これは、小説「揺り動かす天地」シリーズ全十巻のなかの第一巻です。のちに、キリスト教の牧師になる中学生が、お彼岸の日に、「お坊さん」の、「親鸞上人は、善人が救われるなら、どうして悪人が救われないであろうかといっております」という話を聞いた途端に、「ではそれが真実なら、これから、自分も悪人志願しよう」と決意したことで、その日に、「お坊さん」が交通事故で他界した話です。 そうして、牧師になったのでしたが、何度も冤罪をかけられ、逮捕され、ついに、19人の知的障害者が一夜にして殺された事件の容疑者にもされ・・・
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いよいよ「揺り動かす天地」も最終巻となります。許されざる罪の責任を問うことになります。「許されざる罪」とは、加害者が、奪った「いのち」を被害者に返さない罪のことです。加害者を死刑にしても、その罪はそれゆえに、永遠に許されることもなく、罪は永遠に残ります。そこでヨシュアたちが採った手段は、自分たちが「揺り動かす天地」となることでした。ご期待ください。
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心の貧しいものは幸いである。そういう人のために天国はある、キリストはいいました。その時の心の貧しさとは、魂の謙虚な人を言います。それゆえに、そういうひとは、霊的障害者ではありません。
本当の霊的障害者とは、一見勝ち組であるような傲慢な人を言います。いじめるもの。いじられている人を助けないもの。見てみる見ぬふりをするものが、魂の成長がないので、霊的障害者となります。それゆえに、そういう障害者は、いつも自分で自分の未来を閉ざしている、そういう事例をこれから紹介します。 -
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知的障害ということばあります、そういうひとを日本人は、バカといってきました。しかし、バカをしないひとなどいるでしょうか。一国の総理が、国会で暴言を吐く、ウソをつく、そういう言動は、バカなこと、ではないでしょうか。そういう人の魂に、どういう成長の跡がみられるでしょうか。そう人こそバカであり、罪を造っているのではないでしょうか。殺される方より、心を傷つける、心を殺すほうがほんとうは、心的障害者ではないでしょうか。そういうわけで、この第八巻では、本当の心の障害者とはどういういう者か、紹介していきます。
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見えないということ。全盲者として生まれる、ということ。弱視であったが、中途失明してしまうということ。
それが何を意味するか。おそらくほんとうは、だれでも想像できるはずです。しかし、想像はしても、盲人の人への配慮をするものは、それほど多くはありません。昨今の様な福祉社会になっても、目の不自由な人の心とか魂の慟哭は、想像を絶するものです。それでも、全盲者として生きるひとのように、明るく、ひとりだけの戦いをして、自分の魂を成長させているひとは少ないはずです。なぜ彼らは、そのように前向きに生きられるのか。これから、視覚障害者の魂の声を紹介します。参考にしてみてください。 -
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「揺り動かす天地シリーズの第六巻は、堕胎された「いのち」、他人に殺されたものの魂の慟哭の記録です。こうした「殺人」が最近は特に急増しています。不倫の果ての、堕胎。自殺サイトの殺人。なぜ日本人はこうなったのか。なぜ日本人には、「魂」の声が聞こえないのか。それこそ、「いのち」の真実を知らないままで、大人になっているからではありませんか。そういう危機感から、殺されていった
魂の真実を、魂の声として紹介しております。 -
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第五巻は、天地創造の神と、その子の「ことば」です。
天地創造の神は、エホバといいます。エホバとは、「あってあるもの」「すべてのものを有らしめたもの」という意味です。
その神のことをイエスは、愛と言い、その愛とは「誰もを差別しないで愛する」ということ。
そしてその「エホバ」のいる天から、イエスという「人の子」が生まれ、地上の人となった乙女マリヤの子が、イエスとなずけられたのです。そして、イエスさまは、自分の口から、 「わたしは真理であり、永遠のいのちである」から、そういう真理のことばである「わたし」についてきなさい、といいます、その話をこれから紹介します。 -
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これは「揺り動かす天地」第三巻です。イエス、つまり神の救い、というひとの微笑のなかで、救いを求める、ヨシュアつまり日本名でいう「義也」の話です。イエスといえば、ユダに裏切られた哀しい人間ということに日本ではなっています。しかしユダにしても、裏切ったあとに、自殺しています。
なぜそういう悲劇が起きたか、その背景を紹介する話です。
なぜユダは裏切ったのか。キリストが神の言葉を話したので、理解できなかったわけです。その神の「言葉」の世界に、これからご案内します。 -
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この本は、小説「揺り動かす天地」の第三巻です。ヨシュア、日本名の「義也」が主人公です。
ヨシュアとは、のちに、イエス・キリストの預言者になるものとして生まれた、天地創造の神の前の「義人」というものでした。
それゆえに、「義也」もまた、学校教育を受けることなく、大人になっていきます。しかし、義也もまた、神の「言葉」を知るものとなります。そうして、最後は、「揺り動かす」天地となっていきます。
罪もなく殺されていった、キリストの身代わりになって、殺されていった魂に、寄り添うための「ひとりだけ」の戦を始めることになります。 -
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これは小説「揺り動かす天地」全十巻のなかの第二巻です。牧師の娘が、夫と父の葛藤のはざまで苦しみます。父も夫も伝道師でしたが、父は、天国でさえ人に譲る信仰を持っていましたが、夫は、祈りの信仰よりも社会運動で弱者を救うという、社会運動家でした。そうして、父が認知症になったことで、「わたし」も最後に失語症になります。それからの、魂の慟哭の話です。
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これは、小説「揺り動かす天地」シリーズ全十巻のなかの第一巻です。
のちに、キリスト教の牧師になる中学生が、お彼岸の日に、「お坊さん」の、「親鸞上人は、善人が救われるなら、どうして悪人が救われないであろうかといっております」という話を聞いた途端に、「ではそれが真実なら、これから、自分も悪人志願しよう」と決意したことで、その日に、「お坊さん」が交通事故で他界した話です。
そうして、牧師になったのでしたが、何度も冤罪をかけられ、逮捕され、ついに、19人の知的障害者が一夜にして殺された事件の容疑者にもされる、という人生が始まったことで、牧師は、「冤罪」という罪に死ぬことも、自分の使命である。天国入る資格もない、といって、死刑判決もそのままうけれて、死んでいった話です。 -
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