はじめに より昨年(二〇一七年)までに、原始仏典『ダンマパダ』を私なりに柔訳させていただきました(『柔訳 釈尊の言葉』全三巻 弊社刊)。さらに、もう一つの最古の原始仏典とされます『スッタニパータ』を柔訳してご紹介したいと思います。どちらの仏典も、釈尊の死後から百年以上も経過してから文字に残すことが始められました。それまでは、弟子間の口伝(くでん)だったのです。だから古い仏典は必ず、「如是我聞」(にょぜがもん:私はこのように聞きました)から始まります。この「私は聞きました」とは、大半が釈尊の側にい・・・
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おわりに より
釈尊が、家族も王の跡継ぎの地位も、王宮での暮らしも国も捨てて、出家をしたことは有名です。
原始仏典『スッタニパータ』を読んでいますと、このような家族との縁を捨てた悲しい経験も、釈尊が、
・家族を亡くした人々
・生まれながら家族を知らない人たち
・地位を失くした人々
・自国を失った人々
の気持ちを理解するために必要だったことがわかります。
釈尊は頂点の暮らしを知りながら、自(みずか)らの意思で糞掃衣(ふんぞうえ)を着る最底辺の出家生活をされたわけです。
両極端の生活を経験されたことが、大いなる心の肥やしとなったことでしょう。この経験が、釈尊の視野を広げてコノ世の実相を見させ、本当に大切なものは何か? を教えて、悟りに影響したことを感じます。
私たちの人生にも、良い時もあれば、悪い時もあります。この喜怒哀楽の落差は、私たちに大切なことに気づかせるために「起こってくれている」とも言えそうです。
*悪いことは、私たちにコノ世への「未練」を断ち切るために起こってくれている。
*嬉しい出来事は、私たちにコノ世への「感謝」を教えるために起こってくれる。
この交互の繰り返しが、人間には結局、心の平安がもっとも大切であることを教えてくれているようです。
釈尊の御言葉には、二十一世紀を生きる私たちの生活にも役立つ知恵があります。非常に具体的で実践的な示唆(しさ)に満ちています。
この第二巻を訳していましても、その内容が今の社会常識にも合う、ビジネス書のようであり、道徳の教科書のようでもあり、心理学の本のようでもありました。
内容に古さを感じさせないことに、この仏典が真理に沿ったものであることが良くわかります。本当に大切な内容は、時代を経ても不滅なのです。
釈尊の御言葉は、現代にも生きている。まさに、これを証明する本だと思います。何回も読んでいただけますと、わかっていただけることでしょう。
平成から令和へ向かう時に 伊勢白山道 -
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はじめに より
昨年(二〇一七年)までに、原始仏典『ダンマパダ』を私なりに柔訳させていただきました(『柔訳 釈尊の言葉』全三巻 弊社刊)。
さらに、もう一つの最古の原始仏典とされます『スッタニパータ』を柔訳してご紹介したいと思います。
どちらの仏典も、釈尊の死後から百年以上も経過してから文字に残すことが始められました。それまでは、弟子間の口伝(くでん)だったのです。
だから古い仏典は必ず、「如是我聞」(にょぜがもん:私はこのように聞きました)から始まります。この「私は聞きました」とは、大半が釈尊の側にいつもいた十大弟子の一人である阿難(あなん)の言葉を指します。
つまりすべての仏典は、「阿難の言葉だった」とも言えるわけです。
釈尊と阿難の出会いは、釈尊が世間ではまだ無名の時代のことでした。
小川のほとりで、まだ幼児だった阿難が裸で村の子どもたちと遊んでいた時に、遠方から訪れた釈尊が村に入る前に沐浴(もくよく)をしようと水辺に来られました。
阿難は、その見ず知らずの若い男性が非常に背が高いことに驚き、また全身がかすかに発光していることに子どもながらに惹(ひ)かれました。男性の顔には微笑みが絶えずありましたので、怖い人ではないと思った幼い阿難は「遊んで! 遊んで! 」と飛び付いて、その服を掴んで離さなかったのです。
釈尊は困ったと思いながら、服を幼児に掴ませたまま村へと入って行きました。村で働く人々に「心の生き方・活かし方」を話し終えた釈尊は、いざ村を離れようとしましたが、服を掴んだままの裸の幼児がどうしても離れてくれません。
もう村を出るから離れるように言いましても、幼児は付いて行くと言い聞きませんでした。村人に幼児の親のことを聞きますと、村に住みつく孤児だということでした。
これは困ったと思った時、釈尊は幼児の瞳に子どもの時に出会った家庭教師の先生の面影を見つけました! ! その時、釈尊の心は懐かしさを感じ、激しく動揺したのでした。
それから釈尊はある決意をして、幼児をそのまま連れて行くことを村人に請いました。村人は、どうぞどうぞご自由にということでした。
これが釈尊と阿難の最初の出会いです。
釈尊御自身の少年時代に多くを学んだ宮廷の家庭教師だった男性との師弟関係が、ちょうど逆になったような関係でした。その家庭教師こそは、母国を離れて放浪してきた伝説の存在である「老子」だったのです・・・・・・。
以上の話は、私の脳内に浮かぶ夢物語です。これから、私なりの「如是我聞」である柔訳を書き残していきたいと思います。
これは、長丁場になりそうです。『ダンマパダ』の三倍はあろうかというボリュームです。
皆様に楽しんでいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
伊勢白山道 -
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