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崩紫サロメさんのレビュー
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  • 天智と天武-新説・日本書紀-(11)

    天智と天武-新説・日本書紀-(11)

    園村昌弘,中村真理子

    ビッグコミック

    狂気の行きつくところに……

    10巻・11巻で副題「新説・日本書紀」の意味が明らかになってくる。 9巻までのどこかで「何事!?」と挫折しかけた人も、最後まで読んで欲しい。 ラスト2巻で描かれるのは、今まで繰り広げられてきた「何事!?」な歴史が、我々の知る「歴史」へと書き換えられる過程(もちろんこれもフィクション)。 フィクションではありながら、歴史が勝者によって書き換えられていくことはしばしば行われることであるだけに、一定のリアリティを持つ。しかし、この兄弟の異常な熱気を伴う愛憎を、リアリティの枠組みに治めず、最後まで狂気を維持した(妙な言い方ではあるが)ところも圧巻。 そして、このタイトルで最終巻なので、もちろん、最後は「あの二人」が飾ってくれる。その演出も、ここまで読んできた人には涙ものだと思う。

    0
    投稿日: 2018.07.31
  • 夢の雫、黄金の鳥籠(11)

    夢の雫、黄金の鳥籠(11)

    篠原千絵

    プチコミック

    本編加筆部分+もやっとすること

    多くの読者同様、私もこの話の展開には少々イラッとするものがある。 が、毎号雑誌版で読むくらい篠原千絵ファンで、オスマン帝国ファンなので、「もう少し……もう少し待って、きっと面白くなるから……!」と必死に訴えている(どこにだ) さて、今回は『天は赤い河のほとり』番外編、ザナンザが登場!ということでそちらが本編のような盛り上がり(私の周囲だけか?)だが、本編の方も雑誌掲載版と比べて書き下ろしページが4頁あるので、一応コメントしておく。 ・「歴史書を読んでいました」のあとのヒュッレムとスレイマンの会話見開き。 ・イブラヒム邸でのヒュッレムとイブラヒムの会話見開き(「友人のアルヴィーゼがハディージェさまに会いたいと言うので……」あたりから)。 何か、イブラヒムにイラッとする方向で描いているんですよね?と思うところなのですが(苦笑) この話のもやっとするところが、もともと ヒュッレム→イブラヒム←スレイマン だったところ、8巻あたりで「スレイマン様に負けた」とヒュッレムが引き下がる(←この展開は個人的には好きだ)。 しかし、少女漫画において、主人公が恋愛面で敗北するからには、相当の説明が必要なはず。そこの説明(つまり、イブラヒムとスレイマンの絆なり、ヒュッレムのスレイマンに対する思いの変化なり)が足りていない、そのあたりが非常に気になる。そこの三人の関係を整理しないままアルヴィーゼか……?と思ったり。子世代も気になるけど、親世代消化不良で子世代……?なども。 細かいかも知れないけど、11巻末でハンガリー遠征(1526年)ということなのでミフリマーは4歳くらいのはず。流石に本編のいろいろな発言は大人過ぎる~。 ただ、やはり今後に期待したいという思いと、表紙のスレイマン様麗しすぎるということで、☆3に。

    1
    投稿日: 2018.07.31
  • 「隔離」という病い 近代日本の医療空間

    「隔離」という病い 近代日本の医療空間

    武田徹

    中公文庫

    「異なるもの」への排除の構図

    ハンセン病患者に対する隔離政策が誤ったものであったという認識は、 政府レベルでも、民間レベルでもほぼ一致しているのではないかと思う。 では、隔離政策とはもはや「終わったこと」なのか。 本書は、そうではない、という。 感染力が弱いから隔離しなくてもよいのか、感染力が強ければ隔離してよいのか? 本書で扱うのは「異なるもの=他者」に対する姿勢そのものである。 人が「異なるもの」に対して排除、隔離、忘却という思考・行動を取ることは、 他の例でも変わらない。 むしろ、ハンセン病問題を通して強く感じることができる普遍的な問題なのではないか、と。 本書は 第一章:ハンセン病を巡って近代日本がどのような対応をしたか 第二章:隔離政策を支えてきた価値観の枠組みの分析 第三章以降:隔離という方法をいかに人権思想と共存させるかを考察 という構成だ。 多くの場合、第一章の部分で断罪して終わるのであろう。 だが、第二章で、隔離政策に携わった人々の強い使命感(正義感)、隔離された人々の、 「他の人に迷惑を掛けてはならない」という思いを知ると、 とても根の深い問題であることに改めて気付く。 「主観的な夢」の脆さ、として著者は次の用に語る。 脆い理想像を信奉する人が、仮構性を忘れてその唯一絶対的な正しさを主張し、 自分たちとはちがう立場の人々=他者を排除していくことがありえる。 ここに挙げられていたのは賀川豊彦、神谷美恵子などのいわゆる「人格者」も多く含まれる。 では、どうすればいいか。著者の模索とともに、 読者自らも模索していかなければならない。 著者は隔離医療と人権思想の共存の試みとして ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』 に見られる、「最小国家」の概念が有効なのではないかと考える。 その内容については本書で読んでみてほしいが、 なかなかに魅力的、しかし、それをどうやって本書が「病んでいる」とする日本社会に取り入れていくかを考えると、また気が遠くなる思いだ。 複数の価値観が共存しあえる社会を。 この難しさを痛烈に感じる。

    16
    投稿日: 2015.05.12
  • イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北

    イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北

    内藤正典

    集英社新書

    敵対するもの同士の対話の実践

    日本人はイスラムについてあまりにも無知だと言われる。 だが、知識人レベルで見ると、日本のイスラム研究者の中には、見識の深さと誠実な姿勢において、多いに学ぶべき人物もいる。 その一人が本書の著者、内藤正典氏であろう。 多くのイスラム研究者はアラブやイランを専門とするが、 内藤氏はトルコからイスラム世界を見る。(主にヨーロッパに移民しているトルコ人のことなど) トルコはイスラム教徒が多数を占める国でありながら、徹底した政教分離政策を行い、 NATO加盟国で朝鮮戦争にも参戦しており、今もまた、欧米とイスラム世界の間で板挟みとなっている。 本書が中心として扱うのはトルコではなく、イスラム世界と欧米、そして日本のあり方であるが、 長年トルコを通して世界を見てきた人だけあって、 イスラムにもヨーロッパにもアメリカにも、冷静で鋭い目が向けられている。 特に、日本のイスラム理解が欧米のバイヤスが掛かりすぎていることを危惧している。 そのバイヤスについては本書の本題なので、そちらに譲ろう。 知識が豊富ゆえに話が難しくなってしまう人や、無知による単純化を行ってしまう人が多いが、 本書はそのどちらにも陥らず、豊富な知識と鋭い観察点をわかりやすい言葉で読者に伝えている。 本書の魅力は論理的に整理されていることだけではない。 かつてシリアに留学し、その後もトルコやシリアを中心にフィールドワークを重ねてきた著者。 本書では、著者が研究科長を務める同志社大学グローバルスタディーズ研究科で、 アフガニスタン大統領のカルザイ氏と、 タリバンの幹部を招き、学生たちのいきつけの酒場で鍋を囲んだ話も紹介されている。 後にカルザイ大統領が"Doshisha Process"と呼んだできごとであるが、これについて、 フランスのAFP通信が著者に対して「タリバンのようなテロ組織を招待して恥ずかしく思わないのか」と質問した。 著者は「タリバンだけでなく、政府代表も呼んだのです。 敵対するどうしが対話を開始しなくて、一体どうやって和解が成立するでしょう」と答えたという。 この信念は今も揺らがないという。 私もこの時ではないが、同志社大学での公開講演で著者のトルコについての講演や、 ユダヤ教、イスラム教の様々な人を招いた講演会に何度か出席し、いろいろ考えるところがあった。 一応言っておくが、同志社はキリスト教の学校法人である。 だが、なのか、だからこそなのか、イスラムとの対話に非常に力を入れている。 敵対するもの同士、理解しあえないもの同士だからこそ、対話を開始しなければならない、 ということを実践しているわけだ。 こうした講演に参加できる人はそれほど多くはないだろうが (一応、「同志社大学一神教学際センター」で検索すると公開講演の案内を見ることができ、また過去の講演会の要旨や動画もある)、 新書という形で、そのような活動を知ることができるのは喜ばしいことだ。 理論と実際の取り組みを紹介する中で、著者の「対話」への誠実な姿勢を感じる。

    11
    投稿日: 2015.04.28
  • PAPUWA1巻

    PAPUWA1巻

    柴田亜美

    月刊少年ガンガン

    前作主人公がお姑ポジション(笑)

    『南国少年パプワくん』の続編である。 普通、続編というと主人公は前作と同一人物で数年後だったり、 一気に飛んで子世代だったりするが、本作品はそのどちらでもない。 あれから4年。第二のパプワ島には、パプワくんとチャッピー、相変わらずなナマモノ達がいて、 そこにシンタローの弟のコタローがやってきて・・・ それはいいのだが、シンタローポジションにいるのが・・・ 前作主人公シンタローの親戚のおじさん(獅子舞みたいな方)の部下の中で一番下っ端だった奴 ・・・。・・・。・・・。 え? ・・・というのが第一印象だった(笑) いや、なんであんたがパプワ島で家政夫やってるの? 家政夫やってるのはいいとしてなんでシンタロー的なポジションなの?(笑) あなたが主役なの?(←多分そう・笑) しばらく「コレジャナイ」感が抜けきれず放置していたのだが、 思い切って再読したら意外に面白かった-! 何がって、前作で下っ端脇役だった彼が、少しずつ「主人公」へと成長していくところが。 いやまあ、成長物語って王道だけど、こんな形で主人公になる人、珍しいし(笑) 元上司の獅子舞様とか、お姑さんと化している前作主人公のシンタローとか、 いいポジションに(笑) 本当、前作主人公がすぐ傍で監視、いや、見守っているとかプレッシャーすぎるよ。 頑張ってるなあ、お前・・・と涙ぐみそうになる(笑) とりあえず、「パプワくん」の世界が好きな人にはおすすめ。 多分、シンタローが戻ってくるあたり(4巻?)から前作ファンには面白くなるかと。

    8
    投稿日: 2015.04.27
  • 南国少年パプワくん 1巻

    南国少年パプワくん 1巻

    柴田亜美

    月刊少年ガンガン

    シリアスとギャグの絶妙な配合!

    幼い頃、紙版がばらばらになるほど愛読したマンガであるが、 改めて電子版で読んでみて、作品の構成力に感心した。 7巻、という長さである。決して長い方ではないだろう。 しかし、そこで語られるストーリーは壮大だ。 主人公のシンタローはわけあってパプワ島なる南の島に漂着してしまう。 そこで何だかやたら強いパプワ少年と、ブサ可愛い犬のチャッピーと出会い、 「今日からお前も友達だ!」と言われ、島で召使いとして暮らす(友達とは一体・笑) 島に住む奇怪な生物(敢えてナマモノと読ませるところに作者のセンスを感じる) に振り回されるギャグパートと入り交じる形で、 シンタローが所属していた「ガンマ団」の刺客との戦いが展開する。 まあ、こいつらも愛すべきバカなのだが(笑) 組織の秘密、父や叔父・弟にまつわる秘密、そして、パプワ島の秘密・・・ かなり複雑で壮大な話なのだが、単行本7巻という長さが絶妙なのだろうか、 殆どダレるところがない。 シンタロー(青年)、パプワ(子ども)、そして中盤から華麗に活躍するおじさんたち。 結構、読む年齢によって感情移入するところが変わってきて何度も楽しめる重層性があるなあ、と再び感心。 まあ、私は最初からおじさんたちに夢中だったのだが(笑) 特に4巻表紙左の美麗なおじさま(43)に(笑) 今回再読してシンタローの 「俺は知らなかったんだ 歳をくうほど人は弱くなるなんて! 泣きてえことばかりだなんて知らなかったんだ!!!」 という言葉に対するパプワの答えが何かぐっと来た。 前は、美麗なおじさまに夢中で(笑)そこはあまり印象に残っていなかったのだが、 それは私が歳をとって泣きたくなることをたくさん経験したからだろうか。 ドSなギャグ満載なんだが、根本的なところですべての人物やナマモノへの愛を感じる。 ギャグ漫画というのはそうでないと、何だか笑えない。 そういう意味で、この物語は素晴らしいギャグ漫画で、涙無しには読めないシリアス漫画である。 決して長くない物語の中に、魅力的な人物とストーリーが凝縮されていて、 何度も読み返し、空白やその後をどれだけ想像してわくわくしたことか。 続編にあたるPAPUWAという作品が本作品の4年後という設定で出ていて、 楽しく読んだのだが、やはり本編7冊の凝縮されたエネルギーは忘れられないものとして残っている。

    13
    投稿日: 2015.04.26
  • ドストエフスキー人物事典

    ドストエフスキー人物事典

    中村健之介

    講談社学術文庫

    最強☆変人カタログ!

    タイトルも堅いし、講談社学術文庫だし、値段も高いし敬遠されそうな予感のする本だが、 すごく面白いので、語ってみたい。おつきあいください(笑) ドストエフスキーの魅力って何だろう? 哲学的・宗教的なところにそれを見出す人もいる。 それはもちろんあるのだろうが、初読で夜も眠れないくらいの勢いで読んでしまうのは、 ストーリーが面白いからで、登場人物が魅力的だから、ではないだろうか? 小説とは本来そういうものだろう。 しかも、ストーリーがわかってもなお読み返したくなる。 何故ならドストエフスキーの作品に登場する妙な人々に魅了されてしまうからだ。 その人たちにもう一度会いたい、だから再読する。 そういう中で哲学的な深みが見えてくる読者もいる。 もし人物が魅力的でなければ、そうはならないだろう。 本書は、そういう妙な人達を網羅した、変人カタログのような本である(笑) 紙の本で数センチある分厚い文庫本で、デビュー作『貧しい人達』から遺作『カラマーゾフの兄弟』まで すべての作品のあらすじ紹介、人物紹介からなる。 執筆順になっているのもポイントである。 何故なら、ドストエフスキーはどうしても書きたい人物像があるようで、 それがいろいろな作品の中で試行錯誤を繰り返すように何度も登場するからである。 だから、年代順に見るとああ、あの人物が進化してああなったのか、とわかって楽しい。 タイトルとは裏腹に、小説のように前から読んでいくタイプの本なので、電子リーダーとも相性がいい。 しかし、こうして見て見ると・・・改めて・・・奇人変人しかいないな。 ・自分は社会の異物だと感じている ・友達は0人か1人 ・自意識過剰 ・夢想家 ・世のため人のために何かしたいと思う ・が、できないので実際はひきこもり ・時々異様なハイテンションになる ・しゃべり出したら止まりません ・どうしようもないマゾ ・そんな自分に酔ってます ・・・本当、まあ、なんだかなあ・・・(笑) でも、一番強いのはやっぱり上に書いた「異物感」ではないかと思う。自分は何か人と違う。 世界の中で浮き上がっている気がする。人とうまくつきあえない。 これが、ドストエフスキー作品に登場する人々の多くが抱えている問題である。 劣等感の場合も、優越感の場合も、孤独感の場合もいろいろある。 どうにかして人と関わりたいが、うまくいかない、「奇行」になってしまう。 場合によってはそれが「犯罪」になってしまう。 まあ、それはそれぞれの話の解説に任せるとして・・・。 とにかくこの本を読むと、いかにドストエフスキーの作品が「人間」を中心に回っているかを感じる。 ストーリーや思想よりも、まず人間ありき、だ。 私はもとは紙の初版を買ったのだが、こんな帯がついていた。 「読む前に、読むときに、読んでから」 つまり、いつでもオッケー(笑) 読んでない作品も本書で知ったりしたのだが、 あらすじと人物紹介だけで爆笑してしまった。 著者がすごいのかドストエフスキーがすごいのか(笑) とにかく、最高の変人カタログ。 そして、最高のドストエフスキー入門書。

    14
    投稿日: 2015.04.22
  • 罪と罰 1巻

    罪と罰 1巻

    落合尚之

    漫画アクション

    換骨奪胎する面白さ

    本書はタイトルの通り、ドストエフスキーの『罪と罰』を翻案したマンガだ。 あまり期待せずに読み始めたのだが、原作との距離感が絶妙で、新刊の発売をとても待ち遠しく読むことになった作品だ(現在は完結)。 大幅な換骨奪胎のため、原作を知らなくても面白い。 が、あえて原作ファンの目から魅力を語ってみようと思う。 主人公ラスコーリニコフに対応するのが引きこもり気味の大学生、裁弥勒(たち みろく)。 「踏み越える」ために金貸し老婆アリョーナならぬ、売春組織の親玉女子高生・馬場光の殺害を計画する。 光の「害虫度」は、はっきりいってアリョーナ以上だ。 老婆の義妹で「いつも妊娠している」リザヴェータに対応するのは、光の同級生、島津里沙。 光に売春を強要されながらも逆らうことのできない少女だ。 原作にはない弥勒と里沙の関わりがクローズアップされるにつれて、楽しくも不安になる。 展開が気になる、でも原作のもつ「思想」を壊しはしないか、と。 様々ないきさつはあったものの、里沙と弥勒の関係は「原作通り」に展開する。一番大きなところで。 そこから、判事との間の虚々実々の駆け引きが展開するのかと思いきや、 「首藤魁」なる男をめぐる回想が続く。首藤・・・・スヴィドリガイロフ! ラスコーリニコフの妹に迫る、悪魔的な人間、スヴィドリガイロフは彼の魂の父親とも、もう一人の主人公とも評価される人物だ。 初読では、彼の存在意義や根本思想が掴めない読者が多いのではないだろうか。 というか、3回くらい読んでもやはり謎だらけな男だ。 「首藤」という名前が明かされる前から、彼は弥勒の中で父とシンクロする存在として現れる。 嫌悪しながらも惹かれて已まない存在として。 原作でも実は魅力的という設定なのだが、マンガや翻案の中でこれだけスヴィドリガイロフが魅力的に描かれているのは珍しい。 亀山郁夫は、ただ一人、「踏み越えることができた人間」と言っているが、このマンガの中でも、 「草食動物でありながら自然の摂理をひっくりかえして肉食動物になった」存在だ。 「この世は地獄だ。人間の欲が地獄を招く。これは世界の必然だ。欲望は生の本能そのものだから。 欲と欲が絡み合い、強者が弱者を獲って喰らう。猥雑で残酷で、だから世界は美しい」 「欲望を肯定しろ 地獄こそが楽園だ」 裁弥勒は、彼のこうした言葉に導かれるように「踏み越える」ことを目指す。 このあたりは原作とは全く異なる。 賛否両論のありそうなところだが、原作に忠実でなくても、原作からインスピレーションを得た作品としては、非常に魅力的だと思う。 完結巻まで読んだが、きちんと一つの作品としての世界観ができている。 それは、ドストエフスキーの世界観とは違うものだと感じた。 その違いに大きな意味があると感じた。 ある作品の影響を受けるとはどういうことだろう、そこからまた別の世界を構築することはどういうことだろう、 そんなことも考えさせられた作品。

    11
    投稿日: 2015.04.18
  • 18歳の著作権入門

    18歳の著作権入門

    福井健策

    ちくまプリマー新書

    著作権とは何のためにあるのか

    著作権についてのわかりやすい入門書。ちょっと、以下の文が○か×かを考えてみてほしい。 「社会的事実は著作物ではないので、事実を描いたノンフィクションの文章には著作権は発生しない」 「料理のレシピはアイデアなので、人のレシピを真似して料理を作っても著作権侵害ではない」 本文が先にあり、確認する形でこのような問題がある。知識を整理しやすい。 「著作権とは何か」についてしっかりと掘り下げてある本書、○か×かでは答えられない問題も取り上げられている。 例えばオランダの絵本作家ブルーナのキャラクター「ミッフィー」とサンリオのキャラクター「キャシー」。 どちらもウサギの姿をしたキャラクターだ。 ブルーナはキャシーはミッフィーに酷似しているとして告訴した。 さてここで、それまでのところにでてきた「ありふれた・定石的な表現」は著作権にあたらないという情報をあてはめてみる。 ・動物の擬人化 ・直立するウサギ 両者にはこういう共通項があるが、その点に関しては、定石とも言えるかもしれない。 サンリオ派の意見を代弁する形でピーターラビットや鳥獣戯画の図版が紹介されている。 しかし、ブルーナ派としては「単純化のテイスト」こそがミッフィーの独創であり、 サンリオがそれを真似している、という。 さて、どう考えるだろう。(ちなみにこの後も各要素の検証が続く) アップルとサムスンの訴訟なども思い出す展開であり、 こうした訴訟はこれからも絶えないだろう。 本書はこのような○か×かで答えられない問題も多く取り上げ、読者に考えさせる。 その中で「著作権とは何のためにあるのか」を考えさせる構造になっている。 そういう意味で優れた入門書であると言えるだろう。 高校生以上の読者を想定して書かれたものであるが、 それより下の年頃の子どもを持つ親が読み、子どもに考えさせるのにもよい素材だと思う。 ちなみにミッフィーとキャシーの争いは、なかなか「いいはなし」に終わった。 そちらにも興味があれば、是非本書を読んでみてほしい。

    15
    投稿日: 2015.04.17
  • 世界史の極意

    世界史の極意

    佐藤優

    NHK出版

    理論の虜にならず、歴史を読み解く

    佐藤さんが世界史?と少々胡散臭く思った(失礼!)のだが、あとがきを読んで納得した。(私はあとがきから読むタイプだ) 「キリスト教神学には、歴史神学という分野がある。一般の歴史では、実証性が基本になる。 歴史神学でも実証性を無視するわけではないが、さらにその奥にある歴史を突き動かす原動力の探求をする。 この歴史神学の方法を用いて「世界史の極意」をつかむことができないかと考えた。」 そもそも、「一般の歴史」(=歴史学)では実証性が必要になるわけだから、 「世界史」などというものはアカデミックな話としては論じにくい。 ウォーラーステインの「世界システム論」が高校の「世界史」の授業でも扱われるようになったが、 やはり「歴史学」とは異なる視点から斬り込んでいるところに力と魅力があるのだろう。 そういう意味で、本書は「歴史学」とは違う立場であることを明言しているところに、 興味と好感を持った。 さらに、歴史神学そのものでもない。 佐藤氏が同志社大学神学部の藤代泰三氏から学んだことを応用し、 実際に佐藤氏の波瀾万丈の人生の中で学んだことと重ね、 まさに佐藤氏にしか描けない「世界史の極意」であると思う。 本書の鍵となる概念は「アナロジー」(類比)だ。 「歴史は繰り返す」と言うが、反復しているのかをどうかを洞察することが必要だと氏は言う。 そのためには知識と論理が必要なのだと。 取り上げられているテーマは 「資本主義と帝国主義」「ナショナリズム」「キリスト教とイスラム」 歴史を、また現代社会を考える上で外せないものばかりだろう。 これらの説明は分かりやすく、「歴史学」の側の人間にも学ぶところが多いと思う。 ナショナリズム論の三巨人、アンダーソン、ゲルナー、スミスの論についての説明は 分かりやすく、自分が人に説明するときにも参考になると思った。 (本人も認める通り、かなり乱暴ではあるが) だが、私にとって、一番面白いと思ったのは、やはり、 「佐藤優が世界史の極意をつかむまで」の過程だ。 本書は、というか佐藤氏の他の本でもそうだが、 あらゆる体験や出会いを次につなげていこうという姿勢がある。 恩師である藤代先生のことをこのように語る。 「私たちが理論の虜にならず、他人の気持ちになって考えることと、 他人の体験を追体験することを重視し、アナロジカルに歴史を読み解く習慣が付いたのは 藤代先生の影響によるところが大きい」 客観性・実証性を重んじる歴史学の立場からは、 「それは歴史学ではない」と言いたくなるが、 歴史学ではない歴史があっていいのではないかとも思った。 意外に(予想通り?)心温まる本であった。

    12
    投稿日: 2015.04.13