【感想】見捨てられる<いのち>を考える

安藤泰至, 島薗進, 川口有美子, 大谷いづみ, 児玉真美 / 晶文社
(4件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • 東邦大学医学メディアセンター看護学部図書室

    東邦大学医学メディアセンター看護学部図書室

    <見捨てられる「いのち」>
    少し衝撃的なタイトルです。
    本書は、グリーフケア・生命倫理の研究者である安藤泰至氏や島薗進氏が編著者となり、ALS患者介護や在宅介護の経験者であるNPO法人代表の川口有美子氏、フリーライターの児玉真美氏、立命館大学の大谷いづみ氏によって執筆された図書です。

    安藤氏は2020年明るみになったALS患者への薬物投与による嘱託殺人事件や、コロナ病棟での高齢者の人工呼吸器の使用問題を例に、私たちの中に「安楽死」を肯定する危うさ、「生きていくべき人」「死んでもよい人」といった根っからの「決めつけ」のような間違った前提があるのではないかと疑問を呈しています。
    次に島薗氏はトリアージ問題を、川口氏はALS患者の死ぬ権利について児玉氏は親の立場から支援の未熟な社会のあり方について述べています。
    安楽死・尊厳死、優生思想をめぐる世論に警鐘を鳴らす1冊です。
    どうぞお手に取ってごらんください。
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    投稿日:2023.01.05

  • まさる

    まさる

    終末期と急性期との違い
    高齢や障害者であれば治療しないのか
    呼吸器がない場合には死ぬしかないのか
    日本で類を見ない医療崩壊がおこり
    亡くなった命が沢山ある
    コロナ禍でこれからの医療体制を見直し改善できるといいが
    原発の事故も一回きりではない
    緊急事態がら再び起きた時に人権を配慮して対応できるのか
    他人事ではない
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    投稿日:2022.06.21

  • アツ

    アツ

    あまりにひどい内容。
    コロナ禍でのトリアージなど人の生命の選別など、障害者視点でも取り上げているので手にした。
    しかし、まるで見捨てられる いのち を糧にして生きているような人たちの話しをありがたく聞かなければいけないような内容だ。

    いのちを扱うテーマなのに、話しも言葉もとびとびで自己満足だけしか伝わらない。
    ことばの扱いが粗末すぎる。
    自分の障害や社会的な見栄はうまく伝えられている。
    結局、考えるべき いのち についての言葉がまとまっていない。伝える言葉は無いようだ。
    生命を粗末に扱っているようにしか伝わらないだろう。

    コロナ禍が続く今だからと読んでみたものの、
    障害を持って生きている私にも、ここまで自分勝手な人達とは付き合えない。

    障害を持って大学で教えているなど、生徒たちが哀れだ。
    ALS患者が医師に依頼した嘱託殺人事件のケース、コロナ禍でのトリアージ、スイスでの自殺幇助、相模原津久井やまゆり園での障害者施設殺傷事件など 生きることと選別する生命・選択する死などを考える素材として提示されている。
    あらためて 障害者だけでなく、コロナでの死と医療に携わる人、行政や政治、司法に携わるそれぞれ立場で いのち を考えるべきと思う。

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    投稿日:2022.06.21

  • だまし売りNo

    だまし売りNo

    安藤泰至、島薗進編著、川口有美子、大谷いづみ、児玉真美著『見捨てられる〈いのち〉を考える――京都ALS嘱託殺人と人工呼吸器トリアージから』は京都ALS嘱託殺人とコロナ禍の人工呼吸器トリアージの問題から命の選別について取り上げた書籍である。安楽死や尊厳死、優生思想に警鐘を鳴らしている。

    京都ALS嘱託殺人はALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性患者に薬物を投与したとして、二人の医師が嘱託殺人容疑で逮捕された事件である。

    人工呼吸器トリアージはコロナ禍の医療逼迫で人工呼吸器が不足し、人工呼吸器を付ける患者を選別しようとする議論である。東京都杉並区の田中良区長が「トリアージは医療現場に押し付けず、東京都がガイドラインを作るべき」と小池百合子都知事に申し入れして批判を集めた。この問題は立正佼成会附属佼成病院への公開質問状でも取り上げた。

    人工呼吸器トリアージが命の選別であり、見捨てられる命になることは明確である。人工呼吸器が必要という需要に応えられない。人工呼吸器が装着されないならば患者の苦しみは大きなものになる。

    「呼吸器を外すことがいかに残酷な行為であるか。人間息ができないことほど苦しい状況はない。水におぼれる状態を想像してほしい。せめて心臓が動いている間くらい、酸素を送ってあげよう。生命活動を支えるもっとも重要な物質である酸素だけは、命のつきるまでは送り続けよう。あとわずかの時間を、出来る限り患者の尊厳を保つよう心を込めてケアしながら、大切に見守ろう。命の灯が自然に消えるのを一緒に待とうと家族を説得してほしい。どうせ死ぬ、助からない、だからといって私たちが死ぬ時間を決めてよいのでしょうか」(中島みち『「尊厳死」に尊厳はあるか、ある呼吸器外し事件から』岩波書店、2007年、119頁)。

    これに対して京都ALS嘱託殺人が命の選別の問題かについて異論を抱く向きもあるかもしれない。京都ALS嘱託殺人では被害者が死を望んだとされるためである。本人の死ぬ自由を叶えるかという問題と主張されるかもしれない。しかし、そのような問題の立て方自体が命の選別や反延命主義の論理になる。人は順境にあれば死を望む理由はない。その事態に追い込んだ原因を放置して、本人の意思を根拠として死なせることを正当化するならば公務員的な責任逃れの論理になる。この問題を命の選別の問題として取り上げることには大きな意味がある。

    現実に公立福生病院事件を考える連絡会・事務局も「いのちの切り捨てを許さない立場」から「京都ALS患者嘱託殺人事件報道に接しての声明」を出している。この声明には林田医療裁判を考える会も賛同した。
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    投稿日:2021.10.31

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