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伊藤比呂美 / 講談社文庫 (15件のレビュー)
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rin--k
読まず嫌いといえば、その範疇に入る作家でした。 人の薄皮を剥ぐような、えげつなさ。女性詩人だから、その表現が生々しくて苦手でした。この作品はそんな一面を見せつつも、家族の問題=拒食症の娘、寝たきりの…母と、うつ病気味の父、理解しえないイギリス系ユダヤ人の夫との事を、時空を超え、さまざまな口調を借り、唸りだしている様な印象の作品です。 動けなかったことに慣れていく母を見ながら、「死を凝視める事」の文章。石牟礼道子さんとの対話から成る部分は、深く、その根源はやおろずの神々を信心する心にも繋がってきていた。続きを読む
投稿日:2016.01.24
shugoshugo
すげー面白くて、こんな文学初めて、ってときめいたんだけど、なぜか最後までは読み通せない。どちらかというと散文よりは詩的な表現で、かっこいいし、こんな文章を書きたいと思うようなものであるにもかかわらず、…読めないということは、かっこいいことと、退屈であることは、両立するということなのではないだろうか。続きを読む
投稿日:2015.12.21
advicekiyomidosu
伊藤 比呂美?聞いたことのある名前、、、と手を取り読み始めた。詩人であり、母である、ユダヤ系イギリス人の一回り以上年上の伴侶を持つ人でもある。日本に高齢になり、身の回りの事も難しい両親のためにカルフォ…ルニアから2,3ヶ月に一度帰り、二日おきに電話をする。徐々に変化し幼児のような訴えをおこす両親。かたや抱える文化の違いで価値観の到底理解しきれない部分を爆弾のように抱え、母国語出ない言葉で言い合いをする夫婦。生きることに不器用な前夫の子。それぞれに向き合おうとする後ゆえに尋常ではないほどの忙しさ。心の根っこには子供の頃から行った巣鴨地蔵尊への思慕。独特の世界を持つ詩人だけに音階を持つような言葉の連なりは心地よくもあり、強い緊迫感もある。紫式部文学賞、萩原朔太郎賞のダブル授賞作品。続きを読む
投稿日:2014.11.20
夢で逢えたら...
カリフォルニア在住、更年期真っ只中の作者が、自身の不調を抱えながらも太平洋を越え、 まだまだ手の掛かる小学生の娘を連れ、重い荷物を引きずって熊本への移動。 何度も何度も往復する。親の介護のために。 …母親は入院。一人残された父親は何もする事がなくて、何もする気が起こらず半分鬱のよう。 幼い頃は自分を守ってくれた偉大なヒーローだった父親が、老い果てた今は、 家庭をほったらかして何週間も側にいる娘を心配する事もなく、弱みを見せるばかり。 ユダヤ系英国人の文化に育った外国人の夫は 作者の2倍以上の年齢というから、こちらもかなりの老境。 離れて暮らす癇癪持ちのこの夫と、メールのやり取りはするが異文化の溝は深く、 なかなか真意は解り合えない。 そうこうするうちに上の娘が心身症になり、がりがりに痩せこけて「眠れない、食べられない、どうしたらいいかわからない。」とパニックに。 生老病死、全てが苦なのです。 とげ抜き地蔵に通ったり、死期が迫る詩人に会いに行ったり、般若心経を読んだり。 煩悶する作者が最終的に救われたのは・・・。 あまりのシンパシーに、悶え苦しみながら読みました。 そして、苦しみながらも今ここに厳然と生きている、力強い生命を感じました。 更年期前後の苦しみを抱えている女性にぜひ読んで頂きたい。 きっと何かしらの光を見つけられると思います。続きを読む
投稿日:2014.01.29
ぢる。
伊藤比呂美さんの、実生活の話。母親がボケ始めたと思ったら脳梗塞になり、父親の足元もおぼつかず、再々婚の夫(ユダヤ人)も粉瘤などこさえて老いてきて、長女はふさぎこみ、次女は行方不明、三女は状況に振り回…される。熊本とカリフォルニアを行き来する生活。だんだんとみんな老いてきて、自分のちちははの死を見つめねばならなくなって。ほぼノンフィクション、なんだろうと思います。現在進行中のblogと比較すると、当然本作の方が本質に肉薄しています。とうぜんです。文藝なんですから。これで群像に載っていたんですから。 石牟礼道子さんとおぼしき方との話があって、一緒に梁塵秘抄(パソコンが一発で変換した。えらいな)を朗読するんだけれども、このあたりのやり取りが圧巻でありました。 quo.) ちらばるというよりか、わたしはどっかの葦の葉っぱなんかに、ちょっと腰掛けていたいような気がする、と詩人はいいました。 それが死? ちらばって腰掛けている状態ですか。 そうですね。風にそよいで、草の葉っぱなんかにね。 -- われわれが個として生きているうちに老いて、衰えて、じゃあどうやって死を迎えようかというときに、大きな世界の中の小さなひとつが消えてなくなるような感覚に意識を転換させるようです。それは佛教における曼荼羅であり、キリスト教における神の子らのひとりであり、科学における、地球におけるヒトという生物一個の死滅。無心論者だった伊藤の夫も、結局は地球全体で考えたときのひとつの「自己」の消滅を思う。この位相の転換が、「死を受け入れる」作業であり、宗教の本質は「死んだらどうなる」だと総括してもいいんじゃないかというくらいの感じであるのです。 本作のテーマ、内容は非常に重いものです。しかしながら、その重さを感じさせないのが技術だし、文の藝にほかならないでしょう。 詩人の文章といわんでください。これはまごうことなき、文藝です。続きを読む
投稿日:2013.07.02
バートルビー
母の苦、父の苦、夫の苦……。 母は入院、父は犬とふたりきりでさびしい、夫には瘤ができ娘はやせ細っている。伊藤比呂美は人々の苦を案じながらスーパーマンのように家庭のあるカリフォルニアと実家の熊本を飛行機…で行ったり来たり。 そうしてたまに思い出したように巣鴨のとげ抜き地蔵にお参りして皆の苦のとげを抜いてもらう、はたまた「みがわり」をもらっていく。 「みがわり」をオグリさんに渡す伊藤比呂美の言葉はまさに巫女さんのそれのよう。この言葉が心地いい。 エッセイなのか小説なのか詩なのか、なんだかそんなものたちの中間のような本でございます。 中原中也をはじめとする詩人たちの「声」、それから娘や夫のはなす英語を訳すのではなくそのまま日本語にもってきたようなことば(これには驚き!)、そして詩のような呪術のような祈りのようなことばの紡ぎ方。 伊藤比呂美はことばを食って食って食いまくるのだと思った。単細胞生物をおもわせるその貪欲さ。そして読後、「伊藤比呂美語」の感染力の高さたるや。感服いたしました。 僕は伊藤比呂美がとても好きなのです。 母親の巨大で醜悪なおっぱいが怖さに脇に噛みついたり、ニキビつぶしはセックスとおなじであると断じたり。なにを考えているのかよくわからないから。 父と母の苦を信仰心が足りないせいとキッパリ、これも潔い。 といっても伊藤比呂美自身はなになに教徒とかではない。あえて言えば巣鴨のとげ抜き教? それよりもアニミズムを根底とする八百万の神をたたえる……つまり典型的日本人のアレでございます。 現代の日本ではこういったあやふや信仰心すら失われつつあるように思います。しかし死に直面したとき一体どう生き、どう死ぬのか。 この本を読んで僕も両親の今後を考え、そして両親の信心の無さを嘆いたのであります。続きを読む
投稿日:2012.10.02
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