【感想】その日東京駅五時二十五分発

西川美和 / 新潮文庫
(28件のレビュー)

総合評価:

平均 3.8
7
6
10
1
0

ブクログレビュー

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  • おびのり

    おびのり

    その日とは、正午に玉音放送があり、戦争が終わったと知らされた日。
    小説だったかエッセイだったか忘れてしまったが、玉音放送が流れていたその時でさえ鉄道は時刻通りに運行されていたという事を読んだ事がある。もちろん、運行できるところは、という事だとは思うけれど。
    敗戦、無条件降伏のその時にさえと知った時は、
    不思議な感じがした。
    西川さんは、好きな作家さんのひとり。最近さてさてさんが、読んでいるなと思っていたら、知らなかった本作のレビューを登録されて、急いで図書館予約しました。
    この作品は西川さんの伯父の手記からの小説化。
    広島の出身で、初年兵として訓練中に敗戦となり、この汽車で故郷に帰る。悲惨な戦争文学とは違い、少年兵が上官の命令のまま淡々と行動している。それでもやっぱり一人の若者の戦争の姿。


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    投稿日:2024.03.12

  • さてさて

    さてさて

    あなたは、会社の機密情報を知っているでしょうか?

    ブクログに集う方の属性はマチマチです。学生さんもいらっしゃれば、会社員の方、そして第二の人生を送られている方…と年齢層にも相当な差があると思います。また、会社員と言っても新人一年目という方から会社の上層部、実は社長です!という方もいらっしゃるかもしれません。

    会社組織を動かしていくにはまだ一般社員が知らないような情報を取り扱っていくことも多々あると思います。こんな情報を社員の面々が知ったらどんなに動揺が走るだろう…そんなトップ・シークレットな情報にも対峙していく必要がある、それが会社を動かしていく立場にある方の当然の役割です。しかし、そんな機密情報を上層部でない面々が知る場合もあります。それは、そんな情報を先んじて入手していく立場にある場合です。もちろん、そんな情報を入手する立場にあったとしても何かを検討したり決めたりということとは無関係です。しかし、会社を動かす立場でもない者がそんなトップ・シークレットを胸の中に閉じ込めておくのはそれはそれで狂おしい思いもあるだろうと思います。

    さてここに、まさかの『ポツダム宣言』の内容に偶然にも触れてしまった初年兵を描いた物語があります。終戦三月前に召集されたばかりという少年はそんな現実に動揺します。この作品は、先の大戦終戦前夜を描く物語。ドンパチとは縁遠い一方で、真実をいち早く知った『通信兵』が主人公となる物語。そしてそれは、広島で生まれた西川美和さんが”伯父の体験”をもとに、先の大戦を一味違う側面から描く物語です。
    
    『何を笑うねん』と、『土嚢の山の上に肘をついて半身を起し、益岡の顔をじっと見下ろしていた』主人公の『ぼく』は益岡の言葉に『わ。起きとった』と驚きます。『お前、ずっと起きてたんか』と続ける益岡に『飯盒の飯の残り、食うてしまおうか』と言う『ぼく』に『せめて夜明けてからにしいや。これから丸一日以上かかんのに、途中で腹減っても思うように食い物が手に入るかわからへんぞ』と返す益岡。『そのとき、ピピィー、という甲高い笛の音が足元の方から聞こえて来』ました。『そこで何をしておるか』、『ここに降りて来て、説明をしたまえッ』と『若い憲兵が仁王立ちになって』いるのを見た二人はやむなく地面に降りると質問に答えます。『襟章も何もないじゃないか』、『まさか逃げてきたのじゃあるまいな。この戦局厳しい時に』と厳しく問う憲兵に『隊は解散になりました』、『各々、家へ帰れと命令をされまして』と答える『ぼく』。それに『馬鹿にするのもたいがいにしろ。本土決戦を目の前にして解散になる隊がどこにある』と問う憲兵。そんな時、『憲兵の膝元に崩れ落ち』、泣きながら訴えだした益岡。『憲兵殿、お聞き下さい。自分らはとにかく名も隊も、誰にも決して漏らさずに、ひたすら自分の家へ帰れと上官から命じられるまま隊を出されてここに行きついておるのであります…お切りになりたくばお切り下さい…』と続ける益岡に『憲兵は、ううむ、と唸って返答に窮して』しまいます。そんな時、『一台の黒塗りの車が停まり』、『上官らしきひげの中年』に『緊急召集がかかっている』と言われた憲兵は車に乗せられ立ち去りました。『あの憲兵、取り残されてるんや』、『うん』、『俺らだけやないで、この国が負けたん知ってんのは』と語り合う二人。そんな時、『またサイレンが鳴りはじめ』ます。『空襲警報だ』と思う中に『わ、五時半じゃ』、『あかーん』と懐中時計を見て焦る二人は『東海道線の始発は五時二十五分発であった』ことを思い出し、『スカスカの背嚢を背負って』、『北口から一目散に東京駅の構内へと駆けこ』みます。『切符を買う余裕もなかった』二人は、『二十五分発の大阪行きに乗りたい』と嘆願すると駅員は中に入れてくれます。そして、サイレンが止み、静まり返った車内に席を見つけ腰を下ろした二人。そんな中に、汽車は動き出しました。そして、しばらくして『海岸線から数本、もくもくと灰色の柱が立ってい』るのに気付いた『ぼく』が指を指すと、『今朝の警報、あれやったんか』と益岡がつぶやきます。『ねえ益岡。いつまでこよなことが続くんの。ぼくらほんまに帰ってよかったんじゃろうか』と言う『ぼく』に、『益岡は唸り、それきり黙っ』てしまいます。そんな『ぼく』は、『二月前、東京行きの上り列車』で見た景色を思い出します。『あの日は深夜に大阪を出たので、東京駅には昼過ぎに着いたと思う』という『二月前』。『中央線に乗り換えて武蔵小金井駅で下車』した『ぼく』は、『大本営直属の陸軍中央特種情報部の無線傍受所』へと辿り着きました。『長旅だっただろう…』と『穏やかな眼差しで』迎えてくれた『青年中尉』は『ここは陸軍の情報の根幹を握るところである…今後このうちの誰かが重要な情報をすくいとり、日本を救う契機を作ってくれるかもしれない。ここに集った者たちの真心と知性を信じる。共にたたかおう ー』と語りかけました。そんな中尉の言葉の先に訓練に入った『ぼく』の二か月の『通信兵』としての日々とそれからが描かれていきます。

    “終戦の日の朝、19歳のぼくは東京から故郷・広島へ向かう。通信兵としての任務は戦場の過酷さからは程遠く、故郷の悲劇からも断絶され、ただ虚しく時代に流されて生きるばかりだった。淡々と、だがありありと「あの戦争」が蘇る”という内容紹介に先の大戦が思い起こされるこの作品。広島県広島市に生まれた西川美和さんが、”伯父の体験”をもとに執筆された戦争を描く物語です。

    戦後八十年が目前に迫る現代、先の大戦をリアルに知る方も少なくなってきたと思います。戦禍の中に命を落とされた兵士の方々も数多いらっしゃったことを考えると、戦争の最前線を知る元兵士という方自体少ないのは当然とも言えます。この作品では、”一九四五年の春に召集されてから終戦を迎えるまでの約三カ月、陸軍の特種情報部の傘下で通信兵としての訓練を受け”たという西川さんの伯父さんの体験を記した手記が元になっています。私たちが戦争に赴いた兵士という印象でそのイメージを思い浮かべた場合、塹壕に隠れながら敵兵士と生々しい死闘を繰り広げる部隊やお国のためにと敵戦艦に向かって突撃をしていった特攻隊の姿など、そこにはまさしく死と背中合わせに向き合う悲壮な兵隊さんの姿を思い浮かべがちです。しかし、今の私たちの世にさまざまな職業があるのと同様に、戦時下で兵士としての役割に就く人たちにもさまざまな任務があったのだと思います。そして、西川さんがこの作品では取り上げられる『通信兵』は、戦場の最前線からは一見遠い場所で任務を遂行しているかに見えます。しかし、『情報』という意味では、”政府や軍の上層部のお偉い方でもないただの初年兵が、特殊なタイミングで日本の敗戦を知らされ”るという状況が生まれます。

    この作品では、世間がまだ戦争の最中にある中に、”世間の風とは逆方向に流れるように列車に乗って、誰よりも早くに帰路についたという”、西川さんをして”ふわふわとしたファンタジーのように”も感じられる戦争の中の一風景が描かれていきます。私も読書&レビューの日々の中で先の大戦を取り上げた作品は幾つか読んできました。従軍看護婦の目を通して戦争の惨状を見る藤岡陽子さん「晴れたらいいね。」、私が初めて愛した人は特攻隊員だったという先にあの大戦の悲劇を見る汐見夏衛さん「あの花が咲く丘で、君とまた出逢えたら。」、そして疎開先で空腹に苦しむ少年が主人公となる小手鞠るいさん「見上げた空は青かった」など、読了後それなりの時間が経過したにも関わらず私の中に強く刻まれている作品群です。

    そんな中で、この作品は終戦を前にした戦時下であるにもかかわらず少し視点が異なるのがとても新鮮に映ります。とは言え、時は戦時下ですのでその描写を見てみたいと思います。特に印象的だったのが、結果論としての終戦目前に召集された主人公の『ぼく』が『兵隊にとられるということは、どういうことか』と思う中に『出征』の日を迎える場面です。

     『周囲の人は千人針だの何だのと支度にいそしみ、叱咤激励してくれた』

    という中に『甲種合格とはいかず、いわば三軍である「第二乙種」と判定されて』いた『ぼく』は、『あんなチビが戦場に出て一体何が出来る』と周囲から見られているのではないだろうかと複雑な思いの中にいました。

     『どうしてもそういう見送りは受けなくてはならないのか』

    そんな風に母親に尋ねるのを耳ざとく聞きつけた祖父に激高される『ぼく』。そんな中に、いよいよ当日を迎えます。

     『耳元で万歳、万歳、万歳、と大きな声で三唱され、祖父が袖で涙を拭い、両親が周囲にうやうやしく会釈と握手を繰り返しているのを見ると、ふしぎに自分の中でもむくむくとその気が湧き上がってき』ます。

    そして、

     『近所のおばさんに両手を握られ、お国の為にご奉仕してね、と涙混じりに言われると、「立派に死んでまいります」と、それまでまともに思ったこともない言葉がつるりと舌の先から転がり出』ます。

    そんな先に汽車に乗り込み、演習場での訓練に旅立っていく『ぼく』。『出征』の様子を描く場面は映画やTVドラマでもよく使われます。召集された心持ちの本当のところは残念ながら知る由もありません。しかし、その場に帰れる保証もなく、死と背中合わせの日々を送ることになる身の上を思うと気が狂うほどの不安に苛まれるのは間違いないと思います。この作品の主人公・『ぼく』は『甲種合格』ならず時代背景的にさらに複雑な思いにあったはずです。しかし、『出征』前の『見送り』の場がそんな思いを吹き消し、一人の兵士として歩み始めるのを見るこの場面はある意味恐ろしくも感じます。同じにして良いのか意見は分かれると思いますが、今の世であっても、スポーツで全国、世界へと赴く人たちを集めて鼓舞する”壮行”の場が存在します。それは結局はこの『出征』の『見送り』と同じ効果を狙ったものであり、その考え方が脈々とこの国に受け継がれているとも言えます。”二度と過ちは繰り返しませんから”と誓ったはずの私たち。”同調圧力”という言葉が根強く残ることがコロナ禍で再確認されたこの国にあって、私には戦争の災禍が再びこの国を襲う未来に、結局は、先の大戦と全く同じ光景がこの国で繰り返されるのではないか、そんな思いが、ふとよぎりました。

    また、主人公の『ぼく』が故郷の広島へと帰る中には原爆投下後間もない広島の風景も描写されていきます。『東京駅を出発してから、丸々二十四時間近くの時間が経とうとしていた』という主人公の『ぼく』の目に映ったもの…。

     ・『日の出前のピンク色に染まった空の下にだだっ広くさらされていたのは、何もかもが巨大な槌で地面に叩きつぶされたようになった風景だった』。

     ・『三月前にここを発った時に、確かに見たはずのビルも商店も住宅も、何一つ原形を留めてはおらず、車窓からは、はるか南の宇治港の海面が見渡せた』。

    衝撃的な光景を目にした『ぼく』、そんな『ぼく』は、汽車を降り、『何かに身体を手操られるようにして駅舎の表まで出てき』ます。

     ・『黒焦げの瓦礫が散乱した往来にはまだ陽が差さず、ひと気は無く、動くものを何も見ない』。

     ・『どこからともなく得体の知れぬ生臭い匂いが漂ってくるものの、ふしぎと人の亡骸には出会わない』。

     ・『焼けただれて山肌を露わにした牛田の山の頂きでは、爆弾の投下からもう十日も経とうというのに未だに音もなく炎が角を立て、残る緑を侵しつづけている』。

    私は、原爆投下の是非をディベートによって問う小手鞠るいさん「ある晴れた夏の朝」で、そのさまざまな視点の存在を知りました。しかし、原爆投下十日後という生々しい現場の惨状を帰郷した主人公が目にするというこの場面は、戦後時間が経った時代の議論とは別物です。武器を使う場面が、人の戦いの場面が直接に登場しない中に、ある意味第三者的にその惨状を主人公の目を通して見ていく読者、その大元が、広島市出身の西川さんの伯父さんの手記であるということも踏まえれば踏まえるほどに、この作品の描写にとても重い現実を見たように感じました。

    そんなこの作品は、冒頭に記した通り、『陸軍中央特種情報部の無線傍受所』で任務に就いていた主人公の『ぼく』がいちはやく『フリーダム・オブ・スピーチ』、『アンコンディショナル・サレンダー』という単語が七月二十七日の朝に『諜報用受信機』から流れてきたのを耳にすることで動き出します。『ポツダム宣言』というまさしくトップ・シークレットな内容を初年兵である『ぼく』が知る由は普通にはあり得ません。しかし、『通信兵』という立場が故にそのようなあり得ないことがそこに起こってもしまいます。『「アンコンディショナル」って、どういう意味だ』、『「コンディション」が、「条件」だから、「無条件な」だろ』と会話する面々。

     『「無条件」て、どういう条件だろう。どこからどこまでの条件か。そもそもぼくらは、何を条件に生きてきたのか』

    そんな思いに苛まれる『ぼく』。

     『日本が負けるわけないじゃないか』

     『無条件降伏の意味が解っているのか』

    一方でそんな傍受に動揺する面々。物語には死と隣り合わせの戦場ではなく、ある意味そんな危険な状況から最も遠い陸軍の通信施設という守られた場所が描かれています。しかし、これも一つの戦争の側面であり、歴史で第三者的に学ぶ我々と違ってあくまであの時代を生きる当事者、そんな情報の先に自分たちの未来が背中合わせに存在する者たちの複雑な思いのぶつかり合いをそこに見ることに違いはありません。そんな中に、自分は何をすべきかを自問していく『ぼく』。

     『戦争で死ぬことと、滅びた後を生き抜くこと。いったいどちらが苦しいことなのか』。

    そんな思いに苛まれていく『ぼく』の姿がそこには描かれていきます。そして、入営後、共に任務の場にいた益岡と共に西へと向かう主人公の『ぼく』。この三月の事ごとを思い出しつつ、来たる戦後へと向かって時代を生き延びていく『ぼく』の思いが描かれていくこの作品。そこには、”時代に巻き込まれ、あの戦争への参加を余儀なくされ”た一人の少年の目を通して、戦争というものを違う視点から見据える物語、あの時代を証言する物語が描かれていたのだと思います。

     『ぼくはこれでも国を愛しているのだろうか?』

    『甲種合格とはいかず、いわば三軍である「第二乙種」と判定されて』いた主人公の『ぼく』。終戦三月前に召集された『ぼく』が目にしたもの、耳にしたものが描かれていくこの作品。そこには、終戦前夜にこの国で起こっていた一つの現実が記されていました。戦争の災禍をある意味第三者的に見る視点に新鮮さを感じるこの作品。それでいて、戦争の凄惨さに変わりはないことを改めて感じもするこの作品。

    “生まれ育った土地柄、物こころついた頃から、戦争や原爆にまつわる、とてつもなく悲惨な情景や体験が絶えず耳に聴こえてくるような環境”で育ったとおっしゃる西川さん。そんな西川さんの戦争に対する深い思いを感じる素晴らしい作品でした。
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    投稿日:2024.02.26

  • tanari10

    tanari10

    東京オリンピック最中の2021年8月に、大昔となってしまった戦争に想いを馳せる。劇的な出来事や哀しみだけではない、戦争の時代を形づくっている何か。いい本にまた出会えた。

    投稿日:2021.08.07

  • jun

    jun

    戦争を経験した著者の伯父が書いた手記を元に、書いた作品。通信兵だった
    主人公が終戦をどんな風に迎えたが書かれている。

    そのような特殊な成り立ちの作品なので、西川美和らしさはあまり感じられなくて
    淡々としている。 終戦をこんな風に迎えた人もいたんだな、と勉強になった。

    ものすごく薄い本なので、すぐ読めます。
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    投稿日:2020.12.20

  • no-chindayo

    no-chindayo

    特別ではない、日常の延長に戦争があったんだなぁと感じた一冊。
    伯父の体験という現実、東京の様子も、広島の様子も、列車の中も、訓練も、淡々と書かれていて、凄惨さを訴えるわけではなく、もっと身近に起こりうるのだと。続きを読む

    投稿日:2020.09.15

  • mutotsu55

    mutotsu55

    あとがきにも書かれているが、本作は著者の伯父の戦争体験が基になっている。陸軍特殊情報部に配属になった広島出身の19歳青年の目に戦争はどう映ったのか…。あまりにも淡々と語られるので、かえって重い印象を受ける。続きを読む

    投稿日:2019.08.29

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