夏の裁断
島本理生(著)
/文春文庫
作品情報
芥川賞候補となった話題作、そしてその後の物語――。
小説家の千紘は、編集者の柴田に翻弄され苦しんだ末、ある日、パーティ会場で彼の手にフォークを突き立てる。休養のため、祖父の残した鎌倉の古民家で、蔵書を裁断し「自炊」をする。四季それぞれに現れる男たちとの交流を通し、抱えた苦悩から開放され、変化していく女性を描く。
芥川賞候補作「夏の裁断」と、書き下ろし三篇を加えた文庫オリジナル。
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商品情報
- シリーズ
- 夏の裁断
- 著者
- 島本理生
- 出版社
- 文藝春秋
- 掲載誌・レーベル
- 文春文庫
- 書籍発売日
- 2018.07.10
- Reader Store発売日
- 2018.07.10
- ファイルサイズ
- 0.6MB
- ページ数
- 256ページ
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この作品のレビュー
平均 3.5 (58件のレビュー)
-
今までの人生の中で、人に傷つけられたという経験があるでしょうか?
それは身体的なことではなく、あなたの心が、という意味合いです。会社の中での複雑な人間関係を生き抜かなければならない私たちは、思った以…上に傷つけ、傷つけられる日々を送っているように思います。それは、地域のコミュニティの中だって同じこと、さらには家族の中だって、やはり人と人が関わる中では何かしらお互いが傷つけ、傷つけられる、といったことがあるように思います。そんな瞬間のことを思い出すのは辛いものがあります。それは思い出すという行為によって、もう一度自身を傷つけかねないからです。そして、そんな傷を負わされることになった人物とは距離を置きたくなるのが普通だと思います。再び傷つけられたくないために距離を取りたいというその感情。しかし、それが分かっていても近づいてしまう、その人の元へと走ってしまう、そういう関係がある場合もあります。傷つけられることがわかった上でそれでも時間を共にしたいというその感情。そんな中では、
『ああ、この世にはまだこんなに人を傷つける方法があったのか』
…と、さらにひどい傷つけられ方をする未来が待ちうけている可能性もあります。では、傷つける側の心にはどんな感情が潜んでいるのでしょうか?『僕にはたぶん破滅願望のようなものが潜在的にあるんです。人を傷つけたいし、自分を破壊したい』というまさかのその心の内。そして、破滅をも恐れないそんな人物により傷つけられていくのをわかった上でもそんな人物から離れられない女性の心の内。
この作品は、過去に性的なトラウマを抱える女性が、ただただ傷つけられる日常から一歩を踏み出していく、『幸せになりたい』と前を向いていく、そんな様を見る物語です。
「文學界」に掲載された〈夏の裁断〉という短編に、三つの短編が追加されて四つの短編が連作短編の形を取るこの作品。夏、秋、冬、春と一編ずつ季節が進んでいく構成で一見バランスが良くも見えますが、実際には〈夏の裁断〉が全体の半分の分量を占めています。しかし、それは読めば納得、〈夏の裁断〉の圧倒的な重苦しさと、密度の濃い内容に、読み始めて一気に心が囚われてしまう物語がそこにはあります。
『大した会話はしなかった。帝国ホテルの立食パーティでばったり顔を合わせたけれど、柴田さんは目をそらした』という場で『シャツの袖から白い手首が覗いていた』のを見る主人公の萱野千紘(かやの ちひろ)。『とっさに握りしめたフォークは、刺さらなかった』という衝撃的な展開も『彼の手首の表皮を破くことすらできずに赤く反応しただけ』に終わります。柴田が振り返ったのを見て『被害者と加害者っておんなじだ』と思った千紘。『まわりが取り乱したように駆けて来』て、『誰かがフォークをおそるおそる私の右手から抜き取り、パーティ会場から連れ出された』という千紘。『翌日には、柴田さんの会社の上司たちが自宅まで訪ねてきた』中、『本当に申し訳ありませんでした』と頭を下げるものの『このたびは、弊社の柴田が大事な作家である萱野さんを混乱した状況に追い込んでしまって、こちらにもなにかしら反省すべき点はあったのかと思います』と遮る上司たち。『今回は柴田も話を大きくしたくないと言っていますので、もし良かったら水に流しませんか?』と続ける上司たちは『もう柴田とは会わないとだけ約束していただければ』と言います。『柴田さんとそういう関係じゃないです』と言う千紘に『でも、それなら、どうして』と、『なにがあったのか。どういう関係だったのか』と聞きたそうな上司たちを見て『私だって訊きたかった』と思う千紘。そして夕刻となり『あ、お母さん』と母親から電話がかかってきました。『学者だった祖父が亡くな』り、家の片付けをしているという母親は一万冊以上ある本に手を焼いていました。『いい方法考えたの。自炊よ。本当に良いやつだけ高値で売って、あとはぜんぶデータ化しようと思って』と言い『手伝いに来てよ』と千紘に頼みます。そんな千紘は柴田とのことを思い出します。『キス、してほしいです』と言うも『そっぽを向いた』柴田。そして、『気が付くと私は、彼のスボン越しの股の間に顔を埋めたまま身動きが取れなくなっていた』と傷つけられる千紘。そんな千紘は祖父の家のある鎌倉にやってきます。『本の自炊を多少でも進めておいてもらいたくて』という母親は千紘をおびただしい本に溢れた書斎に案内します。そこには『頑丈そうな刃のついた裁断機』が置かれていました。『自炊ということは。本を、切るのだ』と思う千紘は『考えられなかった、自分の手足を切り取られるようなものだ』と感じます。そんな千紘が『自炊』を繰り返していく中で、次第に凝り固まった心がほぐれていく、そんな物語が描かれていきます。
『自炊』とは、”自ら所有する書籍や雑誌をデジタルデータに変換する行為”を指す俗語です。”自炊代行業者”の存在が著作権との関係で社会問題化したこともあります。そもそも本を『ばっさり裁断して、データとしてパソコンに取り込んだ後は、大量のゴミとしてすてる』というその一連の行為を作家でもある主人公の千紘が行うということはまさしくシュールという言葉の先にある行為だとも言えます。その『自炊』の象徴とも言えるのが『頑丈そうな刃のついた裁断機』です。島本さんは、そんな『裁断機』を使った『自炊』の光景をこんな風に描きます。『大きな刃のついたレバーを持ち上げ、背表紙のところに合わせる』という作業の開始。『刹那、ふるえた』という千紘は『想像よりもずっと抵抗を手のひらに覚えながら、酔いにまかせて引き落とす』と裁断機を操作します。『ざくり、と刃が沈んだ瞬間、下腹部から不本意な欲情にも似た熱が突き上げてきた』というその瞬間の感情。それを『仔猫や赤ん坊が可愛すぎていじめたくなるときのねじれた愛情に全身の血が沸き立った』というすざまじい表現で描写します。一方で『あっけなく、見とれるくらい綺麗に本の背中が落ちていた』というその光景。『おそるおそる手に取ると、ばらばらの紙の束になっていた』という行為の結果がそこにはありました。作家が『自炊』をするという行為を『自分の手足を切り取られるようなもの』と考える千紘。一方で、柴田との関係に悶々とする千紘に、裁断を繰り返していく日々の中で少しずつ変化が訪れていきます。『本が本でなくなることに、私はだんだん慣れ始めていた』というその感情の変化。『それでも裁断機のレバーを持ち上げて、いっぺんに切り落とすときには内臓に響いた』という千紘は、その行為を『自傷のようだと少しだけ思』います。『冷房のきいた二階で、半ば死んだように本を切り続けた』というその行為に一方で執着していく千紘。そして、そんな千紘に、やがて『本を切らなくなっていた』という瞬間が訪れます。それは、立ち止まって動けずにいた千紘が再び前に進んでいくための起点ともなるものでした。こんな風に本を『裁断』するという行為を作家である主人公に行わせるというその発想。島本さんの大胆な発想が描くその物語は鎌倉という舞台背景もあって、そこに独特な世界観を感じさせるものだと思いました。
そんな島本さんの作品というと精神的にダメージを受けた女性が先の見えない人生に行き詰まって、さらに負のスパイラルに陥っていく、という展開がある意味での王道パターンを作っています。この作品はまさしくその王道パターンをいく構成です。そんな作品には必ず嫌悪の対象となる男性が登場します。この作品では、それは芙蓉社の編集者として千紘に近づいてきた柴田でした。そんな柴田との関係は、柴田が精神的に千紘を支配しようとするものです。また、場面として衝撃的だったのは二人でカラオケに行った場での行為です。『キス、してほしいです』と柴田を見上げる千紘。それに対して柴田は『突然白けたように腕をほどくと、そっぽを向いた』という行動をとります。そして、『気が付くと私は、彼のスボン越しの股の間に顔を埋めたまま身動きが取れなくなっていた』という千紘。そんな千紘は『すみません、ごめんなさい。もう言いません』と柴田に謝るものの、それに返事をしない柴田。この状況に『ああ、この世にはまだこんなに人を傷つける方法があったのか、と死んでいくような気持ち』になる千紘。そんな千紘は一方で『これ見たことがある』と、その状況を第三者的にこんな風に表現します。『じゃれついて飛びかかってきた犬や猫のしつけだ』と、まるで自身が動物のように扱われていると感じる千紘。このような関係にある全ての女性が千紘と同じような感情を抱くとは思いません。あくまで千紘が精神的に弱い女性であることを分かった上での柴田の行動。千紘の心を粉々に砕こうとするそんな柴田の行動には読んでいて激しい嫌悪感と吐き気を覚えました。一方で、これは極めて島本さんらしい物語だとも感じました。ブクログのレビューを見ても女性の評価が高く、男性に評価が低いこの作品。それはこの千紘の感情が理解できるか否かにあるのではないか、そんな風に思いました。
そして、物語は、〈秋の通り雨〉〈冬の沈黙〉〈春の結論〉とこの作品のために追加で書き下ろされた短編に登場する人物たちによって次第に千紘の凝り固まった感情が解きほぐされていきます。それは『その柴田さんって、萱野さんにとって誰の投影だと思う?』と千紘を冷静にさせる恩師の問いかけがきっかけとなるものでした。そんな恩師は『あなたが守らなきゃいけないと思い込んで背負ったものは不要なものばかりで、本当のあなたを殺し、得体の知れない不快感だけを残して去っていった。違う?』と千紘にさらに問いかけます。そんな中で『初めて心から、幸せになりたい、と思』い、『もう私は一つも傷つきたくない』と心から思う千紘に一つの変化の兆しが現れます。それは島本さんらしくはっきりとした決着ではなく、曇り空から光がうっすらと差しこんでくるような象徴的な結末。しかしそれは、千紘にとっては確かに前を向いていくために必要な光だったのだと思いました。
芥川賞の候補作にもなった表題作の〈夏の裁断〉。前にも後ろにもどこにも進めない千紘の感情の描写には、自らをどんどん追い込んでいく、そして読者をも息苦しく巻き込んでいく、そのような鬱屈とした物語がありました。だからこそ、その光差す結末に、千紘だけでなく、読者も救われる感情を抱くのだと思います。
『私は名前のない薔薇になれるのだろうか』と思う千紘。『自由になりたいと願いながら、ずっと臆していた』と自身の過去を振り返ることができるようになったそんな千紘の姿を見る結末に、いっ時の安らぎの感情を見た、そんな作品でした。続きを読む投稿日:2021.07.07
正直、最初の方は主人公に共感ができなかったが、島本理生さんの他の本では共感できるところが多いため自分がこの主人公と同じような経験をしていないから共感できないのかもしれないと思った。同じような経験をした…ことがある人なら共感できるのかもしれない。
夏秋冬春 と時間が流れていくにつれて主人公の重荷が軽く、明るくなった気がした。
特に春が好きだった。続きを読む投稿日:2024.02.05
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