この作品のレビュー
平均 4.2 (32件のレビュー)
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【まとめ】
1 ビル・ゲイツとの出会い
筆者の好きなことは「機械の分解・組立」。そして「モノ」を作りお金にすることだった。
1997年5月に筆者はアスキー出版を設立。7月に月刊アスキー創刊号を販売。…当時、日本にもマイコンマニアは激増していたが、マイコンに関する情報源は、アメリカの専門誌に限られていた。マイコン・マニアはもちろん、マイコンを組み込んだ製品を考えているビジネスマンなどを中心に、雑誌は飛ぶように売れた。新たなニーズが生まれたときに、最速で市場に参入する。その機動性こそが、ゲリラ部隊「最強の武器」だ。
1978年10月から大手取次が扱ってくれるようになり、発行部数も2万部に増加した。
1978年、マイクロソフトがBASICを売り始め、マイコンブームの萌芽が生まれ始めていた頃、筆者はビル・ゲイツの試みに強く惹かれ、ビルと会うためにアメリカに渡る。すぐに意気投合し、マイクロソフトBASICの東アジア市場における独占販売契約を結び、日本で株式会社アスキー・マイクロソフトを設立する。
筆者はNECと何度も交渉を重ねた末、NECが極秘裏に始動しつつあった「PCX-01」に、マイクロソフトBASICを搭載させることに成功する。後の「PC-8001」だ。「PC-8001」は、1979年9月に発売が開始されると、瞬く間に大ヒット商品となった。もちろん、 『月刊アスキー』でも大々的に取り上げた。
次々とメーカーから声がかかるようになり、営業マンと開発者の二重生活に追われていた。マイクロソフト本社のシアトルと日本を行ったり来たりする生活が続いた。
それだけ仕事に打ち込めたのは、マイクロソフトBASICを売っているのではなく、パソコンの設計を売っていたからだ。自分なりに思い描いていた「理想のパソコン」「売れるパソコン」を実現したい一心で、パソコンの設計を売っていたのだ。しかも、それはただの妄想ではなかった。僕は、確かな裏付けのある「ビジョン」を売っていた。しかも、そんな話をできるのは、当時の日本には少なかったはずだ。だからこそ、名だたる経営者も一流のエンジニアも、たかだか20代の若造の話に耳を傾けてくださったと思うのだ。
僕が売っていたビジョンの「裏付け」とは何か?それは「情報」と「人脈」である。どんな分野の仕事でもそうだと思うが、新しい技術を追求したり、新しいモノを生み出したりするときには、その分野に存在する人脈の中に入っていなければならない。しかも、その分野における「本場」の「本物」の人脈でなければダメだ。そうでなければ、最先端の情報が入ってこないからだ。最高の価値をもつ情報は、「人」を介してもたらされる。「人脈」とは情報ネットワークなのだ。
僕は、初めてビルに会ったときに、「マイクロソフトの販売代理店にしてほしい」とは一言も言わなかった。そんなつもりは毛頭なかった。僕が求めていたのは、「理想のパソコンをつくる」という一点に尽きたのだ。だから、僕には、「単なる販売代理店」という認識はなかった。マイクロソフトとさまざまなパソコン・メーカーと協力しながら、「理想のパソコン」をつくるために、あくまで僕は自律的に仕事をするつもりだったし、実際にそうした。しかし、あの契約書はあくまでも「代理店契約」だった。その矛盾が、後にビルと僕の間に亀裂が走る一因になったことは否めないだろう。ビル・ゲイツは、コンピューターという「機械」をつくることには興味がなく、あくまでもソフトウェアに情熱を燃やしていたからだ。
2 マイクロソフト帝国
1981年、コンピュータの巨人IBMが発売したパソコン「IBM-PC」に、マイクロソフトのOS「MS-DOS」が採用される。大型コンピュータで世界の70%のシェアを誇っていたIBMが参入することで、パソコンは個人ユーズからビジネス・ユースへと広がり、その市場を劇的に拡大させた。そして、「IBM-PC」が、パソコンのデファクト・スタンダードになることにより、「MS-DOS」も世界標準としての地位を確立。これが、マイクロソフト帝国の礎石となった。
この伝説の始まりの1年前、IBMはマイクロソフトを訪れ、16ビット用のOSの開発を依頼する。期間は3ヶ月。ビル・ゲイツ、ポール・アレン、筆者、そしてスティーブ・パルマーの4人は、議論の末開発を行うことを決定。これを見事にやり遂げ、「MS-DOS」はIBMのパソコンに採用された。新時代OSの世界標準になったのだ。
1983年、アスキーはパソコンの「統一規格を作る」という目標を掲げ、「MSX」というブランドを作る。筆者はメーカーを回ってMSXへの参画を呼びかけ、統一企画の作り込みを進めていった。参画企業は松下電器、ソニー、日立、東芝、三菱、富士通、三洋、京セラ、キヤノンなど錚々たるメンバーだった。
しかし、MSXが各社から5万円で発売されたことに対し、カシオがほぼ半額の2万9800円でMSXマシンを発売。これをきっかけに、陣営内部での激しい値引き合戦が始まってしまい、最後は瓦解していった。同時期に任天堂のファミコンが1万4800円で売られたことも痛手だった。
僕は、安くて使い勝手がいいパソコンを作れば、一家に一台普及すると思っていたけれど、これが間違っていたのだ。どんなに安くても、どんなに機能がついてても、それだけでは普及しない。だって、パソコンがなくても、他のもので用は足せるのだから。
では、何が足りないのか?ずっと考え続けて、ようやく気づいた。ネットワークが足りないんだ、と。電話もテレビも、ネットワークで結ばれているから、一家に一台ずつ普及しているのだ。車もそうだ。道路網というネットワークで結ばれているから、みんな車を買う。道路網が整備されてなければ、ランボルギーニが10万円で売られてたって、誰も買わないだろう。インフラが整備されていなければ、どんな高級車もパソコンももただの「箱」にすぎないのだ。
3 訣別
1984年頃から、アスキーとマイクロソフトの利害対立が垣間見れるようになった。
マイクロソフトには、アスキーにもっと自社商品を売ってほしいという思いがあった。両者の間で結ばれていたのは「代理店契約」だったからだ。しかし、アスキーには、塚本さんが手塩にかけて育て上げてきたソフトウェア事業があった。だから、マイクロソフトのソフトを売るだけではなく、独自に開発したソフトを販売していた。
ビルと筆者の間に亀裂が入ったきっかけは、マイクロソフトが半導体事業の参入に乗り気ではない中、筆者がアスキーの事業として半導体ビジネスに参入したことがきっかけだった。取引先のインテルと競合関係に陥ることをマイクロソフトが恐れたのだ。
そして、ビル・ゲイツからマイクロソフトへスカウトされるも、アスキーの郡司さん、塚本さんを裏切れないと思い、断りを入れる。そこでビルと怒鳴り合いの大喧嘩が勃発。その後の1986年1月2日、ビルから「マイクロソフトとアスキーの契約は更新しない、君もマイクロソフトを辞めてくれと」告げられた。
2月17日には、アスキーの仲間である古川さんが、部下を引き連れてマイクロソフト株式会社の社長になった。この騒動の幕引きは、仲間に裏切られて終わったのだった。
4 瓦解
ビルに対抗したかった。ビル・ゲイツは創業したマイクロソフトを上場させて、世界から称賛され、巨万の富を得た。盟友であり親友だと思っていたからこそ、彼と自分の落差を受け入れることはできなかった。傷ついた自尊心を回復するためには、自分の力で会社を上場させ、マイクロソフトが尊敬するような会社に育て上げるしかない。そう思い込んでいた。
1987年4月、筆者はアスキーの社長に就任し、上場を目指して積極的な拡大路線を取る。
しかし、筆者は経営に関してはド素人。会社を拡大して売上を伸ばしても、利益が出ていなかった。パソコン、ゲーム、出版、半導体、インターネット、映画の制作配給と次々に事業を拡大。また半導体メーカーのネクスジェンに巨額の投資を行い続けた。社長という立場を利用した暴走だった。
これに郡司さんと塚本さんは猛反発、次第に溝が広がっていく。1991年7月、二人は辞表を提出し、創業チームは瓦解した。
二人はアスキーの保有株を市場で売り始め、株価が7分の1まで暴落。転換社債の繰り上げ償還が行われるも、ネクスジェンに投資してしまい保有資金が無い。銀行が融資を取り下げ、金がどんどん無くなっていく。
9月1日、興銀や富士銀行など六行が、転換社債の償還資金120億円と運転資金を含む164億円の協調融資で合意した。アスキーは国策によって救済されたのだ。
しかし、本当の地獄はこれからだった。
事業の精算、残った社員のリストラ、部下への詰め…。会社を再建するため、毎日が生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていた。
アスキーネット、半導体事業といった目玉セクションを次々と売却するも、業績は改善しない。最後はCSKグループとセガ・エンタープライゼスの会長を兼務していた大川功氏に土下座。100億円を出資してもらう。
CSK傘下に入ってからわずか4ヶ月で、筆者は社長の座から陥落した。
当時を振り返って思うのは、経営者には「優しさと厳しさ」が必要だということだ。単なる「優しさ」や「厳しさ」ではない。「厳しい優しさ」と「優しい厳しさ」。大事なのはこの二つなのだ。「厳しい優しさ」とは、甘やかさないということだろう。「優しい厳しさ」とは、逃げ道を塞がないということのような気がする。どちらも、僕には足りなかった。
2001年、セガがゲームハードから撤退、同年に大川氏が末期ガンで亡くなる。翌年に筆者はすべての役職から退任する。新たにCSKの社長になった人物は、アスキーの株式を投資ファンドに売却し、CSKはアスキーの経営から撤退した。「もう一回アスキーやらしたるから、いまはその準備や」という大川さんの言葉を支えに生きてきたが、もうその望みは完全に断たれたのだ。
ただ、一番つらかったのは社長を辞めたことでも、株が紙切れになってしまったことでもなかった。CSKから占領軍がやってきて、僕たちのやっていたプロジェクトを次々と潰していったことである。東大法学部卒の人物が「自分はコンピュータのことも何でも知っている」と言いながら、全部潰していった。彼が潰したのは、ソフトウェアよりもハードウェアとシステム開発のプロジェクトの方が多かった。100以上あった。その中には、大きな「可能性」を秘めているものもたくさんあった。僕は、そのかけがえのない「可能性」を、よくわかりもしない人物に全て潰されたことが、それに抗する力を僕が失っていたことが、つらかった。許せなかった。その恨みの感情は、僕をずっと苦しませた。
5 反省
僕は、これまでの人生で数々の失敗をしてきた。その根本にあるのは、中山素平さんの「もっと広い心をもたないと君はダメになる」という一言に尽きると思う。これは、僕にとっては非常に厳しいご指摘で、その後もずっと心のど真ん中にあった。「広い心」って何やろ、と。
それは、一喜一憂しないことだ。「すべてのことは過ぎ去っていく」のだから、どんな状況が訪れても、平常心で、やるべきことを淡々とやるしかないし、それが最善の対応策なのだ。どんなに激しい感情が生まれても、それは過ぎ去っていく。だから、激しい感情も放っておけばいいのだ。それに振り回されず、その感情が過ぎ去るのを待てばいい。大川さんは、「お前がいつもニコニコしてたら、いい商売人になるよ」と教えてくれたが、そのとおりなのだ。どんなに感情を刺激される出来事があっても、それはそれで放っておいて、ニコニコしていれば、感情は過ぎ去り、その感情を引き起こした出来事も過ぎ去っている。そして、また新しい局面が現れるのだ。
感謝している時が「幸せ」なのだという気づきこそが、これまでさんざん経験をしてきた失敗から学んだ最大の知恵だと思う。もしかしたら、そんな僕を笑う人もいるかもしれない。それは、みなさんのご自由だ。だけど、僕がこれから成し遂げたいと思っていることはすべて、いろんな人々の力を借りなければ絶対に実現できないことだ。だから、僕は、このことを心に刻んで、少しでも「広い心」「高い心」「深い心」「温かい心」に近づけるように、一日一日を大切に生きていきたいと思っている。続きを読む投稿日:2022.08.12
このレビューはネタバレを含みます
読ませる本。グイグイと引き込まれ一気に読了。パソコン黎明期で日本をリードした著者。当時、自分は中学生。パソコンはまだ一部のマニアだけのものであり、自分はそうではなかったものの、それでも西和彦氏の名前は…イヤでも耳に入ってきた。本書を読むことで、日本や世界におけるパソコンの立ち上がりと普及までの過程を追体験する事になる。当時の空気感や熱狂が思い出される。いつしか西氏の名前を聞くことが無くなったが、彼が何をどのように成し遂げ、どうして表舞台から去ったのかという事を知りたかった。本書は大まかに言うと、マイクロソフトと一緒にパソコンという新しい時代を創っていった前半、そしてビル・ゲイツと袂を分かちアスキー社長となりその後業績悪化に伴ってCSK参加となった苦難の時代の後半に分かれる。
レビューの続きを読む
著者は創業期して間もないマイクロソフトに関する小さな雑誌記事を見て興味を持ち、その日のうちに国際電話でビル・ゲイツに直接電話をかけ後日合う約束を取り付ける。彼の真骨頂は並外れた大胆な行動力。それを裏付ける逸話だろう。
その後、アスキーを設立。マイクロソフトの日本総代理店となり同社の売上の40%を日本で稼ぐほどまでになる。マイクロソフトの技術担当副社長、役員まで上り詰めビル・ゲイツの右腕であった。著者がマイクロソフトと関わるのは、GUIを搭載したWindowのプロトタイプ、1.0までであり、同社が世界を制する大きな原動力となったWindows95には関わっていない。彼はマイクロソフトが上場する直前で、ゲイツと喧嘩別れをし、大金持ちになるチャンスを自らフイにする。この事がその先の人生を通じて彼を苦しめたと書中でも述べられている。
書中を通じて感じるのは、著者の性格や生き方がカタ破りであり、また真っ直ぐで意固地で不器用であり、異端中の異端でもあるという事である。大人しく良い子にしていれば巨万の富を築くことも出来ただろうに、とは本人も書中で述べている。マイクロソフトの上場に際しては極東の拠点を自社で持つ必要があったという。それに際してゲイツは可能な限りの前向きな提案をしている。まずは、アスキーのマイクロソフトによる子会社化、ソフトウェア部門のスピンオフによる買収、それらは全て拒否したという。そして代案として、西氏のマイクロソフトへの移籍を打診され、一旦はそれを受け入れたというが、ASCIIの共同創業者を裏切ることは出来ないという事で約束を反故にし、大喧嘩へと発展する。こうしたやりとりの中で、何らかの大人の対応が出来なかったのかと思うのだが、それが出来ないのが著者なのであろう。そして反省記という書名にあるように、そレに対する後悔の念は書中に何度も記されている。
結局、ゲイツは自らマイクロソフト日本法人を立ち上げ、アスキーの幹部だった古川享を社長に、他10数名をまとめて引き抜いた。著者はこれを裏切りとして表現してい
るが、彼の立場ではそうだろう。一方で、それまでの経緯を考えればゲイツは出来る限りの提案をしており、これは最終手段である。
そして、裏切ることは出来ないといった相手のASCII共同創業者である郡司氏、塚本氏とも結局は後年、大喧嘩して袂を分かつ事となっている。
こうした経緯を見ても、著者の最大の反省点は常に物事の中心は「自分」がやりたいと思うこと、正しいと思う自分の立場であり、他人の立場の視点が希薄だという事だろう。先を読む先見性とそれを実現する並外れた行動力を以て、おじさんキラーとも異名を取った程に日本の産業界の重鎮にも人脈を広げていく。
一方で、そうしたやり方は当然周囲のやっかみや反発を招き、敵も多くつくることとなる。それらを補う人間力といった部分では致命的とも言える欠点を抱えていたのである。その後も続くストーリーでもこの欠点は一貫して彼を苦しめる事となる。実務レベルであれば、彼の強みは生かされるが、ある程度の規模となり関係者数の桁が増えてくるに伴い、自分一人では出来ない事が増えてくる。こうした規模の変化に伴って自分自身もやり方を変えていかなければならないという教訓といえる。
結局、ビル・ゲイツとの決別は彼の人生が暗転する大きな分岐点だった。その後、別アスキーの社長となり、ビル・ゲイツに負けない事が人生の目標、むしろ生きる意味になってしまう。アスキーの社長となるも、共同創業者の2人からは社長解任動議が出され最終的には彼らとも決別する事となってしまうのである。その後、業績は悪化し続け、最終的にはCSKの大川社長を頼る事となる。同社の傘下となったアスキーでの西は当事者能力を失い、最終的には大川の付き人のような立場に収まる。それまで彼にとって不幸だったのは、20歳そこそこの若造の時代から時代の最先端を生き、メディアやエレクトロニクス業界でもてはやされていたため、上司というべき存在がいなかった事。しかし、あれだけの大企業を1代で築き上げた大川が、西にとっては初めて上司となり、ほどなくしてガンで亡くなるまでに多くの事を学ぶ事となる。
型破りの西は、型にハマる事を求められる日本の社会にはそもそも合うわけが無い。スタート地点で同じ場所に立っていたビル・ゲイツと西和彦の成し遂げた結果の差は既に明らかである。しかし、それは彼ら個人の資質によるものもあるが、日米の社会の違いであるとも思える。西のような天才をいとも簡単に葬り去るような日本が現在、IT産業で米国に大きく水を開けられているのはある意味必然とも言える。
本書で興味深いのは、パソコン黎明期においては日本の大手電機メーカーが世界の最先端の一翼をになっていたという事が著者が書くエピソードからも垣間見える事である。
大川が逝去してから、当然CSKには居場所がなくなり、西も辞任する事となる。そして、大川の生前のアドバイスもあり彼は教育に彼の居場所を見つける。現在は、東大メディアラボのディレクターとして後進の指導をしているという。一方、自分の理想とする大学を創設するという意欲を持ち、既に和解をしていたビル・ゲイツから20億円の出資の約束まで取り付けている。
彼の反省記は、半生記とも掛けているのであろう。壮絶な人生だが、それでもまだ60過ぎ。彼の元から世界で活躍する人材が育つ事を期待したい。続きを読む投稿日:2023.08.31
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