【感想】神の子どもたちはみな踊る(新潮文庫)

村上春樹 / 新潮文庫
(551件のレビュー)

総合評価:

平均 3.7
96
199
167
23
2

ブクログレビュー

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  • okz

    okz

    阪神淡路大震災や当時の世相から着想を得たのだろうか。無関係にしかみえないもの同士が共振し、自分の大事な何かを揺らがされたような気がする。

    投稿日:2024.05.30

  • 傘籤

    傘籤

    どの短編にも「震災」という要素が何らかのかたちで組み込まれており、書かれた年代を考えると阪神淡路大震災のことに想いを馳せていたのだろうと想像できる。隠喩が隠されているような台詞や展開やモチーフが多く、オチについても読者に解釈を委ねるような、良く言えば開かれた、悪く言えば不明瞭な終わり方が多い。いや終わり方どころか進行もなんだか曖昧模糊な印象だ。村上春樹らしいと言えばらしいので、こういうのが好きな方には刺さるだろうなと思う。なので一応自分なりにどういう意味なのか考えながら読んだので、一遍ごとの感想も下記に残しておきます。長編『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』に近いテーマもあると感じたし、『すずめの戸締まり』に影響を与えた短編も読めたのでそれは収穫でした。おそらくは直接的に書くことを避けることで、震災の恐怖や悲しみを予感のようなかたちで均一化して残す、という意図があるのでしょう。「悲しい」という感情をそのまま描かないことで、より悲しさを伝えることが文学には出来る。そうして見るとこの作品集はまさしく”村上春樹らしい”文学的な短編集だと思います。

    「UFOが釧路に降りる」
    震災が起き、実家へ帰ってしまった妻。そのまま「二度と会いたくない」と言われ離婚をすることになった夫。彼が運んだ箱のなかに入っていた物が「自分」だったのなら、彼はいまよりさらに空っぽな存在となったということであり、同時に新たにこれから詰め込むことが出来る「生まれたばかりの状態」に戻ったということなのかな。

    「アイロンのある風景」
    茨城県の海岸沿いに住む女性と、流木で焚き火をする男性との会話の中には震災の記憶が背景としてうっすらとあり、主人公は自分のことを「からっぽ」だと感じている。「UFOが釧路に降りる」と似たテーゼを込めているのだろう。終盤でふたりは”真剣に”死について考え、焚き火が消えたら死ぬことを実行に移そうと言って幕を閉じる。しかし焚き火が消えるということは、寒さで目を覚ますということでもあり、これまた生まれ変わることを意味してるのかなーと思った。
    んーでも、「描いたアイロンはアイロンではない」と言ってたし、また別の意味合いもありそう。わからん。

    「神の子どもたちはみな踊る」
    信仰についての話。あと野球についての話。読みながら『海辺のカフカ』の短編版みたいな内容だと思った。善也が父親らしき男の影を追いかけたのは何のためだったのか、という点がこの話のフックであり、おそらくテーマにも繋がっているのだろう。父親を探すことはイコール神を探すことである。しかし善也が父親(=神)に出会うことはない。彼は神を見失う。母親に性欲を抱くことは罪の象徴ではあるものの、それは同時に父親への嫉妬心から来るものだ。オイディプス症候群。だから父親を見失った瞬間に善也は信仰から解放される。母への葛藤もおそらくあのとき消えたのだろう。そうしてそれまで抱えていた父や母といった”偶像”への信仰は消え去り、野球をすること、踊ること、かえるのように身体を動かすことが、彼にとっての信仰となる。神は外部では無く善也の中にこそ存在しているのだ。時代的にオウム真理教の事件を連想するが、この短編においては、いわゆる「宗教2世」である善也が自身の神を見つけるところまでを描いている。

    「タイランド」
    失ったものと、固まった心。何故生きていかねばならないのかという問いを経て、そこに意味は無いという答えに行き着く。その答えはひどくありきたりなものだなと感じるけれど、そこに向かうまでの道程が妙に詩的でつい「良いこと言うなあ」という気持ちになりそうになる。でもやっぱりありきたりだし、すこし投げやりだ。

    「かえるくん、東京を救う」
    『すずめの戸締まり』の元ネタのひとつ、と言われているらしい。話の筋は唐突に現れた2メートルくらいの大きな蛙「かえるくん」にミミズくんによって引き起こされる「地震」を止める手伝いをしてほしいと頼まれた男の顛末を描くというもの。「ミミズくん=地震の象徴」という点や、起こる前に地震を止めるという展開、人の言葉を解する生き物、夢のような場所で解決されるという点、などなど確かに共通項が多いです。
    主人公の男は誰からも注目されず、むしろ軽んじられながら40年間生きてきており、しかし誰かを憎むことも、かと言って執着することもなく、たんたんと自分の人生を歩んできた。それはおそらく彼が「どこにでもいる、誰でもない」存在の象徴ということを意味しているのだろう。そして彼のような存在に社会は支えられており、可視化されず、顧みられることも無いレベルの犠牲の上に人々の安心した生活は成り立っているということか。「かえるくん」は夢の中でミミズくんと戦い、地震を止め、震災が起こらなかった「いま」を作り出す。だから「かえるくん」が”損なわれて”しまうのは必然的な流れだ。だってこれは犠牲についての話だから。男は「かえるくん」のことが好きだった。そのような犠牲によって社会が形成されていること。彼らに対する哀悼と慈しみの感情が男の中にはあり、自分の中にその感情があることを見つけ、男は眠りにつく。
    『すずめの戸締まり』ではさらにその先の救いを、「自分を抱きしめるのは自分自身であり、常に、すでにその愛は存在している」ということを描こうとしていたと思うのだけど、それはまた別の話。

    「蜂蜜パイ」
    主人公の職業が小説家であるという点を考慮すると、ダイジェストで人生を見せていく構成は意図的なものだろう。作中でもそれに近い台詞を言っているし、小説を書くこと、短編を書くこと、物語を語ることを作者である村上春樹がやや俯瞰的に見つめて、その意味を咀嚼するように描かれた話、のような気がした。そうしてラストを読むと、自身の人生は語ることによってかたちを変え、より希望のあるものにできる、というとても前向きなテーマが受け取れる。ちょっとポジティブに過ぎる結論であんまり好きではないのだけど、作者が自信にとってのセラピーみたいな意味づけで書いたのだとしたら、これもありか、と思えた。
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    投稿日:2024.05.07

  • 本ぶら

    本ぶら

    このレビューはネタバレを含みます

    村上春樹の小説は面白いのは面白いんだけど、触感がツルンとしているから、どんなに良くても★は4つと決めているw
    ただ、これは★5つ(^^)/
    というのは、読んでいて感じる触感があるからだ。
    あー、小説だなぁーっていう感じ?
    そこがいい。

    それを感じたのは、1話目の「UFOが釧路に降りる」。
    主人公の小村が何に巻き込まれているんだか、別に何にも巻き込まれていないんだかわからない、人を食った展開にザワザワっとするんだよね。
    最後に、小村の胸に指先でまじないのようなものを描いたシマオさんが、「でも、まだ始まったばかりなのよ」と言うのも小ジャレているし。
    なにより、胸に女性の指を感じるような錯覚を覚えて。
    思わず、ニヤニヤしてしまった(^_^;)

    2話目の「アイロンのある風景」は、砂と風を感じる。
    椎名誠の『あやしい探検隊・北へ』のあの感じ(^^ゞ
    厭世感?、諦観?、達観?
    オレはオレ/わたしはわたし、世間は世間?
    選挙なんて行くか、ばーか…、みたいな(爆)
    そういう優しさ、お気楽さ。そして、悔やみきれないなにか。
    もしかしたら、ちょっとうらやましいのかもしれない(^^ゞ

    3話目、「神の子どもたちはみな踊る」は、『1Q84』の牛河が『1Q84』の主人公になったような話(?)。
    読んでいて、なんだか薄気味悪くなってくるところは好み。
    ていうか、村上春樹でなく村上龍が『1Q84』を書いたらこういう感じになるのかも?w

    4話目、「タイランド」も宗教…、というよりスピリチュアル?
    というか、東南アジアとかインドとかで、この手の占いで気づかぬ間にボラれてることは普通にありそうだ(ーー;)

    5話目の「かえるくん、東京を救う」は、まさにThe 村上春樹って感じ。
    村上春樹って『ノルウェイの森』を出すまでは、こういうポプな小説を書く作家というイメージだったように思う。
    ていうか、村上春樹の本質って、こういうポップさにこそあるんじゃないのかな?
    ただ、同時に「僕が…」、「僕が…」的なナルシシズムが強烈にあるから。
    同じようにナルシシズムの強いファンたちから、「それこそが村上春樹の妙であり、ボク/わたしが求める村上春樹」みたいに受け取られることで、それが世間での村上春樹評みたいになっているけど。
    でも、そのポップな部分というのは、齢を経て、あるいは時代を経て、いろいろ変わっていったとはいえ、今でもあるんだと思う。
    もっとも、最近は徐々に時代から遅れ始めているよーな気がするしw
    なにより、ユーモア精神がなくなってきているから、ポップがポップじゃなくなってきている面が多少ある。
    ただ、ポップじゃなくなって枯れた村上春樹というのも、それはそれで味なのかもしれない(^^ゞ

    『フクロウは黄昏に飛び立つw』から始まって、『ねじ巻き鳥クロニクル』、『1Q84』、『ノルウェイの森』、そしてこの『神の子どもたちはみな踊る』と読んできて、だんだん気づいてきたのは、村上春樹の小説の多くに含まれている、著者特有のおフザケである「茶化し」だ(言ってみれば、村上ギャグw)。
    「茶化し」というとビートルズだけど、村上春樹はリアルタイムのファンなわけで。てことは、ビートルズのそれをわかっているはずだし。また、その影響を絶対受けているはずだ。
    つまり、村上春樹の小説には茶化しや皮肉、あるいは毒がたぁーーーっぷりと含まれていることを意識して読むことが必要で。
    それらを選り分けないで丸呑みしちゃおうものなら、たちまち、甘ぁーーーいナルシシズムの穴に陥ってしまうということなんじゃないだろうか?w
    村上春樹の小説を読む人は、『1Q84』の登場人物である青豆が思う、
    “そこにあるのはある種の病を到来するのを暗示するような暗鬱さだ。それは人の精神を芯から静かに蝕んでいく致死的な病だ。(中略)ここには間違いなく何か健全でないものが含まれている。”ということは、常に頭に入れておいた方がいい(^^)/
    なぜなら、人は、“何か健全でないものが含まれて”いて、“人の精神を芯から静かに蝕んでいく致死的な病”が内包されているものにこそ惹きつけられるからだw

    6話目、「蜂蜜パイ」は、これぞThe 小説って感じのお話。
    それも、かなりド定番で、くっさーーーい小説(^^ゞ
    臭イイ小説と言った方がいいかな?w
    村上春樹の小説を読んでいる人ならお馴染みの村上春樹オールスターズともいうべき登場人物が出てきてw、読者の期待に沿って話が進行していく。
    だからこそ、これはThe 小説とも言うべき、良い小説になっている。
    ストーリーの中で、ブラジャーがクスっと笑えると同時に、上品な色気を添えるいいアクセントになっていて。
    そこがニクい!(爆)

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    投稿日:2024.05.02

  • リン/タロー

    リン/タロー

    表題作が一番面白かった。
    何と言っても笑える面白さだからだ。
    新興宗教を題材にしていること、そして阪神淡路大震災の後に書かれたという時代背景からもオウム真理教をベースにしていることは間違いないだろう。
    宗教を深く信じている人を外側から見るととても滑稽である、ということを描きながらも、また全ての人間の営みは同じく滑稽なのではないかという気持ちにもさせてくれる。
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    投稿日:2024.04.29

  • miholanta

    miholanta

    阪神大震災をモチーフにした物語りたちということでずっと気になっていた。

    直接的ではないものの、みんなどこかに震災の影を潜ませていて、完全な当事者でない人たちにとってもあの震災は何かしらの影響というか爪痕を遺している気がした。それは自分も含めて。

    村上春樹っぽくない登場人物もいたりして、新鮮だった。

    最後に希望が、こんなに明らかな形で希望が提示されている村上春樹作品も珍しいのではないかと思ったけれど、とても晴れ晴れしく嬉しかった。
    『運命』の第四楽章のような、思い切り、てらいなく希望を示されるっていうのは嬉しいんだな。
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    投稿日:2024.04.25

  • Yomosuke

    Yomosuke

    最後のは2人の男と1人の女という小説家なら一度は取り扱いそうなテーマ。
    文章は日常的で具体的だけど、決心に至る男の心理は直接的には触れることなく描写している間接的な感じが日本的な美しさのように思えた。

    投稿日:2024.04.09

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