関ケ原の戦いは「天下分け目」ではなかった!?「学校では教えてくれない日本史の課外授業」イベントレポートを特別公開!

関ケ原の戦いは「天下分け目」ではなかった!?「学校では教えてくれない日本史の課外授業」イベントレポートを特別公開!

2018.08.10 - 特集

歴史作家・井沢元彦さんと歴ドル・小日向えりさんによる、Reader Store限定イベント「学校では教えてくれない日本史の課外授業」が、2018年7月20日都内で開催されました。あの「関ヶ原の戦い」は天下分け目ではなかった!?教科書では教えてくれない"歴史の真相"とは――?

※本記事はWEBメディア「エンタメステーション」より転載しています。

先月、都内で開催された歴史作家・井沢元彦さんと歴ドル・小日向えりさんによる、Reader Store限定イベント「学校では教えてくれない日本史の課外授業」。二人の著書6作品の電子化を記念して開催された同イベントには、約100名の歴史ファンが詰めかけました。トークショーでは、幕末佐賀藩最強説や戦国武将・幕末志士イケメンベスト5など、歴史ファンにはたまらない、ここでしか聞けない話が満載。今回、エンタメステーションではその一部を特別レポート! あの「関ヶ原の戦い」は天下分け目ではなかった⁉ 教科書では教えてくれない"歴史の真相"とは――?

あの関ヶ原の戦いは、「天下分け目」ではなかった!?

井沢 歴史作家の井沢元彦です。今日は歴史好きな方がお越しくださったということなので、きっと楽しんでいただけると思います。

 

小日向 誰だ? と思っている方も多いと思いますので、私も自己紹介をさせてください。ひすとりーっス! 好きな大砲は24ポンドのカノン砲。歴史アイドルの小日向えりです。

小日向 今日は、「学校では教えてくれない日本史の課外授業」ということで、井沢先生には、本にも書けない、ここだけの話をたっぷり聞けたらと思っています。ではさっそく、今回のテーマはこちらです。「天下分け目ではなかった『関ヶ原の戦い』」。


「関ヶ原の戦い」とは?
関ヶ原の戦いは、1600年に関ヶ原で、徳川家康を大将とする「東軍」と、石田三成を中心とする反徳川勢力の「西軍」との間で行われた合戦。西軍は総勢10万、東軍は総勢7万が関ヶ原に陣を構えた。濃霧の中で睨みあいが続くが、霧が晴れたところで福島正則の部隊が、宇喜多秀家隊に鉄砲を撃ち掛け、火蓋が切られた。西軍は多くの将が様子見で戦に参加せず、戦闘したのは3万程度だったが、地形的有利が働き、当初は西軍が有利に展開。しかし、東軍の黒田長政らが、事前に西軍の小早川秀秋らに、東軍に寝返るよう調略していた。戦いが始まるも、東軍に寝返るか決め兼ねていた小早川秀秋にしびれを切らした徳川家康は、秀秋の陣を目がけて大砲を撃ち掛けた。それをきっかけに小早川秀秋は、西軍を裏切り大谷吉継らの陣に突撃を開始。さらに他の武将らも次々と西軍を裏切り、東軍として戦いに加勢した。徳川勢の調略が功を奏し、西軍は総崩れとなり、東軍の大勝利となった。

 

井沢 これはね、最近、私いろんなところで言っているんです(笑)。キーポイントになる合戦だったことは間違いない。だけど、あの時、真田幸村のお父さん・真田昌幸とか、黒田官兵衛は、もっと長引くと思っていたんだよね。

 

小日向 そうですよね。

 

井沢 黒田官兵衛なんかは、一日で終わっちゃったの? って感じで。

 

小日向 真田一族もそうだったと思います。

 

井沢 だから現代の解釈のように、真田昌幸も黒田官兵衛もこの戦は見通しがよくないなと思ったというのは間違いで、当時の常識で言ったら、あれは一日で終わるはずないんですよ。関ヶ原の戦い自体は一日で終わったとしても、東軍と西軍の戦いは、もっと長く続いたはず。というのは、まず西軍の総大将は石田三成ではなくて、毛利輝元ですよね。毛利輝元は大坂城に無傷の2万ぐらいの軍勢とともにいる。しかも、秀頼という錦の御旗があるわけだよね。

 

小日向 そうなんですよね。もし秀頼が出てきていたら――歴史にifはないんですけど……。

 

井沢 秀頼が出てこなくても、家康は豊臣家のために戦うと言っている以上、大坂城は絶対に攻められない。仮にもし攻めたとしても、大坂城が1615年に落ちるのはなぜかといえば、堀を埋められたからですよね。堀を埋められないかぎり、絶対に落とせない。

 

小日向 はい。

 

井沢 となると黒田官兵衛も真田昌幸も、第一ラウンドの関ヶ原では西軍が負けたみたいだけども、次は大坂城の決戦があって、大坂城は一年や二年で落ちるわけがないから、しばらく戦は続くだろうな、と当時の人間だったら思うはずなんです。ところが、我々は結果を知っているので、司馬遼太郎さんもすべて関ヶ原で終わっちゃったように書いておられるけど、それは、私は違うと思う。

 

小日向 それは結果論ということですね。

石田三成の最大の敗因は、負けることを想定していなかったこと。

井沢 やっぱり……申し訳ないけれども、石田三成がアホです。

 

小日向 ……あのー、私、石田三成が大好きで(笑)。

 

井沢 ごめんなさいね、石田三成さん、あの人、戦争が下手でしょ。『のぼうの城』って話があったじゃないですか。忍城でも散々やられましたよね。

 

小日向 でも、賤ヶ岳の戦いとか、まあまあ活躍してますけど……。

 

井沢 うーん。石田三成は、最後、関ヶ原の一番終わりのときに、手持ちの兵を全部使っちゃって、鎧脱いで山の中に一人で逃げちゃうよね。あれがそもそも間違いであって、ちょっと地図を見てもらっていいですか。

井沢 これは何の地図かというと、関ヶ原は岐阜県にあるんだけど、彼の当時の本拠であった佐和山城までどのくらいで行けるかといえば、現代の人の足でも5時間半くらいで行ける。馬を飛ばせば、すぐ行ける。

 

小日向 馬だとどのくらいで行けるんですか?

 

井沢 馬だったら、1時間くらいで行けるんじゃないかな。

 

小日向 へえ~! 馬って早いんですね。

 

井沢 佐和山城には、本軍は出ているけれども、必ず留守居の兵がいるから、おそらく500人くらいはいるはずなんだよね。佐和山城まで撤退して、城は火をつけてもいいけど、その500人の兵を連れて大坂まで帰ればいい。そうしたら第二ラウンドがあるでしょ。しかも、関ヶ原の少し先、大津には、西軍最強の武将と言われた立花宗茂が来ていた。東軍の家康の息子・秀忠の軍勢を、西軍の真田親子が信州上田で釘付けにしたというのは、よく言われる話なんだけど……。

小日向 有名な話ですよね。

 

井沢 そう。でも実は、東軍にもそういう話があって、浅井三姉妹の二女・初の嫁いだ京極高次が大津城主で、戦国最強と言われて大砲まで持っていた立花宗茂の軍をそこで釘付けにしたんです。

 

小日向 なるほど。

 

井沢 で、大津から関ヶ原って半日で行ける距離なんだけど、結局、立花宗茂の軍は大津城を落とすのに手間取ってしまって関ヶ原まで行けなかった。逆に言うと、三成は大津まで行けば……。だって、関ヶ原から大津までの距離って、東京から横浜くらいですよ。

 

小日向 それは、近いですね。

 

井沢 大津の城は取ったわけでしょ。しかも西軍最強の部隊がいるわけだから、佐和山城まで撤退しなくても、そこへ合流してもよかった。

 

小日向 たしかにそうですよね。

 

井沢 ひょっとしたら家康が、手回しよく退路を封鎖していたとしても、近江の山の中へ逃げちゃえば、生まれ育った場所なわけだからいくらでも行き場がある。まあ、実際逃げたんだけど。

 

小日向 そこに行けないように先読みされて封鎖されていたとか?

 

井沢 でも、そんな余裕は家康にはなかったと思うし、仮にそうだったとしても、近江は彼の庭みたいなもんなんだから。つまりね、石田三成の何がいけなかったかというと、関ヶ原で負けることを想定していなかった。勝つと思っていた。家康はそんなこと絶対にありませんよね。どんな戦でも負ける可能性はあると思って手配りしている。

 

小日向 そうですよね。

 

井沢 三成は、負ける可能性を考えていなかった。だから気がついたら、周りに兵が一人もいない。馬さえいない。じゃあ、もう、裸になって逃げるしかない。しかも、これを言ったら可哀想かもしれないけど……お腹壊したらいけないでしょ、大決戦の前に。神経性の胃潰瘍とかだと思うけど。

小日向 でも、お腹痛くなっちゃうときあるじゃないですか~!

 

井沢 うん、でも天下一の大戦をするんだから、医者を用意しておくなり、普段から持病として薬を用意しておくなりして、この戦いは負けだなと思ったら、8割、9割のところで見切って、大坂へ撤退する道を選べば、第二ラウンドがあったんです。

関ヶ原戦いの決着がついたのは、西軍の総大将の毛利輝元が大坂城を出ると決断したとき。

井沢 ところが、もう一人アホがいたんです。西軍・総大将の毛利輝元。彼に徳川家康が手紙を書いたんだよね。“あなたは謀反には何も関係ないと私は承知している。城を出てくれば、本領は安堵する”って。でも、信じるか、普通? 彼はまるまる信じて大坂城を出ちゃったんだよね。

 

小日向 本当にね。もう戦う気がないですね。

 

井沢 だからね、関ヶ原の東軍・西軍の決着がついたのはここなんですよ。西軍の総大将の毛利輝元が、絶対的な立場にある難攻不落の大坂城で秀頼を保護していて、しかも本軍無傷という絶対的有利な状況で、家康の甘言に騙されて、外へ出ると決断したとき。ここで、実は西軍の負けが確定していたんです。だから、石田三成のせいでもないわけ。石田三成は確かに無残な負け方をして、私に言わせれば大坂城へなぜ行かなかったのかは問題だけれども、でも最終的に西軍を負けさせたのは、毛利輝元ですよ。

 

小日向 そうなんですね。先生が、アホだったとおっしゃっている二人が、西軍の総大将と大将だったっていう……。

 

井沢 西軍は連絡も悪かった。大津まで立花宗茂が来ていたわけだから、大津城なんか攻めなくていい、すぐ関ヶ原に来いと伝令をとばすなりしていればね。

 

小日向 そうしたら、全然違ったでしょうね。

 

井沢 そう思いますよ。立花宗茂の部隊が大砲をバンバン打ち込めば、逆に徳川軍が総崩れになったかもしれない。ほら、宇喜多秀家さん……といえば。

 

小日向 あ、ありがとうございます(笑)。私、「関ケ原女性武将隊 巴組」という武将アイドルユニットで宇喜多秀家役をやらせてもらっているんです。

 

井沢 そうだよね。その宇喜多秀家くらいだよね、真面目に戦ったの。

 

小日向 本当に、宇喜多さんは真面目に戦っていましたよ!

 

井沢 だから、立花宗茂が横からついたら、私は絶対に勝てたと思う。ただ、逆に家康はそういうときはぱっと逃げて、退路を断たれるような馬鹿な真似はしないんで、もっと戦は続いたと思いますけどね。

小日向 家康さんて、最悪の最悪の場合まで、いつも考えていますよね。

 

井沢 だって、彼は小さいころからずいぶん酷い目にあっているじゃないですか。

 

小日向 そうですね。御三家の制度とかも、自分が亡くなった後も、徳川家がずっと続くようにと考えて……。

 

井沢 御三家って、あれはもう保険ですよね。ひょっとしたら、総本家が途絶えることがあるかもなって。総本家が絶えるということはものすごく不吉なことで、そんなことは普通の人は考えませんよ。でも、彼は考えていた。それで実際、八代将軍吉宗のときに、役立ったわけだから。

 

小日向 リスクヘッジを常に考えている。

 

井沢 そう。戦国武将って大なり小なり、そんなこと考えていますよ。今の日本の政治家は全然考えていないけど(笑)

 

小日向 三成もこの戦に勝てるとしか思っていなくて、負けたときのことを考えていなかったわけですね。

関ヶ原の戦いで、すべて決まった。実はそう思い込まされている。

井沢 もう一つ言っておかなければならないのは、毛利輝元というバカ殿が最悪の決断をしたから西軍は負けたわけですよね。でも、みなさん、そう思っていないですよね?

 

小日向 どちらかというと、小早川の裏切りがあって、他の武将もどんどん寝返っていって……。

 

井沢 関ヶ原ですべて決まったと、実はそう思い込まされている。なぜ、毛利輝元がバカ殿だと言われていないのか……。その理由が明治維新にあるんです。

小日向 それが明治維新につながるんですか?

 

井沢 幕末に、長州の高杉晋作なんかが散々言っているわけ。じつは250年前に毛利輝元公が家康をあと一歩のところまで追い詰めたんだけど、逆転をくらってしまった。だから、今度はこちらがやるんだと、彼は演説で言っている。そのような文書があるんですよ。

 

小日向 ええ!

 

井沢 あと一歩のところまで追い詰めていないじゃないですか。高杉晋作は主君のご先祖だから悪口を言えないの。毛利輝元公はよくやった、それを家康というとんでもない狸爺が悪辣だったので敗れた。そういう言い方しかできないわけです。高杉晋作は毛利家の家臣だから仕方ないとしても、明治維新が成って、長州人が天下を取った時代に、東京帝国大学とか資料編纂所とか、そういった偉い人がいる機関が、バカ殿説を出せるわけないですよね。

 

小日向 そうですよね。

 

井沢 前田さんのところもそうですよね。賤ケ岳の戦いで、なぜ柴田勝家が敗れたのか。あれは前田利家が裏切ったからなんですけど、それはあまり書かれていない。

 

小日向 たしかに、あまりそういうイメージはないですよね。

 

井沢 前田家は戦国時代からの生き残りだから、資料もいっぱい持っていて、研究者たちは敵に回したくない。もし資料を貸してくれなくなったら、学者としての道が閉ざされてしまうかもしれない。その点、私はエスタブリッシュなところに属していないので、なんでも言っちゃいますけど(笑)。

 

小日向 あはは。なんでも言っちゃいましょう!

 

井沢 だから、そういうところと無関係な某大学の先生方は言ってますよ。賤ケ岳の合戦で、なぜ柴田勝家が負けたのか。それは前田利家が裏切ったからだと。

 

小日向 うーん、たしかに前田利家が裏切ったイメージはないんですよね。

井沢 賤ケ岳の合戦で柴田勝家が負けた理由を、佐久間盛政という勝家の甥っ子の武将が抜け駆けしたからだと思っていませんか? 

 

小日向 はい。

 

井沢 それが通説なんです。でもそれがどこに書いてあるかというと、実は『太閤記』なんです。最初の『太閤記』は小瀬甫庵というお医者さんが書いたんだけど、今と違って印税生活なんてできませんし、何を書いたところで原稿料はもらえないんですよね。そこで小瀬甫庵さんはある家に仕えたんです。

 

小日向 もしかして……。

 

井沢 そうです、前田家。しかも息子も医者なんだけど、前田家に雇ってもらっていた。そうすると、前田さんの悪口は言えませんよね。ではどうするか。「死人に口なし」というすばらしい諺があるわけです。柴田勝家が負けたのは、大将としての器に欠ける勝家が、佐久間盛政という部下たちを制御できなかった、だから負けちゃいましたと、そう『太閤記』に書いてある。その『太閤記』は前田家に雇ってもらっている小瀬甫庵が完成させた……。

 

小日向 そうだったんですね。前田利家って不思議な人だなと思っていました。裏切っているのに、そんなイメージもないし。

その時代の物差しをちゃんとわかったうえで歴史を見ないと、真実は見えてこないなって。

井沢 私は、前田利家はイケメンだったんじゃないかと思う。

 

小日向 そうですね。結婚するにはいいタイプじゃないかと。

 

井沢 彼は少年時代に信長に愛されているでしょう? 昔は、武将はほとんど今で言うバイセクシャルでした。というのも、男を愛するのは実用的な理由があった。例えば織田信長は実の弟を殺しているし、伊達政宗も実の弟を殺している。つまり、血を分けた弟ですら油断できない時代に、夜安眠するにはどうしたらいいか? そうなると女より男が近くで寝ていたほうが安心なんです。そういった意味での固い絆が、戦国武将にはあった。今の大河ドラマでは、織田信長と前田利家のそういったシーンが描かれることはありませんけど(笑)。でも、それが本当の戦国時代なんです。

 

小日向 本当にそうだと思います。その時代の物差しをちゃんとわかったうえで歴史を見ないと、真実は見えてこないなって。明治維新後にキリスト教の一夫一妻制が入ってきたから、今の私たちの価値観があるわけで、その時代によって価値観は変わっていきますよね。

 

井沢 もちろん今の価値観は今の価値観で尊重すべきですよ。ただ、昔は違ったわけですから、その当時の価値観で事実を見ないと本当の歴史は見えてこない。私はそう思っているんです。

Reader Store限定イベント「学校では教えてくれない日本史の課外授業」からほんの一部をお届けしました。二人の歴史トークを聞いていると、今まで知っていたはずの歴史上の人物の、また違った顔を見た気がして、俄然、日本史に興味が湧きました。井沢氏の「ここだけの話」は、残念ながら記事にはできないエピソードばかりのため、「ここだけの話を知りたい!」という歴史好きの方は、次回のイベントの開催を楽しみにお待ちください。それまで待てないという方は、『学校では教えてくれない日本史の授業』シリーズをぜひチェックしてみてくださいね。

取材・文・撮影/エンタメステーション編集部

井沢元彦(いざわ・もとひこ)

作家。昭和29(1954)年、愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業。TBS報道局(政治部)記者時代に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞。退社後、執筆活動に専念する。「週刊ポスト」にて連載中の『逆説の日本史』は、ベスト&ロングセラーとなっている。主な著書に、『逆説の日本史』シリーズ(小学館)のほか、『言霊』『穢れと茶碗』(以上、祥伝社)、『戦国軍師歴伝』(光文社)、『学校では教えてくれない日本史の授業』『学校では教えてくれない日本史の授業 天皇論』『学校では教えてくれない日本史の授業 悪人英雄論』(以上、PHP文庫)、『[実況ライブ!]学校では教えてくれない日本史の授業』(以上、PHPエディターズ・グループ)などがある。

井沢元彦(いざわ・もとひこ)

小日向えり(こひなた・えり)

1988年生まれ。奈良県出身。横浜国立大学教育人間科学部卒業。歴ドル(歴史アイドル)の草分け的存在。信州上田観光大使のほか、関ヶ原観光大使やNHK大河ドラマ「真田丸」オフィシャル応援勇士も務めた。さまざまなメディアやイベントを通じて、女性ならではの視点で歴史の奥深さ、おもしろさを世に広めている。初詣は毎年、真田信繁戦死の地である安居神社に参拝している。近著には『いざ、真田の聖地へ』(主婦と生活社)や、ガイド役として参加した『井沢元彦が教える戦国時代の兵法』(宝島社)がある。株式会社ぴんぴんころり代表として新事業「ユニプラ」を発表。

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小日向えり(こひなた・えり)

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