【感想】強硬外交を反省する中国

宮本雄二 / PHP新書
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  • riodejaneiro

    riodejaneiro

    このレビューはネタバレを含みます

    まだ戦狼外交という単語が世の中に出てくる前に書かれた本。
    著者はもと外務省の方で中国にも何度か赴任している模様。実務をやってきた方ということなのか、文章も学者とは少し違う感じがする。中国という国が言っていること、やっていることの違い(もしかしたら自分たちはここにギャップがあることにすら気がついていない?)、その説明が国際社会に対してなされないこと、中長期的にみて強硬な態度をとることで利益を損ねているのではないかと言うこと等々について様々な実例を通して記載してある。私自身も見ていてすごく感じるところと重なるところが多分にあり、なかなか興味深い。

    後半は、現代国際社会においてあるべき姿と中国のギャップ、中国側から強硬を妥協しはじめたのではないかと思われる兆候等について書かれている。結果から言えば、その後、戦狼外交という単語が出てくることからもわかるように、転換したというわけではなかったようだ。

    確かオバマ大統領は、中国と付き合っていくうちに、言葉ではなく、行動で示せといったことを言ったとどこかに記載があったが、実際行っていることとやっていることに随分ギャップがあるような中国に対し、リーダー達の小綺麗な言葉をどこか著者が信頼している部分が垣間見えるのが不思議。そういえば、”大地の咆哮”の元日本領事館の方もどこかそういうところがあった。直接リーダー達と接点があると、どこか信用したくなるようなものなのだろうか。

    しかしこうやって現場の外交官達が知恵をしぼって間に入っているのに、互いの理解が進まないのはどうしてだろうか。

    P.6(Goldstein, "Meeting China Halfway")
    米海軍大学准教授のL・J・ゴールドシュタインも「日本と中国を分かつ争点は、相当程度”想像されたもの”である」と書いてある。

    P.20
    (中国人は)どうしても”世界一”になりたいのだ。しかも、今はだめでも、いつの日か、必ずそうなるという確信めいたものを持っている。

    P.22
    毛沢東のイデオロギー重視は、米国との関係を初めから緊張させた。共産主義の先達はソ連であり、中国共産党はソ連共産党支配下のコミンテルン(共産主義インターナショナル)の強い影響を受けながら成長した。だがソ連式の革命は失敗し、毛沢東は遵義会議(一九三五年)においてようやく主導権を確立し、路線を転換した。共産党は、毛沢東を最高指導者と仰ぐ体制をなったのだ。共産主義の「中国化」の始まりでもある。

    P25
    政権党として統治を進めていく中で「イデオロギー」、「政治」、「経済」、「軍事」のせめぎ合いが始まった。ここに中国共産党の”永遠のジレンマ’をつくり出す主要プレーヤーが登場してきたのだ。そして経済の発展とともに、ナショナリズムに突き動かされた「民意」=「社会」が、さらに重要なプレーヤーとして登場してくるのだが、その話はもう少し後になる。

    P.29
    中国の現場においては、もともと大きく分けて二つの立場があり、対立していた。一つは保守的なイデオロギーとナショナリズムを重視する立場であり、もう一つは経済を重視し改革開放を重視する現実主義的な立場である。
    前者は、どちらかと言えば「左」であり、国力が増大するとともに、国の威信と安全保障を重視する姿勢を強め、対外的にも強硬な姿勢を主張するようになっていった。後者は、どちらかと言えば「右」であり、鄧小平経済路線の堅持であり、対外的な協調姿勢を維持しようとした。

    P.31
    最近、公表用に整理される前のオリジナルの「南巡講和原板」なるものが明らかにされた。その中で鄧小平は面白い指摘をしている。発展こそが真の道理(「硬道理」)だ、と説く中で、「一日中、何が資本主義で何が社会主義なのか論争しているようだが、それに何の意味があるのか。君たちは(その答えが)分かるのか?私には分からない」と言っているのだ。
    鄧小平は、そういう頭の中で考えても答えの出ないことに時間を割くよりは、現場でとにかくやってみろ、経済発展にプラスにならそれは正しく、マイナスならそれは間違っている、と言いたいのだ。これが有名な「実践は心理を検証する唯一の基準である」という中国共産党の定理だ。
    鄧小平は経済で結果を出せと言っているのだが、それでも理屈が気になってしかたがない人はいる。中国共産党という組織では、理屈の争い、つまり路線闘争が、党内の権力闘争と結びつきやすい体質を持つ。そこで一つの路線が定まったように見えても、内外の大きな波が起これば、簡単に党内の議論は再燃する。このことは中国外交を論ずる場合においても同じ現象が起こることでもある。

    P.47
    『ノーと言える中国』の時代は、中国人は一方的に米国から感情を傷つけられていると感じていたのだろう。
    この本は結構、日本への批判にも溢れているのだが、事実に基づくというよりは、やはり一つひとつの出来事を自分たち風に解釈し、自分たちのイメージをつくり上げ、日本に対して反発しているように見えてならない。
    個々の出来事を自分流に解釈し、それに引っ張られ、全体を見失うという欠点は、今日の中国の国粋主義的ナショナリストと見事に共通している。それは世界の国粋主義的ナショナリストの共通の特徴でもある。

    P.56
    二〇〇九年、『不機嫌な中国(中国不高興)』という本は出た。(中略)五人の著者の一人が『ノーと言える中国』にも登場した新聞記者の宋強である。(中略)この本を一読して感じるのは、中国の既存エリートたちへの強い反感と批判である。例えば「エリート層はますます腐敗し、その勢いは止めようがない。九〇年代以降、一つは金銭、もう一つはポストが、彼らをしばりつけている。(民族の未来に向けて大きな抱負を持つべきなのに、抱負もないくせに何をしようとしているのか!)あの経済エリートたちを見よ。高級車でなければ豪邸だ。少し金があれば遊び回っている」と批判する。(中略)そして外国人に対し、「現在の(内外の)力を比べれば、われわれが一方的にお前たちの好感を必要としている時代ではない。分かるか?将来、われわれの力はさらに大きくなる。お前たちがわれわれの好感を求めようとしないのならば、ぶん殴るだけだ」とうそぶく。(中略)昨今の、自分の意に沿わなかった国々に対する、中国の粗暴とも見える立ち居振る舞いの原点も、ここにある気がする。

    P.62
    軍事安全保障の世界は、経済とはまったく異なる理屈(ロジック)が支配しており、ウィン・ウィンの関係をつくるのは極めて難しい。黒白のはっきりとした世界であり、それは最悪のシナリオを想定して動く。つまり最悪の事態でも自国の安全は保障される必要があると考えるのであり、それは大体において相手の脅威を過大評価してしまう。それが防衛的なものであれ、”正しい”主張に基づくものであれ、一つの軍事的行動は、必ず相手の対抗措置を呼び込む。アクション・リアクションの相互作用の世界にはまり込むのだ。これが「安全保障のジレンマ」と呼ばれるものである。

    P.70
    対外強硬派が今日まで持つ致命的な欠陥が見えてくる。自分で勝手に自分の「領土」と決めたものが、他国に「侵犯」されていると怒っているという点だ。自分の主張が絶対正しいと信じて込んでいるので、相手の立場を理解する気がなく、中国の「正しい」主張を受け入れない相手が悪いという結論になる。ところが国際協調派は、いかなる紛争も平和的手段を通じ、相手の立場もお互いに理解し合いながら話し合いにより解決するという、今日の国際社会の重要ルールに従うべきだと考えている。これが「売国主義」ということになるのだ。

    P.73
    中国共産党はもっと理屈っぽい。何かやろうとすれば、その前に理屈の整理をしないと前進できないのだ。これはフォローする側にとってかなり面倒くさいのだが、良い面もある。一度理屈が整理されると、大体その線で進んでいくからだ。おかげで中国外交の予測も立てやすくなる。だが整理期間中は、混乱する。二〇〇八年から二〇一六年の間が、その調整のピークではなかったかというのが、私の仮説だ。

    P.88
    二〇〇九年十二月、コペンハーゲンで行われた国連機構変動枠組み条約第一五回締結国会議(COP15)の場で、中国は開発途上国の立場を全面に打ち出して強硬姿勢を貫き、会議を流した。しかも最終日の首脳同士の討論の場に、現場に入っていた温家宝総理は参加せず、代理で出席した外交部の幹部(外務次官)がオバマ大統領を面と向かって侮辱したというので、外交界では大ニュースとなった。「中国はどこかおかしいいぞ」と世界が認識し始めた初めてのケースと言って良いだろう。

    P.91
    中国は、もともと海には関心の薄い、大陸国家だった。世界の四大文明の中で中華文明は最後発であり、古代、文化的な刺激はいつも西のユーラシア大陸から受けていた。中国にとって不変の脅威は、おおよそ、騎馬民族による西ないし北から来る侵攻であった。「地大物博」と呼ばれるとおり、国土は広大で資源は豊かであったし、人口もいつも多かった。黄河流域から揚子江流域、さらにはその周辺へと陸上の経済圏を広げるだけで十分であり、海に出る必要はなかったのだ。(中略)改革開放政策が定着し、経済活動もグローバルに展開するようになると、海洋権益への関心が増し、海洋大国の自覚も強まった。中国経済の成長の限界は資源の制約から来るかもしれないという恐れが、それを後押しした。また台湾の「開放」は、必然的に米海軍との力比べを引き起こす。それらに伴い中国海軍の任務も拡大していった。

    P.101
    一九九二年、中国はその出発点となる「領海および接続水域法」を制定した。その中で中国の陸地領土として「中華人民共和国の大陸およびその沿海島嶼を含み、台湾および釣魚島を含む付属各島、澎湖列島、東沙諸島、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島および中華人民共和国に所属する一切の島嶼を包含する」(第二条)と規定した。
    中国が、法律という形で尖閣を中国領だと明記した初めてのケースである。日本の尖閣支配に明白に挑戦した最初の重要な動くであった。だが、その主たる目的は日本への牽制というよりは、海洋法条約がらみの国内法整備であり、緊迫していた南シナ海における「九段線」の補強にあったと見るべきであろう。(中略)これらと同時並行的に、海洋に関する法務行政機関の整備が進められた。国家海洋局はパトロール実施部隊である「中国海監総隊」を持つ。農業部漁政局の法務執行部門は「中国漁政」と呼ばれる。交通運輸部直属の「中国海事局」も法執行を担当する。日本の税関に当たる中国海関総署は「中国海関密輸取締警察」を持っている。公安部は「中国公安辺防海警部隊」を持ち、近海の安全と治安、領海主権と海洋権益を守る責任を持つ。
    このような法執行機関の「乱立」は、どこの国であれ相互の調整を難しくする。とりわけ中国に、その傾向は強い。それに対外的に積極的に自己主張するべしという世の中の風潮が加わると、多くの関係部門がわれ先にと動き始める。この五つの法執行機関の他にも、中国海軍、国家旅遊局、環境保護局、地方政府、石油会社なども関係してくる。自分たちの組織の利益だったり、政敵への揺さぶりだったり、理由はさまざまだろうが、それぞれが独自の動きをし始めたのだ。終始関係せざるを得なかった外交部を除き、これらの部門は例外なく外交の知識も経験もなかった。かれらの跋扈が、中国と周辺諸国との海をめぐる「大騒ぎ」の一つの理由だったようだ。

    P.131
    中国外交の根本的な矛盾が集中的に現れている。「中国式」の理念を掲げて平和と発展を追求し、懸命に中華文明の後継者としての矜持を保とうとする姿と、「核心的利益」となると、そういう裃を脱ぎ捨てて目の色を変え、何が何でも自分の立場を守ろうとする姿を共に内包している。
    もしかしたら中国人の頭の中では、この両者は矛盾していないのかもしれない。だが私も含め国際社会は理解ができない。中国外交の現場でも二つの流れの矛盾に翻弄されていた。これまでの外国方針の延長と見られる姿勢と、大国意識に突き動かされた自己主張の強い強硬姿勢とが交錯していたのだ。

    P.135
    私に言わせれば中国外交に品格がなくなっていった。胡錦濤時代はではどうにか維持されたいた「風格」が消えていったのだ。フィリピンや韓国に対する「お仕置き」外交のどこに「大国の風格」があるのか、私には分からない。中国の外交責任者も二〇一三年、北京で講演した際、私の目の前で信じられない発言をした。日中関係を進めるために何をすべきかという高原明生東京大学教授の礼儀正しい質問に対し、「日本が日中の立場の変化に適応できていないことが最大の問題だ」と言い放ったのだ。
    「立場の変化」とは何だろうか。中国が国防予算の額でずっと前に日本を抜き、経済希望で二〇一〇年に日本を抜いたから日中関係は変わったとでも言うのであろうか。そういう物理的な量の多寡が「立場の変化」をもたらすという考え方、つまり自分の図体が大きくなったので、追い抜かれた方はそれを自覚して対応しなさいという考え方自体、私には理解不能だ。

    P.144
    米国は東アジアで中国とは戦争はしないだろという想定があるようだ。中国の考えは、「東アジアにおいて中国にはどうしても守らなければならないボトムラインがある。米国にはそれほどのものはないはずだ。米国は中国のボトムラインを尊重すべきだ」ということになる。しかしこの観点は、中国が明確に米国の挑戦者となり、軍事的にも米国の地位に挑もうとしていると米国が判断した後では、米国の東アジアにおける「ボトムライン」が変わることを想定できていない。

    P.154
    国際的な紛争や対立は、すべての当事国に理屈があるのであり、白黒の世界ではない。だから紛争の平和的解決、つまり話し合いによって問題を解決するというルールが出来上がったのだ。その基本は妥協にある。
    だが、中国の立ち振る舞いは、「自分の言っていることは全部正しい。相手が間違っているのであるから、どんな手段を使っても許される」と言っているに等しい。こうい態度をとるのであれば、「紛争の平和的解決」とは、中国の圧力に屈して相手が中国の主張を受け入れるということと同じになる。

    P.193
    今日、ヨーロッパや米国において自国第一主義が横行し、経済の保護主義と多国間主義の否定が横行していると言われる。つまり第二次世界大戦後の国際秩序が動揺し始めたという見方である。
    だが私はそうは思わない。外交や国際政治は、もともと自国第一主義であり、自国の利益を犠牲にして他国の利益を増進するようなことはあり得ない。ここで検討されるべきは、国家の「利益」と呼ばれるものが、長期的な広い視野に立ったものであるかどうかという点だ。
    今日、自国第一主義を主張している人たちの国益観は、往々にして狭い、短期的な利益を基礎としている。そしてこの国益観は長期的な広い視野に立った国益を損なってしまう。

    P.208
    政治の自由民主主義は「法の支配(Rule of Law)」を重要な構成部分とする。中国の言う「法治(以法治国、Rule by Law)」とは重点の置き方がまったく違う。前者は国民の権利を守ることを目的とするが、後者は国の統治の手段そのものである。

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    投稿日:2024.03.03

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