られるが、後半になると速度は大幅に増し、転がり出す。それは、「細工は粒粒仕上げをご覧じる」といった趣で、しかし、思わぬ展開に最後は放心状態になった。
    古川の文体はしばしば読みにくいと評されるが、それは彼の物語に入っていくためのイニシエーション的な側面があるのだろう。あくまでも現実の地続きの世界を描きながらも、フィクションとして屹立している。だから、設定もいちいち細かく精確で、決して輪郭を曖昧にはしない。それがフィクションを描く際の彼なりのけじめなのだと思う。
    彼の作品は、その真摯な姿勢が印象的だが、そこに描かれることは大真面目であるからこその滑稽さがにじみ出ている、そのバランスがいいんだよな。ちなみに、著者による朗読で聞いた田沼意次(もちろん本物ではない)は福島弁のおっさん口調であった。
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    投稿日:2022.04.13

  • 踊る猫

    踊る猫

    J・G・バラードが描くカタストロフや、あるいはチャック・パラニュークが現代世界に注ぐ冷徹な眼差しを連想させる。もちろんスティーヴ・エリクソンの想像力とも共振する(彼らのルーツを辿っていけば、この本でも特権的な名前で登場するフォークナーにたどり着くだろう)。しかし、そうした先人たちと比べれば古川日出男は実に軽妙に、それこそDJのように現実世界の歴史と想像の世界を、その熟達した筆でミックスさせ繋いでいく。ただ、その想像力を裏打ちしているのは古川の真摯な「語ること(=『(物語を)産むこと』)」への情熱かと思った続きを読む

    投稿日:2022.04.07

  • あだちたろう

    あだちたろう

    独特の文体で、難解な物語だった。カルト教団に拉致されたXと、カルト教団の権力者Yが交互に書かれていて、どちらもとりとめのない独白のような文章で、不思議に引き込まれる。が、どちらも、一体何が目的で、動機は何だったか読み解けなかった。
    教団の息子、啓が愛されてすくすくと育つのに救いを感じるが…彼の将来はどうなってしまうのだろうと考えるとやるせなくなる。
    続きを読む

    投稿日:2022.03.21

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