【感想】経済数学入門の入門

田中久稔 / 岩波新書
(13件のレビュー)

総合評価:

平均 3.9
2
6
1
1
0

ブクログレビュー

"powered by"

  • yonogrit

    yonogrit

    836

    田中久稔
    1974年福岡県生まれ。1997年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業、早稲田大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学、ウィスコンシン大学マディソン校Ph.D.早稲田大学政治経済学術院助手を経て、早稲田大学政治経済学術院准教授。専攻は計量経済学、理論経済学


    データを用いた実証研究が可能であるためには、経済学の理論は、明確に定義され客観的に観察可能な変数を用いて記述されなくてはなりません。「人生楽ありゃ苦もあるさ」とか、「元気があれば何でもできる」のような意味の不明瞭な命題には、どんなデータを対応させて、どんな分析をすればよいのか見当もつきません。そうではなくて、現実に計測できるさまざまな変数のあいだに明確に定義された相互関係、すなわち数式によって記述されることが、実証科学としての経済学には強く求められるのです。

    史上最初に現れた数理経済学者たちの代表格はアントワーヌ・オーギュスタン・クールノーです。クールノーは1801年にフランスで生まれ、力学・数学で博士号を取得した哲学者にして数学者です。経済学の歴史においてクールノーの名前を不滅のものとしたのは、1838年に出版した偉大なる著作『富の理論の数学的原理に関する研究』( Recherches sur les principes mathématiques de la théorie des richesses) でした。

    以上により、クールノーの並外れた先見性がわかっていただけたと思います。これほどの理論なのですから、当時の学界でもさぞや高い評価を得ただろうと思ったら、実際にはまったく正反対の結果となりました。人間の集まりである社会の性質を数学によって分析するクールノーの手法は当時の学界の激しい反発を招き、ほとんど人格攻撃のような批判を浴びた模様です。あらゆる面で現代経済学の先駆者であったクールノーは、数学無用論者による攻撃を受けたことでも私たちの先達であったのです。

    クールノーは落胆のあまり経済学の研究からしばらく遠ざかります。やがて気を取り直して、『数学的原理』の内容を数学は使わずに書き直した本を発表したり、いろいろと努力をするのですが、最後まで学界の理解を得られないまま、1877年に没します。享年、 75 歳。

    オーギュスト・ワルラスはクールノーの友人であった人物です。もともとは法律学を専門とし、経済学の研究もしていたようですが、職業的な研究者ではありません。したがって、クールノーの著作をどれだけ理解できていたかは不明です。しかし、その著作をクールノーから受け取り、それを自分の息子に渡した一事によって経済学の歴史に名を残すことになります。

    オーギュストの息子レオン・ワルラスは、1834年、フランスに生まれます。長じてエコール・ポリテクニークを受験するも入学はかなわず、一浪した後に再受験したものの、よりにもよって数学で失敗、ついに第一志望を諦めて鉱業学校に入学します。しかし、勉強に身が入らずに中退。そんなレオンを見かねた父オーギュストが、他にやることがないならこれでも読めと息子に与えたのが、クールノーの『数学的原理』だったのです。その一冊が、レオンの人生と経済学の歴史を大きく変えることになるとも知らずに。

    レオンはさまざまな仕事を転々としながら経済学の研究に邁進し、クールノーの仕事を受け継いで、数理経済学を土台から建設する試みを続けます。そして 36 歳にして、スイスに設立されたばかりのローザンヌ大学の経済学教授に知人のコネで就任、長きにわたったフリーター生活にピリオドを打ちました。

     レオン・ワルラスは、彼の理論を正確に記述するための道具として数学を縦横に駆使したため、同時代人の理解をただちには得られませんでした。それでも彼の著作はだんだんと読者を増やします。1909年には、研究生活 50 周年を世界中の経済学者から祝福され、ケインズやシュンペーターなど当代きっての経済学の巨人たちからも賛辞を寄せられるに至りました。その翌年、スイスの地にて没します。享年、 75 歳。

    クールノーによって創始され、レオン・ワルラスによって拡大された数理経済学の基礎工事を最終的に完成させたのが、ポール・サミュエルソンです。サミュエルソンは1915年にアメリカ合衆国はインディアナ州に生まれ、 16 歳でシカゴ大学、 21 歳でハーバード大学大学院に入学します。経済学だけでなく数学や物理学も修め、理工系の学生に交じって数学の講義を受けて教授を驚かせたりするなど、さまざまな天才的逸話に彩られた華やかな人物です。大学院修了後にはマサチューセッツ工科大学(MIT)に就職し、1947年に『経済分析の基礎』( Foundations of economic analysis) を出版するや、一躍学界の寵児となります。

    少し先取りになりますが、経済学では、実際のパンの取引は需要量と供給量が一致するときに実行されると考えます。需要と供給が一致しているとき、「パンの市場は均衡した」といい、このときはじめて、希望量であった需要と供給が実現します。

    あなたが①に記入した金額が、あなたがパン1個(またはケーキ1個、もしくはラーメン1杯)から得る便益なのです。したがって、便益の計測単位は日本であれば「円」、アメリカであれば「米ドル」、ブータン王国であれば「ニュルタム」になります。

    かのサー・アイザック・ニュートン(1642─1727) が、ペスト禍を避けて引き籠った田舎にて、 25 歳にして成し遂げた3大発見のひとつが微分積分です(あとの2つは光学と万有引力)。それから100年以上にわたり、ニュートンの後継者たちは「限りなく0に近いけれども0ではない」不思議な存在についてはあまり深く考えすぎないように努めつつ、ニュートンの微積分の力によって科学を大いに進展させてきたのです。

    やがてフランス革命が始まります。王族をギロチンにかけてしまったフランス共和国は、同じように王族を戴く他のヨーロッパ諸国と敵対することになりました。それまで盛んであった学問上の交流からも仲間外れにされ、フランスは自前で科学者を育成する必要に迫られます。そこで幾人かの数学者たちによって創立されたのが、今もつづく科学教育の名門エコール・ポリテクニークです。後に、レオン・ワルラスが不合格になる大学です。

    史上初めて数学科を持った大学であるエコール・ポリテクニークでは、効率的かつ厳密な数学教育を実現するために、「0に限りなく近いけれど0ではない」というオカルト的存在を用いないですむような微分法の説明の仕方があれこれと検討されました。その結果として考案されたのが、いわゆる デルタ・イプシロン論法 と呼ばれる手法です。この論法では、「0ではないけれども限りなく0に近づく数列」を導入します。そして、その数列の極限として限界量を考えます。現代の数学では、このようにして微分を厳密に定義するのです。詳細をボックス4‐2に簡単にまとめておきます。

    数学というものは「唯一不変の真理」を探求するものでありますから、そのテキストは誰が書いても同じようになると思われるかもしれません。しかし実際には、小説や漫画と同じくらいに、数学のテキストにも書き手の趣味と価値観を反映したバラエティがあるものなのです。

    微積分学の入門書にも、その内容には厳密な論理展開を重視するものから直観的な理解を大切にするものまで、またその書きぶりには格調高い語り口のものから親しみやすく砕けた雰囲気のものまで、じつにさまざまな性格があります。まったく同じ概念の定義でも、テキストによってさまざまなやり方があり、同じ定理の証明方法だって何通りもあるのです。

    逆に、高校まではいわゆる「理系」で、数学にはある程度の自信があるという向きには、 A・C・チャン、K・ウエインライト著『現代経済学の数学基礎(上・下)』シーエーピー出版、2010年 をお薦めします。定評のある教科書で、これを読めば大学院までは数学に困ることはないでしょう。とくに下巻では、日本語のテキストの少ない動学的最適化についても説明がなされています。幅広い読者層が意識されて書かれていますので、決して難解ではありません。数学がすごく苦手というわけでないなら、ぜひ手に取ってみてください。

    数学がわかるようになれば、英語のテキストも簡単に読めるようになります。とくに、海外の分厚いテキストの巻末には懇切な数学付録があり、これが経済学を知るために必要十分な知識のサマリーになっていて、なかなか便利です。世界中の大学院生が読むことになっているグローバル・スタンダードな一冊としてお薦めできるのは、 Andreu Mas-Colell, Michael Dennis Whinston, Jerry R. Green: Microeconomic Theory, Oxford University Press, 1995(通称、MWG)です。説明が丁寧で網羅的ですので、基本的なところを漏れなくおさえるのに便利です。

    また本書では、学問の連続性を読者のみなさんに感じてもらうために、できるかぎり多くの経済学者のエピソードを紹介するよう心がけました。経済学史の専門家として原稿の誤りを正してくださった、早稲田大学政治経済学術院の若田部昌澄教授には深く感謝いたします。また、早稲田大学政治経済学部の瀬口伸一郎君にも、文章表現から計算ミスに至る大小無数の誤りを指摘していただきました。それでも残っている誤りについては、すべて筆者の責任に帰するものです。

    本書は分量も解説も薄い入門の入門です。じつにささやかな一冊ではありますが、それでも、クールノーから現在に至る数理経済学の歴史と、そしてそれを受け継いできた師から弟子への無数のリレーが生み出した一冊でもあります。そのリレーに関わったすべての方々に心からの謝辞を述べ、筆をおきたく思います。
    続きを読む

    投稿日:2024.01.09

  • pnictide

    pnictide

    分かりやすく読みやすく、かつ経済分野での数学の使われ方をざっくり知るのにちょうど良かった。これまで通信や信号処理、AI、最適化で触れてきた数学にも広く接しつつ、それらでは扱われなかった高度な数学も使われていることが興味深かった。続きを読む

    投稿日:2023.11.02

  • つむぎ

    つむぎ

    夜寝られない時用に神保町で買った本です。期待した以上に読みやすく、興味深い内容で、実はあまり役に立たんなー、とぼやきつつ、途中で寝落ち。作戦通り(笑)
    最後まで読んで、改めて感想書きます。

    投稿日:2023.06.28

  • キじばと。。

    キじばと。。

    経済学で使われる数学についての入門書です。

    著者は「はじめに」で、「本書は、通常の「経済数学入門」ではなくて、「読者が経済数学に入門する気になる勧誘広告」みたいな本」だと述べています。数式が登場するのは、ほぼすべてコラムの囲み記事だけにほぼ限定されており、本文は縦書きの文章で説明がなされています。

    本書のねらいは、経済数学を学ぶことではなく、経済数学を学ぶことへと読者をさそうといってよいのでしょう。経済学を学ぼうとしている読者で、数学を前にして躊躇しているひとの苦手意識を引き下げることに焦点をあてるという著者のもくろみは、おもしろいと思いました。ただ、いくつかの数学的な概念について直感的な説明をおこなうことが、「経済数学入門の入門」というタイトルの本にふさわしいのかということについては、ちょっと疑問も感じます。
    続きを読む

    投稿日:2020.08.07

  • おおしま

    おおしま

    経済学の中でどのように数学が使われているのか、どのような数学を学んでいく必要があるのかのガイドブック。数学の中身にはそこまで突っ込まないけど、イメージを掴むことが出来ると思う。自分が大学入った頃にこういう本があったら良かったなと思う。個人的には、動的計画法をもう一度しっかりやり直したい。あとは、本書の対象外だけど、数値計算。続きを読む

    投稿日:2020.06.27

  • akipii

    akipii

    長沼伸一郎さんの「経済数学の直感的方法」を読んでおけば、この本に出てくるラグランジュの未定乗数法、オイラー方程式などの意味はわかる。

    投稿日:2020.05.29

Loading...

クーポンコード登録

登録

Reader Storeをご利用のお客様へ

ご利用ありがとうございます!

エラー(エラーコード: )

本棚に以下の作品が追加されました

追加された作品は本棚から読むことが出来ます

本棚を開くには、画面右上にある「本棚」ボタンをクリック

スマートフォンの場合

パソコンの場合

このレビューを不適切なレビューとして報告します。よろしいですか?

ご協力ありがとうございました
参考にさせていただきます。

レビューを削除してもよろしいですか?
削除すると元に戻すことはできません。