【感想】意識と本質-精神的東洋を索めて

井筒俊彦 / 岩波文庫
(27件のレビュー)

総合評価:

平均 4.2
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3
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ブクログレビュー

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  • がんびーの

    がんびーの

    かなり興味深く面白いものの、井筒さんの知識量と引用範囲が広すぎて、時々著書の趣旨を見失いそうになる。後半の8、9、10あたりはかなり難解だった。

    表層意識、深層意識。分節、無分節。などなど難しい言葉が結構出てくるものの、かなり丁寧に反復しながら言葉の説明をしてくれる印象。とにかく東洋思想の意識・本質の捉え方は、極めて多層的で反二元論的であることがわかった。サルトルの嘔吐、荘子の道など、読んでみたい本が多く出てきた。

    普段自分がどのようにして事物を捉えているのか。言葉無くしてその物の存在を証明することは可能なのか。その物を表す言葉(名前)は何を持ってそれになるのか。つまり言葉には必ず本質が求められるということなのか。

    謎は深まるばかり。
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    投稿日:2023.02.05

  • papaaung

    papaaung

    読もうとしたけど難解。専門用語に脳内支配されて断念。笑
    誰かの話からこの本の存在が出てきたが忘れてしまった。
    哲学にリンク

    投稿日:2022.08.17

  • セクメト

    セクメト

    意識とは何か?を知るに非常に勉強になりました。
    著者はイスラム哲学、仏教、禅、老荘思想、儒学、ソクラテス、プラトンのイデア論などのあらゆる角度から意識の本質を説明します。
    意識にも表層意識と深層意識があり、著者はこの深層意識に立ち現れてくる存在の実体と表層意識に現れる実体の違いなどを様々な思想をでかがりに、さまざまな角度から物の本質を媒介として意識の本質を説明します。
    説明された内容はすでに概念化されているため、この概念化を脱した脱概念のむき出しの実在の本質について解き明かします。なかなか面白く手応えがある読み物ですが意識を知るに大変参考になりました。
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    投稿日:2022.05.14

  • Daijyu Henri Takeishi

    Daijyu Henri Takeishi

    このレビューはネタバレを含みます

    サルトルは嘔吐で、神降ろしに失敗して、それが"得体のしれない"ものに見えた。悟りや禊を終えてないものが、偶然、原初の存在を見せられるとどうなるかを示している。

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    投稿日:2019.12.04

  • xiaobao

    xiaobao

    「意識と本質」井筒俊彦

    事物の本質には二つの次元がある。一つはものの個体的実在性の結晶点。これは実在界に成立する。(個体的本質、フウィーヤ)もう一つは、ものの普遍的規定性。事実界の次元に成立する。(普遍的本質、マーヒーヤ)いずれを事物の真の本質と見るかによって、哲学の性格が大きく変わる。

    バガヴァッド・ギーターの認識の三段解説
    1.闇質的認識(ターマサ)。執心
    愛憎に縛られた沈重な意識。ある一つの対象に、まるでそれが全てであるかのごとく、ただわけもなく、実在の真相を忘れて執著する狭隘な認識。
    2.激質的認識(ラージャサ)。有心
    現象的多者の間に動揺ただならぬ意識。個々別々の様々なものを個々別々に識別する認識。
    3.純粋的認識(サーツトヴイカ)。無心
    全存在界を究極的一者性において眺める純粋叡智の煌々たる光。あらゆる経験的事物のうちに、唯一なる不易不変の実在を見、分節された全てのもののうちに無分節の実在を見る。

    人がある対象に愛着したり嫌悪を感じるのは、様々な事物が差別されて意識に映るからであり、事物が差別されるのは実在が様々な存在者として分節されるから。この見方は激質的認識。

    「執心」は「有心」の基盤の上に初めて生起する「有心」そのものの派生態にすぎない。

    「有心」は妄想分別、存在分節の境位。この境位に働く分節意識を人は「意識」と呼んでいる。存在分節は「有心」の決定的特徴であり、経験的事物を個々別々なものとして差別し、それらを個々別々に認識する意識。

    人間の意識は有心段階では、必ず分節的意識である。分節的意識が作用しだすやいなや、存在の真相は無限の彼方に姿を隠す。つまり、分節意識が経験世界における人の普通の心の状態であるからには、その人は存在の真相を全く見てないという事に他ならない。

    「至道は無難」では決してない。

    楞伽経の意識三相説
    1.転相
    分裂した存在の主体的側面と客体的側面とが、一方は我意識、他方は意識から離れ独立した対象的事物の世界として確立され、経験的世界が現象する意識。存在リアリティを様々に分節し、無数の分割線を引いて個々別々の事物を現出させ、個々別々なものとして認知されたそれらの事物の間を転々と動き回る妄覚。
    2.業相
    絶対無分節的意識に内在する存在分節の性向に促されている時、主客の対立が現れる意識。
    3.真相
    絶対無分節的に実在を見る境地。「起信論」はこれを「心真如」とも呼ぶ。

    禅は実在の無分節的真相を一挙に露現させようとする。

    分節的意識である有心を人間の一般的な心の働きだとすれば、無心はメタ意識。

    存在の絶対無分節と経験的分節との同時源成こそ、禅の存在論の中核をなす。

    分節1(有本質的)→無分節→分節2(無本質的)

    第一段階でそれぞれの分節に「本質」を与えられ、第二段階で分節も本質も全て奪われ、第三段階では本質のない分節が戻ってくる。

    分節2である道元の「而今の山水」は現にそれぞれ山と川として分節されているにも関わらず、山である事、川である事から超出して自由自在に働いている(本質がない)。

    我々が常識的に現実とか世界とか読んでいるものは、表層意識の見る世界であり、それが世界の唯一の現れ方ではない。深層意識にはそれ独特の全く別の見方があり、それは表層意識を狼狽させるような異様な形相で存在世界が現出する。

    深層意識の存在分節は表層意識のそれとは全く違う。この深層意識の存在分節の基礎単位を「元型イマージュ」と言う。

    普通の人は曼荼羅等の深層意識的絵画を見てもそれを表層意識で受け止め、理解するだけであり、たとえ鑑賞したとしても表層意識的に感激するだけ。深層意識の感応、協和は起こらない。

    言語アラヤ識からのイマージュ生起を深層意識的事態として受け止められる人は、創造的想像力を持つ。

    ヘブライ語では、言葉とモノは同じ。深層意識ではもともと一つと考える。カバラは存在世界の深秘構造を考える。

    曼荼羅とは、正覚を得た人の深層意識に現れた一切存在者の真の形姿の図示。全存在世界の本質的元型的構造を形象的に呈示する深秘の象徴体系。
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    投稿日:2018.07.26

  • katsuya

    katsuya

    極めて難解。降参。「本質」について、東西や古今の宗教・哲学・様々な文化の立場から、どう捉えられていたのか、どう位置付けられていたのかが解説されている。人間はそのものの本質に基づいて、物を認識し、評価しようとするとうことか???背景となる仏教や哲学を理解しないとこの本はわからない。続きを読む

    投稿日:2018.05.19

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