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ペトラルカ 無知について
ペトラルカ, 近藤恒一 / 岩波文庫
人間中心主義へ
6
ペトラルカが活躍したのは、中世が終わろうとし、ルネサンスが芽吹き始めた時期です。中世ヨーロッパにはアリストテレスの著作が広く知られ、知識人にとって学問と云えばアリストテレスを基にしたスコラ哲学を指して…いました。彼ら中世知識人はアリストテレスを神を扱うように高い位置に置いて、アリストテレスを無批判に盲信して、名前だけアリストテレス唱え、アリストテレスの考えから逸脱したことを話していても、自分で気づかずにいるようなことさえありました。
ペトラルカは、早くからプラトンの著作を知り、プラトン哲学の素晴らしさを理解していました。プラトンを重んじ、アリストテレスを神のようには扱わないペトラルカは、当時の知識人から見れば、「無知」な人間としてみられたようです。
ペトラルカはベネチアの友人4名から訴えられて反論を書いたのですが、書簡は当初の目的である友人への反論を超え出て、知識とは知性とは何かと言う議論へと展開されて行きます。
ペトラルカは、アリストテレスを否定しているわけではなくその優秀性を認めさえしていますが、神のような高い位置からは降ろして他の思想と同等に批判的に吟味しようとしています。アリストテレスは、徳は何であるかを定義し教えてくれますが、徳をなすべく学ぶ者の心を励まし燃え立たせてはくれないと、ペトラルカは言います。いくら知識が増えたとしても、意志も魂も元のままでは意味が無いということです。
知識中心、権威中心であった思想を人間中心に捉え直そうとする姿勢がそこには現れているように感じます。人間中心主義へと大きく変わろうとするルネサンスという時代背景もあったのでしょうか。
こうして書いて来るとペトラルカは人間中心の合理主義者に映るかもしれませんが、彼はキリスト教の僧であり神を深く信仰し愛しています。合理的なもの、人間的なもの、人間の叡智を超えたもの、全てのものを受け止められる大きな精神活動をペトラルカの中に感じます。
続きを読む投稿日:2015.03.01
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新アラビア夜話
スティーヴンスン, 南條竹則, 坂本あおい / 光文社古典新訳文庫
繁栄の背後にある心の闇
4
アラビアンナイトの19世紀ロンドン版とでも言えそうな物語。奇想天外なストーリーを好きな方に向いています。ボヘミアの王子フロリゼルが、19世紀末に世界の首都として繁栄するロンドンの街で活躍します。
「…自殺クラブ」、「ラージャのダイヤモンド」という大きな2つのテーマを7つの小物語で描いています。一つ一つの小物語は、前の小物語の続編ですが、主人公として市井の人々が代わる代わる登場することで、物語の視点が変わり、ストーリー描写にも微妙な起伏が現れ、読んでいて飽きのこない面白い物語です。
フロリゼル王子は、酒場で周囲の人々にクリームタルト・パイを差し出す若い男性を見つけました。彼は、薄弱な理由ではあるが、生きる気力を失って自殺を決意し、この世との別れに最後の馬鹿な真似をしていたところでした。クリームタルト・パイを配り終わると、これから「自殺クラブ」へ行くというのです。フロリゼル王子は好奇心を抑えることができず、お供の大佐の進言も聞かず、「自殺クラブ」へ同行し入会してしまい、事件は起こります。
19世紀末、世界の首都ロンドンは、繁栄すればするほど、闇の面も濃く暗くなっていたようです。「自殺」、「ダイヤモンド」というテーマは、死や欲望を意味していて、心の闇につながっていると感じました。
物質面の繁栄が大きければ大きいほど、精神面の闇は底知れぬ深淵をのぞかせます。自殺願望は無いが死の恐怖によるスリルを味わいたいがために「自殺クラブ」へ集うマルサス氏、彼こそは歪んだ社会の象徴的な存在かもしれません。
フロリゼル王子はあらゆる才芸に長け、人柄は人間の魅力に満ち、思慮深く、上下あらゆる階層の人々の人気を集めるほどでしたが、そういう人物をしても「自殺」や「ダイヤモンド」によって道を誤まってしまいます。最高の人をしても人の心の闇は依然として深く暗いのでした。いやむしろ、生を最高に充実して生きている人であるからこそ、死や欲望がもたらす刺激によって「自殺クラブ」や「ダイヤモンド」に魅せられてしまうのかもしれません。こういう人間への洞察こそ著者の面目躍如たるところでしょう。
続きを読む投稿日:2015.01.31
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ねじの回転
ジェイムズ, 土屋政雄 / 光文社古典新訳文庫
巧緻を尽くした心理小説
9
19世紀イギリスの貴族館での出来事。両親を亡くした幼い兄妹が伯父の館に身を寄せることになったのですが、貴族である伯父はロンドンで気楽な生活をしていて子供の面倒を見るのが嫌で、代わりに館で子供を養育して…くれる家庭教師を探しました。幼い兄妹の家庭教師として雇われた若い女性が、館で遭遇した奇怪で悲惨な出来事を記した手紙が、数十年後に読まれるという形で物語は綴(つづ)られています。
貴族の館には二人の亡霊が出ました。二人の亡霊は、一人は身分の低い男性使用人、もう一人は前任の中産階級出身の女性家庭教師で、二人は、生前に兄妹と共に館で暮らしていました。この二人の亡霊は生前に邪悪な生き方をして身を滅ぼしたのですが、死んだ後も兄妹を自分たちと同じ邪悪な道へ引きずり込もうとして兄妹の前に現れるのです。
物語は家庭教師の手紙を通じて描かれますから、読者は、家庭教師の目を通してのみ様々なもの見ることができます。間接的にしか登場人物の会話も行動も見ることができません。薄曇りの窓硝子越しに物事を見ている、あるいは影絵を見ている感じですが、逆に家庭教師の心理は直接的に読者の目や心に訴えてきます。家庭教師の心を受け止めながら、起こっていることを自分で補いながら読み進めることが必要です。
更に、作品が書かれたビクトリア朝時代、教育を受けた人は不品行で恥知らずな事を口には決して出さないので、亡霊たちが行った肝心なところが婉曲的にしか言及されません。そういう意味でも読み解きが必要な作品です。
この作品は、極めて巧緻を尽くした技法によって描かれていますので、そういう面を味わうのが好きな人には楽しめる作品だと思います。
続きを読む投稿日:2015.01.02
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月を見つけたチャウラ~ピランデッロ短篇集~
ピランデッロ, 関口英子 / 光文社古典新訳文庫
生への気づき
5
イタリアの作家・劇作家ピランデッロの短編集。一つ一つの短い物語には、炭鉱夫、農民、法律家、修道士など様々な人の生き様が書かれています。この短編集に収められている作品には、死や狂気という主題が扱われてい…るのですが、死や狂気は「生への気づき」の契機であったり裏返しであったりします。ここでいう「生への気づき」とは、医学的・生物学的な意味ではなく、哲学的・根源的な意味のものです。
例えば、「木々」という物語では、経済的に破綻した男マッテオが、自死を決意して自ら墓場に赴く様子が書かれています。自ら墓場に行くのは、残された家族が自分の葬式に少しでもお金を遣わなくて済むようにという非常に打算的で死ぬ間際までも現実的な理由による行動でしたが、いざ墓場へと歩き出してみると死を決意した心には世界が大きく変化して見えたのです。
『木々……おお、なんという驚き!木はこんな姿をしていたのか。これが木だというのか。』
主人公は、死を決意して、死の間際になって、「生への気づき」が訪れ初めて世界を真直ぐにそのままの姿で見ることができるようになりました。安楽に暮らすことだけに心を奪われている者や毎日の仕事に没頭している者は生という海に溺れている状態にあり、真の意味で生に気づいていないし、世界を真に見てもいないのではないでしょうか。
本書は、「生への気づき」を教えてくれる佳作であると思います。ピランデッロの登場人物に対する暖かい眼差しと、人生という現実に対する冷めた諦めの感情が織り交ぜになって、甘くも苦い複雑な味わいの作品集になっています。
続きを読む投稿日:2014.11.23
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木曜日だった男 一つの悪夢
チェスタトン, 南條竹則 / 光文社古典新訳文庫
詩人の冒険活劇
2
ある日の夕暮れ時、それはこの世の終わりが来たような夕焼けで、ロンドンのサフラン・パークで詩人ガブリエル・サイムはルシアン・グレゴリーと詩的な会話をしていました。グレゴリーには誰にも明かされなかった秘密…があって、サイムは誰にも言わない約束の下、その秘密を聞くことになりました。そしてサイムの冒険が始まります。
荒唐無稽ともファンタジーとも言えるような冒険活劇が続き、次から次に新しい事実が現れては状況が一転します。息をつかせぬ展開に身を委ねると、一気に巻末まで読み進められます。
物語の中央は冒険活劇なのですが、初めと終わりは詩的で思想的な雰囲気に満ちていて、何かを暗示しているようです。一通り読み終わった後に、冒頭に置かれた友人ベントリーに宛てた詩を読み返してみるとき、著者の心の底にある気持ちが微妙に伝わってくるように感じました。
ベントリーは、著者チェスタトンの幼いころからの友人。チェスタトンの幼少や青春の(本人にとっての)暗黒時代に心の支えとなってくれた友人らしいのです。詩を読み返してみると、この冒険活劇は、チェスタトンの孤独な青春時代を象徴的に表現したものに思えてきました。楽しくも少し考えさせられる物語です。
続きを読む投稿日:2014.11.22
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ソクラテスの弁明 クリトン
プラトン, 久保勉 / 岩波文庫
真直ぐに生きる
3
哲学者プラトンは、彼に対して強い影響を与えた師ソクラテスがいかに断固とした決意で裁判に臨み力強く自己の信念を貫いたかを書いています。ペロポネソス戦争に関連してアテナイ(アテネ)市民から告発されたソクラ…テスは、裁判において毅然として反論し、自分自身が一生を賭けて貫き通してきた信念を曲げようとはしません。ソクラテスの弁明の言葉のみが記されているだけなのですが、読む者の目の前には、ソクラテスという傑出した人物の確固として揺るぎない人格やその人生までもが現われるのです。
目の前の困難から逃げて生き延びようと思えば国外への逃亡もできたはずなのに、ソクラテスは裁判から逃げようとはしませんでした。裁判において自己を辱めて惨めな命乞いをすれば助かったかもしれなかったのに、ソクラテスはそれもしませんでした。安全に隔離された書斎において哲学を考えることはできるかもしれないですが、人生の最大の危機において自分の哲学を貫き通すことは難しいけれど、ソクラテスはそれができる稀有な人格を持つ者でした。真直ぐに生きること、それがソクラテスの生き方でした。一つ一つの言葉ではなく、全体を俯瞰して初めて明らかにされるソクラテスの真直ぐな生き方には感動を覚えずにいられません。 続きを読む投稿日:2014.11.15