不可触民と現代インド
山際素男(著)
/光文社新書
作品情報
何千年もの間、インド人の約85%の民衆が低カースト民として奴隷扱いされてきた。今、その民衆が目覚め始めた――。大国・インドで何が起こっているのか。現場からの迫真の書。
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商品情報
- シリーズ
- 不可触民と現代インド
- 著者
- 山際素男
- ジャンル
- 教養 - ノンフィクション・ドキュメンタリー
- 出版社
- 光文社
- 掲載誌・レーベル
- 光文社新書
- 書籍発売日
- 2003.11.20
- Reader Store発売日
- 2014.07.18
- ファイルサイズ
- 0.5MB
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この作品のレビュー
平均 3.9 (13件のレビュー)
-
このレビューはネタバレを含みます
この本が出版されたのが2003年。
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16年とちょっと経った今、SDGsという国際目標が広まる中でインドはどう変わったのか読み終えた今は気になってます。投稿日:2020.02.12
693
最初『不可触民と現代インド』読んでよく分からなくて挫折したんだけど、『アンベードカルの生涯』⇒『マハーバーラタ』読んだら分かるようになった。日本史YouTuberもこの本勧めてたし、この本は…現代インドの明るい部分と暗い部分が均等に書かれてて良いと思った。
山際素男
1929年三重県生まれ。作家。’98年、古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』の翻訳で第34回日本翻訳出版文化賞を受賞
一九二〇年前後から一九四〇年代始めにかけての独立運動時代、ヒンズーの支配体制、カースト制の強固な擁護者であり、〝神〟のごとく 崇められていたマハートマ・ガンジー(一八六九~一九四八)は、自分の偽善性を鋭く批判し、不可触民解放のために自分に楯ついてやまぬアンベードカルと会見することになった。その時初めてアンベードカルが〝不可触民〟であることを知り、大層驚いたという。その時まで彼をブラーミンだとばかり思っていたのである。〝不可触民〟風情が、こんなにまで崇拝されている〝マハートマ(偉大)〟たる自分に逆らうとは夢にも考えられなかったのだ。
アンベードカルによって 播かれた種である仏教と不可触民解放運動は、他の低階層にも広がり、それらの階層一般を広く指して使われるようになったヒンズーの〝ダリット〟(倒れし者、虐げられた人びとの意。指定カースト民、指定部族民、その他後進カーストが含まれる)民衆にもインドの歴史の秘められた真実が明かされるようになってきた。
こうした疑問は、アンベードカルが驚くべき知識と努力で解明しようとし、提出してきた。 彼はアメリカのコロンビア大学に留学、経済学博士号を取得したのを皮切りに、ロンドン大学政治経済学院、グリーズイン法曹学院で弁護士の資格を取り、社会活動を開始した。彼の学識は多岐にわたり、後に法務大臣となり、新憲法草案者に選ばれたのは、彼において他に適任者がいなかったからだといわれる。
この国、いや外国においてすら、アンベードカルほど波瀾に富み、刺激的でロマンチックな人間は稀であろう。牛糞にまみれた不可触民の子として生まれ、不治の業病のように忌み嫌われた少年時代を送り、床屋、宿屋、寄宿舎、寺院、役所といった社会的施設の総てから拒否され、飲水、食物も与えられない過酷な人生を歩まされ、やがて世界的最高学府で学位を取りながら、その一歩一歩を徒手空拳、血と汗を流し、一つ一つ獲得してゆかねばならなかった。 有力な政党、新聞、ジャーナリズム、財力の一切を持たず、むしろそれらと戦いながら、その実力によって法曹界、政界に地歩を築き、遂にインド憲法の父と崇められるに到った。
アンベードカルは新聞も編集した。経済学、社会学、歴史、政治の分野に健筆を揮い、膨大な著作を残した。幾つもの学校、大学を興し、労働組合運動のリーダーとなり、政党を創設と、その一つだけを取り上げても普通の人の一生の仕事となるような事柄を次々と成し遂げていった」 また著者は別のところでいっている。 「マハートマ・ガンジーを不可触民の父といっているが、これは正に歴史の 捏造 である。アンベードカルこそが不可触民の父なのだ」 著者はブラーミン出の著名な伝記作家だが、彼の公正な目は出身カーストの壁によって少しも曇らされていない。
一九三二年、イギリスはインド社会の分断を狙って、多岐にわたる職能、宗教階層に対してそれぞれの属するグループ 毎 に選挙権、被選挙権を与えた。医者は医者、教師は教師、イスラム、クリスチャン、それぞれの社会成員を選挙し、国会、州議会に送っていいというわけである。イスラムはこれを機にインドからの分離独立の機運を具体化してゆくことになる。
今、アンベードカルの播いた種は見事に開花し、仏教徒は一億人を超すといわれる。そして、その最先端に日本人僧がおり、何百万ものインド仏教徒に慕われ尊敬されていることを今回の滞在で改めて実感した。
話しているところへバハル氏の奥さんが現れた。熱気がむんむんしている大会場の演壇の後ろのテントで話をしているからお互いに大声でないとよく聞き取れない。バハル氏の声はよく通るがミセスの方もはきはきとしていて聞き取り易い。絹の美しいサリーに大柄な体を包んだ彼女は、控え目な様子で腰を下ろす。バハル氏に劣らぬ立派な顔立ちである。 四十前後だろうか。大きな目、形の良い鼻、口、どうみてもかなり上層カーストの奥さんといった感じだ。バムセフのメンバーは指定カーストや後進カーストといった人びとを中心としているから、そんなに高いカースト出身とは思えないが、見た目といい物腰といい、気負ったところもなければ、成り上がり、といった感じは少しもない。自然で〝堂々〟としていた。
〝バンギー〟(清掃人)という言葉の重さがずっしりと伝わってくる。 目の前の夫婦と、〝バンギー〟という言葉は余りにかけ離れていて結びつかないのだ。しかし、厳然たる事実なのだ。恐らく周囲の仲間も、その言葉からイメージするものとバハル氏夫妻の姿とのコントラストが面白かったのかもしれない。 カースト社会の中で最も忌み嫌われる人びと、それが〝バンギー〟だ、といっても過言ではあるまい。
私は昔見た光景を今もまざまざと思い出す。 四十年程前、ビハール州のパトナ大学に留学していたことは前述したが、ある友人の家に遊びに行った時、内庭にふと目をやると、頭に大きな壺を載せた女性が庭を横切っていった。 よく見ると、壺には人糞が山盛りになっていた。彼女は壺を両手で支え、足を踏ん張るようにして外へ出て行った。異様な光景だった。思わず後から表へ出てみると、道の脇に大きな箱車が止まっていた。荷台の屋根の一部が開くようになっていて、彼女はその中にどさっと中身をぶちまけ、再び壺を頭に載せ、トイレに戻しにきた。箱車の上の籠の中には幼児がちょこんと座っていた。 「あんな〝バンギー〟なんかに興味があるのかい?」 友人は苦笑しながらいった。しばらく言葉が出なかった。都会の〝バンギー〟の赤裸々な姿を見たのはそれが最初であった。
私が滞在していたインド人の家は 宏壮 な邸宅で、トイレは水洗式だった。しかしその頃は水洗といっても地中に浸透させる方式が大半であった。ホテルやレストランも大体がそれらしい設備のところが多い。都市の貧しい住居のトイレは、直接壺の上に垂れ流すのをその時に知った。田舎へ行けば、トイレは 無い のが普通である。朝早く小さな真鍮の水壺を片手に近くの草原に用を足しに行く男女の姿はどこでも見かける風景であり、その方がむしろ自然に思えた。素手で糞壺を頭に載せる姿の方がずっと衝撃的だった。
「どんな人間にも何か才能があるものです。長所があるものです。それを生かすチャンスとチャンスを成功に導く努力です。私はそう信じています。 そして何よりも勇気です。生き抜く勇気です。 自分たちが切り拓いた道の上には、自分を生かしきれなかった、あるいは生かそうと必死になっている仲間が一杯いるのを知っています。バムセフの活動はそういう仲間に呼びかけ、励まし、共に歩むためのものなのです。アンベードカルの説く同胞愛、それを支えるブッダの教えが私たちの日常生活の土台になっているのは、それが本当に正しいのだと信じられるからです。〝バンギー〟というこの世で最も卑しめられ、虐げられてきた者にはそのことがよく分かるのです。アンベードカルも仏陀も、私たちを救うために生まれてきたんだと素直に〝実感〟するのですよ。虐げられている人びとへの共感とその共感を深め、広めるのが自分の使命だと素直に思えるのです」
「ガンジーがいったように、カースト制度がなくなったらインドではなくなる、というのはある意味で当たっています。では代わりにどんなインドが生まれるのか? 今、RSSを基盤とするBJP(インド人民党)政府は、ブラーミン、クシャトリヤ、ヴァイシャ三上位カーストは元々インド人だった。我々も先住民族だったのだと、途方もないことをいいはじめています。彼らの歴史感覚は一体どうなっているのでしょうね」
バラモンの聖典とされるヴェーダを教えることのできるのはバラモンだけであり、クシャトリヤ、ヴァイシャたちは学ぶことを許されていただけで教えることは禁じられていました。今でも大学などの教授をはじめ、教育者の大半をブラーミンが独占しているのもそのためなのです。ヒンズーの聖典をシュードラが〝立ち聞き〟していたというだけで耳に煮えたぎった油を注ぎこまれる罰――死刑ということです――を受けたことは、〝マヌ法典〟にくり返し出ています(マヌ法典=前二~三世紀に成立した最古の法典。マヌは〝人類〟を意味しインド人の生活法規の基準となってきた。その中で〈不可触民〉は徹底的に 貶められ、不浄な存在として人間的尊厳を奪われてきた)。
アンベードカルがヒンズー寺院を〝不可触民〟にも開放せよという運動を進めている最中、寺院の門前で〝マヌ法典〟を焼いたのは有名な出来事であり、そしてその時実際に〝マヌ法典〟を焚書の刑にふしたのはブラーミンでした。
「バラモン教典、マヌ法典など一切の文献は女性を〝シュードラ〟として扱っています。インドではどうしてこんなに女性一般を〝奴隷〟として扱ってきたのか不思議といえば不思議です。 結婚制度が何故こんなに厳しく、同族結婚制を強制してきたのか。上位カーストの男性と下位ヴァルナ――色の黒い先住民の意――の女性との結びつきを大目に見、生まれた子供を父方のカーストに帰属させながら、低ヴァルナの男性と比較的上位ヴァルナ(高いカースト身分に属する女性がカースト制度が確立された後生まれてきたわけだから)の女性との結びつきを極端に忌み嫌ったのは、結婚を利用して低位カーストの男性が上位に昇るのを避けたからだと考えられるでしょう。 こうして考えてみると、インドに侵入してきたアーリア人はほとんどが男であり、女は先住民しかいないのだから強引に先住民の女を自分のものにしてゆくしかなかったはずです。
西ユーラシアの白人種の男たちは先住民の女性を片っ端から略奪し、強姦、暴行を働き征服していったはずです。すべての女性の地位が一様に低く、自分たちの妻となってもシュードラとして扱ってきたのはこのインド侵入時の状況が生み出した帰結といえるでしょう。
ブッダは生涯を歩いて歩いて歩き通し、教えを説いて回ったとアンベードカルはいっています。ですから私たちも毎日、毎日、一つの所に留まらず、一年中歩きつづけることを実行してきました。バムセフの〝使者〟は常に休むことなくどこにでも現れる。そういわれることを誇りにして生きてきたのです。
我々の目的は単純で明快です。我々が奪われていた自由と平等、友愛の精神を我々の間に甦らせ広めてゆくには行動しなくてはならない。ブッダとアンベードカルの言葉をくり返し伝え、共鳴させてゆくのです。そしてやる気を起こさせていきました。カンシ・ラムも実によく働き、動きましたが、我々はもっと働きました。彼は持病がありましたが、週に三日は旅を続け 行脚 していました。それを私は週六日やり通しました。その位歩かなくては信頼を勝ち取れないと思ったからです。
ブッダの説いた教えが、高い教養、王侯貴族のような人びとに受け入れられたのは、誰よりも深い苦悩をなめた人びとの心に向かって、その人びとを救う教えだったからこそ権力者の心にも届いたのだと思います。その逆では決してありえません。 そういう意味で、仏教は絶対者への帰依を求める信仰の教えではありません。幸せになるためにはどう生きればいいのかを説いた教えです。現実的で実践的生き方を説いているのです」
「アンベードカル博士の説くブッダの教えは、私たちや私たちの仲間のような人びとの心に一番早く届くことを私は知ったのです。ブッダも、アンベードカルも人の苦しみ、苦しんでいる人はどういう心なのかを誰よりも理解していました。ですから、誰よりも苦しんでいる人びとの心にその言葉は真っ直ぐ届いていくのだと思います。そういう意味で、『ブッダとそのダンマ』は我々ダリットに最も 相応しい、心に届きやすい書なのだと感じます。
「仏教には前から関心があった。でも仏教について教えてくれる人は身近にはいなかったんだ。アンベードカル博士のことは噂で知っていた。同じ〝不可触民〟出身で、政治、経済、法律に通じる大学者で、初代の法務大臣になっていることも知っていた。たまたまある街に講演にきていた彼の演説を聞きにいき、直接会うチャンスに恵まれた。
「カビールを若い頃から信奉しとったから自然と女性と距離を置く癖ができてしまったのかもしれないな。カビールは〝女には魔性がある〟といって女に近寄らなかったようだ。だからといってわしは女性を蔑んだりはしてこなかった。 仏教というものは本来、人間を性の違いで差別するものではない。男も女も同じ仏性を生まれながらに授かった同胞なんだ。ヒンズー教はカースト差別だけでなく、その上女性差別が徹底しているからインドの、特に下層カーストの女はいつもひどい差別をされてきている。ただわしの生き方には女性と特別な仲になることを避ける何かがあったのは確かだ。でもそれが差別だとは思わんがなぁ」 「アンベードカルは二度結婚しましたよね」 「あの方は、僧ではなかったし、サズゥでもなかった。世俗人として生き、苦悩する同胞を解放するためこの世に送られてきた、〝 菩薩〟だったのだよ。形にこだわることはないと思う。そういう姿で全身全霊をもって生き抜いた人なんだ。結婚していようといまいと、仏教は男も女もそういう人間を〝菩薩〟と呼んできたのじゃないのかな」
イギリスが十九世紀の初めに〝サティ〟を禁止したのも、それが余りにひどかったのと、その当時盛んになってきたブラーフモ・サマージという運動に逆に影響されたことがある(ラーマ・モーハン・ロイというベンガルのブラーミンが興したヒンズー教の改革運動。彼は幼児婚、女性の社会的地位の向上、教育の機会均等、離婚と再婚の自由、特にサティの風習を激しく攻撃した)。 だから私は女の患者に未亡人や、夫と別れた女がいると再婚をどしどしすすめている。ブラーミンなんぞのいい出した、離婚は罪だの、寡婦の再婚は亡き夫と神への 冒瀆 だなどというたわ言に耳を傾けるなってね」
ヒンズー教は未来永劫になくならないようなことをいっているが、インドには非ヒンズー的思想が大きなうねりをもって流れはじめているのだ。イスラム教、キリスト教、仏教も入って、特に一番保守的といわれる南インドのヒンズー社会に大きな変化が生まれはじめている。
女も勉強しなくてはいけない。女性が目覚めなくては女性の惨めさは永久に変わらないんだと子供心に刻み込んだのでしょう。その思いが、私を社会改革運動に突き動かしたのかもしれませんね」 彼女は頰を緩め、脇にいる小学六年生の娘に温かい眼差しを向けた。娘さんは素敵な美人で、利発さが溢れんばかりだ。話の途中で、結婚制度に話が及び、「親の決めた結婚に従うばかりが能じゃないよね。自分で相手を見つけ、恋をし、一緒になるんだ」と私がいうと、うん、うんと深く 頷き、ぐいと片腕を伸ばし、ぎゅうと力こぶを作ってみせた。頼もしい小学生である。
インド社会はカースト制によって分断された縦割り社会であり、各階層の横のつながりというものが古くから培われていません。アンベードカルもいっているように、窓のない各カースト別に分かれた塔のような社会で、互いの連帯感、共通の意識に欠けた建物のようなものです。それが、〝正しい〟社会秩序、世界観なのですから人間全体の平等観というものが全く育たなかったのです。 ダリットの女性が、男のダリットより更に低い、男のダリット社会からも一段と低い地位に止められている不平等さが、社会の〝正しい〟秩序なのです。 ですから女性への不平等、差別は〝当たり前〟なのであって、それを改めるべき〝悪〟だとは女性もひっくるめて誰も考えてこなかったのです。別に誇張していっているわけではありません。それが〝正しい〟倫理、道徳観だったのです。ですから男が女を殴ろうが、蹴り倒そうが、男がそうしたいと思えば誰も文句はいいません。当然だからです。それに抗議すること自体が反社会的、反道徳的、反逆者的行為とみなされ厳しく罰せられてきたのです。
「ともあれ、カースト社会における最大の犠牲者は女性なのです。カースト間の争いで犠牲になるのはいつも女性です。男ももちろん狙われますが、 凌辱 の対象は女性です。 英字新聞や高級週刊誌などにはほとんど出ませんが、ヒンズー語、あるいは地方紙には今でも 度々 掲載される記事で、 ありふれた 事件です。カースト争いの見せしめに、頭を坊主にされた上、素っ裸にされて村中を首にロープを巻かれ引き回される女性の話などです。 こんなことは昔から日常茶飯事であり、事件ですらなかったのです。最近ですよ、こういうことが〝犯罪〟として報道されるようになったのは。
逆毛結婚(低カースト男性と上位カースト女性との結婚)は特にタブー視され、それでも一緒になった若い男女が徹底的に追及され、遂に探し出されて双方の両親の目の前で村の広場で吊され焼き殺された、などという記事によくお目にかかります。ウッタル・プラデシュ州でも実際あった話で古いことではありません。 最近も、マッディヤ・プラデシュ州の田舎で、異カーストの男性と結婚した女性が、彼女の村の長老の命令で〝競売〟にかけられています。村の伝統的掟を破ったからです。
また同カーストなのに親の許可なしに自由結婚、つまり恋愛結婚をしたというだけで、父親が娘を木に吊して焼き殺してしまいます。こういう残酷なことをするのは主に農村地帯で、しかも低カースト民の間で密かに行われ、警察にも知られず、闇から闇に葬られていくか、警察も知りつつ手を出さないかなのです。インドには二つのインドがあります。進んだインドと遅れたインドです。後進的インドでは恋愛結婚は未だタブーであり、進んだインド…
結婚問題をはじめ、インド社会は今もすべての決定権を男に握られていて、女性の立場をいくら訴えても変わりません。その大きな原因は一番虐げられている女性が声を上げないからです。上げようとする前に支配勢力によって抑え込まれてしまうのです。 社会的に有名になったり、マスコミで活躍している女性は増えていますし、経済力を身につけてきている女性も幾らか出ていますが、ダリット女性は地面に押さえつけられっ放しです。それは宗教的イデオロギーが大きな要因です。インド人は信心深い。どこの家に行ってもヒンズーの神々の像が見られるほどです。
しかしこれがダリット民衆、特に女性の自覚を妨げています。悩みが大きくなるほど信仰心の方へ傾いていくのは大昔から少しも変わりません。どこへ行っても、家では男に押さえつけられ、社会に出ていけば、残酷なまでにひどい対象の的になり、黙って神さまに祈るしかないと思いこまされ てしまうのです。 これは彼女たちの せい ではありません。教育を与えず、物事の理非を判断する知識も与えず、字も読めない状態を改善しようともしなければ、どうやって人は正しく世界を見ることができるでしょう。
アンベードカルその人の思想、仏教観に私は共感しますが、アンベードカル信奉者やアンベードカル運動家のやり方には全面的には支持し難いものを感じます。やたらアンベードカルの像を…
像だけ建てて、その前で時々集まって祭祀めいた行事をするだけでいいのでしょうか。アンベードカル信奉者、特に指導的立場にある人びとは、民衆と遊離しているように思います。アンベードカルの思想を広め、深めてゆくために働くのではなく、その名声や権威を利用し、自分の社会的地位や利欲に動かされている人が増えています。これでは彼らが批判するブラーミン的上層カーストのやり方と変わりがないではありませんか。アンベードカルの像を建てることが、目覚めたダリットの存在を象徴し、誇示しているのだというのも認…
インド女性の社会的地位が極めて低いといいながら、故インデラ・ガンジー首相をはじめ、州首相や重要な社会的地位についている女性は珍しくない。しかし、〝指定カースト〟出身で高い人気を保っている女性政治家は稀だ。
マヤワティーは一九五六年、チャマール(北インド一帯の最大の指定カーストグループ)の家に生まれた。父は電話公社の中級職員であった。彼女は学士、修士、博士課程へと進み、一九七七年、教師になった。そこで彼女は露骨なカースト差別の洗礼を受けた。彼女ほどに高い教育を受けていても、ブラーミンたち上位カーストグループの露骨な差別は容赦なかった。アンベードカルの書物は砂漠にまかれた水のように心に沁み入り、彼の著作をむさぼり読んだ。そして仏教への関心も増していった。 彼女の住んでいるカロルバグにバムセフのオフィスが生まれ、小さな事務所の窓から地面に届かんばかりに垂れ下がっている大きな看板を横目で見ながら通り過ぎていた。三年余りたって、IAS(上級国家公務員)受験の準備をしている頃、ある会合でカンシ・ラムと出会った。その日から彼女の運命は大きく変わってゆく。
「インドはイスラム、特に石油産出圏のイスラムなくしては立ちゆきません。パキスタンとは積年の歴史的関係と反感から 歪みきっていますが、元々は同じインド人なのです。宗教的違いを除いて同じ人種、文化を基盤にしてきたのですから和解できないはずはありません。
インド社会はどこを切ってもカースト制度が顔を出します。 リザーブシステムについても、国家公務員でありながらリザーブシステムを適用していないのはインド軍隊だけでしょう。ですから士官クラス以上にダリット出身者はほとんどいません。警察にはもちろんリザーブシステムは適用されています。この制度がなければ、ダリットには向上してゆくチャンスが与えられないのです。古代からのカースト制度は今もがっちり三上位カーストが押さえており、ブラーミンは教育、司法分野、クシャトリヤは軍関係、ヴァイシャは経済界を支配しつづけています。続きを読む投稿日:2024.02.14
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