【感想】資本とイデオロギー

トマ・ピケティ, 山形浩生, 森本正史 / みすず書房
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  • bqdqp016

    bqdqp016

    『21世紀の資本』に続くトマ・ピケティの超大作。欧米の他に中国、インド、日本、南アフリカなどについても経済の格差に主眼をおいて歴史的に分析している。時代の変遷に従って、国民の資本格差がどうなっているのかを比較することによって普遍性を導き出し、解決策を述べている。分析は極めて精緻であり勉強になる。ピケティの主張はマルクス主義に似ており、純粋な資本主義、自由主義、グローバル主義は格差を広げるので、平等を追求する社会主義の方向に舵を切るべきというのが結論となっている。自由と資本主義は強力であり、ピケティの主張では競争力を低下させ国力を削ぐだけになるように思われる。ピケティのいう「参加型社会主義」の地域ができても経済活動に向けたインセンティブに欠けるため、新自由主義には敵わないように思え、同意し難い。

    「能力主義と起業家精神はしばしば、今日の経済における勝者たちがとんでもない格差をろくに検討もせずに正当化し、敗者たちが才能や美徳や勤勉さに欠けていたのだと言って責任を負わせるための便利な手段となっている」p2
    「新生児の平均寿命は1820年には26年ほどだったのが、2020年には72年になった。19世紀初頭には、新生児の2割ほどは1年以内に死んだが、それが現在は1%だ」p18
    「米国の有権者に占める民主党の得票率は、教育水準が低く、比較的所得が低いか、資産がないも同然な有権者で高かった。これに対して共和党支持の有権者は、高等教育者の間で比率が高く、所得も資産も多い人々だった」p39
    「(1950〜70年代)既存の社会民主主義の政党や連合は格差を低減して富を再分配しようという本気の野心をだんだん捨てていった。それどころか彼ら自身が租税競争や財と資本の自由な移動を促進し、新たな共通税制や共通の社会ルールについて考えなかった。こうして彼らは最も恵まれない有権者の支持を投げ捨て、もっと高い教育を受けた人々、つまりグローバル化の主要な勝者たちにますます専念するようになったのだ」p42
    「フランス三層社会:聖職者(知識人階層)、貴族(軍事階級)、平民」p71
    「所有権格差という重要な問題について、フランス革命が失敗したのは明らかだ。エリートの刷新は行われたが、実際には1789年から1914年にかけて世襲財産はきわめて集中したままだった」p116
    「再分配はパンドラの箱であり、決して開いてはいけないのだ、とフランス革命ではこの種の議論に何度もお目にかかる」p126
    「1789年の革命以来、フランスは自分たちが「自由、平等、博愛」の国だと言いたがる」p152
    「格差は文明の必要条件」p175
    「『バーク貴族名鑑』1826年に刊行されたイギリス貴族の人名録。血筋、財産、結婚、所領、偉業が記され、今だに発行が続いている」p176
    「スウェーデンとその社会民主主義派は、はるか悠久の昔から平等主義者で、その平等性はバイキングのもつ古来の熱意から来ているのに対して、カースト制度を抱えていたインドは永遠に不平等であり、それはアーリア人以来の神話もどきの理由から来ている、と考えた」p187
    「19世紀にはヨーロッパのあらゆる所有権社会で、富の集中が極端に高まった。格差の課題は19世紀末から20世紀前半にかけて、まずはその対抗言説を生み出し、そして社会民主主義および共産主義という対抗レジームの台頭をもたらした。続いて1914年〜1945年には自爆フェーズがやってきた。自国内での社会的緊張と、外国での植民地競争が、ナショナリズム台頭と戦争への行進の原因となり、それが結局は19世紀の財産主義秩序を一掃してしまったのだ」p198
    「奴隷制の廃止:イギリス1833年、フランス1848年、米国1865年、ブラジル1888年」p205
    「フランスの債権者は、ハイチの国民所得の平均で5%を1849年〜1915年にわたり吸い上げ続けたという。それでも、1825年の合意で含意された金額より少なかったので、フランスの銀行はしょっちゅう、ハイチはダメな借り手だとグチることになった(融資は米国に譲り渡され、支払いは1950年代初頭まで続く)」p220
    「米国では1960年代まで人種差別が合法的に残った」p228
    「奴隷制が廃止されたとき、奴隷所有者は賠償を受けたが奴隷自身は賠償されなかった。ハイチでは、奴隷解放の代償として重い対価を負い、その支払いは20世紀半ばまで続いた」p251
    「植民地は主に植民者と本国の便益のために構築されており、地元民の便益のための社会教育的な投資は、きわめて限られていたことが豊富な証拠からわかっている」p268
    「植民地から得た金銭的利潤が1760年〜1790年(第1植民地時代)と1890年〜1914年(第2植民地時代)でだいたい同じ規模だったというのは驚くべきことだ。第1植民地時代には、収奪は残虐かつ徹底的で、小さな領域に集中していた。奴隷が島に輸送され、砂糖と綿花生産で働かされ、生産された富からすさまじい利潤が収奪された。収奪された富は最大限だったが、反乱のリスクも深刻だったので、この仕組みを世界規模に拡大するのは困難だった。第2植民地時代には、収用収奪のやり方はもっと細やかで高度なものとなった。投資家は多くの国で株式や債権を保有し、そこから各地域の産出の一部を引き出した。これは世界のずっと多くの部分、さらに全世界にも適用できた。最終的に、第2システムの規模は第1システムとは比べものにならないほど大きくなり、1914〜1945年の圧倒的な政治ショックで中断されなければ、さらに大きくなった可能性もある。第1植民地時代は反乱で、第2は戦争と革命で終わった」p277
    「資産は公平な見返りを稼ぐべきものだ。そうでなければ、誰が富を蓄積する努力なんてするだろうか。そして誰が我慢強く消費を控えたりするだろうか」p278
    「国家間の論理的な矛盾の解決はもっぱら力と武力でなされる」p280
    「貿易黒字:国が輸出部門での雇用を作り出しつつ、他国に対する金融債権を蓄積する。これは将来の財務収入を確保するもので、追加資産を獲得するのに使えるだけでなく、他の国で生産された財やサービスも購入できる」p282
    「ヨーロッパはインドが何世紀も経験してきた民族宗教的対立の一部を経験し始めたばかりで、格差をめぐってインドがたどった道筋は、遠くの外国勢力という外部世界との遭遇に大きく左右された。今度はその他の世界がインドの体験から大いに学ぶ番だ」p302
    「日本は、王政復古によって急速な社会・経済的近代化が実現するという前代未聞の事例を提供してくれる」p376
    「ヨーロッパのすべての国で、19世紀全般から1914年までは財産の集中が非常に高く、特にこの期間の最後の第一次世界大戦直前の10年間にはそれが加速度的に増大した」p414
    「労働に関する格差は、20世紀を通じて大きく低下した」p415
    「両大戦による家屋、建物、工場、その他の資産の物理的破壊はかなり大規模だったが、資産喪失の説明としてはごく一部でしかない」p420
    「(資産喪失の2大原因)一つは収容と国有化、もっと一般的には民間財産の価値と資産所有者の社会的影響力引き下げを明確に狙った政策(家賃統制や企業における労働者代表との権限共有)が含まれる。もう一つは、民間貯蓄の大半が戦費調達で政府に貸されて債券となり、その価値の大半がインフレなどの要因で失われたからだ」p420
    「第一次世界大戦前夜まで好調で堅固に見えた所有権社会が、1914年〜1945年に崩壊した。崩壊は徹底的で、名目上は資本主義を掲げる国々でも、国有化、公教育、保険と年金改革、最高所得と最大財産に対する累進課税を通じて、1950年〜1980年に実際には社会民主主義に転向した。しかしその成功にもかかわらず、1980年代になるとこれらの社会民主主義社会は至るところで格差拡大に対処できなかった」p465
    「戦争は何も持たない者よりも多く持つ者に大きな被害を与えた」p466
    「格差縮小の重要な原因は、社会をそれ以前に比べ平等にし、さらにもっと反映させた一連の税制と社会政策にあった。これらすべての社会は「社会民主主義」と呼ぶことができる」p466
    「ゲルマン北欧諸国(ドイツ、オーストリア、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー)の最大企業では、労働者代表が企業株式を部分所有しているかどうかにかかわらず、取締役会の1/3から1/2の席を占めた。先鞭をつけたドイツでは、1950年代初頭からこの制度が実施された」p478
    「イギリスは第一次産業革命によるリードのおかげで、19世紀の大半を通じて世界最高の生産性を謳歌してきたものの、第一次世界大戦前の数十年間を通じて加速度的に形勢不利に陥り、20世紀最初の10年では、明らかに米国の後塵を拝していた(原因は、米国の労働者訓練の先進性)」p492
    「(1980年代以降)社会民主主義はその成功にもかかわらず、格差増大に適切に対処できなかった。それは所有権、教育、課税、そして何よりも国民国家の超克とグローバル経済規制への知的、政治的取り組みの刷新、深化に失敗したからだ」p541
    「20世紀の成功と失敗の知識を使えば、資本主義とソ連型共産主義の両方を超えられそうな新しい発想、たとえば参加型社会主義と一時的共有権などの概要を導き出せる。具体的には、累進資産税、ユニバーサル資本支給、株主と従業員の権限共有で過度の富の集中を抑えつつ、ある程度の規模の民間企業を許容する社会が考えられる」p554
    「富の分散の欠如は21世紀の中心的課題で、それは貧困国や発展途上国のみならず富裕国でも中層、下層階級の経済システムに対する信頼を弱めてしまう」p635
    「戦後期で使われた各種手法で最も問題が多かった側面はまちがいなくインフレに関係している。インフレは確かに債務を急速に減らしたが、代償として大衆階級の貯蓄を侵食した」p825
    「私は今日の資本主義システムを乗り越えて、21世紀の新しい参加型社会主義の概略を描けると確信している。これは、社会所有、教育そして知識と権限の共有に基づく、普遍的、平等主義的な展望だ」p872
    「(ピケティの目指す)公正な社会は、その全メンバーにできるかぎり多種多様な基本財へのアクセスを可能にする。基本財とは教育、保険、投票権、もっと一般的には、さまざまな社会的、文化的、経済的、市民的、政治的生活へのできるかぎり完全な参加だ。公正な社会は社会ー経済関係、財産関係、所得と資産の分配を調整し、その目的は、最も恵まれないメンバーが、できるかぎり高い生存条件を享受することだ。公正な社会は完全な均一性や平等性を前提にしない。所得と資産の格差があっても、それが願望や生活選択のちがいの結果であり、恵まれない人々の生活条件を改善し、機会を拡大するのであれば、公正とみなされる」p873
    「私は参加と分散化という目標を強調し、20世紀にソ連などの共産主義国で試されたハイパー中央集権型の国家社会主義と明確に区分するため「参加型社会主義」という用語を使いたい」p874
    「年次資産税の方が相続税より大きな役割を果たすべきなのは当然に思える。ただしそれは、年次資産税が累進的である場合に限られる」p882
    「累進資産税はこれまでより資産の循環を高め、財産のもっと広い分散を確保するために不可欠なツールだ」p882
    「資本主義と私有財産を超克し、参加型社会主義と社会連邦主義に基づく公正な社会を確立することは可能だと、私は確信している」p926
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    投稿日:2024.05.12

  • sakufuu

    sakufuu

    「資本とイデオロギー」という題名だが、内容は、格差というものは何か、それが悪化している現在はどんな世界なのか、それを克服出来るのか、を歴史と膨大な統計を使って分析する壮大なもの。
    著者の主張ポイント(最も危機感を持つ未来予測)は、バラモン左翼と商業右翼の権力(ブルジョアブロック)の思い上がり(高所得者有利の政策・高教育インテリ富裕層の過度な称賛)が、社会の混乱に憤激する大衆の暴走、つまり暴動を伴う移民排斥や自国中心主義の台頭を許すのではないか、というもの。

    今日の民主主義の混乱は、市民的、政治的な領域において、経済学が他の社会学から独り歩きしすぎたのが原因。経済学者は、「持ち合わせてもいない技能や分析能力の独占」をたびたび主張したがる930

    2013年にフランス社会党政権は同性婚を合法化した。これには実践カトリック(月に一回以上教会に通うカトリック)とイスラム教徒投票者双方が非難した。しかしそれでもイスラム教徒投票者の9割以上は左派政党に投票した。これは、同性婚の問題など些末で、危機的なのは自分たちを国外追放することを堂々と政策に掲げる右派(国民戦線ら)の台頭だから。左派政党は右派のこの政策に真っ向から反対する718

    フランスの社会党・共産党は戦前から前後にかけて資産・所得課税による国営事業や福祉などに力を入れた。そして賃金労働者を最も重要な支持者としたため、彼らには様々な控除を用意した(そのため彼らは実質、無増税であった)。しかし低所得の自営業者(農民・商人・職人)には「彼らは所得を過小申告する不正」をするので、控除を認めないか、複雑な確定申告を要請した。これが農民・商人・職人の左派不審になった708

    2000年くらいまでは教育水準の低い者が左派に投票して、高い者が右派に投票していた。これが21世紀になると教育水準の低い者は右派に投票し、高い者は左派に投票するようになる。この傾向は年々大きくなっていく。それはイギリス、フランス、アメリカどこも同じ傾向。左派政党は労働者の党から高学歴の人々の党へと変身した。左派を支持する高学歴を「バラモン左翼」と呼ぶ695

    ロシア帝国は末期に多くの債権を発行した。ロシアフランス同盟や、ロシアの賄賂の影響で「ロシア債権は安全で堅実」キャンペーンがマスコミで展開された。これにフランスをはじめ欧米諸国の富裕層が反応して大量の債権を買った。しかしロシア革命が起こるとソヴィエト政府は債権の全面的償還拒否をした。米英仏はソヴィエトに兵を送ったが無駄に終わった。420

    日本の王政復古による急速な社会ー経済的近代化の実現は、前代未聞376

    「アファーマティブアクション」はアメリカで生まれたのではなく、独立後のインドで始まった345

    ヨーロッパがインドを「発見」したのは、ポルトガル王国がイスラム教国を挟み撃ちにできる国、はるか遠方にある未知のキリスト教国「プレスタージョンの王国」を探すことから始まった。そこでバスコ・ダ・ガマが探険にのりだし、喜望峰を発見してアフリカ東海岸沿いを訪ねたが、どこにもキリスト教国は無かった。そこで更に船を進めインドに到着して、ケララ州のヒンドゥー寺院を発見し、これを「キリスト教の神殿」と誤解して、リスボンに帰り「ありました!」と報告したから323

    インドのカーストでは道徳と規律が重要視される。菜食主義やアルコール禁止など。そのなかで特に性欲・愛欲には厳しい。そのため未亡人の再婚がタブーであり、思春期前の少女の結婚が重要視される313

    植民されたアメリカ大陸が20世紀を迎えると、南北で違いが起きた。南(ラテンアメリカ)では人口の大半がネイティブ・奴隷・白人の混血となった。対する北は、人口増加したがほとんど混血が進まなかった253

    ハイチは1805年に歴史上初の黒人奴隷反乱と、独立宣言を行った。やがて、1824年独立は承認されるが、その条件に、フランスのハイチ奴隷主に「奴隷を手放した損失補てん」が含まれていた。ハイチ政府はこれを完済するのに130年かかった。218

    歴史を決定論的に読むよりも、過去の出来事を思想の十字路や分岐の可能性として見るほうが興味深い122
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    投稿日:2024.04.22

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