崩紫サロメさんのレビュー
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ドストエフスキー人物事典
中村健之介 / 講談社学術文庫
最強☆変人カタログ!
13
タイトルも堅いし、講談社学術文庫だし、値段も高いし敬遠されそうな予感のする本だが、
すごく面白いので、語ってみたい。おつきあいください(笑)
ドストエフスキーの魅力って何だろう?
哲学的・宗教的なと…ころにそれを見出す人もいる。
それはもちろんあるのだろうが、初読で夜も眠れないくらいの勢いで読んでしまうのは、
ストーリーが面白いからで、登場人物が魅力的だから、ではないだろうか?
小説とは本来そういうものだろう。
しかも、ストーリーがわかってもなお読み返したくなる。
何故ならドストエフスキーの作品に登場する妙な人々に魅了されてしまうからだ。
その人たちにもう一度会いたい、だから再読する。
そういう中で哲学的な深みが見えてくる読者もいる。
もし人物が魅力的でなければ、そうはならないだろう。
本書は、そういう妙な人達を網羅した、変人カタログのような本である(笑)
紙の本で数センチある分厚い文庫本で、デビュー作『貧しい人達』から遺作『カラマーゾフの兄弟』まで
すべての作品のあらすじ紹介、人物紹介からなる。
執筆順になっているのもポイントである。
何故なら、ドストエフスキーはどうしても書きたい人物像があるようで、
それがいろいろな作品の中で試行錯誤を繰り返すように何度も登場するからである。
だから、年代順に見るとああ、あの人物が進化してああなったのか、とわかって楽しい。
タイトルとは裏腹に、小説のように前から読んでいくタイプの本なので、電子リーダーとも相性がいい。
しかし、こうして見て見ると・・・改めて・・・奇人変人しかいないな。
・自分は社会の異物だと感じている
・友達は0人か1人
・自意識過剰
・夢想家
・世のため人のために何かしたいと思う
・が、できないので実際はひきこもり
・時々異様なハイテンションになる
・しゃべり出したら止まりません
・どうしようもないマゾ
・そんな自分に酔ってます
・・・本当、まあ、なんだかなあ・・・(笑)
でも、一番強いのはやっぱり上に書いた「異物感」ではないかと思う。自分は何か人と違う。
世界の中で浮き上がっている気がする。人とうまくつきあえない。
これが、ドストエフスキー作品に登場する人々の多くが抱えている問題である。
劣等感の場合も、優越感の場合も、孤独感の場合もいろいろある。
どうにかして人と関わりたいが、うまくいかない、「奇行」になってしまう。
場合によってはそれが「犯罪」になってしまう。
まあ、それはそれぞれの話の解説に任せるとして・・・。
とにかくこの本を読むと、いかにドストエフスキーの作品が「人間」を中心に回っているかを感じる。
ストーリーや思想よりも、まず人間ありき、だ。
私はもとは紙の初版を買ったのだが、こんな帯がついていた。
「読む前に、読むときに、読んでから」
つまり、いつでもオッケー(笑)
読んでない作品も本書で知ったりしたのだが、
あらすじと人物紹介だけで爆笑してしまった。
著者がすごいのかドストエフスキーがすごいのか(笑)
とにかく、最高の変人カタログ。
そして、最高のドストエフスキー入門書。
続きを読む投稿日:2015.04.22
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罪と罰 1巻
落合尚之 / 漫画アクション
換骨奪胎する面白さ
11
本書はタイトルの通り、ドストエフスキーの『罪と罰』を翻案したマンガだ。
あまり期待せずに読み始めたのだが、原作との距離感が絶妙で、新刊の発売をとても待ち遠しく読むことになった作品だ(現在は完結)。
…大幅な換骨奪胎のため、原作を知らなくても面白い。
が、あえて原作ファンの目から魅力を語ってみようと思う。
主人公ラスコーリニコフに対応するのが引きこもり気味の大学生、裁弥勒(たち みろく)。
「踏み越える」ために金貸し老婆アリョーナならぬ、売春組織の親玉女子高生・馬場光の殺害を計画する。
光の「害虫度」は、はっきりいってアリョーナ以上だ。
老婆の義妹で「いつも妊娠している」リザヴェータに対応するのは、光の同級生、島津里沙。
光に売春を強要されながらも逆らうことのできない少女だ。
原作にはない弥勒と里沙の関わりがクローズアップされるにつれて、楽しくも不安になる。
展開が気になる、でも原作のもつ「思想」を壊しはしないか、と。
様々ないきさつはあったものの、里沙と弥勒の関係は「原作通り」に展開する。一番大きなところで。
そこから、判事との間の虚々実々の駆け引きが展開するのかと思いきや、
「首藤魁」なる男をめぐる回想が続く。首藤・・・・スヴィドリガイロフ!
ラスコーリニコフの妹に迫る、悪魔的な人間、スヴィドリガイロフは彼の魂の父親とも、もう一人の主人公とも評価される人物だ。
初読では、彼の存在意義や根本思想が掴めない読者が多いのではないだろうか。
というか、3回くらい読んでもやはり謎だらけな男だ。
「首藤」という名前が明かされる前から、彼は弥勒の中で父とシンクロする存在として現れる。
嫌悪しながらも惹かれて已まない存在として。
原作でも実は魅力的という設定なのだが、マンガや翻案の中でこれだけスヴィドリガイロフが魅力的に描かれているのは珍しい。
亀山郁夫は、ただ一人、「踏み越えることができた人間」と言っているが、このマンガの中でも、
「草食動物でありながら自然の摂理をひっくりかえして肉食動物になった」存在だ。
「この世は地獄だ。人間の欲が地獄を招く。これは世界の必然だ。欲望は生の本能そのものだから。
欲と欲が絡み合い、強者が弱者を獲って喰らう。猥雑で残酷で、だから世界は美しい」
「欲望を肯定しろ 地獄こそが楽園だ」
裁弥勒は、彼のこうした言葉に導かれるように「踏み越える」ことを目指す。
このあたりは原作とは全く異なる。
賛否両論のありそうなところだが、原作に忠実でなくても、原作からインスピレーションを得た作品としては、非常に魅力的だと思う。
完結巻まで読んだが、きちんと一つの作品としての世界観ができている。
それは、ドストエフスキーの世界観とは違うものだと感じた。
その違いに大きな意味があると感じた。
ある作品の影響を受けるとはどういうことだろう、そこからまた別の世界を構築することはどういうことだろう、
そんなことも考えさせられた作品。 続きを読む投稿日:2015.04.18
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18歳の著作権入門
福井健策 / ちくまプリマー新書
著作権とは何のためにあるのか
15
著作権についてのわかりやすい入門書。ちょっと、以下の文が○か×かを考えてみてほしい。
「社会的事実は著作物ではないので、事実を描いたノンフィクションの文章には著作権は発生しない」
「料理のレシピはア…イデアなので、人のレシピを真似して料理を作っても著作権侵害ではない」
本文が先にあり、確認する形でこのような問題がある。知識を整理しやすい。
「著作権とは何か」についてしっかりと掘り下げてある本書、○か×かでは答えられない問題も取り上げられている。
例えばオランダの絵本作家ブルーナのキャラクター「ミッフィー」とサンリオのキャラクター「キャシー」。
どちらもウサギの姿をしたキャラクターだ。
ブルーナはキャシーはミッフィーに酷似しているとして告訴した。
さてここで、それまでのところにでてきた「ありふれた・定石的な表現」は著作権にあたらないという情報をあてはめてみる。
・動物の擬人化
・直立するウサギ
両者にはこういう共通項があるが、その点に関しては、定石とも言えるかもしれない。
サンリオ派の意見を代弁する形でピーターラビットや鳥獣戯画の図版が紹介されている。
しかし、ブルーナ派としては「単純化のテイスト」こそがミッフィーの独創であり、
サンリオがそれを真似している、という。
さて、どう考えるだろう。(ちなみにこの後も各要素の検証が続く)
アップルとサムスンの訴訟なども思い出す展開であり、
こうした訴訟はこれからも絶えないだろう。
本書はこのような○か×かで答えられない問題も多く取り上げ、読者に考えさせる。
その中で「著作権とは何のためにあるのか」を考えさせる構造になっている。
そういう意味で優れた入門書であると言えるだろう。
高校生以上の読者を想定して書かれたものであるが、
それより下の年頃の子どもを持つ親が読み、子どもに考えさせるのにもよい素材だと思う。
ちなみにミッフィーとキャシーの争いは、なかなか「いいはなし」に終わった。
そちらにも興味があれば、是非本書を読んでみてほしい。 続きを読む投稿日:2015.04.17
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世界史の極意
佐藤優 / NHK出版
理論の虜にならず、歴史を読み解く
12
佐藤さんが世界史?と少々胡散臭く思った(失礼!)のだが、あとがきを読んで納得した。(私はあとがきから読むタイプだ)
「キリスト教神学には、歴史神学という分野がある。一般の歴史では、実証性が基本になる…。
歴史神学でも実証性を無視するわけではないが、さらにその奥にある歴史を突き動かす原動力の探求をする。
この歴史神学の方法を用いて「世界史の極意」をつかむことができないかと考えた。」
そもそも、「一般の歴史」(=歴史学)では実証性が必要になるわけだから、
「世界史」などというものはアカデミックな話としては論じにくい。
ウォーラーステインの「世界システム論」が高校の「世界史」の授業でも扱われるようになったが、
やはり「歴史学」とは異なる視点から斬り込んでいるところに力と魅力があるのだろう。
そういう意味で、本書は「歴史学」とは違う立場であることを明言しているところに、
興味と好感を持った。
さらに、歴史神学そのものでもない。
佐藤氏が同志社大学神学部の藤代泰三氏から学んだことを応用し、
実際に佐藤氏の波瀾万丈の人生の中で学んだことと重ね、
まさに佐藤氏にしか描けない「世界史の極意」であると思う。
本書の鍵となる概念は「アナロジー」(類比)だ。
「歴史は繰り返す」と言うが、反復しているのかをどうかを洞察することが必要だと氏は言う。
そのためには知識と論理が必要なのだと。
取り上げられているテーマは
「資本主義と帝国主義」「ナショナリズム」「キリスト教とイスラム」
歴史を、また現代社会を考える上で外せないものばかりだろう。
これらの説明は分かりやすく、「歴史学」の側の人間にも学ぶところが多いと思う。
ナショナリズム論の三巨人、アンダーソン、ゲルナー、スミスの論についての説明は
分かりやすく、自分が人に説明するときにも参考になると思った。
(本人も認める通り、かなり乱暴ではあるが)
だが、私にとって、一番面白いと思ったのは、やはり、
「佐藤優が世界史の極意をつかむまで」の過程だ。
本書は、というか佐藤氏の他の本でもそうだが、
あらゆる体験や出会いを次につなげていこうという姿勢がある。
恩師である藤代先生のことをこのように語る。
「私たちが理論の虜にならず、他人の気持ちになって考えることと、
他人の体験を追体験することを重視し、アナロジカルに歴史を読み解く習慣が付いたのは
藤代先生の影響によるところが大きい」
客観性・実証性を重んじる歴史学の立場からは、
「それは歴史学ではない」と言いたくなるが、
歴史学ではない歴史があっていいのではないかとも思った。
意外に(予想通り?)心温まる本であった。
続きを読む投稿日:2015.04.13
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最貧困女子
鈴木大介 / 幻冬舎新書
「世の中で、最も残酷なことはなんだろうか?」
19
本書で「最貧困女子」として扱われている女性は、
貧困のため、性労働によって、糊口をしのがざるをえない人々である。
実は、これは可視化されにくい問題である。
何故なら、日本のメディアにおいて、性労働に…関わる女性は
東電OL事件のような「心の闇」として、また、SNSを用いた子どもの「非行」
など、どちらかといえば倫理的な文脈で論じられているため、
「貧困」の問題であるという認識は持ちにくかったからだ。
しかし、著者は、そうやって見えにくくなっていること自体に危機感を感じ、
実際にどのような境遇で育ち、今どのように生活しているのか、
何人かの極限状態にある女性たち、また彼女たちの周辺にいる
闇金業者や性労働事業に関わる男性への取材をしている。
その中には知的障害や精神障害、発達障害を抱えている男女が少なからずいるということを指摘している。
これは、障害者差別につながる恐れもあるため、多くの本では取り上げることを避けてきた問題である。
だが、知的障害や発達障害を持つ子どもが親から虐待を受けることは普通の子どもよりも多いし、
健康に生まれても、親の虐待により、抑鬱状態になる子どももいる。
家出したり、施設から逃げ出したりした子どもたちに、
「自分の居場所」であると感じさせるものを提供したのが、
性労働事業者であるというのは、悲劇としか言えない。
強制連行されたわけでもなく、事業者との間に疑似恋愛関係のようなものを求め、
そうした仕事から抜け出せなくなっていく少女たちがいるということ。
しかし、「未成年」でなくなれば、市場価値が一気に下がり、その後は・・・。
逃げ出したくなるようなところを、よく取材したと思い、素直に感心する。
障害を利用する形で性産業に組み込まれているのだから、
「差別を助長する」などといって見て見ぬ振りをするわけにはいかないだろう。
著者はあとがきで
「世の中で、最も残酷なことはなんだろうか?」と問いかける。
「それは、大きな痛みや苦しみを抱えた人間に対して、誰も振り返らず誰も助けないことだと思う」
という。
「助けてくださいと言える人と言えない人、助けたくなるような見た目の人とそうでない人、
抱えている痛みは同じでも、後者の痛みは放置される。これが、最大の残酷だと僕は思う」と。
これは、確かに。つらい状況にあること自体つらいが、それが「つらいこと」だと思われない、
それは一番つらいことだろう。
本書で扱われているような人について、直接できることは少ないが、
彼女たち、また、彼女たちと関わりながらも、何もできずに忸怩たる思いでいる教師やケースワーカーたちのつらさ(これについては別の本を読む必要があるだろうが)について考える。
それが読者として最初にできることかもしれない。
続きを読む投稿日:2015.04.03
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詩経・楚辞 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典
牧角悦子 / 角川ソフィア文庫
面白いが故に、もう少しページ数が欲しかった!
13
詩経も楚辞も中国の古代歌謡である。恋愛や別れを歌った素朴なものが多い。ゆえに、万葉集に擬える日本人もいる。
ただ、中国では長らく、儒教的な人倫の規範として読まれてきた。
それは、本来の作り手の意図とは…大きく離れたものであるが、二千年近くそう読まれてきた歴史というのも、無視するわけにはいかないだろう。
ビギナーズクラシックスの限られた紙面でそれをどれだけ整理し、魅力を伝えることができるか?
詩経に関して言えば、想像以上で、感心した。
基本的に古代の歌謡として読みながらも、「古典の歴史はその読みの歴史」と語り、後世の人がどのように読んできたのかを、わかりやすい言葉で説明している。
また、近代人は、詩経の中でも「国風」と呼ばれる素朴な感情を表した歌謡を好んで読むが、実は詩経の真骨頂は王朝の歴史、一族の栄華を宣揚する「大雅」や「頌」にあるという。
いや、そうなんですけど。。。
そのあたりは割とかったるくないか?
と思ってあまりきちんと読んだことがなかったわけだが、
うん、ちょっと面白いかも?
と興味を持った。幸い(?)こうしたパートは短いので、かったるいと思う人にも問題ないだろう。
詩経については、簡潔にして、ポイントを押さえていてよかった。
ただ、問題は楚辞だ。
内容に問題があるわけではない。
楚という地域について、二十世紀後半の発掘成果なども踏まえ、とても勉強になる解説がなされている。
が、とにかく量が少ない。
詩経の半分くらいである。
楚辞の代表的なものといえば、著者も言っている通り、「離騒」、「九歌」、「天問」であろう。「天問」が丸ごとカットされていることは二百歩くらい譲って許すとしても、物語的な性格の濃厚な「離騒」、ちょっと省略しすぎではないか?
主人公(屈原とされる)の生い立ちに始まり、幻想的な天界への飛翔を経て、地上に戻り、孤独と憤怒の中で…まあ、とにかく長い長い歌。
「現実世界で自己を全うできない主人公の、神々の世界への飛翔をストーリーとして持ちながらも、むしろその成就ではなく、その過程で繰り返される苦悩の表白こそが、この長編物語の中心であったのです」
まことにその通り。だからこそ、もう少しその「過程」の部分を紹介して欲しかったと思う。
それから、本書で「離騒編最後の部分」と紹介されている部分の後に、本来、「乱に曰く」というまとめ部分があり、そこで衝撃的な結末が描かれているのだが、その部分を載せなかった理由を知りたい。
本当に面白い詩経・楚辞本だっただけに、あと20ページ(紙換算)くらいは欲しかった。勿論、楚辞の方に(笑) 続きを読む投稿日:2015.03.14