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経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策
デヴィッド・スタックラー, サンジェイ・バス, 橘明美, 臼井美子 / 草思社
失業率と自殺率を切り離すことはできる
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どの社会でも、最も大事な資源はその構成員、つまり人間である。したがって健康への投資は、好況時においては賢い選択であり、不況時には緊急かつ不可欠な選択となる。
一般的な予測とは異なり不況は必ずしも…健康を損ねないと言う「過去の自然実験」の結果がある。「1931年はアメリカ史上にあまり例がないほど健康な年になった」1929年から33年にかけアメリカの平均所得は一気に下がり、同時に総死亡率は10%減少した。33年以降経済の回復と同じく総死亡率も上昇を見せたのだ。
この多くは長期的な衛生状態の改善で説明がついたが、失業による自殺率の上昇が覆い隠されていた。逆に交通事故死の減少は自殺者数の増加を上回っていた。そしてこの2つの現象はリーマンショックでも繰り返され、アメリカでは4750人自殺者が増え、交通事故死は3600人減った。
健康への影響は他にもアルコール、うつ、公衆衛生予算の削減から来る感染症の増加、健康保険の喪失そしてホームレスの増加など様々な影響を受ける。100年前はニューディール政策が多くの人を救った。アメリカで実施された公衆衛生政策としては最大規模のものである。
東アジア通貨危機ではIMFに従い緊縮財政で予算を削減したタイでエイズによる死亡率が急増し、最初に経済が回復したのは支援を拒否し、社会保護政策への予算を増やしたたマレーシアだった。
リーマンショックではギリシャとアイスランドが好対照を示した。タックスヘブンを目指し銀行とごく一部の国民が投機に走ったアイスランドは2007年には世界で5番目に豊かな国になったがリーマンショック後にはIMFの支援の条件として保険医療関係予算の30%減を突きつけられた。しかしアイスランドの場合政府支出乗数が最も大きいのは保険医療と教育でいずれも3を超え逆に小さいのは防衛と銀行救済措置だった。2010年大統領はイギリスとオランダへの預金の返済を拒否した。リスクの高い投資者への返済を税金で補償する必要があるのか?そのため必要以上の予算削減までのまなければならないのかと。国民が団結したアイスランドは社会保障を維持したまま経済の回復も達成した。
一方で緊縮財政を受け入れたギリシャでは社会的弱者の命と健康が危険にさらされた。失業による自殺者の増加、ヘロインから来るHIV感染者の急増、そして政府は医療事情の悪化を無視し続けた。
自殺やうつを減らすための失業対策としては単純な現金給付よりもスウェーデンなどが実施したALMP、積極的労働史上政策が高い効果を上げた。アメリカのように「履歴書を用意して、シャワーを浴び、スーツを着ること」と言うパンフレットを渡すのとは違い、就職斡旋や職業訓練を実施し①速やかな再就職が可能になり②ジョブトレーナーと2人3脚で取り組むことで、しっかりとした社会支援があると思えることで精神衛生上のリスクを軽減し③失業の不安のある就業者にもなんとかなると安心感を与える。スウェーデンでは失業率が10%以上上昇したのにも関わらず、自殺率は一貫して減少し続けた。この研究によるとALMPに一人当たり190ドル以上の投資をした国では、失業率と自殺率の相関がゼロになっていた。ホームレス対策とともに健康にも経済の回復=財政再建にも効果が大きい。
現在アメリカでは史上最高レベルで失業者が増加している。日本もこれからだが過去の自然実験をぜひ無駄にして欲しくない。 続きを読む投稿日:2020.05.07
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ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?
高野誠鮮 / 講談社+α新書
公務員のヴェンチャー起業物語
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石川県羽咋市と言えば千里浜なぎさドライブウェイ。この本で紹介されているコスモアイル羽咋には月の石やルナ/マーズ・ローバーが展示されていてそれも100年間無償だそうだ。ヴォストーク帰還船の実物やシールド…は本物のアポロ指令船もある。行けばよかった。
このコスモアイルを立ち上げたのが今ではスーパー公務員とまで呼ばれるようになった高野誠鮮師。師と言うのは公務員でありながら日蓮宗で代々続く本證山妙法寺の第41代住職でもあるからだ。
羽咋市のHP@H24とこの本によると以下の様な限界集落だった
農地面積2320ha(神子原には110haの棚田、耕作放棄地46ha@H17)、人口23412人、8501世帯(神子原では昭和59年度には196世帯832人いた人口がH16年12月末には169世帯527人、そしてH24は110世帯323人)そして農業人口541人@H24、そして高野氏が訪問直後の平均年収は87万円・・・
平成13年冬「おまえみたいなヤツは、農林課に飛ばしてやる!」と上司に飛ばされたことがきっかけ。それもコスモアイルで使うために買ったUFOという800ドルの番組を800万円と上司が誤解したから。農林課の仕事で神子原村へ行ったのも補助金の説明でそこで村人達に言われた言葉が「わしら、この先5年は大丈夫だろうけど、そこから先はどうなるかわからんぞ。」
高野氏が「過疎高齢化した集落の活性化」をマニュフェストにして当選した新市長の元で目指したのが若者が出て行かない街づくりで①流通を変え農家が直接販売して利益を得る。②農作物のブランド化③雇用の創出(直売所、加工所など)が具体的なプランだったがここまではよくある話だろう。どうやって成功したかがこの話のポイントだ。
市長肝いりの事業の予算はわずか60万円。これでコンサルに頼みイベントをやるという道は無くなる。いかに自分で工夫するかをスタートにした。そしてこれがヴェンチャーだと言えるのは会議をやめ、企画書をやめ、すべて事後報告にしたこと。当然反対はあるが上司のバックアップと低予算を理由に押し通す。この後はかなり行き当たりばったりだが予算が少ないと言うことはこけても失敗が少ないし、簡単にすぐ始められることから始めたのも成功の要因だろう。小さく賭けてたくさん失敗し学習する。まあガバナンスの問題もあるから結果オーライではあるのだが。
最初のプロジェクトは空き家、空き農地の貸し出しで村の人は当然よそものを嫌がる。ほっとけば無くなる村でも心情的には受け入れがたい。問題になったのは空き家と言っても仏壇がある。そこをなんとかしたのは寺に生まれた物の知恵だった。仏壇から抜魂し位牌に移すというウルトラC。そんな方法があるのか?だがあるようだ。村人も納得した。しかも入村者選びは村人の好き嫌いに任せてしまう。お金を用意してあげるからどうか来てくださいではない。お客さんは要らない、どうしても来たければ入れてやってもいいとかなり上からだが仲間になれば歓迎するのも田舎ならではか。
都市住民との交流では烏帽子親農家制度といい仮の親子関係になって都会の若者に各家庭で泊まり込みで農業体験をしてもらう。最初に呼んだのがお酒が飲める女子大生。朝から農業で夜は宴会、しかも女の子は酒が強い。にぎやかな家には他の客も来て楽しんでいく。
本題のローマ法王にどうやって米を食べさせたかというと実は手紙だった。この手紙作戦はコスモアイルから使っていて、意外と外国人相手には効果がある。何よりそんなの無駄といわずにやってみたのが功を奏した。一方で科学的な取り組みも進めている。神子原の米はうまいというのが評判だったがタンパク質の含有率を人工衛星を使って調べる方法があるのだ。しかも意外と安い。(ヘリを飛ばすより安い)ついでにこの衛生写真を羽咋市役所がビジネスとして受けている。宣伝はもっぱらマスコミを上手く利用しており、それも最初は神子原にはUFO基地があるというほぼトンデモなところから、しかもこれを特ダネがあると週プレをつりあげた。乗る方も乗る方だ。
http://www.mlit.go.jp/common/000148780.pdf
高野氏の講演要旨がこのリンクにあるが、鍵は低予算と何にでも反対する人をどうコントロールしたかだったようだ。 続きを読む投稿日:2020.05.30
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ハイパーハードボイルドグルメリポート
上出 遼平 / 朝日新聞出版
暗闇の中の寸胴は地獄の味か天国の味か
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これはあかんヤツや。ヤバイところでヤバイヤツの食う飯を見に行く、秀逸なワンアイデアをディレクターひとりのロケで成立させる力業。こんなことをやるのは戦場カメラマンくらいにだろうにテレ東社員ディレクターが…やってしまう。よく無事に帰ってきてくれました。
「リベリア 人食い少年兵の廃墟飯」「台湾 マフィアの贅沢中華」「ロシア シベリアン・イエスのカルト飯」「ケニア ゴミ山スカベンジャー飯」ここだけ見ればとても中華以外は美味そうには思えないが、上出遼平はどこに行っても出されたものを食う。そして意外と美味いものもある。潔癖症らしいのだがよくやるわ、ほんと。
内戦後のリベリアでは元兵士たちがもはや敵味方関係なく同じ廃墟に暮らしている。リベリア人ですら近づかない高リスクエリア。通常の取材であれば警官を護衛に雇って行くところだがそれでは飯を見せてもらうと言うところにはたどり着かない。とんだ突撃隣の朝ごはんだ。
2つのミッションをクリアした上出はわざわざ帰国を1日伸ばし、リベリアで最もヤバイ場所へ行く。国立共同墓地を貫くわずか50mのその通りは警察も立ち寄らない。カメラを持っているだけで襲われる理由としては充分な場所だ。他の場所はボスを見つけて話をつけ、終わったらボスに謝礼を渡すと言う一応のパターンがあるがここでは誰がボスかもわからない。持っていたGoProは一度取られる。ポケットの中には手が入ってくる。掏摸か強盗で金が入ったら飯を食って、残った金でコカインを買うそう言う場所だ。
上出が無事に脱出できたのは運もあった。墓場で頭蓋骨を持って微笑むファム・ファタールの名前はラフテー。200円で身体を売ってその金で飯を食う彼女の男は墓場のボスだった。ラフテーの食事は暗闇の中、蝋燭もなく屋根しかない食堂。芋の葉っぱと魚の燻製を煮込んでパームオイルをかけた煮込みと山盛りの米のセット。「様々な食材がごった煮にされて、もう作ってる本人でさえこれがなんなのかわからなくなっているのではないかと思うほど複雑な味がする。焦げ茶色のドロドロの液体は食味の沼のヘドロのように、旨味が澱のように凝縮されて、熟成されている。老舗鰻屋の継ぎ足しのタレのような芳醇な香ばしさに、干し魚の旨味、そして芋の葉の粘りと青い香りに、パームオイルの酸味。美味い。米がすすむ。」
渋滞の中を逆走し、待たせた飛行機にようやく間に合った代わりに財布を落とした。そして3日かけて日本へ帰った上出は翌日台湾へ飛んだ。待っているのはマフィア飯だがまだアポは取れていない。
しかしこの企画を通してしまうテレ東もどうかしてる。 続きを読む投稿日:2020.06.09
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囲碁ライバル物語
内藤由起子 / 囲碁人ブックス
ライバルのいた時代の物語
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第1局 石田芳夫-林海峰
23歳で林海峰を破り本因坊を5連覇した石田だが7大タイトルは9つで挑戦手合は19回。林との対決では5-1とかもにした。年齢的には加藤正夫がライバルのはずだが、加藤の活躍は石…田の5連覇の終わりと入れ違いのため0-3で加藤と対決は少ない。一方で6歳年上の林は2001年に59歳で依田に挑戦するなど息が長い。
林海峰の対戦成績は対坂田6-2、対加藤2-5、対小林2-3、対趙2-2
昭和40年代は坂田栄男の時代が終わり若い林海峰と石田が碁界の中心となっていった。
第2局 大竹英雄-林海峰
同い年で誰もが認めるライバルながら直接対決はわずかに2回。大竹の活躍は1975年に石田から名人をとった頃からで林からは10年遅れと言える。1976年以降加藤、武宮、趙、小林が次々とタイトルを取っており木谷門では石田に代わり年長の大竹が昭和50年代から平成までは木谷一門の時代でその前半を引っ張ったのが大竹と加藤だ。 大竹のタイトル戦は対趙が2-8と最も多く、対加藤は4-2、対小林1-5、対石田3-0、対武宮1-1と門下全てがライバルとなっている。
第3局 趙治勲-加藤正夫
趙が6歳で来日し内弟子生活を始めたころ、石田、加藤が次々に入段し1965年に武宮と小林が加わり10年近く一緒に暮らした。加藤が少し遅いとは言え17歳で入段したころ、趙はまだおもちゃのピストルを持って走り回る小学生だった。石田、武宮とともに木谷門の三羽烏と呼ばれた加藤はタイトルの数ではこの三人の中では大きく抜きん出ている。対小林4-6、対趙3-5 、対武宮3-1
第4局 小川誠子-小林千寿
第5局 小林光一-武宮正樹
学年と入段はともに武宮が2つ上だが木谷門下に入ったのはほぼ同時で初タイトルもほぼ同時。しかしタイトル戦の常連となったのは昭和60年代以降と2人の活躍は30代以降がメインだ。武宮がしかけた舌戦もあり、外野から見れば囲碁では珍しいプロレス的な対決だった。最終的な実績は小林に軍配が上がるが人気では武宮か。
武宮の対戦成績は対小林2-3、対趙2-4と木谷門下でのタイトル戦がほとんどだ。
第6局 趙治勲-小林光一
対戦成績は趙の8-2と偏ったが3大タイトルでの対決9回はまさにライバルだ。年は小林が4歳上だが木谷門では趙が先輩で小林の入門時は趙の方が強かった。しかし小林が先に入段した。初の7大タイトルもほぼ同時ながら20代の趙は次々とタイトルを重ね昭和60年代から平成の前半はこの2人が碁界の中心に居続けた。
趙の対戦成績は上記以外では対王立誠4-4、対依田2-2、対山下2-1など。
第7局 趙治勲-依田紀基
木谷一門の時代を終わらせるのは依田だと思っていた。15歳で入段し11連勝。18歳で名人戦リーグ入りしかしその後歌舞伎町におぼれ、バクチにハマりとこの辺はどん底名人で。7大タイトルは1995年の十段から2005年の碁聖までとほぼ30代だけと言うのは寂しい。
趙との4戦以外めぼしい対戦相手がないのはライバルといえる存在がいなかったと言うことだろうか。
第8局 山下敬吾-羽根直樹
第9局 張栩-高尾紳路
第10局 井山裕太-芝野虎丸
平成四天王は入段がいずれも平成になってから。タイトルは2000年山下21歳が最初で2000年代始めは趙、王立誠、依田から四天王の時代へと変わっていった。しかし井山の登場で全てが変わる。2010年以降は誰が井山からタイトルを奪えるかが焦点となった。2019年までの10年間で井山の出てこないタイトル戦はわずか15回だ。
井山の対戦成績は対張栩6-3、対山下11-1、対高尾6-2、対羽根1-0、対河野臨7-0、対村川大介3-2、対一力遼5-0、対許家元1-1、対芝野0-1
張栩は対山下6-2、対高尾3-2、対羽根1-0、対依田3-0、対芝野0-1
山下は対羽根5-2、対趙2-1、対河野0-3、羽根-高尾は2-0、以外だが山下-高尾のタイトル戦がない。
国内ではライバルのいない井山だが中韓には同等以上の相手がおそらく20人以上いてその上にAIがいる。
ライバル物語が描ける時代はもうあまり残っていないかもしれない。 続きを読む投稿日:2020.06.14
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女帝 小池百合子
石井妙子 / 文春e-book
小池百合子を作り上げた数々の「物語」
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この本の多くは小池が語った言葉、小池の「物語」でできている。そしてこのレビューはその言葉を切り取ったものだ。
「ちょっと自慢になりますが、カイロ大学では、主席で卒業したんです。で、帰国のために乗…るはずだった飛行機が、都合が悪くてキャンセルしたら墜落しちゃったんです。同じようなことが、もう一度ありました。わたしって、本当に強運なんです」
小池はアラビア語学校に一、二回通うとスクールを辞め、そこで中級コースに通う山本と出会って2か月で結婚を決めた。だが結婚生活は長続きしなかった。留学生の中ではアラビア語がうまいと言われた山本もカイロ大学の授業についていくには充分ではなかったようだ。
小池のアラビアでの生活はガイドのバイトや駐在員との社交が中心であった。73年2月に父親についてリビアに行くエピソードが出てくるが後にこう語っている。
「私は中東にいて、国際政治の冷徹さや二枚舌外交、また領土に対する認識の強さを現実に見て学びました。最も肌で感じたのは、たしか七三年の五月、商社マンの通訳としてトリポリに行った時のことです。 リビア石油公社との交渉だったのですが、結論は出なかったので、乗る予定だった飛行機をキャンセルして一日滞在を延ばしたんです。飛行機は地中海の上を通ってシナイ半島のところで南下し、最後は北上してカイロ空港に到着する予定だったのですが、その途中で、イスラエルの上空を侵犯したとして戦闘機に撃ち落とされました。 あの時に、背筋が凍るとはこういうことだと実感しましたね。領空、領土、領海は主権そのものです。『一歩足りとも自分たちの領土には踏み入れさせない』という意識を、身をもって学んだんです。
小池と同居する早川さんの当時の手紙にはこうある「リビアでお父様に結婚を許してもらったと百合子さん、とても幸せそうでした」
「私は1971年から5年間、中東にいた経験がある。その間、通訳や取材者として、数多くのアラブの政治家たちに会った。」
信じる方がどうかしている「物語」だが、大学が公式に認めた以上カイロ大学は卒業したということなのだろう。ただ選挙活動での嘘はそれでは済まない。二十歳の留学生を商談の通訳に雇う商社などない。観光ガイドはできても政治家の取材に使うこともない。そこにいるだけではアラブ通にも外交通にもなりはしない。
「私が権力者のところに渡るのではなく、私のサポートでその人が権力者になるんです」
「あまりに細川さんが頼りなく見えたので、自分が助けてあげるしかないと思った」「私は、細川さんの役割は、もう終わった、と思っているんです(中略)『僕ちゃん、偉いんだもんね』をもう一度証明したいという自我だけなら、私が支える必要はない。」
「新生党に懐疑的です。かつては自民党の中枢にいた人たちの集団で、その清算はまだ終わっていません」「小沢さんを私が悪役からヒーローにして見せます」『小沢さん、自民党とは別れましょうよ、私たちだけで小さくてもやっていきましょう』『自由党から比例で当選者が出ると思ってるんですか』
「自民党を外から壊すのではなく、内から壊すほうが早いと思った。小泉総理が自民党をぶっ壊すと言っている。小泉総理でなければ自民党には入らなかった」「東京でアベノミクスをより強く実践するために都知事になりたい」「東京から日本を変えるほうが改革の早道」「思うような都政をするには、国政を変える必要がある」
小池百合子の本質が伺えるのはむしろ自分より下とみなしたものの前でだ。
「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます?私、選挙区変わったし」阪神淡路大震災被災者の陳情に対して
「あった-、私のバッグ。拉致されたかと思った。」拉致被害者家族会見会場にて
「イケメンの自衛官を15人集めて頂戴」防衛大臣就任時のPR写真
「ほかの候補も改革というが、中身が違う、覚悟が違う、ジャンヌ・ダルクは最後は火あぶりになるが、それでも結構でーす!」総裁選立候補そして「ジャンヌ・ダルクはね、火あぶりになるからイヤ」築地の小池を応援する仲卸の女性に対して
そして、希望の党と民進党の合流の時にこれが出た。『排除されない』、ということはございませんで、排除します。
おそらく小池百合子には政策に対する思い入れはないのだろう。「政治こそマーケティングであります」「国民の皆様の共感を呼び起こし、大義を達成する」と言うのは何を言えば受けるかでしかない。
東京大改革の7つのゼロはほとんど達成されていない。そしてコロナ下の東京で小池百合子は新しい「物語」を語るのだろう。 続きを読む投稿日:2020.06.20
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アストロボール 世界一を成し遂げた新たな戦術
ベン・ライター, 桑田健 / 角川書店単行本
サイン盗みさえなければスカッとした話なのだが
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2014年シーズンのヒューストン・アストロズは過去半世紀で最悪のチームだった。過去3年で324敗、この年も最下位争いをしていたがスポーツ・イラストレイテッド6月30日号の表紙は新人外野手ジャージ・スプ…リンガーの写真とともにYOUR 2017 WORLD SERIES CHAMPSと予想がのった。この本はアストロズがそれをどのように達成したかを追ったものなのだが、問題はこの本に書かれていないその後だ。この本の主役達GMのルーノウ、ベテランのベルトランそして監督のヒンチはサイン盗みを主導した。クライマックスとなる2017年のワールドシリーズではベルトランがダルビッシュの癖を読み攻略したことが描かれている。第3戦ではシーズン中26%の空振りを取るダルビッシュの49球に対しアストロズは25回バットを振り空振りは2回、わずか8%だった。
「実際のところ、アストロズの打者たちには読めていた。」
第7戦でダルビッシュは癖を修正したがやはり2イニングで5点を失いSIの予言は達成された。
サイン盗みはさておき、アストロズの再建はドラフト戦略から始まった。メジャーでプレイできる選手は1割にも満たない。セイバーマトリクスと従来のスカウトを組み合わせ、スカウトの直感まで数値化しようとした。真に価値のある情報と認知バイアスを分けるためだ。背景にはGMのルーノウが2009年セントルイスのスカウト部長時代に1巡目19番目でなぜもう1人の候補を選ばなかったか何度となく振り返ることになる後悔がある。逃したトラウトは大きかったのだ。
2012年のドラフトでは全体1位で全米最高の逸材と言われたバイロン・バクストンではなくプエルトリコの高校生カルロス・コレアを指名した。試合成績についてはどのチームも同じ情報を持っているがアストロズが重視したのはコレアの性格や成功したいと言う強烈な意思を持って努力し続けたことなどだった。また、契約金が安めに上がり下位指名選手への契約金上積みが可能になると言うことも後押しした。
チーム内の評価方法を変えたことでアストロズはスプリンガーやダラス・カイケルを見出だし、さらにホセ・アルトゥーべは長打を打てる打者に成長した。だが成功ばかりではない。
2013年シーズン終了後J・D・マルティネスはスイング改造に取り組んだ。いわゆるフライボール革命に適したアッパースイングを取り入れベネズエラリーグではOPS957と成果を出した。しかしアストロズのアルゴリズムは27歳の選手に他の打者の半分しかチャンスを与えず、20打席の内半分が代打だったこともありヒット3本で春季キャンプを終えアストロズはマルティネスを解雇した。それから4年間打率3割、平均32本のホームランを打つ選手に対し何の見返りを得ることもなく。
アストロズのドラフト戦略の成功や2017年夏のドラフト期限残り2秒でのジャスティン・パーランダーの補強、ベルトランがもたらしたチーム内の好影響などはノンフィクションとしては良いエピソードだ、サイン盗みさえなければ。 続きを読む投稿日:2020.08.16