
断片的なものの社会学
岸政彦
朝日出版社
物語以前の出来事や想いの断片
ハリウッド映画とかで、ビルに押し入った悪役が警備員を射殺してどんどん中に入っていったりするじゃないですか。その登場5秒で死んじゃう警備員さんのこれまでの人生ってどんな風だったんだろう…。 昔から時々私はそんなことを考えてしまうことがありました。そして、自分がそういうことを考えることがあったということを、この本は思い出させてくれました。 多くの人が語る物語がある一方で、当事者しか語ることのない、あるいは当人が死んでしまった時点で誰も語ることのできなくなる、物語以前の出来事や想いの断片。圧倒的な数で存在するそれらのいくつかに、筆者は社会学の調査インタビューで出会い、社会学の分析の対象からこぼれたそれらを、ただそういうものとしてここに綴っています。それを読むことで私たちは何かを知ったり学んだりする訳でもなく、でもふと忘れていた自分と出会ったり、誰かを思い出したり、誰かと話してみたくなったりします。
0投稿日: 2019.03.12
マチネの終わりに(文庫版)
平野啓一郎
コルク
過去は変えられる
音楽を言葉にすることの難しさはしばしば言われることだが、言葉の世界だから存在し得る音楽というものも確かにある。現実にそこまで完璧で美しい演奏にはそう容易く出会えるものでもなく、出会ったとしても自分の耳がその美しさを、その一音の持つ意味を聴き取ることができるか。書き手の優れた耳と言葉を借りて仮想体験することでしか味わえない音楽というものもあるのだ。 ストーリーの本筋ではない部分で(でも極めて重要な要素として)この本から強く感じたことである。 ある程度の年月を生きていれば、過去を振り返って「あの時こうだったら」等と思い、変えられない過去を悔やんだりすることもあるだろう。しかし、主人公であるギタリスト・蒔野聡史は言う。 「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」 蒔野と、彼が出会った小峰洋子との関係もまた、その距離を都度変えながら絶えず過去を問い、過去の持つ意味を再定義しつつ進む。二人とも40歳を過ぎ、一日に例えれば午後に差し掛かった辺り。そのラストシーンの美しさに打たれる。
2投稿日: 2017.05.22
愛と暴力の戦後とその後
赤坂真理
講談社現代新書
日本の近現代史への、赤坂真理流アプローチの記録
『東京プリズン』では現実と幻想を行き来しながら日本の近現代史への身体感覚的理解に至った赤坂真理。本書はそれと対になる、日本の近現代史への自身のアプローチの記録である。 決して歴史の専門家ではない彼女が、専門家ではないがゆえに感じる素朴な疑問をないがしろにせず、問いを立て、考察する。迷ったら原典にあたる。我々の思考が組み立てられる基盤となる日本語を疑う。中国から輸入した漢字の一字一字が持つ概念と、日本語の漢字かな混じり文の中で使われる際の意味とのずれ、欧米からの外来語とその訳語のずれ、それらに対する知識、教育の不足。我々の思考の基盤は、実はかなり脆弱なものに思えてくる。 そして、それを一旦認めた上で、東京裁判、憲法、天皇制などの疑問に取り組む。現行憲法草案の英文を読み、現行憲法で使われている漢字で表現された用語と、もとの英文で使われている用語の概念の相違を確認する。明治憲法と現行憲法と自民党改憲案とを見比べる。繰り返し言葉にこだわり、過程を精査する。 決してすぱっと割り切れるような結論が提示されるわけではないが、日本人が深く考えることを避けてきたあれこれに執拗に食いつく思考過程はスリリング。やがて国と国との関係に性的なニュアンスを嗅ぎ付けてしまうあたりはこの人らしい(しかもかなり納得できる)。これまでの日本を知り、これからの日本を考える上で、ぜひとも読んでおくべき一冊。
0投稿日: 2015.09.14
東京プリズン
赤坂真理
河出文庫
日本の近代史の身体感覚としての理解
著者自身の体験をベースにした物語。日本の中学を卒業して米国の高校に進学した彼女は、高校の進級のために与えられた課題として日本の近代史に取り組むうち、日本ではずっと曖昧にされてきた日本という国のあり方、戦後の日米関係、そして天皇という存在について、否応なく対峙することになる。 キーとなる母親との会話が物語を進める。現実世界をベースにしているようでありながら、しばしば彼女の意識は夢の中にあり、時間、空間、さらには個体をも超えてさまよう。その描写は精緻にして幻想的。時に懐かしく、時に痛々しい。その懐かしさ、痛々しさが、日本の近代史、もっとはっきり言えば天皇のあり方の身体感覚としての理解に収斂して行く。その過程に震撼した。
1投稿日: 2015.09.01
人類資金VII
福井晴敏
講談社文庫
人の善意への信頼感がもたらす希望
本当にずいぶん待たされたなぁ、読むにしてもリハビリが必要なんじゃないか…等と思いながらページをめくれば、冒頭にコンパクトなこれまでのあらすじが配置されており、すんなりと物語の世界観を取り戻すことができた。そして、本編に入ってからはもう止まらない。何とか細切れの時間で読みつなぐものの、時間切れでページを閉じるのが惜しい。寝る前に読めば寝るのも惜しい… 絶大な力を持った財閥と天才詐欺師との対決は、アクションシーンもふんだんに盛り込まれて手に汗握る展開。そしてその末に示される未来へのビジョンは、そのまま今の資本主義経済の行き詰まりを打破するひとつの処方箋として、極めて魅力的である。根底に流れる個々の人間の善意への信頼感と相まって、我々自身の未来もより良いものに出来そうな気がしてくる。待った甲斐があった、と実感した一冊。
1投稿日: 2015.08.22
虐殺器官
伊藤計劃
早川書房
恐るべき結末への圧倒的な展開
舞台は世界各地でテロが勃発する近未来。9.11以降の世界情勢を背景に、高度に張り巡らされたID認証とロギング、ナノテクノロジー、ユビキタスコンピューティング、人工筋肉を駆使した様々な機器等、我々の暮らす現在から十分想定可能な地続きの世界を、テロ抑止のための暗殺を任務とする米軍特殊部隊員を通じて我々も追体験する。 虐殺や暗殺の現場におけるリアルな描写と、死んだ母親の想い出とともに現れる死者の世界の幻想、そして非戦闘時における会話や思索では哲学、社会学、芸術、そして意外なキーとなる言語学までが縦横に絡み合う。それらすべてがラストで恐るべき結末へと収斂する展開は圧倒的。戦慄すべし。
2投稿日: 2013.10.20
「『ジューシー』ってなんですか?」
山崎ナオコーラ
集英社文庫
苦手な人とも会話してみたくなる
山崎ナオコーラの名前を知ったのは彼女のデビュー作「人のセックスを笑うな」が出た頃。このペンネームにこのタイトル、なめてるだろ、って思った(だから読まなかった)。次に彼女と出会ったのは新聞の連載コラム。ここであっさり印象は覆る。真面目で不器用、でも前向き。好きなタイプ。 「『ジューシー』ってなんですか」では職場での日常が語られる。小さな事件はあっても大きな波乱はない。交わされるとりとめのない会話、その背後で抱える悩みや傷や哀しみや喜び。職場の苦手な人ともちょっと会話してみたくなる。 一緒に収録されている「ああ、懐かしの肌色クレヨン」は山田さんに恋をする鈴木さん(このネーミング、やっぱりなめてるだろw)のお話。おそらく身近にいれば不思議ちゃんとか天然とか言われそうな彼女もまた抱えているものがあるのだが、それ以上にまっすぐで一生懸命で強い。彼女を応援しながら心がほんのり温かくなる。
0投稿日: 2013.10.18
