トールキンを支えたCSルイスのフェアリーテイル(ナルニア国ものがたり)

トールキンを支えたCSルイスのフェアリーテイル(ナルニア国ものがたり)

2017.05.08 - 特集

シミルボンに投稿された要注目記事をピックアップ!
今回は『ナルニア国ものがたり』シリーズ(C.S.ルイス 著)を取り上げます。

トールキンを支えたCSルイスのフェアリーテイル

地方の屋敷に疎開したペベンシー家の4人兄弟が、ある日、大きな衣装だんすにはいると、雪のつもる別世界ナルニアへとつづいていました。子どもたちは、正義のライオンとともに、白い魔女の軍と戦い、永遠の冬を打ち破ります。

(諸般の事情で同作品ながら別版にて一部内容変更した再レビューとなっております。ご了承ください)

C・S・ルイスは本書『ライオンと魔女』よりナルニアという異世界ファンタジーの物語をスタートしました。
そしてルイスは仕事の同僚であったJRRトールキンを支え、彼の『指輪物語』を生みだす情熱を鼓舞した重要人物でもあったのです。

ルイスのナルニアなる異世界とトールキンのミドルアースなる異世界――
それらは決して同じような性質のものではありません。
両者を比較し、人が想像し創造する異世界とはなんぞやと思いめぐらしてもらえれば、ファンタジーという作品ジャンルへの考察が深まる・・・そう、わたしは考えます。

『ライオンと魔女』において、主人公らは、家の中を探検し、ナルニアなる異世界の入口となっている不思議なタンスを見つけます。
これはハリー・ポッターシリーズにおいてホグワーツなる異界へ通じると設定された、キングズ・クロス駅の9番線と10番線の間= 9と4分の3番線に相当する舞台装置。

「ハリー・ポッター」シリーズは、わたしの生い立ち、祖先から受け継いだもの、歴史、子ども時代の夢といったものすべてを映し出す鏡のような存在です―クリストファー・ベルトン
●ハリー・ポッター誕生の背景
キングズ・クロス駅、パブリックスクール、オートミール、糖蜜タルト、ゴブリン、ケンタウルス……。ハリー・ポッターの本や映画を通して、イギリスの文 化や人々の暮らしぶりになじんだ人も多いはず。しかし、実はイギリス人は墓地や幽霊が大好き、魔法使いも日本人が考えるよりはるかに身近な存在……。そう言われてみると、ハリー・ポッターの世界もまた違った風景に見えてきます。ハリー・ポッターをはぐくんだイギリスとは実際はどんな国なのか、ロンドン生まれの著者がその歴史、文化、風土を詳細に解き明かします。
●さまざまなイギリス事情を明らかに
第7巻では17歳になったばかりのハリーが、何と「ファイア・ウィスキー」なるものを飲むシーンが登場します。イギリスの飲酒に関する法律はどうなっているのでしょうか。同じく第7巻で、逃亡生活を続けるハリーが銀色の雌鹿と出会う「ディーンの森」は実在します。古くはサクソン時代から王族が鹿狩りをしてきたと伝えられるディーンの森とは、どんなところなのでしょう。
ハリー・ポッターシリーズのさまざまなシーンに絡めて、イギリスの学校制度、パブ、気候、食事、交通機関、幽霊、魔女、伝説上の生き物など、イギリス事情を多方面から明らかにします。
●人気コラムが1冊の本に
本書は『「ハリー・ポッター」が英語で楽しく読める本』Vol.1~Vol.7の人気コラム“What's More”に加筆するとともに、新たに書き下ろしたエッセーを加えてテーマ別に再構成したものです。今回の単行本化に当たり、アーティストとして活躍中の著者の次男、ジェイミー・ベルトンがイギリスの雰囲気を見事に伝える挿絵を提供してくれました。そのイラストと写真を随所にアレンジし、ハリー・ポッターそしてイギリスが好きな人はもちろん、ファンタジー文学ファンにも見逃せない1冊に仕上がっています。

このように現実世界のナニカが異世界とつながっており、その出入り口になっているという導入は、英国児童文学やファンタジーにおける異世界導入の伝統的パターンであり、本書『ライオンと魔女』においても忠実に守られています。

作者ルイスは、キリスト教伝道者として知られますが、本人としては「ナルニア国ものがたりシリーズ」について(自身のエッセーや手紙などをまとめた『別世界にて』という本より引用すれば)

ある人々は私がまず、どうしたらキリスト教について子どもに話してやれるかと自問し、それからフェアリー・テールをその手段として用いることに決めたのだと考えるようです。(中略)とんでもないことです。私はそんな方法ではまったく書けませんでした。すべてはイメージで始まりました。傘をもって歩いているフォーン、橇に乗った女王、威風あたりを払うライオン。最初はキリスト教的なところさえ、なかったのです。

――と、語っています。

そう、本作『ライオンと魔女』は(もともと知り合いの子へ贈るべく書かれただけあって)当時の典型的なイギリスっ子が空想するような「おとぎ話的な不思議イメージ」が散りばめられているのであり、そうした伝統を感じたい人には、格好のガイドブックというかアルバムになっていると言ってよいかもしれません。

タイトルに入っているライオンとは、キリストを象徴する動物の一つ。
それに対する魔女は、本書が上梓された時代おいては(現代と異なり)まだまだ悪としてのイメージが主流で、むしろ善なる魔女というのは例外としての稀なイメージでした。
こうしたことから『ライオンと魔女』というタイトルも、なにやら「ルイスがキリスト教的な計算で付けた」と勘ぐられるかもしれません。
しかし、おそらくそれは(先のルイス自身の言葉からは)深読みのしすぎということになります。

実のところライオンがキリストを象徴するイメージとなるのは、わりと後の時代であり、より古くにおいては占星術でもおなじみの太陽、またミトラなどの太陽神、そこから王や豊饒、力や勇気、ヘブライでは心臓とか魂、そしてユダヤの民を表すものでした。

おそらく幼年時代のルイスが漠然とイメージしたライオン=(正当な)王をそのまま持ってきただけで、それはまた太陽の季節とそれがもたらす豊饒を表し、対する敵=悪として、冬と雪を司る魔女がおかれるという、いわば『雪の女王』のよう伝統的昔話のフレームに沿っただけな気がします。

なので、キリスト教伝道者というレッテルから導かれるナルニアへ対する先入観、それをおそらく、ルイスは居心地良く感じてはいなかったでありましょう。
特に、幼き日に思い描いた「おとぎばなし」の純粋な延長であろう、ナルニアシリーズ第一作目『ライオンと魔女』に対しては。

一言で表すなら――
『ライオンと魔女』には、当時の一般的なイギリス国民=先住民の遺跡やら妖精譚、その残滓の上で育つキリスト教徒が思いめぐらす「おとぎばなし」の特徴が、典型となってあらわれている。
――となります。

『ライオンと魔女』は純然たるフェアリーテイルとして読んでほしい・・・・・・
そう、わたしも考えますし、そのほうが絶対にオモシロイ。
そもそも、こういった作品は、作品という独自の生命として作者とは切り離し読むのが理想。

小学校三年生から四年生にかけ一年ほど、近所の同級生にさそわれるままプロテスタント系日曜学校へ通い、どうしてもその考えになじめずやめた直後だった自分的にも、ナルニアシリーズ最終巻『さいごの戦い』の前までは、純粋に異世界ファンタジーとしてたのしめました。
(この最終巻のみ、最後まで救われない存在や善悪の絶対的選別を見せつけるかのような、唯一神教における、一種の〝脅し〟めいたものを感じ、小学生だった自分はガッカリしてしまったけど)

毛ザルのヨコシマはロバにライオンの皮をかぶせ、アスランといつわって悪事をはたらきます。とうとう、おそるべきタシの神があらわれ、チリアン王は、ジルやユースチスとともに、ナルニアの運命をかけた戦いへ。

なお「どうしても本を読む時に作者の影がちらついてしまう」という方には、以下の事実が(比較的)中立な立場で読む助けとなるかもしれません。

そもそもルイスの少年から青年時代は、実のところ「教条的無神論者」と言うべき状態で、合理性と科学のみを信じ、これらによって存在を証明できない神などというものは無価値とすらみなしていました。

アイルランド国教会の神父の娘であった母を9歳ぐらいのときに癌で失い、思春期は寄宿学校の上級生たちから同性愛とイジメが交錯する環境で悩まされ、ついにその学校を辞めてついた教師は厳しい無神論者にして徹底した合理主義者――そんな生活史による影響は、非常に大きかったと推察できます。

しかし、それをキリスト教へ回帰させる上で大きく影響したのは、敬虔なカトリック教徒であったトールキンでありました。
(ここだけピックアップすると、まるで自分も以前レビューした『トーマの心臓』のような展開ですが、だからといってルイスとトールキンの薄い本とか、しょうもないモンを創るなよ! 絶対だゾ!!

北欧神話など、非キリスト教的世界の〝におい〟がする『指輪物語』の世界に対し、背景世界にキリスト教的〝におい〟がする『ナルニアものがたり』という位置づけから正反対に誤解されがちですが、事実は小説より奇なり。
(そもそもルイスも、北欧神話を思春期の時に熱狂して読んでますし)

トールキンは自著『指輪物語』で、フロドを自分、サムワイズはルイスというイメージを交錯させ書いたのではないか――
 わたしは、そう感じてしまうことがあります。

ルイスがいなければ、トールキンは『指輪物語』や『シルマリルの物語』という希有壮大なクエストを達成することはできなかったと言われます。
そして、そうしたルイスとの関係は、『指輪物語』の作中、フロドに最後まで付き合い指輪の旅を完遂させたサムというカタチで反映されているよう(わたしには)感じられてなりません。

ミステリーファンには「ホームズにおけるワトソン」と言って良いかも。
ホームズも、ワトソンを評し、フツーのオジサンだけど、彼がいなければ自分の才能も十二分に役立てることができなかった偉大な凡人である、みたいなことを感慨深げに表明しています。

軽くディスってる感がありますが(笑)これがホームズの天然、というかジェスター(宮廷道化)の言う「ビターな軽口」なる言いまわしの伝統、その甘美な呪縛から逃れ得ない英国紳士特有の、素直じゃない愛情表現なのでありましょう。

そしてトールキン視点からみたルイスとの「一定期間続いた友情」も、これに非常に近い印象を受けました。
 もちろん、この場合、ホームズにあたるのがトールキンであり、ワトソンはルイス。

緻密な言語的歴史的整合性を重視して考えに考え抜いて中つ国とエルフ語ほかの言語を構築し続けたトールキンに対して、勢いよく魅力的なファンタジー世界を創るが、矛盾がそこかしこに見られるルイスも対照的である。そんな異世界がトールキンの気に入るはずもない。〈ナルニア国物語〉についてトールキンがあるインクリングズのメンバーにいった言葉は悲しい気持ちになるほど冷たいものである。それでも、二人は互いに欠くことのできない友人であった(後略)

ハンフリー・カーペンターの本『インクリングズ』の「訳者あとがき」で書かれてるこの文章が、すべてを要約していると言ってよいかもしれません。

この本の題名〝インクリングズ〟とは、オックスフォード大学職員らの文芸同好会的組織。
 ルイスやトールキンもメンバーでした。

しかし、それでいて、

「ルイスには返しきれないほどの恩義がある」後にトールキンはルイスについてこう書いている。「それは普通理解されているような『影響』とは違い、純然たる激励である。長期にわたって彼は、私の作品を読んで聞かせる唯一の相手だった」

とトールキンは述懐し、自分の作品が個人的趣味をこえて本というカタチで世に出せるという考えは、ルイスこそが与えてくれたと感謝しているのです。

トールキン・・・・・・・・どんだけ、ツンデレなのか。

こうした紆余曲折、また幼年時代に兄とお話しを創って〝ごっこあそび〟をした日々というところから、わたしは、ナルニアとは「キリスト教信徒の家に育ったルイスが愚直なまでにあらわした自己表現、苦楽をともにして自分を支えた想像力、創造力の発露であるところの自然な異世界表現」である感を強くしました。

それはルイスが自ら記したエッセー中で、(キリスト教で)「~すべき」だと言われることが(キリスト教への)尊崇の思いの妨げになったこと、日曜学校的な連想をすべて取り除かないとダメだといった表明を記しているところにもあわられています。

――ナルニアでは、作家ルイスと伝道者ルイスは分けて考えたほうがよい。
なにより、作品の世界へはいりこむのに、作者の影を引きずってもメリットはない。
そもそも作者未詳の、キリスト教色が入る中世騎士物語や欧州の昔話を読む際、どんなキリスト教徒が創ったのかとか、いちいち考えてから読みはじめるだろうか?――

『ライオンと魔女』を読み、小学校以来にナルニアへ旅行したあとは、そんなことを、つらつら考えた次第です。(思緒雄二)

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