人生は凸凹だからおもしろい~逆境を乗り越えるための「禅」の作法~
枡野俊明(著)
/光文社新書
作品情報
人生には成功もあれば失敗もある。「凸(順境)凹(逆境)」が繰り返されることを受け止めよう。ベストセラー『心配事の9割は起こらない』著者による、「禅」をベースにした楽しく元気が出る人生論。「人生はゆっくり、コツコツがいい」「100パーセントできた人は、人間的につまらない」「『足りない』ことを楽しんでみる」「どうにもならないことは、無頓着でいい」「死ぬときには、死ねばいい」といった金言が満載!
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この作品のレビュー
平均 4.7 (3件のレビュー)
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初めての著者の本を読んだ。
この本で特に気になったフレーズは2つ。
1つめは
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
この言葉は故野村克也さんの座右の銘です。
いい言葉だ。
勝つ時は、運もあ…るが、負ける時は、理由があり、
それを考えて分析すれば、次は不思議で負けない。
二つ目は。
諸法無我。
この世のあるもの全てに関係性の上で成り立っている。特にありがとうという言葉を頻繁に使おうと
書いている。
心が和む言葉がたくさんある素晴らしい本。
著者はすごい数の本をだしていので、
これからも他の本を読むことを楽しみにしている。続きを読む投稿日:2020.12.27
990
裏切られたという言葉自体が違和感があるんだよね。そもそも世の中無常だし、人間関係もそうだと思う。だからこそ一期一会というかその時その時の目の前で自分と関わってくれる人を大事にするというのが大…事だと思ってる。裏切られたって言葉使う人は自分は人に何かしてもらって当然だみたいな傲慢さ感じる上に、物事とか人間関係を変わらない不変のものだって思ってる感じもダブルで違和感ある。いつどういう形でこの人と別れが来ても後悔がないと思うレベルで大事に人と接しなきゃなと思ってる。
枡野俊明
1953年生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー、多摩美術大学環境デザイン学科教授。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本文化に根ざした「禅の庭」を創作する庭園デザイナーとして国内外で活躍。主な作品に、カナダ大使館、セルリアンタワー東急ホテルラウンジ・日本庭園、ベルリン日本庭園など。2006年「ニューズウィーク」日本版にて、「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれる
【利休七則(りきゅうしちそく)】
1. 茶は服のよきように点て
2. 炭は湯の沸くように置き
3. 花は野にあるように生け
4. 夏は涼しく冬暖かに
5. 刻限は早めに
6. 降らずとも傘の用意
7. 相客に心せよ
1. 事を行うには、相手の気持ち・状況を考えること。
2. 準備・段取りとは、要となるツボを押さえること。
3. ものの表現とは、本質を知り、より簡潔に伝えること。
4. もてなしとは、相手を想う心で。五感を使って、工夫すること。
5. ゆとりとは、自らの心掛け次第で平常心でいること。
6. 備えとは、万人の憂いを想定すること。
7. 何事に接するにも、無垢な心で。素直な態度で気遣い・思いやること。
わたしはこれまで長年にわたって、たくさんの「禅の庭」のデザイン、作庭を手がけてきました。セルリアンタワー東急ホテルなどの宿泊施設、外務省やカナダ大使館といった公共施設、ニューヨーク、ベルリン、シンガポール、中国といった海外の施設まで、かなりの数にのぼります。
「禅の庭」には一定の形式がありますから、それを知識として理解し、技法を学べば、形式に則った庭、形式に倣った庭をつくることはできます。たとえば、「禅の庭」の代表的な形式である 枯山水 の庭もできてしまう。 しかし、つくり手が行によって禅を会得していない庭師さんや造園業者さんであったら、その枯山水は「禅の庭」ではないのです。枯山水の形式でつくられた庭といういい方しかできません。少なくとも、わたしはそう考えています。 そうであるからといって、「禅の庭」のつくり手は、必ずしも禅僧である必要はないのです。在野の人であっても、長年にわたって禅寺に赴き、住職である禅僧の 薫陶 を受けたり、坐禅にとり組んだりするなかで、禅を会得していれば(そういう人を 居士 と呼びます)、その人がつくった庭はれっきとした「禅の庭」なのです。
かりに、高名な日本画家がどれほど巧みに描いた達磨図であっても、作者に禅の心得がなければ、それを禅画とは呼びません。「達磨大師を描いた絵(日本画)」です。
哲学者でもあった久松真一さんは、著書である『禅と美術』(思文閣刊)のなかで禅の美を次の七つに分類しています。 ・不 均斉 ・簡素 ・枯高 ・自然 ・幽玄 ・脱俗 ・静寂
不均斉……不完全でよい それぞれについてわたしなりの解説をしていきましょう。 「不 均斉」とは均斉が崩れていること、整っていないことです。一般には左右対称(シンメトリー)であったり、バランスに寸分の狂いもなかったりする状態を美しいとするのだと思いますが、禅はそう考えないのです。 均斉は終わりの姿であるとするのが禅です。〝終わり〟ですから、その時点で完成、完全です。つまり、そこでとどまってしまう。それ以上の変化、すなわち広がりも、高まりも、深まりも……ないのです。 禅に終わりはありません。均斉(完成、完全)の域に達しても、さらにその先を求めるのです。
簡素……思惑を捨て切る 「簡素」とはシンプルなこと、素朴であることです。「禅の庭」のなかでも枯山水と呼ばれる形式の庭は、使われている素材も基本的には石組みと白砂のみ。植栽があってもわずかな苔が配されていたりするだけですから、簡素のきわみといっていいでしょう。 これも禅の美のひとつです。その美しさを表現するうえで重要なのが次の禅語の教えです。 「放下 着」 その意味は、捨てて、捨てて、捨て切ってしまいなさい、ということです。「禅の庭」づくりでいえば、余計な思惑を捨て、素材を捨て、もうこれ以上捨てることができないところまで捨て切ってその場に臨みなさい、ということです。そうして成立しているのが枯山水です。
枯高……自負など見せるな 「枯高」とは枯れ 長けて強いということです。言葉に馴染みがなく、イメージとして捉えにくいかもしれませんが、この美しさがあらわれているのが「老松」です。あざやかな緑の葉を勢いよく茂らせている若い松にはその美しさがあります。しかし、枯高の美はそれを超えたところにあるのです。
静岡県三島市に臨済宗の修行道場でもある 龍澤寺 という禅寺があります。そこで住職をつとめておられた山本 玄 峰 老師は〝枯高の人〟と呼ぶにふさわしい方だったと思います。若くして目を患い、光を失った老師は、四国八十八カ所の霊場をめぐるお遍路を重ねるなかで行き倒れになります。
自然……作為を捨て、無心になる 「自然」は「しぜん」ではなく、「じねん」と読みます。たくまないというのがその意味です。「禅の庭」づくりで不可欠なのがこの姿勢、心の在り様です。庭にかぎらず、何かをつくるときにふと頭をよぎるのが、「うまくつくってやろう」という思いでしょう。そう、自我が前面に出てしまうのです。
幽玄……あからさまに見せない 「幽玄」とは内に深く秘めた 余韻 ということです。日本の伝統的な文化や芸術は、この幽玄と切っても切れない関係にあります。たとえば、歌舞伎や能。どちらにも演者の動きが止まる瞬間があります。 見得を切った歌舞伎役者が次の瞬間、静止してひと呼吸置く、舞いの途中で能楽師の動きが一瞬止まる……。いわゆる「間」ですが、その間がじつに繊細な表現になっています。観客は想像力によって、思い思いにその表現の意味するところを読みとろうとします。 間によって表現される美しさ。それが幽玄の美です。想像力によって成立する美といってもいいでしょう。
脱俗……こだわらない、とらわれない 「脱俗」はものごとにこだわらないということです。わたしたちが生きている世間には、さまざまなしきたりや決まりごとがあります。もちろん、法治国家である以上、法を逸脱するのは困りますが、世間体とか、杓子定規な常識といった「枠」にこだわりすぎると窮屈になるのではないでしょうか。 枠にこだわることなく、自由でいる姿が脱俗です。それを体現しているのが七福神の一人である 布袋 さんかもしれません。絵や像で見たことがあるという人も少なくないと思いますが、布袋さんのいでたちは一風変わっています。 はだけた衣からは大きく張り出した太鼓腹がはみ出し、肩には 施されたものをなんでもかんでも放り込んだずだ袋を担いでいる。布袋さんは 弥勒菩薩 の化身という伝説があったほどの高僧ですが、権威の風を吹かせるなどということとはまったく無縁、高僧然としたところが少しもないのです。
静寂……静けさは心で感じる 「静寂」とは文字どおり、静けさのことですが、禅でいうそれは物音ひとつしない状態のことではありません。自分の内なる心で感じる静けさ。それが禅の静寂です。ですから、日常の 喧噪 のなかにも静寂はあるのです。
すると、それにとらわれた見方しかできなくなるのです。「禅の庭」を見る際にもっとも大事なことは、何にもとらわれず、自由な心でいることです。その自由な心が感じるもの、自由な心に入り込んでくるものが、そこに展開している「禅の庭」の、その人にとっての本質だといっていいでしょう。
禅の庭」をデザインするときには、最初に「癒やし」「寛ぎ」「静けさ」「力強さ」「清々しさ」……といった基本となるテーマを決めます。全体の空気、雰囲気といってもいいかもしれません。
空想の石庭はその都度違ったものになります。一度は実際の石庭とは違う位置に置いた石を元に戻すということも起こる。そこでふと気づくのです。 「そうか、あの石はやっぱりあの位置でなければいけないんだ」 それは、以前は気づかなかった作者の意図に気づいたことではないか、とわたしは思っています。見えなかったものが見えてくる。成長の証といってもいいのではないでしょうか。
「同じところに何度行ってもいいんですよ。その度に見え方が変わっているはずですからね」 いろいろな「禅の庭」を見るのもいいですが、わたしはむしろ、同じ「禅の庭」を何度も訪れることをすすめたいと思っています。日本にはくっきりと色分けされた、それぞれに美しい四季があります。ですから、少なくとも、同じ「禅の庭」が春夏秋冬でどのように佇まいを変えるかを実感していただきたいのです。
利休は茶室を「清浄無垢な仏国土」と考えていました。仏国土、つまり仏の住む国には身分の上下も、貧富の差もありません。武士と町人の別もない。誰もが等しく一人の個人であるだけなのです。武士の身分や権威を象徴するのは、いうまでもなく刀です。ですから、それを放してこそ個人になれるわけです。
茶室という空間に仏国土を現出させた利休の 慧眼 と発想のバックボーンになっていたのが、禅であることはいうまでもないでしょう。
茶室の庭に利休は朝顔を植えます。みごとに咲き誇った朝顔は評判になり、何人もの人が見に訪れます。それを聞きつけた豊臣秀吉が、「ぜひ、見たいものだ」と利休に告げます。一面の朝顔を期待して利休のもとを訪れた秀吉は目を疑います。 茶室の庭には一輪の朝顔もなかったのです。利休がすべて切らせていたからです。憮然たる思いだったでしょう。叱責の言葉を投げつけるつもりであったかもしれません。しかし、茶室に入った秀吉は目を見張ります。 床の間に一輪、すばらしい朝顔が活けられていたのです。庭一面に朝顔が咲いていたらどうだったでしょう。「なるほど評判どおり、みごとな朝顔だ」という受けとり方以上の感動はなかったのではないでしょうか。 しかし、庭には一輪の朝顔もなく、床の間に一輪があった。秀吉の胸中を察すれば、その感動はひとしおだったはずです。「朝顔で秀吉を歓待する」という意味で、これ以上の表現はないはずです。
床の間にどんな花を、どんなふうに活けるか、どのような軸をかけるか、何か調度を置くか、置かないか……。ここは亭主がいちばん心を注ぐところです。その季節を踏まえ、「名残のもの」「旬のもの」「走りのもの」をうまく配す。それが禅の基本といっていいでしょう。たとえば、季節をそのまま感じさせる軸をかけたら、活ける花は名残のものと走りのものをあしらう、といった具合です。
常に一期一会を心がけていたら、人間関係の質が格段に違ってきます。相手に自分を深く理解してもらえるようになりますし、相手に対するこちらの理解度もグッと深まるのです。人間関係の味わいが増して、人生がもっと、もっと、おもしろくなってきます。
利休七則 ①――茶は服のよきように点て この「服」はお茶を飲むことです。いまも「お茶を一服召し上がれ」ということもありますが、これはもともとお茶は薬として用いられていたことから、お茶にも薬と同じように数詞の「服」が使われるようになったものと思われます。 この則の意味は、お茶というものは、飲んだ人が「ああ、おいしい」と心から感じるように 点てなさい、ということでしょう。そのためには、まず、自分の(点て方の)流儀を押しつけないということです。
利休七則 ②――炭は湯の沸くように置け 茶の湯では湯を風炉や炉に置いた炭で沸かします。炭の量や置き方(つぎ方)で火加減は違ってきます。お湯がお茶を点てるのに最適な温度になるかどうかは火加減しだい。炭の置き方には細心の注意を払う必要があります。 客の前で炭を置く作法を「炭手前」といいますが、これはいってみれば、お茶を点てる前の準備、段取りです。そこにも入念に心を配りなさい、というこの則は準備の大切さをいったものだといっていいでしょう。 禅も準備の大切さを説いています。よく例に引くのが花の開花です。春になると花々が咲き始めますが、いっせいに開花するわけではありません。同じように春風を受けて、開く花もあれば、開かない花もあるわけです。
利休七則 ③――花は野にあるように この花は茶室に活ける花のことをいっています。「野にある」というのは花が自然に咲いている姿でしょう。この則のポイントは「 ように」の部分です。自然に咲いているそのままを茶室に再現しなさい、ということであれば、利休は「ように」を使わなかったでしょう。「(野にある) ままに」という表現がそれにふさわしいからです。
人の本質(適性、能力)はじつは隠れたところにあって、すぐには見えないことが多いものです。時間がかかったっていいではありませんか。人とはじっくり向き合っていきましょう。「人心」を読む方法はそれしかないのです。
利休七則 ④――夏は涼しく、冬は暖かに 夏に 涼 を求め、冬に 暖 を求めるのは、人誰しも同じでしょう。ただし、涼、あるいは暖を感じるのは皮膚感覚、すなわち、触覚だけではありません。人間には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感がありますが、そのどれもが涼も暖も感じとります。
利休七則 ⑤――刻限は早めに 茶会には始まりの刻限(定刻)が決められていたはずです。迎える亭主も招かれた客も、その刻限を守るのは大原則。少し「早めに」というのも常識のうちです。しかし、利休はそんな当たり前のことをあらためて則にしたわけではないのです。
利休七則 ⑥――降らずとも傘の用意 茶会は極上のおもてなしを提供する場です。始まったときが晴れ渡っていても、急変して、終わる頃には雨が降りしきっていることもあるでしょう。その際、 「まさか、このような天候になるとは思わなかったものですから、あいにく傘をご用意していなくて……」 ということでは、亭主の役割はつとまりません。まさかの事態、不測の事態、予期せぬできごと……が起きるのが世の中です。できるかぎり、それを想定して、そうなったときに備えておかなければいけない、とこの則は教えています。
利休七則 ⑦――相客に心せよ 「相客」とはその場に居合わせた客のことです。「心せよ」は気遣い、心配りを忘れるな、ということでしょう。茶の湯は形式、作法を重んじる世界ですが、芯にあるのは心です。おたがいに気遣う心、思いやる心がなかったら、深みも、奥行きもなくなり、薄っぺらな形式美だけの世界になってしまいます。
茶室で時間と空間を共有しているということは、そこにいる人たちとの「ご縁」をいただいたということです。禅はご縁を大切にしなさい、と説きます。人は人生の間でいったい何人の人と出会えるでしょうか。状況や立場によって個人差はあると思いますが、人間関係が築かれる相手は、おそらく、ありあまるほどの数ではないはずです。 そうであれば、いただいたご縁は 蔑ろにせず、真摯に受けとめていく必要があるのではないでしょうか。真摯に受けとめる最初の一歩は、ここで利休がいう「心する」こと。相手を気遣うこと、思いやることでしょう。
この禅語の意味は、友人をつくるときは、自分よりまさっているところがある相手を選びなさい、ということです。縁を結ぶ相手を選ぶ場合も同じでしょう。どんなところでもいいのです。
足ることを知っている人は、地面に寝るような暮らしをしていても、心は安らかで幸せを感じている。足ることを知らない者は、天にある御殿のようなところに住んでいても、思いが満たされるということがない。足ることを知らない者は、どんなに裕福であっても心は貧しい。 足ることを知るとは、「いまあるもので十分だ。それだけでありがたい」という心でいること、その心をもって生きること、だといっていいでしょう。続きを読む投稿日:2023.12.05
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