この作品のレビュー
平均 3.4 (62件のレビュー)
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あなたは、『夏至の翌日、プール開き』を自宅でするんだ!という友人の話を聞いたらどう思うでしょうか?
えっ?実は超お金持ちだったんだ!羨ましいなあ、そんなある種の妬みや僻みの感情が巻き起こるのではな…いでしょうか?でも、『一搔きし、二搔きめの最後が完全な形を取りきらないところで、早くも向こう岸に到着してしまう』と聞いたとしたら、それってただの子供用プールじゃない、と呆れ返ると同時に、そんな友人のことを危険人物かもしれない?と訝しがるかもしれません。また、
あなたは、毎月末の日曜日、『お邪魔して、よろしいですか?』とやってきて幼稚園の園庭の遊具を使う奥さんを見たらどう思うでしょうか?
えっ?郷愁に浸っているのかなあ!微笑ましい光景かも、と思うかもしれません。でも、それが『反対側は空席にもかかわらず』『ぎっとんばったん』と一人でシーソーに興じている姿だったとしたらどうでしょうか?私なら、相手に気づかれないように、そっとその場から立ち去ると思います。
人にはそれぞれの価値観というものがあり、そこから外れるものには違和感を感じます。もしくは、ある種の恐怖を感じる場合もあるかもしれません。しかし、そんな違和感を感じざるを得ない世界があくまで淡々と当たり前の光景として描かれる作品があったとしたらどうでしょうか?人は自らの価値観を信じ、そんな違和感満載の世界に囚われないよう拒絶反応を示します。それは、その作品に入り込めない、という症状として現れるかもしれません。しかし一方で読書とは趣味の世界でもあります。そんな違和感満載な世界に身を委ねることで、あなたが今まで経験したことのないような不思議な感覚を味わい、いっ時を興じることができるなら、それはある意味で幸せな体験だと言えるのではないでしょうか?
さて、ここに淡々と描かれる日常世界が違和感そのものでしかないという摩訶不思議な世界観に彩られた作品があります。小川洋子さん「小箱」。それは、そんな摩訶不思議な世界の中に、死んだ我が子を見やる親のあたたかい眼差しを見る物語です。
『私の住んでいる家は、昔、幼稚園だったので、何もかもが小振りにできている』という元幼稚園に暮らすのは主人公の『私』。『お遊戯室を居間兼食堂にし、職員室で書きものをし、保健室のベッドで眠る』という『私』は、かつての間取りのまま『どこにも手を加えず暮らしてい』ます。そんな日々の中、『火曜日の午後、バリトンさんが新しい手紙を一通携えてやって来』ました。『今では廃墟になっている、郷土史資料館の元学芸員だった』というバリトンさんは、『遠い町の病院に入院している恋人から届く』という『とても小さな字で書かれてい』る手紙を持ってきます。自分ではその手紙を読むことができず、『これを読めるのはあなた以外には誰もいません』というやりとりから『極小文字の手紙と関わるようになった』『私』。『あなたは誰より小さきものたちとお親しい。ここはかつての、子どもたちの楽園。子どもたちは小ささのシンボル。そしてあなたはその番人』と言うバリトンさんは、『資料館が閉鎖された翌日』、『朝目覚めると、声帯も舌も唇も、発声に関わるすべてが独自の変異を起こし』たと言います。『心に浮かんだ言葉を発しようとすると、本人の意思とは無関係に、それらは旋律にのり、拍子を刻み、ビブラートを利かせながらあふれ出』し、『歌でしか人と会話できなくなっ』た彼は、『町の皆からバリトンさんと呼ばれるようにな』りました。そんな彼に恋人の書いた手紙を『解読して清書した』ものを渡すとき、『手紙が長ければ長いほど、彼はいつまでも恋人と一緒に夜を過ごせる』と思う『私』。一方で『彼が手にし、見つめているのは、恋人が書いたのではなく、私が清書した文字だ』とも思う『私』。そんな私が暮らす元幼稚園には講堂がありました。かつて、『入園式やお遊戯会や卒園式が行われていた』というその場所。そんな講堂には『舞台に向かって右側から、四列の棚が設置され、そこに両腕で一抱えできるほどの大きさのガラスの箱が、びっしりと並べられてい』ます。『元郷土史資料館の備品を運び入れたもの』というそれらの箱たち。それらは『子ども一人分の魂があちらの世界で成長するのにちょうどいい大きさをしてい』ました。そんな箱に『おしゃぶり、初めての靴…九九の暗記表、野球のサインボール、ニキビ用の塗り薬』と、その場へとやってくる人たちは様々な物を持参し、『自分たちのガラスの箱に』『一つずつ納めて』いきます。『かつて郷土史資料館で過去の時間を閉じ込めていたガラスの箱は、今では死んだ子どもの未来を保存するための箱になっている』という小箱たち。そんな小箱たちを見守り続ける管理人の『私』の不思議感あふれる日常が淡々と描かれていきます。
“芥川賞作家”でもある小川洋子さん。その物静かに淡々と情景を描写していく物語は一度ハマるともうたまらない魅力を感じさせてくれる独特な世界観に彩られています。しかし、一方で取っ付きにくいという印象を受ける時もあります。現実世界では決してあり得ず、かと言ってファンタジーという言葉で表現される世界ともまた異なるその独特な世界は、その情景を読者がイメージできないと、かなりの苦読を強いられる場合もあります。私にとっては久し振りにそのことを実感させられたのがこの作品「小箱」でした。『私の住んでいる家は、昔、幼稚園だったので、何もかもが小振りにできている』という冒頭だけだと、主人公は廃校になった校舎に住んでいる、というだけのことですが、その先に展開する物語世界はまるで読者の想像力を試すかのようです。小川さんの小説では登場人物に名前がない場合が多いと思いますが、この作品も同様です。まずはそんな登場人物をまとめてみたいと思います。
・私: 元幼稚園に暮らす女性で、講堂に並べられたガラスの小箱の管理人をしている。
・私の従姉: 息子を亡くして以降、彼の通った道は通らない。死んだ作家の本しか読まない。
・バリトンさん: 郷土史資料館の元学芸員で、遠い町で入院する恋人がいる。普通に話せず会話が歌になってしまう。
・バリトンさんの彼女: 指紋の模様を編みこんでセーターを編んでいる。
・クリーニング屋の奥さん: 月に一度、元幼稚園にやってきて園庭の壊れた遊具で一人で遊ぶ。
・元美容師: 死んだ子の遺髪を使って竪琴の弦を張り替える。
といった感じですが、果たしてこの説明でこれら登場人物のことをイメージできる人がいるでしょうか?自分で言うのもなんですが、これではサッパリわかりません。全くもって意味不明です。そして、これら登場人物の中でも、”壊れた遊具で一人遊ぶ”と書いた『クリーニング屋の奥さん』の描写は強烈です。『滑り台、シーソー、ブランコ、鉄棒。生い茂る木々に隠れてほとんど壊れかけ、忘れ去られたそれら』遊具で一人で遊ぶという奇妙奇天烈な光景を見せてくれる奥さん。彼女に『修理をしてもらいましょうか』と声をかける『私』に、『どこを踏んだら危ないか、どれくらいの力加減が適切か、全部頭に入っています』という奥さんは『もったいないじゃありませんか。このままで十分です』と一人遊び続けます。『反対側は空席にもかかわらず』『ぎっとんばったん』と一人シーソーで遊び、『六段ほどの梯子』の滑り台を『上っては滑り』を一人繰り返すというあまりにシュールなその光景。こんな光景をリアルに頭の中にイメージができる人など果たしているのでしょうか?そう、この作品はそんな読者の想像力が試される物語です。そして、そんな摩訶不思議な世界の中で物語が展開するのがこの作品の一番の魅力でもあり、一方で取っ付きにくさの象徴ともなっているのだと思います。
そんな物語は、他方で日本の風土に根ざした感覚を実は持ち合わせてもいます。それがこの作品の根底に横たわる世界観になります。『未婚のまま若くして亡くなった我が子が死後の世界で結婚できるよう、婚礼の様子を絵に描いてお寺に奉納する「ムサカリ絵馬」という風習が東北のほうに実際にあるんです』と語る小川洋子さん。そんな小川さんは、その感覚をこの作品に上手く落とし込んでいきます。『地方によってはガラスケースに花嫁・花婿人形が奉納されていて、中には玩具や文房具、はては大人の証である煙草や車の模型が一緒に納められることもある。そこにはとにかく「死んだ後でも子供を育てたい」という、親としての底知れない思いの強さがある』と続ける小川さんが落とし込んだのは『私』が管理する『全部でいくつあるのか数えたこともないガラスの箱』でした。『元郷土史資料館』の中で『過去の時間を閉じ込めていた』ガラスの箱たち、それらが『元幼稚園』の講堂で『今では死んだ子どもの未来を保存するための箱になっている』というその描写。それは、『死んだ後でも子供を育てたい』と願う親たちの思いの先にあるものでした。そんなガラスの箱に『新しいお友だちができないとかわいそうだからと言って人形』を、『字を覚える年頃だからと言ってドリル』を、そして『成人になったお祝いにとお酒のミニチュアボトル』を入れに訪れるという親たちの心。そこには、『人間の究極の喪失感が凝縮されているのを目のあたりにした気が』すると語る小川さんのあたたかい眼差しを見ることができました。しかし、小川さんはあくまで静謐な表現の維持に拘ります。そんなシーンを『一つ一つの箱には、あふれんばかりの思いが詰まって果てもないというのに、それらはみな仰々しい様子も見せず、ただ大人しく与えられた番号の棚に並んでいる』とあくまでモノの描写として締める小川さん。この辺り、感情に流されずにあくまで作品世界の温度感、空気感に拘る小川さんの上手さを感じるとともに、決して読者に阿らない、読者に媚びない、そして読者を裏切らない小川さんの一貫した姿を見た気がしました。
『彼らは「過去」ではなく「未来」を納めているんですよね。そういう発想ができるのも親の愛のなせるわざ』とおっしゃる小川さん。そんな小川さんがこの作品で描いたのは、読者に極めてイメージのしにくい摩訶不思議な世界の中に生きる人々の淡々とした日常でした。そんな淡々と静かに描写される世界の中にガラスの小箱という唯一、『「過去」ではなく「未来」』を見つめる親の愛のぬくもりが象徴的に登場するこの作品。入り込みにくいと感じた作品世界が、読後、深く心に刻まれるのを感じた、これぞ”小川ワールド!”という魅力満載な作品でした。続きを読む投稿日:2021.08.30
不思議な話、というのが一番の印象
詳細があまり語られない出来事が多く、ほとんどの謎が残ったまま最後まで進んでいく。人によっては物足りないと感じることもあると思う
ただ、不思議でありながらも、美しい雰囲…気によって、自分は終始涙ぐんでしまっていた
続きが気になって眠れない、というような話ではなく、日常に寄り添うような、噛み締めながら読みたくなるような作品
続きを読む投稿日:2024.03.06
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