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小田嶋隆 / イースト・プレス (3件のレビュー)
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Yoshiee
著名コラムニストの過去の作品を再編集したもの。好みはあると思うが、本質をつき、議論を恐れない舌鋒にある種の爽快感と快感を得ていた読書は多いと思われ、あまりにも早い逝去が悔やまれます。著者のメッセージは…いつ読んでも時代のギャップを感じないと改めて感じた。続きを読む
投稿日:2023.04.23
dai-4
もう、氏の知見を新たに拝見することは叶わない訳で、そんな中、新刊としてこういう書に触れられるのは僥倖。友達っていう、確かに考えてみれば曖昧な存在について、改めて立ち止まって考えてみるきっかけになりまし…た。続きを読む
投稿日:2023.01.26
suenaganaoki
「友達」という存在は、自分の年齢と共に変わってきます。 特に濃密なのは、中学・高校時代でしょうか。 「青春って、すごく密なので」という、仙台育英高の監督の言葉にみんなが共感したのは、そういう理由もあず…かっているのだと思います。 小田嶋隆さんは、「友達」についてどう考えているのでしょうか(故人なので、過去形にすべきなのでしょうが、まだ受け入れられていません)。 小田嶋ファンにとっては、とても興味深いテーマです。 まさか賛美することはあるまい。 でも、じゃあ、どのように定義、位置付けをするのでしょうか。 位置づけをした上での距離感も含めて、大いに関心があります。 本書で小田嶋さんは、「友達」という存在が、年を経るに従って変質していくさまを、実に的確に表現しています。 「小学生にとってクラスメイトの半数以上は友だちだった。」 「中学生になると、クラスの中で頻繁に行き来する仲間の数は5人ぐらいに減少する。」 「これが高校生になると、クラスのうちの半分は、はなから没交渉になる。」 「子どもが大人になるということは、そのまま友だちを失っていく過程であったりする。」 さて、では、大人になると、どうなるのでしょうか。 「で、大人になると、友だちは、事実上消滅する。」 嗚呼、何ということでしょう。 でも、事実そうなのですから仕方ない。 読後、「友達」という、よく考えると不思議な存在に対する見方が劇的に変わっているでしょう。 ぼくは、「友だちは、友だちという外部の対象である以上に、自分自身の幼年期の延長なのだ」という言葉に、深く感じ入りました。 ピタリとくっつくように隣にあるのに、なぜか触れることができないような、もどかしい思い。 小田嶋さんは、こんな複雑な感情を読者に催させる書き手でもありました。 余りにも早すぎる死で、ただただ残念です。続きを読む
投稿日:2023.01.14
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